義体少女はかく語りき   作:鈴ノ風

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記録NO.0005  善悪的生命貴賤論 【第三節】 (2123.01.22)

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 無数の警告メッセージが、悲鳴のように視界を埋め尽くす。

「────うるせぇッ!」

 こんなものが見えたからなんだ。

 崖の縁でチキンレースをしてる最中に、危ないからやめろというようなものだ。

 そんな段階はとっくの昔に通り過ぎた。

 オレに残された道は『どう負けるか』だけだ。もはや安全な道なんて通りたくても通れないのだから、警告に意味はない。

 ウインドウを非表示にする。

 青と赤の向こうから、白と黒の衝撃が現れた。

 

 それは立体的な影だった。

 

 武器を持ち、髪をたなびかせる、雄々しい少女たちの影だった。

 刀で、剣で、銃で、弓で、爪で、杖で、ありとあらゆる武器でもって、こちらの電脳を掌握せんと襲い掛かってくる。

 オレはそれを、光でできた白い槍と盾で凌ぐ。

 百の盾を砕かれながら、剣の勢いをそぎ、生まれたわずかな隙に槍を放つ。反撃によって動きの鈍ったその刹那、百の槍がその体を粉砕する。

 そうして、一体。

 影の兵士が消滅する。

 計測アプリ曰く、5715体いるという影の兵士のうちの、たった一体。

 その一体を倒すのに、百個の防壁迷路が粉砕され、百個の攻性防壁が消費された。

 手持ちの防壁迷路は残り650、攻性防壁は946。

 足りない。敵の攻撃をしのぎ、敵の手数を削ぐには、圧倒的に手札が足りない。

 ────しかし。

「ッは! どうした優男! チート使ってる割りには攻め手がぬるいじゃねーか!」

 オレは未だに立っている。

 本来ならば、相手の武器をそぐどころの戦いではなかったはずだ。

 膨大な演算処理能力に支えられた豊富な攻撃手段。それらが一度火を吹けば、防壁迷路に閉じ込められ外部ネットの補助を受けられないハッカーなど、ひとたまりもなく消し飛ばされる。

 だというのに。

 オレは未だ、戦いを続けている。

 この防壁迷路で戦闘が始まってから、体感で2時間。

 

 ────『善戦』と、そう評していいのだろう。

 

 本来ならば勝てない敵と、本来ならば勝てない状況で。それでもなお、オレは未だに立っている。

 それは奇跡に近い幸運だった。

 

 だが、これは幸運ではあっても奇跡ではない。

 

