喧騒。
二刀を構える
「まさか異能執行室が発足した次の日に壊滅の憂き目に遭うとは思いませんでした。きみたちの攻撃はまさに有効打と言えるでしょう。僕たちは終わりだ。“上”の連中もさすがにこのビジネスから手を引く」
その率直な敗北宣言を聞いていた
異能執行室に攻撃するという案は
切り捨てた者たちだけではなく、拾った者にすら裏切られた形にはなるが、その程度のリスクを考慮しないものだろうか。桜牙という男はそこまで迂闊な真似をするだろうか。
死の偽装も桜牙にはバレていたのだ。ここまで襲撃が簡単に成功したことを紋藤は不審に思っていた。
……彼には何か他に目的があるのではないか。そう思えてしまう。磨き抜かれた白刃を構え、距離を取りつつ紋藤は桜牙の後ろに回る。彼の前に立つラビと挟撃するため、そして自身の表情を桜牙に観察されないためだ。
彼のことを注視しつつ紋藤は周囲にも目を配る。コンクリートの真っ平らな地面が広がり、すぐ近くにはトラックがいくつか。襲撃のために移送を中止したのだろうか。積荷の箱からは黒々とした銃器が大量にこぼれている。
「負けたと思うのならば投降しなさい。穏やかな死くらいは選ばせてあげてもいい。深く事情を知らない部下たちの命だって助けてもいいのよ。その程度の権限は私も持っている」
「……半村さんは優しいですね。僕はきみたちに簡単に許してもらえるとは思っていません。半村さんを実の娘のように想う
「……娘?」
ラビの顔が僅かに曇った。彼の死を「哀れ」と称したはずの過去が思い出される。
「なぁんだ。知らなかったんですか。……ふむ。思わぬところで僕は躓いていたわけだな。やはり、人間関係というのは複雑怪奇だ。側から見たら簡単に分かることに本人たちは気付いていない。そういう意味では
「いいえ。その考えは失敗よ。兵士はただ従順に上の命令を聞くだけの機械ではないわ。特に命をかけて争う現場ではその指揮官はときどき部下に殺されるものよ。ここみたいにね!」
ラビは後半の言葉にだけ反応したように言い返しつつ、勢い良く接近。桜牙の【
前進で生まれるパワーを利用した突きを繰り出すラビ。突きというものは防御しにくい。完全に回避してしまえば、これほど隙の生じる攻撃方法も無いかもしれないが、その回避は一拍遅らせたナイフの攻撃で襲いかかる紋藤が潰している。
一撃で決めなくとも、ダメージを与えるだけで有利になる。そう思っての腹狙い。
「!?」
キィンと金属同士が擦れ合う音がした。桜牙は体を横にずらし、大刀でラビの刺突の軌道を反らせた。そして、もう片方の手で持っている脇差が後ろから迫っていたナイフを弾き飛ばす。彼は最小限の力でふたりの攻撃を完全にガードしてみせた。
ここでの最善手は再び距離を取ることなのかもしれなかった。特に俄か仕込みの紋藤にとっては。だが、彼女はそうしなかった。そのまま攻めた。脛を狙うローキック。紋藤の思わぬ攻撃に桜牙の反応は遅れ、痛恨の一撃が足に叩き込まれた。
そしてその隙を見逃すラビではない。大刀との衝突によって生じた力を余すことなく使う回転斬り。突きから無駄なく移行された斬撃は桜牙の被る般若の面を真っ二つにした。
いくら鍛えていようが、仮にも別班の教官を務めていた人物に刀での動きで勝てるわけもない。ラビに剣術を仕込んだのは他ならぬ桜牙だし、男女の筋力差もある。だからこそ、ラビが狙ったのは異能を封殺するという【
0・1秒のタイムラグが命取りになる近接戦にも関わらず、視野の狭まる面を被る。必要の無い縛りを行うほど桜牙が愚かではないことをラビはよく知っている。
ならば、
【
「ラビさん!」
大刀が振り抜かれる。再びの金属音。大刀の軌跡は僅かに逸れ、ラビの左肩を斬り裂くに留まった。紋藤の声によって思考を止めずに日本刀で守ったこと。警戒のために半歩、体を引いていたこと。それが無ければ死んでいた。だが、それで終わりではない。桜牙が脇差で追撃してくれば、そちらは防げない。
ラビは素早く飛び退く。痛みのせいで足がもつれそうになるのを堪えて。真っ赤な鮮血が大刀から滴り落ちる。桜牙は右目と左目を器用なことに交互にまばたきしていた。
「残念。紋藤さんの攻撃といい、ジャストタイミングだったんですが。僕のトリガーは目を閉じること。こういうときのために普段から面を被っています。活かせる機会が来て良かった」
狡猾で老獪なフェイクだった。面を破壊することを敵の第一目標にして隙を突くという状況を作ることも見事ながら、面を被ることによって真のトリガーもしっかり隠蔽出来ているのが上手い。
