魔法のない世界で生きるということ   作:にゃんこぱん

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第七話 『前』に進むということ③

 

 

(……見つけた。当時の新聞──)

 

 過去の新聞を検索できるサービスを使い、乙名史はたどり着いた。

 

 『学生起業 人と繋がる通販を』──

 

 SNSとしての機能を前面に押し出した通販サイトのようだ。主なターゲットは10代〜20代、同じ商品を購入した人同士で交流が生まれる仕組みになっているらしい。新聞の内容を見るに、かなり上手くいったようだ。

 

 起業は数人で行われたらしい。その人物たちの名前が書いてある──『萩原拓実』、『成宮竜司』、『水瀬光一』、当時19歳。

 

 新聞の記事は『5年前』──

 

(……つまり、水瀬さんには『仲間』がいた。水瀬さんの逮捕の記事が見つからなかった以上、彼らを見つける必要がある)

 

 足早に図書館を去り、情報を集めるために出版社へ戻ると……。

 

 

 

 

「乙名史! 戻ったか、ちょうどいいところに。今週末のレースの取材、ちょっと行って来てほしいんだが」

 

「編集長、しかし……」

 

「おまえなぁ。探偵ごっこも別にいいが、『本業』を忘れるなよ。ほら、スケジュール送っとくから頼んだぞ」

 

(ままならない……!)

 

 もういっそフリーになるべきか。この忙しい日々の中で、頭の中では常に新しい『仮説』が組み上がっては壊れていった。

 

 

 

 

 『成宮竜司』を見つけ出すのに、そう時間は掛からなかった。水瀬たちが起こした『ベンチャー企業』は『2年前』にある企業へと『売却』され、『成宮竜司』はそのままその企業で役職についていた。

 

「水瀬……」

 

「はい。昔、ご一緒に働かれていたんですよね。その時のこと、お聞かせ願えませんか?」

 

「帰ってくれ」

 

「は……?」

 

「さっさと帰ってくれって言ってるんだよ。話すことは何もない」

 

 水瀬という名前を出した瞬間に、彼の態度は一変した。多少はあった丁寧さも消えて、成宮は席を立った。

 

「お待ちください! ではせめて、『萩原拓実』さんが今どこにいるのかだけでも、ご存じありませんか!?」

 

「萩原はM&Aの時に別れた。連絡も取ってない」

 

「っ、では以前の住所だけでも、お願いします!」

 

「……」

 

 最終的に手に入ったのは、一切の手がかりが存在しなかった『萩原拓実』の、在学中の住所。

 

 

 

「引っ越した……?」

 

「えーっと、そうですね。確か、2年くらい前に」

 

 またこれだ。手がかりが見つかったと思ったら消えてしまう。

 

「どちらに引っ越されたか、ご存じですか?」

 

「さあ、そこまでは知りませんよ」

 

 マンションの管理人からはそれ以上の情報は引き出せない。また振り出しに戻った。

 

 どうやってその足取りを追う? 探偵に依頼しても、手がかりがないことにはどうにもならない可能性が高い。『住民票』から追うにも、第三者が正当な理由無しに情報を得ることはできない。

 

 いわゆる学生ベンチャーだった『Native』には同級生や後輩たちも所属していた可能性がある。その線で追うと──ヒット。

 

「拓実先輩っすか? 知ってますよ! 今でもたまにオンラインゲームとか一緒にやったりしてます」

 

 所属していたサークルの後輩がまた在学していた。

 

「あの人今、すげー遠いとこに住んでるんですよ。一発当てた金で引きこもり生活してるって感じなんで、記者さんからもなんか言ってやってくださいね!」

 

 

 

 東京から遠く離れた地方都市。新幹線で東京駅から2時間、駅から乗り換えて30分。『萩原拓実』は家族向けのあるアパートで暮らしていた。

 

「……どちらさん?」

 

「記者をしております、乙名史と申します。『水瀬光一』という方について、お話を聞かせて頂けませんか?」

 

