スイープトウショウ、『有馬記念』への出走を表明──
あるメディアが報じたその一報は大きく世間を騒がせる。今もなおグラつく業界の中において、その意味が持つのは非常に大きい。
「おいおい、マジかよ……!? スイープトウショウ……有馬に出るってのか……」
「……もういいじゃん。スイープトウショウが強いのはもうみんな分かってるって。これ以上は、もういいよ」
そろそろ出走登録の時期となる。今年の有馬はスイープトウショウが出走するにしろ、しないにしろ、非常に重要な意味を持つ。何せ、『彼女』──『ディープインパクト』も有馬へ出走することを明らかにしているからだ。
ディープインパクト──七戦七勝、『無敗の三冠バ』。
圧倒的な強さを誇る『現代レースの結晶』、それがディープインパクト。ティアラ出身のスイープトウショウと双璧を成す、レースシーンの頂点に立つウマ娘。そしてスイープトウショウが崩れた今、彼女の背中には大きな期待がかかっている。
「……ディープインパクト、勝ってくれるよね」
「勝たなきゃダメだろ! だって、スイープトウショウは……水瀬トレーナーは! 『偽物』だったんだ!」
『本物であることを証明しろ』、と人々は願う。それは縋り付くような懇願に似た『願い』──
『無敗』のウマ娘など、一時代に一人現れるか現れないか、という存在。それが今の日本には二人居る。そこで次の疑問が現れる。
ではどちらが強いのか?
「有馬は『長距離戦』だ! 長距離経験のないスイープトウショウより、『菊花賞』を勝ち抜いたディープインパクトの方が勝つに決まってる!」
「でも長距離を走ったことがないってだけで、走れないって決まったわけじゃない。スイープトウショウには『ありえない』なんて言葉は通用しないよ、これまでもそうだったじゃん」
「でも、もし……スイープトウショウが勝ったら……『偽物』はディープインパクトのほうってことになるんじゃ……」
「……こんな形で二人が戦うことになるなんて……こんなの、見たくなかった……!」
史上最悪の『有馬記念』まではもう少し。日々の冷え込みが強まるある『冬』の出来事。
しかし事態はさらに予想を裏切っていく──
URAはスイープトウショウの出走登録を、『公正なレースの運営に差し支えるため』として認めなかったのである。たった一人のウマ娘の出走をURAが拒否するなど前代未聞、更にそれが『有馬記念』で行われるなど──
「──どういうことですかッ!! 確かにスイープトウショウさんのトレーナーだった水瀬元トレーナーには大きな問題がありましたッ! しかしそれはスイープトウショウさんとは関係のないことですッ!」
「えぇっと、ですから、これまでの経歴や、現在スイープさんのトレーナーとして登録されている二階堂トレーナーの嫌疑などを総合して、『スイープトウショウさんは有馬記念に出走するべきではない』と、判断された結果でして……」
「説明を願いますッ!! ファン投票からスイープトウショウさんの名前が削除されていた件についても、併せてッ!!」
乙名史は見たこともないくらいブチギレていた。怒り余って、URAの本部に直接殴り込みに来る程度には。
「レースを管理、運営するURAと言えども限度がありますッ! これはあまりにも横暴ですッ!」
「そ、そう言われましても……私どもの方ではなく、もっと上の方たちが決めたことでしてぇ……」
こいつに怒鳴っても無駄だ。元凶を見つけ出して排除する必要がある。そう判断して、口元を忌々しく歪めたままURAのロビーを後にする。
ピロピロピン、ピロリロリン……着信だ。
「はい、乙名史です。何かありましたか、スイープさん?」
『……オトナシ。あれ、どうにかしなさいよね』
「……言われるまでもありません。安心してお待ちください」
すぐに通話は切れた。
-
──コースには誰もいない。
灰色の空の下、まだ温まっていない体では身震いしそうになる。ターフを踏み締めて、スイープはトレーニングに来ていた。
「……ミナセ。アタシ、勝ちたいの。勝たなきゃいけない」
独り言。
『有馬に出るのか? なら、少し体を絞らなきゃな』
──木枯らしに紛れて、水瀬の幻覚が見える。あるいはスイープにとっての本物。
「うん。どのくらい絞ればいいの?」
『そうだな……あと2kg絞ろう。炭水化物は控えめ、あと甘いものもダメ……我慢できるか?』
