ぽた、ぽた、なんて。
もしも地上なら血が床を汚していたのかもしれない。
だけど、ここは宇宙エレベータ〈ネオアームストロング〉の最上階。宇宙空間の中にある管制室。
破裂した心臓は無重力の中を浮かんで漂う。
オレの胸には手刀によって穿たれた穴があった。
超微細機械が心臓を修復しようと足掻くが、蘇生は叶わない。数十分の延命は叶うかもしれない。だけど、それだけだ。
『警告、システム管理者の致命傷を観測しました。案内、通報しましたので救急隊が一時間ほどで到着すると見られます』
〈MAI:SoN〉が救急隊を呼んだようだが、きっと間に合わない。地上から駆けつけたとしても、100km以上の距離があるのだから。
そして、一時間以上延命できたしても逃げられるとは思えない。目の前の魔女がそれを許さないだろう。
〈ネオアームストロング〉には対スペースデブリ用など、たくさんの兵器が搭載されている。だが、それは外へ攻撃する為の兵器で、中に入られること──それも管制室の中──は想定していない。
神託機械の〈MAI:SoN〉も、こうなってしまえば無力だ。
でも、そんなことはどうでも良い。
オレの余命なんて関係ない。
何よりも知るべきことが目の前にあった。
「かみ、さま……?」
「ええ、そうよ。言ったでしょう? カミサマは存在するって」
〈大淫婦〉ベイバロン。
それが目の前の魔女の名前だった。
「…………うそだ。ウソに決まってる」
「嘘じゃないわ。貴方もバキュームとの戦いで知ったでしょう? 『第三の魔術』は神そのものをシステムに組み込んでいる」
「それが……ベイバロンだって?」
「そうよ。1999年に神は三賢者の手によって囚われた。『射精魔術』はクロウリーの性魔術が基礎となっているのだから、相性の良いセレマ宇宙論における快楽の女神が選ばれたのでしょうね」
Tips
◆ベイバロンとは、セレマ宇宙論において女性の性欲衝動を司る女神。ババロン、緋色の女、太母とも。
◆誰も拒絶しない神聖娼婦と考えられるが、同時に処女でもあり、しかし全ての肉体の母でもある。
◆星幽界に存在する神であるが、物質界に肉を持った化身として顕れることもでき、その化身は緋色の女と呼称される。ヴィルゴも緋色の女の一人。
「神には愚かな人間の精神的な熟達を導くという権能があるわ。クロウリー風に言うならば、深淵を渡らせる権能かしら。魔術師はその工程を経ることで、生命の樹を駆け上って神の領域に至るの。賢者共はそれを利用したのよ」
「…………?」
「分からないかしら? 神には人を神に近づける力があった。だから、魔術師に神の力を与えるだけの機械にされたのよ」
だからこそ、ベイバロンは神だとも言いたげな表情。
だけど、それはベイバロン=神を成り立たせる式であって、ヴィルゴ=ベイバロンを証明している訳じゃない。
「テメェが、……カミサマってんなら…………ハーレムに、他人の魔力に頼る必要なんかねぇだろうが。テメェがカミサマならッ、自分の力で何でも出来るんじゃねぇのか⁉︎」
「神が万全なら、ね。けれど、神のカミサマとしての力は全て『射精魔術』に取り込まれているわ。だからこそ、取り戻すには正攻法しかないのよ」
「……正攻法、だって? これが……?」
「ええ、勿論。神の権能が差し押さえられているから、人類と同じようにハーレムを掻き集めて自分の力を『射精魔術』で引き出しているのよ」
『射精魔術』を経由して神の力を引き出しているってことか。
なら、カミサマがこんな風にスケールダウンしていても仕方がない、のか……?
いや、でも………………
「…………なら、見せてみろよ」
「何を?」
「証拠だよ。テメェが神だって自称するのなら、それを信じられるだけの証拠を見せてくれよ」
「わざわざ貴方に付き合う気はないわよ。神の儀式は直ぐに終わ──あらら?」
想定外の何かがあったのか、ベイバロンは首を傾げる。
そして少しした後、何かに思い至ったように眉を顰めた。
「あのクソジジイ……ホワイトホールに何か細工してわね」
「クソジジイ……?」
「〈最強〉とか名乗ってる頭が高い人間よ。わざわざ正面から挑んできて何のつもりかと思ったら、神への妨害を仕掛けてたってわけね。お陰で肉体も地脈もグッチャグチャだわ」
フォッサマグナか……‼︎
オレは全身全霊を賭けて戦っていたが、フォッサマグナはオレの背後にいるコイツに嫌がらせを仕込みながら戦っていたのか。
わざわざオレ達を奇襲することなく正面から戦いを挑んだのも、戦闘前に天災を引き起こしたのも、フォッサマグナが倒れた時のための細工だったのかもしれない。
ベイバロンは溜め息を吐いて、呟いた。
「これだと10分くらいはかかるかしら……仕方ないわねぇ、証拠を見せてあげるわ。宇宙を見てくれるかしら」
最上階の壁や天井はガラス張りみたいに透き通った素材で出来ている。
つまり、宇宙に囲まれている。
そんな宇宙が今────
「──は?」
────回転していた。
正確には星々が、地球を中心として回転している。
まるで大鍋の中で掻き混ぜられるように、無数の恒星が宇宙を泳ぐ。
そんなの、あり得るはずない。
夜空に浮かぶ星々は数光億年先にあるものだって多く、たとえ本当に星を動かせたのだとしてもその光が動く筈もないのに。
それなのに、恒星の軌道が宇宙規模の魔法円を描いていく。
宇宙は魔女の大鍋であり。
世界は女神の子宮であった。
「なんだ、これ……⁉︎」
「これ? フォッサマグナが阻止しようと足掻いていたモノ──人類を絶滅させる魔術、その一端よ」
