『信頼』というものは、壊れやすく、そして築きにくい。
トゥインクルシリーズは『潔癖』でなければならなかった。輝く宝石の中身に泥が詰まっていると知られてしまっては、誰がそれを尊ぶものか。
「ねえ聞いた? 正式に逮捕されたんだって、水瀬トレーナー」
「マジ? じゃあ……本当に、今のいままでずっと騙されてたって言うのか?」
「正体不明っていうのも、今考えたら怪しかったよね。それに……ほら、知ってる? 『犯罪歴』があったんだよ」
「はあ!? それ、マジ……? そんな『過去』があったのに、トレーナーになれたなんて」
「違うんじゃない? そんな『過去』があったから、ライセンスを偽造したんだと思うけど」
軽蔑、驚嘆、失望。
「どっちでもいいよそんなの。はぁ、マジで許せねぇ。『魔法』つって、ただの詐欺師じゃねえかよ、こんなの」
「……これからどうなるんだろ、レース業界──」
「つまり、水瀬トレーナーが自首するまで、誰もライセンスの偽造に気が付かなかったんでしょ? それってさ、組織的にどうなの」
「いやいや、トレーナー免許の偽造なんて1人じゃできないだろ。どっかに協力者が居たに決まってる!」
「あー、なんかニュースで言ってた。……でも、なんか残念だよ。あんなすごい才能があった水瀬トレーナーの目的って、結局お金だったってことじゃん。なんていうか、本当に……残念。あーあ、好きだったのになぁ」
「俺はもうトレセン全部を信じられないよ。他のトレーナー連中だって『そう』なんじゃないか? っていうか、元からグルだったに決まってる! くそ、もうレースなんて見ないぞ……!」
積み重ねてきた全ての歴史に泥をぶち撒けて、そして本当に困難な瞬間はこれからやってくる。
「URA、及びトレセン学園としましては、水瀬トレーナーの行ったことは決して許されるものではなく、然るべき場で、然るべき責任を追求していきたいと考えております」
──あるいは、最悪の悪手。
会見で示されたトレセン、ひいてはURAの対応は『無関係』。学園としてはそのようなことが起きていたことは全く知らなかったし、全ては水瀬が主体の行動だったという。
「えー、経緯としましては、職員の1人が、水瀬トレーナーから何らかの報酬を受け取る形で、その見返りとしてライセンスの偽造が行われていたと考えています。警察と協調して、厳しく追求していく所存です」
水瀬光一はトレーナーとして得られる利益を狙って、職員と取引。そして現在に至るまでの『3年間』、全てを騙し続けてきた。それが会見で語られた大筋の内容だ。
「XX新聞です。この件には二階堂氏の関与が疑われていますが、それについてはいかがですか?」
「えー、トレセン学園に所属している二階堂トレーナーに関しては、この件には関係がないと考えております」
「現在警察の捜査で、水瀬トレーナーと二階堂トレーナーの間には何らかのやり取りが行われていた可能性が浮上してきました。それについては」
「学園としましては、トレーナー同士のやり取りに関しては、あくまで個人と個人のやり取りですので、関知しておりません」
「日刊XXです。これまでの水瀬トレーナーの成果に関して、どのような措置を取っていくのでしょうか」
「えー、水瀬トレーナーの行ってきたことは、レース全体に関わる重大な犯罪であると認識しています。これまでの優勝などを取り消すことも視野に入れ、慎重かつ厳密に対応していきます」
ざわ……。
「水瀬トレーナーの担当だったスイープトウショウさんについては、どのような対応をしていくのでしょうか?」
「スイープトウショウさんについては、まだ未成年ということもあり、心身のケアに関して、十分な対応をしていきたいと考えております」
「学園にはトレーナーとウマ娘に対する監督責任があり、それを問われることになると思いますが、それについてはどうですか」
「えー、今回の件に関しては、学園の管理、監督が甘かったために、このような事態になってしまったと考えております。トゥインクルシリーズを応援して頂いているファンの皆様、各関係者などにご迷惑をお掛けし、またお騒がせしていることを、改めて謝罪いたします」
