【完結】それでも死にたくないな、と貴方は笑って言ったのだ。 作:しゅないだー
十八の歳にお前は贄になるんだよ。
貴い御方の血肉となって、次の百年まで芥屋を栄えさせるんだ。
物心付いた時からずっとそう言われ続けていたからだろうか、さして抵抗感はなかった。"贄"とは何を指すのか理解できるようになっても、まあそれで良いだろうと思っていた。自分一人の命程度で一族がまた百年安泰ならば、それは釣り合いが取れているのを通り越して儲けものだろう。
ただ。
「えっと、あの……頭を上げてもらっても……? っていうか誰!? ここどこ!?」
ただ、その相手がこんな華奢な少女だとは聞いていなかった。
色素が薄いのか雪を思わせるような透き通るような肌に、少し乱れた白髪は絹糸を思わせた。不安げに辺りを見回す様は、どう理屈を付けても歳相応の女の子にしか見えない。
これが本当に、昔から言い聞かせられていた自分を喰らう祟り神なのだろうか。というか、それよりも。
この胸の高鳴りは何なのだろうか。顔がやけに熱く感じるのはどうしてだろうか。
喰われる覚悟はとうの昔に決めていた筈だ。なら、何故さっき自分は一瞬
何一つ分からないまま、腕の中の彼女をそっと抱き直す。そうしていなければ、何だかこの手から滑り落ちてしまうような気がして。
それが恋だと気付いた時には、もう手遅れだったのだけれど。
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自分について一言で説明するならば、一般的な男子高校生と言う他ない。
彼女は生まれてこの方いた試しがないが、友人は多少いる。数学は割と得意だが英語は壊滅的で、模試では下から数えた方が早い。
強いて変わった所を挙げるならば、生まれ育った家が少々特殊であるという事くらいだ。
それは年明けから程なくしてのある日の事だった。冬休み中の補習に友人と参加した帰り、途中で何か食べて帰ろうかと話していた時。
ポケットの中で鳴った通知音に少し顔を顰めながらもスマホを取り出し、画面を眺める。それが"仕事"についての連絡だと理解すると、すぐに電源を落とし自転車のペダルに足を掛けた。
「悪い
「またかよ、そんなクソみたいな臨時シフト入れるバイト辞めちまえよ。じゃあこの後一緒にパチ打ちに行く約束は?」
「していない。高校生らしく大人しく家で勉学にでも励んでいろ」
膨れる友人に今度埋め合わせの約束をして指定された現場へ、夜の始まりを告げるチャイムに急かされる様に自転車で急ぐ。
到着した時には既に辺りに止まったパトカーのサイレンが喧しく鳴り響いていた。自転車を適当に停めて野次馬の間をすり抜ける。
『
「何やってんだ君! 早く出ていき……」
唾を撒き散らしながら捲し立てる警官の肩に、ぽんと皺の刻まれた手が置かれる。初老に差し掛かろうかというコートの男が彼に二言三言話すと、幽霊でも見たかのような顔をこちらに向けて警官は去っていった。
「ああ、半年ぶりくらいか? 新年早々悪いな
「お久しぶりです、
金本という名の刑事は「相変わらず可愛げないな」と呟きながら歩き始める。最近禁煙を始めた、と語る彼の指は物欲しそうに擦り合わされていた。
「『女が暴れてる』って通報が入ってな。署の若いのが何人かで行ったらしいがすぐに応援要請だよ」
そんな話を聞きながら、腹を布で押さえて呻いている警官の横を通り過ぎる。じわりと溢れ出している血はその傷の深さを物語っており、顔の裂傷はまるで何かに喰い千切られたかのようだった。
「大の大人が数人がかりで押さえ込んでもどこ吹く風、挙げ句の果てに素手で腹を裂かれた奴までいる。あれはお前らの管轄だろ?」
まだ少し遠くではあるが、漂ってくる禍々しい雰囲気に立ち止まる。特有の獣臭さとさっき聞いた特徴から、
「狐憑きですね。あの人も運が悪いな、相性が良い。これほど定着しているのは中々お目にかかれませんよ」
そう自分が指差した先には恐らく喰い千切ったのであろう、まだ血の滴る猫の首に嚙り付く女性の姿があった。その顔は醜悪に歪み、此方の声が届いている様子もない。端的に言って正気を失っている。