「する。他にやらなきゃいけないことは?」
『今のままだとスタミナが足りない。有馬は微妙に長いから……長距離走トレーニングを積もう。泳ぎまくるんだ』
「分かった。他には?」
──想像上の水瀬は呑気そうに考えていた。
『そうだな。うん、ディープインパクトはそう簡単に倒せるような相手じゃないし……一発逆転の『作戦』でも……いや、必要ないな。『末脚』を鍛えよう、いつだってそれが君の武器だった。そうだろ?』
「そうね」
『それと、ここのところ走ってなかったからな。以前の勘を取り戻すためには『並走』が必要だと思う。引き受けてくれるなら、ゼンノロブロイに頼みたいところだ』
「ロブロイだって、有馬に出るって言ってたわよ?」
『だから暫定だ、少しでも強いウマ娘に『並走』を頼みたい。今回ばかりは本気の本気で行かないと、簡単に喰われる。ディープインパクトっていうのはそういうウマ娘だ』
「ふーん……」
『ライバルは強力だ。今回はこれまでのようにはいかない。自分以外の全てが『敵』となって立ち塞がる。他のウマ娘たちだけじゃない。『トレーナー』も、『トレセン』も、『URA』も、『観客』も、全てが『敵』だ』
「なぁに言ってんの? アタシにはミナセ、アンタがいるじゃない。アタシは1人じゃない」
『ハハ、当たり前だ。俺はいつだって君の側にいる。君のトレーナーでいられて、俺は幸せだった』
「ありがと。そう言ってくれて……アタシ、ホントは──ホントはね? すっごく嬉しかった」
風が吹いてきた。
「そろそろ行かなきゃ。それじゃあね、ミナセ。行ってくる」
『君の『魔法』を見せてやれ、君なら出来るさ』
水瀬の幻影は風の中に溶けていって、スイープは走り出した。
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「記者団を通じて抗議を! 編集長! これを許すわけには行きません!」
「……無理だ!」
「何故ッ!」
「URAから圧力がかかってる! 乙名史、お前も下手に動くと危ないぞ……!」
ただの一記者、それが乙名史の肩書き。URAという巨大な組織の前には手も足も出ない。
「それで、いいんですか!? それで──本当に……!」
「いいわけないだろッ! URAの姿勢はフェアじゃない、だが……!」
苦々しく口を歪める。URAからの圧力は経営陣へ伝わり、そして業務命令という形で記者たちを縛り付ける。それに逆らえばどうなるか──誰だって我が身が可愛い。
「……公正審査委員会が出てくるなんて普通じゃない。URAはそれだけスイープトウショウを恐れているんだよ」
普通の人ならば権威というものを恐れて動けない。しかし乙名史は、『どうすれば委員会を排除できるのか』──そのことしか考えていなかった。
公正審査委員会は法律や社会に精通した人物で組織された、問題を起こしたトレーナーへの処分などを検討する委員会。
──どう崩すか?
「……乙名史、その顔……何を考えてる……!?」
「止めないでください。私には最後までやり抜く権利と義務があります。ここで止まれば、全てが水の泡──そうは思いませんか」
『覚悟』を決めている乙名史の表情を見て編集長は唾を飲み込んだ。運命は転がっていく。
-
走る。走って、走って、走る──ただひたすらに走り続ける。
さっきまで泳ぎまくっていたため、スタミナはもう切れている。疲労も限界だ、それでも走る──そんな根性論的なやり方、スイープトウショウは嫌っていた。
ただひたすらに、愚直に、才能に導かれるまま。
「……ししょぉ〜っ!」
返事はない。日常的に走り慣れたウマ娘にとって、疲労のあまりふらふらと走る光景はそう珍しくはない。
「止まってくださいまし〜っ! ししょぉ〜っ!!」
張り上げた声で、ようやくスイープトウショウは足を止めた。
「もう暗いですわ〜っ! そろそろ切り上げてはいかがですの〜っ!?」
「……」
タオルを受け取って汗を拭うスイープを見るカワカミプリンセスの瞳に『迷い』が見える。
「師匠っ、どうしても『有馬記念』に出場なさるんですの?」
『迷い』だ。今、スイープが向かおうとしている道が正しいのか、それに口出しするのは正しいのか……迷っている。迷っていながら、カワカミプリンセスは見て見ぬ振りなど出来なかった。
「その、URAの決定で……師匠は、『有馬記念』には出られない……と、聞いておりますわ。このトレーニングも、無駄になるかも……」