「……水瀬、光一……光一を?」

 

 ──3LDKの広い部屋で一人暮らし。そしてその中で、まさに引きこもって暮らしていた。閉じたカーテン、高級そうな家電、カップ麺のゴミ。金はあるのに不健康、そんな印象だ。

 

「……話って、何を話せばいいんだ? 俺、こういうドラマみたいなの、初めてでさ」

 

「水瀬さんが『トレーナー』をしていること、ご存じですか?」

 

「え……?」

 

 それはまさに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔だった。

 

「こ、光一が……えっと、『トレーナー』ってあれだよな。あの、『ウマ娘』とかになんか教えたりする監督みたいな」

 

「ええ、概ねその通りです」

 

「あいつが……はは、なんだろ。まるで想像できねぇ。無愛想で……たぶん嫌われてるだろ? アイツ分かりづらいからさ」

 

 これだ。決定的に『人物像』がズレている。

 

「あんた、光一のこと調べてるのか?」

 

「『正体不明の凄腕新人トレーナー』、というものが、現在の彼の肩書きなんです」

 

「は、はは……。なんだそりゃ、似合わねぇ。正体不明って……まあ、そりゃ……そうするしかないよな」

 

「お話を聞かせてくれませんか? 当時の水瀬さんについて」

 

「俺に話せることなら、なんでも……」

 

 『萩原拓実』はなんというか、決定的に覇気の欠けた抜け殻のような人物だった。ベンチャーの売却でかなりの資産があることは、この広いマンションからも想像できるが、何をするわけでもなく引きこもって暮らしている。

 

「──『逮捕』というのは、一体何があったんですか? 『インサイダー取引』と聞きましたが」

 

「……ああ。まあ、気になるよな。そりゃ……」

 

 そして、この人物からはまるで『後悔』のようなものが感じ取れる。

 

「嵌めたんだ。俺と竜司で……」

 

「……!」

 

「アイツを……光一を、会社から追い出すために」

 

「……どういうことですか!?」

 

「光一の家、『借金』がかなりあってさ。やばいところからも借りてたみたいなんだ。会社は軌道に乗ってて、けっこう儲かってたんだけど……光一にはもっと『金』が必要だった。家でいちばん『金』を稼いでたの光一だったから」

 

「待ってください。借金……?」

 

「あんま話してくれたことないけど、中学の頃とかに親の会社が潰れたとかで。親父は蒸発して、後には『借金』だけが残されたんだってさ。ほんとなら大学なんて来れる状態じゃないんだけど、いろんなとこから金借りまくって、無理矢理進学してきたんだ」

 

「……」

 

「竜司……ああ、一緒に会社を起こした『友達』の1人なんだけどさ。竜司の家はデカくて、けっこういろんな情報も集まった。いろんな会社の『内部情報』とかも……そのうちの一つを光一に流した」

 

「……! まさか」

 

「『インサイダー』なんて世の中には溢れてる。ニュースで出るのはせいぜい1割か2割なんだし……そのとき、借金の返済の期日が迫ってて、光一にはいますぐにかなりの額が必要だった。アイツが株式に手を出したのを確認して、あとは簡単だよ。適当にでっちあげた『証拠』と一緒に『告発』すればいい」

 

 仲間内での『裏切り』──人間はどこまでも残酷になれる。

 

「調べた限りでは、その時の会社はかなり『好調』だったはずです。なぜそんなことを?」

 

「……怖かったんだよ」

 

「怖かった?」

 

「竜司は……プライドが高かったから、なんとなく想像がついたんだよ。裏切った理由は──光一は……なんていうか、怖かったんだ」

 

 萩原は──そう、これはまるで『懺悔』のように──語り出した。

 

「竜司はなんていうか、まあボンボンだったんだけど、十分にすごいヤツだった。頭も良かったし……だけど光一ほどじゃなかった」

 

「どういう意味ですか?」

 

