私はあの人を「女」として振り向かせたい。【完結】 作:亜梨亜
一番見られたくなかった顔。
今までなら、一番会いたかったはずの顔。
今だけは、絶対に会いたくなかった顔。
もう私はどうしたらいいのかわからなかった。
この先の展開は何故かいとも簡単に予想が出来た。
多分、カイトさんは私がこんなぐしゃぐしゃの顔になってる理由も薄々わかっていて。
それでも、夜に一人で泣きながら家に帰ろうとする女子高生を放っておけないから、「送るよ」って言ってくれて。
泣いてる理由はわかっているから、多分私には何も聞いてこなくて。間が悪くなって、きっと何も悪くないのに「ごめん」という言葉が与えられて。
やめてくれ。今「ごめん」なんて言葉を聞いてしまったら、本当にこのままどうしようもなくなってしまう気がするんだ。
涙が止まらない。吹く風が水滴を乾かそうとする前に、次の雫が目から溢れ続ける。みっともない顔を見たカイトさんが、何かを言い出してしまう前に。私がこれ以上惨めにならない為に。精一杯の声を捻り出そうとした。
「……夜に一人で泣きながら歩いてたら危ないから。送って行く──」
「──大丈夫です、一人で帰れます」
咄嗟に出た言葉はそれだった。それは案外、自分でも納得が出来てしまう言葉。そして銃口からその弾丸が飛んでしまった以上、後戻りはいつも通りできない。というか、もうするつもりも無かった。
「……会いたくなかった。もう会わなくていいって思ってた」
本心。
「もうこれで私の恋とか、一旦全部終わったんだって。そう思ってすっぱり諦めて、そのまま進級して、受験勉強頑張らないといけないからバイトに入る日も減って、バイト先でも会わないようになって、それで言われた通りに大学で新しい出会いとか探して、同世代の彼氏がそのうち出来て、高校時代の青春の一ページって、後から笑い話なんかになって、それでいいって思ってた」
これもまた本心。
言葉が世界に解き放たれていく度に、涙が一緒に流れていく。ああ、止まんないな。
せめて、気丈に振る舞いたかったな。また気を遣わせてしまうかもしれないのに。
「っ……会いたくなかったです! これ以上私のことを嫌いになりたくないから! やだ、やだやだ。だって、今もそうやって私に優しくて、それが当たり前なのかもしれないけど危ないからって私を送ってくれようとして、それでまた私がワンチャンとか夢見ちゃって! そんな自分が惨めで、もっと自分が嫌いになって、自分のこと嫌いなのに誰かが自分のことを好きになってくれるなんて有り得ないのに! だったら、私は……もうこれ以上自分を嫌いになるくらいなら代わりに誰かを嫌いになりたい! 嫌い、嫌いです! カイトさんのことが嫌い! 同じ世代に生まれてくれなかったとこも、優しいとこも、かっこいい顔も、笑った時の暖かい目も、たかが妹の友達が困ってることに手伝ってくれるとこも、頑張った日にはコンビニで一本多めにビール買っちゃうとこも、困ってる人見たらつい動いちゃうとこも、全部、全部全部全部! 大っ嫌いなんです!!」
──本心?
