【完結】ロッシュリミット/TS転生してモブを主人公と勘違いする話。 作:潮井イタチ
好き。
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き――大好き。
何千層のオブラートで覆い隠しても、突き破って溢れる想い。
取られたくない。絶対に、絶対に取られたくない。
だって彼は僕を最初に好きになってくれたのだ。他の誰かから奪ったんじゃない。卑怯なことなんて何もしていない。
なんだって僕が彼のことを譲らなければならない。
彼に相応しいヒロインだとか、本編通りにしないと世界が滅ぶだとか、もうどうだっていい。『物語』になんてもう配慮してやらない。
だいたい、たかだが十五歳の男子高校生に世界を救わせるなんて時点で土台間違っているのだ。
選ばれし者の宿命だとか、意思を託された人間としての使命だとか、大いなる力には大いなる責任が伴うだとか、そんなのは知ったこっちゃない。
逃げよう。逃げればいい。放っておいたってもしかしたら世界は勝手にどうにかなるかもしれないじゃないか。
どこか遠い、人里離れた島で、世界が滅んでも簡単には壊れないようなシェルターを誂えて、最後の日まで、完全に日の尽きるカウントオーバーまで、ゆっくり静かに過ごしたって誰にも文句は言わせない。
知ったことじゃない。
平和に生きる人々なんて知らない。顔も見たことないような相手のためになんで戦わなければならない。
世界を守りたい人々なんて知らない。僕らを巻き込まずに、自分の力だけで勝手に立派に頑張っていればいい。
彼を取ろうとする虹崎雨色のことなんて知らない。何もしなくたって幸せになるような人に、僕から奪う権利なんてない。
今も病院で寝たきりになっている、星住
「――っ!!」
ガン、ガン、ガン、と、カッターナイフを自分の手首に叩きつける。何度も。切り落とすような勢いで。
痛みに中断される思考。分泌されるエンドルフィン。鈍麻する脳。血が噴き出す。流血する。本当に瀉血したいのは罪悪感だ。こんな出血量が何の罪滅ぼしになるものか。
痛い、痛い、痛い。でも、常人より遥かに頑丈な体が、目で見てわかる速度で傷を治癒していく。けど、治癒速度が高いだけで治癒機能そのものが他と変わるわけじゃない。ここしばらくで何度も何度も切った結果のケロイド状。気味が悪い。気味が悪い。こんなの彼に嫌われる。そんなの嫌だ。イヤなのに、そうなってしまえばいいとも思っている。
いっその事、彼が主人公じゃなければいいと思った。そしたら何の憂いもなく彼と幸せになれる――馬鹿な。馬鹿が。
ああ、必死に好意に蓋をしていたのは、罪悪感を刺激されたくなかったからだと今になって自覚する。
仕方なくやってることだ、必要だからやってることだ、本当は嫌だけどどうしようもなくやってることだ。
そんな風に言い訳をしないと、きっと後ろめたさで息が出来なくなってしまうから。
楽になりたい。早く楽になりたい。早く
嫌だ。こんな自分が嫌だ。もっと綺麗な僕でいたかった。もっと素晴らしい僕で出会いたかった。
もっと強くて、賢くて。
ずっと優しくて、善良で。
可愛くて、愛嬌にあふれて。
皆に好かれて、頼りにされて。
困難に挫折しないで、苦難を乗り越えて。
迷いなく善行を為せて、間違いなんて一つも為さない。
そんな理想の僕じゃないと、ヒロインじゃないとダメなのに。
だからこんな、こんな僕じゃ。
元男で、本物の女の子ですらない、こんな僕じゃ――
「――っあ、」
あの夢を想起する。脳内に浮かぶ、朧気な前世の自分の顔、姿。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌。
呼吸が止まる。息が吸えない。喘いで、喉に手を当てて、酸欠に眩みながら鏡を覗く。
鏡面に映っているのは涙目の女の子だ。
目を腫らした、それでも愛らしい、長いピンク髪の。
僕は安心する。してしまう。中身は何も変わっていないのに。女の子のガワで彼を騙しているだけなのに。これからも彼を騙せることなんかに安堵なんてしちゃいけないのに。
もういい。全部忘れてしまいたい。前世の記憶なんて全て忘れてしまいたい。携帯用記憶処理装置を手に取り、私的使用を禁止するためのロックがかかっていることを思い出し、安全装置をぶち壊す。そこまでやって不意にバカバカしくなって投げ捨てた。
うずくまる。夢を見るのが怖くて、目を瞑れない。
