私はあの人を「女」として振り向かせたい。【完結】 作:亜梨亜
「熱ッ」
かなり頑張ってふーふーしたはずだったのだが、それでも尚紅茶は私の猫舌には熱すぎた。舌先と喉元が焼けるような熱に襲われるが、それと同時に紅茶の香りとほんのりとした渋みが感覚を刺激していく。美味しいのは美味しいけど……やっぱりミルクティーとかにしといた方が良かったかな。甘い方がやっぱり好きだ。
「鈴原ちゃん、ストレートティー飲めるのすごくない? ウチミルクティーとかレモンティー、ピーチティーとかじゃないと無理だわ」
「私も普段はミルクティーとかの方をよく飲むけどね。今日はそんな気分だったんだ」
そんな気分というか……カイトさんの前でカッコつけたかっただけである。カッコつけというか、子どもっぽく見られたくなかったり、意外と大人な子だなって思われたかったり。……はい、ちょっと後悔してます。私もオレンジジュースにしとけば良かった。
「杏奈が子ども過ぎるだけだろ。お前まだコーヒーも飲めないんだろ?」
「いやマジでコーヒーはマズいって! ウチあれを毎朝飲む人の気知れんもん!」
それはちょっと同意だ。
でもそんなコーヒーを普通にズズズと飲んでいるカイトさんはやっぱり大人だなあ、かっこいいなと思ってしまう。嗚呼チョロい女、鈴原碧。お前はもう少し全肯定botをやめろ。
「ん〜、オレンジジュース美味し! ……あ、飲み物来ちゃったから有耶無耶になっちゃったけどさ、その……さっきの質問ってしちゃマズかったかな?」
杏奈ちゃんがおずおずと聞いてくる。さっきの質問──それは私は男が苦手で、知らない男に話し掛けられると怖くてダメになってしまうのに、どうしてカイトさんは平気だったのか、という話だ。
杏奈ちゃんが言っていた通り、カイトさんのことは全く知らない人……という訳ではない。バイト中にお客さんとして何度も顔を見ているし、(変身中とはいえ)少しだけ話したこともあった。とは言えど、まあ普通に考えたらそれくらいしか知らない人は「知らない人」として換算してもいいだろう。というか寧ろそれくらいしか知らない人が声掛けてくる方が怖いまである。
それでもカイトさんは大丈夫な理由は、勿論まあ一つは一目惚れしてしまっている推しだから……というのもあるんだけど、そんなこと言えるはずもなく。恥ずかしいし。
どうやって、何を話そうか。そう考える前に、気が付けば私の口は無意識に言葉を外へアウトプットさせ始めていた。
「……多分、バイトしてる時に見たことがあるっていうのもそうなんだけど。カイトさんはちゃんと、優しかったっていうのがあるんだと……思う。あの時息がしづらくて、しんどくて、大変だったからあんまり覚えてないけど……ずっと目線を合わせて話してくれてた気がするし、何をするのが一番楽になるのかを、ずっと私に優しく聞いてくれてた気がするから」
思えば、あの時カイトさんは「一人で歩けるかどうか」だったり、「誰かを呼んだ方がいいのか」だったり、常に私に優しく聞いて、最善を尽くそうとしてくれた。多分、本当に緊急とかだったりする場合は、聞いてる場合じゃなくて即断即決で動くべきなんだろうけど。けど、それは多分救急隊員みたいな、そういう人じゃないと出来ないことだろうし、何より私はあの時そうやって一つ一つ聞いてくれるカイトさんの優しさを、多分有難く思っていた。それは多分、もしあの場にいたのがカイトさんじゃなかったとしても、同じ対応をしてくれたら知らない男の人でもギリギリ大丈夫だったと思う。
そしてそれは──
「杏奈ちゃんも、同じくらい優しいなって思う」
──それは、杏奈ちゃんにも同じ感覚を重ねている。
この二人は。この兄妹は、話す時に常に私の目を見ている。似た優しさを感じる。それが私には眩しくて、辛くて、愛おしくて、そして重い。
その優しさが私の狡さを責め立てるし、その優しさが私の狡さを甘やかそうとする。その二人の感覚が似ていることが、私にはどう足掻いても埋められない時間と距離感を突き付けるし、届く気がしないその距離を埋めるために手を伸ばしたくなるんだ。
とても恥ずかしいことを言っている自覚はあった。ある意味じゃ告白みたいなもん……かもしれない。それでも、私は口から溢れ続ける言葉の奔流を止められなかった。杏奈ちゃんとカイトさんはしばしぽかんとした後、ゆっくり少し嬉しそうな、照れたような顔を見せていく。その顔まで似てるのやめてくれ。本当に家族の共有した時間を感じちゃうから。
