会津士魂令嬢、異世界を往く! ~ならぬものは、ならぬものです~ 作:おゆ
会場は静まり返っている。
さっきまで数多くのペアがダンスを舞い踊り、楽しく歓談していたのに。
今は会場の中央にがらんとした空間が広がっている。
人々は会場の壁付近に固まり、全ての目が中央の一点を見つめている。
そこには怒気をはらんだ男と、その男が手を腰に回している小柄な令嬢、その二人がいるばかりだ。
いや、もう一人いる。怒気を正面からぶつけられ、固まってしまった令嬢である。
「婚約は破棄させてもらうッ! 僕はようやく真実の愛を知った。それを教えてくれたアデラ・ル―ジーン男爵令嬢と結婚する以上、ハルスミン・メザ侯爵令嬢、貴女との婚約は直ちに破棄する。もう決めたことだ」
「え…… あ、あの、殿下?」
そんなことを突然言い渡されてしまった令嬢はまともに口をきける状態ではない。
驚きばかりが先行し、言い返したり、問い質すことなどできはしない。
「むしろ婚約破棄だけで済むのは温情だと思っていただこう。ハルスミン嬢、貴女は嫉妬のあまり、このアデラを執拗に虐めていたそうだな」
「わ、わたしが!? そんな」
「ああ、可哀想なアデラ…… ハルスミン嬢、言い逃れができると思わないでほしい。今までに行った嫌がらせの数々、お茶会で腐ったケーキを出したり、教科書を破いたり…… 昨日などは足を引っかけて階段から落そうとしたとか。もはや一線を越え、傷害事件ともいえるものだ。しかし、長年婚約者だった貴女ゆえに罪に問うまではするまい。むしろそんな本性を見抜けなかった僕が自分を恥ずべきなのだろうな」
「あ………… ど、どうして……」
男は言うべきことは言った、もう用は無いとばかりに踵を返し、会場の出口へ向かおうとする。
共に歩くアデラ嬢はハルスミン嬢へ勝ち誇った一瞥を投げかけ、どちらが勝者か今一度刻み込ませようとしている。むろん敗者の側であるハルスミン嬢は青褪め、口をパクパクさせるばかりだ。
本当なら楽しいパーティーが、一転して断罪劇に成り果てた。
それも、明らかに根回しなどされていない、一方的な婚約破棄という事実付きで。
周りの人々はただただ呆然と見守る。
いや違う!
ただ一人歩み出て、男の前に立ち塞がろうとしている令嬢がいる!
「お待ちくださいサルアール第二王子殿下」
「ん? 誰かと思えば、貴女は確かカストライズ子爵家のルクリエ嬢だな」
「そうでございます。こんな末端の貴族家まで覚えて頂けたとは、恐縮の極み。されど殿下、是非申し上げたいことがございます」
「何だろう。しかし今は歓談する気分にもなれない。申し訳ないがルクリエ嬢、後日にしてはくれないか」
「いえ、今でなければなりません! 殿下には耳に痛いことかもしれませんがお聞きください。私の大切な友人であるハルスミン様の名誉に関わることですので」
「 …… 」
あちゃー、やっちまったわ!!
この異世界において身分制度がどれほど強固なものか知っていたはずなのに。
平民などから見れば、貴族家なんてみんな一緒くたの高貴な身分だ。しかし、実は貴族内部でも厳然として階級がある。子爵家や男爵家といった末端貴族から見れば、富においても血筋においても上流貴族は近寄り難い存在である。まして王族など雲の上の存在でしかない。
その王族である第二王子が、話があるなら後日にしてくれと言っているのに従わないとは、不敬罪に問われても仕方がないのに…… まだまだわたしには貴族社会に対する認識の甘さがある。
これはわたしがこの国に最初から生まれ育った者でないから、今ひとつ理解し切れていないのだろう。
何を隠そう、わたしは転生者なのだ!
