【完結】ロッシュリミット/TS転生してモブを主人公と勘違いする話。 作:潮井イタチ
頭の中が混沌としている。
周囲の状況を把握することができない。
ただ一つ分かること。
何かが足りない。
大切な何か。
まるで、脳の一部を強引にもぎ取られたような。
命ではなく、精神にとっての致命傷。
自分が誰で、どういう人間なのか、まるで思い出すことができない。
いや、分かる。分かってはいるのだ。
自分の名前が
だけど。
だけど違う。
そうじゃ、ない……。
「……っ」
横になっている状態から、体を起こそうとして、脇腹が痛んだ。
血の滲む感触。周囲の誰かが何か、無理をするなだとか、声をかけてくる。
どうにか支えられつつ体を起こして、辺りを見渡した。
学校の……体育館だ。
避難してきた人たちが集まっている。
そうだ。避難だ。
警報が発令されていて、竜巻がどうの気象災害がどうの言われていたはずだが……何だかピンと来ない。
どうやら怪我をしてここまで運ばれてきたようで、何かのスタッフらしき人が慌ただしく動き周りながら様子を見ている。
ただ、その内の何人かの顔に、見覚えがあるような気がした。
ふと、ポケットから何かが零れ落ちる。
訳の分からないガラクタだ。統一性も無く乱雑な。何やら大切に扱われていたような形跡があるが、何だってこんな物を後生大事にしていたのか分からない。その中の、表も裏も裏面の、何のために作られたんだが分からない十円玉を、指で弾いて掌に受け止める――表が出た。
「……ん?」
何だこれ。
いや、それも気になるが、それより掌に何か。
文字が、マジックで書かれている。
夕飯の献立と買い物メモだ。
だが、カレーとチャーハンと焼そばぐらいしか作らないような
だからこれは。
「暗、号……?」
解読する。
出てきた文は――、
「『企業の
誰だ。というか、企業ってどこの企業だ。
わけがわからないまま、近くにいたスタッフの人に「企業の三船さんを知らないか」と問いかけて、そして、その人が少し驚いたような顔をして……。
小学生ぐらいの元気そうな男の子を連れた、どこか見覚えある男性の前に通された。
あの時は手当てをしてくれてありがとう、とか言われたが、何のことだか覚えが無い。
そう言うと、彼は逆に納得したような顔をして……ひと粒の錠剤を取り出した。
「恐らくだが――飲まない方がいい」
「はあ」
わざわざ取り出しておいてそんなことを言わなくても。そう思って、曖昧な返事をしてしまう。
「きっと、君にとっては忘れていた方が良いことなんだろう。その傷も、そのせいで負ったものなのだと思う。……具体的なことは言えないが、しかし……」
覚悟が必要なのだと、彼は言う。
確かに、普通に考えてこんな怪しい薬、飲むわけも無い。
「…………」
脇腹の傷は今もズキズキ痛んでいる。泣きそうなほど。
彼らの話によると、全治何ヶ月だかかかるらしい。
これ以上痛い目になんて遭いたいわけもない。
だけど同時に。
これ以上痛い目になんて、遭うわけもない。
そうも思った。
今、ここに、胸の中に感じる、喪失感以上の痛みなど。
だから。
飲んだ。
「――――」
――
そして思い出す。
あの日聞いていたのだ。
彼女の戦いを偶然目撃してしまって。
出ていくかどうか、死ぬほど迷っていた物陰で。
「…………」
周囲の制止を振り切り、立ち上がって体育館を出た。
激痛。曰く、安静にしていなければ命に関わるらしい。それもそうだろう。大体にして無理がある。体を起こすのさえ辛かったのに、歩く、走る、言わんや戦うなど。
記憶を掘り起こしても、ここまでの傷を負ったことはない。
せいぜい、
……そう。
街の外にある、あの時の地下施設。
望みがあるとすれば、アレだ。
ふらつきながらも、足を前に。
構わない。元々ただの高校生だ。
そんなものが無くたって、大した違いでも無い。
必要な物はただ一つ。
