『次走』が近い──トレーニングにも熱が入る。年末の大一番『有馬記念』を控えたトレセンは、別にそれに出走するわけでもあるまいに、みんな楽しそうに走っている。バカみたいだ。
「……」
秋の過ぎた『庭園』──春には色とりどりの花々が咲き乱れる、トレセンの隠れた名所だ。冬を前にしたこの場所は、少しだけ彩りが残っている。もう1週間もすれば全て枯れ始めるのだろう。
スイープトウショウはトレーニングをサボってこの場所に来ていた──。
『素晴らしいわ、スイープさん! このタイム、かつての優駿たちと比べても、全く負けてないわよ!! 選抜レースへ推薦しておくわ! トレーナーさんたちの言うことをちゃんと聞いて、頑張るのよ!』
……少し、昔のことを思い出していた。
『スイープさん、ゲートを嫌がるのは仕方ないが、なるべくなら出遅れないほうがいい! 我慢するんだ』
『スイープトウショウ、ワガママはダメだ。君には才能があるんだから、それを台無しにすることはない』
違う。
本当は……本当にあの時求めていたのは、そんな言葉じゃなかった。
『あなたのためなのよ』
『君のためなんだ。だから、もっと……』
『あなたはもっと上へ行ける。だから……』
そんなことを言って欲しかったわけじゃない。
(いちいち指示しないで……。アタシだって……何にも考えてない訳じゃ……)
『ダメだよ、スイープさん。ちゃんと僕たちの言うことに従って……』
(ああ……もう、まただ……)
うつらうつら。暖かい日差しが差し込んで、眠気が襲ってきた。半分ほどの夢の中では、スイープトウショウがちょうど彼らに『諦めた』姿がある。期待することをやめた。伝えることをやめた。無駄だと分かった。どうせ聞いてもらえない。どうせ聞く意思も持ってないだろうから。
『ウイニングライブを欠席した!? スイープさん、あなたは何を考えているの!? 応援してくれるファンの方や裏方のスタッフの努力を、一体何だと思っているんですか!?』
(それはアンタたちの都合よね……? だって、アタシ……そんなこと、一度だって頼んでない。そもそもアタシをあんなにイライラさせたのは、アンタたちの癖に……)
邪魔するものばかりだ。
(レースの魔法、見つけたいだけなのになぁ。なんで邪魔するんだろう)
トレーナーも見つけたんだ。
全部うまく行くはずだったんだ。
(また、色々言われるんだろうなぁ……)
現実は──邪魔をしてくる人たちがいっぱいだ。頼んでもないのに放っておいてくれない。
「やだなぁ……」
そのまま地面に座り込んで、スイープトウショウはゆっくりと目を閉じた。
「はぁっ、はぁっ……もっと、もっと頑張らないと……」
『ゼンノロブロイ』──クラシック路線を走るウマ娘の1人だ。
「有馬記念こそは……!」
そう意気込んで、また走り出すが……コースの近くでの人だかりを目撃した。囲まれているウマ娘には見覚えがある。あれは……今年の『二冠ウマ娘』だ。
「え〜! 先輩、『有馬記念』出ないんですか!?」
「すまないね! 休養に入らせてもらうが……来年は、さらに飛躍するだろう!!」
「先輩……! 応援してます〜! 頑張ってください〜!!」
「もちろんだ!!」
今年のクラシックの『主役』は間違いなくあの『ネオユニヴァース』だった。
「……私は、所詮脇役だった……」
その事実に顔を俯かせるゼンノロブロイ──そんな彼女に気がついた人だかりの中の1人が声をかけた。
「あっ、ロブロイちゃん! えっと〜……あ、有馬記念出るんだってね! が、頑張って!」
「あ、あはは……ありがとうございます……」
まず愛想笑い。どうして誰も得をしないのにそんな言葉を言うんだろう? 見えないフリでもしてくれた方が楽だ。
ゼンノロブロイはそのままさりげない風に、練習コースから去っていった……。