 ジジッと、視界の端にノイズが走る。

 瞬間。

「────!」

 影の兵士が、内側から爆発した。

 ほとばしる閃光、まき散らされる紫色の数字群。

 0からFまでの数値にランダムに変化するその文字群は、一文字一文字が強力なウイルスだった。

 それはさながら榴弾の破片のように、周囲の影たちに突き刺さり、その機能を蹂躙、恒久的に破壊した。

 致命的な機能不全を起こした影が、力なく倒れ伏す。

 これこそが、未だオレが無事でいられる理由。

 外部からの謎のハッキング。それが蘇我の兵力をそぎ、オレの命を延命させているものの正体だ。

 どこの誰かは分からないが、正直助かった。

 おかげで霞より薄い勝機が、輪郭が浮かび上がるほど濃厚になってきていた。

 倒せる、とはさすがに言えない。

 だが、逃げ切れる。

 深海の防壁迷路に穴をあけ、現実世界の帰還することができる。

 そうすればあとは簡単だ。回線を完全オフラインにして追撃を避け、【ヤタガラス】の事務所に帰還する。

 敵のネットは強力だが、巨大企業(メガコーポ)のサーバーほどではない。オレの電脳に記録されたアクセスログから遡れば、ネットを破壊できる。

 反撃の機会は、ある。

「これ、は。少々、不味いことになったね」

「降参するなら今の内だぜ?」

「…………少し、ほんの少しだけだが、その提案が魅力的に見えてきたよ」

「…………」

「…………してやられた、ということか。まさかサーバーダウンの隙をついてアンドロイドを洗脳されるとは」

「…………」

 いやだから何の話だよ。

 どうも、ヤツの中では先ほどのアンドロイド──シャウラとか言ったか──は、オレがハッキングして味方に引き込んだということになっているらしい。

 呼び鈴鳴らしたら門が開いたのも、職員が対応したとかではなく奪取したアンドロイドによる工作行為だと。

 そしてこの、外部からのハッキングも、そのアンドロイドによるものらしい。

 なるほどそうして考えれば、オレの有能さは天井知らずといえるだろう。ヤツの勘違いという一点を除けば、だが。

 なんにせよ、勝手に勘違いしている分には好都合だ。

 無駄に警戒してこちらへの攻撃を緩めてくれれば、こちらとしても楽ができる。

 と、再びノイズが走り、影が30体ほど吹き飛んでいく。

「ッ! 本当にうまいプログラムを組んだじゃないか! 接続すら探知できないとはね! こんな隠し玉があるなら自分にも使えばいいものを!」

 何それオレ知らん。

 あのバカみたいなスペックのネットに勘付かれることなく接続するとか頭がおかしい。

 枕に超が三つはつくような凄腕のウィザードでなければ不可能だ。

 また、ノイズが走る。

「なぜだ! なぜ【ヤタガラス(きみたち)】が、君が邪魔をする! これは浄化なんだ!」

 なんか勝手に叫び出した。

 おそらく罪の告白だろう。

 よほど謎のハッキングが効いたのか。正直死ぬかと思ってたからなんだか意外だ。

「【巫の猟犬(ブラックドッグ)】! 君も元スラム住人ならわかるだろう! あそこは地獄だ!」

 まあ否定はしない。

 クズとカスとゴミが奪って騙して殺し合う世界に、『地獄』という単語はひどく似合っていた。

「ヤツらは生まれながらに悪を仕込まれる。恐喝、殺人、誘拐、詐欺、売春、裏切り、人が人としておかしてはならない悪徳の全てをだ!」

 全部とは言わないが、否定はしない。

 オレたちは生きる術として、一般に『犯罪』と定義される行為を学習していく。

 それしか生きる方法がないからだ。

「たとえどれほど純粋な子供も、5つを超えるころには筋金入りの悪党に変わる! 人を騙し、人から奪い、人を殺す、救いようのない悪党にだ!」

 騙したことが無いかと言われればウソになる。

 奪ったことが無いかと言われればウソになる。

 だが殺したことはない。

 スラム時代のオレは、ただの一度だって殺人を犯したことがない。

 だってオレは、かつてのオレは。

「弱肉強食。それがスラムという世界のルールだ。すべての悪徳が許され、すべての悪が強者としてすべてを享受する」

 ────かつてのオレは、誰かを殺すことができるほど、強い人間ではなかったから。

「きみなら理解できるだろう? 邪悪な者が君臨し、悪徳こそが正義となる、あの世界の矛盾を!」

 …………あぁ、そうだ。

 あの世界(スラム)は、矛盾している。

 あそこに正義なんてものはなかった。

 生きるか、死ぬか。支配されるか、自由になるか。その二つしかなかった。

 媚を振らない人間は死ぬ。誰にも服従せずにいられるのは、たった一握りの、生まれついての強者だけ。

 あの世界を、善と悪のどちらかに分類するなら、それは間違いなく『悪』だ。

「だからこそ、根絶やしにしなければいけないんだ」

 それは。

 それはまるで、悲鳴のような野望だった。

「悪という悪を、殺して殺して殺し尽くして、世界を清潔にしなければいけないんだ」

 それは世界のためか、それとも自分のためか。

 頭を押さえ、うつむいたヤツの姿を見たら、その答えがなんとなくわかった気がした。

「この計画は、正義なんだ。穢れ切った世界を、美しい形に戻すための」

「…………だから、邪魔するな、と?」

「そうだ! 君ならわかるだろう? あの世界(スラム)は滅びるべき邪悪なのだと」

「いや欠片も分からねーよ」

 縋るような目つきを跳ね除ける。

「人にはそれぞれ“生きる権利”ってものがあるんだ。それを潔癖症の都合で奪われちゃたまんねえよ」

「…………潔癖症? 何を言っている、なぜ理解できない!」

「分かるかバカ! 環境を変えたいなら環境を変えればいいだろうが! 何でそこで人を殺すって選択が出てくるんだよ!」

 スラム街が悪だというなら、スラムなんて生じない世界を作ればいい。

 極端な貧富の格差をなくすのに、人死には必要じゃない。

「テメエがやるべきはアンドロイドへの細工でもゴロツキの始末でもねえ! 出世してテッペン取ることだ! 社長になって社会システム自体を変えろ! 殺人なんて短絡的な対処療法で満足しようとするんじゃねえ!」

