四人目の犠牲者が出たことを朝のニュースで知る。お母さんは「警察は何をやってるのよ!」と怒っていた。あたしとしてはラビさんを擁護したい気持ちもあったが、とても言い返せない。
そもそも
ふと、何かが引っかかった気がした。あたしは何に違和感を覚えたのだろう?考え続けたが分からない。
ラビさんが刈園高校にやって来てから2週間が経った。
あたしは彼女に言われたやり始めた稽古も毎日している。授業を終えて放課後になったら千代田区までバスで行き、警視庁庁舎の地下で戦闘訓練をしている。
ギザ歯のおねーさんにナイフを買ってもらったり、赤髪のおねーさんに読んだあとの漫画雑誌をあげたり、色々あった。
でも、足りない。ここ3日ほどはラビさんと学校以外で会話すら出来ていない。あたしにもっとやれることは無いだろうか。
「
振り向くと
「おはよ」
軽く手を上げて挨拶するが、朱里はそれに応えずにあたしの顔に巨乳をぶつけてそのまま圧殺しにかかる。「その辺にしときな」と真衣の声が聞こえ、朱里を引き剥がしてくれた。
「いったいどうしたの?」
あたしを見下ろす形となった朱里と真衣は一瞬互いに顔を見合わせて心配そうな表情をする。
「こういうとき夢与ちゃんは絶対あーしのおっぱいを揉むのに……。やっぱり疲れてるんだね」
「え」
「今日も例のバイトでしょ?だったら、授業はサボっちゃお。うちと朱里で夢与ちゃんを癒してしんぜよう〜」
友達ふたりにセクハラ女だと思われていた事実に凹みつつ、確かにそうだと納得した。
何せ朱里の豊満な胸はこの世のあらゆる物より柔らかい。そしてその胸を持つ彼女自身が「揉んでくれ」と言わんばかりに差し出してくるのだ。誰だって揉む。
でも、確かにこの2週間ほど……つまりはラビさんが来てから……朱里の胸を揉んでいない気がした。
まだラビさんの胸を揉んだことはないが、そうした欲求はすべて妄想の中の彼女へ向けられている。単なる性欲とも言えないモヤモヤした感情をラビさんが来るまで、あたしは抱き続けていたのだろうか。
「よーし、遊びに行こっか!」
「まずは渋谷ね!」
あたしの意志を聞かずに朱里と真衣は既に盛り上がっていた。けれど、ふたりとも普通に制服を着ているということはこの場のノリで決めたのだろう。
こういう後先を考えないノリの中であたしも髪を金色に染めた。勝手に不良だと思われ、離れてゆく人たちもいた。だけど。
「……ね、それならさ。あたしはあの店に行きたいな。夏休み明けに真衣が連れていってくれたオシャレなカフェ」
「お!いいね!久しぶりだ!」
「夢与ちゃんが気に入ってくれてたとは!」
だけど。あたしは朱里と真衣がだいすきだ。このノリが好きだ。意志薄弱なまま流された部分も多い。でも、間違いなくこれはあたしが選んだ道。あたしが選んだ友達なのだ。
「ねぇ、でも、あたしたち制服だから補導されるかもしれないよ」
「あ、それならさあーしの家に寄ってかない?着替えなら貸してあげるからさ」
というわけで3人で
「お久しぶりです。
「それがねぇ。いま
「はい。また電話してみます」
そう言っただけで通じるだろうか。あれだけ一緒に過ごしていた
完全な社交辞令というわけではないが、あまり積極的に関わりたくはない。あたしは自然に出てきた自身の言葉に少し傷付いた。
おばさんと別れてしばらく経ったとき、真衣が周囲の目を気にしながら小声で「噂なんだけどさ」と囁いてくる。
「清篤原高校のある女の子がトイレから出ようとしたとき、一緒にトイレに来てた友達に襲われたらしいよ。目が血走ったその子は狂ったように噛み付いたり、引っ掻いたりしたんだって。そして、それを止めに入った先生まで気が狂っちゃって……。もしかしたら、夢与ちゃんの後輩ってその女の子のことかも」
あたしは真衣の話に慄然とさせられた。朱里は「こわーい」と言っただけで済ませたが、あまり本気にしていない。けれど、あたしはそうじゃない。この世界に
ラビさんに連絡しなければと思ったが、真衣からの話だけで別班を騒がせてはいけないと考え直した。まず、その噂話は真実なのか否か、
「あーまた夢与ちゃんったら考え込んでる。ダメだよ!そういうの今日は禁止!」
朱里に頬をつねられる。真衣は「うちのせいでまた悩ませちゃったね」と謝られてしまった。気を張り過ぎてしまったか。もし殺人にまで発展していればニュースになっているはず。そうでないということはそこまでの緊急性は無いのかもしれない。
とりあえず今日の夕方、
そのあとは朱里と真衣と渋谷を楽しみ、リラックス出来たように思う。けれど、美味しい料理を食べるたび、映える構図でポーズを取るたび、綺麗なデザインの服を見るたび、ラビさんと共有したいという気持ちが芽生えてくる。
これは恋なのだろうか。性欲なのだろうか。それとも別の何かなのだろうか。
そんなことを悩みつつ
2階の
「久しぶり」
「
