この世界は三日後に滅びる。
気が遠くなる程高い城壁を見上げた。
これほどの高さなら、空飛ぶ絨毯でも越えることは難しいだろう。
強固な作りの外壁に守られた街。色々な世界を旅してきましたが、これ程の物は珍しい。少し驚いて固まってしまった。
「──あなた、旅人さん?」
城壁の出入り口で突然、声を掛けられる。
短く整えられた綺麗な黒い髪に、キラキラと輝く何も知らなそうな綺麗な青い瞳が印象的だった。
「いえ、旅人という訳では……」
「それじゃ、この街に住みにきたって事?」
少女とも少年ともつかない黒髪の幼い顔付きの人間。
彼女もしくは彼は、私の顔を覗き込む。
「……綺麗な目」
「どうも。……そうですね、どちらかといえば、私は旅人というカテゴリーに属すると表現する事も間違いではありません」
「難しい言葉だ」
「そうでしょうか?」
「そうだよ」
首を傾げる彼女もしくは彼は、少し目を細めてから「あ、自己紹介してないね!」と綺麗な青い瞳を私に向けた。
「ボクはミカエル! 旅人さんの名前は?」
「イヴ」
短く答える。
彼女もしくは彼──ミカエルは、私の手を取ってこう続けた。
「旅人さん、
この世界は魔法の世界。
分かりやすく空を飛ぶ箒や絨毯。
調理や灯りに使う炎は魔法の杖から、食材を冷やすのは氷の魔水晶、学校では魔法を教わり、大人は魔法で生計を立てる。
化学など微塵も存在しない。魔法の世界だ。
「……いいえ」
この世界は三日後に滅びる。
◇ ◇ ◇
視線を感じた。
「──つまり、化学っていうのはね。林檎が木から落ちる現象の事を言うんだよ! 誰も信じてくれないけど、魔力以外による物理的現象はこの世界に沢山ある! けれど、それをタブーとして皆は見ないようにしてるんだ!」
「どうしてその話を私に?」
「キミの目が綺麗だったから!」
「それはどちらかというと、魔法的な発言ですね」
この
旅の途中で立ち寄った街。この世界で一番の力を持った国の都市。
何故かこの世界にはもう存在しない筈の
しかし、彼女もしくは彼──個体名『ミカエル』は執拗に私へ語り掛けてきた。
周りからの視線が痛い。
「宿を探しています」
「それならコッチだよ! あ、ボクは街の案内が仕事なんだ!」
「少し納得しました」
街に入るなり突然話しかけて来た理由がやっと分かる。しかし、淡々と
少し歩くと、周りの建物が高くなってくる。発展した都市にありがちな喧騒は、何処も同じ様な物だ。
「賑やかですね」
「うるさいでしょ! 元気が有り余ってるんだ」
「豊かな証拠です。静かな街よりは良い」
「そうかな? あ、ここだよ」
青い屋根の建物に案内される。周りの建物と違ってあまり背の高くない、狭苦しくない空間だ。
「旅人さん荷物は?」
「ありません」
「本当? どうやって旅して来たの?」
「ご想像にお任せします」
「もしかして凄い魔法使いだったりする?」
「さぁ」
部屋に案内され、一通りの設備を見回った後にカーテンを開ける。
丁度太陽は世界の真上に登っていた。黒い影が、部屋に一つだけ点を付ける。
「旅人さんは観光で? ボク、色々紹介出来るよ! 世界樹を祀る時計塔に、この世界の中心にあるって言われてる神秘の泉、世界中の魔術本を集めた図書館に……なんと、少しお金を弾んで貰えば大聖堂にある世界時計を覗き見させてあげる! 裏道を知ってるんだ」
「世界時計……この世界が始まってから時を刻み続けている時計でしたっけ?」
「そう! 触ってないのに勝手にひっくり返る砂時計なんだけど、中の砂が半分も移動しない内に不規則にひっくり返っちゃうから不気味なんだって有名でしょ。見た事ないよね?」
「ありませんね」
普段は立ち入り禁止の大聖堂の奥にあるという世界時計。
ミカエルは、それを見せてあげると言って私の手を取った。
「イヴさん、で良い?」
「構いません」
何故か宿の床にあった隠し通路を抜けると、狭い洞窟へと案内される。
街の地下を抜けるように掘られたような洞窟。
