魔法のない世界で生きるということ   作:にゃんこぱん

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第八話 『未来』へ歩くということ②

 それは平凡な週末で、平凡な1日の予感を感じさせる、平凡な朝。

 

 スイープトウショウと共に、たくさんのレースを駆け抜け、たくさんの『魔法』をかけてきた、ある日のこと──いつだったか、商店街の福引で当てた『温泉』へと向かうべく、スイープトウショウと2人電車に揺られていた。

 

「遊園地でも良かったんだぞ?」

 

「別に遊園地ならいつでも行けるし……それに、ふんっ。『約束』したでしょ、一緒に行くって」

 

「よく覚えてるな」

 

「あのねえ、ミナセ。『約束』は忘れちゃダメなのよ? 言っとくけどアタシ、アンタとの『約束』はぜーんぶ覚えてるんだからね。破ったら『1日中体が痛くて動けなくなる魔法』かけてやるんだから」

 

 ガタンゴトン。ガタンゴトン。

 

「それより早く着かないかしら? そうだ、『魔法』で電車を早くしちゃいましょ! 『刹那を駆けよ! アルストロメリア☆』!」

 

 ガタンゴトン。ガタンゴトン。

 

「さあミナセ、『呪文』を強化する手伝いをしなさい! まず、荷物からトランプを出して!」

 

「どうするんだ?」

 

「どうもこうも──当然、遊ぶのよ! ふふん、アタシ、強いんだから!」

 

 ガタンゴトン。ガタンゴトン。揺れる電車はいつも通り、時々揺れていた。この電車が向かうところははっきりしているが、そこが乗客が向かおうとしている場所は必ずしも限らない。

 

 時々考えることがあった。

 

「ほらほら、ジョーカーは『右』と『左』どっちなのよ〜? 顔に出てるわよ、ミナセ〜!」

 

 どこから来て、どこに居て、そしてどこへ向かおうとしているのか──駆け抜けた日々は『偽物』だったのか、それとも『本物』だったのか。水瀬には分からなかった。

 

「……『右』がジョーカーだ」

 

「ふーん? 『ウソ』じゃないわよね〜?」

 

「『駆け引き』かもな」

 

 『正しい道』に生まれ落ちたものは『幸福』だ。進むべき『道』が目の前にあって、その上を走っていけるなら──それはきっと、『幸せ』なことだと思った。

 

「あははっ! ミナセってば、『ウソ』が下手ね! 分かりやすいのよ、アンタは〜!」

 

 『騙している』とは思っていなかった。いや、思いたくなかったのかもしれない。これまで辿ってきた『道』は正しかったのだろうか? 

 

 ガタンゴトン。ガタンゴトン。

 

「ほら──『左』だった。ちょっとは『ウソ』をつく練習でもした方がいいんじゃないのかしら〜?」

 

「……余計なお世話だ。まったく」

 

「あっ、拗ねた! あはははっ!」

 

 電車は『終点』へと向かう。人生も同じだ。『道』には必ず『果て』がある。そして限りある時間がもうすぐ終わると知った時、どうしてそれが惜しくなる。

 

「ほーら、もう一回よ。アンタがアタシに勝てるまで、しょうがないから付き合ってあげるわ」

 

「……まったく」

 

「あと、アンタが負けるたびに罰ゲームね。顔にラクガキしてあげるんだから」

 

「君が負けても同じだからな」

 

 ガタンゴトン。ガタンゴトン。

 

 

 

 

 深い山の奥、全国でも有名な『温泉地』の一つ。

 

「へぇ〜。ここが今日泊まるところなのね。ミナセ、旅館を隅々まで『探検』するわよ!」

 

「……今年の『冬』は冷えそうだ」

 

 『11月』中旬、高地というほどでもないが、少なくともトレセンよりは高いところにあるせいだろう。一層『冬』の気配を感じる。

 

 なかなか趣き深い旅館へと入っていった。そしてフロントの人に受付を頼むと……。

 

「お客様、その……お顔が随分汚れていらっしゃいますが……?」

 

「気にしないでください」

 

 ラクガキだらけになった水瀬の顔を見て、受付の人が少し笑っていた。それを見てスイープもニッコリ。結局水瀬の顔になにを書いたのか、水瀬は『見るな』とスイープに言われていたので結局見てない。

 

 

 

 

「ふぅ……! こんなに広い旅館を用意するなんて、あの商店街もなかなかやるじゃない!」

 

 珍しく、というか──いや、やっぱりここまでスイープが上機嫌なのは珍しい。ここへ来る途中にバスに乗り換えた時も、苦手なはずなのに文句ひとつ言わなかった。

 