「えっへへぇ……鈴原ちゃんってたまにアツくなるしめっちゃストレートに人の事褒めるよね……照れるし」
「この辺はまあ……親に感謝ってとこだな」
照れ隠しのようにズズズとオレンジジュースを吸う杏奈ちゃん……もうほぼ氷しか入ってないですよ。飲むの早くない? 喉乾いてたのかな。
「杏奈の見た目が派手だったり……まあ俺も新卒で真っ黒にしてない時点で地味ではないか。まあ、割とそういう見た目のおかげで結構チャラそうとか、軽そうって言われたりすることが多いけどさ。うちの両親が「見た目は好きに着飾ればいい、その代わりそのせいで損することがあることは忘れちゃいけないし、それでも損しない為に中身は見た目以上に磨き続けろ」って感じでな。家族がどんだけ喧嘩してる最中だったとしても絶対に挨拶だけはしないといけなかったし、なんだろうな……変なとこ緩くて、変なとこ厳しい家だったんだ」
「喧嘩中の挨拶とかもうなんか面白いよね、「ただいま!!!」「ああおかえり!!!」みたいな。ウチおとーさんのブチギレただいま聞いたら笑っちゃうもん」
通りがかった店員さんにオレンジジュースを注文する杏奈ちゃん。楽しそうに見えるその表情は、最も時間を共有するであろう家族が本当に好きなんだろうと思う。杏奈ちゃん曰く「ウチ、結構ブラコン」らしいが、多分カイトさんに限らずお父さんもお母さんも大好きなんだろうな。
「まあ、そんな訳で俺も杏奈も、人に優しくとか、そういうのは多分すごく気にして動いてるんだと思う。鈴原さんがそういうのを感じ取って、俺相手でも平気だったなら俺も嬉しいし、何より杏奈のことを優しくて良い子だと思って仲良くしてくれてるなら、なんだろうな……偉そうだけど、兄として、家族として嬉しいなって思うよ。こいつ、バカだしイラッとすることも多いだろうけど、これからも仲良くしてやって欲しい。……こんなこというとシスコンみたいだな、俺」
羨ましい。
素敵だと思うし、家族に対してこんなに真っ直ぐ言えるカイトさんが──というか、御庄家が羨ましい。私だって、お母さんのことは好きだし、尊敬しているけど、こんなにも真っ直ぐ家族のことを他人に話せるかと言われたら、恥ずかしかったり、何か別の感情が邪魔したりで、そんなこと言えない気がするんだ。
……それでも何より思うのは、カイトさんにそこまで思って貰えている杏奈ちゃんが羨ましい。
こんなにも眩しいから私は彼を好きになってしまったし、こんなにも眩しいから私は彼女に後ろめたさを感じてしまう。
ストレートティーに口をつける。少し飲みやすく、温くなったそれは、さっきよりも素直に喉まで向かってくれた。
ああ、でも熱い時の方が美味しかったな。
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「今日ありがとね鈴原ちゃん! めっちゃ楽しかった!」
「いや、こちらこそだよ。ありがとうね、カイトさんにお礼言う機会を作ってくれて」
「もー全然オッケー! ウチもカイトに会いたかったしさ! でも今度は二人でも遊ぼうよ、デートだからね! マジだかんね!?」
「はいはい、約束ね」
カフェでお茶を飲み、ケーキを食べて、他愛もない話をして。学校での話、どんな服をどこで買っているのか、バイト先の先輩の話、仕事先のヤな先輩の話……。時間はあっという間に過ぎていき、日が落ちてきたところで今日は解散となった。カイトさんが杏奈ちゃんを駅まで送ろうとしていたが、杏奈ちゃんの「ウチは最後鈴原ちゃんと二人でデートして帰るから!」という謎の主張に無理やり押し通され、私が遅くならない時間に帰るという条件付きで先に帰されていた。今は杏奈ちゃんと二人、駅前だ。
勿論デートと言ってもこれからまだ二人で遊ぶ訳では無い。駅までの帰り道、二人でまだ他愛もない話を続けていただけである。とは言えど学校の帰り道は杏奈ちゃんと一緒になることはないので、少し新鮮な気がした。
改札の前に到着し、あとは杏奈ちゃんがICカードを通したらホームの中に入って今日はさよならだ。また明日学校で会えるけど、なぜか今日はちょっと寂しい気がした。杏奈ちゃんの寂しがりが伝染ったかな?
