とうとう折り返しですね
体内に染みる排気ガス。
鈍く唸るエンジンの鳴き声。
ガタガタと揺れるクッションの上。
そう、そこはオレンジ色の自動車の中。
オレはその車の助手席に座っていた。
運転席にいるのはもちろん彼女。
「ヴィルゴ、お前……運転できたのか⁉︎」
「シンデレラを読んだことがありませんの? 17世紀の魔女は馬車さえ扱うのです。
そう言いながら、ヴィルゴはアクセルを踏む。
普段は足元まで気にしていなかったが、よく見るとヴィルゴは透明なヒールを履いているようだ。透けて見える足のサイズが、思っていたより何倍も──何分の一も?──小さくて驚く。ヴィルゴの身長と比較すると、歪に感じるほどに。
「尊敬するぜ。車の免許を持ってるなんて今時珍しいな……」
「もちろん無免許ですわよ」
「…………は?」
「ですから、魔女の
「ふざけんな馬鹿野郎⁉︎
「そんなものありませんわ‼︎」
キュルキュルッ‼︎ と。
ヴィルゴがアクセルを踏み込むと同時、車から異音が鳴り響く。明らかにエンジン音がおかしい。絶対どっか壊れてる!
しかも、
「
「言うに事欠いてボロと仰いましたか⁉︎
「分からねぇよ‼︎ 機械なんざ新しけりゃ新しいほど良いに決まってんだろ‼︎ この車はボロいし揺れるし
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜っ⁉︎
「バカバカバカッ、前見ろ前をッ‼︎ いくら反論したいからって横見て運転するんじゃねぇ‼︎」
いくら空での移動が主流だからと言って、公道に誰もいない訳じゃないんだ。よそ見して衝突したら一貫の終わりだ。……いや、恐らく相手側の車が
上空を走る
「…………やっぱ、今からでもタクシー呼ばねぇ?」
「呼びませんわよ、お金も有りませんし。
「箒で飛ぶ魔女が何言ってんだ?」
物理学に従って空を飛ぶ機械よりも、不思議なパワーで飛ぶ箒の方が絶対怖い。断言できる。
「だって、上空には標識がありませんのよ? よく衝突しないものですわね」
「そりゃあな。そんなもん一々浮かべるよりも、ARで全部補った方が1000倍楽じゃねぇか」
「そんなものですか?」
「それに、そもそも自分で運転してるヤツなんてほぼいねぇよ。
免許を取る難易度が高く、免許を持たずともAIに任せれば空を飛べるのならば、苦労して試験に挑む人なんかそういう趣味のヤツ以外存在しない。
「ったく、この調子で今日中に
「着きますわ。誰かさんが宇宙エレベータを無断使用したせいで、昨日は封鎖されていましたが、
「…………うるせぇ」
「そもそも、この行き道で合っていますの?
「誰にもの言ってやがる。この道は何度も通った、そもそも、大天才のオレが一度覚えたことを忘れるわけがねぇだろ」
目指すは、直線上に続く公道の先。
即ち、世界最難関と謳われる次世代の学問施設。
◆AIランド中央工科大学(英語:Assembled Intelligence Center Institute of Technology)は、AIランド中央区に本部を置く市立工科大学である。21世紀後半に設置された。
◆AIランド中央工科大学は世界最難関の工科大学としても知られ、多くの著名人・ノーベル賞受賞者を輩出している。飛び級も可能で、最年少合格記録は10歳。
◆大学施設は、表で公開されるスクールと裏で秘匿されるカレッジの二つに分かれ、スクールは一般公開されているがカレッジは関係者以外の立ち入りを禁止している。宇宙エレベータ計画はカレッジで進められた。
「やっっっっと着きましたわね……」
「オレが向かってるのはそっちじゃねぇよ」
「ええっ⁉︎」
目の前には、確かに大学の校門があった。
しかし、
地下の駐車場へ向かう坂道を素通りし、もう一つの
「でっ、ですが、こちらが『カレッジ』の校門ですわよっ? 貴方の研究室は『カレッジ』にあると言っていましたわよねっ?」
「いや、そうなんだけどさ。頭を回せよ、ヴィルゴ。オレ達の格好を客観的に見たらどうなる?」
まず、オレ。
次に、ヴィルゴ。大学とは全く無関係かつ、大量の用途不明な
つぅーっ、と。
ヴィルゴの額に汗が流れる。