『エアグルーヴ』がそこへやってきたのは、冬を前に僅かでも残っている花の様子を見にきたためだった。そこで、花壇のところで座り込んで眠っているスイープトウショウの姿を見つけて……。
「ふ……」
何かにつけて、『構われる』少女──スイープトウショウ。その理由はきっと簡単で、みんな彼女が可愛くてしょうがないのだ。
可愛くて、才能があって……期待してしまう。助けになりたいと思う。
寝顔だけなら素直で可愛らしい少女。その純粋な心を邪魔しているのは、もしかしたら……。
「あ……スイープさん?」
「しー……」
ゼンノロブロイがここへ辿り着いたのは『偶然』──逃げてきた先で、小さな『友人』の姿を見つけたのだ。そして声をかけようとしたところで、唇に人差し指を当てるエアグルーヴに出会った。
「眠っている。起こさないでくれ」
「あ……」
「……彼女の『祖母』は、この場所のような、自然豊かな場所で暮らしているらしい。だから、以前ここへ連れてきたんだ。休みたい時は、ここに来るといい……と。しかし、次走も近いと言うのにトレーニングをサボるのを見過ごすわけにもいかん。それで、こうして起きるまで待っているんだ」
「……エアグルーヴさんは、スイープさんのことを……気にかけていらっしゃるんですね」
「スイープを見ていると……なぜだか期待してしまう。彼女ならば、何か『大きなこと』を成し遂げるのではないか、と。しかし同時に、その『純粋さ』が危ういと思う時もある」
「……!」
「思うに、彼女は『導く』側の力を持っている。それがどうか、潰れないように過ごしてほしいと思っている。そう感じているのは私だけではない、多くの人々が同じ思いを抱えているだろう。だが……あるいは、それが彼女の邪魔をしているのではないか、と……そう思う時がある」
「そんなことは……」
「さてな。実際のところは、私たちが口出しするべき問題ではないのかもしれない。それはスイープが決めることだ」
小さな寝顔。その肩に乗っけられている多くの『期待』……。
スイープがもぞもぞと寝言を呟いている。
「……ん、ぅ……グラぅマ……アタシ……」
こうして見ると、本当に可愛らしい──
「ヤぁの…………」
ただの小さな少女だ。
(╹◡╹)
『阪神ジュベナイルフィリーズ』。
『ジュニア級』では現在『2つ』しかない『GⅠ』の一つだ。『ジュニア級』ではまだ『本格化』が完全でない場合が大半であり、『クラシック級』に比べると、距離がかなり短めに設定されている。
12月を明ければ『クラシック級』へと突入する。『ジュニア級』の総決算として用意された『2つのGⅠ』──『阪神ジュベナイルフィリーズ』と『朝日杯フューチュリティステークス』の2つ。
これらに挑戦する資格がある『勝ち上がってきたウマ娘』は、この2つのうち1つを選ぶ。すなわち、『トリプルティアラ』を目指すか、『クラシック三冠』を目指すか。
つまり、のちの『クラシック級』で鎬を削るウマ娘たちの『顔合わせ』の場所でもある。
( ´ ▽ ` )
ガララ! 部室の扉が開いて、鼻の頭を赤くしたスイープが入ってきた。
「ミナセ! グランマのところに連れて行って!」
「……なるほど」(現実逃避)
トレーニングをサボるのはまあいい。阪神JFが間近に迫っていようとも、まあギリ許す。しかし……『グランマ』のところに連れて行け、とは……。
「分かった。行こう」
どのみち行くほかにないのだ。水瀬は頷いた。
東京都からレンタル車を走らせること2時間。スイープトウショウの『グランマ』は山奥の秘境に家を構えていた。いや、秘境だ──山々に囲まれたこの里は自然豊かなんてレベルじゃない。もう自然そのものだ。
東京と違って空気が澄んでいる。呼吸しているだけで体の内側から浄化されていく感じがする。考えすぎか?