カメラのフラッシュが瞬いた。
頭を下げたトレセン学園、及びURAの重役たちが並んで頭を下げる姿は、トゥインクルシリーズの零落を示すのには十分であり、そしてこの会見で示されたトレセンの立場は良くも悪くも非常に分かりやすいものだった。
一つの時代が終わろうとしている。
--
(……スイープさん、今日も来てない)
空の曇り具合がまた不吉で、雨が降るわけでもなくただ薄暗い空。キタサンブラックは浮かない顔で教室を見回した。いつも通りの騒がしい場所、だが校内で時折見かける警察らしき人の姿や、連日のニュースはそれぞれの心の中に楔を打ち込んでいる。
──12月初旬、未来の行方は未だ知れず。
「うーん、それでさ。うちのトレーナーまで疑われちゃってさ」
「あ、そっちも? なんか一斉検査なんだってね。まあ、仕方ないのかもしれないけど」
「ファンの人たちもかなり不安になってるし、変なゴシップ記者が入り込んでたとか、やたらインタビューに来るメディアの人とかさ。いい迷惑だよ、ほんと──って、いや、違うよ。今のはそういうつもりじゃなくて」
「あ、うん。分かってるけど……」
雑談をしていた彼女たちがチラリと目を向けた先には、主を失った机。スイープの席は今日も空っぽだ。つられてキタサンブラックもその席を見てしまった。
(……やっぱり、会いに行きたい。けど……何を話せばいいんだろ)
自分のトレーナーが最悪の詐欺師だったなんて経験は普通の人にはない。慰めようとしたって、無関係の自分に一体何が言えるのだろうか。
その迷いがキタサンブラックの心を鈍らせていた。
(だめだめっ! もうこうなったら当たって砕けるしかない!)
心中の迷いを振り切るように大きく首を振って、軽く決意を決めた。そして栗東寮までやってきたが──
「スイープのことは、放っておいてやってくれないかな?」
「……でも、あたしっ! いつまでもスイープさんのことを放っておいておけません!」
そんなキタサンブラックを見て、フジキセキは苦笑いを浮かべた。
「君の気持ちはよく分かるよ。心配なのは私も同じさ。でも……」
そこで言葉を区切って、暗い顔で呟いた。
「…………正直、見てられない」
フジキセキにしてはかなり深刻な言葉で、そんな言葉が飛び出してきたことにキタサンブラックは驚いた。
「ずっと部屋に閉じこもってるんだ。それでさ、私も元気づけようと思って部屋の前まで行くと、スイープの泣き声が聞こえてくるんだ。朝から夜まで……泣いて、泣き疲れて、眠って、起きたらまた泣くんだよ、あの子」
フジキセキの悲痛な表情が物語るスイープトウショウの心境。そして友達として、もっと早く会いに来なかったことを後悔した。
「ごめんね、とか……帰ってきて、って……偶に聞こえてきてさ」
フジキセキがスイープを放っておいたはずがない。しかし、きっとどうすることも出来なかったのだろう。その結論として、フジキセキは時間が解決してくれることに期待したのだ。
「彼女の抱えている問題は、もう解決することが出来ない。どんな慰めもスイープにしてみれば意味がないんだ。情けない話だが、もうお手上げさ」
何を伝えればいいのだろうか。
(……でも、会わなきゃ。変えようとしなきゃ、きっと始まらない)
「君がスイープをどうにかして元気づけられるなら、それでもいい。私もこれ以上、スイープのあんな姿を見ていられない……」
彼女の部屋はすぐそこだ。
-
『スイーピー。『魔法』はお前さんの周りに溢れてる。でも、気をつけなくっちゃあいけないよ?』
『何かを得るためには、何かを差し出さなければならないのさ。美しいお花を咲かせるためには、毎日きちんとお花のお世話を続けなきゃいけない』
『何かを得るために、何も差し出さなかったらどうなるかって? そりゃあ決まってるよ。『代償』を払うのさ』
『そうだね、じゃあ例え話をしようか』