普段から目を閉じていれば怪しいと思われるのは当然であり、初見殺しの【
例え一度であろうとも絶対に勝てるタイミング。般若の面はそれを生み出していると言えた。
「ハハハ、投降しますか? 半村さんを人質に取れば、負けて死ぬしかなかった僕の未来も開けるというものです」
桜牙はラビに向けてそう言い放つ。
「なんでそんなことをしなくちゃならないの?だって、私たちが有利だという状況はまだ消えていないわ」
「2対1だからですか? だとしたら、僕も舐められたも……っ!?」
突如、桜牙の横にトラックが現れた。トラックは後ろから銃器を溢れさせつつ、桜牙の体を強く跳ね飛ばす。……現れたというのは正確ではない。運転する賊敷の【
【
その光景を見て紋藤はラビがこぼしていたある愚痴を思い出す。
「これで轢き殺せるのなら、別班の苦労の半分は解消されたはずなのに」
賊敷が運転する乗り物では他者をけして攻撃出来ない。しかし、桜牙の
桜牙は地面に血を流して倒れている。左足が曲がっているのが見えた。けれど、そんな怪我など関係が無いと言わんばかりに紋藤を見て獰猛に笑う。
その表情を見て彼女はライフルを投げ捨てた。呆気に取られたような顔の桜牙。追い付いてきたラビもまた、この状況に戸惑っていた様子であった。
「なぜ、撃たないんです? まさか、この期に及んで僕を殺さずに済ませようとでも?」
「……桜牙教官はずっとお面を被ってきたからでしょうか。ポーカーフェイスは上手くないみたいですね?」
「何を、いう」
「どういうことなの、紋藤さん」
ラビが紋藤に問う。彼女もまたチャンスとばかりにサブマシンガンを拾っていたが、紋藤の妙な様子に使うのを躊躇う。
「この基地に配置された人たちを遥かに超える数の銃がこれ見よがしにあちこちに置いてあるのはおかしいですよ。桜牙教官はあたしたちに銃で撃ってきてほしかった。あたしが銃を構えたとき、桜牙教官は焦るどころか笑った。それがすべてだと思います」
「銃に罠があるってことかしら。例えば火薬を調節して引き金を引いたら爆発する、とか」
「たぶん。でも、なぜ、そんな遠回りなことをしたのかが分からない。桜牙教官はさっきの戦いで明らかに手を抜いていました。絶好のタイミングでラビさんに追撃しないわけがない。……あたし程度のキックを受けるわけがない」
敵に回った憎むべき相手を。彼女に日常生活を捨て去ることを選ばせた人物を。自らを殺そうとした脅威を。
一度は顔を背けたはずの桜牙の観察をやめなかった紋藤の類稀なる善性。そして彼への疑い……ある意味では信頼とも捉えられるそれに桜牙総士は負けたのだ。
「ハハハ…………ハハハハハハ! そうかそうか。紋藤さんを鍛えたのは僕でしたね。なるほど、やはり人間というものは分からない」
桜牙はごろりと転がり、天を仰ぐ。彼はすべてを諦めたような顔をしている。戦意は無い。ラビは異能を使えることを確認し、黒い蛇のような矢印で彼を拘束する。
「僕はきみたちに恨まれるような行動をとったはずです。そして近距離攻撃では勝てないと思わせれば、必ず銃を使って確実に殺しにかかる。そう考えました」
「どうしてそんなことを?」
ラビは己の素朴な疑問を投げかける。
「普通に勝っても面白くないでしょう。……半村ラビ、きみの鉄壁の理性を逆手に取りたかったんですよ。あぁ、でもこれじゃ納得してもらえませんよね。事の発端は僕の過ちです。僕はきみの兄、半村キラを死なせてしまった」
「……! 兄さんを? あなたが?」
殺してしまった、ではない。死なせてしまった。ラビがいくら調べても分からなかった凶事の理由を桜牙は知っているようであった。
「東京タワーを持ち上げるほどの怪腕も光の速度を突破した脚力も、その異能を封殺されてしまえば意味がありません。僕は【
「過失であなたを責めるわけにはいかないわ」
しかし、桜牙は首を振った。今にも泣き出しそうな真っ青な顔を一瞬だけ浮かべたあと、彼はこう切り出した。
「
例えば駒田圧司。彼のトリガーは食べること。対象を空間移動させるという目的が無いときでさえ、彼は何かを口にしている。
授業中だろうが誰かと喋るときだろうが常に。自身の肉体がどれほど肥大し、生活習慣病におかされていようが、そんなことを心配していられないくらいにその食欲は通常とはかけ離れている。
例えば賊敷吸人。彼のトリガーはハンドルを持つこと。何かを運転するときにだけ、彼は躁病もかくやと言わんばかりのテンションになる。もし、彼の運転で誰かが死ぬ事態になるような力であっても彼はそれを止めることはないだろう。
