「さあ、潰しなさい」
《あいよーって待て待て待て!》
片手で支えられたエリーゼの言葉に軽く返事をしたベスが即座にツッコミを入れる。潰せ、と彼女が言った対象はエリザベス・マクスウェル。エリーゼのオリジナルであり、欠片である彼女が帰るべき存在のはずだ。そんなエリザベスを躊躇なく潰せと言いやがったのである。
「何をしているの? 早くしないと拘束から抜け出されるわ」
《そりゃそうかもしんないけどさ。潰すのはマズいじゃん? いやそもそもあたしで潰せるのこれ?》
「出来ると思っているのかしら?」
「随分と自惚れているのですわね」
《サラウンドでダメ出しするのやめてくんない!?》
抱えているエリーゼの生首も、拘束されているエリザベスも、その両方が無理だと即答する。じゃあ言うなよ、とヤケクソになって叫びながら、ベスはとりあえずエリザベスを地面に叩き付けた。多分放り投げると受け身を取られて反撃される、そう判断したからの行動である。バウンドしたエリザベスは舌打ちしながら地面を転がり、ある程度距離を取ると素早く立ち上がった。
「……まあ、及第点をあげておこうかしら」
《ああそうですかわーいうれしいなー》
「心が籠もっていませんわね」
《あったりまえやろがい!》
エリーゼを睨み付ける。本人はそのつもりだが、いかんせん首がないので他の誰にもなにをやっているか理解されない。せめてもの抵抗で吹き出しが彼女の方へと移動し、ジロリ、という擬音が浮かび上がるのみである。勿論エリーゼは鼻で笑った。
「そんなことよりも。向こうの反撃が来るわ」
《誰のせいだと思ってんじゃいこんちくしょーめー!》
二人のやり取りで息を整えたエリザベスは、小さく呼吸をすると右手に魔力を込めてぶっ放し、同時に自身も間合いを詰めた。魔法に対処すればエリザベスの追撃を食らい、かといって魔法を対処しなければ追撃にも反応できない。相手が格上ならばともかく、同格か少し劣る程度であれば十分通用する手段である。そしてエリーゼとベスは後者に相当する。
「ベス」
《うおらっしゃぁ!》
「――っ!?」
首無しの令嬢が手に持っていた生首を放り投げた。空いた両手で先程のように黒い影のようなものを操り、突っ込んでくるエリザベス本体への迎撃態勢を取る。しかしそれは魔法が直撃することを意味し、迎撃が失敗することも意味しているわけで。
「は?」
「あら、エリザベスは欠片であるわたくしの中に知性も置いてきてしまったのかしら?」
放り投げられた首から放たれた魔法で軌道を逸らされたそれは、首無しのベスには命中しない。それはつまり、予想していたように向こうの迎撃が失敗するということもなく、きちんと対処をされるということにほかならない。
彼女の足元から伸びた影のようなものは巨大な手を形作り、突っ込んでくるエリザベスを挟み込んだ。それはさながら飛んでいる羽虫を潰すような動きに似ていて、彼女の中で己を辱めたという怒りがふつふつと湧いてくる。その口元が歪み、歯を食いしばるような仕草を取ったエリザベスは、半ば無理矢理に両腕を横に広げた。
《マジか!?》
「当然でしょう。あれはエリザベス・マクスウェルなのよ」
《どっちの味方だ! あ、いや言わなくていい。分かってるから》
「あら、そう」
抑え込んでいた影の手がこじ開けられる。こんにゃろ、と力を込めるものの、出力が微妙に通っていないのか、それとも己の限界がここなのか。どんどんとこちらが押され始める。うぎぎぎ、と吹き出しで唸ろうが、均衡が一度崩れてしまえば再び先程の状況に戻ることはない。このままではこじ開けられるのも時間の問題だろう。
「ベス」
《注文多い!》
そのタイミングで、地面に落ちるスレスレのエリーゼが声を掛けた。そちらに意識を向けることなく、ベスはエリザベスを挟み込んでいるものとは違う細い影を一つ動かし生首をキャッチする。そして、ボールを籠に投げ入れるかのように己の首へとセットした。
「元気百倍、てかぁ! いや元々の顔だけど」
「訳の分からないことを言っていないで。ほら、気合を入れなさいな」
「なんっ――!」
バチン、と影が間の物体を叩き潰した。が、中身が潰れてしまっているわけでもなく、影の掌は不自然な盛り上がりを見せている。固い積み木か何かを思い切り挟んだような、そんな状態になっていた影は、そのままサラリと霧散した。まあ痛いよなぁあれ、と感覚共有でもしたかのようにベスの表情が苦いものになる。
そうして地面に落とされたエリザベスは、流石に多少のダメージを受けたのか大きく息を吐き、目の前にいる再び首が繋がった自身と同じ顔をした動く死体を睨みつけた。
