【完結】それでも死にたくないな、と貴方は笑って言ったのだ。   作:しゅないだー

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#11 今際の際で愛を謳う

 

 

 

 常に誰かが囀り続ける、そんなまとまらない頭でずっと考えていた。そうでもしていないと、今のこの自分が本当に前と同じなのか分からなくなってくるから。

 

 神という物は、とどのつまりある種の機構(システム)なのだろう。

 蛇神の言から察するに、神とは何かを願われながら人より生み出され、その願いを叶える力を持つ。

 当然、代償はある。人柱と言い換えてもいい。生み出された神は怪異と同じように人の身体を依代とし、元の持ち主の自我を食い潰し願いを叶えるのに最適な人格と力を付与する。人柱となった当人にとっては実質的な死と言ってもいい。

 心依は恐らく「芥屋に力を与える」神として生み出されたのだと思う。

 彼女という依代が贄に対して好意を抱けば抱くほど、神となり贄を喰い殺した時にその感情は反転する。自分が愛した者を喰い殺さなければならない境遇へ追いやった、芥屋そのものへの呪いとなって。

 

 怪異も似たような物だ。自分がそれに程近い身となって初めて分かった。あれは人の澱みであり、妬みであり、怨み。ただ向けられるベクトルが違うだけ。

 

 ……スワンプマン、という思考実験がある。仮に思考も記憶も全く同じ人格があったとして、それを構成する物が違えばそれは本人と言えるのか。自分はそうは思わない。そこに至るまでに一緒に見たものが、一緒に食べたものが、一緒に共有した時間こそが人を人たらしめる。

 仮に心依の自我が食い潰されたとして、その後に新たに生まれる人格がもし彼女と全く同じ物だったとしても自分は納得できない。気付けるかどうかは別として。

 

 

 自分は、今の心依に恋したのだ。そして心依もきっと今の自分だからこそ、側にいてくれる。

 故にこの選択は不誠実だが、それでも誰にも明かしたくない。自分はただ彼女に笑っていて欲しいのだ。それだけだ。

 

 

 

 

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 二人の男が豪奢な部屋の中で向かい合って腰掛けていた。

 一人は銀縁眼鏡を掛け、冷徹な視線を相手にぶつけている。もう一人は髪を桃色に染め、決意を秘めた瞳でその視線を睨み返していた。二人とも座っているだけの筈が、交わされる視線で剣呑な雰囲気が辺りに充満する。

 

「……兄貴。俺さ、やっぱり行くわ」

 

 兄貴、と呼ばれた男はその言葉に眉を顰めた。まるで理解不可能な化物を眺めるようにして弟に当たる少年を値踏みする。その言葉の意味を推し量るように。

 

「芥屋にこれ以上資源は割けない。お前が手も足も出なかったのなら、人を集めたところで無駄死にだ。よってお前の提案は飲めない」

 

 それは暗に伊勢の芥屋に対してへの敗北宣言でもあった。こうなっては不本意だが芥屋に百足巫女を上手く封じてもらわなければ、こちらには止める術がない。だからこそ怪異として表出する前に手を打っておきたかった。

 今後の利権は彼らが握るという事を考えると、男は思わず溜息を吐いた。

 

「違えよ。人なんかいらない。俺は伊勢虎時じゃなくて、あいつの友達の寅地として行く」

 

 それを聞いて男はほんの少し目を丸くした。芥屋の贄と同じく、家の為だけに己を鍛え続けていた筈の弟が初めて自分の意志を表した事に。

 手の掛かっていた仔犬がいつの間にか牙の生え揃った狼に変貌していた事に気付かなかったのを恥じるかの如く、視線を伏せる。しかしそれもまた面白いと言わんばかりに、彼は微かに笑った。

 

「……好きにしろ。大学生になるのなら夜遊びの一つでも覚えておいた方が良い」

 

「スベってんだよバーカ、慣れない事すんな」

 

 兄の軽口をつまらなさそうな口調で一蹴した後、少年は扉を開けて出ていく。だがその表情は以前とは比べ物にはならない程に晴れやかだった。

 

「あ、兄貴。あんたの部下は連れてかないけど個人的に『行きたい』って奴らがいてさ。そいつらは連れてくわ。んじゃ」

 

 部屋を出た虎時の背に二人の少年が付き従う。その手には長銃が携えられていた。振り返る事もしないまま、彼は二人に問う。

 