「…………つまり、奴らを見過ごせというのか? 今なお続く奴らの悪行を、許せと?」

「許すとかそういう話じゃねえ! まずなんでそんな疑問が出てくんだよ! おかしいだろ! テメエは世界を救いたいんじゃなかったのかよ! 悪党裁きたいなら最初からそう言いやがれ!」

「…………そうか、君もそうなのか」

「うわっコイツ自分の世界に入りやがっためんどくせえ!」

 いるよな、反論されると極論言って騒ぎ立てるやつ。

 面倒だからやめてほしい。

「スラムを抜け出た君なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、僕のこの苦痛を理解してくれると思っていたのに…………君も、結局は薄汚い餓鬼に過ぎなかったということか────っ!」

 

 瞬間。

 影の兵士が十倍に膨れ上がった。

 

「っ!?」

「はははっ! 今までは僕も加減していたのさ! 君は善良な人間だと思っていたから、できるだけ優しく捕まえようと。遠慮してあげていたんだよ。だけど、そうじゃなかった!」

 勝手に期待して勝手に裏切られただけで殺意を向けられるのは、恐怖より面倒が勝る。

「もう躊躇わない。全力で君を殺す!」

 有利が不利に一気に傾く。

 浮かび上がった勝機が、再び霞となって消えていく。

「安心するといい。残された君の電脳と体は、僕が有効的に使ってあげよう!」

「…………お断りだ」

 ノイズが走る。

 影の兵士が吹き飛ぶ。

 だが、意味が無かった。

 10の影が消し飛んだら、その後ろから20の影がやってくる。

 海の水を、コップで救うような徒労感。寿命をすべて費やしても、届かないという無力感。

 それでも折れずにいられた理由は、よく分からない。

 未だ生きているか、折れないだけなのか。

 以前のオレなら迷いなくそう答えただろう。

 だけど今は、それ以外の、よく分からない何かが、あるような気がした。

「…………でも君はしぶといからな。もしかしたら運よく生きたまま捕縛できるかもしれない。そうなったら最高だね。洗脳して僕のパートナーにしよう! 君のような有能で強力な相棒がいてくれると僕もうれしいよ!」

「お断りっていうか重いんだよ!」

「ハハハハハハッ」

 どういう思考回路がどう働いたのかは知らないが、ヤツは吹っ切れていた。

 オレを殺す。そのことに何やら異常な執念を向けていた。

 そんなことをすれば、当初の予定などすべてパアだろうに。

 【アマテラス】への偽装工作よりも、オレ個人という人間を殺害することに、全霊を上げていた。

 訳が分からん。

「そうだ! 最初からこうすればよかったんだ! こうすれば、こうしてしまえば! そうすれば今度こそ、君は僕のものになる!」

「何の話!?」

 えっ今度って何? こいつオレと面識会ったりするの?

 知らないんだけど?

「ハハハッ! そら、そらそらそらそらそらッ!」

 笑い声と共に襲い掛かる影影影影影影影影ッ!

 作戦も何もない、物量によるゴリ押しだ。

 単純故に隙も対処法も存在しない。

 光の盾が砕かれる。

 一人分の攻撃でも砕けるそれを、五人がかりでバラバラにした。

 光の槍が砕かれる。

 穂先が敵を一人貫く隙に、四人が囲んで殴り壊した。

 650の防壁迷路と、946の攻性防壁が、瞬時に、直ちに、あっという間に、失われていく。

 

 20秒。

 それが、残された防壁が全滅するまでの体感時間だった。

 

