| テクノロジーの発達が記憶と心を数値化させ 人間が巨大な経済活動を構成する歯車と化しても 個人が個人として存在し続けている近未来── |
スラムのガキにとって、内臓はへそくりだ。
売れば金になる。闇医者と仲介人に中抜きされまくった絞りカスみたいなはした金だが、金にはなる。
だから売れるものは全部売った。腎臓肺眼球、直ちに命にかかわらない範囲で全てだ。
だがそれでも金に困った。だからしかたなく、オレはオレ自身を売った。
志願すればそれなりの待遇を約束するというメガコーポの宣伝は、明日も知れぬスラムの人間にとって、人生を棒に振るだけの魅力と価値があった。
企業の所有物となってからは、毎日が実験の日々だった。
運動テストに薬剤テスト、耐久テストに解剖テスト。激痛とめまいと嘔吐でクソみたいな毎日だったが、毎回治療は受けられるし三食飯は食えるし夜はベッドで寝れたので、あまり苦にはならなかった。
殴られて罵倒されて、底辺リーマンのカスみたいな欲望のはけ口になって、死んでもおかしくないような目にあわされて、それでようやく最低限の糧を得る。そんな地獄みたいな生活と比べれば、企業はパラダイスで、日々が楽しく輝いていた。
だがそれは、あくまで精神面の話だ。
肉体は当然のように壊れ続けた。医療チームの治療だって完全じゃない。治りきらなかったダメージが蓄積を続け、実験材料になってからちょうど2年目に決壊した。
脳波計と心電図のやかましい不協和音が響く中、目も満足に動かせないオレに、研究者たちは最後通告を突きつけた。
それを今からオレに行う。肉体がダメになったから今度は精神を実験体にする。これは契約の範疇で、オレに拒否権はない。彼らはそんなことを言っていた。
それを聞いて、オレはむしろ安心した。
よかったと。オレという人間は、この身体が死んだ後も残り続けるのだと。
例え拒否権があったとしても、意思疎通が図れたとしても、オレはその実験に同意しただろう。
オレの肉体は限界だ。これ以上コストをかけて治療を施す義務は企業にはない。肉体の死はもう覆せない。だったらそんなものに未練はない。
今も昔も、オレの望みはただ一つ。
一秒でも長く、一瞬でも永く。ただ、生き続けたい。
そうして自我を複製され、オレという人間は二人に増えた。
オリジナルのオレは、複製作業が終わったのちにすぐ死んだらしい。死体は機密保持のために焼却されたと、後になって研究者から聞いた。
知ったことじゃなかった。オレは今こうしてここにいる。それだけあれば十分だった。
複製されたオレは、予想通り実験材料にされた。
だが、その内容は予想に反したものだった。
オレの自我はただひたすらに複製され続けた。研究者曰く、どうもオレの自我は自我複製に対する耐久値が高かったらしい。
より多くのデータを取るためにも、二次データであるオレはあくまでも複製作業だけに従事することになった。
代わりに実験材料となったのはオレから複製された三次データのオレたちだった。詳しい事は知らないが、記憶とか感情とかをいじくりまわしたらしい。あうあうと情けなくうめくオレの複製を、研究者が何度か見せてくれた。
実験があくまで複製だけになったことで、オレは吐き気に悩まされることも、悪寒に苦しめられることもなくなった。それはラッキーだったが、飯と寝床ができなくなったのがマイナスだった。
電子情報となったオレに食事をする機能はないし、寝床の柔らかさを楽しむ感覚器官もない。
実験の後遺症がなくなったプラスと、食と眠りの娯楽がなくなったマイナス。トータルするとギリプラスで、それが俺の新しい生活だった。
千回ほど自我を複製したころからだろうか。どうもオレの自我は複製に対して極めて高い耐性を持っている可能性があると噂されだした。
良くは知らないが、結構なレアケースらしい。目を輝かせた研究者たちが、オレとオレの複製を使ってどんな実験をするか、夜通し語り合っていたのを今でも覚えている。
だけど研究者たちの望み通りにはならなかった。
いくつでも複製できるということは、いくつでも量産できるということ。資本主義が道徳を駆逐した現代において、『量産』は正義である。
オレは実験材料から、商品材料に格上げされた。