「なん、で? どうやって⁉︎」
余りの巨大さ、そして神威に畏敬を覚える。
知らず知らずのうちに唇が震え、問いかけは途切れ途切れに吐き出された。
「なんで、なんて。決まっているでしょう? 人間共に見下されるのが気に食わないから、神から力を取り上げて射精し続ける魔術師達が生理的に受け付けないからよ」
「…………それならッ、人類を絶滅させる必要なんてないじゃねぇか‼︎ 魔術師だけを止めれば──」
「もちろん、そのつもりよ」
「………………え?」
淡々と。なんてことないように。
魔術を極めた先に存在する神は告げる。
「神だって、人間全員に恨みがあるわけじゃあないものね。一人一人プチプチ殺していくのも面倒だろうし」
「だっ、だったら…………」
「だけど、結果として人類が絶滅しても仕方ないとは思ってるわ」
「…………テメェは、何をするつもりだ?」
魔術師を殺すモノ。
『第三の魔術』が使えなくなるモノ。
尚且つ、人類が絶滅しても可笑しくないモノ。
嗚呼、もっと早く気づくべきだった。
「『射精魔術』は男しか扱えない、女が代替魔術を使っても大した効果は望めない。なら、世界から男が消えればいいのだと思わない?」
オレはこの数日間、それを何度も目にした。
『第三の魔術』に必要不可欠な術式。
『射精魔術』と深く結びつくモノ。
「〈魔術決闘〉──全人類を決闘で負かしてメス堕ちさせるつもりか⁉︎」
ルール参照
◆規則の七。敗者は約一日間魔力枯渇に陥ると共に、雌奴隷に変えられ、勝者に命を委ねる。
決闘に勝ち続ければ理論上は可能かもしれない。
だけど、それは実質不可能だろう。
『射精魔術』を使う魔術師は世界に5万人存在するのだから、それを可能にするには5万連勝する必要がある。
加えて、そこまでやってもハーレム50000。
ハーレム3000000の足元にも届かない。
余りにも桁外れすぎるのだ。
フォッサマグナですらハーレム15000だった。
ハーレム3000000なんて夢のまた夢。
しかし、神はこう告げる。
「あら、たった数日で随分と魔術に染まったわね。だけど、もっと身近にあるでしょう? 人間を女体化させる現象が。貴方も身をもって体験しているモノが」
咄嗟にオレは自分の体を見下ろした。
失ったチンコ、膨らんだ胸。
さて、オレが女体化したのはなんでだっけ?
「────まさか、TS病か……⁉︎」
「大正解よ」
TS病。
正式名称は、突発性性転換症候群。
原因不明とされていたそれの正体は、ベイバロンが産み出した魔術式細菌兵器だった。
フォッサマグナが人類の絶滅を危惧したのも無理はない。TS病によって世界から男性が消滅すれば、人口は増えることなく右肩下がりで減る一方なのだから。
最新の『科学』で治療法が見つかる筈もなく、今や男性の0.05%が罹患している。
0.05%と聞くと少なく思えるが、今の世界総人口が100億人で、男性がその半分の50億人いると考えれば、世界中に250万人は患者がいる。
自己申告していない人も含めればもっとだ。想定される患者数は300万人と言われている。
──何処かで耳にした数字じゃないか?
「TS病患者全員がテメェの雌奴隷だとカウントされているのか⁉︎」
「あら、気づくのが早いわね。そして、初めに貴方が言っていた〈魔術決闘〉もあながち間違いじゃあないわ」
「……………………ホルモンバランスを崩して性転換させるウイルス、じゃない。感染者に〈魔術決闘〉を強制するウイルスかッ⁉︎」
「満点ね、花丸をあげるわ」
盲点だった。
考えたこともなかった。
だけど、ヴィルゴは確かに言っていた。
代替魔杖の条件とは。
一つ、魔術師の魔力が篭っていること。
二つ、棒状であること。
それは魔杖も同じ。
つまり、チンコがあろうと魔力が篭っていなければそれは魔杖とは看做されない。
ルール参照
◆規則の六。魔杖の破壊が敗北の証となり、元から魔杖を持っていない場合は代替魔杖やそれに類する物が魔杖扱いとなり、それも無ければ自動で敗北する。
魔術師でもなければ、〈魔術決闘〉に参加した瞬間に雌奴隷に変えられるのだ。
「いっ、いや! だけどッ、〈媚薬香水〉はどうやって用意した⁉︎ 決闘空間の構築には宣誓だって必要だろう⁉︎」
ルール参照
◆規則の一。決闘空間は挑戦者の宣誓と、媚薬香水の充満によって展開される。
「知らないの? 病気が原因で体臭が変わることがあるわ。昔は臭いを嗅いで病気を特定する嗅診ってものがあったくらいよ」
「────あ」
「そして、TS病のウイルスは感染者の体臭を〈媚薬香水〉と同じ成分にするわ」
そういえば、TS病の症状の一つに性的興奮を高める作用があった。
あれはTS病を粘膜接触──性感染によって効率よく流行らせる為の効果などではなく、体臭が〈媚薬香水〉と同じになったが故の副作用だったのだろう。
「加えて、細菌が電気信号でコミュニケーションを取っているという話も知っているでしょう?」
「声帯に電気信号を流して、感染者本人に宣誓をさせていたっていうのか……⁉︎」
オレも、誰も彼も、宣誓を言わされていた。
自分ですら気づけないほど微弱な電気信号が微かに声帯を震わせ、可聴音域外の宣誓が為されていた。
「もう一つは聞かなくていいのかしら? 対戦相手は視認しないと指定できない──そこも矛盾点だと思うけれど」
ルール参照
◆規則の二。対戦相手の指定は、挑戦者が決闘空間内にいる相手を宣誓時に視認することで決定される。
「……そっちは大体見当がついてる。外送理論、だろ?」
使い魔の発光バクテリアと視界を共有する魔術。