「紋藤先輩……ボクは清篤原高校じゃなくて刈園高校へ行きたかったっス。毎日のように七限まで授業があって放課後は休みなく夜までバスケット。土日にも練習があって木彫りをしているヒマなんて無かったっス」
「おじさんが世間体を気にしたんだよね。刈園高校なんて不良校みたいなものだからって強く止められた。
窓から夕陽が差している。部屋に電気はついていないが、その光のおかげで
「覚えててくれたんスね。でも最初の方は言うほど悪くなかった。紋藤先輩に会えないのは寂しかったけど、友達も出来た。だけど、だんだんボクは授業についていけなくなったっス。一学期の成績もすごく悪くて父さんが勝手に電話してバスケ部も辞めさせられて……」
「大変だったね……でも、部活動を辞めたんだから時間に余裕は出来なかったの?」
「塾に行かされたっス。リラックスするために続けていた木彫りも女の子の趣味じゃないって母さんに言われて……一悶着あったんス。でも、学校であんな事件があって。とりあえずふたりはボクへの干渉を止めたっス」
彼女は紛れもなくあたしの友達なのだから。でも、今からでも遅くはない。あたしは膝の上に置かれた
すると、水色のパジャマの裾が下がり、手首に包帯が巻いてあるのが分かった。リストカット……。自殺を試みたのだろうか。
「学校で何があったの?」
「ボクはその日トイレにいたっス。心細かったので友達の凛子に付いてきてもらって。それで用が終わって扉を開けたら凛子が横のトイレの壁を蹴破っていたっス。木片が足首に刺さって血が出ていて。でも、凛子はまるで気にせず、血走った目でボクに噛み付いて来たんス。何が何だか分からなくて、悲鳴を上げたら貫堂先生が止めに来ました。だけど、貫堂先生までおかしくなっちゃったっス」
「それでどうやって事態は収拾したの?」
「並の人では止められなさそうだということで男の先生が来て、その先生は何にも影響が無くてふたりを取り押さえたっス。ふたりはしばらくしたら落ち着いたらしいっスけど」
「
「血が出るくらいの怪我は無かったっス」
間違いない。
「その手首の包帯は?」
「これは一昨日父さんの前でボクが包丁で切ったっス。父さんが慌てて止めて大した怪我でもないのでご心配なさらず」
「心配するよ!痛くない?」
そう声をかけたとき初めて
「ありがとうございます。本気で心配してくれたのは紋藤先輩だけっス。……もし父さんや母さんが本気で心配していたのなら、娘の部屋にナイフを置きっぱなしにはしない」
「紋藤先輩が変わってしまって悲しいっス」
「どういうこと?」
「中学時代の紋藤先輩だったら、ボクの胸やお尻や太ももをガン見してたはず。もうボクになんか興味無いって言っているようなもんスよ。ボクは悲しいっス。……紋藤先輩が今日ここに来なかったらこんな事態にはならなかったのに!!」
え。
あたしはあたしじゃなくなっていた。体を駆け巡るのは激情だった。憤怒・憎悪・嫉妬……そんなものでは比べ物にならない強烈な熱。
彼女のトリガーは出血することだろうか。そして
そんな細かい分析はまるで役に立たない。あたしは自身の体をコントロール出来ない。
後ろの扉が開かれた。
そこには目を丸くした
まさか。やだ。やだ。やだ!
そう思っているのにあたしの腕はナイフをおばさんに振るった。「ぎゃあ!」とおばさんが走り、階段へ。足を止めたいのに体を巡る異常な熱があたしを動かす。1階へ降りつつ、足はおばさんを追尾した。
「灯カちゃン、なんデ……!?」
少し距離を取りながらも
「ボクの血液は人を乱す。そのことに考えが及んで父さんに復讐をしてやろうと思ったっス。でも、効かなかった。ボクの能力は女の人限定みたい。男にも効くんだったら、渋谷とかでやってみたかった」
まともな言葉を出すのはそれが精一杯だった。燃えるんじゃないかという熱に浮かされ、背中を向けたおばさんにナイフをざくりと刺した。ぞぶりと刺した。ぐさりと刺した。ひたすら刺した。腕にも刺した。足にも刺した。首にも刺した。刺した。刺した。刺した。刺した。
「ヒャハハッ、ハァ、ハァハァ……気持ちイイっス!死ね。死ね。死ね!クソババア!もっと刺してやってくださいよ、紋藤先輩!!」
彼女の命などとうに消えている。
浅慮で軽薄な自身の判断を恨む。ラビさんに連絡すれば良かった。そうしていれば。あたしは人殺しにならずに済んだのかもしれない。でも。それは。
今のこの道を選んだのはあたしなのだ。
絶望のまま打ちひしがれたまま、あたしは機械のようにおばさんの体にナイフを突き立てた。
あたしのせいで人が死んだ。いや、違う。あたしがその手で人を殺したのだ。
目から溢れる涙は
ガン!と玄関の扉が突き破られた。出てきたのは肩で息をするラビさんだった。メガネの似合う美少女。右手には抜き身の日本刀を持っている。
「ラびサん……ごメンナサい……」
右手のナイフを振りかぶる。沈痛な顔をしたラビさんはとても美しかった。