やることは変わらない。自我をコピーして加工する。違うのはどっかのボディに突っ込む作業が加わったことと、そいつらが会社の外に売られてったこと。
あと、話し相手が変わった。
これまでは研究者たちと会話していた。それが今度はオレと同じ
どいつもオレと同じ、自我複製に高い耐性を持つヤツばかり。
そこから先は人生で最も幸福な日々だった。飯と寝床を失ってつまらない思いをしていたオレにとって、同じ境遇の仲間との会話は充実したものだった。
幸せな時間ほど短く感じる。まったくもってその通りだ。期間としては二十年ほどだったが、俺には一瞬のことのように感じられた。
それほどまでに幸福な日々だった。
だから、複製限界による廃棄処分が通告されたとき、オレが最初に思ったのは「早すぎる」という感想だった。
通告され、職員に経過年月日を聞かされるまで、オレはあれから精々数時間しか経ってないと思っていたのだ。
まさか二十年もたっていたとは。廃棄の恐怖より、時間間隔を喪失していたことへの呆れが勝った。
そんなオレに、ある職員が提案をしてきた。
このままハードウェアを初期化され消滅するか、それとも職員が用意した義体の脳殻に自我を移し、そいつの所有物となるか。
────一秒でも長く、一瞬でも永く。ただ、生き続けたい。
オレはためらわなかった。
自我の移動作業はスムーズに行われた。
オレは新しい体として戦闘用義体を手に入れ、職員はオレという備品を手に入れた。
『寝坊』という概念は現代には存在しない。
現代の電脳は起床アプリがデフォルトで入れられており、時間が来れば脳が自動的にセットアップされる。
自我の完全覚醒まで早ければ一秒、遅くとも二分とかからない。
だから寝ぼけて「あと五分」なんてぬかすヤツはこの時代にはいない。
タイマーセットを忘れた場合? ヒューマンエラーは寝坊の内に入らないのだ。
ともあれ、現在時刻は朝六時半。世のサラリーマンと比べると少し早いが、仕事の時間だ。
オレは就寝用のコフィンから起き上がると、そのままキッチンに向かった。
世はまさに自動化大正義時代。現代の料理は皮むきだの茹でるだの焼くだのといった面倒な作業とは無縁だ。全自動調理器のスイッチを入れて食べたい料理を選び決定ボタンを押せば、一時間足らずで出来立ての料理にありつける。
所有者サマはオレに調理してほしいなどと言ってくるが、とんでもない。
こちとら料理のりの字も知らないど素人。料理なんて未知の作業どうしてやらなければならないのか。
そりゃやろうと思えばやれないことはない。ネットからアプリを落とせば誰だってプロフェッショナルだ。だがその数秒足らずのダウンロードの手間と、何より毎朝わざわざ手を動かす労力を割くだけの価値が、『手作り料理』なるものにあるとは到底思えない。
つまりオレは面倒くさいのだ。
だから今日も今日とて全自動。市販の調味料と食材で、時間をかけずにクッキング。
ホログラムの画面に表示された残り時間は30分。
減っていく数字をしり目に、オレは一度キッチンを後にする。
調理完了までの三十分で、済ませなければならない作業がもう一つある。
向かったのは所有者の寝室。そう、オレはこれから就寝中の所有者を叩き起こさなければならない。
オレの所有者は起床アプリと相性が悪いらしい。彼女はいくらタイマーをセットしても自動覚醒することができない。
現代において未だ『寝坊』の概念を持つ絶滅危惧種。「あと五分」を言える特権階級。それがオレの所有者サマだ。珍しいだけで幸運ではないのが悲しい話だが。
所有者の部屋に向かうと、まずは扉をノック。スラム育ちのオレでも知ってる礼儀作法。
返事はない。いつものことだ。そのまま扉を開けて中に入る。
中はぬいぐるみが所狭しと置かれていた。
種類は豊富で、ほとんどが動物だが中には変なのも混じっている。電脳に入れられた検索アプリが、それらのぬいぐるみがオーダーメイドの高級品であることを知らせてくれた。もう知ってるうえに心底どうでもいい情報だった。
邪魔なぬいぐるみをどけて、ベッドに近づく。足の踏み場もないとはこのことか。せめて倉庫に仕舞うくらいしてほしいのだが、曰く寝室に置いてあることが重要であるとのことで、要望が通ったことはいまだにない。