明らかに公的な洞窟ではない。手で掘った、なんて馬鹿な話の方がしっくりくる作りの洞窟だ。
「イヴさんはなんで旅をしてるの?」
「何故でしょうか。目的はそうですね、色々な世界を見るためでしょうか」
「なんだか抽象的だ」
「そうでしょうか。ところで、この洞窟はあなたが?」
「ミカエルだよ。皆にはミカとかエルとか呼ばれてる!」
「あなたが?」
「距離を置くタイプなんだ」
「旅人ですから」
端的に答えると、ミカエルは不満げに口を尖らせてからこう口を開く。
「ボクじゃなくて、ボクのひいおじいちゃんかな。ひいおじいちゃんは化学を信じてた。その化学で、この世界は百年もしない内に滅びるんだって分かったみたいで」
「滅びる世界から逃げる為に、この洞窟を掘った」
「違うよ。滅びない為に、前に進む為に」
「滅びない、為に」
世界が終わる事が分かっていて、どうしようもなくても争う為に。
しかし誰もその人間の言葉を聞く事はなかった。
だからこうして、この洞窟は無意味な裏道になっている。
「その《化学》というので、この世界が滅びるという予言のような事が出来るわけですか」
「予言じゃなくて計算、かな。街でも聞いたけど、イヴさんは化学を信じるの?」
「数万年前に滅びたとされる文明の持つ技術。はて、私はいいえと答えた筈ですが?」
「それにしては否定的じゃないよ」
「なるほど」
不敵に笑うミカエルは、してやったというような表情で私の顔を覗き込んだ。
「やっぱ綺麗な目だ。水晶みたい」
「それで、世界はいつ滅びるんですか?」
「信じてるのか信じてないのか分からない口調だ。キミ、無愛想って良く言われない?」
「愛想良くした方が良いですか? 出来ますけど」
「無理にしなくて良いよ。そうだね、いつ滅びるか」
歩きながら、ミカエルは少し目を瞑って顎に手を当てる。そして思い出したように、彼女もしくは彼はその瞳を開いた。
「数日の内に」
「また急な話ですね」
「最近お日様の影、あるでしょ。黒い点」
「ありますね」
太陽の影に出来る黒い点。
コレは数日前から少しずつ大きくなっている。街では日の神様が泣いているのだと、数日の内に大雨が降るのだと言われていた。
「アレ、大きな星なんだよ! あ、星っていうのはボク達が今こうして歩いてる大地の事で! えーと、実は世界は平らな大地じゃなくて、球体なんだ!」
「えー! この世界は丸いんですかー!」
「なんで突然反応が良くなるの!? 馬鹿にしてる!?」
「愛想良くしろと言われたので。いえ、実に興味深い話ですよ。なるほど、この世界は球体だと。そうなると、ずっと同じ方角に歩くと一周して戻ってくる事が出来るという訳ですね」
「そう! イヴさんは賢いね。それで──」
ノリ良く返事をすると、ミカエルは得意げに星の動きの話をし始める。
曰く、この街よりも大きな星が少しずつこの世界──星に近付いているらしい。
星の光や日の光に映る影から計算したという話で、幼い見た目からは考えられない程しっかりした内容だった。
「──だから、この
「そんな話、誰も信じないのでしょう」
「うん。誰も信じてくれない」
途方もない話。
誰も知らない
信じる者が居る筈もなく、ただ静かに時が来るのを待つのみ。
「イヴさんは信じてくれる?」
「さぁ」
「やっぱりか。でも、キミはなんだか他の人とは違うね。いつも誰に話しても馬鹿にされるのに、キミはそうじゃない。優しいんだ」
「優しい、ですか。そんなつもりはなかったのですが」
「あ、ほらここだよ!!」
急に立ち止まって、ミカエルは洞窟の天井に設置された蓋を開く。
そこは丁度大聖堂の真下に位置するようで、小さな覗き穴から巨大な砂時計が見えた。
「アレが……」
「うん。世界時計。この世界の始まりから時間を刻み続けて──」
「世界時計が……止まっているぞ!!」
口を開いたミカエルの言葉を、大聖堂の中にいる何者かの声が遮る。
「な、何故だ! この世界の始まりから時間を刻み続けていた時計が……止まる? この世の終わりだとでも言うのか?」
