私はあの人を「女」として振り向かせたい。【完結】   作:亜梨亜

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その声は、きっと私しか知らない

 世の中、良いことがあれば悪いこともある。

 そんなの当たり前だろ、と思っていたが、いざその言葉を実感するとこの世マジでふざけんなよ、と叫び出したくなってしまうものなんだと気付かされた。せめて良いことがあったあとは一週間くらいその余韻に浸らせて欲しかった。

 

 推しが女の子と一緒にいる姿を、見たくなかった。

 あんな形で推しの下の名前を、知りたくなかった。

 男の姿だったとはいえ、推しと会話が出来たことを、もっと喜んでいたかった。

 会話が出来たとはいえ、男の姿でしか推しと出会っていないことを、こんなに悔しいとは思わなかった。

 

 杏奈ちゃんの楽しそうな顔、カイトさんの見たことない安心した顔。思い出したくないのに、ふとした時に脳裏に浮かんで枕をボコボコにしたくなる。というか結局昨日は一日中そのショックとフラッシュバックに苦しまされ、ずっと布団の上でゴロゴロジタバタして終わってしまった。折角の土曜日だったというのに……。

 そして現在、折角の日曜日も布団の上でゴロゴロジタバタしているうちに午前中を終えようとし始めている。流石にそろそろお母さんに心配されているかもしれない。

 

 ──援交してるとか、歳上の男複数と付き合ってるとかは聞いたことあるけどね。

 

「……やだやだ」

 

 いっそのこと、杏奈ちゃんのその噂が全部本当だったらいいのになんてことを思ってしまった。めちゃくちゃ悪い女で、そのことをなんとかしてカイトさんにバラして、離れてくれたらななんて思ってしまった。そんな自分に対して死ぬほど嫌悪感を抱いてしまう。

 そしてもし本当に杏奈ちゃんがそんな最低な女だったとして、そんな女に引っかかっている推しは結局解釈違いなのだ。更に更に言うなら万が一援交やパパ活だったとして、それなら杏奈ちゃんはきっと推しのことを「パパ」と呼んでいるはず。名前で呼んでるなんて……深い関係に決まってる。

 

 全部が嫌いになっていく。自分の中で勝手に悪者になっていく杏奈ちゃんのことも、勝手に杏奈ちゃんを悪者にしようとしている自分のことも、そして勝手にそれで杏奈ちゃんを嫌おうとしている自分も、そしてそして結局男が怖くて女の姿でバイトが出来なくなっている自分も。その感情の行き先がわからなくて、結局布団の上でゴロゴロジタバタするしか発散できない。悪循環だ。

 

 カラカラに荒んだ心は、もう自分にはどうすることも出来ない気がしていた。折角の日曜日も無為に過ごして虚無で終わらせるわけにはいかない。それに私はバイトでそこそこお金がある。なら取る手段は一つしかない。

 

 

 

 

 

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「碧……アンタさあ、滅多に誘ってこないくせに、アンタから遊びに誘ってくる時はいつも当日よね。特に予定も無かったからいいんだけどさ」

「ごめんて、日曜なのにめちゃくちゃ虚無だったんだもん」

 

 私の唯一無二の親友、平井京香は私にとってはオアシスである。家にいてもマイナスな思考に陥って自分のことをますます嫌いになりそうだったので、私は京香に連絡してお昼から一緒に遊ぶ予定を立てた。急に連絡しても当然のように一緒に遊んでくれる京香の人間力の高さには本当に感心する。さっきまで自己嫌悪マックスだった私とは大違いだ。

 私服の京香は身体にフィットしたトップスに一枚薄手のシャツを着て、下はダボッとしたズボンを履いており、キャップとスニーカー、ネックレスまで装備したストリート系ファッション全開スタイル。学校では髪を下ろして耳についているピアスを隠しているが、今日は髪を耳にかけてピアスを堂々と見せびらかしていた。というか……

 

「なんか耳の辺りの髪だけ、色派手じゃない?」

「ん? あ、そうそう。昨日美容院でイヤリングカラー入れてもらったの。耳に髪をかけたら見えるメッシュ的な」

 

 京香の耳にかかっている髪だけ、色が真っ白になっていた。流石に自由な校風と言えど白はヤバくない!? と思ったけど……耳にかけてなかったらその白い部分は隠れるの……かな? なんというかこういう髪の色の入れ方は店長を思い出すなぁ……というか京香、こういう髪色似合うな。

 

