この世界は三十年後に滅びる。
気が遠くなる程高い城壁を見上げた。
これほどの高さなら、空飛ぶ絨毯でも越えることは難しいだろう。
強固な作りの外壁に守られた街。
色々な世界を旅してきて、同じような光景を見るのも幾度目か分からない。
「──君、旅人さん?」
城壁の出入り口で突然、声を掛けられた。これも、幾度目だろう。
短く整えられた綺麗な黒い髪に、キラキラと輝く何も知らなそうな綺麗な青い瞳が印象的だった。
「……そうですね、旅人です」
「それじゃ、この街に住みにきたって事?」
少女とも少年ともつかない黒髪の幼い顔付きの人間。
彼女もしくは彼は、私の顔を覗き込む。
「……綺麗な目」
「どうも。……宿を探しているのですが、あなたは街の案内屋さんだったりしませんか?」
「よく分かったね。うん、俺はこの街で案内屋をやってるんだ!」
そう言って自分の胸を叩いた彼女もしくは彼は、少し目を細めてから「あ、自己紹介してないや!」と綺麗な青い瞳を私に向けた。
「俺はエル! 旅人さんの名前は?」
「イヴ」
短く答える。
彼女もしくは彼──エルは、私の手を取ってこう続けた。
「旅人さん、
この世界は魔法の世界。
分かりやすく空を飛ぶ箒や絨毯。
調理や灯りに使う炎は魔法の杖から、食材を冷やすのは氷の魔水晶、学校では魔法を教わり、大人は魔法で生計を立てる。
化学など微塵も存在しない。魔法の世界だ。
「はい」
この世界は三十年後に滅びる。
◇ ◇ ◇
性別を聞くと、少女もしくは少年は目を細めて苦笑いをした。
「俺は男だよ!!」
「そうでしたか。失礼」
唇を尖らせる少年──エルの横顔を見て、私は自分の中にある大切な記録をいくつか読み起こす。
沢山の世界を歩きてきました。
色々な人や気持ちに触れて、世界を廻って、関わらなかったり傍観したり、関わったり自ら滅ぼしたり。
何度も何度も繰り返して、やっと私は自分が生まれた意味と込められた願いを理解して。
いくつもの絶望も、希望も、諦めも、乗り越えた先の世界で歩く。
あれからどれだけの世界を歩いてきただろうか。
「それでは、街の案内をお願いします」
「分かった! けど、案内の前に宿を紹介させて欲しいな。俺がやってる宿があるんだけどさ! どう? 今ならセットでお得だよ」
「それは良いですね。ぜひお願いしましょう」
それでもやはり、どうしようもない事は沢山あって。
「話が早くて助かるよ。旅人さん……イヴさんで良い?」
「ご自由にお呼びください」
私が何をしようと、世界は何度も滅びてしまいました。
「それじゃイヴ」
「はい」
「君がお金に困っていても大丈夫! 俺の宿はこの街一番の格安物件だからね!」
「へー、それは助かります。私は貧乏なので」
この世界も、いや──そんな
私は、まだ納得がいっていない。だからこうして、足掻こうとしていました。
「ここが、俺の宿!」
「あぁ……なるほど」
そうして辿り着いた街で、私はボロ宿に連れて来られて頭を抱え込む。
想定していた以上の物件に私は目を丸くしました。
ミカの宿は綺麗なビルを丸ごと一件だったのに。
「辞めても良いですか?」
「そう言わずに泊まってくれよ頼む! これ以上客が来ないと俺は飢え死になんだ!」
「私には関係ありません」
「頼むよ!! お願い!! この通り!!」
「……はぁ」
立てかけの悪そうな扉。風通しが
おおよそ人が一目見て泊まろうとは思わないだろう宿を見て、私は少年の顔を覗き込む。
ところでミカエルは結局、どっちだったのでしょうか。
「……あなたの顔に免じましょう」
「ど、どういう意味?」
「なんでもありません。……化学、とかなんとか言ってましたね」
宿の扉を開いて、私は明かりも付いていない埃まみれの宿に足を踏み入れる。
「そうだ化学! 君は、化学を信じてるんだよね!?」
「えぇ」
そう言いながら、私は魔法の杖(道中適当に拾った木の枝)を懐から取り出しました。
その棒を振って、物質を動かす風の魔法を発動する。