「……お前らはさ、俺達も芥屋も嫌いだろ。ならなんで手伝うわけ?」

 

「あいつはわしも兄ちゃんも殺さんかったから。それは貸しじゃし」

 

「そんな感じです」

 

「……馬鹿ばっかだな」

 

 俺も含めて、虎時はそう小さく付け加えた。

 

 

 

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 人気の絶えて久しい廃墟にて、顔の無い怪異は片腕で自分を抱きしめるようにして蹲っていた。ぶつぶつと言葉にならない何かを呟きながら、時折怯えるように手を振り回し周りの建物と自分自身を傷付ける。

 

「僕は殺してない仕方なかっただってずっと頭の中がうるさいもう黙ってくれよだから殺してないって言ってるだろ!! 錨くんは助けてくれなかったからああなった!! 僕は悪くない!! 自業自得だろ!!」

 

 忘れ去った筈の過去に苛まれているのか、狂っていたとはいえ自らが行った悪業を目の当たりにして逃げ出したいのか、友人の変わり果てた姿に耐えられなくなったのか、はたまたその全てか。

 何れにせよ、怪異『のっぺらぼう』としても人間『水無蛍蛉』としても彼を彼足らしめる物はもう何も残っていなかった。最早その身体にこびり付いた罪は、彼を人とは認めない。されど自らを「人間だった」と認識してしまった彼は、怪異としても戻れない。

 そんな彼にできるのは自身を責め立てる頭の中の声に対して、意味の無い反論を続ける事だけだった。自己弁護と他人への責任転嫁、友人だった筈の錨が全て悪いとただ子供のように喚き散らし。

 

「……でも錨くんは、友達だ」

 

 怨嗟に塗れた慟哭の果てに、ふと零れ落ちた一言。それだけで憑き物が落ちたように、頭の中に鳴り響く自身を苛む声が止まるのを感じた。

 

 元々錨に執着していた理由を彼は思い出した。

 ただ、止めて欲しかったのだ。自分がもう人に戻れなくなって首を刎ねられる末路しか残っていなかったとしても、その刃を気の置けない友人に託したかったのだ。最早それは叶わず、錨は醜悪な怪異に堕とされたが。

 なら、やるべき事は一つだろう。

 

 人には戻れず、されど怪異ですらいられなくなった一人の男は立ち上がり、暗い廃墟から橙色の夕日が沈んでゆく方へ歩いていく。その顔から表情を読み取る事は不可能だが、どこかその後ろ姿は今までよりも心なしか軽やかだった。

 

 

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 日もだいぶ傾いてきた昼過ぎ、町外れの小さな遊園地が車の窓から見えていた。隣に座る心依は興味深そうにそびえ立つ観覧車を眺めている。シートベルトを外し、車から彼女の手を引いて降りた。平日とはいえ閑散としている遊園地は営業しているのかどうか不安になる。

 

「■■、本当にここでいいのか?」

 

「ありがとうございます、金本さん。最後に心依と遊んでから家とも折り合いを付けようと思いまして」

 

 運転席から声を掛けてくる彼に笑ってそう返事をした。結局、今日までずっと彼と奥方に世話になってしまった。慣れない家事に二人で励むのも存外楽しかったし、もしかしたら家族とは本来こういう物なのではないかと思いを馳せられた。

 でも、もうこれ以上迷惑を掛ける訳にはいかない。

 

「そうか。ま、お前は本当に真面目過ぎるからな。これくらい気抜いたって罰は当たらん。心依ちゃんだっけか、こいつを頼むよ」

 

「いえいえ、こっちこそ結局ずっとお世話になっちゃいまして……奥さんにもありがとうございましたって伝えておいて下さい!」

 

 愛想良く頭を下げる彼女に好々爺然とした笑顔を向けた後、真剣そうな眼差しで自分を見つめた。

 

「事情は分からんが、それでも拗れてどうもならなくなったら連絡しろよ。俺はお前の味方だからな」

 

 その言葉に黙って頷く。それに足る力があるかどうかではなく、自分に対して真っ直ぐ向き合ってそう言ってくれるだけで本当に嬉しかった。

 また連絡します、そう返して金本さんが車を出して去っていくのを見送った。自分と心依はその姿が見えなくなるまで手を振っていた。

 

「さて。それじゃ楽しむか」

 