「カワカミ」
「はいっ!?」
「これは──アタシが始めたことよ。一度始めたことは、最後までやるの。そうじゃなきゃ意味ないじゃない」
「それは……」
有無を言わせない『覚悟』が篭っていた。カワカミプリンセスは、スイープトウショウを止めることは出来ないのだと悟った。
「アンタはそろそろ帰りなさい。もう遅いわ」
止める間もなく走り出した背中につい手を伸ばす。少し目を話した隙に、どこか見えないところまで走り去って、そしてそのまま二度と帰って来ないのではないかと不安にさせる──『危うさ』があった。
スイープトウショウの書類上のトレーナーは二階堂健人ということになっているが、トレーニングには一切の口は挟まない。そういう『契約』だ。スイープトウショウを縛るものは何もなく、それはつまり繋ぎ止めておくものも何もない。
何もできない不甲斐なさに拳を握る。そして……。
「そこまでだ、スイープトウショウ」
寒天に汗を拭う。今度は誰だと顔を上げれば──見慣れない顔がそこにあった。
「……アンタ──」
「興味本位で来てみたが、きみはトレーニングを拷問か何かと勘違いしているのか? 明らかなオーバーワーク、それにそんなボロボロのシューズ……うっかり靴底を踏み抜いたら終わりだ」
感情の読めない瞳。スイープトウショウを見下ろすウマ娘の名前は──『ハーツクライ』。
「邪魔しに来たなら帰って。アタシは暇じゃないの」
「ぼくだって暇じゃない。だが、破滅に向かって突っ走ってるきみを止めないほど忙しくもない」
「……アタシが何してようが、アンタには関係ないでしょ」
「あるさ。ぼくだって『有馬記念』に出るんだからね」
スイープトウショウの瞳が細められた。まるでその強さを値踏みするように──
「ま、そもそもきみは『有馬記念』には出られないんだけど。ぼくだってURAの姿勢に思うところはあるけどさ」
「出るわよ、アタシは」
「……どうしてそう言い切れるんだ?」
「アタシが出るったら出るの。『魔法使い』に出来ないことはなんにもないのよ」
あるいは自らに言い聞かせるようにそう言い放つ。
ふらふらのスイープトウショウがまるで自らを崖っぷちに追い込んでいるようにも見えて、どうしようもなく危うい。だが同時にそれは──何か途方もないことをやり遂げる『予兆』にも見えた。
「……ぼくはね、きみのファンでもあった。だからこそ、きみのトレーナーが『偽物』だったと知って……分からなくなった。『魔法』というものが、何なのか」
「言いたいことがあるならはっきり言いなさい。回りくどいのは、もういらない」
「きみが『魔法使い』であることに疑いはない。きみには『特別な力』がある。だが……それは『正しさ』なのか? きみがやろうとしていることがなんなのか、なんとなく想像はつく。だがそれは『間違ったこと』なんじゃないか?」
「は? なんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないワケ?」
「きみは自分のしてきたことの意味がわかってないんじゃないか? どれだけの影響を与えてきたか、ちゃんと分かってないだろう」
「だったらなんなの?」
「……やれやれ。とにかく、脚を使いすぎだ。今は本番じゃない」
「黙ってなさい。アタシに口出しできるのはミナセだけなんだから」
「話を聞け! このままだと、きみは潰れるぞ! それこそ『有馬記念』に出る前に、だ!」
無視してスイープはまた走り出そうとした──が。
ふらっ……。
スイープは疲労によりバランスを崩して転倒。スピードは出ていなかったのでそこまでのものではなかったが……言わんこっちゃないとため息をつくハーツクライを、魔法使いは転がったまま八つ当たり気味に睨んだのだった。
数日は安静にするように、という保険医の言いつけ。
「……余計なお世話ったら。まったく」
「ほっほっほ! 急がば回れ、ですな」
ベッドに転がされて不満顔。スイープトウショウ見て朗らかな笑い声を上げる人物がいる。
「だいたいアンタ誰?」
「失敬。私は田中山と申すモノ。こっちのハーツクライのトレーナーをしております」
「フン。田中なのか中山なのかはっきりしなさいよ。アンタトレーナー?」
「ええ。水瀬トレーナーとは仲良くさせて頂いておりました」
「……」
水瀬という言葉を聞いてスイープの目つきが変わった。睨むような鋭い視線だ。