「分からねえよ、とにかくだな……どうにかできそうか?」
「あれぐらいならまだ外せます。一応聞いておかなければいけないんですが『
「いいや、俺は『
「有難いですけど、おじさんに口説かれてもぞっとしませんね」
軽口を叩きながら学ランの第一ボタンを留め、ゆっくりと女の方へ歩き出す。此方に向かって威嚇するように歯を剥き出しにする姿は、もはや人よりも獣に近付いていた。
円を描くように、左の掌を指で軽く撫でる。
「──
そう唱えた瞬間、撫ぜた部分が
ゆっくりと足を進める。それと同じだけ相手が後退する。
後ろが袋小路である事を理解したのか、自棄になったかのように手近にあった物を女は蹴り飛ばす。人の膂力では有り得ない速度で飛んでくる異物を、何とか右手で捌き切りながらひたすらにただ前へ。
だが、ポストが
効果は無いと悟ったのか四つん這いになり唸り声を上げる女に対して、半身に構える。涎が滴り落ちる口から覗くのはもはや歯というよりも牙だった。
時間にして数秒程だろうか。痺れを切らした相手が、爪を振り乱し飛び掛かって来る。当たれば深手は免れないが、如何せん獣の動きだ。
単調が過ぎる。
一撃を躱しざまに、掌底を女の腹部に叩き込んだ。泥を叩くような嫌な感触が手に伝わる。
一瞬の沈黙の後、鼓膜が割れるのではないかと思う程の金属音にも似た断末魔が辺りに響くと女は勢い良く嘔吐し始めた。
まるで憑き物が落ちたように、その表情から毒気が抜けていく。倒れ伏した彼女を警官に任せ、その場にしゃがみ込む。
目を凝らせば吐瀉物の中に一匹、異様な気配を放つ細長く黒い
狐憑きの正体であるそれを摘むと、一思いに握り潰す。溝をさらったような生臭さが辺りに漂う中、金本さんの方へ向き直る。
「終わりました。四ツ足の類は特に身体に負担がかかるので、なるべく早く病院に連れて行くのをお勧めします」
一通り伝達事項を述べると、家に連絡を入れる。この後は今回の目撃者に対する事後処理部隊が来る手筈になっていた。彼らに引き継ぎを済ませれば、晴れて本日の仕事は終了という訳だ。
緊張で筋張っていた身体を伸ばしていると、金本さんに何かを差し出された。目を向ければ少し縒れた一万円札が風に靡いている。
「報酬は上の方でやり取りされている筈ですが」
「受験生っつったら何かと物入りだろ。小遣いだよ」
「自分は大学には行きません、家業を継ぎますので。ですから気を使って頂かなくても結構です」
「……頭は悪くないのにな、勿体無い。ま、何にせよ卒業旅行くらい行くだろ。取っとけ」
無理やり学ランのポケットに皺くちゃの紙幣をねじ込まれる。これ以上断るのは失礼に当たる、仕方無く頭を下げて受け取ってその場を後にした。
どうもあの人は自分の事を孫か何かと重ね合わせて見る癖がある。近くにいた警官達の、化物でも見るかのような視線の方がまだ慣れているような気がした。
何となく感じるこそばゆさに首を竦めると、家路を急ぐ。
「……あれ、何なんですか?」
「俺も詳しくは知らんがね、まあ適材適所って事だろ。俺達が相手するのは人間、それ以外のは
「いや、そうじゃなくて、あの子供は!? 大の大人が束になっても何もできなかった相手に、あんなのまるで、あの子の方が余程……!」
金本は聞きたくないとでも言うように指を一本立てた。
「あいつは人間だよ。ちょっとそういうのが得意な家に生まれたってだけのな」
忌々しさにも似た不機嫌そうな声は、夕暮れの橙色に解けて消えていった。
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引き継ぎを済ませ帰宅した頃にはすっかり日が暮れていた。スマホにはさっきのドタキャンに対して不満気な友人からのLINEが来ていたが、一旦無視する事とする。それよりもまず、今日の仔細について父へ報告する方が先だった。マフラーを解き、乱れた髪を軽く直しながら廊下を歩く。
ガス燈が電灯に変わっても、人の噂話がSNSに取って代わられても。