「随分と巫山戯た真似をしてくれますわね」
「あら? エリザベス・マクスウェルともあろうものが、この程度を巫山戯た真似と呼称するのかしら? 先程も言ったけれど、あなた、知性も随分と失っているのではなくて?」
「エリーゼ見る感じ、戦い方おもくそ脳筋だからそう変わんないんじゃないかなーってあたしは思うけど」
「おだまり」
挑発しているかの物言いと表情から間抜けな顔と口調に変わったそれを、エリーゼは即座に叩き落して元に戻す。一歩足を踏み出しながら、ゆっくりと距離を詰めながら、彼女はエリザベスの胸を軽く指で突いた。
「理解出来たのではないかしら? あなたは、自身の想定している己自身に届いていない、と」
「……」
どうでもいいがエリザベスの胸部はとても豊満なので、トン、ではく、むにゅり、となって絵面はそこまで締まらない。そんなことを考えるのはエリーゼの中で眺めているベスくらいであろうが。
「野暮かもしれないけれど。彼女の想定って元に戻っても改善されないよね」
「自己肯定感が高すぎるからな……いや、別に概ね間違ってはないが、うん、概ねは」
「ほんのちょっぴり抜けているところも素敵なんですけどね、エリザベスさまは」
半壊した応接室の窓際から中庭を眺めている面々はそんなことを言っていたが、エリーゼは別段気にすることなく目の前を相手を嘲笑う。完全なエリザベス・マクスウェルでないのだから、勝てないのも道理である、と。
対して、見下されたかのような態度をとられたエリザベスは、一度睨み付けるような視線を目の前の動く死体に向けた後、静かにゆっくりと目を閉じた。諦めた、戦意を失った、などということは決してない。挑発に乗って、このままあしらわれるのを避けるために冷静さを取り戻そうとしたのだ。今天秤が傾いているように見える理由は、間違いなくそれだからだ。
エリーゼもそれは承知の上。大半のオリジナルである向こうと、エリザベスをエリザベスたらしめている重要な欠片である自分。優劣はつけられない。肉体由来のスペック差は己の中にいる得体のしれない魂が埋めてくれる。
このまま戦闘を続けていても、埒が明かない。エリーゼの持っていた結論に、奇しくも冷静さを取り戻したエリザベスもまた辿り着いた。
「膠着しおったな。まあ、それも当然か」
「マクスウェル翁、あなたは何を考えている。いや、どこまでを想定している?」
「今更聞くことですかな? そんなものはとうの昔に破綻して」
「いませんよね」
「ははは。聖女候補殿は随分と強い芯を持っておる。殿下方の反応を見る限り、中心から外れてはいるようじゃがの」
「想定外、だったかな?」
マクスウェル翁の言葉に、エドワードがそんな言葉をかける。それに対し、彼は平然と肯定した。確かにその通り、と答えた。
「……マリィ嬢が想定外ならば、向こうは更に想定外じゃないのか?」
そう言ってフィリップは視線の先にいる彼女を指す。マクスウェル翁をぶん殴ろうとしていたエリーゼの、その中にいるベスのことを。
彼は笑う。もしそうだとしたら、と笑う。自身の想定はとうの昔に破綻しているという言葉が真になる。そう言ってどこか挑戦的に笑う顔は、彼女の祖父であるということを十分に感じさせるもので。
「その結論はそこの聖女候補殿が先程否定してくれましたが、はてさて。フィリップ殿下はどちらでしょうか?」
「……個人的な願望としては、破綻していて欲しいと思っている」
「ほう」
個人的な願望、ときたか。彼のそれを反芻しながら、マクスウェル翁は視線を横のエドワードに向ける。言葉には出さず、小さく肩を竦めるのみであった。
では、と視線をさらに横、彼の隣の彼女へと向ける。マリィはそんなマクスウェル翁の視線を受け、先程と同じように違いますと首を横に振った。
「その根拠はいかに?」
「勘です」
「…………のう、エドワード殿下。もう少し頭のいい少女を好いたほうが良かったのではないですかな?」
「ははは。そうでもないよマクスウェル翁。俺は知っての通り変に考えを巡らせてしまう癖があるからね。マリィみたいに動いてくれる人のほうが丁度いい。変な裏表もないしね」
「リザだってそうだろう」
「兄上、あれを裏表のない性格と評するのは違う。マリィもそうですよみたいに頷かない」
真面目なやり取りをしていた気がするのだけれど、とエドワードは呆れ半分の表情を浮かべながら視線を前に戻す。アホそのものなそれを黙って聞いていたマクスウェル翁は、彼の視線を受けて小さく口角を上げると口を開いた。
「裏表がないという意味では、間違ってはおらんでしょうな」