「『有馬記念』に出るために、あなたがトレーナーを探していると……僭越ながら私が引き受けたいと思いましたが、我々はしがらみに囚われて不自由な身。叶いませんでしたな」
「フン! アンタの話なんてどーでもいいわよ! 言っとくけど、これ以上余計なコト言ったら『魔法』をかけてアンタをブタにしてやるんだから」
「ほっほ! 勘弁していただけますかな……」
ハーツクライが口を開いた。
「スイープトウショウ。提案がある──」
じろり。スイープの黙れと言わんばかりの視線を浴びてもお構いなし。
「『有馬』まで、ぼくと走らない?」
「……は?」
「悪くない話だと思う。きみ、ひとりで頑張るの得意じゃないでしょ」
つまり、田中山トレーナーの元で共にトレーニングをしようという提案。スイープの無茶なトレーニングを放っておいたらまずいことが起きる可能性も高そうだ。
「……言っとくけど。アタシ、弱っちい連中と仲良しこよしする気はないんだから」
「ほっほ。確かにあなたのトレーニングについていけるウマ娘は限られるでしょうな。それこそ、ウチではこのハーツクライ程度でしょう」
「……アンタ、強いの?」
「おいおい、あまり舐めてもらっては困るな。これでもぼくはあの『死の日本ダービー』の『生き残り』だぜ?」
心なしかドヤ顔なハーツクライを見て、スイープトウショウは鼻を鳴らした。
「……なんでアタシに構うわけ?」
別に二人を信用していないわけではないが、今のスイープに下手に手出しすれば自分たちの立場が危うくなることぐらい分かるだろう。そのリスクを冒してまで、ハーツクライはスイープに何を望んでいるのか?
「きみの『魔法の果て』を確かめたい」
「水瀬トレーナーへの『手向け』ですな」
二者二様。
スイープは田中山トレーナーの隣の辺りに視線を向ける。
『いいんじゃないか? 田中山トレーナーの手腕は本物だ。まともなトレーナーの指導は必要だ。君がまた無茶をしないためにも、な』
水瀬もそう言ってる(言ってない)ことだ。スイープはため息をついた。
「仕方ないわね。アンタたち二人をアタシの『手下』にしてあげるわ。せいぜい頑張りなさい」
-
「……あのさ。なに企んでるか知らないけど、話ならさっさとして。おねーさんね、今かなり不機嫌」
訪れたのは──トレセン学園、第三事務室。こじんまりとした事務所には腕組みをしながら乙名史を睨んでいる朝日と、年代のおばちゃんがお茶を飲みながら雑誌を読んでいる。
「分かりました。朝日さん、あなたに一つお願いがありまして──」
「やだよ。やんない」
「……まだ言っていませんよ」
「ぜぇ──ったいやらない。どんだけお金積まれても、えっちゃんの頼みは聞かない」
スイープみたいなイヤイヤだ。しかし、こっちはただ気分で断っているわけではない。
「みんな勝手だよ。人の気も知らないで……ホント嫌になる」
「朝日ぃ。話ぐらい聞いてやんなよ。どうせ暇なんだろ」
「課長までそんなこと! どーせえっちゃんさ、あれでしょ? URAがスイープちゃんの有馬を認めないってヤツ、どーにか出来ないかって頼みに来たんでしょ?」
「ご明察。さすがです」
「やらない。スイープちゃんを有馬に出すなんて、絶対ダメ」
「何故です? 彼女なら、十分に勝てる可能性が高い」
「勝てるからだよっ! スイープちゃんが何しようとしてるかなんて分かんないけど、これ以上レースを荒らしまわったって意味なんてないでしょ!?」
一理ある。ファンの多くはスイープトウショウの出走を望んでいない。そのためURAの決定もそこまで多くの反発は生まなかった。
「意味ならばあります。非常に大きなものが」
「ないよッ! だいたいさぁ、なんでえっちゃんは全部の真実を公表しないの!? 水瀬くんずっと悪者じゃん!」
「邪魔が入っているんです。『二階堂家』を初めとする名門の方々が新聞社に圧力をかけているんですよ」
「はぁ。チッ、あのチンピラ、それこそ家を裏切って来てるってわけ──あーもう!! イライラするなあ!!」
朝日はいつになく荒れていた……。
「水瀬さんの真実を公表されると困る方々を退かさなければならないんです。朝日さんの力が必要です」
「公表するなら最初にしとけよ!! 今更……今更、遅いんだって……!!」
「いいえ。必要なことでした」
「なにが──もう、あーー!!!」
ドン!!