妖怪変化と呼ばれるものは確かにそこに存在している。悪魔や怪物など呼び方は多数あるが、自分達の業界ではそれらを『怪異』と呼んでいた。
基本的に世間一般でイメージされる妖怪と大差はない。
ただ一つ違うのは、あくまで怪異はそれだけでは
厄介なのはそれらが人に取り憑いた時だ。
宿主の理性を失わせると同時に、時にはその形すらも変えさせ人外の力を与える。そうなってしまえば、自分達に取れる手段は限られている。
取り憑いている怪異を宿主から追い出す『外し』。
取り憑いている怪異ごと宿主を殺す『刈り』。
取り憑いている怪異を宿主に縛り付ける『封じ』。
そして自分の生家である芥屋家は、その中でも代々"外し"の技術を研ぎ澄ませてきた怪異祓いの旧家だ。
その時の権力者に雇われ、一般人の手には負えない怪異による被害に対処する事で生計を立ててきた。今であれば警察から依頼を受け、その地域や規模に応じて一族の者を派遣する形になっている。
そういった家系は他にも複数あるが、中でも芥屋は伊勢や水無という二家と引っくるめて御三家などと呼ばれていた。父や他の親戚は自分達が図抜けていると思っているらしいが。
「それで、今回の首尾は?」
「狐憑きが一人、恙無く外してきました。経過も問題ないらしいです」
「良い出来だ。芥屋は伊勢のような畜生とも、水無のような無能とも一線を画していなければならん」
父が満足そうにしている事は喜ばしいが、他家とはいえ同業者の悪口はあまり愉快ではない。適当な理由を付けてその場を後にしようとする自分の背中に、父の恍惚とした声がぶつけられた。
「嫡流にも負けん稀代の才能。ああ、お前は本当に私の誇りだ……きっと良い贄になる」
何度となく聞いた言葉に頭を下げると、静かに襖を閉めた。
幼い頃から言われてきたが、自分にはどうも怪異祓いの才能があるらしい。実はあれだけ偉そうなことを言っておきながら、父は庶子でしかない。ただその父から生まれた自分には光るものがあったらしく、一族の中でも稀代の才能だと褒めて頂いている。
そして昔から
百年毎に芥屋の最も才ある者を捧げよ、と。
そもそも自分達のように道具も持たず、己の肉体だけで怪異に挑むという祓い方は同業者からしても普通ではないらしい。まあ確かに映画を見ても、妖怪退治や悪魔祓いには式神やら聖水やら大体何かしらの小道具を使っている。
では何故自分達にそんな事が可能なのか。その理由は至極明瞭だ。
芥屋の血を引く者は押し並べて皆、呪われている。
初代が悪名高い祟り神の一柱を封じてからの事らしいが、子孫である自分達にもずっと昔からある種の呪いが刻まれている。
だが先祖達はそれを抑え付け、苦にするどころか更なる活用法を見つけ出した。具体的にはその呪いを取り憑かれている人間に流す事で、強制的に怪異を引き剥がし──祓う方法を編み出したのだ。磁石の同じ極同士を近づけたら弾き合うのと同じような理屈らしい。
そしてその呪いは芥屋にしか効果がないため、結果的に無傷で人を救えるという訳だ。
だが、年々その呪いは
それを抑えるために必要なのが神に捧げる贄で、当代においては自分らしい。
嫌ではないのか、と問われれば微妙な所ではある。毎日が楽しくないわけではないし、たぶんこれから先も生きていればもっと胸踊る事があるのだろう。
しかし庶流に過ぎない自分が当代一の才能と讃えられて、おまけに一族の繁栄までもたらせる機会などそうない。
家では厳格な態度を見せている父が集まりで本家に行った際、自分よりも歳若い当主に
芥屋ではそれくらい、本家と分家の間に埋められない差という物がある。
自分の一砂という名前も『一粒の砂に過ぎない』という戒めを込めて本家の人間に名付けられたらしい。
要は自分の立場を弁え、あまり図に乗るなという事だ。
そんな中で、本家の人間を超えて自分が贄に選ばれたという事実は父にとってはさぞ誇らしかっただろう。幼い頃から『お前はきっと良い贄になる』と言い聞かせてきた父を責める事は誰にもできない。
つまりこれは
とどのつまり、そういう話に過ぎない。