TS病のウイルス一つ一つが魔女の使い魔であるならば、ウイルスに罹患した感染者を視認することなど容易い。
「その通りよ。TS病ウイルスは神の魔女の大鍋──子宮の中で育んだ自慢の子供達だわ」
「…………疑問点が一つ解決されたよ。ずっと思ってた、結局『横紙破り』は何だったのか。なんでオレとテメェが同一視されてるのかって」
「その答えは?」
「テメェの胎内で培養された細菌がオレの肉体に張り巡らされていたからだ」
やっていた事はバキュームと同じ。
彼女はクローンソーセージの体内にある微生物を摘出・培養し、それを弾丸にコーティングすることでクローンソーセージ本人だと同一人物判定を誤魔化していた。
同じように、ベイバロンの胎内にある細菌がオレの体にもあったため、オレとベイバロンは同一人物判定されていたのだ。
これで疑問点は無くなった。
けれど、新たに一つ疑問が生まれる。
「なぁ、ベイバロン」
「どうしたのかしら、セージ」
「テメェの目的は人類から男を無くすこと。その為にTS病を流行らせた」
「それが?」
これは今までの前提条件。
だけど、元々の話は何だったか。
「だったら、テメェは今ここで何をしようとしてるんだ⁉︎」
宇宙規模の魔法円が目に入る。
TS病を流行らせるだけならオレに接触する必要はなかった。
きっと、まだ何かがある筈なんだ。それを聞くまでは、オレはまだ死ねない。
「……神の目的は『射精魔術』の根絶よ。男の消滅さえ神にとっては一つの手段に過ぎないわ。だけど、神は確信しているわ。TS病のウイルスは『射精魔術』を滅ぼせないって」
「……何故?」
「言わなかったかしら? 魔術師は病気に罹らない。無意識の内に虫除けの術式を使用しているのだから」
不随意魔術、虫除けの術式。
魔除けの術式と同じく、意識せずとも魔術師が常時展開している魔術の一つだ。
TS病ウイルスのような人間に害のある細菌は即座に死滅させられる。
「だったら、新たに産み出すしかないでしょう? 不随意魔術すら貫く細菌を」
「どうやって……⁉︎」
「やり方は簡単よ。宇宙そのものを魔女の大鍋──神の子宮と『類感』させ、そこで産まれたウイルスを対流に乗せて宇宙から地球へばら撒くだけ」
「……………………宇宙生物学か‼︎」
例えば、インフルエンザは世界各地で多発的に流行する。この謎を解決するのが、インフルエンザは宇宙が起源であるという説だ。
病原体が宇宙から地球に侵入する際に、対流に乗って地球へ降り注ぐことで複数の場所で一斉に感染が起こるとされる。
「宇宙は女の領域、地球は男の領域よ。それは前にも言ったわよね?」
「…………セレマ宇宙論だっけ?」
「ええ。であれば、こうとも考えられるのでは?」
神託が下る。
魔女は告げる。
「宇宙から地球に侵入するウイルスは男の魔術師を侵食する魔女の呪いと『類感』している、と」
つまり、それこそがベイバロンの動機。
虫除けの術式を貫通する効果を持たせる。
ただそれだけの為に、彼女は宇宙エレベータ〈ネオアームストロング〉の管制室を占拠し、宇宙規模の魔法円を構築したのだ。
「それ、だけの為にッ⁉︎ 宇宙エレベータも神託機械もッ、万博もオレの頭脳すら関係ないッ‼︎ 宇宙空間にある施設なら何処でもよかったってのかッ⁉︎」
「何処でも良いと言えば弊害があるわね。此処は火力発電・水力発電・風力発電・地熱発電──四属性のエネルギーが調和した神殿よ。見えない力を受信する電波塔という側面を持っていたのも良かったわね」
「けどッ、そんなもんは何処にでもあるッ‼︎ どうして此処だったッ? どうしてオレが狙われたんだッ⁉︎」
「狙いやすそうだったからよ」
結局、それだけ。
何か特別な理由なんてなかった。
丁度タイミングよくバキュームがオレや神託機械の情報を魔術世界に流していて、丁度ベイバロンの求めていた条件と合致していただけのこと。
フォッサマグナの言った事は正しかった。
一連の事件の黒幕はバキューム。
ベイバロンはその事件に便乗しただけの、別の事件の黒幕だった。
「……話疲れたわね。もう良いかしら?」
「まっ、待て! 虫除けの術式を退けられたとしても、魔術師には魔杖がある! 感染してもメス堕ちする訳が……‼︎」
「めんどくさ…………もはや元の手法──〈魔術決闘〉を利用した男性の女体化に意味は無いわ」
「…………は?」
「TS病はホルモンバランスを崩して男性を女体化させる……既にそんな迷信が完成しているの。300万の症例がそれを担保するのだから当然ね。そして覚えているかしら? 魔術は迷信すらも利用できるのよ」
〈黄金の天球〉の首領、テスティスは人が死んだら星になるという迷信を利用していた。人間の固定観念と『類感』させることで、迷信を実現させる魔術だ。
けれど、ベイバロンのそれは違う。魔術に利用する為に都合の良い迷信を自分で風潮させた。
「TS病ウイルス自体が本当に女体化させる効果を持ったって言うのか⁉︎」
虚構は真実に。
魔術は科学に。
わざわざ300万人の一般人を感染させた利用がこれだ。
ハーレム3000000の魔力。
TS病に関する世界的な迷信。
この二つを以て、男を絶滅させる細菌兵器は完成した。
「それで分かったかしら、神の実力が。神がカミサマであるという証明が」
「しんじ、られるか。信じっ、……信じられる訳がないだろ⁉︎」
「あら、それは何故?」
「オレは科学者だ‼︎ 物事を疑うことを生業とする人間だ! いやっ、そもそもっ! テメェの言うことを鵜呑みできるわけがねぇだろ⁉︎」