「立ち上げてからしばらくして、『資金調達』が必要になった時があった。その時、会社けっこうやばくてさ、どこに頼んでも融資を断られるって感じで……そんな時に光一がふらっと帰ってきて、3000万の融資が決まった、って。前々から底知れないヤツだったけど、その時はビビった。これ、その後の『写真』」

 

 萩原が見せてくれたスマホには、3人の『若者』と1人の『老人』が写っていた。どこかの高級な食事店だろう。融資が決まった記念に撮ったものだ。

 

「……この写真、頂いても?」

 

「ああ、送るよ。ともかく目がさ、冷たくて……。なんていうか、心のどこかでは、俺はいつかあいつに捨てられるんじゃないかって。いずれ俺がいらなくなったとき、全然躊躇わずに俺を切り捨てるんじゃないかって……心の奥底では、そんな『恐怖』が離れなかったんだ……」

 

 ──今、一体なんの話を聞いているんだろうか? 

 

「だから、竜司に、アイツを『裏切ろう』って言われたとき……俺、『分かった』、って……」

 

 『トレーナー』としての水瀬の『過去』について調べているはずではなかったのか? これではまるで……。

 

「どうして、あんなことしたんだろうって、今でもずっと『後悔』してるんだ……」

 

「そして萩原さんは会社を去った、と?」

 

「なんか、もう無理だった。光一がいなくなって……前と同じように、『夢』だけ見て働くってことできなくなって……あいつに謝りたかったけど、会いに行く勇気も出なかった。あとは見ての通り、こうして引きこもって暮らしてる」

 

 テレビなども全く見ていないのだろう。スイープトウショウが有名になるにつれ、水瀬の名前が出る番組も多くなった。それでも知らないというのは、もう世間というものから断絶されたのも同然だし、そしてそうなることを望んだのだろう。

 

「お話を聞かせてくれてありがとうございます、萩原さん。一つ『提案』があるのですが、水瀬さんに会いたくはありませんか?」

 

 ──口が勝手に動き出していた。『真実』を確かめなければ、と無意識化で思ってしまった。この『萩原拓実』というかつての仲間に会った時、水瀬がどのような反応をするのか確かめなければならない、と思ってしまっていた。

 

「……会える、のか?」

 

「ええ、もちろん」

 

 『夏合宿』ももう『終盤』だ。どこに合宿所があるのか、乙名史は当然知っている。

 

 最後に、『水瀬はレースが好きだったのか』と尋ねた。萩原は『知らない』と答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ( ´∀`)

 

 

 

 

 

 

 

 夕方になって涼しくなった。この日もスイープは全力で『夏合宿』のメニューに取り組んで、ジャージは泥だらけ。

 

「ミナセ〜〜っ、ジュース〜……!」

 

「はいはい。冷蔵庫に入ってる」

 

「準備してるだけじゃイヤっ! ちゃんとアタシのところまで持ってきて! もう脚もクッタクタなんだから……。はぁぁぁぁ……」

 

 疲れからか大きなため息。

 

「……やっと『最強の魔法』が使えたと思ったのに。どぉーして、その後もつまんないヤツがでてきちゃうのかしら」

 

「イヤなのか」

 

「あったりまえよ! すっっっごくイヤっ!!」

 

 おおう。

 

「でもこのまま終わっちゃうのはもっとイヤ! 『つまんないこと』はぜーんぶ、『魔法』で消し炭にしてやるんだから!」

 

 全く見上げた根性だ。これぞ『魔法使い』である所以である。

 

 と、合宿所の前で話していると……。

 

「……あ」

 

 反対側からトレーニング上がりのゼンノロブロイが歩いてきた。

 

「ふふっ、スイープさんも今日は泥だらけですね」

 

「ロブロイ、アンタもでしょ」

 

「ええ。『天皇賞(秋)』は私のリベンジ戦となりますから。私は……私の『物語』にまだ『おしまい』と書くつもりはありません」

 

「ふんっ、アンタは話が早くて助かるわ。『魔法』にはそのギラギラが必要なんだもの」

 