「終わりだ」

「…………」

 ノイズが、走る。

 オレの死を、否定するように。

 だが。

「ワンパターンなんだよ」

 影は倒れこそすれど、爆ぜることはなかった。

「優秀なウイルスだったが、あれだけ送り込まれれば抗体を作るのはそう難しくない。ワクチン対策に乱数を使用したようだけど、やはり数を打ちすぎたね」

 倒れた影が、再び立ち上がる。

 もはや、外部の手助けではヤツを止められなくなっていた。

 そうこうしていると、五体の影が俺に近づいてきた。

 抵抗しようとするが、防壁を失った俺にできることなど、たかが知れている。

 たちどころに捕まれ、拘束された。

「ぐっ…………」

「さあ、あきらめなよ。あきらめて、降伏しなよ。そうすれば悪いようにはしない。ぼくはね、君が気に入っているんだ。()()()から、ずっと」

「…………お断りだし、第一あの日ってのがどの日なのか、俺には皆目見当もつかねえんだよ」

「…………忘れてしまったのか。でも僕は逆にうれしいよ。つまり()()()の君の行いは、深い思慮や思惑によるものではなかったということなんだからね」

「…………」

 体を拘束する手を、『手』という形に翻訳された拘束性のウイルスを、手持ちのファイアウォールで何とか除去しようと試みる。

「…………どうしてだい?」

 その無駄な──腹立たしいことに無駄としか言いようがない──抵抗を見て何尾を持ったか、ヤツは眉をひそめた。

「どうして未だに抵抗するんだ? どうして未だに、立ち向かおうとするんだ? 君に勝ち目はない。分かり切っていることじゃないか。君は負けたんだ」

「…………ッハ。まだ、負けてえよ」

 確かにオレは手詰まりだ。

 今のオレがなにをどうしたところで、無駄な抵抗に過ぎないだろう。

 何の意味もない行為だ。

 だが。

()()()()には守護天使がついてるんでね。まだまだ俺は負けてねえよ」

「『守護天使』というのは、君を所有するあの女のことかな? 残念だが、彼女はあまり優秀なハッカーとは言えないな」

 蘇我の目の前に、黒のウィンドウが表示される。

「葛城一族の出で、祖父は前社長、義伯父は現社長。生まれ自体は申し分ないが…………」

 そういうと、奴は俺の目の前に一つのウインドウを表示した。

 そこに書いてあるのは、『葛城涼香』のパーソナルデータ。身長体重血液型、採血検査の結果まで、事細かに記されている。

 …………体脂肪率がこの前の検査よりも5%上昇していた。帰ったら冷蔵庫のデザートを没収しよう。

「────『拒絶性ゴースト障壁障碍』。君の主が患っている先天的な脳の機能障害だ。社会的不利としてはいろいろあるが、代表的なものはやはり『情報を直接脳に入力できない』だろうね」

「…………」

 そう、涼香は障碍者だ。

 情報を五感ではなく、電脳の補助を受けて直接体験する現代だからこそ足かせとなる障碍。

 現代の電脳技術は五感以上の、例えば居合わせた人間の感情だとか、思考だとかを、直接脳に体験させることができる。

 『臨場感』や『感動』という主観的情報を、体験した人物の行動や反応から間接的に取得するのではなく、『臨場感』『感動』という情報として脳に直接入力する。

 『電脳』という技術の、それが最大の長所だ。

 だが涼香は、その技術の恩恵を一切受けることができない。

 彼女の脳は、脳に入力されようとするあらゆる情報を拒絶する。感覚器官という、先天的な情報入力装置と、その受容器官のみを例外とした、あらゆる情報を。

 だから彼女は五感を介してでしか、情報を取得できない。

 『見る』ことはできても『視る』ことができない。

 『聞く』ことはできても『聴く』ことができない。

 起床アプリによる脳覚醒すらも受けられない。それが、彼女に生まれもって填められた足枷だった。

「50年ほど前までは、この障碍はハッカー御用達の【才能】として持て囃されていた。強力なウイルスによるサージ攻撃を、完全にシャットアウトできるんだからね」

 だが、と、蘇我は続ける。

「今は違う。現代においてハッカーに最も必要なのは【経験】だ。【換装】は人格レベルに作用する可逆性の脳改造、当然障壁障碍者はその恩恵にあずかることができない」

 涼香は【換装】を行えない。

 多くのハッカーが数十年分の【経験】を有する中で、涼香だけは十数年程度の【経験】だけで戦わなければならない。

 ハンデはそれだけではない。

 多くのハッカーは、自らの神経を改造して思考を加速させることができる。

 加速装置の平均加速度は約100倍。普通の人間が一つのプログラムを打ち込む間に、加速したハッカーは百のプログラムを完成させる。

 涼香はこの装置も利用できない。

 下手に脳を弄れば、それを察知したゴースト障壁が、異常性を駆除しようと拒絶反応を起こす。

 比較的脳への変化が少ない電脳化手術でさえも、なにがしかのトラブルがあったと聞く。

 彼女の身体は、生まれながらに、生まれた時代を拒絶していた。

「彼女は、ハッカーとしてはまりに弱い」

 蘇我の瞳が、その黒縁眼鏡の奥の瞳が、どこか嘲笑を帯びているように感じた。

「経歴にもそれが現れている。14歳の時に新陽都大学附属中学校の経済学科から変異性情報学科に転科している。同中学では窓際学科として有名な場所だ。当然出世コースじゃない。どうやら親にも見放されたようだね?」

