【完結】ロッシュリミット/TS転生してモブを主人公と勘違いする話。 作:潮井イタチ
数日経った。
あの一件以来、彼は現れていない。
もちろん、学校で色々聞きこんだり、僕なりに色々と調べてはみた。
だけど、僕個人の情報収集能力なんて所詮、素人に毛が生えたようなものだ。
一応、お婆さんの荷物を持っただとか、迷子の子供を案内しただとか、そういう些細な噂は聞いたけれど……。
この街にはコスプレでゴミ拾いをしたりだとか、仮装でボランティア活動をするイベントもあるので、本当に彼のことなのかどうかは……正直疑わしい。
その程度の善行なら、誰にだって出来ることだ。
背格好や声で絞り込めないかとも思ったが、身長は高校生男子の平均ぐらいだったし、声についても「今だ!」の叫び声しか聞いていない。これじゃ絞り込みなんてとても無理だ。
一応ダメ元で上層部に申請もしたのだが、たったあれだけの接触では『軍』の組織力を使った捜索も行えないだろう。
しかしそれでも、希望は持てた。
彼の覚醒を促進するイレギュラーがあったのか、何らかの理由で『本編』の開始が早まったのか。
それは分からないけれど……それでも、既に、主人公は居る。
もう、誰かのために動き始めている。
「…………」
だってのに、僕は。
「コ、殺サナイデ……、殺サナイデ、殺サ、」
「再現率18%、多目的ナイフ具現――ガラス繊維強化プラスチック」
また、こんな仕事だ。
街の郊外。月明かりが照らす廃ビルの中。
超常性の頭部にナイフを撃ち込む。
最近作れるようになった非金属ナイフだ。まだ訓練を始めたばかりだから再現率は低い。
しかし、殺傷力は十分だった。
どさりと倒れる怪物――見た目は、腕のような
放射線を使った遺伝子操作で生まれた、何らかの実験生物、らしい。
最近この街で多く見つかっているが、起源については不明。
大抵は暴れ回っているが……たまに、知能を持って大人しくしているやつもいる。
今倒れたコイツみたいに。
本当、嫌になる。
「ガ……ァ……」
怪物が呻く。まだ、息があった。
……せめて、早く楽にしてやるべきだ。
僕はナイフを振りかぶり、今度こそ、息の根を止めようと――
「――そこまでだよ、
直前、声があった。
バッと勢いよく振り返る。警戒はしていたはずなのに、気づけなかった。
青い髪の少女だ。年頃は僕と変わらない。
顔につけているのは、僕のフードと同じ効果を持つ、認識阻害の
今はバイザーに隠されているが、僕は知っている。
その下には、活力ある表情が似合う、愛らしくも凛々しい、整った面立ちがあることを。
僕と同じく特殊な戦闘服を着ているが、魔術的な力を用いて作られた『軍』の
知っている。
ゲームのキャラとしてもそうだし――この世界でも、何度か顔を合わせている。
「……
本名、
この世界の
こういう任務での偶発的遭遇でもそうだし、学校でも既に何度か遠目に見ている。
ゲームでは主人公のクラスメイトであり、クラスの人気者なあの子が実は……というポジション。ちなみに、御天さんは主人公より年上の先輩枠だ。
彼女は『企業』に所属しており、『軍』の御天さんとは敵対関係なのだが、時には市民を守るために協力することもある。
任務での遭遇の中で互いの力量と善性は認めており、主人公が来て『本編』が始まってからは仲間として協力するようになる。
理念の違いで度々衝突こそするものの、険悪にはなりきらない……言うなれば、ある種の友情があるライバル関係として描かれていた。
だけど……その、本来なら快活さを宿すべき顔は、今、剣呑にこちらを見つめていた。
「それ以上はダメだ……武器を離し、」
彼女の言葉を遮って、僕は怪物の脳天を貫き、息の根を止めた。
彼女は『企業』の人間だ。『軍』のように超常性を終了することには否定的だし、特に彼女はヒロインに相応しい、善性かつ人道的な志向を持っている。特に、害意の無い超常性の保護をしている彼女からすれば、僕の所業には嫌悪感を覚えて当然だ。
……こんな関係で、何をどうすれば友情ができるって言うんだろう。
命を奪う感触が手に残って、心が沈む。息が苦しくなる。
それでも、
「い、いやほら、こっちもお仕事だから! こ、これも仕方ないっていうか……。その、巡り合わせが悪かったよね! ふふ、僕が居合わせたのが運の尽き、なーんて……」
「…………」
返事は無かった。彼女が
「……大人しく、投降してほしいんだ。ボクが、絶対に……悪いようにはさせないから」
「あ、あー、や、優しいな―!
「
迸る飛沫の音。
露を玉と散らせながら、彼女がその手の内に水の槍を形成した。
「すぅ――ぜ、りゃあッ!」
小さく息を吸い、叫びと共に突き出す腕。
間合いの外からの、槍の刺突――しかしそれは勢いよく伸び、ウォーターカッターと化してこちらへと迫りくる。
咄嗟に躱す。
だが、回避してもなお、次々と迫り来る激流の刺突。
それらをカッターナイフで弾きながら、どうにか撤退する方法を探る。
彼女は『企業』のエリートだ。そう簡単には倒せないことは上層部も分かっているし、任務自体は既に達成している。……撤退しても評価は下がらない。
「君みたいな子は、もう――戦うなッ!」
だが、この攻撃の本気具合。
殺す気までは無さそうだが、手足の一、二本は吹き飛ばす覚悟で攻めてきている。
ゲームやスピンオフでは、
どちらも本気でやり合えばただでは済まないことは分かっていたし、理念は違えど正義ある相手と命の取り合いまでをする必要は無いと思っていたからだ。
けれど、これは……違う。
彼女は、自分が死んでもいいほどの覚悟で、僕に戦いを仕掛けている。
……なんで僕は、やることなすこといつもいつも、本当に……上手くいかないんだろう。
嘆く頭を切り替える。
一通り考えたが、何とかして彼女の動揺を誘わなければ逃走も出来そうにない。
「再現率100%――替刃具現!」
カッターナイフの刃のみを具現化し、装甲代わりに腕に纏う。
そのまま突進し、水の一閃を右腕に受けた。
「ぐ、ぅっ――」
貫かれはしない。しかし、爆発のごとく弾ける飛沫。
腕が吹っ飛びはしなかったが、それでも完全にへし折れる。
だが、ダメージは溜まった。これでこちらも彼女のウォーターカッターを再現できる。
今度は胴体に刃の装甲を纏った。
準備完了。角度と位置取りも良い。
また、迫り来る激流の一突き。
防御出来るとわかったからか、かなり遠慮の無い一撃だ。こちらとしては助かる。
僕はそれを腹部で受けて――
「なッ」
――そのまま、土手っ腹をウォーターカッターに貫かれた。
……ように、見せた。
「っぐ……ダメージバレット、
腹部にウォーターカッターを受けると同時、背中から先ほどのウォーターカッターを放出したのだ。
彼女には、自分の攻撃が一直線に腹部を貫いていったように見えただろう。
僕のウォーターカッターによって背後の窓ガラスが割れる。
一瞬、殺してしまったかと動揺する彼女の隙をついて、廃ビルの外へ跳び出した。
「待っ、」