「えっと、ここって遊園地だっけ? 来た事ないから嬉しいけど……大丈夫なのかな」

 

 百足巫女と化していた時の記憶は心依には残っていなかった。それはきっと幸運な事だろう。起きた後の彼女には何とか自分が寅地を撃退できた事にしてある。

 もしもあの夜の事を覚えていたら、きっと心依はずっとその事を気に病んでいたに違いない。

 そして今夜、何がどうあろうとも自分と心依の道は分かたれる事になる。だから最後くらいしてみたかったのだ。普通の人が普通にする、普通のデートなんてものを。

 

「大丈夫だ。デートの一つくらいしたって罰は当たらない、金本さんもそう言っていた」

 

 彼女は顔を少し赤らめた後、照れたように笑った。そして自分の手を握ると、ゆらゆらと振りながら歩き出す。手持ちの残金は少ないが、残りを遊んで使い切るには十分な額だった。

 少し古びた門を抜け、園内のパンフレットに目を通す。ジェットコースターにメリーゴーラウンド、こんな小さな遊園地でも一丁前にパレードをやるのだと驚いた。

 心依と笑い合いながらどれに乗ろうか話し合う。時間はもうあまりないが、だからこそ愛おしいのかもしれない。彼女に手を引かれるまま、賑やかなアトラクションへと歩んでいく。

 

 

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 日が落ち、星が瞬くまで遊び尽くした自分達は最後に観覧車に乗る事を選んだ。少し出来過ぎのような気もしたが、それでも心依にせがまれるまま揺れるゴンドラに乗り込んで地上から離れてゆく感覚を楽しむ。

 目を瞑っていると、くすくす笑いながら彼女は自分の頬を突いてきた。

 

「■■くんって意外と普通なんだね。ジェットコースターでずっと『うわーっ!!』って叫んでたし」

 

「呆れるほど普通の人間だよ、自分は。怖い物は沢山あるし、逃げ出したくなる時だって山程ある」

 

 随分と古いラブソングのメロディが微かに下から聴こえてくる。流れる時間に浸っていると、園内のキャラクターをモチーフにしたカチューシャを付けて心依は眠たそうに呟いた。

 

「私さ、今本当に幸せなんだ。死んでもいいくらいに」

 

 彼女は気付いている。自分がまだ人の形を保っている内に死ねば、目の前の相手を喰い殺さなくても済むと。

 殺していいよ、と暗に言う彼女の言葉に気付かない振りをして夜景に目を向ける。曇ったガラス越しに見える街の光は金平糖のようにぼやけて映った。

 

「なら一つお願いをしてもいいだろうか」

 

「またお願い? ……いいよ」

 

 自分の言葉に少し可笑しそうに微笑むと彼女は背にもたれ掛かったまま頷く。

 

「名前を、呼んでくれないか。自分が分からなくなって怖いんだ」

 

 しみじみと呟く。

 変なの、と訝しむように首を傾げた後、彼女は席をそっと立って自分の耳元で囁いた。

 

 

「好きだよ、一砂くん」

 

 

 ずっとノイズのように聞き取れなかった名前が、耳に馴染む。鈴を転がしたような声が心地良かった。

 一粒の砂に過ぎない、ずっとそう言われ続けてきた自分の名前が今なら愛せるような気がした。この名も、ここまでに至るまでの全ても。

 

 微かに吹く風にゴンドラは揺れながら、過ぎ行く今日と言う日を惜しむようにゆっくりと降りてゆく。願わくばこのまま地面に着く事がなければいいのに。そう願うくらいに良い景色だった。好きな人とこの世の天辺のように思えるほど高い場所から全てを見下ろすような時間。

 生温い夜に身を預けながら、きっともう届かない星を見つめていた。

 

 

 

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 観覧車を後にし、門に戻ろうとして目の前に誰かが立っている事に気付く。はっと心依の息を飲む音が間近に聞こえると同時に彼女を背中に隠した。

 

「駆け落ちごっこは楽しかったかい? じゃあそろそろ役目を果たさないとね」

 

 違明の姿がそこにあった。後ろには数十人近い男達が控えている。恐らく全員芥屋の手練れだろう。錨さんだったものの姿は見えないが、微かに漂う腐臭からそう遠くない所に待機しているのは間違いない。

 

「……一般人もいる場所だぞ」

 

