戦争が急に終わったせいで無職になった元兵士の女の子が路頭に迷ってしまった話 作:エルカス
この一年で人々の暮らしは大きく変わってしまった。
職場は消滅し、小売店は軒並み品薄か法外な値段でしか商品を置かなくなった。
そして、昼間でさえ呑気に街を歩く事は難しくなって、表通りにすら浮浪者が溢れかえっている。
夏の季節だと言うのに肌寒い風が体を刺すのは相変わらずだが。
「もうボロボロかぁ、買い替える金なんてないよな・・・」
かれこれ10年は着続けたコートには穴が開いており、防寒着としての役割を果たせなくなっている。
服装には大して拘らずに、お金を惜しんで銀行に預けていた後悔が晴れる事はない。
最近は事あるごとに溜息をついてしまう。
俯いた顔を上げると無駄に沢山張り出されたポスターが目に入る。
無駄に色彩が良く、誇張して描かれた優雅なそのポスターは今の現実とまるで乖離している。
軍隊に羨望の眼差しを送る市民はこんな、派手で恵まれた格好をしていないし肌を艶やかに光らせて笑顔になれる環境にいない。
絵の中の晴れた天気とは違い現実は灰色をしている。
「カランコロン」
行きつけのパン屋のドアをくぐる、変わらず鳴り続けるドアベルは良くも悪くも平和だった昔の記憶を彷彿とさせる。
そして今の自分と比べてしまって惨めさに苛まれる。
「誰だ、外の看板が見え・・・・・ああ、ルードヴィッヒか」
「やぁ・・・・今日は給料日だったんだ、パンを、売ってくれないかい?」
ブラックマンデーの直後は壊滅的なインフレで、パン5個分を買える代金が一日過ぎるとパン4個分しか買えなくなる事が日常的にあった。
だから給料日にもう全部食料につぎ込む人たちが続出して、決まった日の決まった時間は食品店に長蛇の列が出来ていた。
売り切れることも珍しくなかったので、働く夫の代わりに給料を貰って食料を買いに走るその妻や子供たちは新聞の一面を飾った事も記憶に新しい。
しばらくして配給が始まって、色々問題はあったけれど外国からの食料輸入が安定した事により今日の食べる物には困る事は無くなった。
のだが、時の首相が暗殺されたことにより、代わりに政権を握った奴のせいで再び食料危機が発生した。
再び一日で爆発的な値段高騰が始まり前回よりも酷い悪化具合を見せていた。
このパン屋の主人とは古い付き合いで、翌日に売りに出すパンを前日に売ってくれるように融通してもらっている。
定価と言いつつお友達価格で安く売ってくれている事には感謝しかない。
今月は給料がまた少し増えたので余裕をもってパンが買える、心配事が一つ減った、まあどうせまた増えるだろうが。
「パンはない」
「え?」
「ないんだ、今朝方に全部売れた」
「いつもの事じゃないか・・・・売れないってどういう事だい?」
「明日の分も明後日の分も・・・・今週分は全部国に買い叩かれた、原材料も殆どが国に買い占められて・・・・作ろうにも作れない、だから表の看板にも書いた、無期限休業だ」
「また配給が始まるのか・・・・」
一瞬びっくりしたけどこの事は前にもあったのでよく覚えている。
ちょうど配給が始まる時は予定数を確保するためにあちこちで国が買い占めをしてお店から売り物が消える。
急な事だし知らせもしないから荒れたりはするけど。
「いや、配給は始まらない」
「・・・面白くない冗談だぞ、じゃあ国は何で食料を買い占めたんだ」
「何ってそりゃあ・・・戦争の為だろう?」
「は?」
「実感がないか、まあしょうがないだろうよ。『兵士』が食ってた缶詰食料を俺達は食べなかったからな、戦争って言うのは大食いの軍隊を維持するのに色々必要なんだよ」
目線を下げたまま店主が淡々と説明をする、推定100万人の軍隊を1か月維持するだけでかかる食料とか労力とか。
言葉としては分かるけど事実としては全く理解し難かった。
何故かと言えば30数年もあった戦争でそんな事が問題になった事は記憶にないからだ。