地面に着地。逃走。
そのまま、どうにか、撒いた。
ため息をつく。
「――うぷ」
それと同時に、口からびしゃ、と血が溢れた。
……防御はしたが、内臓に傷がついたかもしれない。
腹部に手を当て、ダメージを淡い光として排出し、傷を癒やす。
必ずしも弾丸として排出する必要は無い。戦闘用に改造はしたが、僕の能力は本来治癒能力なのだ。
負傷が大きくて、完全には治り切らない……けれど、
女の子の体に傷なんて付けていいわけがない。
それに……もう、これ以上、僕のせいでヒロインが苦しむところなんて見たくなかった。
本当なら、仲良くしたい。
僕だって心は男だから、普通に可愛い女の子が好きだし……それを抜きにしたって、
傷つけたり、苦しませたりなんて、そんなこと、出来るわけがない。
……でも、どうして、
スピンオフでのやり取りはちゃんと踏襲してるし……ライバルに相応しい力量だって見せて、市民のために一緒に戦ったりのイベントも、全部こなしたはずなのに。
なぜか、虹崎さんの顔は、僕と会う度に険しくなっていっている。
一体何が足りないのか、わからない。
血の足りない頭で考えながら、ふらつく足取りで、僕は帰路を辿っていった。
ようやく家に帰った頃には午前五時を過ぎていて、時計を見たくなくなったところまで覚えている。
眠い。
やろうと思えば眠気もダメージとして放出することは出来るけど、アレは後がつらくなる。眠気覚ましになるだけで、別に睡眠が取れるわけじゃないのだ。
通学路を歩いていく。
学校近くの踏切に立って、電車が通り過ぎるのを待つ。
……長いんだよな、ここの踏切。
疲れの取れない身体を電柱に預ける。
少しだけ楽になった。思ったより心地良い。
せめて、踏切が下がっている間だけでも、休んでおこう。
僕は少しだけ目を瞑り……
……。
…………。
………………。
「――おい、キザ……
「うぇ……?」
瞼を上げる。
電車はとっくに通過していた。
学校の方から聞こえる予鈴のチャイム。
目の前には見覚えのある男子生徒がいて、僕に焦った声をかけてきている。
……マズい。遅刻する。
全力で走れば間に合うだろうけど、僕の全力ってのはつまり時速50kmとかそんなのだ。もし人目についたら、『軍』に大目玉を食らうのは間違いない。
どうする。どうしよう。
焦る僕に、男子生徒……ああ、そうだ、ジャージ貸してくれた子だ……
「近道通るぞ!」
「え……いや、近道って言っても……」
普通の足じゃ、直線距離を通ったって間に合わない。
困惑しつつ、言われるがままについて行き、そして――気がつけば、学校の前にいた。
「っ!?」
今のは……錯覚とか、記憶が飛んだとかじゃない。
分かりづらいが、明らかに時空が歪んだ。何か距離を縮めるような超常性エリアを通過してきたとしか思えない。
「い、今の」
「あー、たまたま見つけたんだよ。ここ通るとスゲー早いから」
……超常性に気づいていない?
ただの近道として認識しているということだろうか。確かに、認識に作用する効果もあるのか、距離が縮んだことがほとんどわからなかった。
普通の人間じゃ、偶然通ったとしてもまず異常に気づくことはできないだろう。
一応、『軍』に報告はしておかなきゃだろうけど……この程度なら、記憶処理も必要ない、か……。
「あ、ありがとう……でも、その、あの道、これからはあんまり通らない方が良いと思う……。ほら、薄暗くて、見通し悪かったし……」
「ん……いや、まあ、そうだな。そもそも早めに登校しろって話だしな。つーかお前もあんなところで寝るなよ、俺が言えた話でもないけど……」
気まずそうにしつつ、目を擦っている。彼も大概、眠そうだ。
「……そっちも夜更かしか?」
「え、あ、うん。その、色々やること多くて……五時ぐらいまでずっと」
「そっか、スゲーな」
「べ――別に、凄くないよ」
うつむいて、僕は言う。
こんなこと無関係な彼に言ったって何の意味もないのは分かっているけれど、それでも否定せずにはいられない。
「だ、大体全部、僕のせいでやらなきゃいけなくなったことだし……それだって全然上手くいかなくてさ。昨日も、何も挽回できないまま終わっちゃって……何かもう、やってること全部意味無くって……。だから本当、何も凄くなんか……」
「あー、いや、違う。そうじゃなくて」
違わない。僕は何も、慰めて欲しくて卑屈なことを言ってるわけじゃ――
「そんなに大変なのに、頑張ってるのが凄いな、って。自分のせいとかやらなきゃとか意味無いとか、そういうの、抜きにしての話」
「――っ」
誰にでも言えそうな、ありきたりな言葉だ。
でも、なのに、一瞬だけ……泣きそうになった。
そこで、チャイムが鳴る。
気がつけば、僕らはもう教室の前まで来ていた。
隣のクラスの彼が、慌てて自分の教室へと駆けていく。
そして、去り際に僕の方へ振り返って、言った。
「マジでヤバかったら言えよ、手伝うから」
そう言って……言うだけ言って、教室に入っていった。
…………。
ただの一般人が手伝えることなんて……別に、無いのに。
相手のことを本当に想って、無理難題を成し遂げたり、命懸けで頑張ったりなんてのは……
……だから、今浮かんだ「嬉しい」とか「手伝って欲しい」なんてそんな感情は……ただのぬか喜びで、疲れ切った頭が出した、些細な気の迷いだ。
でも、だけど……ちょっとしたことぐらいなら、手伝ってもらってもいいかもしれない。
少なくとも僕よりは交友関係も広いだろうし……ダメ元で、軽くでいいから、主人公に関して調べてもらったりとか……。もしかしたらってこともあるかもしれないし……。
そんなことを考えながら、半分寝た状態で午前の授業を終えて、昼休み。
隣のクラスの扉を開けて、
……居た。前の方の席だ。廊下側。
他のクラスに入るのはちょっと抵抗感があるけど……って、なに普通の学生みたいなこと考えてるんだろう、僕。
「あの、
そうして、用意しておいたビラを見せて、人探しの相談をする。
妙に気まずそうにしていたのが気になったけれど……でも、思ったよりは会話が弾んだ。
彼が聞き上手なのか……自分でもよく分からないが、まるで久しぶりに会った友人相手のような気軽さがある。
「だからさ、その、これ千枚ぐらいコピーしてこようと思うんだけど……。いくつか考えたんだけど、この『C案』の付箋貼ったやつが本決まりで……」
「全校生徒に配る気かお前。いや、コピーしてもいいけど千枚は要らない。絶対に要らないから。十枚ぐらいでいいから」
「じゃあ間を取って四百九十五枚で……」
「そこで間を取るな。俺コピーしてくるから
「で、でも……」
いいからと言って、少し強引に彼が『C案』の付箋が貼られたビラを持って席を立つ。
……確かに、何百枚もコピーしても二人じゃ配り切れないか。
しばらく待つ。
が……彼が帰ってこない。
どうしたんだろう。もしかして、途中で面倒くさくなったんだろうか。
気になって様子を見に行く。
自習室前の廊下。
