涼しい夜風が頬を撫でる。青鮮やかな夜空の下で、スイープは魔法の練習をしていた。
「トゥインクル・トゥインクル! 『月の魔力よ、アタシの脚に集いなさい』!」
今日は満月。ターフには月光が差し込んでいて明るかった。
「ふふんっ、カンッペキ! この調子なら『秋華賞』もきっとヨユーね! 『レースの魔法』だってすぐに見つかって──」
……。
(本当にヨユー?)
自分にそう問いかける。思い出すのは『オークス』、ライバルたちの言葉、走り、覚悟。
『勝つ……っ! 私が、私が──『私が』っ!!!』
『さ・せ・る・かぁぁぁぁぁあああああっ!! はぁぁぁぁぁぁぁぁあああああーっ!!』
なんて、気迫だけで勝てれば苦労はしない。結果的にスイープは勝利した。しかし、どうしても──
「……ちがう」
どうしても、このままの自分で次も勝てると確信できない。なぜなら彼女たちは『本気』だったから、次に勝つためにはどんな努力も惜しまないだろう。
「ちがうっ、ちがうっ、きっとちがう! 『秋華賞』はもっと激しいレースになるわ! だったら、アタシだってもっと──!」
第五話 『側にいる』ということ
トレーニングコースに向かうと、スイープが仁王立ちで待ち構えていた。そして本日のメニューを説明すると……
「ぬっる〜い!!!」
なんだなんだ。
「ミナセぇ!! なんなのよ、今週のメニューは!?」
「なんなのよと言われましても。気に入らないか?」
「あーーっ、ダメダメ!! ぜんっぜんダメね!!」
スイープはどこからともなくノートを取り出してミナセに見せつけた。
「ふふーん。見なさいミナセ! これが今のアタシたちに必要な『特別魔法』よ!」
「拝見します」
1、だれよりも速くなれる魔法! 太陽と夕日のパワーを浴びながら走る! 1週間みっちり続けること!
2、最強の集中力をつける魔法! 他のウマ娘たちのレースをいっぱい見て、そいつらの魔力をアタシのものにする!
「あとね! あとね……」
自分で考えたトレーニングなのだろう。自慢げに『特別魔法』を語るスイープ。かわいい……ではなく、どうしたものか。
「アタシはね、この『特別魔法』をぜーんぶやるの!」
そうだった。姫がやると言ったらやる……これは決定事項であることを思い出した。
「ほらほら、わかったらさっさと準備して。使い魔の役目でしょ」
仕方ない。やるかー……。
「アタシは絶対この魔法をやり遂げるわ! そして『秋華賞』で1着をとるの!」
意気込みは十分。
「まったく。ついに仕事まで奪われてしまった」
「暇ならアンタも走りなさい? 体力ないでしょ、アンタ」
「謹んで遠慮するが」
「遠慮するが。じゃないわよ? だいたい考えてみなさい、アンタは『正体不明のトレーナー』なんでしょ? いざって時に体力がないなんて知られたら、がっかりされちゃうじゃない」
「関係あるか……?」
「あるに決まってるじゃない。だいじょーぶ、へばったらアタシが担いでいってあげるから!」
(何がそんなに嬉しいのやら……)
『秋華賞』に向けて気合を入れ直すのだった。
目標:秋華賞
カーン‼︎
フライパンの上にいる気分だ。もっと具体的に言えば、目玉焼きを作っている時の卵の気分──上から蓋を落とされて蒸し焼き地獄。が、それも仕方ない。何せ『夏』が来た。
今年の『宝塚記念』が終わり、トレセンは『夏合宿』に突入。トレセンから専用バスに揺られること数時間、そしてスイープと言えば──
「………………今日はもう無理」
「どうしたんだ?」
「だってすっごい長い時間バスに乗ってたのよ? ずっとずっと、ぐわんぐわんゆれてて……」
ひどいバス酔いに見舞われてしまったようだ……。
「もぉぉぉぉぉ……だからバスって嫌いなのよ……!!」
それにしても立派な合宿所だ。トレセン御用達なだけあって、なかなか雰囲気がある。
そんなわけで、珍しく弱気になったスイープの荷物を部屋まで運んだのだった。
「ぅぅぅぅ〜……」
_:(´ཀ`」 ∠):
『夏合宿』。
トレセン名物の一つ。熱中症には気をつけよう!