彼女さえいれば、彼には何も要らなかった。
楽しいことを考えようと思う。
この戦いが終わったら、なんて、死亡フラグも良いところかもしれないけれど。
結局のところ、やることははっきりしている。最初から。
勝てばいい。勝ちさえすればいいのだ。難しいことは何も無い。そうすれば世界は救われる。
司令官を助けて、
今までの過失を全て帳消しにしてみせて、責任を果たして……。
そうなったら、もう『軍』もやめてしまおう。機密保持のために、超常性に関わる記憶の全部を消されてしまうかもしれないけれど、そうなったって構わない。
前世の記憶さえ、もう要らない。
そんなものは最初から要らなかった。
男だったときの記憶なんて、むしろ邪魔なだけだ。
僕が、
主人公じゃなくても、登場人物じゃなくても、彼は本物だ。本物なのだ。
他の誰がそう思わなくても、僕だけはそうだって知っている。
彼さえ居れば良い。
何も知らない、覚えていない二人でまた学校に通えたならそれでいい。
そうだ。これが終わったら今度からは一緒に登校しよう。朝は家まで彼を起こしに行こう。僕は彼の幼馴染の女の子だったんだから。朝ご飯を用意してあげて、学校までの道を一緒に歩いて。授業中にこっそり目でやり取りしたりして、昼休みだって一緒にお弁当食べて。放課後はどうしよう。今までずっと帰宅部だったから、同じ部に入って一緒に活動したりもしたいけれど、彼が部活動をする気が無いならそれでもいい。朝はそんな余裕が無いかもしれないけど、下校の時は手を繋いで帰ったり――彼女でも無いのにそれは変かな。なら告白しなきゃ。付き合うところから始めないと。彼は本当に魅力的なひとだから、そう簡単にはいかないかもしれないけれど、それでも。頑張って。努力して。
彼の隣で、恋人つなぎで手を繋いで歩くのは、きっとすごく、幸せだと、思うから。
「ぜぇ、か、ひゅ……! ゔ、うう、あ、ああ……!!」
「傷が治っていくので勘違いしていましたが、流石に取れた腕を生やすことはできないのですね。でも大丈夫ですよ、世の中には片腕でも頑張って生活している人たちがいるんです。どんなに苦しい怪我を負って病を患っても、諦めなければ誰だって幸せになることができますから」
そんな――そんなことを考えてないと、もう、耐えれ、ない、から。
包帯がどうなんて、そんなレベルで済む話じゃもうなくなっていた。
涙で視界を歪ませながら、僕は攻撃を連続で放つ。
苦しい。苦しい。僕はとても苦しい。今までで一番のダメージだ。
だから、攻撃の威力だって、今までで一番に、高くなっているはずなのに。
「ああ、もしもし。すいません、今少し立て込んでいて。ええ、大丈夫ですよ、大したことではありませんから。ふふ、そうですか。アリサもマイナも元気にやっているのですね。当然ですよ、カイリ。私はあなたたちの幸せを一番に考えているのですから――あの、申し訳ありませんが電話中なので静かにしてもらえないでしょうか?」
なのに。弾かれる。片手間で。
あいつ自身の力じゃない。攻撃力と殲滅力は凄まじいが、
「で、りゃ、あああああああああ――ッ!!」
「おっと」
攻撃に移ろうとした瞬間、奇襲をかけた虹崎さんの一撃に、体勢を崩され隙を晒す。
「ダメージ、バレット――!」
失われた僕の腕から、その断面から、砲弾のように放たれる紅色の斬撃波。
最大出力。斬撃とは言ったが、幾重にも重なって渦を巻いたそれはもはやドリルに近い。
まともに食らった
だけど、ヤツは平然とした顔で。
「
『ああ。誰にする?』
「アリサ――は、まだ育ててから一年なので少し思い入れが足りない気がしますね。カイリで」
『承った』
電話口の先から聞こえてくる、何かが倒れるような音。子供たちの困惑の悲鳴。
そして、
返す刀で爆裂した青い閃光が、既にボロボロの虹崎さんを吹き飛ばした。