『スイーピー。お前さんはとってもお腹が減っていて、目の前には他の人が育てたあまぁ〜い果物がある。それを勝手に食べてしまったとしよう』
『そうすると、その育てた人はお前に怒るだろうねぇ。自分が苦労して育てたものなのに、どうして何もしてないお前が勝手に食べることができるんだ、ってね。そうだろう?』
『そうだねえ、この場合だと、お前さんは自分が食べた分の果物を、自分で育てなおして、その人に返さないといけない。それでその後にちゃあんと謝るんだよ?』
『それが『代償』。『償う』ということなんだよ、大事なことさ。それをしないと、その『代償』はもっともっと大きくなって、いつの日かお前さんを酷い目に遭わせるだろう』
『誰でも『間違い』は犯すものさ。大事なのは、それをどのように『償う』か』
『『魔法』だって同じことさ。精霊に力を借りるにしても、ちゃんとお礼をしなくっちゃねぇ。何もないところから火は生まれない』
『それでも無理やり『魔法』を使ったらどうなるかって?』
『そうだねぇ。きっと、恐ろしい『悪魔』がやってきて、お前さんから『代償』を取り立てるだろうさ。だから気をつけないといけないよ?』
『それが『魔法』じゃなくて、『呪い』に変わらないようにねぇ』
レースの魔法の『代償』は、三つの条件。
必要なものをそろえて、アタシたちは『レースの魔法』を使うことができた。
アイツをトレーナーにする魔法の『代償』。きっとアタシは払っていなかった。
『代償』。もしこうなることが分かってたら、アタシは魔法なんて使わなかった。
:
光のない部屋に、ドアから光が差し込んだ。
「スイープさん。あたし、キタサンブラック。入るね」
身勝手な侵入者はそのまま部屋に入り込むと、ベッドの横にあったクッションに腰を下ろした。
「……」
何を伝えられるだろうか──
「ねえ、スイープさん。水瀬さんは、スイープさんにとってどんな人だったの?」
反応はない。少なくとも表面上は、スイープはベッドの上に座り込んで顔を伏せていた。
「ごめんね、こんなこと聞いて……。でも、今あたしがやるべきだと思ったのは、伝えることじゃなくて、聞くことだと思うんだ。1人で抱え込むことだけは、して欲しくないから」
沈黙の中でスイープが感じていること、考えていること。それはきっと苦しみであり痛みであり、深い絶望。それぐらいのことはキタサンブラックにも感じ取れた。
慰めることは出来ずとも、せめてそれを言葉にして吐き出さないと、心が壊れてしまうと思った。
「……だから、スイープさんの抱えてる苦しみを、あたしにも分けてほしい。あたし、スイープさんの悲しんでる顔は見たくない」
「──……アンタに、何が分かるの」
小さな言葉。消えてしまいそうな、泣きそうな声。
「アンタに……アンタたちに──……アタシたちの、何が分かるの」
潰れてしまいそうで痛かった。
「……ミナセは……悪くない……。間違ってた、とか……犯罪者とか……なんで、アンタたちにそんなことが言えるの……」
世間の全てが水瀬を否定し、そしてそれはスイープ自身の否定にも繋がる。自分以外の全てが自分を否定するその壮絶な感覚は、想像したところで本物には到底届かないだろう。
その悪意無き悪意──世間的な弱者をここぞとばかりに叩く『正義』の在り方はあまりに歪
であり、そしてスイープにとってはあまりに酷だ。
「ミナセは……アタシに、何も言ってくれなかった……っ! 、危ないことはしないって、大人になったアタシをちゃんと見るって、アタシにウソはつかないって、もう二度とアタシの前から、黙って消えたりしないって……『約束』したのに……っ」
裏切った。裏切った、裏切った、裏切った──水瀬は裏切ったのだ。信頼を──スイープの想いを、全て裏切って消えていった。
「ウソつき、ウソつきウソつきウソつきっ!! ミナセのウソつきっ! 最初っから最後までウソばっかり、ウソばっかり……っ!! ホントのことなんていっこもないじゃないっ!! ホントのことなんてなんにも話してくれなかったじゃないっ!!」
