校舎の外れ、ほぼ物置と化しているようなある部屋──蜘蛛の巣がそこらじゅうに張っている。あと薄暗い。太陽光が上手いこと入ってこない立地で、物置にされた理由もわかるというものだ。
「……ねえ、ミナセ。何よこれ」
「部室(仮)だ」
「はぁぁぁぁぁぁぁ……。ほんっと……掃除くらい、しときなさいよ!!」
第二話 『勝利』を目指すということ
「午前中はもっと酷かったんだ」
水瀬は作業用の上着に着替えて、午前中からずっと物置の整理をしていた。具体的には、部屋を空けるために物置のガラクタを別の物置に運ぶという、どこか虚無な作業を。
「まさか、アタシにやらせるつもり!?」
「手伝ってくれ、スイープ。1人じゃ夜になっても終わりそうにない」
「むぅぅぅ……! 仕ッ方ないわね! このアタシが一肌脱いでやるわ、感謝しなさい!」
そして始まった放課後大掃除。幸いだったのは、校舎の外れで滅多に人が来ない場所なので、人目に触れなくて恥ずかしい思いをしなくて済むところ。
「む、むむむ……全然終わんないじゃなーい!!」
黙々と雑巾で拭いているとスイープが叫んだ。水瀬も同感だった──突然部室のドアが開いた!
「スイープさんが助けを求めている気配がしました! キタサンブラックです!」
「! キタサン……ちょうどいいところに来たわね! 手伝わせてやってもいいわよ!?」
「はい! もちろんお助けしちゃいます!」
どこから現れたんだという疑問は放っておいて、どうやらスイープのお友達らしい。手伝ってくれるのなら歓迎なのは間違いない。
「お掃除をしたらいいんですよね、トレーナーさん?」
「……! あ、ああ。ありがとう、その通りだ。君は……」
"トレーナー"と呼ばれることに慣れておらず、一瞬自分のことを呼んでいるのだと分からなかったのは内緒だ。
「あたし、キタサンブラックです! お助けキタちゃんといえば、地元では知らぬもの無し! よろしくお願いします!」
「し……新人トレーナーの水瀬だ。ありがとう、このお礼は必ず」
「いいえ! スイープさんが困っているんですから、助けるのは当たり前です!」
彼女は相当スイープのことが好きなようだ。キタサンブラックはそれからテキパキと働いて、2時間が経つ頃には──。
「ふぃー。ま、そこそこ見れるようにはなったわね」
ピカピカになった、まさしく部室と呼べる空間が誕生していたのだった……!
「ありがとう、助かったよ」
「フン! 働いてやったんだから、ジュースとお菓子くらい出しなさいよ!」
「それもそうだ。購買で買ってくるから、少し待っていてくれ」
そう言い残して、水瀬は部屋を出て行った。残されたのは2人のウマ娘。ガラクタの中にあった長テーブルとパイプ椅子に座っている。
「ねぇ、スイープさんのトレーナーさん、なんだかカッコよくていい人そうじゃない?」
「フン! 全然カッコ良くなんてないわよ、あんなヤツ!」
「そう? でも──スイープさんが選んだトレーナーさんなんでしょ?」
「まあ、選んだって言うか、そりゃぁアイツだったらいいなって思ってたけど……」
「?」
キタサンブラックはその妙な言い回しが気になったが、まあ色々事情があるのだろうと思ってそう気にしなかった。
「でも、スイープさんのトレーナーが決まってよかったよ! なんか、嫌な噂聞いちゃってたから」
「フン。アイツらが口だけなのが悪いのよ。面白みのない連中だったわ」
「あ、アハハ……」
スイープの相変わらずな様子に苦笑い。この様子なら心配はいらないのだろうか? それからしばらく談笑していると、水瀬がビニール袋を持って戻ってきた。
「お待たせ。ゆっくりくつろいでくれ」
「……ねえ、ミナセ。アタシ、甘いものがいいんだけど。なんでせんべいなの!」
「あっ……すまん。趣味だ」
「アンタの趣味なんてどうでもいいわよ! 掃除で疲れた体に塩っ辛いものなんて、アンタ頭の中どーなってるわけ!?」
「う……」
それもそうかも知れない……。そう思って項垂れていると、キタサンブラックが袋の中からお茶っ葉を取り出して手早くお茶を入れてくれた。
「スイープさん。あったかいお茶とおせんべいの相性はすっごいんだから、試してみてよ!」
「はぁ? 何よ」
「いいからいいから!」
「むぅ〜。仕方ないわね……」
ぽりぽり。ずず……。
「……何よ。意外と美味しいじゃない……」
「ね、そうでしょ? おせんべいは何とでも合うし、あったかい緑茶は何にでも合うんだから!」
