『選抜レース』とは。
まだ『チーム』に所属していないウマ娘のみがエントリーできる『レース』だ。年に『四回』開催される、『トレセン学園』の一大行事である、
エントリーするウマ娘は、この『レース』を見にきている『トレーナー』に『スカウト』されることを目標にする。
『トレーナー』は、才能のありそうなウマ娘を見つけ出し『スカウト』する。そうして見つけ出したウマ娘が活躍すれば、『トレーナー』としての格も上がる。しかし、『トレーナー』も人間だ。1人で何百人ものウマ娘の面倒を見ることは出来ない。
『トレーナー』は『スカウト』するウマ娘を絞る。何十人もスカウトする『トレーナー』もいるし、数人にしか声をかけない『トレーナー』もいる。
『ウマ娘』は──より『優秀』な『トレーナー』にスカウトされることを目標にする。特にこの『春の選抜レース』は『特別』だ。エントリーするのは『新入生』が多い。『夢』を掲げてこの『レース』に臨んでいるため、より競争が苛烈になる。
『メイクデビュー』の解禁日は『6月』──そこに間に合わせることが重要とは言わないが、デビューが遅れることはメリットとは言えない。確実にこの『春の選抜レース』でスカウトされるために、ウマ娘たちは『教官』による、あるいは自主的な『トレーニング』を積み、『レース』に臨む。
いずれにしろ、『デビュー』を望むウマ娘ならば、誰しもが『全力』で挑む『レース』。
この『レース』の成績によって、今後の『運命』が決まると言っても過言ではない。故に、彼女たちは『全力』で走る。
( ´ ▽ ` )
──ワアアアアアアアアアアアアアアアア!!!
声援の主は──外部の人間か? そういえば、メイクデビューの期間に限っては部外者の出入りを許可していると聞いたことがある。
つまり、より熱心なファンはこの選抜レースを見にくると言うことだろう。レースは現在も行われている。レース場を囲う人だかりは、皆レースを見つめている。
というよりも、品定めをしているような視線だ。それもそのはず、高級スーツを着込んだ人たちは皆トレーナーだ。
「ここにいると、アンタもトレーナーみたいじゃない?」
「……そんな気がしてきたよ」
水瀬と彼等の違うところは、襟元につけたトレーナーバッチだ。小さいけど、太陽の光を浴びて輝くのですぐに分かる。
「君の出番は?」
「えーっと。あと……5分後」
「5分後!? 早いな──その、アップとかしなくていいのか?」
「いらない。それじゃ、行ってくる」
「あ、ああ。行ってらっしゃい……」
あまりにも平然とした様子で歩き出すものだから、少し意表を突かれた。ともかく時間になるまで水瀬はレース場の様子を眺めていたが、やがてゲートが準備されてレースの準備が始まった。
(スイープは……8番か)
ざわつきが収まり始めて、レース前の緊張が漂ってきた。そして、あまりにもあっさりとレースは始まった。
スイープトウショウは、水瀬が素人目で見ても分かるほど普通に出遅れた。
(大丈夫なのか……?)