ベイバロンが人類を絶滅させる力を持つことは分かった。
ベイバロンが誰よりも強大な魔力を持つことは分かった。
でもそれは、強さの証明であってカミサマの証明じゃない。
だから、ベイバロンの言葉は信じられない。
だけど、ベイバロンは告げた。
オレの魂を剥き出しにする一言を。
「ホントは信じたくないだけでしょう?」
……………………。
………………………………。
…………………………………………。
それは、端的な言葉だった。
理屈とか、科学者だとか。
そんな物を無視して放たれた指摘。
オレの感情を問う言葉。
だからこそ、オレの心に深く突き刺さった。
魂を守る理論武装が剥がれ落ちていく。
「貴方は真実を知りたいんじゃないわ。ただ、自分に都合の良い言葉を聞きたいだけ。そんなの、自己満足に過ぎないわ。そんなものが欲しいなら神を巻き込まず、一人で自慰でもヤっていなさい」
そう言って、ベイバロンはティッシュ箱をオレに投げつけた。
大量のティッシュが宙に舞い、天使の羽のようにひらひらと地面に落ちる。
そして。
数分か、それとも数秒か。
長く……そして一瞬の沈黙があった。
やがて、唇から言葉が溢れる。
そうだよ、と。
「そうだよ。ベイバロンの言う通りだ。何の反論もできねぇ。オレはテメェの言葉を信じたくなかった。そっちの方が都合が良いからだ。だからこそ、テメェの言葉は全部ウソだと跳ね除けた。全部ウソだったら良いという感情が、正当な物事の評価を妨げた。真偽を考慮することもなく、一瞬で。それも自分で意識すらすることなく、無意識のうちに感情的に。科学者だから、なんて詭弁だ。自分の感情に振り回せれて客観的な思考を怠るなんて、科学者からは程遠い。だけど、それが悪ぃか⁉︎ オレは間違ってんのか⁉︎ ああ‼︎ 間違ってるだろうさ‼︎ 科学者を名乗りながらこんな体たらくじゃ失望されて当然だよ。でもッ、そんなの仕方ねぇだろ⁉︎ 信じたくないに決まってんだろ! なんでオレが巻き込まれた! なんでこのタイミングだった‼︎ 信じてた仲間に裏切られたばっかりだって言うのにッ、なんでまた裏切られなきゃいけねぇんだよっ‼︎ カミサマだって言うなら愚かな人類なんか見捨てて宇宙の彼方で楽園でも築いていりゃあ良かったじゃねぇか! 絶対的なカミサマが欲しいとか言って神託機械を作ってはいたけど、テメェみたいなのは求めちゃいなかった‼︎ オレが欲しかったのは変わらない愛と絆とかッ、そんな小さなもんで良かったはずなのにッ‼︎ 怖い魔術師とだって戦いたくなかった! 仲間に裏切られた時は辛かった! 怪我した時は泣きたかった! それでも戦ってきたのは……それでも踏ん張って立ち上がれたのには大した理由があった訳じゃない。ただの見栄なんだ。ちょっとした下心なんだよ。可愛い女の子の前で情けない姿を見せたくないとか。あわよくばオレに好意を抱いて欲しいとか。ただそれだけだったんだよ。別に世界の平和だとか、世界を救った栄誉なんていらない。ただ全てが終わった後に連絡先を交換するだとか、可愛い女の子にお礼を言われるだとか。ほんとに、それだけでよかったんだ。何ならそれだっていらない。ただあの子の笑顔が見れたらそれで十分なんだよ。なのにッ、どうしてこうなるっ⁉︎ 寄生虫とかカミサマとかッ、別人だとかもう死んだとかッ‼︎ そんな結末なんか欲しくなかった‼︎ ただオレはヴィルゴに胸を張れる自分でいたかっただけなのに……‼︎ それがどうして彼女が先に死ぬような結末を迎えるんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ‼︎‼︎‼︎」
ベイバロンはその慟哭を静かに聞いていた。
オレの苦しみは彼女のせいだ。
でも、その憐れみの顔は慈悲を持った女神のようにも見えた。
「貴方……本当にヴィルゴに惚れていたのね」
「…………………………、」
「……それって今も、なのかしら? 彼女の正体は神が産み出した寄生虫だと分かってもなお?」
「…………最初は彼女の見た目が好きだった。でも、もう姿形なんて関係ねぇんだよ。女体化してもオレの精神性は男のままであるように、彼女が人間じゃなくなってもその美しさは何も変わらねぇ」
ホルモンとか脳内物質だとか、心に影響を与える物質は肉体の性別によって異なるものが分泌される。だから、肉体の変化に精神が引きずられるというのはあり得る。
でも、真の意思っていうのはそんなんじゃねぇだろ。たかが肉体の性別が変わった程度で揺らぐようなもんじゃねぇだろうが。
「それで、どうするつもりなのかしら? 認めたくなくても、理解したのでしょう? 神がカミサマであることを」
「……もう、オレは戦いたくない。立ち上がりたくない」
それは弱音だった。
それは悲鳴だった。
「カミサマになんて勝てる訳がない。勝ったとしても、得られるモノは何もない。オレの好きなヴィルゴは戻ってこない」
オレから溢れるどうしようもない泣き言。
ヴィルゴの前じゃ言えなかった本音。
「でも、だけど」
だけど、言葉は反転する。
それは反撃の兆し。
「勝てるかどうかなんて関係ないんだ。戦う意味なんて必要ないんだよ」
「…………なに、を」
「オレは言ったぜ、ヴィルゴ。たとえオレの体が女になったとしても、心まではタマナシ野郎になるつもりはねぇ。戦う理由なんざ、それで十分だろ」
「今更何をするつもりッ⁉︎」
彼女はもういないのだとしても。
彼女を取り返すことが出来なくても。
せめて、彼女に胸を張れる自分でいたい。
それだけで、オレは神様にだって喧嘩を売れる。