「違いない」
水瀬もようやく、スイープたちの横に腰を下ろした。大変なことになったと思ったが、ようやく拠点が完成して一息ついた。辺鄙な場所にあることに違いはないが……。
「でも、この時期にお引越しですか?」
「『事情』があるんだ、キタサンブラックさん」
「あっ、あたしのことはキタサンでいいですよ。長いし、年上の人からさん付けはくすぐったいです」
「じゃあキタサンと呼ぶが。僕は『地方トレセン』から来たんだが、いざ来たら部屋がなかったんだ」
「地方トレセンから?」
「北海道の『岩見沢レース場』がこの前閉鎖したのは知っているか? そこで働いていた僕たちは当然、解雇されたんだが……」
これは『設定』だが、かなりの事実が混じっている。地方レースの衰退は心苦しいものがあるが、しかし実際に廃れていっているのだ。結構問題になっている。
「そこでURAが救済措置を取ってくれた。そこで働いていたトレーナーの中で、もしも中央で働けるほど能力の高いトレーナーなら移籍させてやると」
「へ〜! じゃあ、ミナセさんはすごい優秀だったんですね!」
「僕など全然だよ。中央トレーナーの人手不足は深刻だから、しがない地方トレーナーでも欲しがったんだろう」
「あら、そうだったの? 初めて聞いたわね」
「中央トレセンの事務員に再就職していたところで、声がかかった。この『中央移籍制度』を受けてみないかって」
「へー……」
水瀬がペラペラと語ったのは『設定』だ。しかしこの地方トレーナー救済のための『中央移籍制度』があるのは事実であり、そして二階堂の手回しによってこの制度が水瀬のために使われたのも、また事実だ。
「へー……。それで、スイープさんとは選抜レースで会ったんですか?」
「まあ。実は、スイープの『魔法』で、いきなり専属トレーナーにされてしまった。本当はトレーナーになるつもりはなかったんだが」
「魔法?」
「ふふん。そうよキタサン、こいつはね、元々ただの事務員だったんだけど、アタシの魔法でトレーナーにしてやったの!」
「なるほど! なんだか、ドラマみたいなお話ですね!」
「はは、そうだな」
適当に笑いながらスイープの頭を撫でてみた。
「撫でるの禁止ーッ!」
「ごめんって……」
「全く! 次やったら許さないわよ!」
「す、スイープさん。あたしも、撫でるの禁止……?」
「はあ!? アンタ何言ってんの!?」
「い、いやー。あたしも、スイープさんの頭、撫でてみたいなぁーって……」
「ふざけるのも大概にしなさいよね! アタシのことを犬や猫と同じに考えてるの!? そんな安い頭じゃないから!」
「う、うぅ。そうだよね……」
ショボーンと肩を落とすキタサンブラックの方がどちらかというと犬っぽい感じがする。気のせいだろうか?
「……まぁ、ちょっとぐらいなら、撫でさせてやっても、いいけど……」
「えっ? 今、なんて……?」
「う、うるさーい! 何にも言ってないわよ、バカっ!」
(仲良いな……)
なんとなく分かっていたことだが、スイープトウショウはなんというか、意外と友達の多いタイプだ。こんだけツンデレ気質だったら全然友達とかいないんじゃないかとか思ったりしたが、どうやらその心配はないようだ。
「あっ、いけない! こんな時間──あたしもトレーニングに行かなきゃ! バイバイスイープさん、ミナセさん!」
「ふん! せいぜい頑張りなさい!」
「手伝ってくれてありがとう。頑張って」
非常に助かった。今度会ったら何かお礼をしよう──そう思った。そして、少し静かな空間が戻ってきた。
「さてと……スイープ、いくつかサインして欲しい書類がある」
水瀬はいくつかの書類を取り出して、スイープの前に並べた。
「こっちが契約確約書、こっちは選手誓約書、こっちは選手登録書、こっちは健康誓約書、こっちは……」
「多いわね」
「この場で書いてもらうことは出来ない。これは、保護者……スイープの親御さんに見てもらって、それで書いてくれ。他にも、親御さんに用意してもらう書類がいくつかあって、こっちの説明書にまとめてあるから、今度帰省して渡してくれ」
「……ふーん。分かった。今度書いてもらう」
「それと……スイープ、君はあの人からどこまで聞いているんだ?」
「あの人って?」
「二階堂だ」
トレーナー資格のない水瀬がトレーナーのフリをしてはいけない。当たり前のことだ。そのことをどれだけ正確にスイープが把握しているかで、水瀬の対応も変わってくる。