わからないな。
止まらないな。
思いっきり嫌われちゃうな。
不思議と後悔は無かったなんて嘘だったな。
未練も、後悔もタラタラだった。その未練も自分でぐちゃぐちゃにして、世話ないな。
最悪の女の子に成り下がった。自分のことを嫌いになりたくなくて逃げようとしたのに、結局自分のことが大嫌いだ。
「…………もっと、もっと。もっと早くに産まれていたら、カイトさんと同い年で、学校も一緒に行けてたら。最初っから、私が「女の子」としてアピール出来てたら。カイトさんは私のことを一人の女の子として見てくれましたか」
本心。
嫌な女だ。自分で解ってる。それでも止められやしなかった。結局嫌いになっていくのは自分なのに。
カイトさんは、そんな私の独り善がりを、ずっとただ聞いていた。何も言わず……何も言えなかっただけかもしれないけど。いつもみたいに、私が男苦手を克服する為という名目で二人で会っていた時みたいに、いつもの表情のままで。
──ああ、きっと駄々を捏ねている子どもを見ている気分なんだろうな。
きっと、この状況に耐え切れなくなって先に逃げ出すのは私だ。送ってくれなくてもいい。追われたくもない。今すぐ走って逃げ出したい。
──それでも、今日のこの瞬間も含めて、「男」の姿で初めてカイトさんとお話が出来たあのバイトの日から今日までの、たった三ヶ月くらいの時間が。その時間が私の最大の青春の時間だったんだろうし、これから待っている高校三年生という一年間の時間より、今日までの三ヶ月の方が十倍近く密度があった時間なんだろうなって思う。
だからこそ辛いし、後悔ばかりだし、涙が止まらないんだ。
そして私は一言、絞り出した声でカイトさんに謝って、自分のモノじゃないくらいに言うことを聞かない足に命令を出して逃げるように走っていく。振り向くなんてことは有り得ない。これ以上惨めになりたくなんかないから。
時間が傷を癒してくれると信じて、我武者羅に駆け抜けるしか無いんだろうな、となんとなく思った。
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四月。
三年生になっても、京香と杏奈ちゃんとまた同じクラスになれた。いつの間にかこの三人で一緒にいることがどんどん増えていき、私のオアシスには眩しい太陽が追加されることになった。
来たる大学受験に対して散々脅され、どことなくクラスの雰囲気もピリッと締まっているように感じた。部活をしている子達は最後の大会や発表を控えていて、その練習や制作に気合いを入れていく。
私も京香も杏奈ちゃんも部活には入っていないからそういったピリピリ感とは無縁だったけど、杏奈ちゃんに関しては成績が壊滅的すぎて進級すら危うかったので、ヤバいヤバいと叫びながら勉強に追われるようになっていた。京香と私が勉強を教えることも増えた。流石に杏奈ちゃんも「これ以上サボるとヤバい」と感じたのか、四月からは気合いを入れて集中して臨んでくれた。飲み込みは速いから、ちゃんと勉強したら点数は取れるはずなんだよな、この子。
杏奈ちゃんは、私とカイトさんの間に何があったかは一切聞いてこなかった……正確には、聞いてこなくなった。多分何かをカイトさんから聞いたのか、或いは人間関係には察しが良いド陽キャギャルだから、何かを察したのか。何れにせよ、そういった配慮には助かったし、やっぱりこの兄妹はとても優しいんだなと思った。そこに甘えている私のことは、また嫌いになっていく。
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五月。
ゴールデンウィークに、久々にバイト二連勤をした。二年生までは二連勤なんてよくやっていた事だったはずなのに、受験勉強の為とシフトを大幅に削らせて貰ったからだ。ぶっちゃけ全然もっとバイトに入っても勉強の時間は取れる気がするんだけど、お母さんと話して「受験生になってもバイトを続けてもいい条件」として提示されたのが、バイトに入る日を減らすだったので仕方が無い。
店長をはじめ、スタッフの皆もそのことは理解してくれているし、シフトに入る日が減ったとしても仕事としてやる業務は変わらない。新しく一人バイトの人も増えているし(あの店長、堂林まつりのお眼鏡に適ったということで勿論めちゃくちゃ良い人である)、相変わらずこのコンビニは安泰極まりないらしい。
あれから、カイトさんにはバイト先でも一度も会っていない。
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六月。
一学期の期末テストで、杏奈ちゃんは今までにない高得点を取ったらしい。やっぱり飲み込みが速いから、ちゃんと集中して勉強出来る環境があるとぐんぐん伸びるんだな。