朝日が力任せにテーブルをぶっ叩いて、一層強く乙名史を睨んだ。
「この際だから聞いとくけどさぁ。えっちゃんの目的は何? 水瀬くんを失脚させること? それとも世間を賑やかすこと? スイープちゃんを焚き付けたのえっちゃんだよね。なんでそんなことしたの? 答えによっては──ここから五体満足で帰れると思わないでね」
「……最初は、トレセンに対する不信でした」
「は?」
「水瀬さんのようなケースが生まれたことは、偶然ではありません。まともな組織であればあんなことが起きるはずがない。トレセンの長い貴族体質が、歪みを生んだ……それはいつか、ウマ娘とレースにとって致命的な何かを引き起こす……」
「……水瀬くんを生贄に捧げることで、組織を改革しようって?」
「いくらかはそのつもりでした。そしてURAが自らの落ち度を認め、改革を進めるのならば良し。そしてそうでなかった場合は……やれるだけのことをやり切るつもりでした」
一人の記者が行うには大きすぎた、その『大義』──『エゴ』。水瀬を犠牲にする以上、それは何としてでもやり遂げなければならなかった──が。
「結果的に彼らは水瀬さんを切り捨てた。自らの歪みが生み出したものを、あっさりと切り捨てたんです。許されるべきではない。ですが、それよりもっと許せないことがありました」
「それが水瀬くんのこと? でもあれは──」
「免許偽造など──本当はどうでも良かったんです。あの咎を負うべきなのは二階堂トレーナーであり、その状況を生み出すに至ったもの全てです。ですが水瀬さんは嘘をついていた……」
「──嘘? 水瀬くんの嘘は、本当はトレーナーじゃなかったってことでしょ!?」
「そんなものはどうだっていいんですよッ!!」
初めて、乙名史の表情が歪む。
「私が許せなかったのは、水瀬さんがスイープさんに嘘をついていたことですッ! 本当のことを伝えようとしなかったッ! 彼は結局最後まで隠し通し、欺いた! 彼女を信じていなかったんですよ、最後の最後まで……ッ!!」
見たことのないくらい乙名史は頭に血が上っていた。
「彼女の『魔法』を誰よりも側で見ていたのに、水瀬さんこそ誰よりもその『魔法』を信じていなかったッ!!」
「し──信じてなかった、って……違うでしょ!?」
「いいえ、水瀬さんは信じてなどいませんでしたよ! 『不可能』を『可能』にする『魔法』をその目で見ていながら!! あんなにも簡単に投げ捨てた……!!」
『なぜ、スイープさんに真実を伝えなかったんですか。誰に秘密にしようとも、スイープさんだけには……』
『ケチな犯罪に巻き込みたくなかった。分かるでしょう、俺の都合であの子の将来が汚れるのは、流石にキツいですよ。もう手遅れですが……ハハ』
『……本当にそれだけですか?』
『まさか。ずっと恐怖との隣り合わせでしたよ。あの子はズルが嫌いですからね……ズブの素人に選手生命を預けてきたなんて知ったらどうなるか』
『ですが今ではあなたは、第一級のトレーナーです』
『結果論でしょう、そんなの。たまたま俺に才能があったから、偶然上手く行っただけで……例外を認めちゃいけない。俺のような存在を認めれば、何のためのトレーナー試験だっていう話です。あなたが俺を認めない理由はそれなんでしょう?』
『……スイープさんが、あなたを受け入れてくれるとは考えなかったんですか?』
『考えましたよ。スイープなら、笑って許してくれるかも……って。だけど恐怖が抜けなかった。もし拒絶されたらもう逃げ場がない。確かめる勇気なんてありませんでしたよ』
『それは、つまり……あなたは……結局のところ、スイープさんを信じていなかった、ということでは──』
『ハハ……まともに考えてくださいよ。中学生ぐらいの、ただの小さな女の子に、人生預けられます?』
『……水瀬さん、あなたは……』
『……、…………』
『…………あなたは、何も……分かってなど、いない──……』
許せなかった。
「『嘘』も『本当』にしてしまうスイープさんの『魔法』を掛けられていながら……ッ!! 『助けてくれ』の一言もスイープさんに言えなかった!!」
──あまりにも突拍子のない言葉で、朝日は呆気に取られてしまった。