今更何を、と思いその場に立ち尽くす事しか出来ない。
「そういう訳だから・・・・悪いな、何日ぐらい食えそうなんだ?」
「一週間は・・・余裕を持っているさ・・・その間にどうにかしなきゃいけないのか」
「そうなるな」
「お前は大丈夫なのか?」
「人の心配より自分の心配をしろ」
「・・・・・・」
「悪い、少し苛立った。・・・・・・国の連中には黙ってたが俺は小腹が空いた時に齧るパンを何個か備えているんだ、・・・やるよ」
バスケットの中からまだ少し温かいパンを手渡された。
お金を貰う事なく店主は店の奥に消えた。ドアベルが誰もいない店内に響き渡った。
「はぁ、どうしよ・・・・近郊には農地があるから直接出向いて物を買う・・・仕事は週六であるのに遠出なんてしたら体が持たない・・・はぁぁ・・・」
家に置いてある、若干黒ずんだパンを齧る。
全く柔らかくない上に臭みを感じるけどお腹は膨れる。
最初の頃は不味くて色々頑張って味を誤魔化したり、この硬い食感を変えてみようと試行錯誤をしてたけど、今では馬鹿らしく思って何も考えずに貪っている。
「工場長に休みを貰おうか・・・はは、腹回りに金属板を仕込んで頭を鉄板にしないとな」
勤め先の運送会社が消滅してからはしばらく職探しに苦労したが割と激務の工場労働にありつく事が出来た。
12時間立ちっぱなしでずっとあの染みつく匂いの中に放り込まれるのは苦痛以外の何でもないけど最初の内はまだ楽しかった。
だけど『兵士』が一斉にクビになりだしてから労働時間は増えたし職場仲間同士の雰囲気も悪くなった。
この前なんて労働環境の改善を一人で訴えに行った若い奴が工場長から過度な暴力を振るわれて入院する事になった、自費負担で。
正直、人として歪んでいるあの人に休みをくださいと言いに行ける程、勇気は持ち合わせていない。
給料はもちろん毎月ごとに少しずつ増えているけど、買うべき物の釣り上がっていく値段と比較したら間違いなく貧乏になっている。
「こんな集合住宅じゃなくて庭付きの家だったら・・・家庭菜園とか出来たんだろうに・・・」
「コンコン」
「は~い、誰だ・・・?」
「ルードヴィッヒさん、家賃の徴収だよ」
「あぁ、どうぞ今月分です」
悩みに苛まれてすっかり忘れていたが事前に玄関近くにお金を用意していたのでそれをさっと渡した。
いつもは受け取ったら特に確認せずに次の徴収に行く大家が今日は何故か入念にお金を数えていた。
「・・・足りないねぇ」
「何を言うんですか、ちゃんと一か月分ありますよ」
「半分しかないね」
「・・・・・」
「家賃は上がったんだよ、これは先月までの一か月分」
黙って大家を睨む。
向こうも粛々と家賃がまた上がった事とか生活が苦しい事を力説して来る。
「払えないのなら待つよ」
「出て行けと言わないんですね」
「・・・・行く当てがなさそうだからねアンタは」
「優しさがあるなら今月はそれだけで良い事にして欲しいですね」
「・・・・・・・・分かったよ」
「バタン」
口論になるのを覚悟で、威圧を込めて嫌味を言ったら存外大人しく引き下がってくれた。
考えてみれば向こうも出て行かれたら困る節があると思う。
ただでさえ『兵士』が一斉に追放されてどさくさに紛れて気に入らない外国人が多く排斥されて街の人口は大きく減少した。多分2、3割ぐらいは。
空き部屋も目立って、住む人のいない家屋も見られるようになってきた。
大家と言えど、立派な建物を持っていたとしても借りて住む人が居なければ無用の長物と化すのだから限られている住人を無下には扱えないのだろう。
「はぁぁ、今は何とかなったけど来月・・・・来月まで、そもそも生きてこの場所に居るのかさえ分からないか・・・」
諦観の溜息をついて横になる。
考えても答えは出ない、少なくとも今日はもう休もう。
明日に目を覚ましたら戦争とか終わって食料も過不足なく手に入って・・・なんて夢でも良いから見たい。