紙を用意すれば生徒も使用可能なコピー機の前で、誰か……こちらに背を向けた女子生徒と会話をしている。
「ボクの方は切羽詰まってるの! そんなよく分からないコスプレの人探してる場合じゃないんだってば!」
「いやでも五千枚は多いって! なんでお前らやることそう極端なんだよ!」
「あ、あの、どうし――」
声をかけた僕に、女子生徒が振り返る。
青いミディアムヘア。空色の瞳。
元気ある快活そうな顔。愛らしくも凛々しい、整った面立ち。
身長は女子の平均ぐらいだけど、スタイルは年齢に見合わず大人っぽい。それが本人のボーイッシュな雰囲気とギャップになっていて、爽やかなのに妙な色気がある。
バイザーを取った素顔を見るのは初めてだけど、ゲームで見たことがある僕にはすぐに分かった。
昨日戦った、もう一人のメインヒロイン――虹崎雨色だ。
「に……虹崎、さん……」
「ん? ボクのこと知ってるの? どっかで話したことあったっけ?」
「あ、いや……」
任務では、互いに認識阻害装備をつけた状態でしか会ったことがない。
ゲームで素顔を知っている僕に対し、虹崎さんは無反応だ。
……今まではきっかけが無かったけど……チャンス、かもしれない。
任務で会った時は何故か険悪ムードになるけど、初対面だと思ってる今なら、普通に友好度上げれるんじゃないだろうか。
日常パートで友達になっておけば、任務の方でも、もう少し仲良く話せたりとか……。
「ああ、悪い
「
「……いや、違うけど……、とにかくお前そろそろ印刷やめろって。いい加減インク使い過ぎで怒られるぞ。ていうかそういう真っ当な人探しなら警察に相談した方が――」
「それはそうなんだけど違うのー! 色々あって捜索願いも出せないし、とにかく色んな人に聞いて回るしか――」
……仲が良さそうだ。
何人もいる友人の一人、ってぐらいの距離感だけど……昨日、僕と戦ってた時とは全然違う。
うらやましいな、と思った。
僕だって、本当は虹崎さんと友人になりたいのに。
あんな元気で可愛い女子に、明るく、楽しそうに話しかけられたいのに……。
「…………」
一度目は全部無意味だったけど……二度目の人生なら、そういう学園生活送れると思ってたのにな。
虹崎さんが仕方なさそうにコピー機を止め、ビラの束を持ち上げる。
もう、今にも行ってしまいそうな感じだ。
どうしよう。早く話しかけないと……いつものこの感じじゃなくて、明るく……でも、そんな急に陽キャモードに切り替えられない……。
「まあ、足りなくなったらその時また来ればいっか。じゃ、ボク早くこの子たち探さないといけないから!」
「うん……? そっちも人探しなのか?」
「そうだよー、ボクの知り合いの小学生たちなんだけど……ちょっと事情が特殊で、警察にも相談できないし、探しにいける人も少ないしでさ。暇だったら手伝ってほしかったけど、そっちも忙しいんでしょ?」
「ああ、まあ一応、」
「あのっ」
もうこうなったらこのモードのままいくしかない。
「そ、それ、僕も手伝います……! 僕に出来ることなら、何でも……」
「ほんと!? ありがとっ、すっごい助かる!
「うぇ、あ、え、えへへ……」
に、虹崎ちゃんに……ゲームのヒロインに現実で大好きって言われちゃった……。
多分誰にでも言ってあげてるんだろうけど、それでも嬉しい。
口元が緩みそうになるのをどうにか抑える。ニコニコと笑顔で話しかけてくる彼女に辛うじて言葉を返しながら、ビラの束を半分持った。
「じゃあ行こっか! 昼休みなら中庭前廊下が人通り多いから、そこでやろう!」
「あ、は、はい!」
「おーい
「えっ、い、いやそれは――」
慌てて振り返る。
でも、そのせいで僕の肩が
「っと」
「あっ、ご、ごめ、」
拾わないと――
「――
「え、あ、あっ」
もう曲がり角の向こうに行ってしまっていた虹崎さんが、遠くから声をかけてくる。
早く、早く行かないと。でも。
足元では、
僕から頼んだことで、僕のせいで落とした物だ。
僕が拾い集めるべきだけど、でも。
「っ、」
物語の主要人物と……普通の男子生徒。
なら、どう考えたって、虹崎さんの方を優先するべきに決まっている。
せめて……後でちゃんと謝ろう。
普段の諸々で感じてるものに比べれば、なんてことのない罪悪感だけど……。
それでも、確かに刺さる小さな棘を感じながら、僕は彼女の方へと走っていった。
日の暮れ切った、薄暗い夕方。
結局、ろくに配れなかったビラの束にため息をつきながら、
しかし、ため息をつくのは、何も、ビラを配り切れなかったからではなく……。
「(……別に、あそこまで申し訳なさそうな顔しなくていいんだけどな……)」
元々は
だったら、緊急性の高そうな虹崎の方を優先するべきだし、それに――
「――じゃ、この子たちについて、何か気づいたら教えてね! あ、でも、無理はしなくていいからね。危ない目にあったらよくないもの。今日は本当にありがとう!」
「あっ、い、いえ……は、早く見つかると、良いですね……!」
校門の向こう側。校庭の方に、遠目に見える二人。
少し気まずそうにしながらも、虹崎に向かって嬉しそうにはにかむ
虹崎と話したかったのか、仲良くなりたかったのか……。
詳しいことは分からないが、ずっと暗い顔をしていた彼女が嬉しそうなら、それが一番だ。
……しかし、と、
自分のコスプレではなく、虹崎から一枚貰った、子供の写真と似顔絵が入った方を。
「……これ、明らかに
独り言をつぶやく。
虹崎雨色が『彼ら』の一員であることには、何となく気づいていた。
彼女と知り合ったのも、
その超常性絡みのことに関しては記憶処理をされたので覚えていないが、『超常性を忘れさせられた』ということは認識できる。
どうも、『彼ら』が普段使っている装置で弄くれるのは、直近数時間の記憶だけらしい。
偶然超常性を目撃した民間人にはそれで十分なのだろうが、最初から超常性を探すつもりで動いている
もっと大掛かりで手間のかかるやり方をすれば、それ以外にも色々と出来るようではあるが……今のところはそんな目には合っていない。たぶん。
もう一度、ビラをじっと見つめる。
超常性の発見が趣味の
あまり深いところを突っつき過ぎると『彼ら』に見つかるので程々に浅い部分を掬って推察しているだけだが、それでも分かることはあった。
ビラの内容と、脳内のそれらを組み合わせることで、心当たりがいくつか思い浮かぶが……。
可能性の高い場所は虹崎も探しているだろうし、選択肢を全部当たろうとすると、流石に候補が膨大過ぎる。
何かしら追加情報があれば、もう少し当たりをつけられそうではある。
しかし、何が
一応、いつも通りに怪しい場所をブラブラと寄り道しながら帰宅していると、道路にしゃがみ込んで電話をしているスーツ姿の男性が居た。
「(ん……あのマンホール……?)」
彼の足元。道路にぽっかりと開いた穴。
一見、蓋が開いてしまっていることに気づいたサラリーマンが、危険だからと市役所かどこかに報告しているようにも見えるが……違う。