十六の年まで日本で普通に生きてきた。
会津というほどほどの街で、会津女子の憧れである葵高校に通い、彼氏がいないという一点を除けば充実した高校生活を送っていたと思う。
それが…… ある日、居眠り運転で歩道に突っ込んできたトラックに轢かれて死んだ。いや、死んだとはいえないのだろう。それまでの記憶を残したまま、今でもしっかり体を持って生きている。
ただし…… それが何と異世界だったのである。
わたしの体は今、ルクリエ・カストライズという少女のものだ。
その少女は元々病弱だったのだが、十歳の時にことさら重い熱病にかかり、周囲の必死の看病にも関わらず、どんどん弱っていった。
おそらく、そこで召されてしまった……
しかしその瞬間にわたしという魂か記憶か、とにかく何かが入り、回復したのである! わたしの意識を持って。
ルクリエは年齢的に王立学院へ入学する直前だった…… それを何よりも楽しみにしていたらしく、その無念が関係しているのかもしれない。
こうしてわたしは名前が違う、それどころか濃紫の髪とヘイゼルの瞳を持つ、要するにまるで違う体で異世界を生きる羽目になった。
もちろん苦労した。風習の違う異世界で、しかも弱小の子爵家とはいえ、いっぱしの貴族令嬢として生活していかないといけないのだから。カーテシーも何もできるもんか。ただ、元のルクリエの知識がわずか残っており、言葉や知人の名前ぐらいは分かるのでボロを出さずに済んだ。そして間もなく王立学院入学というみんなでよーいドン!のタイミングだったのも大いに助かった。
王立学院での生活も、ハルスミン様のような善良な令嬢たちを友人に持つことができ、順調に進んでいった。
初等部、中等部を終え、いよいよ高等部に入る。
ちょうど元の世界で生きた十六歳になってしまったんだな、と感慨にふけりながら、この中等部の卒業パーティーに臨んだというわけである。ちなみに王立学院には貴族子女だけではなく平民出身の子もいるのだが、よほど裕福な家でない限り、高等部までは進学せず中等部で学院を離れていく。
それもあって中等部の卒業パーティーは盛大に行われるのである。
そんな大事な卒業パーティーなのに…… ハルスミン様に対する断罪を目の当たりにするとは。
「サルアール殿下、ハルスミン様は心優しい御方。虐めなどなさるご気性ではございません」
「そうか…… しかしハルスミン嬢の友人である貴女の言を聞くわけにいかない。理由はいわずもがなだ。言いたくはないが、貴女の目が曇っていることだってあり得るだろう」
「仰られることは理解できます。それでは、事実を事実として証言いたします。昨日、ハルスミン様は学院に来ておりません。このパーティー用に発注したドレスが手違いで届かなかったらしく、急ぎ実家の母君のドレスから選び、仕立て直さなくてはならなくなったと聞いております。もはやお分かりかと思います。学院に来てもいないハルスミン様がどうしてアデラ様の足を引っかけることができるでしょう」
「…… それは…… アリバイをそこまで周到に準備したということだろうな」
「わざわざ足を引っかけるために? しかし、この真偽は少し調べれば分かると確信いたします。できれば他の虐めとやらについても真実を調べて欲しく存じますが、少なくとも昨日のことくらいは調べて頂きますよう」
「だが、アデラがしっかり見たと言っているんだ! であれば調査の必要など無い。話はここまでにしたいがよろしいか、ルクリエ嬢」
サルアール第二王子殿下はわたしの言う事なんか聞くつもりはないようだ。
わずかな調査の手間も使いたくない……
いや、違う! 決定的に違う。
不自然なのである。わたしの直感が正しければ、殿下は
虐めなんか無かったと知っているんだ。だから調査の話に興味を持たないし、聞き入れるどころかむしろ流そうとしている。
真実を、曲げるのか。
どうしても婚約破棄をしたいために。
わたしは、そんなことを見過ごしになんてできない。
「一つ、嘘を言うことはなりませぬ。殿下、わたしには王族の婚約や、婚約破棄の条件などは想像もできません。事情があるのかもしれません。しかし、少なくとも真実を隠蔽なさらないで下さい」
「何を……」
わたしは、思わず言ってしまった。
一つの言葉を。
それは
什の掟______
什とはよく誤解されているが、数を指す言葉ではない。幼児が集まった「班」のことをいうのである。つまり、家の近い幼児たちが集まり、そこでしっかりと基本の躾を身に着ける。しかもそれは自主的に行われる。
什の掟は、項目としては決して多くない。しかし、それぞれが人間の根底を成すものである。幼児たちはそれを心に刻み込んだ後に日新館という藩校に入る。
これが会津藩の習わしとして続いていたのだ。
しかし、明治、大正、昭和…… 時代が進んでも精神が朽ち果てることはなかった!