「お風呂も広いんでしょ!? 泳げるかしら! あとゲームコーナーもまわってみたいわね!」

 

 ラクガキ一つないスイープがはしゃいでいた。いくら『魔法使い』でもまだまだ子供。好奇心は尽きないらしい。

 

「まだまだ見きれてないところがたくさん! アタシ、もうちょっと建物の中を見てくるわね!」

 

「迷子になるなよ」

 

「ならないー!」

 

 荷物を置いて颯爽と客室を飛び出したスイープを見送って、水瀬は窓から見える景色を眺めてみた。『秋』の残滓が僅かに残っていた山は侘しく、そして霧が深い。反対側は温泉街として賑わっているのが見えるのだろうが、ここからではわからない。

 

(……どこか、あの町に似ている)

 

 

 

 

 

 いつの間にか寝ていたらしい。目を覚ました時には窓の外はもう真っ暗になっていて、軽く顔を洗うために洗面台へ歩いた。備え付けの鏡を見ると、油性ペンでラクガキされている水瀬の顔がある。ネコのヒゲとか、ハートマークとか星マークとか好き勝手に書き散らされている中に、鏡文字で何か書いてある。

 

(……『アタシの使い魔!』、か)

 

 せっかく温泉旅行に来たのだし、温泉にでもいくことにした。

 

 旅館の中を歩いていると、ちょうどスイープが脱衣所から出てくるところだった。

 

「あーっ、やっと起きたわね! バカみたいにグーグー寝てるから、先にお風呂入っちゃったわよ!」

 

 まだ眠気の残る水瀬の顔を見て、スイープが首を傾げた。

 

「……? どーしたのよ。なに、その顔。ヘンなの!」

 

「君が書いたんだぞ、これ」

 

「ふふっ! コーエイに思いなさい。これでみんな、見ればすぐにアンタが『アタシのだ』ってわかるでしょ?」

 

「落としてくる」

 

「あーっ! ちょっと、なんで消しちゃうのよっ! もういいっ、もう知らないんだからねっ! バカ!」

 

 そんな言葉を背中に浴びて、水瀬は脱衣所の中に消えていった。

 

 

 

 

 コンコンコン。返事がない。

 

(ほっとき過ぎたか?)

 

 怒ってるかもしれない……。ドアノブを捻ると鍵は空いていた。そーっとドアを開けて様子を伺うと……。

 

 バフッ!!

 

「……ふふっ、あっははは! 引っかかったわね! ミナセったらマヌケ顔〜!」

 

 ちょうど枕を投げ終えたスイープが満足げに口元を緩めていた。

 

「旅館といえば枕投げでしょ! もう1発、お見舞いしてあげるわっ!」

 

「いいだろう、戦争だ……」

 

「あっはは、ミナセがおこった〜! ぜんぜん怖くなーいっ!」

 

 しばらく枕投げをやって(結局ボコボコにされた)、夕食をとってから、結局もう一度温泉に入ることにした。

 

 思えば、今日のスイープは妙に聞き分けがよかった。遠出した時は、大抵イヤイヤが1回は発動するのに、さっきだって結局なにもなかったし、電車に乗るための早起きも、道すがらも、駄々をこねることはなかった。

 

 寝ていた水瀬を起こすこともなかった。1人でお風呂に入って……。

 

(……労ってくれた、んだろうな。多分)

 

 それが分からないほど鈍くはない。多分、水瀬を困らせないように我慢した部分もあったのだろう。

 

(『3年間』──)

 

 その短くない時間の中で、スイープはずっと変わらなかった。意見を変えることも、意思を曲げることなく貫き通して『魔法使い』になった。だが、変わった部分もあったのかもしれない。子供は成長するものなのだろう。そして少しずつ大人になる。

 

 

 

 

 

 脱衣所を出ると、スイープが水瀬を待っていた。

 

「……」

 

「どうした?」

 

「〜〜〜っ! なんで──なんで部屋が別々なのよ〜〜〜っ!!」

 

 そりゃそうだろ。

 

「せっかくのお泊まりなのに、夜のおしゃべりもできないし! 部屋は広くて、和室で、すみっこの方はなんだか薄暗いしっ!」

 

 姫はお怒りだ。いつも通りで安心した。

 

「怖い……わけじゃないけど! 最初はガマン、してみたけど! ──やっぱりすっごく『退屈』なのっ!」

 

「……眠くなるまでお喋りするか?」

 