「もう警察に話は通してある。ここはもう閉園、僕らしかいないよ」

 

 相手は周到に準備を重ねてきたようだ。

 それに対して自分は一人。しかも心依を庇いながら立ち回らなければならない。

 

「うっ……」

 

 突然気分を悪くしたように彼女が口を抑えて蹲る。慌てて様子を確認するとその足が歪に変形し始めていた。蛇とも百足ともつかない悍ましいそれに上着を脱いで掛ける。心依が晒し者になるのは許せなかった。

 

「やだ、いやだよぉ……」

 

 溢れる涎と向けられる視線は餌を前にした肉食獣を思わせた。前回の変異の時とは違い、彼女にはまだ意識が残っている。悪趣味だな、と舌打ちしながらも大丈夫だと彼女に言い聞かせて手を握った。

 

「最後の夜だもの、始まったんだよ。こうなったらもう止められない。大人しく贄になってくれると助かるんだけどな」

 

 この状況では周りにいる他の芥屋が目障りだった。違明と怪異一体ならば捌けない事はなかったかもしれないが、手数で勝る相手はシンプルに手の打ちようがない。

 好機と見たのか、思い思いの得物を手に此方へ迫ってくる。刀、槍、鉄鎖……差しでやれば勝てるレベルなのがもどかしい。

 

「名誉ある芥屋の怪異祓いが、こんな餓鬼を相手に随分と大仰な真似をするんだな」

 

「冗談はよしなよ。もう君は怪異みたいな物だろ」

 

 袖に忍ばせた五寸釘を握る。猿叫と共に振り下ろされた刀をそれで受け止めて弾き、相手の肩口に思い切り突き刺して殴り飛ばした。それと同時に死角から飛んできた鉄鎖が自分の顔面を打つ。歯の折れる嫌な感触と共に頬の肉が大きく削げたような痛みが襲ってきた。

 同じ芥屋である分、血で相手の目潰しをするいつもの手管も使えない。だが向こうも同士討ちを恐れて飛び道具が使えない。イーブン、いやそれでも此方の不利か。

 突き出された槍を肘で圧し折り、奪った穂を後ろにいた別の芥屋へ突き刺す。獣のような叫び声を受けてのたうち回るそれを蹴飛ばし、咥内に溜まった血の混じる唾を歯と共に吐き捨てる。頬に触れてみると、既に傷の再生が始まっていた。どうやら、いよいよ化け物の仲間入りらしい。

 

「……次、死にたい奴から来い」

 

 殺すのも殺されるのもうんざりだった。

 急所を避けて太腿を狙いはしたが、明らかに相手の士気は下がっている。虚勢に過ぎなかったが効果は覿面だったようだ。時間を稼いだ所で事態は好転しないが、打開策を練る暇が欲しい。

 だが。じりじりと自分を遠巻きにする芥屋に対して、違明がぽんと手を叩いて口火を切る。

 

「おいおい、よく見なよ。■■君は優しいからね、そこの槍を刺された彼も致命傷じゃないだろう? 恐れず突っ込んで無理矢理制圧しちゃえよ」

 

 思わず舌打ちした。流石に当主だけあって状況をよく見ている。その言葉で活気付いたのか、残りの十数人が雪崩れ掛かってくるのを捌けず地面に叩き付けられた。

 圧し潰すように四肢を封じられ、身動きの一つすら取れない。唯一動かせる首で彼らを見た。いい歳をした大人の集団が、一人の少女を食い物にする為に殺気立っている姿はどこか哀しかった。皆、誰一人として笑っている訳でもなく泣きそうな顔で必死に自分を取り押さえている。贄が捧げられなければ、芥屋に備わっている力はきっと消えてしまうから。

 

 ああ、そうだ。誰もがきっと怖いのだ。自分が必死に生きている日常を続けようと足掻いて、藻掻いて、苦しんでいる。それは悪い事ではない。

 

 でも。自分だって、心依が笑っていられる日々を作りたい。その為なら何でもやる。

 

 

 じゃあ殺せばいいだろう? 

 こいつらは自分を殺しに来ているのに。

 甘いなあ。

 そんなに人でいたいのかい? 