「…………」

「守護天使だなんてとんでもない。彼女はとんだ疫病神さ。【ヤタガラス】にいるのが奇跡なほどに」

「…………るせぇ」

「彼女じゃ君は助けられない。彼女のような、生まれついての『恥さらし』には────」

「うるせぇッ!」

 

 

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神経加速装置ニューロンアクセル

稼働率:120%

警告:過剰駆動オーバーヒート

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 加速装置のリミッターを外す。

 超高速の思考が、ほんのわずかに敵のネットを押し返す。

 仮想現実の海が揺らぎ、影たちの拘束が緩む。

 ゆっくりと、少しずつ、確実に。

 わずかな、奇跡のような拮抗。

 だがこれは奇跡ではなく。

 奇跡でないがゆえに、代償は大きい。

「ぐっ、がぁっ!」

 あたまがいたい。

 プチプチという音が聞こえた気がした。

 切断している。

 脳細胞の間に張り巡らされた、加速用の人工神経が断絶していた。

 駆け巡る情報量の膨大さに発熱し、焼き切れていた。

 だが、まだ耐えられる。

 人工神経がヒューズの代わりとなって、脳への負荷を軽減しているから。

 

 ────だから、ヒューズ代わりのこの人工神経がすべて千切れた時。その時オレは死ぬ。

 

 生体脳は思考加速の負荷に耐えられるようにデザインされていない。

 鈍化したオレのゴーストを蘇我がハックするより早く、思考加速の負荷がオレの脳細胞を焼き切るだろう。

 だが、それでいい。

 こんな奴の人形になるくらいなら、記憶も記録も覗かれてヤツの手札を増やすくらいなら、ヤツの隣でヘラヘラ笑ってご機嫌取りする愛玩道具になるくらいなら。

 バラバラにして丸ごと蒸発させた方が、ずっとずっとマシだ────!

「ぶっ、殺す…………!」

「…………理解、できないな」

 蘇我が首をかしげる。

「きみという人間が、なぜそこまでするのか、理解できない。君は、君が生きていられればそれで満足なんだろう? どうしてそんな、自殺するような真似をするんだい?」

「…………お前には、分からねーよ」

 誰にだって分かるまい。

 オレにだって分からないのだから。

 だがそれでもかまわない。

 命を懸けていいと、オレ自身が確信している限り────

「────理由(そんなもの)は、必要ない」

「…………そうか」

 ヤツは肩を落として。

「なら、とっとと終わらせようか」

 

 オレの反撃を、食い破った。

 

 深海の揺らぎが消えていく。

 跳ね除けられた影の手が、再びオレの身体を掴む。

 命がけのオレの抵抗を、ヤツは一瞬で叩き伏せた。

「────無駄だよ、無駄」

 ヤツは。

 ヤツは、泣いていた。

「君がどれだけ命を燃やしたって、何の意味もない。ただ寿命を縮めるだけ」

 どうしてそんなことをするのかと。

 ヤツの瞳が、そういってる気がした。

「初めから今のを使って入れば────いや、やはり無駄だったろうね。負荷が強すぎる。主観時間で5分と持たなかっただろう」

 その通りだ。

 リミッター解除に意味はない。メリットを圧倒的なデメリットが上回る以上、これを使うことは自殺に他ならない。

「それともまさか、【奇跡】でも起こると期待したのかな? 残念ながらそれはないよ。【奇跡(そんなもの)】は、とっくの昔に絶滅している」

 世界は偶然と必然に満ちている。

 都合のいい【奇跡】が入り込む余地などどこにもない。

「火力硬度速度処理予測、生命や知性も例外なく、世界の全ては数字と方程式に縛られている。感情なんてものは、カタログスペックを覆すのに何の役にも────おや?」

 ふと、ヤツの言葉が途切れた。

 蘇我は口に手を与え、しばらく何かを思考する。

()()()()()()()()()

 ヤツは何かを思いつくと、そのまま黒いウインドウを操作する。

 操作して捜査して、そしてにやりと嗤う。

「────そこか」

 ジジッと。

 空間にノイズが走る。

 全体ではなく、ほんの一部。

 縦横高さ一メートルほどの立方体型に、紫のノイズが走る。

「バックドアか。いつ仕込んだかは知らないが、なるほど道理で。外部からではなく内部からのハッキングか。外側をいくら固めても防げないはずだ」

 よくできましたと、手を叩く。

 そこにはどこか、嘲笑の色があった。

「だが、分かってしまえばこちらのもの。君が未知のバックドアから侵入するというなら、ハッキングの度にシステム内部を精査するだけのこと。そして見ることさえできれば、速度に勝る僕の方が先手を取れる。君の負けだよ」