──準備は完了した。
──決意も固まった。
そして、オレは決別の一言を告げる。
「ところで、ここまでの会話は全部ただの時間稼ぎだって気づいたか?」
ぽたり、と。
オレの指先から甘ったるい汗が一滴垂れた。
それは、単なる汗ではなくベイバロンの〈媚薬香水〉であった。
ベイバロンはTS病ウイルスによって体臭が〈媚薬香水〉となると言った。
しかし、その効能は一度きりしか発揮せず、決闘空間が構築されるのもまた一度きりの筈だった。──本来ならば。
効果が一度きりなのだとしても、TS病ウイルス自体はまだ体内に残っている。
そのウイルスを超微細機械によって分析し、自分の汗腺を使って元の体臭を再現すれば、その一滴はベイバロン〈媚薬香水〉となる。
再現できたのはたった一滴。
けれど、一滴だけで十分すぎる。
何故ならば────
ルール参照
◆ 規則の四。制限時間は使用した媚薬香水の量で決定され、制限時間内に勝負が決まらなかった場合は挑戦者の敗北となる。
────狙いは、ベイバロンの時間切れ。
たとえカミサマであろうと、相手は〈魔術決闘〉を利用するハーレム3000000の魔術師。
〈魔術決闘〉のルールに従っているのなら、〈魔術決闘〉のルールで倒せる。
そして、汗が垂れたのと同時。
ポケットに入れていたボイスレコーダーのスイッチを押す。
『聞け、我が目を受けし汝、魔法名ヴィルゴなる者よ。我魔法名セージは汝に決闘を挑む。神よ、師よ。ここに我、汝に対し我が魔術を以て性豪の証を立つる者なり』
それはクローンソーセージが持っていたボイスレコーダー。
可聴域外にまで至るほどに倍速化された宣誓が決闘空間を構築する。
「────な」
刹那の決闘。
一秒も過ぎれば時間切れで敗北する。
そうすれば、ベイバロンは終わりだ。世界中から蒐集した300万人分の魔力が魔力枯渇によって失われてしまう。
ベイバロンの脳が超高速で回転する。
いいや、もはやそれは思考ですらない。
半ば脊髄反射によってベイバロンは動く。
「止まりなさいッ‼︎」
かちり、と。
視界の端の電子時計が3月25日23時59分59秒で停止した。
「……………………は?」
「はぁ、はぁ、はぁ……‼︎ ギリギリだったわね……‼︎」
ベイバロンは魔力枯渇に陥らなかった。
それはルール違反でも何でもない。
ただ、時間切れが起こらなかっただけ──決闘空間が未だ存在しているだけのこと。
一秒未満しか存続できない決闘空間。
今だに時間切れにならない状況。
どちらも嘘でないのならば、解は一つしかない。
「────時間を止めたってのか⁉︎」
「神は十二時に魔法が解けるシンデレラのドレスを着ているのよ? シンデレラドレスがまだ着用されているという事は、逆説的に世界が十二時に届かないように歪められるわ」
黒い喪服のようなドレス。
透明なガラスのハイヒール。
ベイバロンの肉体を超人足らしめる人体改造術式の要。
それに時間停止なんて活用法があるとは思いも寄らなかった。
タイミングが悪かったとしか言いようがない。
あと一秒でも早ければ、もしくはあと一秒でも遅ければ、その魔術は成立しなかっただろう。
或いは、そんな運命的な偶然を引き寄せるからこその神なのか。
「そもそも『結界』とは世界と隔絶する技法よ? 決闘空間内のみを外の時系列から切り離す事など簡単だわ」
そんな訳があるか。
人類には届かない空想の領域を易々と犯す。
これこそが神、意思を持った天災。
時間切れから逃れる為だけに世界の法則を歪める超自然的・絶対的存在……‼︎
「これで終わりかしら? 人類にしてはなかなかヤるわね」
「…………ッ、まだだ……‼︎」
魔法のステッキを取り出す。
時間停止なんて馬鹿げた手法は予想しちゃいなかったが、一発で終わらないのは想定内……‼︎
〈魔術決闘〉に持ち込めたことは確かなんだ。後はベイバロンの魔杖を破壊することが出来れば──
「これで、終わりかしら?」
ベキベキバキバキッ‼︎ と。
魔術を使う必要すらなかった。
シンデレラドレスで強化されたベイバロンはオレの右手ごとスタンガンを片手で握り潰した。
「あッ、がァ──⁉︎」
「まだ決闘が終わらない……そのスタンガンだけが貴方の代替魔杖ではないのね。他には何があるかしら? 悪魔の乳首とか定番よねぇ」
「ごッ、がァァアアあああああああああああああああああああああああああああああああッ⁉︎」
ガラスの靴を履いたベイバロンの蹴りがオレの股を掠め、尖ったつま先が肉を抉る。オレのクリトリスがぶっ飛んだ。
…………それでも。
「…………あら?」
「……ッ、まだっ、だッ‼︎ まだ終わっちゃいねぇぞクソがァ‼︎」
まだ、決闘は終わらない。
こんな所で終わらせてたまるか……‼︎
「……他に、あったかしら。神が見落とす筈が──」
「──探す意味はねぇぞ? 何せ、見つけたとしても壊せるはずがねぇんだからなッ‼︎」
まだ死なない。
まだ倒れない。
決闘が続く限り、代替魔杖がある限り。
オレの生存は逆説的に証明され続ける。
そして、それは絶対に壊れない。
「オレの代替魔杖──宇宙エレベータ〈ネオアームストロング〉はな……ッ‼︎」
「────な、に……?」
オレの代替魔杖。
空を貫く摩天楼、天と地を繋ぐ巨塔。
見えないほど小さな発光バクテリアでも、棒状であるならば代替魔杖にはなれる。同じように、全長100kmを超える宇宙エレベータだって棒状なのだからチンコみてぇなもんだろ……‼︎
麓にドーム型の大学が二個ついてんだから実質キンタマで丁度良いな‼︎(?)