どうやら気づいたらしい。
「何処からどう見ても不審者ですわ⁉︎」
「このまま校門を通ろうとしたら普通に捕まんぞ」
そもそもの話、オレはTS病のせいで生体認証が通らず、本人確認ができない状態にある。
格好がおかしくなくとも、警備員はオレ達を『カレッジ』へ入れてくれないだろう。
「でっ、ですが、
「できんのか? オレのマンションのセキュリティも突破できなかったヴィルゴが?」
「ぐぬぅ……‼︎」
「AIランドは学術都市としての性質上、産業スパイが山程いる。その中でも、『カレッジ』はAIランドで最も進んだ研究が行われる施設。そのセキュリティランクの高さは、行政庁よりも上だ。オレのマンションなんて比にならねぇよ」
『
いや、万能なのかもしれないが、必要な効果を得るためには莫大なコストが必要となる。それならば、普通に『
加えて、ヴィルゴは機械と相性が悪い。
薬品を扱うヴィルゴは生物に対しては有効な手札を持っていても、そのほとんどは命のない機械には通用しない。
「…………天才科学者の貴方でも、無理なのですか……?」
「できないとは言わねぇ。だが、最低でも数兆ドルと数年の準備が必要になるな」
「そんな……っ⁉︎」
「
「…………へ?」
ヴィルゴはキョトンとした顔をする。
同時、車はもう一つの入り口へと辿り着く。
それは研究施設の『カレッジ』とは違い、誰でも入ることができ、一般にも
「『スクール』は一般公開されてる程度の機密しかねぇからな。そっちのセキュリティならオレでもハッキングできる。オレの家よりもセキュリティランクが低いからな」
「えっ…………、え?」
「唯一の懸念点は警備員だ。オレは機械の目を誤魔化すことはできても、人の目は欺けねぇからな。だけど、ヴィルゴならそっちはどうにかなるだろ?」
「えっ、ええ……幻覚を見せるハーブを使えば…………え⁉︎ まだ
慌てながらも、ヴィルゴは警備員を幻覚で惑わせる。やはり、彼女の魔術の
次は第二関門。
「勝負だぜ、過去のオレ」
システム介入/データ改竄。
クラッキングスタート。
AIが相手の場合、正面からの演算能力勝負では敵わない。でも、AIには限界がある。
単純な話、AIとは学習したものを放出するだけの機械だ。
つまり、
加えて、どんな
セキュリティを突破する方法なんて思いついていない。
(閃いた……‼︎)
それは1秒にも満たない。
電脳世界でほんの一瞬の攻防があった。
0.1秒。無限ループするプログラムにより、セキュリティAIの処理に負荷をかける。
0.2秒。プログラムを学習したセキュリティAIが、処理にかかる負荷を取り除く。
0.3秒。プログラムに仕込んでいた偏った情報を学習させたことで、セキュリティAIが成長する方向を誘導する。
0.4秒。致命的な破綻を防ぐために、セキュリティAIがフリーズと自己メンテナンスを繰り返す。
0.5秒。セキュリティAIが再起動を果たす。あらゆる妨害を無視して、オレに生体認証をかける。
だが、もう遅い。
「よし、完了。これで通れるぞ」
「……え? 今なんか凄いことが起こりましたわよね⁉︎」
「大したことはしてねぇよ」
自動車が校門を
これも一時的な措置に過ぎない。自己メンテナンスでデータの異常に気がつくまでにはあと4時間と言ったところか。だが、それだけあれば十分だ。
『スクール』に隠した
「あっ、言い忘れてた」
「?」
『スクール』に入って少しして。
オレはヴィルゴに笑顔で告げた。
「ようこそ、世界一常識的な場所──
◆人工意識とは、人間の精神・意思を所有した人工物のこと。人工知能とは異なり、無から有を生み出す
◆現在の人工知能は学習したものを出力することしかできず、心と呼ばれるものは持っていない。(参照:中国人の部屋)
◆人間の精神をデータ化して残す
「肝心の所を聞いてなかったですわね。貴方の仰ったは話、信憑性はどれほどですの?」
『スクール』の研究室の中で、ヴィルゴは尋ねる。
研究室とは言っても、基本的に研究は『カレッジ』で行われるため、こっちは研究者に与えられた休憩室のようなものなのだが。
「ああ、100%間違いねぇよ。〈