「……っ! ま、まあ? ミナセも『退屈』だろうし! いいわよ、眠くなるまで付き合ってあげるっ!」

 

 

 

 それから、スイープが眠たくなるまでの間、ゆっくりとお喋りをしていた。

 

「……ねぇ……ミナセ……。アタシ、ね……」

 

 半分ほど眠っているスイープが、朧げに口を開く。

 

「ずぅっと……いっしょ、よ……?」

 

 そう呟いてスイープは瞳を閉じた。すぐに静かな寝息が聞こえ出した。

 

「……」

 

 変わったものと変わらなかったもの。変われなかったものと、変わるしかなかったもの。

 

「おやすみ、スイープ」

 

 静かに立ち上がり、薄暗い照明を完全に落とすと、部屋は暗闇に包まれた。最後に眠っているスイープに振り返ると、水瀬はゆっくりとドアを閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ( ´∀`)

 

 

 

 

 

 

 結局、学園に着く頃には夜になっていた。よく晴れた夜空には月が掛かっていて、蛍光灯の灯りがなくても道を歩くことが出来た。

 

 『冬』の寒さがじわじわと体温を奪おうとする。

 

「それじゃあね、水瀬。寒いんだから、今日はあったかくして寝るのよ?」

 

 最後に、スイープを寮に送り届けた。薄暗い中で、玄関の灯りが少し先に見える。

 

「分かった。……なあ、スイープ。ありがとう」

 

「? なぁに? どうしたの、急に」

 

 突然変なことを言い出した水瀬に、スイープは少しだけ微笑んだ。

 

「君に会えたこと。君と過ごした『魔法』の日々に、俺はずっと救われていた。君はこんなにもたくさんのものをくれた」

 

「ちょっと、ホントに何なのよ。恥ずかしいわね」

 

 少し恥ずかしがるスイープに構わず、水瀬は真剣な表情で続けた。

 

「君からもらったこの『幸福』を、少しでも君に返せたか? 俺が『トレーナー』で良かったか?」

 

「もう、いきなり何なの?」

 

「悪い。どうしても聞きたいんだ」

 

 はぁ、と白いため息を吐いて、スイープは答えた。

 

「まったく……まあ、ミナセは『使い魔』としてまあまあアタシの役に立ってきたし……そうね。アンタが『トレーナー』で良かった、って言えなくもないわね」

 

 素直じゃないのは変わらないな、と思った。

 

「あっ、だからってこれからも手を抜いたり、サボったりしたらダメなんだからね? アンタはこれからも、ちゃーんとアタシの『使い魔』として、アタシのためにキリキリ働くの!」

 

 本当、容赦ないご主人様だ。

 

「明日も、その明日も、そのもっともっと次の日も! ずーっとアタシのために働きなさい! 分かった?」

 

「……ああ。分かった」

 

「ほんと? 『ウソ』じゃない?」

 

「少しは『使い魔』を信じろ」

 

「ふん、まあいいわ。……じゃ、また明日ね、ミナセ! おやすみなさい!」

 

「ああ。……スイープ」

 

「? なに──」

 

 

 

 

 

 玄関へと向かおうとしたスイープが振り返った。その瞬間、スイープの体が抱き締められていた。衣服越しでも体の感触を感じて、頭が真っ白になった。

 

「へ……? ……あ、あ、あ……み、ミナセ……っ?」

 

 ひんやりと冷たい外気の中で、顔が真っ赤に熱くなって、どうしようどうしようと訳のわからない思考が頭を回る。柔軟剤の香りがして、体は『魔法』をかけられたみたいにピクリとも動かなくて──

 

「『魔法』をかける。『どうか幸せになれ』、スイーピー」

 

 いつになく真剣な水瀬の言葉も耳を滑って抜けていく。どうしようどうしよう、どうしよう──と、形を成していない言葉が浮かんでは消えて、浮かんでは消えて。

 

「し、『幸せ』……? ぇ、ぇぇぇぇ……あ、アンタ、な、なななな、なにを」

 

「君には笑い合えるライバルがいる。成し遂げたものがある。これから何が起きても、それだけは『真実』だ。君は確かに走っていた──『レースの世界』で、確かに『魔法』を使った」

 

 痛くないように優しく抱き締める力加減と、囁くような声の中に、小さな『後悔』のようなものを感じて少しだけ頭が冷えた。

 

「み、ミナセ……?」

 

「……どうしても伝えておきたかった。今までありがとう。君の『トレーナー』として、君の『魔法』を側で見ることができて、俺は『幸せ』だった」

 