「ああ、まだ十歳になったばかりだったのに。あの孤児院は年上の子たちが一斉にいなくなってしまったから、これからは僕がみんなの面倒を見るって意気込んでいたんですよ? ああ、もう彼に好きだったハンバーグを作ってあげることもできないのですね」
「う、あ、あ――!」
巨大カッターナイフを渾身の力で――片腕だけど、それでも――振るう。
昨日と今日、ずっと酷使されていたのだろう
白金に染まりかけのビルを突き破って、ゴロゴロと転がる。
だけど、ヤツが吹き飛んだ先に、避難している最中だった、母娘らしき女性と少女がいて。
「逃げ――ッ!」
パチンと指を鳴らした瞬間、
包囲されて逃げ場が無い。母親が娘をかばって、その場にうずくまる。
「や、やめて……! 何でもするから、この子は、娘だけは――!」
「素晴らしい献身です。これほど美しい光景が他にありましょうか。この聖なる人々を決して失いたくないという気持ちが胸の中に溢れてきます。私が今抱いている感動はまさに計り知れません――
『承った』
絶叫。
全身の骨を二百六本、まとめて折り畳むような音が響いた。
出来上がったのは、人肌で装飾された血と肉の大剣。
ゲームでのランクなら、恐らく終盤の最強武器にも匹敵するだろうそれを抱え、修道女が僕に斬りかかる。
「ぐっ、う、ううううう……!!」
いやだ。つらい。くるしい。ありえない。こんなのもういやだ。女の子が泣いている。
振り回される一撃。青褪めた爆光を纏う核融合付与斬撃。
無数のカッターナイフを津波のように具現化し放つ。
が、海を裂くようにそれも切り裂かれて。
ごっ、という鈍い大きな音。
遅れて、響き瞬く爆轟。
僕の体のど真ん中で炸裂するそれは、どこか遠くで起こったことのようにも思えて。
浮遊感。眼下を高速で流れていくプラチナに染まった景色。
白金化したビルに叩きつけられ、壁に蜘蛛の巣状の巨大なヒビが入る。ずる、と血を擦りつけながら壁面を滑った後、落下。地面に衝突。
まるで、乱暴な子供に扱われる、玩具みたいな。
『さて、もうじきこの街の変換も終わるかな。『残基』の消耗も大きくなってきたころだろうし……本気を出していいよ、
「あの子達を残基なんて言うのはやめてください、
『承った』
青褪めた輝きが膨れ上がる。跳ね上がった力の桁は想像もつかない。
一体、あの平然とした顔で、どれだけのほどのものを犠牲にしたというのか。
「…………」
楽しい、ことを、考えようと、思う。
この戦いが終わったら、なんて、死亡フラグでしかないけれど。
また彼と一緒に出かけて。彼に頭を撫でてもらって。彼と一緒にご飯を食べて。彼に寄り添って甘えて。彼と同じ音楽を聞いて。彼に可愛いって言ってもらって。彼ともっと仲良くなって、彼に、彼と、もっと、もっともっともっともっと――
「――――」
でも、それさえ。
もう、要らないから。
彼さえ居れば、僕には何も要らないから。
僕が死んでも、彼が生きていてくれるなら、もうそれでいいから。
死ぬなんて所詮、一度経験したことに過ぎないから。
振るわれる一撃を、
致命傷。
それを攻撃に変える。
文字通り全身全霊のカウンター。
右手から剣のように伸びて、命のように燃える、鮮やかなローズレッドの輝き。
振り上げた一撃が、天地を両断した。
爆発する赤の煌めき。
まるで地震のような巨大な揺れ。
即死ならばあるいはと思って放った、決死の斬撃波は。
しかし。
「また罪の無い子供たちが犠牲になってしまったのですが。あなたは、命をなんだと思っているのですか?」
通用、しなくて。
「……なんで……なんでこんなこと……! ふざけるな、命が大切だって言うなら、もう、やめろ、やめろよ……!」
「大切だからこそ、現状を良くしていかなければいけないでしょう? 現実はこのように厳しいものですが、ならばなおさら自分たちにできることは最大限の努力をもって成し遂げていかなくては。それが私の、ささやかながらも心からの願いなのです」
丸っきり、一回目の時の焼き直し。