「……あっしまった!!」
「えっ何?」
突然何かを思い出したかのように声をあげた杏奈ちゃん。それはまるで今日提出期限の課題を家に忘れてしまった時のような、重大なことを思い出したような声で。私も思わず立ち止まり、その杏奈ちゃんの顔を覗き込んでしまった。
「こっちまで来たなら鈴原ちゃんのバイトしてるコンビニ寄って、お兄さんいるかどうか確認したかったのに!」
ぷすりと心に針が打ち込まれる音が聞こえた気がした。
思わず息が漏れる。いる訳が無いのだ。私なんだもん。
「今から行こっかな……てか鈴原ちゃんに今日いるかどうか聞けばいいじゃん! いないなら行かなくてもいいし──」
「──いないよ」
自分でも驚く程透き通った声が出た。少しガヤガヤしているこの駅の改札近くで、その場にいる通行人全員にも綺麗に聞こえたんじゃないか? と錯覚してしまうくらいに滑らかに発せられた言葉。それはとても無慈悲に杏奈ちゃんを突き放してしまったような、自分でもこんな声が出せることが信じられないくらい、機械的な声だった。
心臓が口から飛び出すんじゃないかというくらい暴れている。指先が痺れる。走って逃げ出したい。何がそんなに自分を追い込んでいるのか、自分でもわからない。でもどうしてだろう、今私は「逃げ出したい」と思っていて、それを理性で押し止めていた。
何か喋らないと、本当に口の中から心臓が出てきてしまいそうで。私が私じゃなくなる気がして。震える声で、自分でも何が何だかわからないまま、言葉を世界に投げていく。
「ねえ、杏奈ちゃん」
「ん、どしたん? ……鈴原ちゃん顔色悪くない!? 大じょ──」
「私、お兄ちゃんいないんだ」
「────えっ」
気がつけば、そう口にしていた。
この先どうするかなんて何も考えていない。なんで今この話をしているのかもわからない。順番もめちゃくちゃだし、多分杏奈ちゃんは理解出来ないと思う。
でも多分、私はもう耐えられなかったんだと思う。自分のことをこれ以上嫌いになる前に、この光の化身みたいな子に嫌われてしまった方が楽だと思ってしまったんだと思うんだ。
「杏奈ちゃんがコンビニで見た、いいなって思った男は────あれ、私なんだ」
「……ちょ、ちょっとまって? えっ鈴原ちゃん?」
杏奈ちゃんの何が起きているのかわからない、といったような顔。私ですら今何を起こそうとしているのかわからないんだ、杏奈ちゃんはもっと理解の範疇外にいるだろう。
「や、確かに鈴原ちゃんは顔が良いから男装したらイケメンかもしんないけどさ? そのっ……身長がさ? 無理あるじゃん? ウチを騙そうったって流石にそれは無理があるっしょ〜! 仲良くなってまだ浅いから鈴原ちゃんがそういうタイプのボケかましてくれるキャラとは知らんかった……おっけ、今日お兄さん入ってないならまた今度行ってみる──」
「違うの、嘘じゃないんだ」
駅の案内アナウンス。慌ただしく聞こえる通行人の足音、行き交う話し声。きっぷの券売機が鳴らすアラーム音。
様々な音と共に生活を支えるこの駅の中で、私と杏奈ちゃんだけの時間が止まっていた。
「…………マジ?」
太陽が曇る。それでも話さなきゃいけない。
時が止まった駅構内で、環境音に紛れるように、私は一つ一つ、杏奈ちゃんに信じて貰えない嘘みたいな話を始めた。
さっきも話していた、知らない男が怖い話。
バイト先で接客中にタチの悪いナンパに出くわし、気を失ったことがある話。
店長が持ってきてくれた性転換薬で、バイト中だけ男に変身している話。
そして──杏奈ちゃんが惚れてしまった「男」は、変身している時の「私」であり、私のお兄さんなんかではなく、「鈴原碧」本人であるという話。
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「えっと……これはウチがバカだから知らないだけなんかもしれんけどさ」
──私の話を全部聞いた杏奈ちゃんは、顔を赤くして、そして指を震わせていた。心なしか声も少し震えており、なにか怯えたような声色になっている。
「性転換薬って何?」
「ごめん、それは私も正直よくわかってない」
唯一本当に何も説明出来ない部分をつつかれた。いや……というかまあそれが普通の反応ですよね……。
「えーと……ぶっちゃけありえん話すぎてウチの頭追いついてないけど……流石にそこまでマジな顔で話されたら嘘じゃん! って言えないし……それにリクツ? は通るもんね、男がダメだからナンパされないように男に変身してレジに立つの……おけ、信じる。じゃあ、ウチが一目惚れしたのは変身中の鈴原ちゃんだったってことね」