最近は良い事なんて一つもない。
「バルカン連邦軍をドナウ川対岸まで後退させる攻勢は一部においては成功を収めましたが、我が方の右翼側での戦果は芳しくありません」
「想像以上の抵抗と敵の迅速な補給網構築にスピード負けをしたと言ってもいいでしょう」
「初期の段階では我が方が圧倒していましたが敵方の重砲搬送完了によって膠着状態に移行したのが最大の要因でしょう」
「か細い航空偵察と我々の協力者の情報を照らし合わせて、北部戦線に展開している敵は約20師団50万人です、対して我々は12師団30万人です」
「火砲所持数でも航空戦力でも劣勢、天然の要害は機能不全に陥っている現状・・・・降伏文書の制作に取り掛かった方がよろしいですか?」
「御冗談を、まだ確定した成果ではありませんが政府の方にアテネから友好的な相談が持ち込まれたと聞いています」
「彼の国は我々とは相容れぬ敵同士だと認識していたが・・・・同盟を?」
「同盟は求めすぎでしょう、最低でも秘密条約の締結、良ければ軍事通行権の見込みでしょう」
「連邦は火中の栗を拾う事を憚りましたが、代償として飼い犬に手を噛まれる結果となりましたな」
「南方戦線が事実上の消滅となると更なる戦力増強を一方面に集中できます、そうなれば我が方は40万人まで兵力増強が可能でしょう」
将軍たちは自国の下部に配置していた駒を豪快に全部北に回す。
まだ若干の数的不利に見える北方戦線だが惨敗を喫し敗走する戦力差ではなくなっている。
ギリシャ地方政府はオスマン帝国に対し、イズミル州とエディルネ地方を巡る国境紛争に本腰を入れており、対ブルガリア懲罰戦争に対する意欲を全く喪失していたのである。
バルカン連邦内で最もかの戦争から遠かったギリシャ地方政府は、連邦内で最も工業化された地方でありながら農業も劣らず盛んであった。
もし連邦の構成国でなかった場合は十分に自給できる国力を有しており、僅かな利点を除けば連邦を独立しかねない程に冷めた感情を持っていたのである。
その僅かな利点とは連邦構成国の後ろ盾を得れる軍事的利益と、より広範な地域の需要に応えて交易が出来るという二点があげられる。
言わずもがな、平時であった場合、ギリシャ地方政府が攻撃を受ければ、バルカン連邦に対する攻撃と見なされ全体で敵に立ち向かうと言う軍事同盟的な側面を持っていた。
強大な侵略者であるオスマン帝国と単独で戦う力を持ち合わせていない彼らには連邦の存在は必要不可欠であったのだ。
しかし今回の国境紛争で連邦の中央政府は静観の構えを見せ、軍の派兵を行わなかったためギリシャ地方政府は連邦に残留する利点を一つ失った。
そして二つ目の利点である、需要に応じた交易。ギリシャ地方政府は自国領土ではなくバルカン連邦構成国全体の需要、商業的機会を外国と比べてかなり優先的に満たす権利を有している。
連邦構成国同士の場合はあくまで一つの国の中と扱われているので、関税など、面倒なしがらみに囚われずに商売が出来るのは彼らにとっては喜ばしい事であったのだ。
連邦が国難を迎え大量の負債を背負った時、相対的に最も豊かであったギリシャ地方政府は莫大な分け前借金を背負う事となった、彼らにしてみれば押し付けられたと表現した方が正しいが。
そして今回の戦争による中央政府の出兵勧告と度重なる進軍命令、経済的負担、負債の増加、中央政府の助成金不払いなどが重なりこの利点は完全に消滅した。
総じて言えばギリシャ地方政府にとって連邦は家に踏み込んで金品を略奪しながら稼ぎが少ないと殴打してくるギャンブル狂いの暴力夫と言った所だろう。
当然ながらそんな関係は個人ならいざ知らず、国家間であればすぐさま離縁に発展するのは政治を嗜んだことがある人間なら誰でも分かる事だ。
歴史を理解し、地方政府の特色を把握した為政者なら必ず分かったであろう事だ。