――電話している彼の口から、声が異様に小さくしか響いてこない。
イヤホンで音楽を聴くフリをしながら、こういう時のために用意している手製の集音器を『彼ら』と思しき男性にこっそりと向けた。
「『はい、はい……ザザ……下水道に見せかけた地下通路……この街の外に繋がって……手に負えません……『軍』上層部に要請……
通話が切れる。
サラリーマン風の男性は、スマートフォンにしか見えない特殊な通信機を懐にしまい、それとなく周囲を見張り出していた。
「…………」
何も聞いていない素振りで傍を通過した
……今の男性は、
どうする。いや、どうするも何も、どう出来るというのか。そもそもどうにかする必要があるのか。
まず、あのマンホールは男性に見張られている。入っていくことはできない。
「(いけるか……? 朝の近道みたいな超常性エリア……そうだ、二丁目のビルのエレベーターとか、隠しコマンド打ち込めば、たまに街の外の変な地下遺跡に繋がるし……あそこの通路、確かこのマンホールの方角に伸びてたような……まあ、その時は、なんかヤバそうだったから逃げたけど……)」
いや、待て、待て、待て――と、理性が反論を探す。
入っていけたところで、
前の時はただ、運が良かっただけだ。
そんな、『結社』だとか、過激派だとか、
拳銃を持った成人男性一人にすら勝てない程度の、ただの
「…………」
だが、そもそもあの地下施設が、この件に関わっているかなんて分からない。
もし、確認してみて何かあったなら、偶然見つけたフリをして、それとなく
「……5、閉、2、閉閉開閉、4、2、3、1、閉、1、1、1……っと」
エレベーターの扉が開く。
外に見えるのは、薄暗い空間だ。照明は設置されているが、数が足りていない。必要な部分だけを照らしているらしく、
見える範囲に広がる空間は、下水道とか地下鉄などではあり得ない、削り出したような岩盤むき出しの地下空洞。全容は掴めないが、それでも空気の感じで、巨大な閉鎖空間であることがなんとなく分かる。
「っ……」
遠くから聞こえてくる、ドタドタとした複数の足音。
まだ、さっきの話に関係しているかは分からないが……間違いなく何者かがいる。それも、大人数。
……せめて、顔だけでも隠しておくべきだろうか。
「(再現率5%……コスプレ衣装具現)」
虚空から音もなく現れ、学生服の上から纏う、手製のスーツとヘルメット。
一応、以前よりしっかりした造りに改良してあるので、少しは防具として機能するようになっている。……まあ、気休め程度だが。
ヘルメットの中に仕込んだボイスチェンジャーの状態を確認する。
そのまま、もう少し近づいてみるかと思った、その瞬間だった。
「――おい、お前、そこで何してる?」
「っ!?」
バッと振り返る。
両者共に影の中。薄暗くてよく見えないが……それでもシルエットぐらいは分かる。
呼吸が止まる
「合図が聞こえなかったのか? ここに残ってる部隊は全員、司教様の前に集合だ」
「――――、あ、ああ……わかった」
薄暗い中、似たようなヘルメットを着けていたことが幸いした。
どうやら、彼らの仲間だと勘違いされたらしい。
男が先に照明のある方向へと歩いていき、その姿がはっきりする。
やはり、装備の大まかなシルエットが似ている。しかし、デザイン自体は違う。
このまま出ていけばバレるだろうが……。
「(再現率4%……コスプレ衣装、再具現)」
これなら、今の衣装を多少いじるだけで再現できる。
手に形だけ似せた、射出機構の無いハリボテの銃器を持って、前へ。
バクバクと脈を打つ心臓。
他にも同じ装備の兵隊が集まってくるが、まだ誰も、
辿り着いたのは、他よりは整えられた様子の広間。
しかしその内装は、あまり科学的な雰囲気のしない……オカルティックな物が多い。
武装しているが、実質的には宗教団体か何かなのだろうか。
集まった兵隊たちもそこまでしっかりとした整列はしておらず、ぞろぞろと、部屋の中央を取り巻くように集合しているだけだ。
そして、部屋の中央に、誰かがやってくる。
背の高い、神父服の男だ。柔和な顔をしていて、薄笑いで目を細めている。
恐らくはあれが『司教様』……あるいは例の
「……ッ!?」
しかし、その背後に、手を拘束された複数人の子供が、酷く怯えた様子で着いてきていた。
――昼に虹崎雨色が探していた、小学生の子供たちだった。
「(どうする……!? いや、この状況じゃどうしようも……!)」
滝のように流れる汗。
目が充血していく感じがする。
何をどうすればいいのか分からない。
「――分かってくれたかな? 君たちのような未来ある子供が、『企業』の狭い研究室に閉じ込められるなど、あってはならないことなんだ」
「やだ……怖い、帰して……」
「ただ君たちは他とは違った
「助けて、お姉ちゃん……!」
そして、神父服の男が、懐から銀色の注射器を取り出す。
「だからね――君たちは、君たちを虐げる不条理な世界に、反逆する権利と義務がある」
それは、
流れるような動きで一人の少年の腕に押し当てられ――何らかの薬液を、その体内に注入した。
「いぎッ、がッ、あぁあああアアアアア!!!」
全身から急速に生える黒い体毛。まるで熊のような毛皮が、顔も見えないほどに少年の体を覆い尽くす。さらに、脇腹から新たに生えだす二本の腕。元あった両手足と、その腕が見る間に異形に伸びて、全身が膨らみ、変形し――まるで熊と蜘蛛を醜悪に混ぜ合わせたような、巨大な怪物へと変貌を遂げる。
「素晴らしい。今日は君の祝福すべき日だ。君は今、自由を勝ち取るための力を手にしたんだ。今までの実験動物たちはろくな戦力にならなかったが、やはり、能力者が素体となると質が違う」
「オギッ、グブッ、ギ、ギ、ィイイイ――」
「再現率50%、注射器具現」
暴れだそうとした怪物に、神父服の男が虚空から出現させた注射器を打ち込む。
急速に大人しくなり、どこか酩酊した様子の彼。
神父服の男が告げる。それは、柔らかく少年のことを慮るような話し調子ではあったが、あちらの通路に向かって侵入者を殺せという命令だ。
「今の君なら、
地響きを立てて、怪物が通路の向こうへと歩いていく。
恐怖に泣き喚く子供たちに、神父服の男が困ったように人差し指を口に当てた。
「大丈夫だよ、心配することはない。あの体躯では一緒に遊ぶのも難儀するだろうし、普通に彼と話したいという君たちの感情は理解できるとも。ほら……一本だけだが、ここに解除薬がある。いい子の君たちなら、どうすればいいかは分かるだろう?」
ギリ、と
「出来るなら、例の
そうして、一部の兵隊を連れて神父服の男が去っていき、他の兵隊たちが解散する。
残った何人かの兵隊が相談して、その内の二人が子供たちを牢屋か何かの方へと連れて行った。
「…………」
逃げるべき、だ。
今ならこのまま、逃げ延びられる可能性は高い。
そもそも、成り行きとは言えこんなところまで入り込んでしまった時点でかなりマズい。
当初の目的通り、確認は出来た。