「ああ、アイツ。別に、アンタがトレーナーをやるんだったらどうだって言われただけよ?」
スイープの年頃であれば、そこまで大きな疑問は抱いていないようだ。これは幸運と呼べるだろう。
「何よもう。そんな事情があったのなら、最初からそう言いなさいよ! そんなのだったら、最初っからアタシのトレーナーになれば話が早かったのに。スナオじゃないのね、ミナセは!」
「……」
「そういえば、あの魔法は成功だったってことになるのね。あの魔導書に書いてあった呪文は本物だったのね。さすがはグランマがくれただけのことはあるわ。ミナセをトレーナーにするくらい、簡単に出来ちゃった」
(その本は燃やすか禁書にするべきだ)
完全にスイープは魔法のおかげと信じてしまった。なんだったら水瀬も信じかけているので、いつスイープが新しい魔法を唱えるのかと内心恐々としている。
「あっ、そうだ。アタシのトレーナーになるんだったら、ちゃんと話しておかなくちゃね。いいかしら? アタシはね、『レースの魔法』を探しているの」
「前にも聞いたな。それはなんだ?」
「アタシが聞きたいわよ、そんなこと。でもグランマは言ってた。どんな魔法よりもすごい、人生を丸ごと変えてしまう魔法。それが『レースの魔法』なんだって」
人生を丸ごと変えてしまう魔法になら心当たりがある。ちょうど掛けられたばかりだ──。
「どうして『レースの魔法』を見つけたいんだ?」
「グランマみたいな大魔女になりたいの! 大魔女はいろんな魔法を使えるのよ、気分を落ち着かせる魔法とか、よく眠れるようになる魔法とか、やる気を出させる魔法とか、なんでも」
「興味深いな。特に、よく眠れるようになる魔法」
「ふふん、そうでしょ? それで、アタシはグランマが見てきた中で1番すごかったっていう『レースの魔法』を見つけるの。つまんない現実の全部を変えるような、『魔法』を……見つけるの。ゼッタイに」
魔法の実在は放っておくとして、スイープの決意は並大抵ではない。何せそのためにトレセンにまでやってきたのだ。まるで進路を丸ごと決めてしまう魔法である。
推測だが、『それ』があるとするなら、レースの高みにあると見るべきだろう。水瀬は全くのレース初心者なので具体的にどうとかは分からないが……負けて見つけられるものではない。そんな気がする……。
昨日の二階堂との会話を思い出す。
『レースの世界は、あんな調子に乗ったガキが簡単に勝てるほど甘くはない。2、3戦もして現実を知れば、すぐに諦めて引退する』
その言葉に隠れた言葉を推測するに、『適切な指導がなければ』という前置きがつくはずだ。どこまでやれるか分からないが……。
「分かった。君の『魔法探し』、僕も手伝わせてくれ」
「……しっっっかた!! ないわね! そこまで言うんだったら、手伝わせてあげるわ!! 特別よ!」
「ああ。ありがとう」
ぷい、と顔を背けるスイープトウショウだが、その口元は少し緩んでいるようにも見えた。まあ多分気のせいだろう。
「なら、アンタは『使い魔』ね」
「使い魔?」
「ふふん。『使い魔』っていうのはね、ご主人様の魔法少女にくっついてきて、お手伝いをぜーんぶやるのよ!」
(現代の奴隷制度か?)
「そういうわけで、アタシが『レースの魔法』を見つけられるまで、アンタはとことん付き合うのよ。分かった?」
「……」
「ほら、分かったなら返事をしなさい? ミナセ! アンタはもうアタシの『使い魔』なのよ?」
「分かった。よろしく頼む、ご主人様」
「よろしい!」
職業の変遷が最近激しい。事務からトレーナーになり、今度は使い魔だ。しかしどうやらやるしかないらしい。
「早速だが提案がある。『レースの魔法』を探すなら──」
『レースの世界は、あんな調子に乗ったガキが簡単に勝てるほど甘くはない。2、3戦もして現実を知れば、すぐに諦めて引退する』
昨日の二階堂の言葉を思い出す。
正直に言おう。スイープトウショウの走りに魅せられた水瀬としては──少し、いや、かなり『カチン』と来た。
「……上を目指さないか?」
「上? 『レースの魔法』に関係があるの?」
「分からない。だが、きっとその方が楽しいだろ?」
その言葉に、ニヤリとスイープトウショウは笑った。
「……乗った! いいわよ、目指してやろうじゃない、上の世界! そして、そこで『レースの魔法』を見つけてあげる!」
こうして、スイープトウショウと二人三脚でトゥインクルシリーズを目指す日々が始まった。