「うえぇぇ。何か変な感じ。これひょっとしてあたし完全にこの体の持ち主になった系?」
「そうですわね……正確には、寮の管理人みたいなものでしょうけれども」
グーパーと己の体の馴染み具合を確認する須美香に向かい、エリザベスはなんてことのないようにそう述べる。そうしながら、さて、と口角を上げた。
「どう呼べば良いかしら? スミカの方がよろしくて?」
「いやベスでいいって。このボディで物部須美香を名乗るほど異世界転生初期ムーブはしないから」
「相も変わらず、何を言っているかよく分からないわね」
やれやれ、と肩を竦めたエリザベスは、いつも通りの彼女――ベスを見て満足そうに微笑んだ後、さてと視線を元に戻した。マクスウェル翁が普段見せないような怪訝な表情をしているのを確認すると、その笑みをさらに強くさせる。
「さてお祖父様、もし分からないのであれば、ご説明して差し上げますけれど」
「契約など、とうに済ませておったか」
「……ふ、うふふふ、あはははは!」
呆れたように呟いたマクスウェル翁のそれを聞いて、エリザベスは笑い出す。何を言っているのだと、そんなことも分からないのかと。掌で自身を転がしていたであろう祖父に向かい、おかしくてたまらないと笑い続ける。
ならば、転がしていた掌などとっくに存在していなかった。自身が首だけで目を覚ました時、否、それより前から。
策を弄したと勘違いしている道化の爺が一人、存在していただけだ。
「ベス」
「なんじゃい」
「今ここでわたくしに忠誠を誓いなさい」
「何でやねん。いや別にエリーゼに協力するのはいいし今もやってるけどさ、そういうのって忠誠とは違くない?」
「ええ、そうね。あなたはそうでなくてはいけないわ」
そう言って楽しそうに笑ったエリザベスは、怪訝な表情を浮かべたままのマクスウェル翁に勝ち誇った表情を見せた。ふん、とそんな彼女の表情を見た彼は、それがどうしたと言わんばかりに鼻を鳴らす。
「契約したアンデッドの制御が出来ておらんだけではないか」
「本当に耄碌したのですね、お祖父様」
「何だと」
「わたくしは彼女と契約など何一つしておりませんわ」
今ここに立っているのは、エリザベスを模した死体人形。彼女の影として、身代わりとして動くための契約したアンデッド。
などではなく。ただそこにいる野良デュラハン、ベスだ。
「馬鹿なことを。制御の出来ないアンデッドなど何の役にも立たないではないか」
「お祖父様にとってはそうでしょうね。ですが、わたくしは違いますわ」
言外に、己はそちらより上なのだと言い放ったエリザベスは、いい加減くだらない問答は終わりにしようとマクスウェル翁を睨み付けた。失われた祖父への反抗心、嫌悪感も復活したことであるし、後は当初の予定通りあの糞爺をぶん殴るだけだ。
そんなことを思いながら前に一歩踏み出したエリザベスに声が掛かる。ちょい待ち、というそれに振り返ると、ベスがポリポリと頭を掻きながらちょっと質問と手を上げていた。
「何かしら? わたくしはお祖父様をぶん殴ってさっさと終わらせようと思っているのだから、下らない質問だったら容赦はしませんわよ」
「え、じゃあ止めとく。多分そうかもなーって答え合わせをしたかっただけだから。あ、じゃあ代わりにこれいいかな?」
「言ってみなさい」
「あたしも一緒に爺さんぶん殴ってもいい? ここまで来て黒幕相手に見てるだけって味気ないじゃん」
「ふふっ。あなたもどうやら少し染まったみたいね」
「友達だからね」
そう言って笑うベスを見て、エリザベスも楽しそうに口角を上げた。
「……やれやれ。儂のような老体を殴ろうだなどと。いつからそんなお転婆になってしまったのかのう?」
「御冗談を。わたくしは物心付いたときから、いえ、生まれた時からこうですわ」
「知っておるよ、お前の言ったように、ほんの冗談じゃ」
小さく溜息を吐いたマクスウェル翁には、先程までの気概が感じられない。こんな感情は久しぶりだ、と彼は困ったように顎に手を当てた。
間違いなく己の目論見通りに動いていた。こうしてエリーゼが、エリザベスの持つ自身への悪感情を分離して作ったアンデッドが襲来するのも予想通りだ。想定通り、禁呪で操作出来るエドワードとマリィ、そして目撃者役のフィリップも共に来た。
後はエリーゼとエリザベスが契約を交わし、正式に身代わり人形となれば終了だ。中に入れた適当な魂はアンデッドの構成に必要なものだったが、それはそこまで重要ではなかった。
だから。
「魂の選定を間違えたか。いや、だとしても」