後は虹崎にでも連絡すれば、それで十分のはずだ。
そうすれば『軍』だか『企業』だかの戦闘員が来て、子供たちを助けてくれるのだろうし……それに、敵の拠点に直通で行ける方法を教えたというだけでも相当な貢献になっているはずだ。
大体にして、
だが。
「(……解除薬は一本……次の秘薬の調合には時間がかかるって言ってたけど……それは、子供たちが助けられるより後なのか……?)」
…………。
……やらねばならない、のだろう。
やれるかなんてわからない。
なんの意味もないかもしれない。
ただ自責したくないだけかもしれない。
やったところで無意味に終わるかもしれない。
そんな理由で逃げ出したって良いのかもしれない。
しかし、それでも……。
「(あいつが……
やるべき、なのだ。
近づき過ぎれば破滅するだけの、分不相応なただの
できる限りのことは、頑張らなければならない。
目立たないようにゆっくりと子供たちが連れて行かれた方に歩いていると、急に周囲がバタバタとし始める。『軍』の
根拠は無いが……今なら、いける。
駆け出す。地下空洞の奥、牢屋と呼ぶには簡素な鉄扉の部屋。
子供たちが閉じ込められたそこで、二人の兵隊が見張りに立っていた。
「どうし、」
「司教様がお呼びだ! どちらか片方、すぐに向かってくれ! 詳しいことは分からないが、子供たちの状態について聞きたいことがあるらしい! その間は自分が替わる!」
心臓の音がうるさい。バレるな、バレるな、バレるなと必死に祈る
緊張に息が切れる。さっきの片方がここから離れるまで、誤魔化しきれるだろうか。
焦燥した様子の
「そう緊張するな。襲撃が来て焦る気持ちは分かるが、我々には司教様がいる。ここまで襲撃が来ることはない」
「あ、ああ……、だけど、ここが直接襲撃される可能性は……」
「それも無いだろう。直通の道は全て封鎖してあるし、そもそもこの拠点に繋がる道が判明しただけで、この拠点の位置そのものはまだどの組織にもバレていないからな」
「……ワープ系の超常性エリアなんかもあるんじゃないのか? アレは大丈夫なのか?」
「心配性だな。そりゃあ偶発的に繋がることはあるが、あの手の超常性は探すのに地味な手間が何年もかかる割に、大概の使い勝手が悪くてリターンが少ない。どの組織もそう多くは把握していないし、そもそもそんな確率の低いことを気にしていたらどうしようも、な……い……?」
じゃき、と、ハリボテの銃器を見張りの頭に突きつけた。
「それを聞いて安心した……銃を捨てろ。防具も外せ。不審な動きをした、と俺が判断したら撃つ」
「な、ば、バカな……!」
「聞こえなかったのか? 早くしろ」
「くっ……クソ、分かった! 捨てた! 外した! これで――がッ!?」
そして丸腰になった男をぶん殴る。
……これで気絶なり何なりしてくれればよかったのだが、現実じゃそういうわけにもいかない。
ボコスカと泥臭い取っ組み合いをしながら殴り合い、最初の一撃と、武装の差でどうにか
「っ痛ってぇ……ただの丸腰のおっさん相手にこれかよオイ……」
ヘルメットの中が鼻血で濡れている。顎のあたりに生温かい血が溜まって気持ち悪い。
鍵を手に取り、鉄扉に差し込む。
扉の向こうでびくり、と震える気配がしたのに気がついて、衣装を再具現して元のコスチュームに戻した。
「……大丈夫か?」
「っ、だ……誰!?」
「安心してくれ、君たちを助けに……いや、探しに来たんだ。ほら」
虹崎からもらったビラを見せる。
子供たちも、虹崎には心を許していたらしく、おかげで後のやり取りはスムーズに進んだ。
「じゃあ、一緒に行こう。奴らに見つからないような逃走ルートには当たりをつけておいたけど、それでも慎重に――」
「……たっちゃんは?」
その言葉に、
「っ……あの、変な薬を打たれた男の子か?」
子供たちが、あの少年……たっちゃんについて、口々と声を上げる。
どれほど優しくて、どれほど良い子なのか。どのくらい仲が良くて、どのくらい心配していて、どのくらい大切なのか……。
そして、自分たちがどれだけ彼を助けて欲しいと望んでいるのかを。
「(……無茶言うなよ……)」
それは、無理だ。
どう考えたって、これが
これ以上は、いくら何でも死ににいくようなものだ。
命懸けと、自殺は違う。
このまま、子供たちをどうにか宥めすかして、地上まで逃げおおせるのが最善策に決まっている。
「っ、」
ドォン、と地下空洞を揺らす地鳴りの音。
戦っている……恐らくは、
……あるいは、
いや……たっちゃんを心配しているのは、この子たちだけでなく、虹崎もそうか。
昼に、虹崎と話していた
……もし
それを虹崎が知ったとして。
それを
そうなったらきっと……その時、
だけど、今なら。
「…………。……ヤバい時は手伝うって、言っちまったもんな……」
これ以上、
一般人一人でどれだけ足掻いたところで、こんな領域にある何かを解決して、救うことなんて、出来るはずがない。
でも、それでも……。
そう出来るはずの女の子を、手伝うぐらいなら。
超常性保護協会『結社』は、迫害された超常性たちが助け合うために築かれた、『超常性の保護』を目的とする互助組織である。
元々は『軍』や『企業』と同じく、真っ当な志の下に生まれた集団だったが……大きくなった人の群れは、長い年月の中で膿を生む。
科学の匂いがしない、オカルトの内装に彩られた広間。
多くの兵隊たちに囲まれながら、神父服の男――
現れたのは、魔術的なホログラム。
水晶玉から放たれた光が、映像となって遠隔地の光景を映し出していた。
「なるほど、
投影されているのは、黒い毛皮を纏った巨大な蜘蛛……異形と化して暴走する少年と、それに相対するフードを被った桜色の髪の少女。
「しかし、『軍』に所属しているはずなのに優しい子だ。彼を殺さないように手加減をしている。ふむ……そうだな、君たち。彼女の説得に行ってきてくれないかな。今はこのような姿だが、あの少年がれっきとした人間であることを、もっと明確に伝えてあげてきて欲しい」
目を細め、柔和な笑みを崩さないまま、兵隊の一人に
「ああ、何なら保護している子供たちに協力してもらっても構わない。彼らが『友達を殺さないで』とでも嘆願すれば、きっと彼女も手を止めてくれるだろう? その上でなお、『軍』の理念に準ずる素振りを見せるようなら、仕方がないと諦める他ないだろうがね」
自身の言葉に疑いなどまるで持っていない、邪気の無い口調。
同様に、その発言を当然のこととして受け止める、了解しました、という淀みない頷き。
彼らは自らの行動に疑念などまるで抱いていない。
一切の迷いなく、『結社』過激派の兵隊たちが、広間の外へと出ていこうとした、その時だった。
広間の外から、一人の兵隊が、息を切らせて走ってくる。
「お――お待ち下さい、司教様! 襲撃です! 『軍』に引き続き、『企業』の攻撃が!」
「何? ふむ、参ったな……子供たちを取り返しに来たか。なら、
「い、いえ、違います! 直接です!