魔力の流れが空気の流れ──風を再現して、散らかった部屋と溜まっている埃を綺麗に流した。
そして、火の魔法でランプに灯りを着ける。
「──しかし、この世界はこういう魔法の世界。……あなたが化学と読んでいる現象はこの世界に認知されていません」
そう言って、私はランプの火に木の棒を向けました。
乾燥した木の棒に火が着いて、燃焼が始まる。
この現象すら、この世界では魔法と呼ぶらしい。火の魔力が転移したとかなんとか。
「それでも、尚。どうしてあなたは化学という眉唾を信じるのですか?」
「終わりたくないから」
少年は、私の目を真っ直ぐに見てそう言った。
あなたがそう望むならわ私はその手を引こう。きっと、私はその為にここに来た。
自分が後悔しない為に。そうですよね、皆。
「イヴは、世界消滅の予言の事を知ってる?」
「はい」
この世界は魔法の世界です。
高度に発展した魔力の読み取り能力。つまりは、魔力の流れを掴む力。コレから何かが起きる事の前兆を感知する力。
それが予言。
「この世界は消滅する。そんな噂が広まったのは数年前でしたか。……今は禁忌扱いされているようですが」
数年前、この世界を震撼させる予言が世に放たれました。
その内容は『世界の消失』という化学的な世界なら馬鹿にされていたものです。
しかし、この世界で
人々はこの世界の終わりに震え、暴動を起こします。
おかしな話ではありません。
しかし、いつからかそんな暴動も──予言の話すら、この世界からは薄れていきました。
世間が、世論が、その予言を禁忌として扱い。時には
今この世界では終末の予言はタブーとして、誰も大声で話しません。
心の隅に小さな不安を残しつつ、この世界は
「そう、皆あの予言を忘れようとしてる。けど俺は……怖いんだ」
「世界的にタブーとされてる予言を信じて、それを恐れている。それは分かりましたが、それが何故化学に繋がるのですか?」
この世界に化学は存在しない。
否、化学とは創造の産物であり
この世界では魔法の力が現実であり、化学とは神話や御伽噺の題材でしかありませんでした。
つまり、彼はフィクションの力に頼ろうとしている。
「化学があれば……。いや、違う。化学と魔法があれば、どんな困難も乗り越えられると思ったんだよ。予言は結局、予言でしかない……魔力の流れで結果を読み取るだけの物だ。でも! 物語にある化学なら! この世界で何が起きているのか分かると思うんだ!」
「……なるほど」
観測。実験。実証。化学とは人類が行う事が出来る未来予測と言っても過言ではない。
それは魔法の預言のように輪郭のボヤけた物ではなく、中からパーツを組み立てて分かりやすくする作業。
今この世界に何が起こっているのか、それを知る事が出来るのは魔法ではなく化学でした。
「そして俺は突き止めた。いや、突き止めようとしてる! この世界で何が起きているのか! イヴ、化学を信じてくれる君になら見せたい物があるんだ! 見てくれないか?」
「見せたい物?」
エルは自信満々な表情で、屋根裏へと続く梯子を下ろす。
どうやらこのボロ宿の屋根裏には彼の秘密基地があるようで。
「これは……天体観測?」
屋根裏に登ると、二枚のレンズで遠くを見る為の──所謂望遠鏡──が窓に向けられている光景が視界に飛び込んできました。
この世界では、星は力の源であり、実際に星々から届く光をエネルギーとして魔力を生成しています。
それは科学ではなく魔法の力でした。だからこそ、この文明の人々は化学を信じない──信じる必要もない。
だから、空の上に何があるのか。
そんな疑問を持つ者は居ません。空は力の源である星々の在処。魔法の世界の人々は
──しかし、彼は違ったらしい。
「てんたいかんそく? よく分からないけど。俺は星に注目してるんだよ」
「星といえば、魔力の源。この世界の動力源……エネルギーの事ですよね」
惚けて見せる。
すると、エルは得意げに口角を釣り上げた。