そんな風に心配していたのだが、やがて水瀬の顔色は段々と代わっていく。
『さあ──最終直線! 伸びてきたのは5番チョーハヤーイ、いや……8番スイープトウショウだ! 最後尾からグングン伸びて来た!』
その光景を。
『一気に追い抜いた! スイープトウショウまだ伸びる! 信じられない!』
そのレースを。
『完全に決まった! スイープトウショウゴールイン!』
その走りを。
「────」
それから数分間、水瀬はものを考えることも出来ずただ放心していた。それは目の前に来たスイープトウショウが声を掛けるまで続いた。
「……ちょっと。なに惚けてるのよ! ねえったら!」
「! あ、ああ。スイープ、お疲れ……」
「なによ、ボーッとしちゃって。ちゃんと見てたんでしょうね」
「も、もちろんだ……」
「はあ? 何よアンタ、にっぶい反応ね。で、どうだったの」
どこか警戒するような視線を水瀬にぶつけながらスイープが言う。そんなスイープの様子に気が付かないほど、水瀬は──今まで味わったことのない衝撃を受けていた。
「……魔法を、見ているようだった」
「え?」
「初めて……生で、レースを見た、けど。君が……最後、まとめて追い抜いていく姿が、まるで……」
『魔法のように見えたんだ』。
その衝撃の余韻にまだ水瀬は浸っていたが、それ以上にスイープが驚いた表情を浮かべていた。
「ちょ、ちょっと! それってどういう意味なの!?」
「……分からない。だけど、こんなのは初めてだ」
水瀬は真っ直ぐにスイープを見て言った。
「君はすごいな、スイープ」
「……!」
そしてスイープが何かを言おうとするよりも前に、割り込んできた人物がいる──当然、さっきの選抜レースを見ていたトレーナーだ。
「お話中失礼! なあ君! さっきのレースすごいな! 俺のところへ来ないか? 君なら重賞を狙えるぞ!」
「ちょっと、抜け駆けはダメよ! ねえスイープさん? アナタ私のところでデビューしない? GⅠを狙えるわ! 嘘じゃないわよ、適切なトレーニングを積めば必ず──」
機会を窺っていたトレーナーたちがそれで一気に押し寄せた。スイープの走りに魅せられた人物は水瀬だけではなかったのだ。
「あっ、ちょっと、どきなさいっ! ミナセ!」
「スイープさん! どうだろう、俺のチームに仮入部してみるっていうのは! きっと失望はさせないよ!」
「ちょっと、スイープちゃんは私のところへ来るのよ! 引っ込んでなさい!」
「おおっと、僕を忘れてもらっちゃあ困るなあ! 彼女は僕のところでこそ輝く──!」
そんな風にしてあっという間に囲まれてしまったスイープを見て──水瀬はそっと背を向けた。何せ水瀬はトレーナーではない。スカウトの邪魔をするわけにもいかないし、仕事も残っている。
「あっ、こら! ミナセ──どきなさいったら! もう!」
そんなスイープの声は、スカウトたちの熱狂に紛れて消えていくのだった。
2時間後。
ガララッ! そんな風に事務室の扉が乱暴に開かれて、疲労困憊といった様子のスイープトウショウが姿を見せた。
すっかり仕事中で、パソコンに向き合っていた事務員たちは目を丸くしてスイープを見つめる。
「あら。スイープちゃん、どうしたの?」
おばちゃんの言葉に耳を貸さず、そのままずんずんと水瀬のデスクまで歩いてくると──
「ア〜ン〜タ〜ね〜……ッ!! ミナセの分際で、なあに考えてるの!? 謝罪ッ!!」
「え」
「謝んなさいッ!」
「ご、ごめん……?」
「気持ちが入ってない! もう一回ッ!」
「ごめんなさい……」
「……はぁ」
そのまま客人用(ほぼスイープ専用)となったテーブルのパイプ椅子にどさっと腰掛けて、スイープはため息をついた。
「はちみつジュース!」
「え?」
「早く持ってきなさい!! ミナセ!」
おばちゃんにそっと視線を送ると、にっこりと笑って頷いてくれた。いや何わろてんねん。水瀬は仕方なく冷蔵庫からおばちゃんが買ってきたはちみつジュースをコップに注いで持っていった。
「ごく、ごく……ぷはっ。ふぅ──」
どうやら一息ついたらしい。
「どうしたんだ、一体?」
「……はあ? はああああ? どうした? どうした、ってねぇ……ミナセ! アンタ、よくもアタシを置いて帰ったわね……!」
「それは……スカウトの邪魔になるといけないから……」
「呼んでたでしょ、アンタの名前ッ! 助けなさいよ!!」
「……すまん。聞こえなかった」
「信ッじらんない!! ありえないわ!! ほんっと……」
姫はものすごくお怒りだ。あれだけのパフォーマンスだったのに、何が不満なんだろう。
「どうしてそんなに怒っているんだ?」
「……アタシはねぇ、聞こうとしてたのよ。アンタの言葉の意味……」