なんと令和の世にあっても、会津では什の掟が小学校の標語として存在感を持ち、誰もが知る言葉なのだ。
「一つ、弱い者をいぢめてはなりませぬ。ハルスミン様の繊細な優しさを知った上で婚約破棄を突きつけるとは、虐めではありますまいか。殿下がアデラ様と婚約し直したいにしろ、少なくとももっと穏やかなやり方があったはずです」
「確かに婚約破棄ではなく解消の方が穏やかだったろうが…… しかし……」
「一つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。恐れながら申し上げます、殿下。わざわざこの卒業パーティーの場を選んで断罪なさったように思われます。それは突然のことでハルスミン様を慌てさせ、反論を封じ込めるためなのでしょう。そして反論しなかったことを皆に覚えておいてもらおうと」
「なっ、何を言う。どこにそんな根拠が」
「殿下にパーティーでエスコートしてもらえなかったハルスミン様はただでさえ気落ちしてしまい、その上事実でない断罪を被り、反論など何もできなくなっております。殿下の思惑通りに」
「それで僕のことを卑怯だと? さっきから自由に話をさせていたのは誤りだったようだ。ルクリエ嬢、あなたが発想を飛躍させるのは勝手になさるがよろしい。ただし自分の中だけだ。そんな子供じみた思い込みを公言するからには、責任を伴うことも分かっているだろうか。僕は今まで広く意見を聞くことを良しとして、それが度量というものだと信じ、王族に対する不敬も聞き逃すのが常だった。しかし今回のことはさすがに看過しない方がいいだろう。カストライズ子爵家には必ず抗議させて頂く」
ああ、まずい。大いにまずい。
最初、殿下は弱々しく言い返すばかりだった。おそらくわたしの言う事が的を射ていたからだ。
しかしそこでわたしは調子に乗ってしまった……
不敬と言われれば、間違いなく不敬だ。王族のやることに口を挟んだ上に、批判し、あまつさえ責める言葉を言ってしまったからには。
サルアール殿下の言う「抗議」とは、カストライズ子爵家にとって甚大な影響をもたらすものだ。王族にとって子爵家の一つなど塵芥のようなもの、どうでもいい。もちろん潰そうと思えば造作もない。
カストライズ子爵家が……
わたしのために、父母や幼い妹たち、そればかりでなく使用人たちは…… 慎ましやかな子爵家だが、それでも使用人たちがいる。その家族だっているのに。今後どうなるか。
しかし、それでも!
言わねばならなかったのだ、どうしても。会津士魂を持つ者としては。
そして什の掟には、内容の後に、締めの言葉というものがある!
それは絶対的で圧倒的で、万金の重みをもって会津武士を律するのだ。そして逆に会津武士たちは、その言葉を誇りとして杖として、いかなる時でも決して心を折ることなく、生き方を曲げない。
「それでも殿下、ならぬものは、ならぬものです」
これはご当地ものとも言うべき、実験的作品です
好みは分かれると思うのですが……
ちなみに、よくある「乙女ゲームの悪役令嬢もの」のジャンルであり、設定舞台をそれに倣っていますので、説明を端折っています