 心依を助けられなくなるぞ。

 ここは人が多過ぎる。減らしてから考えよう。

 子供みたいな我儘はやめろよ。

 

 

 頭の中に響き続ける自分を苛む声に、ただ笑う。否定する事など何一つとしてない。けれど。

 

「それでも子供みたいな我儘を通したいから、ここまで来たんだ。頼むよ」

 

 そう受け入れた瞬間、声がふっと消える。多分もう戻れない。次に言うべき言葉は既に分かっている。潰されて呼吸もままならない肺に、深く息を吸って酸素を送り込む。そしてたった一言、呟いた。

 

トンカラトンと言え

 

 数秒後、空を切る音と共に自分を押さえ付けていた芥屋の男達が倒れ伏す。彼らには皆一様に、胴を薙ぐような斬撃が加えられていた。上がる呻き声で辛うじて死んではいない事が分かる。

 

「……驚いた。もう本当は立っているのも辛いんじゃないか? 自分の名前も分からないんだろう? 殺したくてたまらないんだろう? 怪異だものね。あののっぺらぼうと同じ末路を辿るんだよ、君は」

 

 違明が平坦な口調で自分に突き付けてくる変化は、残念ながら当たっていた。全身に巻き付いてくる包帯は、自分の行動そのものを縛り付けるように軋んでいる。少し気を抜けばすぐにでも地面に転がっている芥屋を殺して回りたい衝動を抑えられなくなるだろう。

 

「…… 黙れ

 

 ぐちゃぐちゃになっていく思考を必死で冷ます。誰も殺さない。誰も殺させない。誰にも殺されない。心依を助けるのに誰かを犠牲になんて絶対にさせない。彼女が胸を張ってこれからも生きていく為に。

 

「怪異である事を一度受け入れてしまえばもう不可逆だ。君は最後の最後に人の尊厳すら捨てたんだ。全く嘆かわしいよ、■■君。それともトンカラトンと呼んだ方が良いかな?」

 

 自分の名前は聞き取れないのに、トンカラトンと呼ばれるとすんなり耳に馴染む。

 ああ、もうそうなっているのだろう(・・・・・・・・・・・)。こんな姿は見られたくないな。

 

「残念だけど、まだ人はいるんだ。君は……もう保たなさそうだね」

 

 その言葉通り待機していたのか、陰から新たに十数人が姿を現す。これ以上は本当に殺してしまう、それだけは絶対に駄目だ。化け物を見るような視線をぶつけられながらも必死で握り締めた拳を抑える。

 

「結局君もお父さんと一緒だよ。何も成せずに終わる」

 

 その言葉を聞いた瞬間、あらぬ想像が頭を過る。よく考えてみれば父は自分を贄として育てる事を望んでいた筈だ。なら、なぜこの局面であの人の姿がないのだろうか。

 

「教えてあげようか? 君のお父さんは最期まで君の事を愛していたとも。伝えなければ意味は無いのにね」

 

 その一言だけで、どうしてか鮮明にありありとあの人の最期が目に浮かんだ。震えた声で違明に問う。

 

「殺したのか」

 

「知りたいのかい? 君のお父さんはね……やめた、誰しも知られたくない事を墓場まで持っていく権利はある」

 

 殺してやる。溢れ出す殺意が、最後の箍を外した音がした。この衝動に身を任せてしまえば、きっともう悲しくも苦しくもなくなるだろうから。虚空からトンカラトンの日本刀を取り出す。

 

「君が誰かを怨むほど、呪うほど。贄として仕上がるんだよ」

 

 恍惚とした調子で続ける相手に刀を振り被る。今はただ目の前のこの男を黙らせたい。血を流させたい。痛みに悶えさせたい。錨さんを、父を、こいつが愚弄してきた人間よりも深い苦しみを与えたい。

 醜い衝動の赴くままにそれを振り下ろそうとした時。

 

 

 刃が彼に触れる瞬間、突如銃声が鳴り響いた。

 思わず手が止まると同時に違明も訝しげな表情を浮かべている。つまり、これは彼にとっても想定外。

 

「……はて」

 

 見ればどこからか放たれた銃弾は、芥屋の一人の膝を撃ち抜いていた。地面に倒れて虫のように藻掻くのを見てけらけらと笑う幼い声が夜に響く。

 

「兄ちゃん見た!? 膝ドンピシャじゃ、これでいいんじゃろ?」

 

「そうだよ、薙。殺すよりも負傷者を増やした方が相手に負担を掛けられるからね」

 