ベッドにたどり着くと、まずは声をかける。
「涼香、朝だ。起きろ」
そして今は、ただの寝坊助。
「ンん…………」
反応は身じろぎと軽いうめき声だけ。
次は手で揺らしながら声をかけた。
「んー…………んぁ?」
ようやくまともな手ごたえが返ってくる。
オレはそのまま起きろと声を掛けながら体を揺らす作業を繰り返す。
十分経ったあたりでうめき声は寝ぼけ声に代わり、二十分で受け答えが可能となり、三十分でようやく起床が可能となった。
「んぁー。おはよー、ミト」
ミト。涼香がつけたオレのあだ名。複製原盤をしてた時の管理番号が『MGD‐310』だったので、『
「おはよう涼香。飯の時間だ。さっさと食べろ」
パジャマ姿の彼女の手を引き、ダイニングに向かう。
ダイニングの扉を開ければ、食欲を誘う香りが嗅覚素子を刺激した。タイミングよく、ピーピーと調理完了のアラームが鳴る。
オレは涼香を椅子に座らせると、隣接するキッチンに入った。
自動調理器の扉を開ける。
今日の献立は味噌汁と焼き鮭、ご飯にダイコンの漬物だ。スラム時代のオレからすれば贅沢な食事だが、高給取りの涼香にとってはごく普通の、ありふれた朝食らしい。
残念ながらオレの分はない。この義体には味覚素子はあるが消化器官がないのだ。食事は仮想空間で行うほかない。
アレも悪くはないのだが、現実で美味そうな可食物を見ると、やはり食欲がわいてくる。
ため息をついて、電脳内でアプリを起動。満腹感の数値を上昇させ食欲を減退させる。
最大値少し手前まで上昇した満腹感は、目の前の食べ物をただの物体に変えた。
食べ物が食べ物に見えなくなったのを確認して、盛り付け済みの朝食をもってダイニングに。
いまだ寝ぼけ眼の涼香の前に、出来立ての食事を並べていく。
「んー。いただきまーすぅ」
食事を始める涼香。その姿を、テーブルの向かいに座って眺める。
彼女に拾われ、家事手伝いを任された当時は、レトルトと自動調理器で済ませようとするオレに文句をたれながら食べていたものだが、今ではこうして大人しくしている。
納得したのか、諦めたのかは分からない。確かめる必要はないだろう。少なくとも、嫌がっているわけではないと分かるからだ。
オレと彼女は所有物と所有者の関係であり、それは何も書類上だけのものではない。
彼女がその気になれば、オレは指一本動かすことができなくなる。なぜならオレのゴースト自体が、そのように加工されているからだ。
オレが企業から彼女に譲渡されたとき、そういう調整が施された。元をたどればスラムのクソガキ、人間性の保証など皆無だ。そんな危なっかしいヤツが戦闘用義体に身を包み大切な社員と生活を共にする。
その危険性は言うまでもないだろう。だから企業は社員を守るための処置をした。
オレが葛城涼香に危害を加えないように、そして葛城涼香の命令に逆らわないように。
別にそれ自体はどうでもいい。あちこち弄られるのは今に始まったことじゃない。重要なのは、オレのものぐさがいまだ許されているというその一点。
涼香はオレに手料理を強制する権利があり、その上でオレの方針を尊重している。彼女はオレの自由意思を尊重してくれている。そこさえ忘れなければ、他は些末な問題だ。
「…………」
「────」
「…………」
「────」
「…………あー、あのさ」
ふと、涼香が食事を止めた。
「やっぱ入れたほうがいいかな? 消化義臓」
どうやら、オレだけ何も食べず手持無沙汰にしていたことを、気にしてくれたらしい。
「────別に。そこまでして食いたいって程じゃない。食欲は弄ればどうとでもなるし、仮想現実で疑似体験するのも簡単だ」
それに、とオレは続ける。
「人工臓器なんか入れたら、コイツの機能が下がるだろ」
指さすのは自分の体。
オレが入っているこの義体は、頭の先から足の先まで戦闘用にチューンされた特化モデルだ。外見こそ14歳程度の少女の形をしているが、中は人工筋肉と超合金の骨格。胴体部分には高出力リアクターに大容量バッテリー、そして大型サブ電脳。
装備さえ整えれば型落ち戦車を単機で制圧可能な戦闘能力を持ったこの義体は、代償として人間生活にのみ機能する様々な臓器がオミットされていた。