(´∀`=)
そんでまあアホほど広い砂浜でトレーニングの毎日である。
「や〜だ〜!! スイーピーは海で遊ぶの〜!!! うーーーーーみーーーーー!!!」
出たよ。なんだか久しぶりにヤダヤダが発動した気がする。
「スイカ割りでもするか?」
「えっ! あるのっ!?」
「ある。が、夕方にみんなでやることになっている」
「アタシは今すぐやりたいの!」
「仕方ない。じゃあちょっとビーチボールでもやるか」
「えっ! あるのっ!?」
そんな感じでもので釣りつつ、休憩中だったウマ娘や他のトレーナーと一緒に遊んだり、泳いだり、走ったりする日々が続く。
ミ"ーミ"ン"ミ"ン"ミ"ン"ミ"ン"……(迫真セミの鳴き声)
夏合宿中のとある日。最高気温は実に32℃をマークした、暑い『夏』の日のこと。
(──あの日も、すっごく暑かった)
空の青は昔と変わらないままだ。
だからというわけでもないが、昔のことを思い出した。
『……えぇぇ〜? なんでこんなにお外、暑いのぉ……?』
あれは──そう、『グランマ』の家から出たときのこと。
『あっははは、お部屋はキンキンに冷えていたからねぇ。……さぁスイーピー、手をお出し』
『……? こう?』
『『Refresh shower』!』
確か──淡い柑橘類の香りだった。
『!? いい香りっ! グランマ、今のは?』
『ふっふっふ! 今お前さんにかけてあげたのは『魔法』のスプレーさ! ……ほら、気になるのは香りだけかい?』
『……! グランマ、手が涼しい! とっても涼しいわ!!』
『ヒッヒッヒ、そうだろう? 歩くとさらに冷たくなって気持ちよくなるはずさ!』
『ほんとうっ!?』
セピア色に霞む『思い出』の中でも鮮明に覚えている。
『本当だわっ、グランマ! 冷たいっ! あははっ、走ったらどうなっちゃうんだろ!』
『魔法』はいつだって鮮烈で、『退屈』とか『嫌な気分』を全て吹き飛ばして変えてくれた。
『うふふっ! グランマの『魔法』って本当にすごいのね!』
『魔法使い』に憧れたのは必然だ。それが1番『楽しくて』『ワクワク』することだったから──
『ねえねえグランマ。『レースの魔法』は今の『魔法』よりも、もっともっと素敵なの?』
『ああ、もちろんさ! あたしの1番の魔法はねぇ──』
「見ててね、グランマ。きっともうちょっとで、アタシも──」
空の色は──あの日と同じ、キャンバスに描いたみたいな鮮やかな紺碧。あの積み重なる雲を見ると、どうしてか無性にワクワクする。
スイープは一眠りしていた木陰から立ち上がった。
「そろそろ走るか?」
砂の城を作っていた水瀬がそう聞く。
「あったり前でしょ! 時間がもったいないもの!」
そしてトレーニングを再開しようとすると──
「あー、『魔女っ娘』スイープトウショウだー!」
「……?」
「本当だ〜っ、この前の『オークス』かっこよかったよー! 次の『秋華賞』がんばってね〜っ!」
一般人の女性たちだ。普通に海水浴場でもあるので、海に遊びに来ているお客さんは普通にいる。
「それ〜! 今注目の『1人』っていったら、ぜ〜ったいスイープちゃんだもんねー♪」
「ええっ、注目なさいっ! アンタたちにもアタシの『レースの魔法』をかけてあげるわっ!」
『きゃーっ、カワイイーっ!』
そうだろう。ウチのスイープはかわいいだろう──と、後方保護者面で見守っていた水瀬に今度は矛先が飛んできた。
「あ〜っ! 『正体不明の凄腕新人トレーナー』、水瀬さんだ〜! お〜い!」
とりあえず水瀬は手を振ってみた。
「かっこい〜! ねえねえ、ちょっと一緒に遊びませんか〜!?」
「イケメンさんだー! あ、あの、よければ一緒に写真とか、ダメですかー……?」
「っ、ダメ!!」
「えっ?」
「ダメったらダメ!! ぜぇ〜ったいダメ!! 帰りなさいっ!!」
女性たちは顔を見合わせると、妙にニッコリとした笑顔を作った。