「ようこそっ! かわいいかわいいスイーピー! 大魔女の館に来るのは何ヶ月ぶりかねぇ!」
魔女が現れた──黒いロープに身を包んだしわくちゃのおばあちゃん。大魔女という『設定』を知らなかったら、本当に魔女だと信じてしまいそうだ。こんな秘境みたいな場所で生活しているのだし。
しかし、なんというか……
(上品な人だな)
大魔女として戯けようとも、内側の上品さは隠しきれていないように感じた。きっと本当はとても丁寧な人なんじゃないか? 早くも水瀬はこの魔女を尊敬し始めていた。
「グランマっ!! あのね、この前本に『ウンディーネの虹の魔法』がのってたの! だから川で試してきていい!? グランマに見せてあげたいの、アタシの『魔法』!」
(川……)
ふふーんいくわよ、つるっ、バッシャーン! なんかそんな感じで川に滑り落ちるスイープの姿が浮かんだ。『阪神JF』まで時間がない。この時期の冷たい川に落ちたら……。
それにスイープの『靴』は、少なくともアウトドア用ではなさそうだ。
「待ってくれ。川は」
「……何よ」
「滑ると危ない」
「む〜っ! 何よ、アンタまで『アタシのために』って言うつもり!?」
おっと。これはまずいことを口にしたか? そう思っていると、彼女の『グランマ』が口を開いた。
「安心をし、スイーピー。きっとお前さんのトレーナーさんは、そう言いたかった訳じゃない」
(おっと)
「だが、そのお靴は川との相性が最悪だ。精霊に語りかけるなら、その土地と相性がいい衣装にならないといけないねぇ!」
「あっ……」
「思い出したかい? かわいいスイーピー。川で魔法の練習をするなら──」
「精霊とのお話し中に失礼がないように、滑らないクツで行くこと!」
「その通りさ。それと、寒くなった時のために暖かいマフラーも用意しておこうか!」
そんな風に、すっかりスイープを丸く説得してしまったのだった。
そして、川の岸で『魔法』の練習をしているスイープを、水瀬は『グランマ』と一緒に見守っていた。
「ごめんなさいねぇ、トレーナーさん。余計だったかしら?」
「いえ。助かりました」
いやマジで助かった。なんというか──確かにスイープが常々から憧れを口にするだけのことはある。水瀬は完全にこの魔女を尊敬し始めていた。
「そういえば、申し遅れていました。水瀬と申します」
「あら、これはご丁寧に。あの子の祖母です」
名刺を渡すと、魔女は丁寧にそれを受け取ってチラリと視線を落とし……首を傾げた。
「……失礼ですけど、『二階堂』さんではいらっしゃらないのですね?」
呼吸が止まった。
「ああ、いえ。誤解しないで頂けますか? 『風の噂』で、あの子のトレーナーは『二階堂』という方だと伺っていたもので……」
(どういうことだ?)
知らない──知っているはずがない。元々二階堂がスイープを預かることになっていたことは確かな『事実』ではあるが……いや、今はそれよりも優先するべきことがある。
『真実』を伝えることなどできる訳がない。しかし、この賢者のような魔女を欺くのは躊躇われた。それに、スイープの『家族』だ。
「……『事情』がありまして」
「それは、どのような?」
「元々は……二階堂トレーナーが彼女を預かる予定だったのですが……実は、あの子に『魔法』を掛けられてしまったんです。『アタシのトレーナーになぁれ』って」
『真実』を伝えることは出来ない。誤魔化しているように聞こえるかもしれない。
「……まあ! すごいのね、あの子」
そう言って、魔女はチラリと水瀬の目を見た──冗談の向こう側にある『真実』を見通すかのような、その瞳で。
「……あの子は、あなたに『迷惑』を掛けていませんか?」
「ははは……まあ、いつも振り回されてばかりですが」
割と渾身の愛想笑い。暗に肯定してしまっている、しかし……。
「それを『嫌』だと思ったことは、一度も」
「……失礼ですが、『そういう趣味』のお方ですか?」
「いッ、いやいや! 違います!」
いや、そういう意味に捉えられても仕方ない返答ではあったが。
「ふふふ、冗談です。ごめんなさいね」
心臓に悪い。
「あの子があなたに懐いている『理由』が少しだけ分かりました。ふふふ……」
どうやら許されたらしい。あーよかった。
「お気づきでしょう、トレーナーさんも……あの子は『特別』なんです」
「分かっています。マジで『魔法』が使えるってことですよね」
「え?」
「え?」
あれ?