今回の期末テストは私と京香と杏奈ちゃんの三人で勉強したので、杏奈ちゃんは私と京香に対してもう泣きながら「ありがとぉ〜二人とも神〜っ」と崇めるようにお礼を言っていた。
私と京香の点数はいつも通り。京香はAO入試に向けて面接練習も始めているらしい。本当に音楽の道に進むんだな……なんだかすごくカッコよく見える。
私は結局、第一志望は変えなかった。やりたいこともやっぱり解らないし、取り敢えずある程度頭のいい所に行っておく。それ自体は悪いことじゃないと思うから。
そういえば、二年生は球技大会をしており、他の学年も観戦していいとのことだったので、京香と杏奈ちゃんと三人で女子の部のバスケットボールを観に行った。去年の体育祭で無双していた青インナーカラーポニテの子──石坂優希ちゃんはどうやらスポーツならなんでも出来るらしく、信じられない身のこなしでボールを運び、面白いくらいに相手チームを翻弄していた。何がすごいかってワンマンにならないように、他の子に上手くパスまで回している。挙句の果てにはスリーポイントまで決め始めていて、一周回って相手のクラスが可哀想になった。
しかも優希ちゃんはバスケ部じゃないらしい。逆に何部なんだろう……と思って京香に聞いてみた。帰宅部らしい。勿体なさすぎるでしょ。
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七月。
夏休みが始まった……と言っても、殆どの高校三年生は夏期講習に行ったり、部活最後の大会に臨んだりと、休んでいられるような期間では無いだろう。私はあまり塾とかの雰囲気が好きじゃないから、夏期講習は行かずに家で基本的に勉強することにしていた。
杏奈ちゃんの「LJKなんだしたまには遊びたくない!?」という心の叫びにより、八月の夏祭りには京香と杏奈ちゃんと私の三人で遊びに行くことが決まった。一日くらいは思いっきり遊んだってバチは当たらないと思う。私だって勉強詰めは嫌だしね。
いつの間にか、私と京香と杏奈ちゃんの三人組は鉄板の並びみたいになっており、所謂「いつメン」と化していた。ちょっとだけ……いや、かなりこそばゆいけど、一部の男子からは「顔面偏差値の女王トリオ」なんて言われたりしている……らしい。私もまあかなり顔が良い自覚はある……のだが、京香も杏奈ちゃんもめちゃくちゃ顔が良いからね。特に京香と杏奈ちゃんの二人は派手髪が似合う超ハッキリした顔立ちなので、「女王」と言われるのもしっくりくる。京香がムチ持ったら似合いそうだな……杏奈ちゃんは…………うん。似合わないな。
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八月。
電車で四十分かけてやってきた、この辺りじゃ一番大きな夏祭り。ごった返す人の群れ、滝のように流れる汗、少しだけの非日常に綻ぶ空間。
折角だし浴衣を着てみたい気も少ししたけど、面倒だなという気持ちが圧倒的に勝利し、いつもの格好で向かった夏祭り。京香もどうやら同じ気持ちだったらしく、いつものラフで格好良い姿で現れた。
そして杏奈ちゃんは──びっくりするくらいに可愛い、白い浴衣に身を包んで現れた。正直、一番普通の格好で来ると思っていたのでびっくりした。しかもめちゃくちゃ可愛いんだ。ギャルに浴衣ってこんなに似合うんだな……。そしてそんなに楽しみだったんだな、今日の夏祭り……。
焼きそば、りんご飴、かき氷、串焼き。少し割高にすら思える値段でも、その場所で食べることに意味があるから、ついつい財布の紐が緩む。真っ暗な空に打ち上がった沢山の花火がとても綺麗で、やっぱり今日は来てよかったなって思った。
帰りの電車で、疲れ切って爆睡していた杏奈ちゃんの寝顔は、しばらく京香のスマホの壁紙となった。
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九月。
杏奈ちゃんから誘われたのは、来月に迫る体育祭での応援団だった。私はそういうのが柄じゃないし、あんまりやるつもりも無かったんだけど……まさかの京香が「碧がやるなら私もやる」なんて言うもんだから、ついノリでオーケーを出してしまった。杏奈ちゃん、あーゆーの好きそうだもんな。意外にも団に参加するのは今年が初めてらしい。
勉強をしつつ、たまにバイトにも入りつつ、応援合戦やダンスの練習が放課後に組み込まれた。正直忙しいなんてもんじゃなかったけど、青春してる感はあったし、基本的に絡みが少ない後輩達と繋がりが出来ていくのはちょっと楽しかった。杏奈ちゃんにちょっと感謝しないといけないかもしれない。
あと、これはどうでもいいけど杏奈ちゃんが私のことを「鈴原ちゃん」から「碧ちゃん」と呼ぶようになった。なんだろうな、名前呼びになるとやっぱりちょっと嬉しいな、なんて思ったり。
……そういえばAO入試って十月とかじゃなかったっけ。京香は応援団をやってて大丈夫なんだろうか?