ピクリ。先輩の耳が動いて、水瀬に先輩の視線が突き刺さった。"何か変なことを言ったのか?"そう視線で問われて、"言ってないです"と視線で答えた。
「意味?」
「言ったじゃない、アンタ。魔法みたいだった、って。あれ、どういう意味?」
「どういうも何も……そのままだ。あまりレースには詳しくないが、スイープの様な走りは、なんていうか……とても常識では測れないものだと思った」
「ふーん。それで?」
「それで、って……それだけだけど」
「はあ? それじゃあ全然分かんないじゃない! せっかく『レースの魔法』のことが分かると思ったのに!」
「『レースの魔法』?」
聞きなれない単語が出てきた。スイープが魔法少女を自称しているのは周知の事実だが……。
「グランマから教わったの。レースの世界には、人生そのものを変えてしまう魔法があるんだって。それが『レースの魔法』で、アタシはそれを探しに来たの」
「なるほど……?」
深い『事情』があるみたいだ。しかしそのグランマの言うことも分からないでもない。水瀬はスイープの走りに強い衝撃を受けた。それはある種魔法と呼べなくもない。
「ところで、スカウトはどうしたんだ?」
「……適当なとこに入ったわよ」
「! そうなの! スイープちゃん、ついにチームに入って……デビューするのね〜!」
その言葉を聞いておばちゃんがガタ、と立ち上がった。先輩も立ち上がった。
「おめでとうスイープちゃん! ついに……デビュー楽しみにしてるね! 応援にいくよ、絶対!」
「ふん……。ホントは、あんなつまんないヤツらに色々言われるのはイヤなんだけど」
「なら、どうしてスカウトを受けたんだ?」
「……魔法みたいって言ったでしょ、アンタ。だから……レースの世界には、確かに魔法があるかもって思ったの。デビューするにはトレーナーが必要だから、仕方なく入ったのよ! もう!」
「……どうして怒っているんだ?」
「うるッさいわね! あーもー! どうしてアンタがトレーナーじゃないのよ〜!」
「ちょっと水瀬くん! どうしてアナタトレーナーじゃないの!」
「そうだよ水瀬くん! ちょっとトレーナー免許取ってきて!」
「無茶を言わないでください。僕には無理です」
嬉しいんだか無茶なんだかよく分からない。スイープが叫んでも水瀬は事務員以下ではあっても以上ではない。どうしようもないこともある。
「決めた。アンタに魔法かけてやるわ、覚悟しなさい」
「えっ」
「やっちゃいなさいスイープちゃん、遠慮はいらないよ!」
「あったり前じゃない! 行くわよ〜! アーランス・アーテクトリ! 『アタシのトレーナーになあれ』!」
「う"ッ! これは……」
水瀬が胸を押さえた。これは……
「あっ、早速効果が出てきたのね! そうよ、これでアンタはアタシのトレーナーになるの! そうでしょ?」
「……何も、起こらない……」
「……はぁ〜〜!? どうして〜!? なんでなのよ〜っ!!」
そんな簡単にトレーナーになってたまるか。ちょっと呪文を唱えたくらいでトレーナーになれるなら誰も困らない。
「残念だけど……」
「む、むむむむむ〜……! 仕方ないわね、今日はこれくらいで勘弁してあげるんだから! ふん!」
どうやら勘弁してくれたようだ。スイープの様子を見てそう安堵のため息を付いた。こんな簡単にトレーナーにされては堪らない。
────忘れてはいけない。
『魔法』は、容易に『呪い』に変わりうる。
『それ』が存在していないことは、誰にも証明できないのだ。
( ´Д`)
日々は平和。世は全てこともなし。水瀬は今日も事務員見習いだ──
「先輩。ここの部分についてなんですが……」
「……あー。うー、えーっとねー……」
先輩が完全に上の空だ。どうしたのだろうか?
「そのー、あれだー。まあ適当にやっといてー……」
「……何かあったんですか?」
「何かも何も、こっちは心配で心配で……」
「心配?」
「スイープちゃんのことだよ! 水瀬くん知らないの!?」
「知りませんが──」
先輩が言うには。
「いろんなチームに出たり入ったりを繰り返してるらしいんだよ!」
「それは……普通ではないような気もしますが……」
「普通じゃないんだよっ! しかもそれが、なんかトラブルが起こってるって聞くしさ!」
「ちなみに情報源は……?」
「トレセン職員ネットワークに決まってるでしょ! 私たちは陰ながら将来のスターたちを見守ってる。それが仕事と言っても過言じゃないんだよ!」
(過言だろ)
うんうんと頷いてる課長(おばちゃん)を横目に見ながら水瀬は思った──。職場柄、活躍するウマ娘たちを間近で見られる機会は多い。レースファンならある種の憧れの職場かもしれない。
しかし妙な話だ。いくつものチームを出入りしている?