頑張ってるのに。
僕は、ようやく、命を、懸けているのに。
でもだけど、それでもそれだけじゃダメなのだ。
命を懸けるなんて、
でも、僕にはこうやって戦う以外に何もできない。
どうしたらいいのか、分からない。
普通に考えて、こんな土壇場で逆転の秘策なんて思いつくわけがない。
傷は深い。治癒が追いつかない。
このままじゃ死ぬ。
死んでしまう。
――それが、とても怖い。
僕は当たり前に、死ぬのが怖い。
一度経験したことだから耐えられるなんて、そんなわけがない。
経験して分かることなんて、それが耐え難いということだけでしかない。むしろあの暗さを、苦しみを、絶望を、分かっているからこそ耐えられない。
こんなところで死ぬのは嫌だ。こんなところで、死ぬのは嫌だ。
しあわせになりたい。善い人生だったって思いたい。
助けて、欲しい。
「……っ」
命を懸けたはずなのに。
それなのに。
僕はまだ。
――もし、この世界に主人公がいるのなら、今、ここに来て欲しい。
そうしたら、今ここで死んでも、何も構わないから。
僕なんて、世界を救うための時間稼ぎをした、ほとんど犬死にの名前の無い誰かで、いいから……。
霞んでいく意識の中で、少しだけ。
君は物語の登場人物なんかじゃないってわかっているけれど。
それでも、それでも世界を救う特別な誰かが、君だったならいいと。
そう思った。
「――――――」
そして。
「……。え……?」
なんで。
記憶は消したはずだ。
こんなところに来る理由なんて何も無いはずだ。
だけど彼は立っている。
顔を真っ青にして、体勢は不安定で、脇腹からは上着にまで血が滲んでいて、倒れそうになりながら、それでも。
「
あまり枚数の残っていない、ボロボロの回数券の束を、掲げる。
「
「純粋な疑問なのですが、それがどうしたというんです?」
血を吐くような声を、修道女が切って捨てる。
「今更それを使ったところで何か意味があるんですか? ほとんどが『価値あるもの』に変わったこの街をまるごと所有するために必要な対価は、もう誰にも払えな――」
「――この街は無理でも、お前の持っている『代償』の全てを所有することなら?」
切り返す声。
一瞬だけ、
「『価値あるもの』を対価に世界全てを所有しようって言うぐらいだ……。この白金――『価値あるもの』は、先進国の国家予算を全て合わせたって所有し返せないほどの額なのかもしれない……けど、お前の『残基』さえ封じることができれば……」
「確かにそちらなら対価さえ用意すれば、まだ所有することはできるでしょう。ですが、私に命を預けている人々がどれだけいるか知らないようですね。それだけの対価、どの道用意することは」
「あるだろうが、『価値あるもの』が……。足元に、こんなに広がってる……」
笑うように、修道女はため息をついて。
「ですから、この街は、この『価値あるもの』は私のものなのですから、」
「二丁目のビルのエレベーターは、隠しコマンドを打ち込めばこの街の外の地下施設に繋がる。
「――――、な」
今度こそ、確実に目を見開いて。
「他にも二十四箇所、俺が知ってる超常性エリアの全てを、昨夜の内にこの街の外に繋がるように調整しておいた……。その途中でお前が作った怪物にやられたけど……さっきこのゴタゴタに乗じて、『価値あるもの』に変わった土地の権利書を、不動産屋から盗み出してきた」
千切って、掲げる。
「『
返答の代わりに、修道女の掌から青白い爆発の閃光が溢れ出す。
咄嗟に防ごうとした。だけど、間に合わない。
臨界する青褪めた光が
『……磁……』
四足歩行の電磁力が、唸りを上げてヤツの腕に噛みついている。
視界の端で、吹き飛ばされた虹崎さんが、通信機を持って苦痛混じりに笑みを浮かべていた。
『磁、磁……ッ!!』
「――邪、魔を」
吹き散らされる。
だけど、その一瞬の隙に。
「再現率3150%――ミサイル具現」