「うん……ごめん、言えなくて」
「えっ謝ること何も無くない?」
「えっ」
杏奈ちゃんから発せられた言葉は、私が予想していた中には全く無いものだった。思わず私の口からも素っ頓狂な声が出てしまう。まるでさっきまで止まっていた私の時間が動かされたような……そんな感覚。
「いや、だって勝手に惚れたのウチだし。まあ最初に言ってよ!? とはちょっと思うけどね、でも今仲良くなったから鈴原ちゃんがそんな意味不な嘘つかないってわかってるから信じたけど、普通そんなん言われても信じなくない? そりゃ〜、ウチも流石に正体が鈴原ちゃんだったら、付き合いたい! とかそういう感情はまた別になっちゃうから、ある意味失恋なんだけどさ。それはちょっと……いやかなり辛いな、メンブレだわ。でもそれは別に鈴原ちゃんの責任じゃないし」
太陽は、何処までも曇ることを知らない。メンブレって言葉では言いながら、メンタルがブレイクされている様子もない。
何故か私は救われた気分にすらなっていた。あんなにつらつらと勝手に口をついて出てきた言葉が、今は何も出てくる気がしない。
「あれっ……もしかして鈴原ちゃん、泣いてる? や、泣くことないって! マジで失恋は辛いけど言えなかったこととか気にしてないし! えっと……ゴメン! ゴメン? なんか違うな……えっどうしよ……」
気が付いたら言葉の代わりに零していたのは涙だった。自分でも泣いている理由が解らない。杏奈ちゃんが謝る理由も無いし、またこうやって気遣わせていることが申し訳ない。どんどん自分を嫌いたくなる。
なんて言えばいいんだろう。あんなに言葉が無意識に出てきたのが嘘みたいに、本当に何も出てこないんだ。
「あー、わかった! じゃあデート一回! や、男の状態じゃなくて、「鈴原ちゃん」とデート一回! その時のご飯は全部鈴原ちゃんの奢り! ウチが行きたいお店連れ回す! それで許したげる! ……やっぱ嘘! ウチが今度好きな人が出来たら、鈴原ちゃんは全力でウチのサポートをすること! それで許す! オッケー!? それ約束してくれるならウチは何も気にしない!」
頷くことしか出来なかった。心の底から、この子は優しい子で、私はその優しさに甘え倒してしまった。
「うん、じゃあそれでもうオッケー! 約束ね! だから泣くな! もうウチに言うことないね!?」
「…………ある」
「まだあるの!? ちょ、ちょっとタンマ! もうウチキャパオーバーなんですけど!?」
時間が、動き始める。その時間の流れに、また言葉が引っ張られていく。その感情を、言葉を、自分を、私は止められない。ならもう私は腹を括るしかないんだ。まさか京香より先に、杏奈ちゃんに言うことになるとは……。
「──私、カイトさんが好きなんだ」
「…………えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?!?!?!?」
杏奈ちゃんのあまりの絶叫に、私と杏奈ちゃん以外の駅にいる人達の時間が一瞬止まった。
「あ、スミマセン大きい声出しちゃって……じゃなくて! えっマジ!? マジで言ってる!? カイトを!? あっいやでも確かにカイトカッコイイしいい人だし……あそっかだからカイトは知らない男でも平気だったんだ!? いや待ってでもほぼ知らない男じゃんね!? バイト中に一目惚れってこと!? 鈴原ちゃんに惚れてたウチと似てる〜お揃っちじゃん! 違う違うそうじゃなくて……えっマジ!? カイトを!? それが今日一番びっくりしたわ!!」
「痛い痛い杏奈ちゃん耳と頭と首と肩が痛い!」
肩を掴んで勢い良く私をブンブン振り回す杏奈ちゃん。大声も相まって私の肩から上が悲鳴を上げ続ける。取り乱し方が尋常ではない。本当に今日一番びっくりしているらしい……いや冷静に考えて性転換薬よりもびっくりしているのはどうして?
「えっじゃあさ、男苦手なのを克服するためにカイトに協力してもらえばいいじゃん! カイトにそう言って手伝って貰う体でさ、二人で会えるくない? ウチから言えば多分カイト手伝ってくれるよ」
……………………えっ?
「…………えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?!?!?!?」
また、駅内の人達の時間が一瞬止まった。今度は私の絶叫で。
…………いいの!?!? そんな……そんなこと……いいの!?!?
「あ、でもウチが認めるかどうかは別だからね!?ウチ、ブラコンだからね、カイトの彼女は超絶素敵じゃないと許さないしね!?」
もう私の頭の中は真っ白を通り越している。