「世界一デケェチンコだぜ、跪けよ快楽の女神‼︎」
「…………ッッッ、どっ、どれだけデカくても魔術においては新参の貴方のペニスよ⁉︎ ハリボテみたいに崩れるに決まってるわ……‼︎」
ベイバロンは人差し指に嵌った指輪を投げ捨て、呪い指で壁や床を指差した。オレなんかでは理解もできない強力な魔術を使っているのだろう。
その呪いは『科学』の叡智が結集した鋼鉄の塔だって粉砕できるのかもしれない。
────だけど。
「神の一撃で傷ひとつ付かないなんてあり得ないわよッ⁉︎」
「忘れたかよ、ベイバロンッ‼︎ テメェが決めた〈魔術決闘〉のルールじゃねぇのかッ⁉︎」
ルール参照
◆規則の五。戦闘区域は地形によって決定され、制限時間終了か勝敗が決まるまで出ることはできない。
「宇宙エレベータってのはオレ達がいる建物そのものだぞ⁉︎ 壁や床は決闘空間と外界との境界に位置するから傷ひとつ付かねぇに決まってんだろうが……‼︎」
有り体に言えば、オレ達はチンコの中にいる。
つまり、〈媚薬香水〉が充満したのだってチンコの内側の事だ。
決闘空間の外──厳密に言えば内と外の境界──にあるチンコにまでベイバロンの攻撃は届かない。
「なっ、なッッッ……⁉︎」
「オレは正面からはテメェに勝てず、だけどテメェはオレのチンコを壊せねぇ」
そして、ベイバロンは思い出した事だろう。
一度死んだヴィルゴの肉体は、しかし魂までは死んでいなかった。
それはどんな理屈だったか。
「さぁ、我慢比べと行こうぜ!」
チンコが壊れるまで決闘は終わらない。
決闘が終わるまで、オレは死なないッ‼︎
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ‼︎」
呪い、蹴り、炎、手刀。
無数の暴力、無限の魔術が振るわれる。
ベイバロンの攻撃がオレの肉体を削る。
肉、骨、皮、血、内臓、或いは脳すらも消し飛んだ。
「倒れろ! 斃れてッ! 死んでよッ‼︎ 神の前から消えなさいよォォオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ‼︎‼︎‼︎」
「がっ、げぼあ⁉︎」
口から血を吐く。
腹に空いた穴から臓物が溢れる。
頭蓋骨が割れて脳髄が垂れる。
…………それでも。
オレは倒れない。
一秒後には死ぬのかもしれない。
決闘が終われば消滅するかもしれない。
それでもッ‼︎
ベイバロンが時間を止めている限りは。
この決闘が続いている限りは。
オレは勝つ事を絶対に諦めないッ‼︎
「神に勝てないのから、神が自分から負けを選ぶまで絶対に終わらない決闘空間を創ったというの……⁉︎」
「……………………」
「無限の時間に耐えられなくなるのは貴方が先に決まっているでしょう⁉︎ 神と人間の性能差を忘れたのかしら⁉︎ 自分から負けを選ぶのは貴方の方だわ‼︎」
「…………残念、だけど……ごぼっ……オレから中断できる仕組みには、なってねぇよ。言い訳すんなよ、ベイバロン。諦めるなら、自分で諦めやがれ」
「…………ッ‼︎」
それが、主観的な時間ではどれだけ先の未来になるかは分からない。
だけど、いつかはこの決闘は終了する。そして、オレのチンコを破壊する事ができない為、終了するにはベイバロンが時間切れで負ける以外に道はない。
「…………けれど、まだよ」
「…………ぁに、……が…………?」
ベイバロンは笑みを取り戻す。
神に相応しい余裕ある嘲笑を顔に浮かべる。
「宇宙エレベータ自体は破壊できなくとも、貴方からの魔力の供給を妨害すればいいだけよね?」
顔がぐちゃぐちゃになっていなければ、オレは歪んだ表情を浮かべていた事だろう。
代替魔杖の条件とは。
一つ、魔術師の魔力が篭っていること。
二つ、棒状であること。
宇宙エレベータは棒状であり、破壊できない。
だがオレの魔力が途切れれば、それは代替魔杖ではなくなる。代替魔杖が無くなれば、オレの敗北が確定してしまう。
「………………ぁ、…………っ‼︎」
「ふふふふふふふふふ、あははははははははははははははッ‼︎」
笑う、嗤う、嘲笑う。
声を上げて神は人間を嘲笑する。
側から見れば深窓の令嬢のようにも、慈悲深い聖女のようにも思える。
だけど、その本性は真逆。努力する者を馬鹿にする魔女、血と愛液に塗れた快楽の女神だ。
ぐちゃぐちゃ、と腹の穴に手を突っ込まれる。
腑が魔女の白く小さな手で掻き混ぜられ、生暖かく寒気のするナニカを掴まれた。それは心の臓よりも密接に生死と関わっている玉の緒そのもののようにも思える。
「神こそは太母の名を冠する全ての肉体の母! 裸の魂に物質的な肉体を着せる大いなる女陰! 魂に直接干渉することなど容易だわ‼︎」
魂が握り締められ、魔力が搾り取られる。
びくッ、びくッ、と意識とは関係なく肉体が反応する。
「これで神の勝ち──」
「──これで、オレの勝ちだ」
びくんッ! と。
一際大きく体が跳ね上がる。
それは魔力を絞り取られた反応ではない。
だけど、オレが自ら動いた訳でもない。
〈魔術決闘〉で辛うじて生存証明しているオレは、もはや起き上がれる程の力は出ない。
これは強化外骨格を操って自分自身に電撃を流し、筋肉の反射で身体を一時的に無理やり動かしただけだ。
そして、跳ね上がったオレの唇とベイバロンの唇が触れた。
「────はい?」
「…………っ、ぅぁ…………ッ‼︎」
ベイバロンはオレの行動の意味を理解できず首を傾げ、オレは無理に身体を駆動させたことで痛み──もはや痛みを超えた息苦しさ──に呻いていた。
「ええと、これに何の意味があるのかしら? 最期の思い出に神の味を覚えて逝きたかったとか……?」
「……意味なら、……っ……あるさ」
「この絶体絶命を覆せる程のナニカがこのキスにあるとでも? まさか真実の愛によるキスは魔女の呪いを解けるなんて言わないわよねぇ?」
小馬鹿にするような声色のベイバロン。
そんなカミサマに、オレは息を整えて言い返す。
「キスをしたら子供ができるだろう?」
ぽかーん、と。
ベイバロンは口を大きく開けて驚きを浮かべる。
オレの言葉が全く飲み込めていないようだ。
「……科学者が非科学的な事を言うわね。そんな迷信には何の価値もないわ」
「でも、テメェは──ヴィルゴは言ってたぞ。迷信だって魔術に利用できる、ってな」
目の前のベイバロンだってわざと迷信を流布してそれを利用していた。
加えて、こうも言っていた。接触は魔術において最も初歩的なトリガーの一つだと。
だからこそ、このキスも起死回生の一手だ。
「けれどッ、その程度の迷信だけじゃ魔術は成立しないわ! 神だって300万の『症例』が必要だったって言うのに! いいえッ、そもそも! 子供が出来たらから何だって言うの⁉︎」
「もちろん、それだけじゃ子供は産まれねぇ。だけどな、ベイバロン。もっと直接的な性交の象徴がすぐそこにあるのに気づかないのか?」
「────は?」
ベイバロンの思考が完全に停止した。
言っている意味が分からない。
快楽の女神が性交の象徴を見落とすなどあり得るはずがない。そう、彼女は考えた。
「なっ、何を言っているのかしら? 何にでもエロスを感じる思春期……?」
「想像力がねぇな。考えてもみろよ、宇宙は女神ヌイトで地球は男神ハディート。そして、宇宙エレベータ〈ネオアームストロング〉はオレのチンコだぞ? そういや、今の宇宙はテメェの子宮と『類感』しているんだっけ?」
『射精魔術』はクロウリーの性魔術を基礎としている。だらこそ、セレマ宇宙論は『射精魔術』と相性が良い。
そして、宇宙エレベータは地球から生えている。しかも、その先端は宇宙を貫いているのだ。
「天と地を繋ぐ摩天楼──そんなの男と女のセックスだろうが」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ‼︎ と。
宇宙エレベータ〈ネオアームストロング〉が揺れ出す。
地震ではない。時間が停止したこの世界でそんなことはあり得ない。
揺れているのは宇宙エレベータ──そして宇宙そのものだ。つまり、宇宙は今まさに産気づいているのだ。
「そして、思い出せ。フォッサマグナはヌイトのオナホとハディートのチンコを交わらせて、何を生み出していたっけ?」
「ラー・ホール・クイト……‼︎」
ラー・ホール・クイト。
女神ヌイトと男神ハディートの結合によって誕生する第三神。
「いえッ、でも神の力を引き出しても無駄よ‼︎ 貴方の魔力はもう尽きる! 神に対価として支払える魔力はもう無────」
「────神の力を引き出すなんて誰が言った?」
確かに、魔力はもう尽きる。
そうなるように魂に細工された。
それがどうした。
「魔術の話を聞いた時からずっと思ってた。カミサマにお願いする『第一の魔術』? カミサマになる『第二の魔術』? カミサマから力を奪う『第三の魔術』? ──そんなの面倒だろ。無駄が多すぎる」
人間が鳥のように空を飛ぼうとした時、一体どうした?