何――?
と、
「――ぜ、え、りゃあああアアアアアッ!」
地下空洞の天井が、割れる。
天から地へと、流れ下る激流。
滝が落ちてきたかのような瀑布が、広間に居た兵隊たちを飲み込んだ。
「っと――! 別に疑ってたわけじゃないけど、本当にピンポイントで拠点にぶち当たるなんて……!」
そして、水と共に落下してくる、高度科学で作られた
顔情報を隠す認識阻害のバイザーを着けて、手に透明な水の槍を持った――青い髪の少女。
「……なるほど、
水の一撃を直接受けたはずの
びしょ濡れになった神父服を少しだけ鬱陶しそうにしながら、それでも目は笑ったままに、男は
目元は隠されているが、それでも強く歯を食いしばって、虹崎は
「たっちゃんを、返してもらう……!」
「返してもらう? そうやって人間をモノ扱いするのは良くないな。超常性を研究材料としか見ていない。君たち『企業』の悪いクセだ」
「ほざけッ!」
槍の一撃がウォーターカッターとなって
「遅い」
「っ!?」
悠々と躱し、接近してくる、体格に似合わぬ俊敏な動き。
瞬きの内に距離を詰められた虹崎へと、
「くっ、H2O具現!」
足裏からのウォータージェット。
「やはり。槍を持ってはいるが、近接が得意というわけではないらしい」
「こ、のぉ!」
間合いを無視する突きの連打。
常人ならば蜂の巣になるだろうそれも、
「もう少し強化しておこうか。
新たな薬液が充填される注射器。
それを、
「は、や――!?」
「私を捉えたいのならば、奇襲か、意識外の一撃でなくては無意味だ。やるならば最初の一撃で仕留めるべきだったね」
攻守が逆転する。
「が……! っの、まだ、まだ……ッ!」
「思っていたよりもよく躱す。しかし、私一人に手一杯になっていていいのかな?」
周囲から連続して響き渡る、銃器を構える音。
水の範囲攻撃から復帰した兵隊たちが、虹崎に続々と銃器を向けていく。
「……くそっ!」
悪態をつく虹崎。
流石に、これはマズい。周囲の兵隊たちだけならばどうとでもなるが、あの神父服――
明らかに、今の虹崎では相対するに必要な
奴一人を相手にするだけでも全集中力を発揮している。これ以上の意識の余裕は無い。
一度撤退するべきか、否か……逡巡する時間すらも足りない。
悩んでいる間にも、彼女に向けられる銃口の数は次々と増えていく。
「ご無事ですか、司教様!」
「見ての通りさ。私一人でも問題は無いが、君たちの援護があればより手早く済むだろう」
鷹揚に頷き、神父の姿に相応しい態度で兵隊の一人を自身の後ろへとかばう。
「で、ですが司教様を矢面に立たせるなど……!」
「構わないとも、下がっていたまえ。立場の上下ごときを気にして、無駄に戦力を損耗するなど愚かなことだ。私のことは好きに扱うと良い」
「じゃあ遠慮なく」
――ゴキィ! と、直前まで
「は――?」
「が……あ、っな……ッ?!?!」
水撃を悠々と回避していた
本人が言っていた通りの、奇襲かつ意識外の一撃が、『結社』屈指の実力者を見事にスタンさせた。
兵隊達のアサルトスーツから、真っ黒なプロテクタースーツに服装を変化させながら、男が虹崎に向けて声を投げる。
「虹さ――
「え、あ――うんッ!」
ウォーターカッターの一撃は見事に敵の正中を撃ち抜き、吹っ飛ばし、広間の外、通路の奥にその長身を叩きつけた。
「やったか!?」
「いやっ、まだだよ! あれだけじゃ、流石に――ッ」
虚を突かれ、反応の遅れた兵隊たちから放たれる銃撃の嵐。
「マズいッ! 何とかしてくれ!」
「っ、了解!」
虹崎から渦となって展開し、二人を守る水の防壁。
「お前一人でアイツとこいつらに勝てるか!?」
「兵隊たちだけならどうとでもなるけど、アイツはちょっと……! というかキミ、何者!? 所属は!? いやそれより、
「なら、こいつらどうにか頼む! アイツは俺が抑える! こっちには絶対に通さないでくれ!」
「あっ、ちょ、ちょっと! 話聞いてよ!」
通路の奥へと消えていく黒仮面。
「(抑えてくれるってんなら、そりゃやりやすいけどさ――!)」
水の槍を薙ぎ払う。
水圧よりも水量に力を割り振った、貫通力よりも制圧力重視の範囲攻撃。
兵隊たちを飲み込んでいく激流。何人かは防御するが、命中した内の一部がスタンする。
「再現率30%――粘着性形状記憶リキッド!」
隙を晒した者たちに放たれる液体弾。
命中したそれはスライム状の拘束具となって、兵隊たちを無力化していく。
そしてそのまま、数度の応酬。
どうとでもなる、と言った言葉の通りに、虹崎雨色は危なげなく兵隊たちを無力化していき――
「――これで、ラストッ!」
僅かな消耗のみで、全員を戦闘不能にした。
「(ヨシ! 早く、あの黒い人の手助けにいかないと――!)」
身を翻し、通路の奥へと向かおうとする虹崎。
――だが、その瞬間、広間の壁にビシリと亀裂が入る。
割れる岩盤。弾ける瓦礫。