 ちょっと嬉しそうにスイープがそう話す。

 

 そして少し遠くから、ヤマニンシュクルがそれを見ながら隠れていた……。

 

 

 

 

 

「それじゃあ、私は行きますね。おやすみなさい、スイープさん」

 

 そう言って合宿所の中へ帰っていくゼンノロブロイを見送ると、スイープがポツリと言う。

 

「……ねえ、ミナセ。いちおう確認するけど、もう『あんなこと』、起こらないわよね?」

 

「あんなこと?」

 

「アンタが……勝手にどっかに消えちゃうとか、そういうの。もう2度と、そんなことないわよね?」

 

「ああ……大丈夫だ。あの時は心配かけたな」

 

 例の誘拐事件の話だ。だがもう二階堂のじいさんと話はついた以上、あんなことは起きないだろう。

 

「本当? ちゃんと『約束』できる?」

 

「大丈夫だ。もう2度と、黙って消えたりしない。『約束』する」

 

 それを聞いて、スイープは表情を緩めた。

 

「ふん! ならいいのよ、嘘ついたらタダじゃおかないんだからね」

 

 また一つ──積み上げた『石』のように、背負いすぎた『荷物』のように。

 

 もう『夏』が終わる──今日で『夏合宿』は終わりだ。明日にはトレセンに戻って、『天皇賞(秋)』への調整を始める。

 

(そういえば、もうすっかりこの子の『トレーナー』だ)

 

 どこか感慨深いものがある……そう思っていると、薄暗い夕方の向こうから走ってくるジャージのウマ娘。

 

「あっ、いたいた! おーい、水瀬さーん!」

 

 お助け娘のキタサンブラックである。

 

「水瀬さんに会いたいっていう人が来てるんです! えっとー……あれ? 走ってきたら、置いてきちゃった……?」

 

「何やってんのよ。普通に走ったら置いてけぼりになるに決まってるでしょ?」

 

 会いたい人? 特にアポとかは来てないんだが、まさかわざわざトレーナーに会いに来るような酔狂なファンもいないだろう。

 

 そう考えていると、キタサンブラックが来た方向から誰かがへろへろになりながら走ってくるのが見えた。薄暗くて細かいところは見えないが、少なくともウマ娘ではないらしい。

 

「はぁっ……はぁっ……ま、待ってくれ、てか走るの速すぎ……っ、げほ、げほ」

 

 ──男の声だ。そいつが顔を上げた。

 

「はぁっ、はぁっ……、……! 光一! やっぱり……本当に、ここに居たんだな……」

 

「……は? お前、萩原……なんで、ここに」

 

 水瀬は知っていた。そして、もう2度と会うこともないと思っていた。どうしてここに? 疑問が頭の中を回る。思考が真っ白に染まっていく。

 

「げほっ、聞いたんだ! お前が、ここにいるって……」

 

「ミナセのお友達? ふーん、よかったじゃないミナセ。わざわざ会いに来てくれたんだって! ……ミナセ?」

 

 スイープが見上げると、見たことのない水瀬の表情があった。

 

「……場所を変える。スイープ、先に帰ってくれ」

 

「え?」

 

 水瀬は返事も聞かずに歩いていく。

 

「っ、光一! 待ってくれ!」

 

 その背を慌てて追いかける男をポカンとしながらスイープたちは見ていた……が。

 

「なんか……ワケアリ、なのかな?」

 

 キタサンブラックが気まずそうに愛想笑いをした。

 

 

 

 

「光一、なあ……頼む、聞いてくれッ! 俺、ずっと謝りたかったんだ! あの時のこと……」

 

 ひたすらに歩き続ける水瀬の背中に叫ぶと、ようやくその足が止まった。

 

「わ、分かってるよ! 今更こんなこと言ったって……だから、せめて……これだけでも、受け取ってくれよ」

 

 萩原が片手にぶら下げていたアタッシュケースを出すと、水瀬が振り向いた。

 