「落ち着け。まだ何も分からん!! 原因を調べるのだ!!」
「そもそも世界時計が何なのかすら、我々は何も分かっていないのですよ!?」
そんな悲鳴のような声が洞窟にまで響いた。余程、そのような事は過去にはなかったのだろう。
「大変だ……」
「あながち、間違いではないのかもしれませんね。その、
「本当に……星が降ってくる?」
ゆっくりと蓋を閉めて、ミカエルは私の手を引いた。
もう何もかもが遅い。
洞窟を出て宿に戻る。
街は来た時と変わらない喧騒に包まれていた。平和そのものである。
「それで、次の観光地は?」
「イヴさん聞いてなかったの? 世界時計が止まっちゃったんだよ?」
「そう言われましても、その
そう言って、私は宿の玄関の扉を開いた。
どのみち残された時間は決まっている。ここでのんびりしている理由もない。
「案内、してもらえないのでしょうか?」
「……す、するよ! ちょっと待って!」
私が外に出ると、ミカエルは表情を歪ませながらも着いてきた。
「分かってるよ。初めからどうしようもないから、誰も信じてくれないって」
「いえ、もし誰かが信じてくれていたら結果は変わっていたかもしれません。何か別の結末を得られたかもしれません。……もう、遅いですけどね」
「まるで他人事だ。イヴさんは怖くないの?」
「そうですね。……残念ながら、他人事なので」
ゆっくりと歩く。
「ここが商店街。色々売ってるよ。あそこの閉店セールは毎日閉店セールだから気にしちゃダメ」
「何故毎日閉店しているんですか……」
騒がしい街並み。
「ここが世界樹を祀る時計塔だよ! ほら、大きな樹木をそのまま使って時計塔にしてるんだ」
「なるほど、これは新鮮な光景です」
澄んだ景色、綺麗な夕焼け、活気に溢れる人々。
「夜は星が綺麗に見える場所を教えてあげるね!」
日が落ちて静かになり、光る空と街。
「おはよう! 今日は何処に行く?」
再び日が登れば、毎日寂しさを忘れられる人々の喧騒が嫌でも聞こえてきた。
そうして時間が過ぎて行く。
「──ここが、世界の中心だと言われている神秘の泉だよ。世界の中心かはさておき、綺麗でしょ」
「良い場所ですね。世界の中心にしたいという気持ちも分かります」
この街に来てから三日が経ちました。
ミカエルの案内の元、私は街の観光名所を回っている。
曰く普段から騒がしい街の喧騒は何も変わらない。世界時計というこの世界で重大な意味を持つその時計が止まったという事実は、誰にも知らされていないようだった。
「次はどうしようか」
「もう少しここに居ても良いでしょうか?」
「良いけど。イヴさんは冷めてるのかそうでないのか偶に分からないな」
「体温は人並みですよ」
「偶に変な事言うし。この景色、気に入ったの?」
「はい。なので、目に焼き付けています」
記録する。
それが、私の役目だから。
「……預言者とか、騒ぎそうな物ですがね」
「星の話?」
「はい。世界時計の事といい、
「うーん、預言は余程の事がないと世間には発表されないから。何か魔的な王様みたいなのが現れても、基本は勇者様が何とかしちゃうし」
「なるほど」
この世界には絶対的な力を持つ勇者様が居るのだとか。
だから、世界の危機を預言しようが、魔王が現れようが、勇者様がなんとかしてくれるらしい。
世界時計の事もその勇者様には伝えてあるのかもしれない。もっとも、勇者様になんとか出来るものではないでしょうが。
「戻りましょうか」
「え? あ、うん」
「世界の中心にある湖、か」
「どうかしたの?」
「出来た話だと思いまして」
私がそういうと、ミカエルは首を傾げた。今日も
「──ちょっと早いけど今晩はカレーだよ!」
「必要ないと言った筈ですが」
夜。宿の部屋にミカエルが入ってきた。
宿主権限で鍵を掛けても意味がない。セキュリティーとプライバシー問題が終わっている。レビュー星一個。
「そんな事言わずに。イヴさん、ボクが見てる限り何も食べてないんだもん。せっかくだからこの街の料理ちゃんと食べてよ! もしかしてカレー苦手?」
