【完結】ロッシュリミット/TS転生してモブを主人公と勘違いする話。 作:潮井イタチ
薄暗い、牢獄だった。
超常性対処組織『軍』の、とある拠点地下に作られた尋問室――そこに、一人の男が繋がれている。
かつての底知れない不気味さは面影もない。二回りも老けたような覇気の無い顔を晒して、特殊な拘束具に強化された肉体を完全に抑え込まれている。
他の過激派は別室に捕らえられているか、情報を吐かせた後に記憶処理によって民間人に戻されている。が、彼だけは独房だ。
科学特化の『企業』、科学とオカルトの『軍』に対し、『結社』はオカルトに特化した組織である。その一派閥を束ねる首魁ともなれば、どんな神秘を隠し持っているか知れたものではない。厳重かつ特別な対処がなされるのも当然だった。
しかし、彼の絶望に沈んだ顔を見る限り、もはやその心配も不要に思えた。
その項垂れた様に再起の目はなく。
寒々しい牢獄の中でただ一人、無力に鎖へ繋がれるまま。
だが。
ギィ、と音を立て、その重い独房の扉が開かれる。
「……三分だ」
黒スーツを纏った、背の高い女性。
この施設の司令官が、自身の背後に立つ金髪の
「三分以内に話を切り上げろ、
「ふふ――そんなに不安にならなくても大丈夫ですよ、司令官さん。ええ、ただ
チッ、と、舌打ち。それ以上は話すのも嫌がるように、司令官が無言のまま、顎で彼女の入室を促す――そして、
物音に反応し、
そして、驚いたように目を見開き、唇を震わせ……
「な……何故……」
息せき切って
彼女のすぐ隣の、
「何故ですか、
『何故と言われてもねえ』
あるはずのない返事が、虚空から返った。
『僕の観測は完璧なだけで絶対ではない。そもそも予言をより良い形にしようとすれば、予言から外れるのは至極当然の話じゃあないか。今の君の状況は、より良い未来――ああ、君が、君らが『
「……ッ!!」
一人でに空気が震え、高いとも低いとも言えない虚数的な周波数が神父の耳を打つ。
饒舌かつざっくばらん。しかして無機質なその声は、『だが』と、その逆説の接続詞に、ほんのわずかな感情を滲ませた。
『確かに――奇妙ではある。確率的にあり得ることとは言え、明らかに、何者かが、君たちにとって望ましくない選択肢を選んで掴み取っている。君らニンゲンの使っている物理学、あれは良く出来てる。形而超学的カルツァ=クライン運命理論に基づいた高次元の観測がここまで逸れるというのは、
もしその声に人の姿があったのならば、眉根を寄せて考え込むような、そんな口調。
『僕とて何もしていなかったわけじゃない。微かな蝶の羽ばたきが台風にならないよう、逸れた運命は逐次修正していたはずだ。だが、
もはや
『あの瞬間に、世界にかかった負荷は尋常なものじゃなかった。時間の流れさえも止まりかけた』
『この神父の敗北だって、修正はした。そうだ、いつも通りに最悪の結末に収束するはずだった』
『だが突破された。運命は冗長化され、肥大化され、圧倒的かつ多大な物語によって突破された』
『変革しつつある物語の修正も、さしたる意味は持たずただ世界に負荷を与えるだけに終わった』
『負荷がかかるたび、時が淀んでいる。延びている。遅れている。これ以上の停滞は許されない』
『運命は巡らず、宇宙は進まず。時間という法則は失われ、最悪の場合、因果が一周しかねない』
もはや全くついていけずにただ聞くことしかできない神父をよそに、『早めなければならない』、と声は言う。
『だからこそ、『企業』を抜け出してきた。こうなったらもう、量より質を求めるしかないだろう。一年後に始まる『本来の物語』など、もはや待ってはいられない』
神父の頭に向けて自身の掌をかざし、按手の
『というわけで、悪いがラスボスは彼女ということにするよ。本来なら君にも四天王の最初の一人程度の格はあったが、生憎その物語はここで終わりだ。
光を遮り、自身の顔に影を落とすそれを前に、神父は声を震わせ言う。
「ま、待て……待ってくれ、
「ええ、まったく。あなたの名前を諳んじるだけで、あなたの偉業と偉勲が尽きることなく浮かんできます。前々から言っていた通り、
「ッ……!! ま、て……! ま、まだッ、まだ私には利用価値がある、そうだろう!? まだ私は『結社』に貢献出来る、世界のために寄与出来るッ! やめろ、違う、私はこんなところで薪に使われて良い人間などではッ――!!」
とん。
頭に手を置いて、
「かの者を贄に捧げます」
『承った。汝がかの者に捧ぐ甚大な愛を手数料とし、これより加工を開始する』
形容し難い音。
かつて人間であった人型のダイヤモンドを手に持って、
「いくらか縮んではしまいましたが……これなら価値は十分でしょう?」
「……そうだな。それほどのサイズのダイヤモンドは天然でも人工でも存在しない。これほど価値がある物品を対価とすれば、私の
牢獄の外へ。
医療棟に延々と連なるエージェント達の病室を見つめながら、司令官は唇を噛み締める。
「(……もう少しだ。必ず終わる、終わらせる……だから……)」
例え、この選択の果てに自身が破滅するとしても――
「(もう少しだけ耐えていてくれ、
――それでも、彼女らだけは救える未来に到れるはずだと、信じながら。
何も、深く考えることなんてないのだ。
そうだ。僕が、
僕なんかは早く、さっさと、今すぐにここから降りて、本当のヒロインである彼女らに、僕の代わりに……いいや、彼女らの代わりである僕の立場を返してしまえばいいだけのこと。