「いいじゃん、カッコよくて。京香そういうの似合うよ」

「ありがと。私お昼まだ食べてないからさ、先どっか入ってご飯食べていい?」

「いいよ、どうしよ……そこにマックはあるけど」

「普通にアリだね……碧もポテト食べなよ」

「ん」

 

 二人で某大手ハンバーガーチェーン店に入る。時刻はお昼の一時過ぎであり、ピークは少し過ぎていると思うんだけど……それでも流石と言うべきか、店の中は相当混雑していた。座る席を見つけるのはかなり苦労しそうだな……なんて思っていたけど、運良く目の前で家族連れのお客さんが席を立ったので、そこに滑り込むことで席を確保することに成功した。

 荷物を置いて場所を確保し、レジにて注文。京香は魚のフライがサンドされたバーガーのセットを、私はポテトと炭酸のジュースを単品で注文し、トレーを持って席に戻る。混雑こそしているものの、店内は思った以上に騒がしくなく、ポテトが揚がった時の通知音や、ポップな店内放送も適度に耳に入り込んでいた。

 

「んで? 碧から誘ってくるなんてマジで珍しいじゃん、なんかあった?」

 

 ポテトを指でつまみながら京香が聞いてくる。実際、私達が遊ぶ時は大体京香の方から誘ってくるし、私が誘う時は私の気持ちが沈んでいる率が非常に高い。まあ今回も例に漏れずそうなのだが……すぐに何かあったことを察知し、それを一切の遠慮なく聞いてこれるのは、やっぱり親友だからだろうか。

 

「何もなかった……訳じゃないけど。ちょっと諸事情で、自分のことが嫌いになりそうだったというか……」

「どんな諸事情よ、それ」

「ま、まあそのですね……その、諸事情よ」

「はいはい。言いたくないけど一人でいるのが嫌だったから誰かと喋って気分を紛らわしたかったんだね」

 

 お察しが良くて非常に助かります……。改めて思うと私は相当京香に甘えている気がするな……。流石に全部は話せなくても、ちょっとちゃんとお話しておくべきかもしれない。

 

「…………恋愛系で病んでるって言ったら笑う?」

「笑う」

「なんでよ!?」

 

 ノータイムでの笑う宣言にちょっと話すことを躊躇いたくなった。

 

「碧から恋愛系なんてワードが出ると思ってなかったんだもん。アンタ男意図的に避けてるでしょ、変な噂流されてるし」

 

 なんだよなんだよ。京香だって高校入ってからはずっと彼氏いないくせに。……いないよね? 私が知らないだけで彼氏いるなんてことないよね? 流石に一応親友だし出来たら教えてくれてるよね? 

 

「で? その恋愛系の病みは何処からきてんの? 変な男に言い寄られた? それとも碧が誰かのこと好きになっちゃった?」

「…………………………後者です」

「へぇ〜、ふぅ〜ん……いいじゃんいいじゃん、面白くなってきた。どうせバイト先でしょ、どんな人?」

 

 さっきよりも露骨に楽しそうな顔をしてハンバーガーの包み紙を開ける京香。見た目がめちゃくちゃイケてるロックガールでもやっぱりちゃんとJKらしく、恋バナに対する食いつきはいつもの他愛もない会話よりもよっぽどいい。まあそりゃそうか、私だって京香に好きな人が出来たって聞いたら根掘り葉掘り聞いちゃう。

 

「えっと、バイト先はそうなんだけど……お客さんの方で」

「ほう、お客さんね。常連?」

「まあ、うん」

「てことは、服屋さんとかじゃなさそう……? カフェかな……? ファミレスとかご飯屋さん、スーパーとかコンビニも有り得るな……」

 

 しれっと私のバイト先まで特定しようとするな。

 

「で、見た目は?」

「グイグイくるじゃん」

「そりゃそうでしょ、面白いんだもん」

「……茶髪で、めっちゃイケメン。いっつも綺麗なスーツ着てて、ちょっと疲れ気味でアンニュイな感じが良くて……」

「歳上じゃん!? えっもしかしてアンタ歳上好き!? やだ〜! 面白くなってきた!!」

 

 恥ずかしくなってきた。歳上好きってそんなおかしいことか!? いや別に歳上が好きなわけじゃないんだけど! あんまり自分の好みも理解できてないし、今回たまたま一目惚れした推しが歳上だっただけであって。

 

「で!? アピールは出来てるの!?」

「グイグイくるじゃん!?」

「いいからいいから! アピールしてるの?」

 