「違うんだな、コレが。イヴは星がこの世界の端にあるエネルギーの源だと思ってるのかもしれないけど、実は違うんだ。この世界に端なんてない! 星は、この世界からもっと遠くの場所、それこそ全部の星が違う場所に存在してるんだよ!!」
この世界に端はない。
そう言った彼は、極めて初歩的な──しかし化学的な見解を元に星々は違う距離に存在する事を私に説明する。
「──で、一番分かりやすいのは月と太陽。アレは巨大なエネルギーって訳じゃない。俺達が住んでるこの世界に近い所にある
この魔法の世界で。
己の探究心と向上心だけで
「予言が語るこの世界の消滅。もし俺達にどうしようもないという現実が突きつけられているなら、その理由はこの世界と同等の大きさを持つ
「よくもまぁ……」
素直に驚いた、と言っても良いでしょう。
この世界の終わりの原因が、彼の考えた結末と一致していたのはただの偶然としか言えません。
しかし、その結末に、この魔法の世界でたどり着く事がどれだけ困難か。
それはもう、奇跡と言っても違いない。
「な、なんだ!? 馬鹿にしてるの!?」
「いえ、関心……。違いますね、感動しています」
「イヴ……。君は、なんだか不思議だ。俺がこの話を誰にしても、笑ったり馬鹿にされたりで……誰も信じてくれなかったのに」
エルは自分で語っておいて、否定されなかった事に目を丸くしました。
私がミカエルに会った時、こうしていたらどうなっていたのでしょうか。
二度と分かることはない。同じような後悔をしない為に、悔いのない終わりを迎える為に、私は──
「信じますよ。私は、その化学の結晶なのですから」
「あ、頭が取れ!? えぇ!? 何!? 化け物!?」
「化学です」
自分の頭を外して、エルに見せる。
あなたが信じた化学の結晶。電気とエネルギーと、0と1が作り出す一つの世界。
「あなたの想像……いいえ、実証は素晴らしい物でした。きっと、化学文明の世界はあなたのような人が作り上げていくのでしょうね……。生まれた世界を間違えたとも言います」
魔法文明は実際の所、化学で成り立つ文明よりも便利で強固でした。
化学ではどうしようもない
ある程度の自然災害、魔物等への恐怖、環境への配慮。物理的ではなく魔力的だからこそ解決出来る問題は多数ありました。
そうなると、その世界で化学をやる理由は殆どありません。魔法の世界で化学が存在しないのは、それが一番の理由です。
だから、彼のような事を考える人物は珍しい。逆もまたしかり、ですが。
「何を言ってるか分からない……」
「褒めているのですよ」
「本当に?」
「はい。……さて、結論から言いますが私は化学そのものであり、あなたの考えを肯定する存在です。そして、あなたの想像は偶然にもこの世界の消滅の原因そのものでした」
この世界は魔法の世界だ。
私は存在する筈のない、化学の化身。
エルが多少、この世界の可能性として化学を掴んだとしても、この世界の
しかし、私は今ここに居て、この世界は魔法の世界で、エルがここに居て、化学を信じて、足掻こうとしていた。
──私は、最後まで足掻くと決めている。
「──あなたに、この世界の終わりを説明しましょう」
化学の結晶である私はそう言って、エルにこの世界で何が起きようとしているのかを根本的に話す事にしました。
一つ。
この世界は何度も繰り返しているという事。化学は存在していて、私はそんな繰り返した世界の何処かで産まれた化学の結晶だという事。
二つ。
私は愚かな存在だったという事。ただそこにいて、この世界の終わりを見届ければそれで良い。自分の産まれた意味なんて考えていなかった。けれど、それは変わった。
三つ。
そうして私が廻ってきた
「──君は……一体何者なんだ?」
「──私は旅人ですよ。この
だから足掻きたい。こうして巡り会えた、あなたという存在と。
四つ。
この世界を終わらせようとしているのは、直径3,268kmの巨大な
隕石とはもう呼べない、月の大きさと大差もない、この
「……端的に言います。この世界は、後三十年で滅びます」
それが今、この世界に降り注ごうとしている《終末》の原因だった。