世界一幸せなトレーナーとエアグルーヴ   作:たわけ

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覚悟

病院で医者に言われた

 

 

難産になる可能性が高いと

 

 

どう、すべきなのか

 

 

一番最初の問は、このことを伝えるかどうかだった

 

 

もし、伝えれば彼は子どもを諦めろと言う

 

 

優しくて、寂しがりの彼のことだ

 

 

苦渋の決断であれ、きっとそう言う

 

 

伝えなければ、バレないだろう

 

 

医者の口からバレるのは避けたい

 

 

今後は1人で検診に行こう

 

 

自分の命と引き換えになるとしても、いまここにある命を、愛する夫との子を摘むだなんて選択は出来なかった

 

 

私が母としてこの子に出来る最初で最後のことだ

 

 

無事に産んであげたい

 

 

一目で良いからこの子をみたい

 

 

一度で良いからこの子を腕に抱きたい

 

 

この子に愛を伝えたい

 

 

 

 

 

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それから

今までの日常がどうにも愛おしくて仕方がなかった

 

 

食事の一回一回がとても貴重で、あと何度子どもたちに、夫に手料理を作れるのか、共に食卓を囲めるのか

 

 

あと何度みんなの笑顔を見られるんだろうか

 

 

あと何度我が子たちをこの胸に抱けるのか

 

 

あと何度愛おしいこの人の傍で眠れるのか

 

 

あと何度この人と口づけを交わせるのか

 

 

苦しくて仕方がない

 

 

泣きたくても泣けない

 

 

もう、引き返せないんだ

 

 

私は、母親なんだから

 

 

 

 

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諸々のカウントダウンの数字が2桁になってしばらくたった頃、入浴後に急に腹が張り始めた

 

 

まずい

 

 

予定日はまだ先だ

 

 

この子に何かあったのか?

 

 

夫に連れられ予定よりはやく病院に行く事になる

 

 

病院についてすぐに分娩することになった

 

 

それは、同時に私の命の終わりも意味していた

 

 

せめて、夫に、子どもたちに、最後の別れを伝えたかった

 

 

愛していると、伝えたかった

 

 

 

 

 

 

 

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分娩室に連れていかれ、懸命に出産する

 

 

初めての夫と一緒ではない出産は思っていた以上に大変だった

 

 

心細くて、途中でダメだとも思った

 

 

それでもこれが私の最後の仕事だ

 

 

なんとしてでもこの子を産み落とさなければ

 

 

長いのか、短いのか、全く分からないが時間が経って耳が反応する

 

 

無事に産まれてきてくれた

 

 

もうすっかり体に力が入らなくて、でも赤ちゃんの産声はしっかり聞こえてきて

 

 

その安堵と共に意識も遠のいていった

 

 

医者たちは私の治療を始めようとした

 

 

しかしそれを私が止めた

 

 

私には、まだやらなきゃいけないことがある、と

 

 

 

 

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出産後まで命が持ったのは私にとっては想定外であり行幸だった

 

 

これでこの子を抱いてやれる

 

 

夫には怒られるだろうか

 

 

だが、これで最後だ

 

 

どうか許してほしい

 

 

病室へ運ばれて、ベッドに横たわる

 

 

私を囲む医者や母、夫はみんな沈んだ表情をしている

 

 

せっかく子が産まれてきたというのに

 

 

おい、せめて貴様くらいは祝え

 

 

父なのだろう

 

 

親なんだろう

 

 

 

 

 

子どもたちにとって唯一の

 

 

そう言いたかったが、どうにも言葉が出ない

 

 

力が入らない

 

 

 

 

 

 

 

看護師によって私の腕へとやってきた我が子は小さくて、温かかった

 

 

 

ずっと、抱いていたかった

 

 

今日だけ、今だけはこの幸せを享受することを許してほしい

 

 

腹を空かせたこの子に乳をやれるのは恐らくこれが最後だ

 

 

最初で最後の授乳を済ませると子は保育器に入れられた

 

 

やはり、まだ小さいよな…すまないな…苦労をかける…どうかこの母を恨んでやってくれ

 

 

今しか居られない、手料理も作ってやれない、世話もしてやれない、成長も見守れない、名前も呼んでやれないこの母を憎んでくれ

 

 

子を見つめ、そう考えていると夫が傍に来る

 

 

どうにか力を振り絞って彼の腕を掴む

 

 

どうしても、これだけは伝えなければ

 

 

間違えないでくれ 

 

 

この子を恨まないでくれ

 

 

『……こどもたちを……よろしく…頼むぞ………おとうさん』

 

 

 

そこで、私の意識は途絶えた

 

 

 

 

 

さようならは、愛してるは、言えなかった

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