昼空を斬り裂く流星が、
そして、その光に騎乗するようにして、落ちてきた人影が一つ。
「――こちら、
長い銀髪を風にたなびかせて、数年間寝たきりだったなんて信じられないような覇気のある表情で、真っ白な病院着を纏った鮮烈な少女が、通信機に向けて語りかけている。
「分かってるってば、司令官。っていうかあなたこそ寝てなさいよ、そっちまだ集中治療室でしょ。世界を救うのに必要だのなんだの上層部に適当こいて、万能薬ガメてさ。後でどうなったって知らないからね?」
その上で「ま、もう勝ったようなものかもしれないけれど」。そんな風に言って。
そして、彼女が――
「や、
「み、
嬉しくって、謝りたくって、感情がグチャグチャで、もうわけがわからなくって、涙が出た。
「ごめんなさい……ごめん、なさい……! ずっと、謝りたくて、あの時のこと、ずっと……!!」
「なんで謝るのさ――キミのせいじゃないよ」
彼女は苦笑しながら言う。
「うん、私もずっと言いたかった。二百人だろうが二百一人だろうが何百人だろうが関係ないし、キミがどんな子だったって関係ない。例え何がどうだったって、私はキミを助けるんだからさ」
片手を突き上げ、星の瞬きに似た光を迸らせる彼女の
「イメトレの時間は腐るほどあったからね。陰気臭くて悲痛なシーンはもうおしまい。こっからは私の私によるみんなのための痛快アクションってことで――張り切っていこっか!!」
上空で具現化される無数のミサイル。
それは無数の光の尾を引いて、流星群となって。
炸裂する輝きの軍勢。空の亀裂よりなお鮮烈に、星の光が空を引き裂いていく。
「こ――こんな、こと、が――」
修道女が苦鳴をあげる。
「なんとか――なんとかしてください、
しかしそれすら気にならないほどに、今の光景は、綺羅綺羅しくて。
隣でふらつき、倒れそうになった
彼は何かを言おうとしたけれど、喉に血が詰まって、苦しそうに咳き込む。
「だ、大丈夫……!? 無理しないで、喋らないでいいから……!」
「ッ……ああ、うん……。でも、さ……言ってなかったことが、あったから……」
「そんなの、後ででも――」
「――ちゃんと、告白してなかったな、って」
そんなの。
それこそ、後でも良かったのに――諦めてさえ、いたのに。
嬉しくて……嬉しくて嬉しくて嬉しくて。僕は、頭が、真っ白になってしまって。
ああ。やっぱり、彼が、彼こそがこの世界の主人公だった。『本編』なんて、力の有無なんて関係ない。彼は本当の意味でこの世界で誰より強くて負けなくて僕を助けてくれて何もかもを救ってくれる本当の主人公だと思っ、
目の前が真っ白になった。
何もかもが、吹き飛んでいる。
視界の全ては炎に染まって、空さえもみんな紅い。雲も消えて亀裂だけが浮かんでいる。
『大切なものは全て捧げると言ったね』
黒く焼け焦げた白金の街。
その中心で、何かが、何かを、喰らっていた。
「な、ぜ――」
『どんなものも大切に思っている君が、一番に大切に思っているものはね――君自身だよ、
女が虚空に捕食されて、消え去る。
そして、光臨。
圧倒的な力の塊だった。
サイズにしておよそ三十メートル。
構造色によって仄かに彩られた人型の虚空。
完全体になった
これが さいごの たたかい だ。
そんなメッセージが頭に浮かぶ。
でも、本来ならヤツは終盤のボスだ。
光臨と同時に炸裂した衝撃波。それによって吹き飛ばされた虹崎さんと
虫を払うような雑な攻撃で、二人がまとめて吹き飛ばされて、地面に叩きつけられる。
でも。
でもそんなことは今は、どうでもよくて。
「――
彼が。
上半身しか。
残って無くて。
……おか、しい。
だってあんなの、ゲームだったら戦闘開始前のイベントムービーの、ちょっとした演出としてのボスの強さを表現するための攻撃に過ぎなかったじゃないか。あれ自体は攻撃なんてほど上等でもなくて、本当にただ魔王が魔力を真の力を発揮しただとか大魔王が現れただとかそういうものに過ぎなくて、実際虹崎さんも