「そういう訳ではありませんが」
「それじゃ、食べよ!」
何故か自分の分まで皿を用意するミカエル。
この図々しさはどう評価したものか。しかし、ここまでされて断り続けるのも不自然だと判断しました。
「分かりました」
「やった! ほら、熱いから気を付けてね」
「そうですか。……なるほど、痛覚を刺激しますね」
「どんな感想?」
カレーを口に運ぶ。一般的なソレよりも強い辛味のある料理でした。
なるほど他の客が居ない訳です。
「あまりにも今更ですが」
「うん」
「貴方はこの仕事に向いてません」
「そんな!?」
街の案内人。
案内と一緒に宿も経営しているので、相場から見ると安めに街の案内と宿を確保出来るサービス。
一見お得ですが、プライバシーの問題と提供される料理を評価すると人を選ぶサービス内容でした。好きな人は好きそうですが。
「イヴさんは、いつまでこの街に?」
「……そうですね。今日で一旦旅を辞める予定なので」
「それじゃ! しばらくこの街に居るの?」
「はい。しばらくの間」
本当にしばらくの間。私はこの街──ここに居るでしょう。
それが、どのくらいの長さなのかは私にも分かりません。
「ん? 今日で?」
ふと、私の言葉の中にあった不自然な言葉を聞き返すミカエル。
「はい、今日です。今日でこの世界は終わりますので」
「え?」
キョトンと、彼女もしくは彼は目を丸くして固まった。
「どういう事?」
「あなたも言っていたじゃないですか。星が落ちると」
「でも……」
少し、手が震えている。
同情はしない。そんな事に意味はない。
「南緯48度52分5秒、西経123度23分6秒。午後16時45分0秒」
「それは?」
「星──隕石が堕ちる場所と時間です。場所は先程見に行った、世界の中心にあると言われている神秘の湖の中心。隕石の大きさは直径約10キロ。衝突地点から半径100キロ以内に存在する物は全て一瞬で蒸発します」
ミカエルはカレーを食べる手を止めて、私の目を真っ直ぐに見ていた。
「止められないんだ……」
「信じるのですね。信じない理由もないでしょうが」
突拍子もない事を言っているように聞こえるでしょう。
それこそ、この
部屋にある時計の針は16時40分を指している。
「隕石の衝突による衝撃波により、更に広大な地域に物理的な被害が出ます。環境的な影響まで考慮すれば、世界の反対まで、この星の文明は滅びるでしょう」
「世界の終わり……。キミは──イヴさんは、何故それを? 預言? それとも……化学?」
「さぁ」
短く答えて、窓を開いた。
星が降っている。
街に広がる悲鳴。この世の終わりの光景。
唐突に、何の前触れもなく、ただ淡々と、この世界は終わりを迎え始めていた。
「あなたは助かりません。助ける事もしません。しかし、お礼を言わせてください」
「イヴさん……」
彼女もしくは彼の目をまっすぐに見て、私はこう続ける。
「この三日間、この世界の景色を案内してくださりありがとうございます。また、多少過ぎた行為もありましたが世話をして頂いたのも嬉しかったです。個人的な見解ではありますが、カレーライスも美味しく頂きました」
「えへへ、そっか。ねぇ、キミは……神様の使いかなにかなの?」
「いいえ。ただの、
そう言って、私は
「首が取れた……。ぇ、本当に……ただの旅人さん?」
「はい。
あなたが夢見た
ソレを説明するにはあまりにも時間がなく、ソレを理解するにはあまりにも科学という文明がこの世界には薄い。
「この世界が終わってしまうというのに……ボクは、夢でも見てるのかな。これが、ひいおじいちゃんの言っていた事なんだ……。ありがとう、イヴさん。ボク、間違ってなかったんだ」
その言葉に、答える事は出来ない。
轟音が街を包み込む。
「ところで、最後に聞いておきたい事が一つだけ」
「え? 何かな?」
「あなたの性別は女性ですか? 男性ですか?」
「え、そんな事? えーとね、ボクはお──」
音が消えた。
光が世界を包み込む。
この世界は滅びました。