だとしても、破魔呪文に耐えうるほどの死者など聞いたこともない。少なくとも、この世界にそんな魂など存在しないはずだ。
「あ、そういうこと? あたしこの世界の魂じゃないから無効化された感じ? だったらあたしの予想と違くない?」
さっき聞こうと思っていたことだったんだけど、とエリザベスを見やる。はぁ、と溜息を吐いた彼女は、言ってみなさいとベスに言葉の続きを促した。
「あたしの食ったもの特性を身に付けるって能力で、破魔呪文で浄化された死体食ったからそれで耐性付いたもんだと」
「勿論、それもあるでしょうね。というよりも、そちらの比重が大きいでしょう。……もっとも、普通のアンデッドには出来ない芸当だから、ベスの魂そのものが持つ特性、と言った方が正しいのかもしれないけれども」
勿論お祖父様はご存じないでしょうが。そう言葉を続けて微笑むエリザベスは、気が済みましたかともう一歩前に出た。
「先程もわたくしは言いましたわ。『エリザベスの死体人形』ではなく、『エリーゼ』と『ベス』が目覚めた時点で、お祖父様の計画などとっくに破綻しているの」
「成程。……確かに、耄碌していたかもしれんな」
ふう、とマクスウェル翁が息を吐く。その表情はしかし、どこか楽しげで。
思い通りに行かなかったことを、面白がっているようにも見えた。
「それで? 負けを認めた哀れな老人を我が孫娘は殴るかね?」
「勿論。そもそも、お祖父様のどこが負けを認めた哀れな老人なのかしら」
「え? この爺さんまだ隠し玉あるの? それともこの辺も織り込み済み?」
エリザベスの言葉にベスが警戒し身構える。が、そんな言葉を発した彼女は別段気にすること無く、それがどうしたと言わんばかりに鼻を鳴らした。
そもそも、向こうがこれ以上策を弄そうとも、そんなもの踏み潰してぶん殴ればいいのだ。エリザベスの思考は大体これである。
「リザ、いくら何でもそれは」
「あらフィリップ。ようやく我に返ったかと思えばそんなつまらないことを言うつもり?」
「……いや、君らしいなとは思ったが、別に反対はしない」
フィリップにとって、現状は既に観客になる以外に他の道がない。マクスウェル翁の企みを看破出来ず、そして今もまたそれ以上の案を出すことが出来ないのだから、素直にエリザベスのやることを見守るしかないのだ。
それはエドワードやマリィも同様である。ただ、エドワードはともかくマリィは元よりエリザベスの邪魔をする気がない。彼女が決めたことならばそれが正しい、そう信じて疑わないからだ。
だから三人の起こした行動は、巻き込まれないように、あるいは邪魔にならないように即座にマクスウェル翁から距離を取ることであった。
「ではお祖父様。一発、殴られてくださいませ」
その言葉と同時に、弾かれるようにエリザベスが跳んだ。即座にマクスウェル翁に距離を詰め、そして握り込んだ拳を迷うこと無く老人の顔面に振り抜く。
が、その一撃は空を切った。ち、と短く舌打ちしたエリザベスは、振り向くこと無くベスの名を呼ぶ。
「何さ!」
「わたくしは今、どこを殴ったの?」
「え? 爺さんの横だけど……ひょっとしてちゃんと顔面殴る気だったん?」
「当たり前でしょう」
「いやエリーゼの一撃叩き込んだら死ぬでしょ。一応身内なんだし」
「わたくしにとっては、この糞爺は一度自身を殺した相手よ。どこに手加減をする理由があって?」
言いながら今度は回し蹴り。彼女本人としては間違いなく首をへし折る勢いであったが、やはりと言うべきか、その一撃も空を切った。
息を吐く。自身の体を眺めるようにした後、エリザベスは一度距離を取った。
「何か幻覚とかそういう系?」
「いいえ、違うわ。これは恐らく――わたくしの体に、枷が付いている」
現在のエリザベスの体は本物、能力としては十全に振るえて然るべき。だが、同時に彼女が『戻って』くるまでマクスウェル翁の管理下にあった体なのだ。彼に対する反骨心や敵愾心が、何かの拍子に再度湧く、あるいは浚いきれず底に残っていたものが這い出てくるなどという可能性を失念するはずもなし。
そのために何かしらの枷を付けるのは至極当然。エリザベスですら思い至るのだから、マクスウェル翁がやらない理由などどこにも無し。
「でも、それじゃエリーゼはあの爺さん殴れないってこと? どうすんの?」
「枷を壊すわ」
「うんまあそうだろうね。どうやって?」
「ベス」
「あたしぃ!?」
名前を呼ばれたことで何となく予想はついたのだろう。ベスはエリザベスをじっと見つめる。成程、これまで見たのと同じような、しかしそれよりもはっきりと、そして見るだけで頭の痛くなるような文字が彼女を縛っているのが確認出来た。
