私はあの人を「女」として振り向かせたい。【完結】 作:亜梨亜
『──さて、あなたの欲しいものは見つかりましたか。続いてのリクエストは大阪府鶴橋店スタッフの、P.N「博多二重丸・末吉」さんからになります』
「……どうして大阪の人ってペンネームを捻りたがるんでしょうね、店長。面白くもないのに大阪出身ってだけで捻って人より面白いですよって言いたいんですかね」
「鈴原、アンタ私が大阪出身ってこと知らなかったっけ? 喧嘩売ってる?」
驚く程にガラガラな店内。少し前に終わった品出し、在庫完璧なホットスナック、当然ながら並んですらいないレジ。そんな虚無の時間を過ごすコンビニ店員に許される所業は、店内ラジオを聞くか、店員同士でお客さんが来るまで雑談をするくらいしか無い。和気藹々からは程遠い上に、店長がサービス業の仕事をしているとは思えない形相になってしまっている為、どう考えてもこの暇潰し会話は失敗以外の何物でもなかったが、そうは言ってもその形相を見て怯えるお客さんが入っていないのだからどうだっていい。
時刻は夜の八時半を回った頃合い。都内とは言えど都市部から離れたコンビニにそこまで人が入る訳もなく、部活終わりの学生がラッシュでやってくる時間も過ぎた今は完全に暇タイムと化していた。私──鈴原碧の勤務予定時間は夜の九時なので、あと約三十分この暇と戦い続けることが出来ればもう今日のミッションはコンプリートとなる。もうすぐ交代の先輩が来る頃だろうし、ここまで暇なら交代が来た瞬間に少し早く上がらせて貰えるかもしれない……いや、さっき店長の機嫌を損ねたんだった。ダメかもしれない。
小さな小さな期待を抱きつつ欠伸を噛み殺していると、自動ドアが開くと共に入店サウンドがラジオに混じって聞こえてきた。お客さんだ。
「いらっしゃいませぇ」
さっきまでドスの効いた声で私に凄んでいたとは思えないほどの営業ボイスで挨拶をかます店長。つくづくこの人のこの切り替えの速さは見習わないといけないと思う。167センチという女性にしてはかなりの高身長に、切れ長の目と真っ黒かと思いきやインナーカラーで赤色に染められた髪。仕事中は後ろでまとめてポニーテールにしている為、後ろから見ると赤色の髪はよく見える……というかこの髪色に関しては本部とかの監査が入ったら怒られるのではなかろうか。兎にも角にもこの人を一言で表すなら「強めの美人」であり、一見近寄り難いオーラを放っていた。視力が悪いからと掛けている丸眼鏡も何処か威嚇的に見える。年齢不詳、趣味や経歴、彼氏の有無も不明。唯一わかっていることは雑談の時に度々本人が話している「大阪出身」であることだけの我らが店長、堂林まつり。このコンビニのボスである。
あまりにも謎が多すぎて、私達スタッフの間では「黒の組織の一員」だとか「元歌舞伎町の女王」だとか「アングラなライブハウスでカルト的な人気があるボーカル」だとか訳の分からない噂が出回っているが、ぶっちゃけどれも有り得そうで怖い。それでいて仕事はめちゃくちゃ出来て、私達スタッフに対して気配りも出来るというハイスペックぶり。どう考えてもここ以外にも輝ける場所があると思う。
入ってきたお客さんがエナジードリンクと雜誌を持ってレジにやってくる。赤髪が見える強面美人のお姉さんが待つレジは少し怖かったのか、私の方のレジへと歩いてきた。「今の私」は全体的に切り揃えられた黒髪に、上背こそそこそこあるものの、全体的に細めのシルエットで顔付きも少し薄めの「男」なので、店長に比べると並びやすいだろう。
「あ、タバコの33番ください」
「かしこまりました」
「あ、袋も欲しいです」
「はーい、少々お待ちください」
「……あ、クオカードで支払います」
「かしこまりました、少々お待ち頂いてもいいですか?」
中々面倒な注文をしてくれるじゃないの……。とりあえず二つ以上のことを同時にすることは出来ないから、まずはタバコを取りに行く。33番って言っていたな……。
「鈴原、バーコード通しとくよ」
「助かります」
結構大変なオーダーが飛んでいたことに気付いてくれた店長が、私がタバコを取っている間にエナジードリンクと雜誌のバーコードを読み取っておいてくれた。ついでにレジ袋も出してくれている。神ですか?