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儀式の日が来ても、特に感慨はなかった。味噌汁と焼き海苔、白米で朝餉を済ませる。拍子抜けするほどいつもと変わらない、なんて事のない味だった。
もう行く事もないため、高校へ欠席の連絡を入れる事もせずに本家の屋敷へ父と向かう。自動車の窓からいつもの街並みを眺めながら、ふと思い立って寅地に『さよなら』とLINEでスタンプを送る。
小学生の頃からの付き合いで、"バイト"が忙しくすぐに友達を無くしていた自分にとって唯一親友と言える相手だった。これで少しの心残りもない。人生最後の昼寝でも楽しむか、と目を閉じた。
「一砂君、久しぶり! 元気してた? 何か食べたい物とかあったら作らせるよ」
目が覚めた瞬間、張り付けたような笑顔が視界一杯に入り込んでくる。矢継ぎ早に話しかけてくる様にただでさえ寝起きの頭は朦朧とした。
「いえ違明様、もう既に一砂には身支度を済まさせております。いつでも、贄に」
「誰だっけ、君」
氷のような視線が、その言葉は冗談ではないと示していた。本家にとっては分家の人間など目を引くような才能でもなければ、名すら覚えてもらえない。
「……
「あーそうそう、一鼠君だった。じゃあ準備も出来てるらしいし始めようか」
そう言いながら、男は後ろに広がる鬱蒼と茂った森の中へ足を踏み入れた。
まだ三十そこそこでありながら当主となった、本家の実力者だ。
当主直々の案内を受けながら、じっとりと湿った枝葉を掻き分けながら進む。本家が管理しているこの森の奥に、その社はあるという。
「依代を封印するのに場所は関係ないんだけどね。管理が面倒臭いから十二日後にはここに戻ってきてくれると助かるよ、前の贄は無理だったからわざわざここを買い取らなきゃいけなかった」
飄々と告げる当主の言葉が引っ掛かった。
「十二日後? 自分は今日、贄になるんだとばかり」
「ごめん、それ内緒にしてたんだ。そして着いたよ」
未だに仔細を伝えられていなかった事に対して憮然とすると同時に、何があるのかとも困惑していた。しかし立ち止まった当主が指差した物に目を向けた瞬間、立ち尽くす。
人ほどの大きさだろうか。透き通るような透明な石が大樹の下に鎮座している。鼓動を打つかのように不規則に揺れるその中には、一糸纏わぬ少女が眠っていた。
血を垂らして、と小刀を渡される。振り向けば父と当主はその石に向かって跪いていた。
深く息を吸う。十八年間言い聞かされてきた役目が終わるのだ。左の掌を刃ですっとなぞる。軽い痛みと共に滴り落ちる赤い雫をその石に落とした瞬間、石だと思っていた物がどろりと溶け出した。慌てながらも二人に習い、跪く。
中に閉じ込められていたのであろう少女は立ち上がると、跪いて頭を下げている自分達に目を向けた。鈴を転がしたような、軽やかな声が響く。
「えっと、あの……頭を上げてもらっても……? っていうか誰!? ここどこ!?」
少女は本当に心の底から困惑しているようだった。キャパが限界を迎えたのか、目を回して倒れる彼女を咄嗟に抱きとめる。柔らかくて、今にも潰してしまうのではないかと不安になった。
どうすればいいのか、と当主に視線で訴えかける自分に彼はあっけらかんと言い放った。
「君の役目は変わらない、でももう一つ仕事があってさ。この十二日の間で、彼女とできるだけ仲良くなってもらいます」
「……は?」
「だって一砂君が生真面目なのは芥屋なら誰でも知ってる。そんな君に前もって伝えておいたら絶対にこの子の事を単なる祟り神としか見られないでしょ? それじゃ駄目なんだ」
そう言われて、腕の中の少女に目を落とす。すうすうと立てている寝息は本当に人のようで。
「君には彼女を普通の女の子として大事にしてもらう。時間をかけて、彼女にとっても君が大事な物になるように。そうして初めて、君が喰われる事に意味が生まれる」
何と言えばいいかも分からず、天を仰ぐ。何処までも透き通るような青い空。抱えた腕の中で確かに聞こえた命の音。
それが自分と