もう何度もやっている。これをメモして、それから。そんなことを考えたベスであったが、しかしそれでどうするのかと首を傾げた。
「どうしたのベス。早くやりなさい」
「あ、うん。じゃなくて! 何をどーすればいいのさ! いや見えるよ!? 多分メモも出来る。でもそれからどうすりゃいいのかさっぱり分かんねーのよ!」
「メモは必要ないわ」
「あん?」
「あなたがこの鎖を壊すの」
「本気で言ってる!? マジで!?」
当たり前だとエリザベスは頷いた。こんなこと冗談で言うはずがない。真っ直ぐにベスを見て、そしてそう言い放った彼女は、さあではやれ、と続ける。
やれと言われても、と途方に暮れるのはベスである。一体全体何をどうやればいいのか、それがさっぱり分からない。
「本当かしら?」
「へ?」
「本当にどうすればいいか分からないの?」
「え、そう、言われても」
見る。鎖のような文字を読む。禁呪はこれで三回目、いい加減文字列にも慣れてくる。メモを取るだけなら至極あっさりと行えるだろう、ということを考え、おや、と目を凝らした。
見る。何だから分からない文字列ではなく、きちんと何がどうなっているかを理解した文章として認識出来る。音読しろ、と言われたらそのままスラスラと口に出来るくらいには、などと考え、彼女は目を瞬かせた。
見る。成程、これは認識をずらすこと、無意識に影響すること、特定の人物に危害を加えないことなどを組み合わせてマクスウェル翁に攻撃を当てられないようにする為の枷だ。これをどうにかするには、それらの組み合わせを変更する、あるいは削除することが必要となって。
「ベス、あなた」
「ん?」
「髪を確認してみなさい」
「へ? ……うぇ!? 黒髪!? あ、でもこっちは元の金髪だ」
集中していたそこに声。エリザベスのトレードマークであった長く美しい金髪が、ベスの、物部須美香の髪のように黒く染まっていた。とはいえそれも半分、左右でアシンメトリーとなったその髪を弄びながら、これ大丈夫なやつかとベスは慌てている。
そんな彼女に向かってエリザベスは煩いと言い放った。そんなもの、その体に馴染んできたのだから当たり前だろうと言葉を続けた。
「言い出したのエリーゼじゃんかよ」
「馴染んできましたわね、というだけの話よ。無駄に騒いだのはそっち」
いいからさっさと続ける。そう言われ、ベスはへいへいと再度エリザベスを見た。馴染んできた、と彼女は言った。それはつまり、エリザベスの体を間借りしていたこれまでとは違い、肉体を持ったアンデッドとして、個として存在をしてきたという意味合いであろう。
つまりは。
「これまで食ってきた能力と同じように考えた場合、そもそもあたしの体が禁呪みたいなものだから、この体を手に入れたことで、禁呪も完全に理解できるようになる――」
なるのか? と呟きながら、どうにも自分に自信が持てず、ついちらりとエリザベスの顔色を窺った。が、当の本人は別段涼しい顔で、お前なら出来るだろうと言わんばかりの表情を浮かべていて。
「早くやりなさい」
「だから自信ないんだってば」
「そう。それで?」
「……あーもうちくしょう! どうなっても知らないかんな!」
鎖の文字を見る。そこの一つを影から生み出した手で無理矢理引き千切った。次いで、別の文字列も引っ掴み、そのまま握り潰す。残った文字列も同様に始末した。
その強引な手口はまるで、今はもう彼女の中に残っていないはずの、エリーゼとベスであった時の、ベスだけでは決してやらないような行動で。
「良くってよ、ベス。褒めてあげる」
「おうよ。こんだけやったんだからそれくらい言ってもらわないと割に合わねーっての」
エリザベスは微笑む。そうだ、それを待っていたとばかりに、枷の外れた自身の体をグーパーと動かす。そうしながら、あー疲れた、などとぼやいているベスの背中を思い切り叩いた。
「いってぇ! 何すんの!? エリーゼ馬鹿力なんだからあたしみたいなアンデッドでも普通に痛いんですけど!?」
「呆けた顔をしているからですわ。さあ、行くわよ」
「行くって?」
「決まっているでしょう。あそこで先程まで崩さなかった余裕の表情を今度こそ歪めた、あの糞爺のところによ」
「うぇ!? あたしも行くの?」
「あら、さっき一緒にぶん殴ると言ったのは誰だったかしら?」
「あたしだ。……うし、じゃあいっちょ行きますか」
ペチン、と拳を打ち鳴らしたベスを見て、エリザベスも楽しそうに微笑む。ゴキリと拳を鳴らした彼女は、では改めて、と一歩踏み出した。
「行きますわよ、相棒」
「がってんでぃ――え? 今相棒って言った!?」