壁を突き破って吹き飛ばされてきたのは、黒い毛皮を纏った蜘蛛のような巨体の異形。
「ギュイ、ギ、ィ、イ……イ……」
「たっちゃん――!?」
その姿に、虹崎雨色は瞠目する。
確かに彼は超常性保持者だが、ここまで酷く異形化した状態は見たことが無い。恐らくは『結社』の魔術的な秘薬による、能力の過剰なブーストか。
しかし、何者も寄せ付けぬだろうその威容は、今はダメージを受けて脚をガクつかせていた。
彼に攻撃を行ったであろう相手が、砂煙の中から足音を立てて現れる。
相手も無傷ではないようで、足取りがふらついてこそいるが、しかし手には何らかの刃物を持ち、臨戦態勢を解いていない。
「待って! 話を聞いて! 今はただ、『結社』の秘薬で力を暴走させられているだけで、この子、は――」
砂煙の晴れた先。
立っていたのは、フードの破れたミリタリージャケットと、ノースリーブの
「
「どうやら、誘導は上手くいったらしい……『軍』と『企業』の引き合わせに成功したようだね」
神父服の男――
「
先ほどの虹崎による攻撃も、
まだまだ余裕はあると言った素振りで、黒仮面に向けて滔々と語りかけている。
「
「……。……黙ってろよ。俺がお前をブチのめせば済む話だ。コイツでな」
相手に示すのは光る木刀。
プラ材で装飾してあるのは変わらないが、今回はたった今の即興でさらにゴテゴテと羽のような飾りも追加している。
十本近く具現化されたそれらは、円陣となって黒仮面の周囲を意味ありげに浮遊していた。
無論のこと、ただのハッタリである。既にヘルメットの中もプロテクタースーツの中も、冷や汗によってびしょ濡れであった。加えて目は四方八方に泳ぎまくり、声はブレブレに震えている。
しかし、ギリギリのところでフルフェイスのヘルメットと、仕込んだボイスチェンジャーがそれを覆い隠してくれていた。
「ならば来たまえよ。いつまでもそうやって守勢に回っているだけでは埒が明くまい?」
「……埒が明かない、って思ってるのはお前の方なんじゃあないのか?
柔和の笑みの裏で、神父服が本当に小さく、舌打ちをする。
「(……全く、さっさと斬りかかってくれればあの妙な武器の効果もはっきりするものを。あれでは迂闊に触れられない)」
黒仮面の身のこなし自体は大したことがなさそうだが、何の警戒もなく突っ込んでいくわけにはいかない。
野良の使い手もいないわけでは無いが、そのほとんどが各組織のエリート達から
「(神秘の匂いは無い。動きの軽さから見るに、重量もさほどない。単純な斬撃・打撃を目的とした武器ではなさそうだ。『企業』の所属……科学を用いた武器ではあるのだろうが、熱は感じられない。単純な高熱やレーザーなら、受けたところで即時治療出来るが……あれが放射線や、人体に害のある特殊な電磁波の類なら、私の薬では回復できない可能性がある)」
数々の薬品を用いた肉体強化を主体とし、近接戦闘に特化した
注射器の投擲程度は可能だが、それが命中するのは全くの素人だけだ。
各組織のエリート揃いである
水晶玉の光景からするに、現状、広間での三つ巴は
ここに来るまでの数々の兵隊と怪物相手の消耗が尾を引いているのか、
このままいけば、勝利するのは
黒仮面の狙いは彼女が合流するまでの時間稼ぎ。そして、二人で連携してこちらを撃破しようという算段か。
片方が消耗した状態とは言え、
待っていたところで、未知の武装による攻撃を警戒する必要があるというのなら……今、ここで強引にでも攻め立てておくべきか。
「……いくぞ」
「!」
黒仮面の傍を浮遊していた光剣の一本が、勢いよく飛翔する。
しかし、狙いは神父服ではなく――
「(――上!? いや、これは!)」
天井に吊られていた照明が、剣によって破壊される。
光を失い、暗闇に落ちる通路奥。
黒い装束を纏った黒仮面の姿が闇に溶け、光の剣だけがぼんやりと空中に浮かぶ。
そして、それらの光剣たちが一斉に、四方八方へと解き放たれた。
「見え透いた手だ……!」
風切り音を頼りに、
「(やはり……! 狙いは、光る剣を見せた上で、光らない剣を具現化しての奇襲! だが、無駄に装飾に凝るからだ……これなら風切り音で十分に察知出来る!)」
迫ってくる音にのみ集中し、暗闇の中、攻撃を回避する。
無作為なほどに乱れ飛ぶそれら。しかして攻撃が通用しないことが分かったのか、次第に攻撃は止み、動きを止めていく。
「エージェントにしてはお粗末な策だったな……さて、次はどうする? まだ何かあるというのなら見せてみて欲しいのだが……。…………。…………?」
少しずつ、闇に目が慣れてくる。
そして分かった。
居ない。
「な、に……?」
隠れている? いや、この通路奥に隠れられるような物陰は無い。
ならば逃げたのか? 風切り音を囮にして、迫ってくる音のみに集中するように――離れていく足音に意識を向けさせないように?
だが何のために?