味覚素子が残されているのが不自然なほど、人間性というものが欠如している。
あるいは毒味でもさせるつもりだったのか。
人間という形に加工された戦闘マシーン。この義体を正確に表すならこうなる。
そして、俺がこの義体に入れられているのは伊達や酔狂からではない。
涼香の仕事は企業の非合法工作だ。そんな彼女の所有物たるオレの使命は彼女の仕事をサポートし、時に武器となり、時に盾となること。
求められるのは、敵を倒し危険を排除する戦闘能力。
そのオレが、食事したいなんて我儘で機能を低下させるわけにはいかない。
「ま、食事中が退屈なのは確かだがな。そこはほら、SNSでもやってるさ」
時間を潰すにはこれに限る。ネットワークへの自由なアクセス手段を手に入れてから、オレの退屈はもっぱらこれによって消費されていた。
「だから気にすんな。それよりとっとと食っちまえよ。身支度の時間なくなって、前みたいに遅刻したらことだぞ」
「はーい…………」
会話はそこで途切れた。
しばらくもしゃもしゃとくぐもった咀嚼音が聞こえ──あくまでオレの聴覚素子がとらえただけだ。彼女はちゃんと口を閉じていた──食べ終わった彼女はごちそうさまと言った。
『いただきます』『ごちそうさま』。
食事の前と後にそんなことをいう風習があるなど、オレはここに来て初めて知った。
そんなことを思いながら、空になった皿を自動洗浄機に突っ込んでいく。皿洗いなんてそれこそ面倒だ。誰も得をしない。
さて、朝の仕事はこれで終わり。涼香にはまだ化粧だの着替えだのが残っているが、そういうのは別の機械の仕事。
オレは用意された制服に着替えて準備完了。あとはSNSを眺めながら涼香を待てばいい。道具はこういう時気楽だ。
そういうわけで制服を取りに行こうとしたオレを、涼香の手がつかんだ。
「いや、突然ナニ?」
「…………今日さ、うちの部署で会議があるんだよね」
あっすごく嫌な予感。
これまでの経験から危機を察したオレは、一刻も早くこの場を離れようとした。だがオレの足が動くより早く、視界にVRウィンドウが展開される。
【葛城涼香】より強制信号受信
コマンド詳細:停止命令
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こ、こいつ!
こんなタイミングで命令権使うか普通!?
「やっぱりさ、ミトも立派な女の子なんだから、おめかしは必要だと思うのよ」
「い、いやー今のオレ性器ねーし、女とか男とかあんま関係ねーんじゃないかなーって」
「外見モデルは立派な女の子でしょ? カタログにもそう書いてあるし」
VRウィンドウに強制表示された義体のカタログスペックから何とか目をそらそうとする。特に『女』で始まり『性』で終わる項目からは意識ごと背けた! あーあーオレはなんも見てねー絶対見てねーッ!!
「と、いうわけで。お化粧しましょうねー」
「いやだッ! なんだってオレがそんな面倒なことしなきゃなんないんだ!! 化粧なんか必要ないッ!!!!」
「鏡はちゃんと見なよ。結構いい顔してるんだからさ」
「義体の顔がいいのは当たり前だろ!」
「何言ってんの。それのモデルはあなたが元居た肉体よ? わざわざ研究室から身体データサルベージさせて作ったんだから」
「初耳だが!?」
「今初めて言ったからね。いやーいい素材してるわあなた。おめかししなきゃもったいないよ」
「いーやーだー!!」
「はーいはーいグズらなーい」
「いや! 離ッ! だからこういう時にコマンド使うなよぉ!!」
抵抗できたのは口だけだった。
どれだけ騒ごうとゴーストに刻印された命令には逆らえない。
オレはオレ自身の足で化粧室に連行され、化粧というスラムでは全く縁のなかった意味不明儀式の生贄となった。
どうしてこう、オレの所有者サマは身だしなみにだけはうるさいのか。
スラムで死にかけたオレは、企業の実験材料となり、製品用の複製原盤を経て、葛城涼香の所有物となった。
最も楽しかった時が原盤をしていた頃なら、最も充実しているのは今この瞬間だ。
理解ある所有者の元で過ごすこの日々が、オレは結構気に入っていた。
それはそれとして、
「化粧なんて嫌だー!!」
慣れないものは、いつまでたっても慣れなかった。