裏切って消えた。黙って消えていった──『どうか幸せになれ』なんて身勝手な言葉だけを残して消えて、スイープをひとりぼっちにした。
「ウソつきウソつきウソつきっ!! みんなウソつきっ!! アタシたちのこと、散々褒めちぎっといて、いざミナセが悪者になったら手のひら返して好き勝手言ってっ!! 物知り顔でミナセの目的がどーとか、過去がどーとかっ!! 勝手なことばっかり言ってんじゃないわよっ、アンタたちがミナセを語らないでよっ!!」
勝手に熱狂して、勝手に失望して、そして勝手なことばかり言う。スイープの抱える『傷』に対して世間はあまりにも無責任だ。
「ミナセが言い返せないのをいいことに……『死ね』、とか──言ってるヤツがいた……! 『ゴミクズ』とか、『最低最悪の犯罪者』とかって……っ! 『ふざけんな』、とか──こっちのセリフに決まってんでしょ、そんなの……! ふざけないでよ、ふざけんなぁっ!!」
悔しさと無力感。そして、怒り──
「ミナセはお金なんかのためにトレーナーになったんじゃない!! アタシたちはそんなことを言われるために走ってきたんじゃないっ!! アタシは……、アタシは……そんな、くだらないもののために、『魔法』を使ったわけじゃない……。アタシは……──」
キタサンブラックは何も言えなかった。
「アイツにしてもらったこと、何にも返せてない……っ、ひっ、アタシ、ぐずっ……アタシ……っ、ミナセに、なんにも伝えてられてない……っ、『ありがとう』も『ごめんね』も、言えてない……っ、これで『さよなら』なんて、イヤ……っ!」
──何も言えず、何も言わず、キタサンブラックはただスイープの側にいた。
スイープトウショウは叫び続けていた。
「ちょっと待つんだ、部外者の立ち入りは禁止されてるって言ってるだろう!?」
スイープが少し落ち着いた頃か、廊下の方が騒がしい。
「申し訳ありません。ですが、どうしても彼女に会わなければならないんです」
誰かが足早に歩いてくる音と共に声が大きくなる。
「あっ、ちょっと……!」
慌てたフジキセキの制止も振り切って再び扉が開いた。本日2人目の侵入者──
「突然のご無礼をお詫びします、スイープさん。乙名史です」
『レース記者』──今、スイープが最も会いたくない人種の一つだ。キタサンブラックは突然のことに目を丸くしているが、乙名史はあっさりと言い放つ。
「スイープさん。水瀬さんの『罪』を暴いたのは私です。彼を警察署まで送り届けたのも、この私です」
平然とした言葉に込められた意味は、その口調とは正反対で、あまりに重すぎる。
水瀬は『自首』をした。その理由は『罪悪感』によるものと本人の口から語られていたはずだが、もしもこのレース記者の言っていることが真実であれば、その事実は全く違った意味を持つ。
乙名史はよくスイープたちのトレーニングに来ていた。水瀬とも交流はあった。レース前インタビューでも、スイープにとって重要な質問をしてきたのは乙名史だった。
驚きの色に顔を染めるキタサンブラックの横で、スイープは涙の跡が残る瞳で静かに乙名史を見ていた。
そうだ。確かに、今年の『5月頃』──この記者は言っていた。『水瀬のことを調べている』と。そして水瀬が『元地方トレーナー』だったとこの記者に教えたのは他でもないスイープだ。あれから音沙汰がなかったから、その事実は忘れ去られていた。
「……ミナセを、どうしたの」
「彼の『過去』を暴き、『告発』すると伝えました。最終的にそれは『自首』という形に収まりました」
少しずつ、スイープの瞳に『憎しみ』が浮かんでいく。
「……返して」
「出来ません」
一体、どのようなつもりだ? フジキセキもキタサンブラックも、怖いくらい静かな乙名史の、ともすれば挑発するような言葉に警戒心を高めている。
ただ、スイープだけが──
「返して。返して……アタシの、たった1人の使い魔を……ミナセを、返して……」
「取り返しのつかないことをしました。私たちは」