 『真摯』と表現するには、どうしても『何か』が足りない。

 

「……ば、バカ。なによ……そんな、変な言い方しないで。アンタはアタシの『使い魔』なんだから、ずっと側に居なきゃいけないんだから……っ!」

 

 そう言い返したら、水瀬が苦笑いした──ような、気がした。顔が見えなかったが、多分そんな顔をしていた。

 

「もうっ! み、ミナセのくせに、アタシをこんなヘンな気持ちにさせるなんて、『使い魔』失格よっ! 明日からまた鍛え直してやるから、覚悟しなさい……っ!」

 

「……ハハ。勘弁してくれ」

 

 そう呟いて、水瀬は腕を解いて立ち上がると背中を向けた。振り返りもせずに歩いていく背中をスイープは少し赤い顔で睨みつけていた。

 

「おやすみ、スイープ。……それじゃ」

 

 吐き出した息が少し曇って消えていった。月のかかった空を雲が覆っている。

 

 そのまま暗闇に消えていく背中に手を伸ばそうとしていたら、水瀬の背中はとっくに見えなくなって、そして消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 

 

 

 

 ようやく解放されて、感覚が少し変だと思った。見える景色も少し違って見える。きっと大概の人が同じ感覚を抱くだろう。

 

 どれだけ汚れても、『犯罪』には手を染めないつもりでいたが、結局人というものはいざというときには手段など選ばない。そのことが、身に染みて分かった。『インサイダー取引』に手を出すべきじゃなかった、なんて後悔しても遅い。成宮が自分を陥れようとしていたことにどうして気が付かなかったと後悔しても遅い。

 

(もっと、話をするべきだったのか? アイツのことを知ろうとしなかったのか、それとも……俺が、分かってもらおうとする努力をしなかったからか。……両方か。言われてみれば、確かにアイツはプライドが高かった)

 

 今まで出会ってきた誰もが水瀬を理解しようとせず、ただ恐れたように、水瀬もまた、世界の全てが自分の敵だと信じ込んでいたのかもしれない。

 

(成宮。お前、そんなに俺が憎かったのか。そうだったのなら、さっさと言えばよかったのにな)

 

 こういう思考が裏切られる原因なのだろう。自分でも分かっている。

 

 人間は愚かな生き物だ。水瀬を会社に残していた方が、ずっと利益を上げられる。それは成宮にも還元されて、みんなハッピーだった。感情なんてものがあるから、いつだって水瀬は先に裏切られる。

 

 今日から晴れて『犯罪者』だ。『裁判所』から解放されて、最初に浮かんだのがそんな言葉の時点で、もう『人生』の大半を諦めたような気持ちになる。

 

(……これからどうするか)

 

 裏切った成宮と萩原に復讐をするべきだとも思ったが、どうも気が乗らない。

 

 もう1度別の事業を起こして成り上がらなければと思ったが、体が重い。

 

 いっそ普通に就職するべきだろうか? いや、『前科持ち』を採用するところはないだろう。それとも黙っていればバレないという話も聞く。

 

 どうしようもなく空虚な気分だ。積み上げてきた全てのものを失った。もう少しで『自由』になれたのに、どん底にまた滑り落ちた。それも他人に足を引っ張られて。

 

 そう遠くないうちに来る大学からの連絡とか、借金取りからの電話とか、今月も変わらず来るであろう実家からの電話とか、今月の家賃のこととか、あるいは口座残高のこととか、将来のこととか。

 

 金、金、金──水瀬の人生はずっとそれだ。

 

 金がないことで発生した全ての問題が、いつだって頭を埋め尽くしていた。

 

 ──他人が羨ましかった。当たり前のように人生を謳歌しているただの人々が羨ましくて、手を伸ばした。伸ばした手は空を切り、そして足がもつれて、転んだ。

 

 この街に来て今年で4年も経つ。どん詰まりの人生の中にあった最後の『希望』を抱いて上京して、ついには『犯罪者』にまで落ちぶれることになるとは、まさか想像もしていなかった。

 

「ほっほ。浮かない顔じゃな? まぁ、仕方ないがの」

 

「……二階堂さん。今回の件は、本当に申し訳ありませんでした。期待を裏切ってしまい……」

 

「まさか、君が下手を打つとはの。背中を任せるということは、いつ刺されてもおかしくないということ。身に染みたじゃろう。ほっほ!」

 

 道に止まっている黒塗りの高級車の扉を老人は開いた。そして水瀬に振り返る。

 

「乗るといい。昼飯もまだ食っておらんじゃろ?」

 

 

 

 

 