「『金』が入ってる! 知ってるかもだけど、お前がいなくなった後、結構いい値段で会社が売れたんだ。その時の『金』、……俺の取り分も全部入ってる。マジでごめん、でも……頼む。頼むから、これだけでも──」

 

「黙ってくれ……」

 

 小さな言葉。萩原には聞こえなかった。

 

「マジで頼むッ! 俺は取り返しのつかないことをした、絶対に許されないことだって分かってる! 今更お前に許してもらえるなんて思ってない、だからせめて……」

 

「黙れ。『金』なんか……」

 

 小さな言葉。萩原は聞こえないフリをした。

 

「お前、ずっと言ってたよな!? 『金が欲しい』、『金が必要だ』って……ああ、けど『トレーナー』は高級取りって噂だもんな。俺、よく知らねえけど、レースの賞金とかでかなり儲かってるんだってな。でも頼む、お前に受け取って欲しいんだよ! じゃなきゃ……」

 

「いらないって言ってんだよッ!」

 

 水瀬が叫んだ。萩原は怯んだが──しかし、

 

「頼むッ! マジでお願いだ、いらないっていうんなら捨ててくれてもいい! だから……」

 

「……もう帰ってくれ。そんな『過去』は……全部捨てて、『トレーナー』になった」

 

 かつて仲間だった。苦楽を共にして、そしてやがてそれは壊れた。頭の中にあるのは焦燥だけだ。

 

「2度と来るな。『過去』を探られるわけにはいかない」

 

 ──頭の中にあるのは、ある『リスク』のことだけだ。思い出したくもない『過去』を調べられた先にある『結果』のことだけ。

 

「今の俺は『トレーナー』だ。もう『金』も必要なくなった。お前も『過去』なんて忘れて好きに生きればいい」

 

 昔からは想像もできなかったことだ。レースなんて、遠い世界の娯楽でしかなかった。さっき見た、あのウマ娘たちと一緒にいる時の水瀬は、とても昔と同じ人物とは思えなかった。

 

「……光一。お前、変わったな」

 

 それがいいことなのか、悪いことなのかは分からない。ただ『変化』していっただけの話で。

 

「裏切っといて何だけどさ、俺ずっとお前のこと『友達』だって思ってたんだよ」

 

「……誰かを『友達』なんて思ったことはなかった。『必要』だったからお前と成宮を集めた。それだけだったんだよ……」

 

 大学に行ったのは、そこでしか得られない人脈と環境を得るためで、元々就職する気もなかった。貧困から脱出するための手段がそこにしかないと思っていた。

 

「光一。『過去』は捨てられるもんじゃないって……」

 

 萩原が諭すように言う──

 

「分かるだろ? お前、めちゃくちゃ頭いいもん。『秘密』にしてたって、いつかは……」

 

 何となく分かっている。素性を隠すのは、知られてはまずいことがあるからだ。

 

「俺がこんなこと言う資格なんてないのは分かってるよ、けど……」

 

 だからそれを願わずにはいられなかった。

 

「いつかお前が『幸せ』になれるといいな、って。マジで思ってるよ」

 

 

 

 

 誰から聞いた? 誰が教えた? 誰かが──水瀬の『過去』を探っているのか? どうするべきかずっと考えていた。萩原がケースを片手に帰っていってからずっと、ある『予想』が頭にこびりついている。

 

「ミナセ?」

 

 後ろに立っていたのも気がつかなかった。

 

「ッ! スイープ……見てたのか?」

 

「ちょっとだけ」

 

 砂浜を望む堤防に座っていた水瀬の隣にスイープは腰を下ろした。

 

「ねえミナセ。昔、何かあったの?」

 

 それは当然の疑問であり、そして水瀬がずっと隠してきたことの一つ。

 

「……昔のことは、思い出したくないことばかりだ」

 

 ずっと一緒にいたのに、スイープには自分のことを何も話したことがなかった。だから自分のことを話すのは初めてだ。

 