本当の意味で主人公のはずの彼が、こんな。
こんな。
ただの、モブみたいに。
「
普通の声だった。
「俺、お前のことずっと、特別な人間だと、思ってて、さ……」
もしかしたら、本当はこの程度、なんてことないんじゃないかと思えるぐらいに。
「本当はそうじゃ、なかったけど……
静かだけど、それでもいつもの調子の声。
「最後には……
「――――」
「だから、ずっと……こうやって、これて……」
「――――」
「お前のことが好きだから……お前を、助けたかったから……」
「――――」
「何もできないってわかってたけど……本当は……そう思ってるだけで、終わりたくなかったから……」
「――――」
「この気持ちが偽物だって……お前に、思われたく、なかったから……」
「――――」
「この世界に主人公が、いる、なら……俺は……お前がそうなんだって……思いたい、から……」
「――――」
「俺なんて、ほとんど、犬死にの……名前の無い誰かで、いい、から……」
「――――」
「世界を救う、特別な誰かが、お前、だったなら……」
「――――」
「おれ、は……」
そして。
運命的なんて言葉とは程遠く。
劇的なんて言葉にもならない。
主人公補正も、ご都合主義も、何も、何も、何もなく。
ただ、死んだ。
「…………」
歩いていく。
もう誰も残っていない決戦のフィールドを。
登場人物でもなんでもない僕がただ一人、主役みたいに。
『結局、この期に及んで、
仄かに構造色に彩られた、世界の敵の前に立って。
「――あ、」
叫んだ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!!!!!!!!」
能力によって、僕の、
背中から翼のように伸びて、血のように滴る、毒々しいショッキングピンクの輝き。
「殺して、やる……」
それは超大に、噴き出すように、火口のように、地獄と繋がる扉のように、爆ぜて、爆ぜて、爆ぜて、何メートルも、何十メートルも、何百メートルも、どこまでもどこまでもどこまでも、闇色の光を炸裂させながら伸びていく。
『……バカな。これは……』
「僕が殺してやる……僕が、僕が、僕が、この、僕がッ!! お前を殺してやる!! 死ね!! 死んでしまえ、
激突。
振るわれる痛みの翼が、悪魔の一撃とぶつかり合って、世界に新たなヒビを入れる。
闇と虹が大地を焼く。混濁したエネルギーが天を揺らす。
飛翔して一秒に数百度もぶつかり合った。宇宙を砕くような衝撃の螺旋。あらゆる破壊を凝縮したエネルギーが、黒い光に変換されて地球を染める。
悪魔が天球に輝く星の一つを炎の矢に変えた。押し寄せる大火力の壁。
本来ならば、ゲームならば、ギミックを利用して回避するそれを、ただの力技で迎撃して斬り飛ばす。
ショッキングピンクの翼が悪魔を打ち据える。
殴りつけるような一撃が悪魔の体を白金のビルに叩きつけ、否、そのまま貫いて。
「がッ――」
噛み砕こうとする一撃を、ヤツはしかし打ち破って、僕に破滅の光を浴びせてくる。
とても耐えられないような一撃を、しかし僕は耐えた。
不可能を可能にした。
だけどその事実は、とてもとても虚しくて。
頑張ったことを褒めて欲しい人は、もういなくて。
吹き荒れる翼が、力を増した。
楽しいことを、考えた。
楽しいことを、考えた。
楽しいことを、考えた。
その全てが苦しくて泣きそうで辛くてどうしようもなくて取り返しがつかなかった。
だから、僕は勝てもしない相手と戦えた。
一体どれだけ、そうしていたか。
次第に体が動かなくなって。
視界が真っ暗に眩んでいって。
悪魔が掌の間でブラックホールみたいなものを作って、投げた。
「――――」
避けられない。
足が、もう、動かない――、
「ッ!」
瞬間、横合いから飛び出してきた虹崎さんが、足裏からウォータージェットを噴いて、僕の体を抱き抱えながら飛び退いた。