「お飲み物と雑誌はご一緒に入れてもよろしいでしょうか?」
「あ、大丈夫です」
タバコをレジに通し、全部をレジ袋に入れる。お客さんからクオカードを預かり、機械に通して……会計が終了。
「お待たせしましたー、こちらカードのお返しとレシートになります」
「ども」
「ありがとうございました〜」
自動ドアが開き、サウンドと共にお客さんは退店していく。なんてことはない、夜のコンビニの日常だ。このまま何も起きなければ、あと数人お客さんの相手をしているうちに交代の人が来て、私の今日の業務は終了になるだろう。
……だが、私としてはまだ今日のバイトは終わって欲しくない。
「……そういや今日は来ないね、アンタの推し」
「そーなんですよぉぉぉ……私のバイトの癒し……」
そう、私の「推し」がまだ来てくれていない。いつも夜の八時頃に店に来ては、ビールを一本とサラダや惣菜を買っていくお客さん。恐らく歳は二十代前半だろうか? まだ綺麗なスーツを着こなし、いつも少し疲れているように見えるけどアイドルのように整った顔立ち、すらりとした高身長に少し長めのダークブラウンの髪。一目惚れだった。推せた。恋に落ちた。
私がこのコンビニバイトを続けたいと思う理由の半分は、そんな推しが店に来てくれるからで──
「いらっしゃいませぇ」
──自動ドアが開く音。ポップな入店サウンド。店長の営業ボイス。勿論私も続けて挨拶をして……入口の方を見ると、その「推し」が入店してくれていた。
「あっ」
「あっじゃねえよ。私トイレの備品点検してくるから。レジよろしくね」
思わず喜びの声をあげてしまった私に軽くチョップをキメながら、レジカウンターを出てトイレに向かう店長。これもまあ一応スタッフに対する配慮……になるのだろうか。兎も角これでもしかしたら店長のレジの方に向かってしまい、推しを間近で感じるチャンスが消えてしまう、という事態は免れた。ありがとう店長。チョップは痛かったけど。
推しがレジに来るまでの時間が長く感じる。心臓が少し高鳴るのがわかる。思わず自分の首元に指を伸ばし、横髪をいじくり回したくなったが、その指は空を切るだけに終わってしまった。そうだった。「今の私」は髪が短い。
推しが小さな買い物カゴを持って私の目の前にやってくる。大きな黒目はやはりいつも通り少し疲れを纏っており、その下にはうっすらと隈が出来ているようにも見えた。
「お預かりします」
自分の体温が上がるのを体感しつつ、買い物カゴの中にある品物をレジに通していく。コールスローサラダ、さけるチーズ、ソース焼きそば、缶ビールが二本……二本? いつもは一本じゃなかったっけか。
「あれっ……今日はビール二本なんですね」
つい、口をついて出てしまった。やばい。完全に「あなたの事を覚えています」という証明でしかない。いやまあ確かによく来るお客さんのことは自然と覚えていくし大体何を買っていくかも把握しているけど、それを知られていると知ったらキモいとか怖いと思われても仕方がないのに──
「えっ……あ、そうなんすよ。今日はちょっと頑張って仕事したんで、もう一本飲んじゃってもいいかなって」
──その声は、私が想像しているよりもずっと落ち着いていて、そして優しいものに聞こえた。恐る恐るその顔を見ると、疲れた顔がくしゃっと崩れて、驚く程に無邪気な笑顔がそこにあった。元々顔面偏差値が高いなと思ってはいたが、笑顔の破壊力がこんなにも高いとは。
「あ、えっと……お仕事お疲れ様でした。ビール、いっぱい飲んでください」
「ありがとうございます、あー……お兄さんもお仕事お疲れ様です。いつもありがとうございます」
──か、会話が成立した……?
今日はなんだ。星占いもしかして一位だったんだろうか。しかも何? いつもありがとうございます……? そんなん私の方が言いてえよ! いつもこのコンビニを使ってくれてありがとうございますだし生きててくれてありがとうございますって感じなのだが!?