「は〜い! お邪魔虫は消えちゃいま〜す! ごめんね、トレーニングの邪魔しちゃって〜!」
「応援してるよー! 頑張ってねー! それじゃ、ごゆっくり〜」
彼女たちが砂浜の向こうへ消えるまでスイープはずっとその背中を睨みつけていた……。
「ミナセぇっ!!」
「どうした」
「アンタ、さっきの態度はどーいうワケ!? デレデレしちゃって、みっともないわよっ!!」
「してない」
「しーてーたー!! ぜーったいしてたー!! もうサイアクっ!! やっぱり今日はトレーニングしない!! ぜぇーったいしないーーー!!!」
(めんどくさ……)
「あーーー!!! 今めんどくさって思ったでしょーーーっ!? アンタの考えてることなんて全部お見通しなんだからねーーーー!?」
Q. 姫はどうしてこんなに怒っているのでしょう。
A. 知らん……。
空を見上げると──あの日と同じ、湿気と熱気の匂いがした。
どうしようもなく『夏』だった。
「どこ見てんのよ!! こっち見なさい!!」
「……スイカ割りでもするか?」
「しないわよ!!!」
そしてトレーニングを終え、合宿所でゆっくりしていると……。
「ん、ミナセ。居たわねぇ……! ちょっと口開けなさい!」
「えっ、なんで……?」
「なんでってなによ! アンタはアタシの使い魔なの! ご主人さまが口を開けろって言ったら開けるの!!」
なんかよくわからんけど姫からただならぬ雰囲気を感じる。昼間の一件から不機嫌さが抜けていないらしい。
「毒とか……」
「……ふーん? そっちの方がいいんだ、ミナセは。やっぱり大きい方が好きなのね!? ホントサイテー! このヘンタイっ!」
「何の話だ」
「もうっ! ホンッッッット……ふん!!」
確かに昼間の女性たちはお肌が眩しい格好をしていたが……。
スイープは不機嫌な圧を振り撒きながら、時々チラリと水瀬の方を見ている。反応を窺っているようだ。猫っぽい……。
「スイープ」
「ふん!! ミナセの言うことなんて、ぜったい聞いてあげないんだからっ!!」
ぷいっ。
「スイープ、聞いてくれ」
「イヤです」
ついに敬語を使われてしまった。よく分からないが、こういう時は相手の目を見て話すといいらしい。水瀬は視線の高さを合わせると、スイープがそっぽを向かないように両肩を掴む。ガシッ、と──
「ぅえっ、ぇぇぇぇえええっ!? みっ、ミナセ……っ!? な、なななななななにっ!? なになになににゃにっ!?」
「よく聞いてくれ。僕は君の『使い魔』だ」
「そそそそそそりゃそうでしょっ!? こ、こんな場所でっ、だ、誰かに見られたらっ!」
「他人は関係ない。いいか? 君が何を『誤解』しているかは知らないが、少しは『使い魔』を『信じて』くれ」
「わ、わわ分かったっ! 分かったわよ、分かったからっ──」
「本当か? 目を見て言ってくれ」
「〜〜〜っ、しっ、『信じて』るからっ、信じてるから放しなさいぃ〜っ!!」
なんかよく分からんけどめっちゃスイープの顔が赤い。熱中症か? 挙動もおかしい……。
スイープは一気に飛び退くと、荒い息のまま水瀬を睨んでいる。
「はぁっ……はぁっ、はぁっ……み、ミナセのくせにぃ〜……っ!」
大人にかかれば中学生などこの通り。ちなみに水瀬は気づいていないが、さっきの絵面は犯罪だった。スイープはシャーって威嚇してる。
「……あー、それで、なんだったんだ?」
「ふ、ふん! ……く、口開けなさい!!」
「そうだった。で、毒とか……」
「ちーがーうーっ!! アンタこそアタシのこと何だと思ってるのっ!? もうっ、このぉっ!!」
スイープは一瞬の隙をつくと、水瀬の口の中に何かを放り込んだ。石ころのような硬さ──これは『飴玉』だ。瞬間的にはちみつの『甘さ』が口いっぱいに広がる。
「……グランマ特性のアメよ。すぐ『元気になる魔法』がかかってるの」
なんと。
「あっつい日が続くんだもん。あ……アンタに勝手に倒れられたら困るから、わけてあげようって思っただけなんだもん……」