あれは幸福な夢だったはずなのに。あの夢を見ている間は自分の罪と失敗を忘れていられるはずだったのに。今はもう、悪夢でしかなくなっている。
もういい。あの世界になんてもう帰りたくない。
あんな、僕のことを誰もかけがえがないと思ってくれない世界なんて。
あの世界。前世。前世では生まれつき病気がちだった。体が弱くて、色んな人に迷惑をかけてきた。
子供の頃はなるべく手がかからないように頑張った。父さんが家族を捨てて、母さんが一人で頑張っていたから。自分のことは自分でやって、心配を跳ね除けて、愛情を遠慮して、思いやりが不要なように見せた。結果、母さんの心は離れていった。新しく出来た父親と一緒に、その間にできた妹のことばかり見るようになった。あの家の中で、僕は医療費を食うインテリアだった。
友達が欲しかった。家族よりも深い絆の。そんなものは築けなかった。病気がちで入院しがちで留年生。そんな僕は、思いやれば教師の覚えがよくなる内申点の稼ぎ所に過ぎなかった。そんなものを、コミュニケーションに不慣れな僕は友情だと思った。
大学に進学してから付き合いはどんどん希薄になっていって、繋ぎ止めようと必死になった。色んなことを手伝った。雑用を全部任せてもらった。お金を貸した。愛想笑いが帰ってきて嬉しかった。数合わせに連れて行ってもらって楽しかった。そういう風に思い込もうと頑張った。
大学を卒業する前に病気になった。誰もお見舞いに来なかった。
震える手で遺書を書いて、死ぬ前にどうしても誰かに会いたくて、寂しくて、病院の先生に友達を呼んでもらうように頼んだ。
ICUの外。適当な普段着で集まってきた友人達が、久しぶりじゃんこれ終わったらどっか遊び行こうぜとか言って、げらげら笑っている。聞こえる。そして、しばらくして病室に入ってきて、神妙な顔でこちらを覗き込んで心配してくる。やめてくれ。ふざけるな。人工呼吸器に阻まれて声は出ない。
そして、死んだ。
泣いたフリの顔たちに囲まれながら、僕は死んだ。
僕は大切にしまった一枚の紙片を取り出す。
ほとんど悪ふざけみたいに撮ったプリクラ画像。二人とも明らかにぎこちなく緊張していて、でも楽しそうに笑いあっていて。僕が自動音声の指示を真に受けて彼に抱きついてしまった写真では、彼が照れて真っ赤になっていて。
そこに写る僕は当然可愛い女の子だ。だから彼が照れている。それが嬉しい。彼を喜ばせられるのが嬉しい。もっと喜ばせたい。もっともっと、なんでもしてあげたい。君に可愛いって、守りたいって、大切な友達だって思ってほしい。
「とも、だち……」
友達。友達。本当に大切な、僕のことを本当に大切に思ってくれる、僕の本当の友達。
ああ、でも。もうとっくにそんな関係じゃ気持ちが溢れてしまうことぐらいわかっている。
頭を撫でて貰いたい。頑張ったねって褒めて欲しい。一緒にゲームして遊びたい。二人で旅行にいってみたい。可愛い服を着て、可愛いって褒められたい。抱き締められたい。キスもしたい。まだ少し拒否感が残っているけれど、それでも。
もし嫌な気持ちが嬉しさで塗りつぶされたなら、それはとても幸福だと思うから。
えっちなことだってしてみたいし、してあげたい。僕の男の部分がとても嫌がっているけれど、それをねじ伏せて女の子に、彼の女の子に変えられちゃうのは、きっとものすごく幸せだ。彼の手で僕の男の部分を殺されたい。女の子になりたい。愛されたい。愛されたい愛されたい愛されたい愛されたい。
服の内側に手を入れる。自分を慰めるのは苦手だった。なんだかみじめな気分になってしまうし。それに、どうしても自分の体が男を相手にするために出来ているって思えてしまって。
暗い部屋の中、うずくまって声を抑える。脳を掻き乱す快感と、蕩けるような背徳。今は純粋に気持ちいい。出来るなら優しくされたいけれど、僕は頑丈だし、痛いのには慣れてるから乱暴にされても大丈夫。そんなことを考えてから、気味の悪い妄想に吐きそうになる。
ほんの少し凪いだ思考で考えるのは、あの修道女――
ゲームでは影の薄いキャラだった。善行のつもりで悪事を為す悪人。ラスボスを復活させようと企む危険度Aの脅威存在、
……倒そうと思えば倒せる、と思う。一対一なら。虹崎さんの話じゃ
だが倒したところで意味は無い。理由は先ほど述べた通りだ。倒しに行こうと思って会いに行ける相手でもなし……ああ、でも、あの女を倒せば
あのゲームにおける鬱要素の一角を担っていて、飢えた子供に母親を食料に変換しないかと提案したり、戦いで死に瀕した兵士に戦友を破壊兵器に変換しないかと持ちかけたり。そうやって人間を壊して自分の手駒に変えていく、文字通りの模範的な悪魔。