「何が──何が『信頼関係』、何が『使い魔』ですか!! 私には許せなかった!! 水瀬さんはスイープさんを信じず、信頼を裏切った!! 私にはそれが許せなかった、許せるはずがない!!」
どんな言葉で飾ったとしても──『スイープトウショウを信じています』などと宣っておいて、最後には信じなかった。ただの『子供扱い』で終わろうとした。『大人の理屈』を押し付けて消えようとした。
そんなものが彼女に通じるはずがないと、どうして分からない──彼女がただの『子供』ではないと、どうして分からなかった。
あの諦めたような表情が──気に入らなくて、腹が立った。あの無抵抗さがムカついた。スイープのために足掻こうなんて、欠片も考えていなかった。悪意に対して、どうにもならないと最初から諦めている姿が気に入らなくて、腹が立った。
「……だから、私は……彼に見せてやることにしたんですよ……! 『不可能を可能にする力』を、もう一度──魔法をかけて、この世界を変えてしまうスイープさんの姿をッ!!」
──予定は変わった。
乙名史は水瀬をより深い谷の底へ突き落とし、スイープを絶望の中へ叩き込み、そして焚き付けた。
「彼女がどれだけ水瀬さんのことを想っているのか分かっていないッ!! 彼女にどれだけの力があるのか水瀬さんには分かっていないッ!! ずっと側にいたのに!!!」
「……こンのぉ……! あのねぇ!! 言わせてもらうけどさぁ!!」
朝日はそれを理解するとともに、今日最大のイライラを言葉にして放つ。
「別にこんなことする必要あったかなぁ!? ホンッットに大変なことになってるんだよ!? えっちゃんの想像の、多分100倍くらいは!!」
そんな厄介カプ厨みたいな動機にどれだけ朝日が振り回されたか──なんてことをしてくれたんだ。これならまだ世間的な正義感の方がずっとマシだ。
「保身しか考えないトレセン上層部も、かつては優秀なトレーナーだった彼らも今となっては老害ですッ!! ウマ娘とレースの未来のために彼らは邪魔なんですよ、だからついでに根こそぎ首を飛ばしてしまえば良いんです!!」
「この────クソ厄介オタクが!! スイープちゃんの気持ちも知らないで! 水瀬くんはスイープちゃんを信じていなかったわけじゃない!! スイープちゃんのことが大切だったから話さなかったんだよ! なんでそんなことも分かんないかなぁ!! 水瀬くんにはずっと罪の意識があった! スイープちゃんを騙し続けていた、それなのに手のひら返して『やっぱり助けて』とか言える!? 無理でしょ!?」
「言わなければならなかったんですよ! 水瀬さんの『罪』は『有印私文書偽造行使』でも『レース法違反』でもなく!! 『スイープさんを信じなかったこと』!! ただそれだけです!!」
「………………!!」
ずずっ……そんな言い争いを、おばちゃんはお茶を啜りながらのんびりと眺めていた。
「力を貸して頂きますッ! 朝日さん、あなたは傍観者などでは許されない──『宝塚記念』での騒動の裏側で何があったのか、私が知らないとでも思っていたんですか!? あなただって彼女の『魔法』を担った者の一人ッ! 今更逃げることなど許されない!!」
「……ぐ、ぅぅぅ……ぅ、ぅううう〜!!!」
張り詰めた睨み合いが続く中で、おばちゃんが湯呑みを置いた音がした。
「いいじゃないか。やってやりなよ、朝日。名門連中の起こした事件なり、弱みなりがそっちの金庫の中にぎっしり詰まってる。それ使えば、上で偉そうにしてる連中の口を黙らせることぐらい、造作もないだろうさ」
「かちょぉ!!」
朝日たちはトレセンの裏側で人知れず重大なトラブルを解決してきた。主にはトレーナーたちの起こしたトラブルなどで、つまりは弱みだ。乙名史が朝日を頼ったのも、そういった記録があるのではないかという推測から。
「ありがとうございます!! ご理解に感謝致します!」
記録が『ある』と知られてしまえば、もう乙名史を止めることはできない。乙名史悦子はそういう人間だと朝日は知っている。
「…………あーーーーーーーもう!! 分かったよ!! やればいいんでしょ、やれば!! でもえっちゃんさぁッ! これが終わった時、タダで済むと思わないでよね!? 私
誰も彼も身勝手だ。自分の望みのことしか考えていない。
それぞれの望みが絡まり合い、衝突し合い、運命は転がっていく。