 聞いた事のある方言が木陰から漏れてくる。目を向ければそこにはつい数日前に相手をした出雲兄弟の姿があった。彼らもまた何も言わずに自分を少しの間見つめた後、他の芥屋を撃ち抜いていく。

 

「よお、元気か」

 

「……寅地?」

 

「何だその包帯、今更お洒落に興味でも出たのかよ」

 

 ギターケースを背負って気さくに声を掛けてくる姿は思い出したくもないあの夜と同じだった。けれどその声色はいつも一緒に遊んでいた寅地そのもので。

 

「……何しにきた。伊勢はもう降りるんじゃなかったのか」

 

 違えよばーか、と頭を叩かれた後に肩を組まれる。こんなに自分は血で汚れて、もう人ですらないのに。

 

「お前は友達だからな。それで十分だろ」

 

 意趣返しだと言わんばかりに彼は笑う。その一言だけで折れかけた心に火が灯った。身体を縛り付ける包帯を引き千切り、まだ自分である事を確かめる。

 

「じゃあ手伝ってくれ。頼む」

 

「仕方ねえな、友達だしな」

 

 何故か嬉しそうな顔で寅地は刀を構えた。それに合わせるように自分も刀を握り直す。それでも多勢に無勢ではあるが、さっきよりもずっと心が軽い。

 

「……弱ったな。足を壊されたら使い物にならないし」

 

 そう溜息を吐きながらも、最小限のステップだけで違明は二人の狙撃を躱していた。思えば彼は祓いの際にも指揮を務めていて、その実力を見せた事がない。彼自身もやれるなら相当面倒だ。

 

「虎時さん、すみません。当たらないので頑張って下さい、露払いはしておきますから」

 

「帰ったら練習しとけよ」

 

 鋼と名乗った少年は舌打ちした後、弟と共に再び木陰に身を隠した。そうは言えどもこれで大半の芥屋は戦闘不能に陥っている、十分過ぎる活躍に礼を言いたいくらいだ。

 

「もうこれで貴方の手札は殆ど切られた。大人しく退け」

 

 手札を使い切っているのはは此方も同じではあったが、自分達には後がない。しかし違明はそんなハッタリを意に介する事もなく「使いたくなかったんだけどな」とぼやきながら口笛を吹く。

 

「ゾンビと言えばブードゥー教が原典だけど。僕はロメロの映画が好きでね。知ってるかい? ゾンビに噛まれた人もまたゾンビになっちゃうんだ」

 

 闇から腐臭と共に現れたその怪異から目を背ける。液状に溶け落ちながらもずっと再生し続けている肉体は細胞自体が壊れているのか、身体から触手のように突き出している。

 最早人ではあり得ない筈のその姿に錨さんの面影が微かに見えて、それがどうにも痛ましくて、千代さんの事を考えると胸が詰まる。彼女の元に錨さんを帰してあげたかった。

 

「錨さんを玩具にするな……!」

 

「失礼だな。僕にとっても大事な弟だ、玩具なんかじゃない」

 

 怪異は怯えながら地面を這っている芥屋の一人に近寄ると、身体から伸びた触手を突き立てた。

 

「いっ、いやだ、やめてくれ、ああ……」

 

 断末魔の金切り声を上げると、男は沈黙した。開き切った瞳孔は確かに彼が死亡した事を示している。だが、しかし。

 その数瞬後、再び動き出したその身体はまるで錨さんだったものと同じように醜く崩れていく。

 そのようにして増えた死体は、同様に倒れている芥屋を餌食にして更にその数を増していった。恰もそれはゾンビ映画のパンデミックのように。

 

「鋼! 薙! やれ!!」

 

 焦りを帯びた寅地の怒号と共に放たれた銃弾は、生ける屍の頭を確かに貫いた。桃色の脳漿が飛び散り、地面に花を咲かせる。常人なら間違いなく死んでいる筈だが。

 

「……寅地、あの二人を連れて逃げろ。元々お前達は関係無い」

 

「うっせえ、黙ってろ」

 

 あれが人であるなら、いや怪異だとしても。確実に致命傷と成り得る位置に銃弾を受けながらも、それらは動きを止めなかった。ゆっくりと此方へ歩みを進めてくる死体達を眺めながら、違明は感動を抑えきれないとでも言わんばかりに震えた声で呟く。

 