どうしようか。本当に好きだ。名前も知らない、何をしている人なのかも知らない、知っているのは今日は仕事を頑張ったからいつもよりアルコールを多めに入れちゃうご褒美を作ったこと。そんなこの人が、この推しが、本当に好きだ。
ウキウキ気分でレジを打ち、お金を預かってお釣りを数える。あまりにも気持ちが高揚し過ぎていたので、お釣りの額を間違えていないかと二度確認した。レシートと共にお釣りを渡し、上擦った声でありがとうございましたの挨拶をする。そして推しはゆっくりと暗闇が待つ自動ドアの先へ消えていき……日常のような非日常のような、いややっぱり非日常が終わってしまった。
「……おい鈴原、物凄い顔してるけど」
「お、推しと……喋れたんです……」
「あっそ、良かったじゃん。それもトラウマ克服の第一歩かもよ」
「ですねぇ……」
「ま、「男の身体」でとはいえ普通に男のお客さんと他愛もない話出来たなら上出来よ。前も言ったけどアンタまだ高校生なんだし、無理してすぐ治す必要も無いんだしさ」
「……ありがとうございます」
鈴原碧、高校二年生。性別──女。バイト中の性別、男。性自認、女。
自分で言うのも何だが、私のルックスはそこそこ……まあ、かなりイケてると思う。実際中学時代も何度か告白されたこともあったし、高校に入学してからも「可愛い新入生」として他のクラスや学年から野次馬が稀にやってくることもあった。
それ自体は面倒であっても、最初はそこまで嫌悪感を抱いている訳では無かった。
自分で言うのも何だが、私の性格はそこそこ……まあ、かなり捻くれていると思う。というかまあ、有り体に言うと私はどちらかと言うと「陰キャ」に含まれる存在だ。
別に顔が良いというだけで人生はイージーモードにはなったりしない。結局必要なのはコミュ力、世渡り力、打たれる杭にならないように出しゃばらない力。私にはコミュ力が足りず、学校でも細々と過ごしていたら「可愛いからってお高くとまっている」と一部の女子に揶揄され、ありもしない噂を立て続けに立てられ、やれ「裏では男を漁っている」だとか、「金を払えばヤらせてもらえる」だとか、気がつけば一部のグループには私の知らないうちに隠れビッチキャラが定着していたらしい。
そんなことは気にしなければいいと無視を決め込んでいたが、どうやら私の中でそのレッテルは思った以上に「嫌なもの」であったらしく、ある日バイトでの接客中にDQNみたいな見た目の男に言い寄られた時に何が何だかわからなくなり、気が付けばバックヤードで寝かされていた。その時一緒にいたスタッフ曰く、過呼吸を起こしていたらしい。その時私に言い寄ってきたDQNは店長から無期限の出禁を言い渡され、レジ前にも「迷惑行為は警察に連絡します」という紙が張り出される等、しっかり対応は取ってくれたのだが、私はそれ以来バイト中に男性のお客さん相手にレジを打つことが怖くて出来なくなってしまった。
流石にそれでは店長や他のスタッフさんにも迷惑をかけてしまうし、とバイトを辞めようとしたのだが、店長が「それでも私はアンタを雇うよ」と言ってくれ、他のスタッフさん達もサポートしてくれると言ってくれたのでバイトは続けることにした。私がこのコンビニバイトを辞めない理由の半分は、この人間関係の良さと、店長の優しさにある。
とは言えど、流石に度肝を抜かれた事件が発生する──店長はある日突然、「バイト中は男になったら男から言い寄られることもないだろ」と訳の分からないことを言いながら、一時的に性転換する薬を持ってきたのだ。
一体どこからその薬を持ってきたのか、本当にその薬を飲んだら性転換するのか、そもそもどんな成分なのか、本当に安全なのか、そんなものを持ってこれる店長は本当に何者なのか。聞きたいことは星の数ほどあったし、当然のように私含めその場にいたスタッフ全員が質問責めを敢行したのだが、この質問責めに対して店長は「細かいことは気にしないでいいんだよ。これで鈴原の男性客恐怖症を少しづつ克服出来るならそれに越したことはないだろ?」の一点張りで乗り切り、とうとうスタッフ全員がこの堂林まつりという女に勝つことなど不可能なのだと諦めたところで決着がついた。
そしてこの胡散臭さ全開の性転換薬はなんと飲むと本当に少しづつ身体が変わり……三分後には性別が入れ替わってしまうトンデモ薬品なのだ。私は今もバイトが始まる三分前にこの薬を服用し、男になってから業務を開始している。実際男の身体でいる間は男のお客さんが相手でも、最初こそ少し動悸がしたこともあったが普通にレジが打てるようになった。これに関しては店長様々である。
「まあ、それでもアンタも肝太いというかなんというか……面白いねぇ。あんなことがあって男のお客さんに惚れるって」
「……自分でもびっくりしてますよ、自分のちょろさに」
「悪いことじゃないけどね。仕事ちゃんとやれるなら私はどうだっていいよ」
今や男のお客さんに推しを作ってしまう始末……いや、推しというか最早普通に恋をしている。リアコ勢なのだ。男のお客さんに言い寄られて男性恐怖症紛いになっている私が、男のお客さんに惚れているなんて──だけど、私はまだ普段の私、即ち「女」の状態でレジに立つことが出来ない。何度か試してみたことはあるけど、男のお客さんが目の前に現れると手が震えてしまうのだ。
「……私は仕事ちゃんとやれるならなんだっていいけどさ。ここで働いてくれるスタッフにはね、社員の子も、バイトの子も。ちゃんとハッピーでいて欲しい訳よ」
「……なんですか、急に」
「推してるって感覚じゃなくて、マジで恋愛感情まで持ってんならさ。ちゃんと女の子の鈴原も見てもらえるようになる為に、ゆっくり頑張んなきゃだね」
『貴方の欲しいものは見つかりましたか? 続いてのリクエストは神奈川県川崎東田町店スタッフのP.N「RBI」さんからの──』
店内ラジオの決め文句である、「貴方の欲しいものは見つかりましたか?」が、何故かとても耳に残った。
鈴原碧。高校二年生。女。バイト中は男。性自認は女。
バイト先に来てくれる、名も知らない男のお客さんに恋をしています。
私は、あの人を「女」として振り向かせたい。