スイープトウショウはここ1週間程度顔を見せていない。まあこんな事務室にウマ娘が頻繁に出入りすること自体変だったわけで、これで正しいのだとは思うが……。
「何かあったんでしょうか?」
「水瀬くん何他人事みたいに言ってるの。私たちの役目はねぇ、人知れず生徒たちを助けてあげることなんだよ!」
「……と、言いますと」
「話を聞いてあげるんだよ! 君、ちょっと行ってきなさい!」
(どこに?)
「決まってるじゃん。スイープちゃんのところだよ! 水瀬くん懐かれてるじゃない、君が行かなきゃ誰が行くって言うの?」
(お前が行けよ……)
「あっ、今失礼なこと考えた?」
なんでこの先輩は心が読めるんだろうか? 今度から迂闊なことは考えない方がいいかも知れない。とりあえず課長を見てみたが、課長はずずっとお茶を啜って水瀬を睨んだ。
「行ッといで……ッ!」
なんでだよ。水瀬はため息を吐くと、とりあえず立ち上がって事務室の扉をスライドさせると──
「……あっ」
ちょうど扉を開けようとしていたらしいスイープトウショウが、目を丸くして水瀬を見上げていた。
「どいつもこいつも話になんないわ!!」
むっすー。今日の姫は一段と嵐の気配がする。
「あいつもこいつも……アンタもっ!」
「?」
「アンタよアンタ!」
「??」
「ミナセの分際でアタシを放っておくなんていい度胸ね。1日3回はアタシに会いに来なさいよ!」
(なんでだよ)
相当に機嫌が悪い。まあ機嫌が良かったところを見たことなどほとんどないが。
「スイープちゃん、チームを出たり入ったりしてるって……」
「ふん! そんなの、アタシの勝手じゃない!」
「まあ! スイープちゃん、おばちゃんは心配だよ。何かスイープちゃんがよくない方向に向かってる気がしてねぇ」
「……しょうがないじゃない。あいつら、口を揃えてあれしろこれしろって、それしか言わないんだもん。付き合ってらんないわよ」
そりゃあトレーナーはあれしろこれしろって言うのが仕事だ。言うに決まってるだろう。
「トレーナー連中だけじゃないわ。チームのアホ共も、アタシにあーだのこーだの。生意気とか、言うこと聞けとか。くだらないことばっかり」
なるほど。目に浮かぶようだ。
「ふん! だからアタシ言ってやったのよ。トレーナーの言うこと聞いてるアンタたちはレースに勝ててるの? って。そしたらあいつら、顔真っ赤になっちゃって! あれは面白かったわね、アンタにも見せてあげたかったわ」
「……いや。遠慮する」
段々と事情が分かってきた。それはチームを追い出されるに決まっているだろう。しかし不思議なのは、別のチームにどうして入れたのかという点についてだが──
「あら。そんなの簡単よ、適当なトレーナーのところへ行って、そいつのチームのウマ娘とレースをしてやるの。終わる頃には、トレーナーの方から頼むからチームに入ってくれってお願いしてくるわ」
「なんという……」
水瀬も薄々思っていたことなのだが、もしかしてこのクソガキスイープトウショウは、いわゆる『天才』というヤツか?
「それで、今は……?」
「今さっき、なんちゃらかんちゃらっていうチームを抜けてきたところ。あそこもダメね、やっぱり名前の通ったチームじゃないと話にならないのかしら」
「oh……」
これを止めるべきだろうか? 先輩の方を見た。
「さっすがスイープちゃん! そうだよ、役立たずのトレーナーたちなんて見限っちゃえ! スイープちゃんにふさわしいトレーナーは必ずどこかに居るんだから!」
(先輩……?)
大丈夫かなこの職場。これを誰かに聞かれたらかなりの問題になる気がする──課長もうんうん頷いてないで。大丈夫なのかこの職場。
「さてと……ミナセ! 行くわよ!」
(どこに?)
「魔法の実験に決まってるじゃない! 試したいのがいくつかあるのよ、アンタで実験してあげる! 嬉しく思うことね!」
「いいなあ! 私も実験台になりたいよ〜。水瀬くん! ちゃんとお勤めしてくるんだよ!」
(なんでだよ)
今日も平和だ。