「芥屋としては弱くて使い物にならなかった彼らでも、これなら役に立てる。皆芥屋としての務めを果たせるという訳だ」

 

 何となく彼に抱いていた既視感の正体を今悟った。蜂や蟻を思わせる、芥屋という『家』への絶対的な忠誠心。そこには悪意などなく、ただ自らを産み育てた血への愛情だけがある。

 

「お前の親戚マジで気持ち悪いな」

 

 軽口を叩いてこそいるが、寅地の首筋に汗が流れるのを横目に見る。

 殺せない相手にどうやって対処すればいい? トンカラトンは寅地や出雲兄弟がいるから使えない、そもそもこの死体達は斬撃程度で止まるとも思えない。

 

「君が大人しく巫女に喰われてくれるなら、そこの伊勢と出雲の残党の命は保障しよう。君の我儘で一体どれだけの人が迷惑を被るのやら」

 

 その言葉で嫌な想像が頭の中を満たしていく。死体に貪られ、冷たくなった寅地達の姿を。そんな事あっていい筈ない、自分は……どうすればいい? 心依と寅地達の、どちらを選べばいい? 

 

「また面倒臭い事考えてんだろ。んな事より自分の心配しろ」

 

 不安で呼吸が浅くなる自分の背中へ活を入れるように寅地が叩いた。軽い痛みと共に自分を苛む妄想がほんの少しだけ晴れる。

 そのまま近付いてきた死体の頭を肘で割りながら、その台詞を遮るように彼は叫ぶ。

 

「大体お前な、勝手な事喋んな! もっともらしい事言って、■■の事も心依の事も誰も考えてないだろ! そんなに贄だか何だか欲しいんならお前がなればいいだろうが!」

 

 首筋を引っ掻きながら、違明は遠い目で明後日の方向を眺めて呟いた。

 

「なれるものなら、なりたかったさ。でも僕にはその才がなかったからね」

 

 銃弾がどれだけ撃ち込まれようとも、寅地がどれだけ切り裂こうとも死体達は歩みを止めない。心依の身体も、もう下半身は人の形をしていない。掛けた上着すら突き破って蛇を思わせる触腕が顔を覗かせている。

 

「見ないで、やだ……!」

 

 手持ちの札をどれだけ切っても、どうしても後一歩届かない。まだ何かある筈なのに、心依も寅地達も無事に日常に返せる道はある筈なのに。

 懐に手を忍ばせ、しっとりと濡れている蛇の鱗に触れる。使うなら今だろうか。蛇神の『その代償は怪異の比ではない』という言葉が脳裏を過る。

 でももうやるしかない、そう強く鱗を握り締めた時。

 

 

 生ける屍と化していた筈の芥屋が何故か急に悶え苦しみ出した。

 何かが彼らの身体の中で(せめ)ぎ合っているかのように揺らいでいる。困惑する自分達に向けられたその顔からは目鼻口が抜け落ちており、まるで──マネキンを思わせた。その影響なのか、どれだけ攻撃しようとも進む事を止めなかった死体達の歩みが止まっている。

 

「これ、のっぺらぼうの……狢」

 

 きさらぎ災害の時に目撃した現象と全く同じだった。だが怪異同士の力は拮抗しているのか、結果的に死体達はその場から動けなくなっている。

 

「呼び捨てにすんなよ、少年」

 

 門の方向から歩いてくるのは無貌の怪異。錨さんに片腕をもがれた上に寅地に滅多斬りにされ、いくら耐久力に優れた人外といえど数日で再び立ち上がれる訳がないのに。

 

「水無の恥晒しが今更ヒーロー気取りかい?」

 

 嘲るような違明の言葉にのっぺらぼうは声だけで笑う。どこか乾いたそれは何かを諦めているようにも聞こえた。

 

「誰だよ、それ。俺はのっぺらぼうだ。錨くんは俺が殺すんだったのに、余計な邪魔してくれやがって」

 

 まるで自分に言い聞かせるかの如く、彼は何度もそう繰り返した。錨くんは俺が殺すんだったのに、と。その身体から立ち上る禍々しい妖気は怪異災害に次いで恐れられていた大怪異の風格を漂わせていた。

 

「錨くんは芥屋大事にしてたからさぁ……俺が全部ぶっ壊してやるよ、んなもん」

 

 のっぺらぼうは味方ではない。だが、少なくとも敵ではない。

 彼が一人で錨さんと死体達を止められるなら……自分と寅地は違明に専念できる。後手に回らされ、ずっと守りに走ってきたがここに来てようやく勝ちの目が見えてきた。

 

「友達が多いんだね、■■君。じゃあ、これが最後だ」

 

 違明が手にしたのは二つの小瓶。それを見た瞬間、背中に氷柱をねじ込まれたような悪寒が走る。トンカラトンと七人ミサキ。怪異を憑かせる事ができるのは自分だけだと、誰が言った? 