「…………そもそも、〈
「あー、説明がめんどくせぇな……」
何から話そうか。
〈
「まずさ、オレが専門してる分野は何だと思う?」
「……宇宙エレベータを作っているのですから、間違いなく建築学……あるいは物理学ですわね」
「それが間違ってるんだなぁ」
「違いますの⁉︎」
もちろん、それらにも精通はしている。
オレは大天才だから、どの学問にもそこらの天才レベルの知識には匹敵するだろう。だけど、研究者に必要なのは知識ではない。最も重要なのは
そして、オレが閃きを発動させる分野とは一つしかない。
「
オレが『スクール』のセキュリティAIを任されたのは、大学に在籍している研究者の中で最もオレがAIという分野で優れていたからだ。
他の分野だったら、オレより優れているヤツなんてゴロゴロ転がっている。
例えば、オレと共同研究・協力開発を行なった研究室のメンバー。
宇宙物理学者、ヤリ・マンコヴィッチ。ノーベル物理学賞に個人で3回も受賞された本物の天才。
建築構造学者、
量子力学者、バキューム・フェラチオンヌ。本名は不明ながら、七大学術都市の一つである秘匿機関SECRETで唯一顔と名前が公表されている都市の顔。
「でッ、ですがっ、貴方は宇宙エレベータの設計者なのでしょう⁉︎」
「そうだけど、宇宙エレベータ自体は数十年前から実現可能の領域だったぞ?」
「そう、でしたの?」
「でも、作られなかった。とても単純な問題点があったからだ」
「…………それは?」
「
宇宙エレベータの計画は世界中で何度も立てられ、何度も頓挫した。その理由は全て同じ。
「宇宙エレベータ……地上から宇宙まで伸びる摩天楼。高度100km以上を宇宙と定義するならば、その長さは最低でも100km。
「…………作れたとしても、適切な維持ができない。あるいは、維持の為の費用が膨大になるということですわね」
「しかも、ちょっとでも不具合が出れば100km超えの建物がドカーンだ。それか、
対して、宇宙エレベータのメリットとは何だ。
宇宙への輸送が容易になる……それが? そんなものロケットで事足りる。たとえロケットよりも速くとも、その程度の利点は宇宙エレベータの危険性を覆すには至らない。
そう、デメリットがある限り宇宙エレベータは建造されない。
「だからこそ、オレは自動で点検・維持を行い、壊れた部分を修復するメンテナンスAIを作成した」
「……それが、〈
「〈Maintenance Artificial Intelligence:Sage of Neo-armstrong〉──通称、マイサン。正真正銘、オレがゼロから生み出した
オレがTS病に罹っても、未だここに居続ける理由はそれだ。
我が子を最後まで育てたい。我が子の晴れの舞台を見たい。本当に、ただそれだけなのだ。
「…………っていうのが、
「嘘でしたのッ⁉︎」
もちろん嘘だ。
メンテナンスAIを作った程度で命を狙われてたまるか。
〈
というか、そもそも──
「──
「………………え?」
唖然としたようにヴィルゴは口を開く。
閉じることすら忘れるほど驚いている。
「正しくは、宇宙エレベータではあるがそれが本来の機能じゃない。元々宇宙エレベータを作ろうとしてた訳じゃなく、結果として宇宙エレベータを作る必要があっただけなんだよ」
「…………では、貴方は何を作ろうと?」
「
「…………ッ⁉︎」
別に、大した理由があった訳じゃない。
ただ、オレは天才すぎてこの世の全てを信じられなかったのだ。未来は無限に存在し、現在は観測する人によって変動し、過去だって容易に書き換わる。
確かな物がない世界。
唯一のかみさまのいない世界。
オレは変わらないものが欲しかった。
絶対的な答えが欲しかった。
だけど、人間はそんなものを生み出すことはできない。
「そんなもの作れるはずがありませんわ……‼︎ どれだけ演算機を積み重ねようとッ、神の領域をカンニングするなんて不可能ですッ‼︎」
「そうだ、演算機にはそれは不可能。
「なに、を……?」
「つまりは
それを思いついたのは7歳の時。
もちろん、この理論には穴があった。