少しでもアレを損なうことができるなら、やる意味はあるかもしれない。
だけど、司令官が
そんな風に、僕はぼうっと、益体のないことを考え続ける。気を逸らす。
「…………」
……こんなことしてる場合じゃ、ないのに。
彼と放課後に待ち合わせだってしてたのに――ああ、でも、窓の外。とっくに日が沈んで真っ暗だ。もう彼も待ってなんかいないだろう。
また勝手に帰って、約束をすっぽかして……嫌われたかもしれない。嫌われた方がいい。嫌われたくない。また、頭の中がグズグズになる。何かをしないと。そんな焦燥だけが募っていく。
……まだ、『本編』が始まるまでには時間がある。
もう少しだけ、待ってくれたっていいはずだ。
諦めるための時間をもらっても、いいはずだ。
幸せになりたいなんて思わないから。
主人公に好かれたいなんて贅沢なこと言わないから。
こんな気味の悪い人間が彼に愛されていいわけがないから。
本当なら救われるはずだったたくさんのものを取りこぼしてきた僕に、そんな資格が無いことぐらいわかっているから。
諦めるから。
諦めるから。
諦めるから。
必ず、諦めるから。
もう少しだけ。
もう、少しだけ。
この心地良さを、もう少しだけ、味わわせて欲しい。
彼に想い焦がれていて、彼に恋い慕われている、いじらしくて愛らしい、
だから――
「っ、」
――突如として、『軍』の通信機が鳴った。
条件反射的に手に取り、応答する。体に染み付いた動きで準備をして、『軍』の拠点へと赴く。
夜風が冷たい。頭が冷える。
街並みは静かだ。遠景の繁華街が煌めいている。
何度も守ってきた地方都市。幾度も取りこぼしてきた街の人々。
今この瞬間も、この世界のこの街では、どこかで誰かが傷んでいる。
僕には、どうにかする責任がある。
どうにか出来る力がある。
……ずっと、かけがえのない人間になりたかった。
世界を救えるたった一人の勇者なんかじゃなくていい。
ただ、信じられる誰かに、大切に思って欲しかった。心の底から死んで欲しくないって思われたかった。特別な、他の何とも引き換えに出来ない、交換可能性の存在しない人間になってみたかった。
だから物語に、主役たちに関わりたかった。普通の人間なんて信用できなかった。フィクションに登場するような理想の人々なら、僕をそんな風に想ってくれると思った。
きっと、彼はそう想ってくれる――主人公だから。僕が彼の好意を跳ね除けたって、ずっとかけがえのない友達だって想ってくれる。虹崎さんだってそうだろう。顔の無いモブキャラとは、統計上の数字とは、僕はもう違うはずだ。その思い入れは他の大事なものより軽くても、誰かにとってかけがえのない人間にはなれたはずだ。
なら僕はそれでいい。それでいいはずだ。欲しかったものは、本当に欲しかったものはもう手に入れた。
「――――」
夜道を、部活帰りの高校生カップルとすれ違う。
どこにでもいそうな男女。本当に恋心があるかどうかの保証なんてない。すぐに別れて別の人間と付き合ったって何もおかしくない。
普通の、一般的な、ドラマチックな物語になんてなりそうもない恋人たち。
あんなのは要らない。
あんなのは求めてない。
「――――」
なのに、僕の脳内に描かれるこの幻視は何なのか。
頭が痛い。子供の頃の僕と
世界の命運になんて全く関わりのない、明日にはどっちかが引っ越して離れ離れになって、数年後にはああ、そういえばそんなヤツも居たな、なんて関係性になっていても何も不思議じゃないどこにでもいる二人の子供。
違う。この
それなのに、そうだったらいいと思った。
彼がどこにでもいる、僕と幼馴染みの男の子でもいいと思った。
主役たちと何の関わりもないまま、どうでもいい僕が特別じゃない彼と一緒に過ごしていく人生が、欲しいと思った。
「……
気づけば、いつの間にか『軍』の拠点に辿り着いていた。
「おい、どうした? 顔色が――」
「何でも、無いです」
僕の顔を覗き込んでくる司令官に言い放つ。どうせ、彼女に言ったって解決するような話じゃない。いいや、そもそも答えの決まっている問いに、模範解答の分かりきっている問題に、僕が回答するのを先延ばしにしているだけなのだ。
それに、どうせ……どうせ僕を、僕らを裏切る人間が、いいや、既に裏切って敵と内通しているような人間が、そんな心配してくるような素振りを見せないで欲しい。