「乗らないでもらえるかな」
「いや何、巫山戯ているわけではありませんぞ。こちらはある程度、今回の本題についてを明かすつもりで述べておるのですからな」
その言葉に三人の表情が引き締まる。それを見て、成程成程とマクスウェル翁は満足げに頷いた。三人、である。フィリップやエドワードだけでなく、マリィも瞬時に覚って空気を元に戻した。確かに彼らの言うように、彼女の賢さはこちらの評価しているそれとは違うだけのようだ。
「どうりで、一手間必要としたわけだ」
「マクスウェル翁? 一体何を」
「なぁに、大したことではありませんよ。フィリップ殿下には」
「は?」
そこで言葉を止めたマクスウェル翁は、視線を三人から中庭に戻した。膠着状態になると判断したところで、ならばそのまま睨み合いを続けるかといえば、エリザベスもエリーゼも当然否なわけで。今までの会話をしている間でも、二人の戦闘は継続していた。エリーゼの中のベスは文句を言い続けていたが、どうやら押し込まれた様子である。
つられてその様子を見てしまった三人は、何かしらをしなければ天秤を傾けさせることは出来ないと即座に動こうとした。フィリップはそのためのアイデアを纏めようと横の弟に声を掛け。
「どうする――」
「マリィ、あそこに破邪呪文を」
「あ、はい、分かりました。――え?」
中庭に出現した魔法陣へと即座に意識を持っていかれた。その位置はエリザベスとエリーゼのぶつかる中心点。そして生み出された破邪呪文は、禁呪で生成されたアンデッドには特効となる代物だ。
「エドワード! マリィ嬢! 何を!」
「――は? 何をって、何が――」
「待ってください、あれは――」
三人が思い思いに何かを述べようとしたが、それよりも早く。魔法陣の範囲内に収められたエリーゼの体に、破邪の呪文が浸透した。アンデッドを浄化する効果を持ったそれは、動く死体をただの死体へと戻してしまう。
そのことに瞬時に気付いたのは、一人。マクスウェル翁は違う。彼はこうなることを知っていた。フィリップもエドワードもマリィも、自分達が何をしたのか理解が追いつかないままだ。エリザベスは突如湧いたそれが破邪呪文であることは認識したが、それがどうしたと気にしない。エリーゼは効果云々よりも、祖父の思い通りに嵌められたことの方に意識が集中していて対処が一瞬遅れた。
だから。
《どっせいやぁぁぁぁ!》
動いたのはただ一人。浄化が浸透し切るよりも早く、首を取り外しエリザベスへと投げ付けた、ベスだけだ。
『なっ――』
エリザベスとエリーゼの声が重なる。前者は突如飛来した生首に、後者は突如行われたその奇行に。反応できないのは揃って同じだ。
ゴツン、とどこか小気味いい音が響いた。二人の頭が激突し、エリザベスは思わずよろける。倒れはしないものの、その衝撃で彼女は数歩後ずさった。ぶつかった方の首はそのまま地面に落ちてそれきり。
首から下も、魔法陣の光がなくなると同時にゆっくりと倒れた。
「痛……まったく、ベスは何を」
痛む頭を押さえながら、彼女は視界に映るそれを見る。首のない自身の体が倒れ、動いていないそれを見る。そうだ、自分はあの破邪呪文に巻き込まれて、そして。
そこまでを即座に思考したエリーゼは、殺気を込めた表情で自身の祖父を睨んだ。中庭から見える、半壊した応接室から覗き込んでいるその顔を。満足げであったそれが、微妙に苦いものに変わるのを確認し、そこでようやく彼女は気が付いた。
「……ああ、そうでしたわね。確かにわたくしは、あの糞爺をぶん殴りたいと常日頃思っていましたわ」
混ざった。というよりも、元に戻った、と言ったほうが正しいのだろう。エリーゼは、否、エリザベスは、先程まで対峙していたはずの体であるという認識と元からそうであったという二つの認識をすり合わせながら、ゆっくりと拳をグーパーと動かす。勿論視線は自身の祖父を睨み付けたままだ。
「どうしましたかお祖父様。十割の成功を確信していたのに、七割程度まで落とされたような顔をして」
「ふん。馬鹿を言うな。お前がその状態の時点で、儂の目論見の一つは失敗じゃ」
「あら、そうでしたか。それはそれは……実に、喜ばしいことで」
口元に手を当て、クスクスクスと彼女は笑う。そうしながら、まあつまり、とその手を頬に当て直して、見上げている祖父を見下すように口を開いた。
「動かせる駒を見誤った、お祖父様の負け、ですわね。思い通りに動いてくれていると確信していた駒が実は全く見当違いの動きをしていた気分はどうかしら、糞爺」