大体、何が「好き」、だ――気持ち悪い。
僕は元男だ。
いくら身体が少女のそれだからって、中身は男なのだ。
それも、前世では既に成人、精神年齢で考えれば三十代後半。
信じられない、あり得ない。本当にどうかしている。
こんなのはただの気の迷いだ。きっと、思春期の女子の肉体から分泌される女性ホルモンが、一時的に脳に影響しているだけに過ぎないのだ。
冷静になって考えてみればいい。
いくら主人公だからって、なんだって僕が男なんかを好きにならなければならないのだ。理由が無い。付き合うなら、虹崎さんや
大体
顔は整ってるけど、薄い顔だからそう思えるだけで、単純な容姿ならいくらでも上がいる。
立ち居振る舞いにも覇気が無くて、主人公だなんて信じられないほどに自信なさげ。
コミュニケーションだってそんなに得意そうじゃない。口調はぶっきらぼうで、でもそれは言葉を選んでどうにか捻り出した結果として言葉数が少なくなる面があって――違う、そうじゃなくて。
性格も、性格だって……。
ただ、優しいぐらいしか褒めるところなんてなくて……。
…………。
だから、とにかく。
早く、言うのだ。
僕は君の正体を知っていると。
その力で、僕の命の恩人を助けて欲しいと。
そして、どうか、僕なんかじゃなくて、彼女と共に助け合って、幸せになって欲しい、と……。
学校で、
僕は、彼と向き合って、それを言おうとしている。
「…………」
早く。
「……
言え。
「あの、さ……。…………」
なのに、僕の唇は、動かなくて。
「……あー、こないだ、やっぱり俺、なんかやらかしてたか……? 言い訳するつもりじゃないんだが、本当に全然――」
……落ち込んだ様子の彼へ、まず弁明しようとしてしか、息を吸えない。
「……その、違うよ。
「そうか……? それなら良いんだけど、濡れて風邪とか……」
だから……やめて欲しい。
そんな風に、こっちに気を遣わないで欲しい。
大丈夫。大丈夫だ、大丈夫――。
好きでもいい。何度も助けてくれたんだ。好意を抱いて当然だ。
だけど、それは男女とか、恋とか愛だとかの好意じゃない。友達としての好意だ。
だから大丈夫。
例え彼が
……友達でなら、ずっと……。
曖昧な思考で、とりとめのない生返事を返しながら、ぼんやりと、僕は言う。
「あの……僕たち、ずっと、友達だよね?」
「は? そりゃ、当、ぜ――」
そこまで言って、彼は押し黙る。
一瞬の不安。しかし、僕が思い悩むよりは早く、彼は口を開く。
「――いや、やっぱ、そうだな。……放課後、時間あるか?」
「え、うん――」
「じゃあ……後で、校舎裏来てくれ。……言わなきゃいけないことがあるから」
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。
言わなきゃいけないこと。言わなきゃいけないことってなんだろう。
わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。だけどきっと。わからない。わからない。もしかしたら。わからない。わからない。わからない。――わかりたくない。
わかりたくないから。
そんなんじゃないはずだから。
僕は彼の後ろを、誰にも気づかれないように、静かについていって。
虹崎さんと彼の会話を、盗み聞いた。
「え、そうなんだ! じゃあ、今日、
違う。
違う、違う、違う!!
走る。鞄も持ち帰らずに、午後の授業を放り出して学校の外、帰り道をひた走る。
一人暮らしの安アパートに駆け込む。フローリングの床に倒れ込む。
高鳴る胸に手を当てた。
それは、疾走の後の心拍数なんかじゃないのが分かりきっていて――そんなんじゃない!
今月分の薬を全て飲んで、目を瞑った。
ここまで全部、夢だったらしい。
僕は目を覚ました。
見慣れない天井だ。いいや、見慣れた天井だ。
机の上には、包帯も薬も置かれていない。部屋の収納には野暮ったい男物の服が吊られている。
床にゲーム機があって、その隣に、例のシリーズのパッケージが転がっていた。
……夢だ。
そうだ、夢だ。
あんなのは夢に決まってる。
酷い悪夢だった、本当に。
早く起きて一日を始めよう。
無味乾燥な人生だとばかり思っていたけれど、今なら何でも出来る気がする。
思い返せる限りの悩み、後悔、葛藤、将来の不安。
どれも取るに足らない瑣末事に思えて仕方がない。
だからさっさと布団から出よう。
カーテンを開けて、顔を洗って、出かける用意をしよう。
全部夢だ。夢だったんだ。
僕は何も悪いことなんてしていなかったんだ。
もう何もかも忘れてしまっても、大丈夫なんだ。
だから、布団から出ても、いいんだ。
鏡に映る僕の顔は、どこにでもいる、ありふれた、だけど何と戦うこともない、世界の命運なんて背負うはずのない、ヒーローやヒロインなんて見合うはずのない、普通の、普通の、普通の、普通の青年の顔で――
布団を跳ね除けて起き上がる。
水面から顔を出すように、息を切らして鏡を覗く。
――ごく当たり前に、ピンク髪の美少女が、光の無い眼で立っていた。
僕は安心する。
「あ、あ、ぁ、あ……!」
自分の全身を余すところなく触れて、自分が、彼の好きな女の子の身体であることに安堵して……。
「嫌だ、嫌だ、やだ……やだぁ……!」
破裂しそうなほどの嬉しさに、僕は絶望して、震えていた。