『―――――は?』
重く、小さな声と甲高い音が響いて、カルデア管制室は混乱困惑の渦中から静寂に急転した。
その原因はコンクリートかリノリウムか、一人の女性の傍にあった壁が当人の拳によって叩き砕かれたからに他ならず、彼女の膂力は一般的な人のそれを凌駕している事実の証明である。
―――乱心。 カルデアスタッフの多くはそう思った。
『オルガ、気を確かに。立香とマシュもだ』
対してあらん限りの理性で以って、いや努めて冷静にダ・ヴィンチは口を開き始めた。
画面に映るカルデアマスター・藤丸兄妹その片割れの死は、掛け値なしに万能サーヴァントの感情の針をも振り切らせて粉々にさせるに余りあるものだが、それすら凌駕している者達に対して言葉を発せられるのは、この場に自分しかいないからである。
しかしそんな万能も、勘違いはする。
『立香』
「はい」
『周囲を警戒なさい。恐らく――来るわよ』
ある感情に支配されている者達が言い、そして答える。見誤っていたダ・ヴィンチが死人から声を掛けられたように再度モニターを凝視する。
兄が、ぐだおが、大切な人の形をしたモノが眼の前で死んだ事により、二人が包まれている強すぎる一つの感情。その正体は悲しみではなく、憤怒であった。
「――勿論」
応答、五指を伸ばして。ついに立香は振り返った。
「おや? バレちゃった?いい遊びだと思ったんだが。楽しんで頂けなかったかな?」
―――すっぽりフードを被った、全身黒づくめの誰か。
そこには男とも女とも判らない声と、そして力を込めてもいないし抜いてもいない体が。まるで柳のように、その者は二本足で立っていた。
「テーマは悲嘆。加えて題するなら、兄よさらば!互いを裂く運命の死!ってね。アッハハハハ!!!アッハハハハハハハ!!Ooh!Majestic!! だろ?笑っていいぜ?」
ガンドを撃つ。立香が着ている単独潜入型魔術礼装、その機能。今までの経験上百発百中のそれはしかし、明後日の方向へと逸れた。
なので立香は拳を握り締め、現れた敵に対して真半身の姿勢を取る事にした。
―――コイツは敵だと。明確な殺意でもって。
「本物の兄さんを何処にやった。英霊城兵」
「おいおいおいおい、知らねえのか?こういうタネも仕掛けもあるのが見て取れた時ってのは普通笑う所なんだぜ?最高のクソ手品をどうもありがとうございますってさあ!!!」
笑い転げる、顔の見えない誰か。
こちらを侮り馬鹿にし見下し、そして何よりそんな自分が最高だと嗤い続けて。
………心底気持ち悪いと。立香は思った。
「ああ、ハハ!そうそう。ハハ!後学の為に教えてくんねえかなあ? 何で判った?エリザ粒子を使った完璧な泥人形だったんだが」
その者がそう言うと、立香の兄の姿をした死体が泥に変わり、ぐだぐだと音を立てて崩れて消えた。
同時に確信する。あの兄が簡単にくたばる訳ないのだと。更に加えて、コイツは殺すつもり等なく只馬鹿にしたいだけなのだと。
「私が兄さんを間違えるわけない。家族だもの」
「―――へぇ? なるほど?それはそちらさんもご同様かな?」
その者は知覚しているようにカルデアを。その所長である憤怒のオルガマリーに目をやった。
『私は違うけど、ぐだおが死ねば私も死ぬようになってる。だから分かった。以上』
「マジ?何だその設定流行らねーだろ。 ていうか重くね?ご都合主義じゃねえ??ああいやいや今更そんな事よりも気の毒すぎるほど仲睦まじい間柄で、とても真顔でなんざ聞いていらんねえよ!!!!!アッハハハハハハハ!!!!!」
「………」
――爆笑を見詰め続ける。我慢という名の憤怒を足に溜めて、立香は敵の隙を伺う。
ちなみに刑部姫はオロオロしてて、それを敵は視界に入れていないようだった。無関心、つまり無視とも言える。
「もう一度だけ聞く。本物の兄さんは、何処」
「アぁ~面白え。その藤丸ぐだおとかいう、巫山戯た名前の愛しの彼だか兄はこの上、ピラミッドエリアにいるぜ?――会いたいだろうなあ。なぁ会いたいよなあ??五体満足で。なあ!!!」
「―――」
我慢を止めた立香は勢いよく左足を前に踏み込んだ。いや、踏み沈めて背中を向けた。
すると自動車が急ブレーキするように一瞬彼女の身体が慣性に則って前方、つまりフードの敵に向かって進み、その運動力を殺す事なく立香は自身の敵に体当たりをぶちかました。
――兄を攫い、偽物まで用意して嘲笑い侮辱したコイツは害敵である。生かしてはおけない。
「あ? 何だそりゃ?」
「…!」
しかし驚愕が立香を支配する。それは如何なる原理だろう、敵の衣服に背中が触れたまま、彼女はビタリと動く事が出来なくなっていた。
意識下の不動は金縛りにも似て、自分は最初から敵の思う壺であったという思考のみが立香に許された今の自由だった。
つまり。
とある八極門の老師から教わり続けている彼女の今の功夫は、通用どころかまるで相手にすらされていなかったのだ。
「靠撃だったか?師は良いかもだが、基礎がまだ貧弱だなあ、オイ。『練り』が足んねえよ。足んねえものを敵にぶつけんなよ効くわけねえだろ」
未熟者。
そう言って、無防備に只突っ立ってるだけのその者は何事もなかったかのように踵を返した。つまらない路傍の小石を眺めるように、自然に。
「お前の兄の居所をオレは知っている。だがオレはそれ以上情報なんて明かさないし、オレは何処何処の誰誰だとお前に言うつもりもない。
何故なら?興味がないからだ」
「―――それは。お前に興味を持たせればいいって事?」
するとまたも嗤って。フードの敵は歩き出した。
「このチェイテエリアを突破してピラミッドに来てみせれば、オレの眼の中に少しは収めてやってもいいぜ?ハハ―――ああ、そうそうテメエらの事はよお、同僚達に言わないでおくから安心しな? だってお前ら全員アウトオブ眼中だからさあ?アッハハハハハハハ!!!!」
「分かった。首洗って待ってろ。
―――そしてまた。偽者でも何でもまた兄さんに手を出したら、絶対に許さない」
「アッハハハハ!アッハハハハハハハハハ!!!アッッハハハハハハハハ!!!!!」
ひどく面白いものを見たように。その者は大笑してその場を去っていく。
出口を開け、最早こちらを見向きもしないその背中が後ろ手にドアを閉めるのを見て、立香は全速力ダッシュで追いかけようとこの手でドアノブをひねって開けた。
「……え」
『――はい?』
彼女を含めたカルデアの面々が呆気にとられる。
…先程までの怒りは何処へやら。何故ならそこはビーチ(砂浜)であり、室内の筈なのに存在する太陽の熱気と潮風と水が、彼女達を熱烈に歓迎していたのだった。
第二回ウォーターブリッツ世界大会。
地獄の只中で笑う鬼の手を逃れたカルデア一行を待ち受けていたのは、また、地獄だった。
息を詰め、足元の砂を見詰め、行き交う水の銃弾の中を進むしかない藤丸さん家の立香ちゃん。
遠く弾ける引き金とスプラッシュが、奪還という名の信念が、不乱にこの特異点のゴールへの道を急かせる。
次回『Guns&Reloads』
言うなれば運命共同体。次回も、一切豪遊と付き合ってもらう。