「全くの見当違いではない。お前が自分で言ったじゃろうが。七割は想定通りの動きをしていた」
「想定外の三割に随分と報酬を持っていかれたようですけれど」
エリザベスの言葉に、マクスウェル翁は面白くなさそうに鼻を鳴らす。そうしながら、それよりもいいのか、と彼女に問い掛けた。
「お前の気に入っていたそれは」
「あら、この期に及んでそんな心配を? そこの三人を思考誘導させて意図しない破邪呪文を撃たせた人が、まさか」
「人聞きが悪いな。儂は何もしておらんよ。当時の断罪でも思い出したのだろう」
マクスウェル翁の言葉にエドワードがハッとする。元々自身にはエリザベスを断罪するように仕向けられた禁呪の痕跡が残っていた。が、それは原因ではなく、小さな積み重ねの中の一つで、それそのものではどうにもならない証拠にすらならないものだ。
そう、状況を後押しする程度の中継なのだ。その状況が何であるかは、問うていない。
「数多くを繋ぎ合わせていた理由は、証拠を掴ませないためではなく、複数に転用するためだったのか……!?」
二人の激突、半壊した部屋、マクスウェル翁の会話や表情などというものだけではなく、屋敷からこの部屋に至るまでの足取りやメイドの立ち位置、部屋を出るタイミングなどを積み重ね、エドワードとマリィが援護のために破邪呪文を放つということが当たり前であると誘導させられた。そう理解しても、マクスウェル翁の言う通り、彼が何かをしたわけではないのも確か。些細なことが積み重なった結果であり、そこに原因は何もない。エドワードのそれが何をもたらしたのかすら分からないのだから。
「だとしても、マクスウェル翁!」
「フィリップ。少し黙っていて」
「リザ! どうして止める!」
「どうでもいいからですわ。そんなことは至極どうでもいいの。わたくしの言いたいことを邪魔しないで」
「エリザベスさまが言い出しませんでした?」
「おしゃべりな雌豚は屠殺されるわよ」
「はい。エリザベスさまにやられるのならそれはそれで魅力的ですが、今はそういう場面ではなさそうなので黙っておきます」
「そういうところだと思うよマリィ」
空気ブレイカーとも言える彼女のそれで、フィリップはどこか疲れたように項垂れ、もういいと手をひらひらさせる。毒気を抜かれたエドワードも同様だが、彼の場合はマリィの態度が落ち着いていることも一つの要因であった。
ともあれ。エリザベスはふんと鼻を鳴らし、自身の祖父を再度睨み付ける。そうしながら、確か先程こう言っていましたわね、と言葉を紡いだ。
「わたくしのお気に入りはいいのか、などという世迷言を」
「途中でお前に止められたが、まあ、そうじゃな。ほれ、さっさと作り直して契約を結べ。そちらの方は問題なく進むだろうからな」
「……だから、聞こえなかったのかしら? お祖父様」
ふん、ともう一度鼻を鳴らす。ここまで来て、ようやく目の前の糞爺がやりたいことが理解できた。つまりは、エリザベスを新しいマクスウェルの象徴に仕立て上げたいのだ。禁呪を管理する公爵家として立たせたいのだ。だから、冤罪の断罪劇を作り上げ王家に借りを作らせた。だから、自身への反骨心を最低限にして残りをエリザベスから切り離した。だから、エリザベスの禁呪の対象物として自身と繋がりの深い死体人形を用意した。だから、繋がりを更に深くするために、切り捨てたそれを内包出来る魂を用意した。
だから、エリザベスの死体人形には物部須美香が入り込んだ。偶然ではなく、必然の流れだったのだ。
「とっくに破綻しているのよ。わたくしが目覚めた時点で、既に」
「……そうか。あくまで、こちらにはならんと。そこの死体人形も使わぬと、そういうわけか」
「成程。お祖父様、どうやら耄碌したようですわね」
呆れたように肩を竦める。孫の我儘にも困ったものだ、というような態度を取っていたマクスウェル翁は、その動きでぴくりと眉を動かした。一体どうした、とこちらも呆れたように問い掛けた。
「どうしたもこうしたも。わたくしは先程から言っていますわよ。――何の世迷言を言っているのかしら、と」
そこまでを口にして、エリザベスは息を吐いた。そうして再度息を吸うと、視線は動かさずに、あくまでそちらを見ないように、しかし確信を持った表情のまま、彼女は改めて口を開く。
「ベス! さっさと起きなさい!」
《いや無茶言わんでくんない……? 何か急にバランスおかしくなっちゃって》
倒れていた首無し死体が起き上がった。吹き出しに文句の言葉が表示された後、転がっていた頭を拾い、そしてカチリとはめ込むようにそれを乗せる。閉じられていた瞼が開かれ、黒い瞳が二つ、現れた。