「……アンタが、黙ってればよかった。なんで……アタシからミナセを奪ったの? アタシが……何か、悪いことをしたの?」
「いいえ。あなたは何も悪くありません。あなたに『罪』はない。『罪』があったのは、水瀬さんだった」
口を揃えて同じことを言う。『あなたは何も悪くない』『悪いのは水瀬光一だ』、と。
「……どうして?」
口を突いて出たのは、何よりの疑問──どうしてこんなことを。
「アイツが、何か迷惑をかけたの? 誰かに悪いことをしたの? ミナセはずっと……必死に、トレーナーをしてただけ。アタシの側に居てくれただけ……」
「許せなかったんです。私は」
答えは簡潔だった。
「……」
それは間違っても『正義』ではなく、身勝手なエゴであり、
「どうしても……許せなかった。たとえ、偉大なトレーナーを1人殺すことになろうと……どうしても、許せなかった」
偽造、虚偽──その『嘘』。
「水瀬さんのしたことを、どうしても許すことが出来なかったんです」
「……そんなの、アンタの都合でしょ」
それを聞いて、ついにスイープが呟く。瞳に乗った色はこれ以上ないくらい明確で、はっきりとした憎しみ。初めて覚えた感情。
「アンタの都合で……ミナセは、もう戻ってこなくなった。アンタが……アンタが全部めちゃくちゃにした! アタシからミナセを奪ったッ!! どうして!? どうしてアンタに──アンタなんかにッ!!」
世間という幅広いものへ向けられていたスイープの怒りは、それをぶつけるべき相手を見つけて、そして叫ぶ。
「どうして!? どうしてアンタなんかにアタシの大切な人を奪う権利があるの!?」
そんなものは、誰も持っていないはずだ。誰かの大切な人を奪う資格など、一体誰が持っているものか。ましてや無関係の他人が──
「詰られるのは覚悟の上です。私を恨んでください。あなたの大切な人を奪った『罪』は、私が一生背負っていきます」
「そんなのどうだっていいわよ!! アンタの人生なんて知らないわよ! アンタの『覚悟』も『人生』もどうだっていいわよっ!! そんなことで──そんなことで、ミナセを……」
誰が誰を許すとか、許さないとか。そんなものはスイープにとっては全く重要ではない。大切な人を奪われるのなら、せめて相応の理由が無ければならなかった。
「アンタ……知ったんでしょ? ミナセはゼロからトレーナーになって……ずっと、ずっと頑張ってきた」
今思い返せば──出会った頃の水瀬は、本当にただの素人だった。当時のトレーニングは見様見真似もいいところで、酷いものだった。だがそれはすぐに改善され、効果的なものへと変わった──その裏側にどれだけのものがあったのか、スイープにはなんとなく分かっている。
それは乙名史だって同じはずだ。
「『偽物』? 『無免許』!? ふざけるのもいい加減にしてっ!! みんな──アタシたちに勝てなかったくせに……!!」
誰もスイープに敵わなかった。
「『本物』なら価値があるの!? 『資格』のある無しがそんなに大事!? そんな、くだらないものさしがそんなに大事なの!?」
「大事ですよ。そんなものでも、この社会にとっては……」
誰も『偽物』に勝てなかった──それを『偉業』と呼んでもいいかもしれない。同時に『破壊』だったことも認めなければならない。
トレーナーたちの面目は丸潰れなんてものではない。積み上げてきた尊厳も歴史も、その全てが元犯罪者の素人に敵わなかったなど、どう言い繕っても致命傷だ。
「この社会はそんなものに従って動いているんです」
子供の頃、世界はどこまでも自由だった。しかし、現代において生きるということは、社会のルールに従うということ。スイープの見ている世界と、乙名史の見ている世界は別物だ。何もかもに不自由なフィルターを通して世界を見ている。
「──この世界に『魔法』などないんです。そうでなかったら、こうも奇跡や魔法を求めることなんかない」
乙名史が否定したそれは、乙名史自身が何よりも焦がれていたものだ。それでも否定した。己のエゴのために否定したのだ。