「なにも上手くいかなかった。奪われて、裏切られて……それでその度に、もっと強くならないと、って。もっと成り上がらないと、って。もっと『金』を稼がないと……俺は『幸せ』になれないって、そう思っていた」

 

 『過去』をスイープだけには知られたくなかった。だけど──心のどこかで、『潮時』なのかもしれないとも思った。

 

「ずっと黙っていたことがある。俺は……」

 

 『本当はトレーナーの資格なんて持ってない』──そう言おうとしたその瞬間、水瀬の脳裏を嫌な未来が掠める。その瞬間、水瀬は怖くなった。

 

 自分のしてきた全ての『罪』が明らかになることで起きる全てのことが恐ろしくなった。

 

「俺は…………、……」

 

 スイープを傷つけることが──怖くなった。今の生活を失うことが怖くて怖くて仕方なくなった。何もかも縛られた『過去』が、また自分を捕らえに来ていることが分かって怖くなった。

 

 『嘘』はつかないなどという『約束』をしていた時には、すでに水瀬は『嘘』に染まっていた。それをスイープに知られることが──今更になって怖くなった。

 

「ミナセ?」

 

「ごめん。聞かなかったことにしてくれ」

 

 そう言い残して立ち去ろうとする水瀬の背中を追ってスイープが言う。

 

「待つから」

 

 ──。

 

「アンタがちゃんと話してくれるって『信じて』、待つから。アタシ」

 

「……ごめんな」

 

「バカ。こういう時はね、『ありがとう』って言うのよ?」

 

「……ありがとう、スイープ」

 

 

 

 

 

 

(私は何をしようとしてるの?)

 

 乙名史は迷っていた──萩原を水瀬のところに連れてきて、会うように誘導したのは他でもない乙名史だ。だから当然、会話も全て盗み聞きしていた。

 

(『何』を暴こうとしているの? 本当に……この先に進んでいいの?)

 

 『一寸先は闇』──などということわざを持ち出すわけではないが、これ以上『前』に進んでいいのか分からなくなった。

 

(『真実』は……ぼんやりと見えている。なんとなく、ほとんどの『手がかり』は集まったと思う。『最後のピース』は、水瀬さんが逮捕されてからの足取り、つまり『二階堂家』と『水瀬光一』を結ぶ『最後の証拠』。手がかりは必ずある、きっと探せば見つかる『確信』がある。だけど……)

 

 砂浜に立ち尽くすスイープの姿を見て思う。

 

(きっと……壊れてしまうものが、ある)

 

 記者として、1人のレースファンとして、『熱狂』を望んでいた。『ヒーロー』を……『魔法』を望んでいた。

 

(『真実』を知ってしまったら、きっともうこれまでのようにはできない)

 

 その夢は実現した。スイープトウショウは前人未到の『無敗記録』を更新し続けていて、そして秋天でさらなる『魔法』を見せてくれるだろう。

 

(岩見沢に水瀬光一などというトレーナーはいなかった)

 

 やめろ。

 

(水瀬さんには『トレーナー』のことを学ぶ時間などほとんどなかった。それどころか、『レースが好きだった』という情報すらない。彼は『借金』に追われていて、完全にレースとは『無関係』もいいところだった)

 

 何を考えている。それ以上考えるな。

 

(……私は、まだ……スイープさんの『魔法』を見ていたい。だけど……)

 

 大丈夫だ。きっと間違っている。

 

(これまでの全ての『証拠』が指し示すのは、ある『仮説』……)

 

 『中央トレーナー』は素人ができるほど甘い仕事ではない。大丈夫だ、そんな『仮説』は間違っているに決まっている。

 

(ダメ。これ以上考えては……もう引き返せなくなる……)

 

 考えてはいけない。そう思えば思うほど考えてしまう。

 

 一度知ってしまったことは無かったことにはできない。忘れることもできない。乙名史の前には『道』がある──『前』に進むための『道』が── 

 

(どうすればいいの……?)

 

 『一寸先は闇』。足場があるかも分からないのに、『前』に進むことはできるか。

 

 

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