司令官がわずかに目を逸らし、微かに舌打ちをしてから、僕の方へ向き直った。
「……そうか。では、本題に入ろう」
言って、資料を差し出してくる。
分厚い紙束。司令官がこんな風に物理媒体で資料を手渡してくることは今までなかった。
受け取ったそれは、初めて見るはずなのに、どこか見覚えのある表紙。
「落ち着いて聞いてくれ――私は、『軍』外部の組織、『結社』の過激派、その一員と秘密裏に取引をしている」
「…………」
「お前もショッピングモールで会っただろう。あの修道女、
「…………」
「これは任務ではなく、密命だ。エージェントの中で最も信頼できるお前にのみ明かしている」
「…………」
「これから一ヶ月ほど、この街を離れ、別の拠点支部に所属しろ。
「…………」
言う、のか。僕に。
手元の資料。めくる気もしないそれに視線を下ろす。中に書かれていることを既に知っているそれを。
この街の全ての超常性を善悪問わず終了し。
超常性を持つ人間を善悪問わず皆殺しにし。
それを阻止しようとする『企業』を滅ぼす、計画書を。
「……断るのならば、それでもいい。元からお前だけは助けるつもりだった。仮にお前が本部にこのことを通達しようとしても、私の権限ならば握り潰せる」
「そう、ですか」
どうやら、彼女はこの時期から既にこの計画に向けて活動を開始するらしい。知らなかったな。
僕は、資料を司令官に突き返す。
「話って、それだけですか?」
「……、そうだ」
そうですか、と僕は言う。
「なら、お断りします」
「……そうか」
「今日はもう、帰ります」
「……ああ」
司令官に背を向けて、『軍』の拠点を立ち去った。
「…………」
分かってる。
こんなの駄目だって分かってる。
ちゃんと彼女を説得したり、計画を止めたりしなきゃ駄目だって分かってる。
話の流れとして、普通に考えて、そうすべきだって僕はちゃんと分かっている。
こんなのはおかしい。こんな話を聞かされて、こんな風に放っておくなんて、物語だったらあり得ない。
「…………」
でも僕にはそんなの、出来ない。
出来る気が、しない……。
そういうの、上手くやろうとして、ずっと失敗してきた僕には。
でも、もう少しだけ。
それでも、もう少しだけしたら、主人公を連れてくるから。
彼に全部解決してもらうから。助けてもらうから。まだ『本編』は始まらないから。
まだ時間の猶予は、あるはずだから……。
もう、少しだけ……。
ただ一人、司令官は部屋の中心で立ち尽くす。
「…………」
この街の全ての脅威存在と超常性保持者を
……思えば、昔の自分はこうではなかったはずだ。
あらゆる超常性は悪だった。彼女と、彼女の愛する人々の人生は、超常性によって無惨に残酷に醜悪に踏み躙られ、奪い取られ、貶められてきた。
全て同じように踏み躙ってやりたかった。そんなものを守ろうとする『企業』もまた。
この『軍』の中で、彼女のそんな思想に異を唱える人間などいなかった。
だけど。
彼女は、彼女が思うより人間味があった。
復讐より先に、大人であることが勝ってしまった。
「…………」
……計画は、一人でも進めるつもりだった。
だから、結果がどうあろうが迷うことなどなかったはずだった。
それでも、あんな反応が返ってくるとは思っていなかった。
「…………」
悩んだ。
本当に、この力を使っていいのかと、迷った。
そして――
「――では、そろそろ
「
彼女の背後から、声があった。
金髪の修道女。否、黒いベールを被っているからそのような印象を抱くだけで、着ているのはトラッド感のある黒のジャケットと、スリットの入った丈の長いトレンチスカート。
まるでそこだけ地球の重力が働いていないかのような、浮遊感を感じさせる地に足のつかない立ちふるまい。見る者を不安にさせる態度。
悩む。迷う。苦悩を噛みしめる。
そして、司令官は問いかける。
「……その前に、答えろ。答えてくれ、
『
虚空から、声が響いた。
『しかし分からないな、どこでブレた? 彼女は「
「な――」
一瞬、呆然とする司令官に、修道女が平然と、畳み掛けるように言う。
「いえいえ、騙すと言っても悪気があってのことではないのですよ? ただ、
「っ、
「
修道女の掲げた両手の間で、迸る核熱の爆轟。
チェレンコフ光の青ざめた輝きが世界を灼く。
何もかもが消し飛んだ『軍』拠点跡地で、修道女と悪魔は宣言する。
『残り時間も後少ないからね。悪いが巻いて行こう』
猶予は無い。
たった今この瞬間から、全ての終わりは始まった。