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十月。
柄じゃないなんて思いつつも参加した応援団。その甲斐あってか、それとも最後の体育祭だから、というバイアスがかかっていたからだろうか。今年の体育祭は、今までで一番楽しかった気がした。応援合戦やダンスも上手くいったし、私達が所属してた赤組は……負けたけども。
いっぱい写真も撮ったし、達成感みたいなのもあったし、杏奈ちゃんには感謝しないといけないな、なんて思ったり。杏奈ちゃんのインスタにあげられた写真は、ちょっといいねの数がいつもより多かった。私もいいね押したし。
今年もクラス対抗リレーでは二年生の石坂優希ちゃんがアンカーでぶっちぎって勝利し、終わってから数多の運動部から勧誘を受けたり、何人かから告白という名のアタックを受けていたらしい。もう卒業してるから別にいいっちゃいいんだけど、来年はあの子にはなにかハンデを付けるべきだと思う。
京香はAO入試で第一志望の大学に見事合格した。一足先に受験戦争から抜け出したのは羨ましいけど……そんなことよりもやっぱりおめでとうという気持ちが強かった。杏奈ちゃんは半泣きになりながら「おめでとぉ〜」と祝っていた。あの子自分が合格した時泣きすぎて干からびるんじゃなかろうか。
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十一月。
行事ごとに「高校最後の」なんて言われるのがちょっと嫌だな、なんて思っていたけど、なんだかんだでいざその行事がやってくると「ああ、最後なんだな」なんて思ってセンチになってしまうのは、私がわかり易い性格をしているからだろうか。
高校最後の文化祭。京香が一人で出演した、体育館ステージ。ギターを一本、それだけ持って現れて、弾き語りのように何曲か歌うだけ。私は何度も京香とカラオケに行っているはずなのに、京香があんなに、あんなにも歌が上手いなんて知らなかった。プロ顔負け……というかもうプロでしょ!? と言いたくなるような歌声。後ろに控えている軽音部が可哀想になるくらい上手な歌声に、「ああ、そりゃ京香は音楽の道に進むわ」と妙な納得をしてしまった。杏奈ちゃんは隣で感動して泣いていた。この子本当にすぐ泣くな。
「鈴原先輩、俺と付き合ってくれませんか?」
──後夜祭で、告白された。
応援団に入った時に仲良くなった、二年生の菱尾海人君。サッカー部に入っていて、明るくて人懐っこい性格が少し杏奈ちゃんに似てるな、なんて思っていたり。良い子だし、結構カッコイイし、人気はあるらしい。
正直、びっくりした。仲良くなったとは思っていたし、割と私に懐いてくれているな、なんて思ったりもしたし、たまにラインは来ていたけど。そんな素振りは、ちっとも見せてこなかったから。
……彼に告白された時に、ふとカイトさんのことを思い出したのは、彼も名前が「カイト」だからなのだろうか、それとも──。
菱尾君は良い子だし、懐いてくれているし、たまーに来るラインも最後は「勉強中なのにごめんなさい」「楽しかったです」って締めてきて、こっちの事も考えてくれてるんだろうなって思う。全然嫌いじゃないし、彼が私の隣にいること自体は……想像できない訳じゃない。
「…………ありがとう、嬉しい。でも──ごめんなさい」
どうして断ったんだろうか。自分でも、一瞬解らなかった。
「……俺じゃ、ダメっすか」
「そういう訳じゃない。菱尾君カッコイイし、団で一緒に練習してた時も、ラインしてる時も、私の事考えてくれてるなってわかるし、懐いてくれてるな〜って思うし」
「それでも……ダメなんすか。どうしてですか。他に好きな人とかいるんすか」
他に、好きな人。
「──いない、けど」
本心?
「じゃあ、鈴原先輩が俺の事好きになってもらえるように頑張りますから。近くで良いとこ、いっぱい見せますから──」
ああ、そうか。私も、そうやって引き下がれば良かったのかな。
嫌いっていっぱい言った。絶対許されないような、最悪な逃げ方もした。子ども地味た駄々を捏ねるなら、引き下がれば良かったのに。
本心?
きっと本心。
私の心はまだ、きっとカイトさんに向いている。
「──ごめん。私、他に好きな人……いる」
高校三年生。
正直、受験勉強は辛いけど。
めちゃくちゃ楽しく、JKをやれている自信がある。
それでも、あの密度がとんでもなかった、どうしようもなく恋してたあの高二の短い期間に比べたら、十分の一くらいの密度になっている気すらするんだ。
今更会える訳なんてないのに、もう恋焦がれても遅いのに。
振り向いても時間は巻き戻らないのに、あの瞬間の、気がつけば自分の本心が口から出続けたあの時間の、あの感情を求めている。
鈴原碧、高校三年生。
私がどれだけ振り向いても、その時間は返ってこない。振り向いたその場所に、振り向かせたかった彼はいない。