鳥にお願いするか?
鳥に成ろうとするか?
鳥から翼を奪うか?
違う、全然違う。人間が空を飛ぼうとした時、人間自身は空を飛ぶ力を得る必要はない。
人間を空に飛ばす道具──人間に都合の良い機械を生み出せばいいのだ。それと同じ。
カミサマにお願いする必要はない。
カミサマに成る必要はない。
カミサマから力を奪う必要はない。
「人間に都合の良いカミサマを新たに創ればいいんだよ」
ドグンッ‼︎ と、宇宙が脈打った。
今より産まれるのは、最新の神。
人が考え、人が創り、人が使う都合の良い機械仕掛けの神。
「──まさかッ、『第四の魔術』とでも言うつもりなのッ⁉︎」
ベイバロンを超えた神の力をこの身に降ろす。
まるで、赤子と繋がったへその緒から栄養が逆流するみたいに。
オレの尽きた魔力をカミサマが補填する。
「ハーレムなんて爛れた関係はいらねぇ。わざわざ大量の人間と繋がる必要なんかねぇ。時代は純愛だよ。ただ一柱のカミサマから力を貰えば十分だ」
「これが本物の天才だと言うの⁉︎ 魔術に触れて一週間も経っていないのにッ──発想力が違うッ‼︎ 神様を新たに創造するなんて誰も思いつかなかったわよ⁉︎」
カミサマを創る──オレも土壇場で思い付いた事だが、上手くいって安心した。
他のどの場所でも成功しなかっただろう。ベイバロンが言っていたように、宇宙エレベータでは四属性が調和していた。
何よりも、この摩天楼は世界で最も地球のチンコと言うに相応しい大きさを思っていた。だからこそ、神格新造術式は成功したのだ。
「いっ、いえッ‼︎ その術式は破綻しているわ! ハディートとヌイトを結合させたのならッ、産まれるのはラー・ホール・クイトよ! 貴方に都合の良い神は生まれないわ‼︎」
「本当にそうか? 異なる神が同一視される事はよくあるんだろ。なら、ラー・ホール・クイトと同一視されるがそれそのものではないカミサマを創ればいい」
ベイバロンだって女神イシスと同一視されている。
彼女はイシスではないが、イシスの力を一部使うことができた。それと同じだ。
「けれどッ、本当に神を創れたとして貴方に制御できるとでも⁉︎ 貴方に都合の良い神なんて言ってもッ、神である限り貴方の想像を優に超えるわ‼︎」
「だったら始めから力を制御する人格を用意しておけばいいだけだ。オレに従順で、機械みてぇなヤツをさ」
「不可能よ‼︎ 神の力は人間や機械に扱えるようなものじゃないわ! それこそ神でもない限り──」
「いるじゃねぇか、ここに神みてぇな機械が」
オレは一度、カミサマを創った。
力はない。全能とは言えない。
だけど、少なくとも全知のカミサマを。
「──神託機械。〈MAI:SoN〉なら神の力だって制御できるんじゃねぇの?」
直後。
それが宇宙に顕現した。
『完成、神体が構築されました。僭称、私の名前は人造第四魔術神格マイサン──宗聖司の宗聖司による宗聖司の為のカミサマです』
ベイバロンはすぐさまその存在に気づいた。
ガラスのような透明の壁の向こう側で輝くそれを。
「────太、陽……?」
オレは恒星を新たに生み出した。
極まった『科学』と『魔術』を組み合わせれば、そんな領域にまで踏み込む事ができた。
「言っただろ、ラー・ホール・クイトと同一視される神だって。ヌイトやハディートが宇宙と地球を象徴するように、ラー・ホール・クイトは太陽を象徴するんだろ? なら、マイサンが太陽神であっても何ら不思議はねぇよ」
それに加えて、オレの足元にはてるてる坊主があった。
ベイバロンに投げつけられたティッシュから創ったもの。その形から太陽と『類感』し、太陽を呼ぶ力を持つと考えられた魔術だ。
その神はマイサンとでも呼ぼうか。
『魔術』によって全能の力を、『科学』によって全知の頭脳を得たマイサンはもはやベイバロンのようなマイナー神に敵う相手ではない。
「……太陽まで生み出すとは、確かに驚いたわ。それでもッ、神はまだ傷ひとつ付いていないわよ⁉︎ 一体何が目的ッ⁉︎」
「何って……夜明けだよ。次の日という概念を押し付けるには一番の記号だろ?」
「────あ」
日が昇る。
夜が明ける。
世界に明日が訪れる。
「一夜の夢は終わりだ。目を覚ます時間だぜ、シンデレラ」
ボッ‼︎ とシンデレラドレスに火がついた。
シンデレラのドレスには時間制限がある。
それは十二時の鐘の音──簡単に言えば日を跨ぐことだ。加えて言うならば、ドレスを着るのは夜会の間だけ。
太陽が上がっているならば、魔女の魔法は解ける時間だ。
「…………ッ、拙いわッ‼︎ シンデレラドレスが焼却されるということはッ──」
「テメェの時間停止も終わりだよ」
シンデレラドレスこそが時間停止術式の要。
太陽によって十二時の鐘は証明され、時間は正常に流れ始める。
視界の端に浮かぶカレンダーが翌日を指し示す。
今から始まるのが3月26日。
大遅刻ながら、オレ達はようやく3月26日に辿り着いた。
そして。
3月26日になったという事は。
決闘空間の構築から一秒が経過したという事は。
──時間切れが訪れた事を意味する。