「人々がなぜ、あなたの『魔法』にかかったか分かりますか? どうしてあなたに『魔法』を求めたのか分かりますか?」
子供の語る『夢』は、大人がどんなに口で誉めても、心の片隅では知っている。そんな『夢』はどうせ実現しないと。だがスイープは違った──スイープだけが例外だった。
「それはこの社会に『魔法』がないからです。この世界で、ただ1人、あなただけが『魔法』を使うことが出来る……でも──」
『魔法使い』スイープトウショウ。無敗の魔女──そんな御伽話のような存在。現実離れさえした存在である彼女は、結局はただの少女だで、こんな現実を叩きつけられる謂れなどない。だがそれは乙名史だって同じことだ。
「たかが『魔法のひとつ』でただの『事務員』を『トレーナー』にされてはたまったものではありません。あなたが『魔法使い』でも、私たちはそうじゃないから──『制度』を作り、『ルール』に従って、『法律』の下で生きている」
──トゥインクルシリーズとて、所詮は経済活動の一つではないか。『夢』も『魔法』も、所詮は客を寄せるための看板だ。そして乙名史はその看板を担ぎ上げてきた者の1人だ。
「『魔法のない世界で生きるということ』とはそういうことです。いざという時──奇跡は起きない、魔法も使えない、ヒーローなんて現れない……現実はいつだって残酷で、世間はいつだって身勝手で、私たちはいつだって薄情で──こんなくだらない感情に振り回されて、全部を台無しにしてしまう……」
スイープと違って、水瀬の人生には魔法がなかった。
「……だから我々は、レースの中に、いつの間にか失っていた『夢』を求めているんです」
だからスイープの走りに魅せられた。スイープの『魔法』の中に、人生で失ってきた何かを求めて──二階堂に脅されて始まったトレーナー活動も、結局水瀬が選んだのはトレーナーであることだった。
やめようと思えばいつでもやめることができた。でもそうしなかったのは、水瀬だって『魔法』を求めた大衆の中の1人だったからだ。
「あなたたちが現れた時、私は歴史が動き出すのを感じていました。まるで映画のような話だと……『魔法』のようだと、そう思いました」
今更何を言い訳することもない。詰られようと、これは乙名史の本心だ。
「……私は水瀬さんの過去を調べたことを後悔しています。こんなことになるのなら、知らないほうがよかったのかもしれません」
「ッ……だったらなんでアイツを──」
「──知ってしまったんです、一度でも『真実』を知ってしまったら忘れることなどできない! その『罪』を見過ごして、私は二度と『夢』を語れない!」
乙名史が求めていたのは、全てのウマ娘が輝く未来。その輝きの下にある薄汚い現実が横たわっていた。
名門で固められたトレーナー業界。忖度の横行するトレセン。二階堂健人のくだらない意地に水瀬は巻き込まれ、そして『嘘』を吐き続けることを選んだ。そしてそんな水瀬をスイープは無邪気にも信じていた。
だから、それを知った時、乙名史は──
「思ってしまったんです。許せない、と──」
何を勝手なことを、と──キタサンブラックは思った。
「……『報い』を受けさせなければ、と思ってしまう。『信頼』に背いた者たちに、何の『罰』も与えられないというのなら、私が信じてきたものとは一体なんだったんですか?」
独白。乙名史は真っ直ぐにスイープを見て言い切った。
「だから……これから話すことは、私の『償い』だと思ってください。あなたの大切な人を奪ったことへの『償い』だと」
「聞きたくない。今すぐ帰って。もう二度と、アタシの前に顔を見せないで……っ!」
これ以上乙名史の言葉など聞きたくなかった。
「水瀬さんの実家に伺いたいと考えています。もしよろしければ、あなたも」
スイープの顔からさまざまな感情が消えて、一瞬きょとんとして乙名史を見上げる。
「……」
それから少し沈黙があった。
「……ミナセの、家……──」
呆気に取られたようにスイープが言う。
「……ミナセの、『家族』がいるの?」