 街は変わらない。誰が踏み潰されようと、誰が成り上がろうと、忙しく行き交う。

 

「判決は残念じゃったな」

 

「執行猶予がついただけありがたいです。本当に……ありがとうございます。ですが、どうして……」

 

「君を助けた理由かね?」

 

「評価して頂いているのはありがたいですが、ヘマを踏んだ俺なんかのために、わざわざ弁護士まで用意してくれるなんて……どうお礼を言えばいいか、分かりません」

 

 懲役1年2ヶ月、執行猶予4年。ついでに罰金が400万円。課徴金が課されなかっただけマシで、執行猶予まで付いた。そう上々の結果とは言えないが、実刑を食うよりはずっとマシだった。

 

「本当に、どうお礼すればいいのか……」

 

「ほっほ。未来ある若者を助けると思えば、安いものじゃよ。もちろん、多少の見返りは期待しとるがね」

 

「……本当に、嬉しかったんです。誰か1人でも、俺を助けようとしている人がいるってことが……。本当に、有り難かった……」

 

 無償の善意などでなくとも、この老人が水瀬のために様々なことを手配してくれた。それがどうしようもなく嬉しかった。本心だ。

 

「この『恩』には、必ず報いてみせます。本当に……ありがとうございます、二階堂さん」

 

「なに、気にするな。ところで、これからどうするんじゃ?」

 

「……罰金の400万と、毎月の返済額を稼がないといけないので。どこか働く場所を探そうと思います」

 

 ずっと金に追われていた。そのことを思うとまた体が重くなる。

 

「ふむ。なら、ウチに来んかね?」

 

「……どういうこと、ですか?」

 

「罰金合わせて、借金の合計が4000万ほどじゃったか? ワシが全て肩代わりしよう。その代わりとして、ウチが関わっとる会社で、ぜひその力を発揮してもらうがの」

 

「……つまり、俺を買いたいってことですか?」

 

 どこか意外で、しかしそんな予感はしていた。無償の善意など逆に怪しい。それだけ水瀬を買っていることの裏返しでもある。

 

「ほっほ、まあそうなるかの。優秀な人材はいくらあっても足りん。君を『借金』から助け出す代わりに、しばらくは会社のために働いてもらうことになるが、どうかね」

 

「……成り上がろうとしてたのは、『金』から解放されるためです。前みたいにがむしゃらにやれるかは、分かりません」

 

 借金がなかったならここまで貪欲に成り上がろうとする必要もなかった。老人の提案はある種理想的なものだったのは確かだが、同時にその貪欲さを奪うものでもある。

 

「構わんよ。気持ちが消えても、その能力まで失われることはない。君は上手くやれるじゃろうて」

 

「……ありがとうございます。願ってもない話で、ぜひお願いしたいです。けど、1つだけお願いがあります」

 

「何かね?」

 

「少しの間……『休暇』を頂けませんか」

 

「ふむ。何故じゃ?」

 

「──疲れました、少し」

 

 上を見て走り続けて、横から足を引っ掛けられて──萩原たちと共に会社を立ち上げる以前も、水瀬の人生はそんなことに溢れていた。休むことなく走り続けた疲労は確かに蓄積し続けていた。

 

「……ふむ、確かに君には色々あったからの。確かに『休養』は必要じゃ、そういうことなら良い場所がある。ある『学園』なんじゃがの」

 

「『学園』……?」

 

「人間、あまりに暇じゃと余計なことを考え過ぎる。じゃからという訳でもないが、しばらくその『学園』の『事務員』でもやってみんか? なに、静かな『窓際部署』じゃよ。『休暇』だと思って、気楽にやればよい」

 

 その提案は、どこか魅力的に思われた。『事務員』という平凡さは、水瀬が望んでやまなかったものでもあった。

 

「……どうして、俺のためにそこまでしてくれるんですか?」

 

「なあに、ただの『取引』じゃよ、気にすることはない。それに、世の中そう捨てたものばかりでもないわい。のう?」

 

 後にも先にも水瀬に手を差し伸べてくれたのは、この老人だけだった。だから、その『恩』に報いることができないことだけは、本当に心残りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 @@-

 

 

 

 

 

 

 府中に広大な敷地を構える学園。春先の風がスーツの裾を揺らして、静かにその建築物を見上げた。

 

(ここが『トレセン学園』、か──)

 

 待ち受けている『運命』も知らないまま、水瀬は歩き出した。

 

 

 

 

 

第八話 『未来』へ歩くということ 終わり




最終話はプロットから書き直すので投稿遅れます……
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