「僕もその例に漏れず、とにかく
つまり、桜牙は安心して
けれど、真実を知ったとしてもやはりラビの気持ちに変わりは無かった。それは過失だ。故意によるものではない。だが、そんな慰めが意味を成さないことは桜牙の表情を見れば分かる。
「……何度死のうとしたか数え切れません。半村さんが別班への参加を希望したとき、僕は初めて生きていたいと思うようになりました。キラのときのような過ちを犯すわけにはいきません。きみを厳しく育てたつもりです。ですが、予想外なことがありました。……きみの
紋藤はそう言えば、とラビを見つめながら一緒に銭湯へ行ったときのことを考えていた。紋藤の知る限り、彼女はずっと冷静でメガネを外している状況……つまりは
野咲灯花の【
「僕は試したかったんですよ。きみを。放埒なる獣性を持った殺人鬼を使って。
「しかし、勝ったのは私だった」
「ええ。そうです。僕はきみと紋藤さんの力を見誤りました。そこで一計を案じました。兵のひとりに命令し、紋藤さんだけでも殺しておこうと思ったんです。そうなれば、あなたは宇入を殺すモチベーションが湧くでしょうし、不確定要素を抹殺できる。……運が悪かったんでしょうか。紋藤さんは死ななかった。それどころか、僕の最後の意地までもを看破した。……きみたちには完敗です」
彼は紋藤の【
「いえ、勝ったのあたしたちではありません」
紋藤の思わぬ言葉に桜牙は驚く。
「あなたが鍛えてくれなければ、ラビさんもあたしもこうは立ち回れなかった。必要も無いのに部下を鍛えようという愛があなたを倒すことになった。つまり、勝ったのは桜牙教官の方ですよ」
「そうでしたか。そうか……そうか……。僕は最後に勝てたのか」
「鉄壁の理性も放埒な獣性も届かない境地、誰かを想うという善性。あなたはそこに辿り着いていたのね。けれど、罪は消えないわ」
「ラビさん」
紋藤が心配するように彼女を見つめる。
「これだけの大きな事件よ。誰かが責任を果たさなければならない。あなたは生きなさい。兄のことを思うのならば生きて償え。死を偽装した私と紋藤さんのことを思うのならば生きて工作をしてください。私たちを守れるのはあなただ。よろしくお願いします」
「投降しろ♪」
スピーカーから羽常の言葉が響き渡り、戦っている兵隊たちはみな沈黙した。拘束を解き、ラビと紋藤は抱き合った。羽常と駒田とも作戦の成功を祝い合った。別呑は異能を使うために酒をたらふく飲んでいるらしく、いつもより元気な様子であった。
あたしたちは勝ったのだ。
冬がその厳しさを少しずつ強めていた頃、福岡の街を歩くラビと紋藤。自衛のためにそれぞれ日本刀とナイフを携帯しており、いざという事態の際には大きく活躍するだろう。
「ラビさん、怪我は大丈夫ですか」
「もう痛くないわ。本当に桜牙教官が手加減してくれたおかげね。……それ以上に紋藤さんの、いえ、
「えへへ。ラビさんに名前で呼んでもらえるなんて感激です」
「今日は冷えるわね」
「じゃあ今日はあたしがカレーを作りますよ。ジャガイモ、人参、玉ねぎ、もちろんラビさんが好きなツキノワグマの肉もたっぷりです」
「分かってるじゃない。帰るのが楽しみ」
ラビは自然に夢与の手を握る。これからどんな困難があったとしてもふたりでならば突破できる。そう思わせるに足る大冒険であった。
時折情報をくれる羽常によれば、“上”は完全に
また、駒田からは朱里と真衣の近況も聞いている。彼女たちは葬儀の後から、その悲しみを乗り越えるべく奮闘しているようだった。
「ラビさん」
「何かしら?」
「あたし、ラビさんのことを愛しています」
「私もよ」
「だから、一生そばにいて下さいね?」
「もちろん!」
ふたりはこれからも生きてゆく。偽の名前で暮らしていったとしても、互いに真の名前を知っていればそれでいい。秘密の共有は彼女たちを強く結び付ける。
いつか同性婚が認められれば、彼女たちも結婚することになるのだろう。結婚式には母も呼べず、朱里も呼べず、真衣も呼べない。けれど、孤独な式場にはならないだろう。
ふたりは互いを強く愛し、生涯のパートナーとして認め合ってゆくのだ。人生に完結は無い。これからも、ただふたりは愛し合う。フェードアウトするように落ち着いた人生を歩き終えるまで、その幸せさは続く。
ハッピーエンドだ。
今日の敵
桜牙総士(41)
異能
【背信者】(ストリーマー)
周囲の異能を封殺すること。
トリガーは目を閉じること。目を開けたら強制解除。