 パンッと、もう一度奴は手を叩いた。

 するとノイズが消えた。直前までそこにあった立方体の空間は、元通りになっていた。

「ウイルスを送り込まれる前にバックドアごと回線を遮断したか。だが逃げ場はないよ。君はここで死ぬ」

 さて、と一言呟いて。

 ヤツはオレの頭を掴み上げた。

 直後、ガンッと、脳を直接叩かれたかのような激痛が走った。

 ウインドウは閉じてるからわからないが、おそらくゴーストハックだ。

 開いて確認しようとするが、ウインドウ操作ができない。

 電脳がオレの制御から完全に離れている。見て聞いて話す以外のあらゆる機能が停止していた。

「邪魔者も消えたことだし、君のゴーストを弄らせてもらうよ。記憶も記録も、人格含めた全部を。君が、僕の味方になると泣きついてくるその瞬間まで、ね」

「…………一つ、忘れてねえか?」

「なんだい?」

「【アマテラス】の増援だ。過剰駆動の負荷から推察するに、防壁迷路(ここ)の時間的加速度はおそらく千倍。つまり基底現実じゃもう7秒も経過している。お前の欺瞞工作がどれくらいかは知らねえが、【アマテラス】のベテランオペレーターどもを7秒も騙せるとは思えねえな」

「なるほど、確かに。そろそろ時間的に危ないだろうね」

 うっかり、といった表情だ。

 さすがにわざとだろうが、先ほどの謎の執念を見ると、少し疑わしくなってくる。

「まあ、問題はないさ。どちらにしろバレているんだ。君にはゴーストロックをかけて、物理的に攫わせてもらうよ。ゴーストハックは、【アマテラス】の手が届かない場所でやればいい。じっくり、丁寧に、ね」

「…………あぁ、思い出したわ」

 『詰み』だった。

 今度こそ、否定の仕様がない『詰み』だった。

 手札は消えて助力はなし、抵抗する動作すら封じられた。

 もはや、オレにできることは何一つない。

 だから、ここから先の発言に、意味なんてなかった。

「そのねちっこくて独りよがりなサディズム、なんか覚えがあると思ってたんだよ」

「? もしかして、僕のことを思い出してくれたのかい?」

「あぁ、思い出したぜ…………昔オレを買った、陰キャ眼鏡のクソ野郎にそっくりだってなぁッ!」

「…………ッ!」

 ガンッ! ガンッ! ガンッ!

 頭の中を、何度も何度も殴られた。

 痛みが走るそのたびに、何かがオレの中から消えていく。

 記憶とか、想い出とか、オレを構築する何かが、痛みの度に踏み潰されていく。

「ハハッ! アハハハハハハハハハハっ!」

 それでも、オレは笑っていた。

 『死』という、何よりも恐れていたものを前にして。

 それでも、心の底から笑っていた。

 理由なんてさっぱりわからないが、どうやらオレは、とっくの昔に変わっていたらしい。

「このッ! このッ! このッ!」

 泣きながらオレのゴーストを犯すヤツの姿は、やはりどう見ても、オレを殴りながら犯してたいつかのクソ野郎にそっくりだった。

 

 ガンッ!

 

 どうも、いたいところを、やられたらしい。

 なんだか、まわりが、ぼんやり、し……て…………き……………………

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 


 

 

 

 

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 ふと、目が合った。

「────ッ!」

 ゴーストが覚醒する。

 記憶の欠損を補修して強引に復活する。

 逃げろ、と。

 神経の一本一本が悲鳴を上げた。

「────は、ははっ」

 力なく、笑う。

 あぁ、終わりだ。

 終わりが、来た。

「?」

 オレの変化に気づいたのか、ヤツの手が止まる。

「…………来たぜ」

「来た? いったい何が来たっていうんだい?」

「分かってんだろ? 分かってるはずだ。オレは警告したんだ。聞かなかったのはお前なんだよ」

 だから。

「終わるのはお前だ」

「一体、何の話をして」

「だから、いったろ?」

 

 

涼香とオレ(オレたち)には、化け物(守護天使)が憑いてるってな」

 

 

 そら、と。

 ヤツの背後で揺らめく、炎のようなソレを目で示す。

電脳怪異(守護天使)のお出ましだ」

 

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