「もうすぐ夏季も終わり冬季装備の需要が高まると思うが・・・生産は如何様になっている?」
「生産工場の一部が爆撃で稼働を停止する事になったので一部で遅れが。今年中に全軍に十分な数の冬季装備を配布するのは・・・困難です」
「クソ、彼奴らが毒ガスなど使用して工場生産ラインにガスマスクを追加させたり、一転二転なければ予定数の生産は容易かっただろうに・・・!」
「加えて想定以上の志願兵の数で必要数の増大も影響しています、目先の問題としては寒さよりも食料事情でしょう」
「芳しくないのか?」
「少なくとも軍隊が冬を超える事は可能です、開戦前から食料の統制には力を入れています」
「輸入は・・・無理か、我々の海路アクセスは黒海のみ、オスマン帝国に海峡通過許可が取れない今、食料の輸入は絶望的だ」
「山岳共和国から輸入をすればいいのでは?」
「知らないのか?先週に出されたバルカン連邦の黒海通行に関する声明を」
「何だそれは?」
国内通貨の信頼性が壊滅し、輸入品に対する支払いも滞った事により現在バルカン連邦に対して交易をしている国は皆無である。
山岳共和国も例外ではなく早々に交易を停止している。
ブルガリア国は独立のついでに政府が通貨の刷新を行い、ある程度の投資信用格付けの回復を実施しており、比較的安定し、落ち着きを見せている。
という事を把握している無駄に頭の回る連邦の官僚が、ブルガリア国の先手を読み打ち出したのが黒海通行に関する声明である。
「分かりやすく言えばバルカン連邦に用がない船が沿岸に近づいたら問答無用で撃沈するというお触れだ、海上封鎖ですな」
「それでは輸入注文を取り付けたとしても商船が通行できない・・・」
「してやられたという事だ、オスマン帝国の反応に期待したが範囲が我々と連邦の海岸に限定されるから大した事にはならなかった」
将軍たちは頭を抱える、彼らは今帰路に立たされている。
戦争とは決断の連続である、どちらを助けるかという状況は裏を返せばどちらを見捨てるかとも読み解く事が出来る。
同じく苦しいであろう連邦相手に食料の持久戦を挑み、国民を飢え死にさせて勝利を得るか。
食料が尽きる前に反攻作戦に打って出て戦争の決着をつけるかの二択である。
「国民には苦難を強いても我々は勝利を勝ち取らなければいけないと考える」
「守るべき者達を犠牲にした末の勝利は敗北と同義だ、ここは反転攻勢をするべきです」
「非常に崇高な理念を持っている所を申し訳ないが、攻撃に出てこちらの数が減ればそれだけ食い扶持が減って良いと思うのだ、失敗しようが成功しようがどちらにせよ我々の勝利になると思われる」
「あまりに倫理観が欠如した損得勘定ですな」
「戦争ですので」
「お忘れになっているようですが貿易が停止し食料が不足しているのは相手も同じ事、我慢比べと言っても必ず音を早く上げるのは相手方です」
「確かに1500万の人口と5500万では比べようがない、さらに主要の穀物地帯のギリシャ地方政府に愛想をつかされたとなると食糧事情はさらに厳しくなる可能性がありますな」
「ここは静観の構えが正解でしょう、勝負を焦るのは相手側、今度はもっと華麗な反転攻勢をご覧に入れて差し上げましょうではありませんか」
ブルガリア国が選んだ選択肢は、そもそも選択をしないという事であった。
鏡写しようのに同じような議論がバルカン連邦でも行われたが彼らは違う決断を下した。
即ち――――――
総力戦である!
物語が動き始めた所で恐縮ですがもうストックが10話もありません。
という事で今後どのように投稿形態を取って欲しいかのアンケートを取ります。
補足として毎日投稿は書き溜めてから投稿するので更新しない日が続きます。
週2投稿は現在の1話ぐらいの長さの話が週に2本投稿される感じです。
また他の投稿形態をして欲しい読者ニキネキは感想で教えてください、検討します。
(採用するとは言っていない)