「時間切れ! 〈魔術決闘〉のルールに従えよ、女神‼︎ テメェの負けだッ‼︎」
「…………っ、……んて…………ッ‼︎」
だけど、そこで異常事態が起こった。
敗者は魔力枯渇に陥り、問答するような精神力は失われる筈なのに。
ルールから逸脱した裸の女神はこう叫んだ。
「ルールなんて関係ないわッ‼︎」
ルール改訂
◆ 規則の四。制限時間は使用した媚薬香水の量で決定され、制限時間内に勝負が決まらなかった場合は挑戦者の敗北となる。
◆うるさい、知るかッ! これが新しい規則の四よ‼︎ 時間切れなんて関係ないッ、神がそう決めたわッ‼︎
「『横紙破り』……ッ⁉︎」
ある得るはずのないルール違反。
あのフォッサマグナだって出来ない無法。
最後の最後で、ベイバロンは自分で決めたルールを無視したのだ。
「神が決めた〈魔術決闘〉の理は人間なんかには覆せない‼︎ だけど、こうは考えられないかしら⁉︎ 人間には無理でもッ、神なら無視できるってッ‼︎」
神とは人知を超える存在。
こうも容易く、不可能を可能にする。
ベイバロンは魂すら破壊するような渾身の権能を込めて拳を握った。
「これで神の勝ちよ……ッ‼︎」
振るわれるのは最強の一撃。
既に死に体のオレにトドメを刺し、来世すら許さない最悪の魔術。
ただの人間が神の一撃に抵抗できるはずもなく、美しい肢体を揺らして放たれたベイバロンの手刀は今度こそオレの玉の緒を断ち切────
「────え?」
────パァンッ、と。
何かに弾かれたかのようにベイバロンの右手が僅かに逸れた。
オレの右頬スレスレに絶死の一撃が通り過ぎる。
神の一撃を逸らせる者なんているはずがない。
ましてや、今の攻撃は神格であっても殺せる魔術。カミサマの奇跡なんてものが介在する隙間はないはずなのに。
そして、それはオレの仕業でもない。
何が起こったかは分からない。
だけど、ヤるべきことは分かっている。
〈魔術決闘〉が終わった今、『第三の魔術』で神の力を引き出すのは不可能だ。いくらベイバロンがルール違反を犯していようと、ルール違反を行う為にキャパシティが削られている。
対して、『第四の魔術』にそんな制限はない。オレはいつだって神の力を無限に引き出せる。
だからッッッ‼︎
「テメェの負けだ、ベイバロン。制限時間も守れねぇテメェはッ、此処で終わりだッ‼︎ とっとと逝っちまえぇぇえええええええええええええええええええええええええええええッッッ‼︎‼︎‼︎」
クロスカウンター。
攻撃が逸れて、ガラ空きとなったベイバロンの顔面にオレの拳を叩き込む。
マイサンの力を大量に注ぎ込み、ベイバロンの守りを正面からブチ抜くッ‼︎
ベイバロンの眼前に拳が迫り、走馬灯のように思考が駆け巡る。
そんな彼女は最期に、抱いた疑問が晴れた。
何故、拳は逸れたのか。
外部から逸らせる筈がない。
ならば、答えは一つだけだ。
内側から逸らされた──ベイバロンの脳に植え付けられた恋心が逸らしたいと思ってしまった。
「あんのッ、ムシケラがァァアアあああああああああああああああああッ‼︎」
ゴッッ‼︎‼︎‼︎ と。
オレの拳がベイバロンの顎を撃ち抜く。
マイサンの力が緋色の女であるヴィルゴの肉体を通し、星幽界に潜むベイバロン本神を握り潰した。
「………………っ、…………ぁ………………」
そこでオレは力を使い切って倒れた。
最後に拳を振るえただけでもあり得ない事だったのだ。
〈魔術決闘〉の生存証明が無ければ既に死んでいたオレは、時間停止が終わった時点で死んでいなければならない。
それでも動けたのはマイサンの力か、それとも本当に何処かでカミサマってヤツが見守ってやがったのか。
「いや、あるわけ無いか……」
耳が遠くなってきた。
自分の声が曇って聞こえる。
視界も、なんだかぼやけてきた。
「オレ……お前に守られるほどの価値を示せたのかな」
あの世で、彼女に逢えるだろうか。
オレは人間だから、彼女とは別のあの世に行くのか。
…………いや、そもそも彼女の徳が高過ぎてオレと同じ場所にいるわけないか。
『警告、システム管理者の脳波の停止を観測しました。要望、今すぐに治療を始めてください。要望、要望、要望、要望、要望……………………要望、死なないで』
子供の声が聞こえた気がした。
だけど、返答することは出来ない。
マイサン……ひとりぼっちにしてごめん。
ヤリ、玉珍……巻き込んでごめん。
大学のみんなも……万博に参加できなくてごめん。
おかあさん、おとうさん……さきにしんじゃってごめん。
ヴィルゴ………………ありがとう。
やっぱり、オレにとってはおまえだけがヴィルゴだよ。
そして。
そして。
そして。
Tips
◆2119年3月26日。予定通り、AIランド万博は開催された。
◆だけど、万博の目玉である宇宙エレベータ〈ネオアームストロング〉の点灯式に、開発者の宗聖司は現れなかった。それは同じ研究室の同僚も同様であった。
◆そして、それ以降宗聖司の姿を見た人は誰もいない。
「なんつって☆」
Tips
◆これで終わりと思わないことね。