 ──そう、問題はここからだ。

 私バイト中は男なんだよね、なんて言った暁には京香にどんな反応をされるか、本当にわかったもんじゃない。一番怖いのは「私のバイト先は男装コンカフェで、私はそこで男装の麗人としてキャストをしている」なんていう勘違いをされてしまうことだ。その勘違いを食らった途端、私が「恋愛系で病んでる」と言ったその話が突然あまりにも生々しくなってしまう上に、私が今までバイト先を頑なに明かさなかった理由の補強が完璧にされてしまう。つまりここは……やはり親友であろうと、バイト中は男になっていることを話すべきでは……ない。ごめん京香。

 

「アピールは……出来てない」

「しろよ!!」

「ごめんなさい……」

 

 怒られた。

 

「アンタめちゃくちゃ可愛いんだから、普通にアピールしたらいいのに」

 

 バイト中は全然可愛くないんですよ、男なので。

 

「……でもアレだね。碧が恋愛系で病んでる理由がまだ出てきてない気がするけど。まさかアピール出来てないことに対して病んでる訳じゃないでしょ?」

「うっ」

 

 図星である。本当にこの子は私のことを理解しているというか、話の理解力が高いというか……。

 

 ──ふと私の脳裏に過ぎったのは、今ここで杏奈ちゃんの話題を出すことだ。京香は杏奈ちゃんとも仲がいいし、もしかしたら杏奈ちゃんの彼氏の話も知っているかもしれない。ここで聞いてしまえば……

 

 

『ちょっとでも仲良けりゃあの純心バカがそんなこと出来るわけないってわかるから、あんまり広々とは言われてないけど』

 

 

 …………いや、京香に杏奈ちゃんのことを話すのはやめよう。今私が杏奈ちゃんのことを話すと、なんか醜い私が出てきて少し露悪的に話しそうな気がして。それに、私は杏奈ちゃんと歳上の男が一緒にいたのを見た「だけ」で、結局その関係がなんなのかは私の推測を出ないわけで。勿論京香が私から杏奈ちゃんの話を聞いたとして、それを噂として各方面に流すようなことはしないと確信しているけど。今ここで私がその話をするのは、新しい噂の種になりかねないし、そうなった時私はもっともっと私のことを嫌いたくなる。

 

「…………そのお客さんがさ、女の人と仲良さそうにお店に来てるのを見ちゃってさ。所詮よく来るお店にいる店員さんじゃ、勝ち目ゼロってわけ」

「えっマジ? もう好きな人に彼女みたいなヒトがいたってこと!? キッツ〜! そりゃ病むわ……」

「や、まだ彼女かどうかはわかんないけどね? けどね……うん……距離は……すごい近かったよね」

「つら……」

 

 話せば話すほど思い出す、楽しそうな杏奈ちゃんの顔とグイグイ手を引くあの押しの強さ。そしてカイトさんのそれが普通と言わんばかりの安心した顔。

 

 私だって、好きなのに。

 私だって、何も知らなくても想っているはずなのに。

 

 想いがあるだけでは十分条件にはならない。それはあくまでも最低ラインでしかないらしい。

 

「しょうがないな……このあとカラオケ行こカラオケ。私が奢ってあげるからさ。アンタと一緒で私もバイトしてるし、それくらいのお金はあるよ。いっぱい叫んでいっぱい歌って、一旦リセットしよ」

「……うん」

 

 想いを伝える前から失ってしまった恋なんて、生まれなければよかった感情なのかもしれない、と思った。生まれなければよかったなら、忘れてしまえばいい。そうだ、私はそもそも男が苦手なんだろ。寧ろ伝えてダメだった時の方が恥ずかしいじゃん、消えない傷として残っちゃうじゃん。そうだ、今ならまだ忘れて無かったことに出来る。

 

 炭酸ジュースが喉に通る感覚が気持ちいい。今日は絶対に青春狂騒曲を歌うと決めた。

 

 

 

 

 

 ───────────────────────

 

 

 

 

 

 気持ち良く叫び、歌い、ある種の気持ちのリセットは出来た気がした。京香とバイバイして、電車に乗り、家の最寄り駅で降り、すっかり暗くなった道を一人歩いて帰る。駅の近くはそこそこ栄えているものの、少し歩けばもうすぐに人通りはどんどん減っていき、静かで寂しげな道へと変わっていく。お昼のフリータイムで実質五時間くらい二人で爆音で歌い尽くした後なので、夜の静かさがいつにも増して静かに感じた。

 

 つくづく京香には感謝しないといけないな。もし今日も一人で布団の上でゴロゴロジタバタしていただけだったなら、明日学校で杏奈ちゃんと顔を合わせた時、どんな感情でいたらいいのか解らなかったかもしれない……いや、正直今もあんまり解ってないんだけども、それでも一旦自分の気持ちはリセット出来た。