スイープのイタズラじゃないかと疑った自分が恥ずかしい。
「ありがとう。スイープは『優しい』な」
「っ! ふ、ふん……でも、その『1個』しかあげないんだからねっ。残り2つしかないんだもん」
なんかもじもじしている珍しいスイープを眺めながら、甘すぎるほど甘いアメが口の中でコロコロ転がるのだった……。
「あっ、スイープさーん! いたいた! 黒猫さん、見つけたよーっ!」
『キタサンブラック』が両手でネコを抱えて、スイープへ駆け寄っていく。夜の涼しさが心地いい──『夏合宿最終日』の夜。
「でかしたわ、キタサン! ふふっ、いーっぱいナデナデしちゃうんだから!」
「はいっ! …………」
キタサンブラックは犬みたいに頭を差し出した。
「……なにしてるの、キタサン?」
「えっ? あれっ!? なでなでするって言われたので……!」
「はぁ? バカね。アンタは猫じゃなくてウマ娘でしょーが」
キタサンが少し苦笑いしながら、ちょっと期待した目でスイープを見ている……。
「……はぁ。はいはい、撫でてあげるわよ」
「やったっ! じゃあ、お願いします!」
仕方なくキタサンブラックの頭を撫でるスイープ。適当なところでやめたが、キタサンは満足そうだ。
「じゃあ、あたしもスイープさんにお返しを……」
そしてキタサンはスイープの頭に手を伸ばしたが……。
「いらない」
「そこを何とかっ!」
「ヤダ」
「うぅ……」
そんな感じで拒否ったのだが、ふと気を抜くとスイープの中に嫌な想像が浮かび上がってきた。
『スイープ。撫でていいか?』
少女漫画風にデコレーションされた想像の中の水瀬の言葉が……。
「っ、ダメ! ダメったら、もうっ!!」
「えぇぇぇっ! そ、そんなにイヤなのっ!?」
ぶんぶんと首を振るスイープにキタサンブラックは深いショックを受けた。完全に流れ弾だ。
「ダメっ! ぜぇーーーーったいダメ! ダメ、だけど……どうしても撫でたいって言うなら、ちょっとだけ……ほんの、ちょっとだけなら、許してあげる……」
「えーっ! じ、じゃあ、いい?」
「っ、やっぱりダメ! おっ、思い上がらないで!! あ、アンタのことなんて、何とも思ってないんだからっ!!」
「ガーン! そんなぁー……!」
にゃあ……。
妖しく光る両目、ピンと張った両耳。黒猫がスイープを見上げて鳴いた。
(黒猫を撫でて、『魔力』のチャージも済んだし、『秋華賞』に向けての準備はカンペキね!)
……。
唐突にぶんぶんと首を振るスイープ。少し挙動が不思議だ。
(あーもう! とにかく、アイツのことなんか……って)
「あらっ?」
部屋に戻る途中、玄関から続く大広間には『テレビ』が設置されているが、つけっぱなしになっていた。その映像に写っているのは──レースのインタビューの映像。
『──では次走『天皇賞(秋)』に関しては、『大いに自信あり』と……!』
『……っ、……はいっ』
テレビ越しでもわかる、僅かに震えた表情の中に見える『覚悟』──画面の中の『ゼンノロブロイ』が真っ直ぐにスイープを見ている。
『『秋の楯』は、私がいただきます。それから……私はそのまま『秋シニア三冠路線』へと向かいます!』
その堂々とした『宣言』は以前の彼女からは考えられない。
『『本』は、既に開かれました。あとはみなさん、どうぞっ──私、『ゼンノロブロイ』の『英雄譚』を、胸躍らせてお待ちください……!!』
『おおお……!!!』
その姿を見て、スイープはつい口元が緩んでしまう。
「……あはっ、なによ、すっかり元気になっちゃって」
『ゼンノロブロイ』──引っ込み思案な本の虫。少なくとも今まではそうだった。しかし今は──どうやら違うらしい。
(ロブロイ、か。そうね、あの子と『勝負』をするのが──もしかしたら、イチバンたのしそうかもね?)
胸を躍らせる、その『未来』を想像した。
『夏』が終わって行くのを感じていた。
『秋』が来るのを見ていた。
水瀬くんさあ……