回避される直撃。しかし、ブラックホールが引力を生じて、僕たちの体を飲み込もうとしてくる。
「――行って!」
攻撃から逃がすように、僕の体が投げ飛ばされた。
飛翔したミサイルに立ち乗りした
痛みの翼が収縮する。ショッキングピンクの輝きが僕の掌の上で凝縮する。
右手から魔剣のように輝いて、死の如く噴き上がる、禍々しいシグナルレッドの輝き。
悪魔の力が縮退する。星雲を加工して生み出したような銀の刃が作られる。
左手から聖剣のように煌めいて、人の如く呪われた、神々しいスターシルバーの輝き。
斬り上げる。
斬り下ろす。
二つがぶつかって、天地が両断される。
押し負ける。勝てない。咄嗟に
だが、見れば、あまりのエネルギーに、悪魔の体も崩壊を来たしている。
例え僕がこのまま消し飛ばされたとしても、こいつも道連れだ。それは間違いない。
……なら、いい。
だったらもう、いい。
何か、とても凄いことができたのだと思う。
世界を救って、誰かを助けることができたのだと思う。
僕は
でも。
ずっとそうでありたかったそれは。
何もかもが、くすんでいて。
だから。
だけど。
「――――」
これこそが、彼が僕に遺してくれたものなのだ。
出力が限界を越えた。
血色の剣が悪魔を斬り裂いて、本物の虚空へと還していく。
それに表情があったわけではないけれど……納得がいかないような、困惑したような感情を浮かべて、消えていく。
「う……」
勝った。
勝利した。
だけど、こんなの。
「さば、き……」
涙がぽろぽろと零れて、僕の落下する軌跡を少し遅れて辿っていく。
そして、僕は墜落する。
もう、彼の居ない街へ。
どことも知れない場所だった。
『…………』
物語の行間のような、誰にも語られない場所で。今まさに消えいくそれは、
ふと、そこに、音も立てずに歩んでくる男がいた。
『何……?』
黒い。夜の闇に溶けるような姿だ。真っ黒なコートに、真っ黒なフルフェイスのヘルメット。
加えて、何かの合金できていると思しきプロテクターが、それらを意味があるのかないのか分からない配置で鎧っている。
彼は光の剣の代わりに、ボロボロになった回数券を掲げて、何か重要な――この世界にとってとても大切な何かを代償に、
『
そして、彼は言う。
「――俺の力と運命、そして存在。この身に纏わるありとあらゆる物語の全てを生贄に捧げる」
『それと引き換えに、君は何を求める?』
「そんなものは、決まっている」
『そうか。承った』
行使される一つの契約。
自身が消失していく中、悪魔は、なんてことのない雑談のように少年に向かって問いかけた。
『だがいいのかな。まだ君が打ち倒すべき脅威はいくつも残っている。主人公がいなくても、世界がこれから続いていけると?』
「構わない。ここでゲームオーバーだ。もうこの世界の主人公は俺じゃない――あいつらだよ」
そうして、どこにでもいるような普通の男子高校生を救って。
世界を救う特別な誰かは、この世界から消え去った。
ここまで全部、夢だったらしい。
僕は目を覚ました。
見慣れない天井だ。いいや、見慣れた天井だ。
机の上には、包帯も薬も置かれていない。部屋の収納には野暮ったい男物の服が吊られている。
床にゲーム機があって、その隣に、例のシリーズのパッケージが転がっていた。
そう。
「う~……」
布団から出て、カーテンを開ける。
出かける用意をするために、まず顔を洗った。
鏡に映る僕の顔は、いつもと同じ、ピンク髪の女の子だ。
片腕で簡単な朝ご飯を用意するのにも大分慣れてきて、支度が大体終わった頃、
「……なんで普通に俺の家いるの?」
「居たらだめ?」
「ダメじゃないけど」
ふと、夢の内容を思い出してしまって、彼の胸元に飛び込んだ。
汗臭いまま抱きつかれるのを彼は少し嫌がったけれど、僕は別に構わない。そりゃ、男の汗の匂いなんて前までは僕だって嫌だったけれど、