「……まあ! 本当に『魔法』に目覚めたんですか? うふふ……」
以前、スイープの『雨を晴らす魔法』を見せてもらった。それに水瀬も『魔法』をかけられてトレーナーになった口だ。それ以来すっかりスイープの魔法を信じている。
「いえ……忘れてください」
「本当に使えるんですか? あの子」
「……本当に『魔法』が使えるって言ったら、信じてくれますか?」
「もちろん! 『ウマ娘』という存在がいるんですもの、『魔法』の一つや二つくらい、あっても不思議ではないでしょう?」
(そうか?)
「あの子は本当に才気に溢れている。どうやら本物の『魔法』も使えるようになったようですし……分かるでしょう? みんな、あの子に期待してしまう。それ故に、『心配』してくださる方も多かったんです」
視線の先には、孫であるスイープトウショウが杖とかなんか色々振ったりして『魔法』を掛けているらしい。しばらく見ていると──
川の飛沫のせいだろうか? 岸から空にかけて、プリズムが──虹が出てきた。マジかよ。
「あら。本当に『魔法』ね」
そんな呑気な話か?
「見て見て、グランマーっ! 虹っ! 『魔法』、成功したわよーっ!」
「ああ! 見ていたよ、スイーピー! 前よりもずっと成長したようだ、流石だね!」
「えへへっ! 見ててグランマ! 今度はもっ〜っとすっごい『魔法』を使うから!」
(大丈夫なのか?)
MP的なアレでそのうち倒れたりしないだろうか。本当に心配だ──と、考えを巡らせる水瀬と対照的に、魔女は慈しみに溢れた笑みを浮かべた。
「心配してくれるのは、ありがたいこと。それだけ大切に思われているということの裏返し。ですが、往々にして、そういったものは『窮屈』に感じられてしまう。特に、あの子のような『子供』には」
「……スイープからは、ずっと大人への『信頼』の無さを感じていました」
「ええ、私も心配しているんです。それは……きっと、大人たちがあの子への『信頼』をうまく示せていないのではないか、と」
「……」
「大人はいつも正しい道を知っている。子供たちがまだ知らない経験や知識を備えているから。でも、子供たちだって何も知らないわけじゃない」
やはり──この魔女は『賢者』なのだろう。
「あの子なりの考えがあって、あの子なりの判断基準はきちんとそこにある。誰に導かれずとも、『正しい道』を歩いていける……水瀬さん、一つ聞いてよろしいですか?」
「なんですか?」
「あの子のことを、『信じて』くれていますか?」
「……もちろん」
「そうですか。それはよかった」
どうしてスイープがあんなに『純粋』に育つことが出来たのか分かった。この魔女がいたからだ。
「グランマ、寒くなってきたわーっ! 風邪をひく前に、家に帰りましょーっ!」
「ああ! そうだねスイーピー! お家に帰ろうか!」
どうやら満足したらしいスイープがご機嫌で走り寄ってくる。
「トレーナーさんも、もう少しお話をしていきませんか? 特製のハーブティーをご馳走しますよ」
「ありがたい。頂きます」
そして、グランマの館でハーブティーを頂いたのだった……。