 

 そう、一旦全部忘れてしまおう。そしてまたゆっくり男にも慣れていって、女の姿でもバイトが出来るようになってから、また好きな人を見つけたらいいだけ──

 

 

 

「あ、あのー、お姉さん。一人っすか? 今帰りっすか? ちょっと聞きたいことがあるんすけど……」

 

 

 

 ──全く気が付いていなかった。いつの間にか隣にいた知らない男。声を掛けられるまで、気配にすら気が付けなかった。驚いた私は思わず足を止めてしまう……どうしよう、びっくりして身体が動かない。

 

「あ、すみません。駅ってどっちに行けばいいんですかね?」

 

「っ……、え、と、はいっ、えっと……っ、そ、そっちで、そっちです」

 

 思うように言葉が出てこない。落ち着け、落ち着け。ただ道を聞かれているだけ、ただ道を聞かれているだけなんだから。頑張って腕を伸ばし、指で駅の方向を指さす。

 

「ありがとうございます〜、あでもちょっと道暗くてわかんないな、良かったらお姉さん案内してくれません? お礼にご飯とか奢ったりしますし! いやまだ時間も遅くないしさ、ちょっと俺と飯食うくらいどうかなって思うんすけど──」

 

 

 男が一歩、私の方へ踏み込んできた。頭がぐわんぐわんする。道を聞いてるだけじゃないの? 違う、これナンパだ。油断してた、こんな人通りが少ないところだと声なんてかけられないと思ってた……! 

 

 どうしよう、逃げたいけど怖くて足が一歩も動かない。何か言いたいけど咄嗟の言葉も出てこない。伸ばした腕も何故か引っ込めようとしても石みたいに固まって思うように動かせない。取り敢えず何か言わないと、でも口が、舌が言葉を発することを忘れたみたいにパクパクしてしまう。えっとえっと……ダメだ、頭だけがグルグル回っている感覚はあるのに身体がちっともそれに答えてくれない! どうしよう、どうしよう!? 

 

 

「あれっ、怖がらせてる? 大丈夫大丈夫、一回僕にチャンスくれません? 絶対楽しいと思うんすよ、ほら、ゆっくり手ぇ握りますよ〜……」

 

 

 動けない腕に、ゆっくりとゆっくりと笑顔の男の手が迫る。違う、やめてほしい。やめてくださいって言わなきゃ。お願いします、私の身体動いてください、怖くて動けないのはわかりますけどなんとかしないとダメなんです、勝手に女の腕握ろうとする男なんかに負けないでください、お願い、お願い──っ!! 

 

 

 

 

「……あの、その子嫌がってますよね、明らかビビってるし。なんすかお兄さん、その子の知り合いじゃないっすよね?」

 

 

 

 

「…………っ、はぇ?」

 

 グチャグチャの視界と遠いようで近いような聴覚、グルグル回ってガンガン痛む頭。フラフラになりそうな私の耳はとうとう幻聴でも生んだのかと言いたくなるような、聞き覚えのある声が聞こえた──正確には殆ど聞いたことは無いはずなのに、記憶にはっきりと張り付いている声。一瞬口の緊張が解け、思わず間抜けな声が出てしまった。

 

 

「は? いや、なんなんお前……いきなり入ってくんなよ、意味わかんね」

「いや、なんなんお前はこっちの台詞ですよね。その子明らかに怖がってましたよね? 何しようとしてたんですか? 警察呼びますけど」

 

 

 

 ──もう、リセットしたと思っていた。

 

 忘れてしまって明日から普通に頑張ろうと思っていた。でも、声を聞いただけで、リセットしようと思っていた自分が消えてしまった。揺れる想いは、強い渦になって、溶け合う。ぼんやりとした頭で、リセットの為に叫んだ歌を思い出す。

 

 視界がクリアになる。私の耳は幻聴を聞いていた訳では無かった。

 

 それはきっと偶然。きっと、ただ通りすがった時にその光景を見つけてくれただけだと思う。それでも、その偶然は私を救ってくれる偶然だった。

 

 

 ナンパ男に睨みを効かせ、110のボタンが押され、あと緑のボタンを押せば通話が始まるスマートフォンの画面を印籠のように見せつけている──私の推し、カイトさんがそこにいた。

 

 

 

「こんな暗がりで女ビビらせてる時点で不審者だろォが、さっさと失せろや!!」

 

 

 

 ──その声は、きっと私しか知らない彼の激昂。

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