そういうところ、自分が段々女の子になっていってる感じがして、ちょっと、嬉しい。少し変態っぽい気もするけれど。
普段ならシャワーを浴びるまではこんなことはしないので、彼が少し疑問に思った顔で僕に問いかける。
「……何かあった?」
「
「おう……まあそうなっても何もおかしくはないけども……」
む、と睨む僕に、彼が気まずそうな顔をした。
「いや、でもだから最近こうやって鍛えてるんだろ」
「だからって彼女との時間減らしてまでジム通ったりしなくてもいいじゃん」
ぶーぶー言いながら食卓について、朝食を摂る。
あの時の戦いで僕は片腕になってしまったので、ご飯は彼に食べさせてもらう。別に全然一人で食べれるしというか『企業』で作ってもらった高性能な義手があるから日常生活にももう特に支障は無くなっているし何なら戦闘も全然できるけれど、それでも片腕なので食べさせてもらう。
……でも、確かに。
なんであの時彼が死ななくて、なんで僕が勝てたのか。
正直なところ、今でもよくわからない。
普通の人間である僕たちに、運命が味方したなんてそんなことは、思わないけれど。
味方してくれるものがあるとするなら、それは神や運命なんかじゃなく、きっと優しいどこかの誰かだ。
着替えて、学校に登校する。
その途中。通学路の途中で、
「あのね
「でも俺も四回留年して既に成人してる人を呼び捨てはどうかと思いますよ」
「おい
僕達の四歳年上で、四年入院していた
万能薬が老化にも効いたのか、それとも
こんなことがあったのに、もう精力的に活動し始めている彼女は本当に強い人だ。
本当ならあのことを償うべく一生かけて公私ともに尽くさなければならないと今でも重々思っているのだが、
司令官は今もまだ入院中だが、近々復帰する予定らしい。この間会った時にそう聞いた。……最近は、お見舞いに行くのにも抵抗感が無くなってきた気がする。
僕としてはもっとみんなゆっくり穏やかに平和に過ごして欲しいし、そのために必要なことは何でもするつもりなのだけど。
せめて彼女の負担を減らすべく、任務の方を頑張ろうと思っている。
まあ、最近は脅威存在の発生も落ち着いてきたし、任務を抱えても
お昼は虹崎さんと会って、四人一緒に話している。最近はここ四人でグループになっている感じだ。男一、女三。
「あの人、外に出る許可が降りたんですか?!」
「うん。電気の制御も出来るようになってきたし、お腹刺された傷も治ったしね。……ま、それ以外の問題も色々とあるけどさ」
何もかもが都合良く、解決したってわけじゃない。
世界規模の脅威存在を討伐し、『軍』での地位を取り戻したって言っても、それでも立場として不安定なことには変わりない。いや、むしろ立ち位置としては前よりも難しくなっている気もする。
でも、前とは違って、今はもう一人じゃない。
やれることは、増えている。
失敗も、挫折も、未練も、少しずつ。
ゆっくりだけど、取り返していっている。
そして、学校が終わって……。
結局部活には入らないまま、二人で隣を歩いて下校して。
別に、片腕でも、恋人繋ぎはできるから。
そうして夜は、街に繰り出す。
――『軍』のエージェント見習いである、
……二人で記憶処置を受けて、誰でもない誰かに戻るって道も、確かにあったのかもしれない。
だけど僕らは二人とも、何かに、なりたかったから。
例えそれが勘違いやすれ違いの結果で生まれた願望だったのだとしても、きっと、ようやく、何か、形の無い何かに、少しずつでも近づけていっていると思うから。
それを手放したくないって……二人で一緒に、思えたから。
僕らはまだ。
今も、特別な何かに近づくために、戦っている。
これにて完結です。三ヶ月の間、応援ありがとうございました!
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