故に、あの三つ巴に合流したところで、一対一対一が、二対二対一になるだけ。
戦力差はさして縮まらず、自分が不利になるだけでは……。
「……まさか」
「最初の時点で、既に……!」
迫り来る水撃の群れを、僕は必死になって躱していく。
思うように動けず、いくつもの攻撃が体を掠めて、皮膚が裂け、血が弾ける。
「もう、止まってよ……! 昼に、一緒になって探してくれたでしょう!? キミには無理だよ、殺せない……殺しちゃいけない!」
けど……本当に痛いのは、本気で、僕のことを想って放たれる言葉の方だった。
破れたフードは慌てて具現化し直したけど、もう手遅れだった。
「け、けど、だけど、それでも――」
「『軍』の任務なのは分かってる! でも、キミには向いてないよ……! こんなこともうしちゃいけない! 任務で何度も見てたよ……見てただけのボクでも、キミが優しいことぐらい分かるよ!」
「う、あ、ぁ」
僕のことを拘束しようと放たれる形状記憶リキッドの液体弾を反射で回避する。
心なんてとっくに折れている。もう、身体に覚え込ませた動きだけで戦っているような状況だった。
通路脇の壁に追い詰められる。
また回避できない一撃が迫るが、異形化して暴走する少年が横槍を入れて妨害した。
理性は無いように見えるけれど、三つ巴のバランスを崩せば自分が無力化されることは分かっているようだった。おかげで、こんなやってられない戦いが続いてしまっている。
「こうなったら無理矢理にでも連れて行く……! これ以上、キミを戦いの世界なんかに居させやしない! だってキミは、優しくて、
「あ、あ、ああ、あああああああ――!!!」
嫌だ。
それは嫌だ。
それだけは嫌だ。
向いてないから、出来ないから、無理だから、普通だから、なんて――そんな理由で諦めたくない。
償いも、恩返しも、罪滅ぼしもまだしていない。
これを取られたら、僕は、僕は本当に終わってしまう。
リフレインする前世の記憶。「すぐに良くなる」「また遊びに行こう」「何度でもお見舞いに来るから」なんて、あと数時間で死ぬ僕にかけられる無責任な声。
それが、その声が、自分の、
「うぅ、ぎ、ぃ、ぁああああああああああああッ!!!!!」
具現化する精神的ダメージ。
背中から翼のように伸びて、血のように滴る、毒々しいショッキングピンクの輝き。
それが、迫り来る、水の一撃を崩壊させようとした――その時だった。
「――え」
真っ黒なコートに、フルフェイスのヘルメット。手に携えた光の剣。
主人公が、僕の目の前に、立っていた。
伸びてきていた水流の一撃が、ビタリと止まる。
「っ、キミ……!」
「はぁ、はぁっ……気持ちはわかるが、そこまでだ……に、
ゲームやアニメで聞いたのとは違う、低い声。
息を切らせたような様子で、懐から取り出した、何かのアンプルを彼女に見せつける。
「暴走状態の、解除剤だ……。一本しか無い……早く、あの子を拘束してくれ……」
「盗ってきたの……?!
「まだだ……。だから――」
――ヘルメットの前面が、こちらを向いた。
「頼む。キ……
「あ――」
どくん、と心臓が大きく脈を打つ。
顔が熱い。身体中の血の流れが速い。わけのわからない気持ちで、心が弾けてしまいそうになる。
「わ――分かった!」
叫んで、通路の奥に駆け出す。
今までで一番身体が軽い。自分でも驚くほどの速度で足が地面を蹴って、一直線に突き進む。
「待って……! あの子一人じゃ、アイツには――!」
背後から響いてくる虹崎さんの声も、今は耳に届かない。
身体が軽くて、脚が駆けて、心は跳ねて。
なんだか、なんだか、なんだか、もう――
「
――辛い気持ちが全部、身体の外に出てしまったようだった。
「ダメージバレット――
具現化する全てのダメージ。
右手から剣のように伸びて、命のように燃える、鮮やかなローズレッドの輝き。
振り上げた一撃が、天地を両断する。
爆発する赤の煌めき。
まるで地震のような巨大な揺れ。
地下施設の天井が大きく裂けて、見上げて覗ける、わずかな星空。
直撃した
「こんなに、強かったんだ……」
元の姿に戻り、すぅすぅと寝息を上げる少年を抱えながら、虹崎さんがつぶやく。
……本当なら、この少年を終了するのが僕の任務なのだけど……。
「お前の任務は確か、『『結社』によって強化された超常性兵器の終了』だろう。この子はもう、そうじゃない」
彼が言った。……確かに、その通りだ。
ていうかなんで知ってるんだろう。いや、むしろ知ってて当然か。主人公だし。
「今日のところは撤退するけど……、でも、やっぱり、キミには……」
彼女は何かを言おうとして、言葉を呑むように首を振った。
「……ううん、今はいいや。また今度、じっくり話そう! それじゃ!」
そうして、去っていく。
残されたのは、僕と彼の二人きり。
もう少しで『軍』の部隊による後始末が来るだろうけど、今は静かだ。他には誰もいない。
どうしよう。何を言おう。一応今なら
だが、僕がそう逡巡している内に、彼がそろそろとどこかへ立ち去ろうとしているのが見えた。
「ま、待って!」
慌てて捕まえる。流石に、今回ばかりは僕の方が速かった。
「その、ありがとうございます! 今日も、この間も! 本当に感謝しててっ、お願いします、何かお礼を……!」
「ああ、いや……大丈夫だ。俺は何も、そんなつもりじゃ……。それに、敬語もいいんだ。俺は大した者じゃないし、年だって同年代だ」
「そ、そうで――そう、かな? じゃあ敬語はやめるけど、でも、お礼はさせて? そうだ、名前も聞かせてよ、今度一緒に会おう!? ぼ、僕に出来ることなら何でもするから、ね、ね!?」
彼の手を取って、胸元に寄せる。マスク越しだが、確かに彼が動揺する気配がした。
「ち、違う――いや、俺は本当に大したことはしてないんだ」
「そんなことない! 君がいなかったら僕なんてどうなってたか分からないし、こんなに頑張って助けてくれたのに、大したことないなんて、そんなこと――」
「――頑張ってたのは、お前の方だよ」
自然な手付きで、ぽん、と彼の掌が僕の頭の上に置かれた。
「あ、え?」
「俺はただ、頑張ってたお前の手伝いをしただけだ……いつもこんな風に戦ってるなんて、誰にだって出来ることじゃない。俺がいなかったらどうとか、そんなのは関係無い。……本当に、凄いよ。今なら、心の底からそう思う」
「え……」
じわ、と目尻に涙が滲んだ。
嬉しい。嬉しいのに、瞳が潤むのを止められない。なんだろう、これ。
ちゃんと対応しなきゃいけないのに、どうしていいか分からない。湧き出す感情が抑えきれなくなって、頭がぐちゃぐちゃになりそうになる。
「あ、あ、ぼ、僕、いや、その、えっと――」
そのまま、話は終わったとばかりに手を振って、帰っていこうとする彼。
感極まって、何を言っていいか分からなくなって、いつもの僕に戻りそうになった、その時だった。
「――っ、危ない!」
「!?」
彼に向かって飛んできた注射器を手で弾く。
軌道を逸し切れず、彼のスーツのポケットの辺りに掠って、裂けた。
かすり傷程度だが、わずかに血が舞い散って、僕の
「こいつ……いつまでも、しぶといッ!」
岩盤に埋まっていた
今度こそちゃんと拘束具を締めて、何も出来ないようにガッチリと固定する。
「っていうかこれ……ああもう、やっぱり……!」
居ない。今の隙に逃げてしまったようだ。
周囲を見渡し気配を探り、『軍』の探知機なども起動させたが、それでも存在は感知出来ない。
何を使ったのか知らないが、今の一瞬でかなり遠くまで移動されてしまったようだ。
はぁ、とため息をつく。
せめて、名前ぐらいは聞いておかなきゃいけなかったのに……。
「ん?」
そう思う僕の前で、ひらひらと何かの紙片が宙を舞っていた。
ぱし。掴み取る。
掌の中にあったのは一枚の……見覚えのある、付箋。
「え……
僕の字で『C案』と書かれた――昼に、ビラに貼って渡した付箋だった。