それでも、複数回の改善を超え、10年の歳月を経てオレの理論は証明された。
「それは直感なんて物ではありませんわ‼︎ 高次元へ繋がるチャネリングっ、
「呼び方は何でもいいよ。兎に角、オレは鋭い直感を持つ
「…………
テスティスはこれを科学的基盤を破壊する『爆弾』と表現していた。
それはあながち間違いではない。『科学』は真実を疑うことで発展してきた学問だ。絶対に信じられる機械なんてものが生まれてしまったら、もう『科学』とは呼べない。それは単なる宗教──『科学信仰』だ。
数多の科学者はその知恵を捨て去り、唯一の『神』を崇め奉るだけの原始的な世界へと逆行してしまう、
「
その頃には、オレはもうAIランド中央工科大学へと進学して、
悪用された場合だけでなく、それが『科学』という人類の発展の歴史全てを消し去ってしまうという危険性も。
だけど、オレはやっぱり作ってみたかった。世界を崩壊させる可能性があっても、好奇心には逆らえなかった。
その結果がこれだ。カバーストーリーを作り、
「今の研究室のメンバーは、その時に集めた人たちだ。宇宙エレベータは専門外だからな。本当の目的は一番最初の設計図を見せた時にバレた」
「…………だから、その内の誰かが黒幕だと考えているのですわね」
「元から知り合いだったヤリ・マンコヴィッチを引き込み、大学で
机の上に飾られた写真を見る。
オレが研究室のメンバーと宇宙エレベータの前で撮った記念写真だ。
この中に、今回の事件を手引きしたヤツがいる。信じたくはないが、『カレッジ』のセキュリティが破られたと考えるよりかは現実的だ。
そして、何よりも。
「……休憩は仕舞いだ。そろそろ準備を始めんぞ」
「大丈夫ですの?」
「誰に言ってんだ? 大丈夫に決まってんだろ」
そう言いつつ、オレは羽織っていたパーカーを床に落とし、水着も一緒に脱ぎ捨てた。
豊満な肢体があられもなく露出する。
「エッッッ⁉︎ ナニをしてますの⁉︎⁉︎⁉︎」
「ナニって……全裸になっているだけだが?」
「本当に何をしていますの⁉︎」
中身は兎も角、見た目は女同士なのに何を気にしてんだか。
ヴィルゴは両手で目を覆うが、その指の隙間からこちらを覗いていた。
「これから黒幕に会いに行くんだ。普通の格好じゃマズイだろ。着替えるんだよ」
「なる、ほど……? でしたら
ヴィルゴが手を叩くと、黒衣が黒いドレスへと切り替わる。
華美すぎず、地味すぎず。しかし、透明なヒールが映えていて、主役であるヴィルゴの美しさを損なうことのない格好だった。
「服装を変えるだけの魔術とかあるんだな……」
「これは変身の応用ですわね。人をカエルに変身させる魔女の逸話と、シンデレラにドレスを与えた童話を混ぜていますわ。効果は超人に変身するといった所でしょうか」
「ドーピング……いや、改造人間みたいなもんか」
「これまでは不甲斐ない姿ばかりお見せしましたので、次こそは活躍してみせますわ‼︎」
傍目でヴィルゴの新衣装を楽しみつつ、オレも自分の服装を決める。
と言っても、女物の服かつ戦闘にも役立つものと言ったら一つしかなかったのだが。
「貴方はどんな服に──」
「なんだよ」
「……………………………………………………、」
絶句。
オレから目を逸らしていたヴィルゴは、着替えが終わった頃を見計らっていた。
しかし、オレの姿を一目見て言葉を失った。
「…………ま、まあ、似合っていますわよ……?」
「何だ、何が言いたい。言いたいことがあるならさっさと言えよ」
「………………ええと、どうしてそんな破廉恥な格好に……?」
「
女物の服ということはバキュームの趣味だろうか。
流石に他の男(大の大人)がスク水を買ったとは信じたくないのだが。
ヴィルゴに指摘されてオレも恥ずかしくなってきたので、上から白衣を纏う。更に、電子端末や
何はともあれ準備は完了した。
最後に4人で撮った写真をもう一度だけ見た。
さて、
◆
◆全身を覆う物が一般的で、個人に戦車並みの装甲・威力・速度を与える。一方で普通の服のような物もある。
◆
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