 中で蠢く二匹の蚯蚓を彼は躊躇無く飲み込んだ。だが自分と違って身体そのものが二匹もの怪異を受け付けないのか、乾いた黒砂のようにその身が少しずつ(ほど)けている。

 

(さとり)×天邪鬼(あまのじゃく)。僕も多分死ぬけれど、君達はもう僕には触れられない。だから朝まで踊ろうか。芥屋の夜明けは、きっともう近いよ」

 

 鼻から油のように黒く濁った血を垂らしながら、芥屋第■■代当主は静かに微笑んだ。

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 覚。

 古くから日本全国で伝えられてきた怪異であり、主に山中で現れる。そしてその最大の特徴は『人の心を読める』という点だ。そんな大層な能力を手に入れた人間が、人外の膂力を人に振るうとどうなるか。

 答えは簡単だ。

 

「君も本当は気付いてるんだろ? インターネットの発達や海外からの怪異流入に、怪異祓いのレベルが追い付かなくなりつつある事を!」

 

 着地を狩るように放った前蹴りは虚しく空を切り、カウンターとして叩き込まれた手刀が自分の膝関節を逆方向に圧し折った。表現し切れない痛みに思わず呻く自分に対して追撃を入れる事もしないまま、違明は距離を取る。端から時間稼ぎが目標らしい。

 

「御三家の水無は八尺様と相打ちになって、芥屋も外せないレベルの怪異が増え続けている! 伊勢のやり方は一般人の反感を買う、かと言って僕ら(怪異祓い)がいなくなればこの国は早々に怪異に蹂躙されて終わるのさ!」

 

 更に違明は、倒れ込む自分の頭を掠めるように不意打ちで寅地が槍の如く投擲した刀でさえ目を向けることなく軽々と避けてみせた。

 

「やっっばいって、マジで当た──」

 

 続きを言い切る前に寅地に肉薄した彼は、勢いを殺さぬまま的確に顎の骨を拳で撃ち抜いた。耐え切れず昏倒する寅地を足で退け、息一つ乱さぬまま彼は続ける。

 

「それを避けるには芥屋が強くなるしかない。何を犠牲にしようとも百年先も千年先もこの家が、この国が存続し続けるには一人の少女の尊厳を薪にする事など必要経費に過ぎない」

 

「自分はそんな家など廃れてしまえばいいと思うが」

 

 せめて憎まれ口の一つでも、と呟いてみせるが所詮は負け犬の遠吠えだ。覚を入れているからとはいえ、有り得ないレベルの未来予知に歯が立たない。自分が拳を握り締めた瞬間には、相手はもうその十手先を行っている。

 

「かもね。でも僕らを評価するのは百年先に生きる人々だとも」

 

 天邪鬼。

 今でこそへそ曲がりやひねくれ者の事を指す決まり文句のようになっているが、その本質は怪異と神の狭間のようなものだ。他人の心中を察するのが巧みで、それに逆らったような行動や言動を取る。その似通った性質はさぞかし覚と相性が良いだろう。

 

「今からでも遅くないよ。百年先まで語り継がれる人柱になれるのに」

 

「断る。自分にはもう、今しかない」

 

「……そっか。残念だよ」

 

 だが、それでも。

 未来予知じみた有り得ない精度には何か代償がある筈だ。犠牲にしている物がある筈だ。覚と天邪鬼、それに加えて違明の性質も細部まで記憶から起こして思考を回す。

 

 ……見えた。

 ようやく起き上がった寅地に気付け代わりの一発を見舞ってから耳元で囁く。

 

「起きろ寅地。勝ちの目が見えた」

 

「あ~いってえ~……マジで? 根拠あんのかよ」

 

「今この会話が成立している事が根拠だ。いいから行くぞ、只管攻め続けろ」

 

 訳分かんねえよ、とぼやく寅地と共に再び違明と向かい合う。トンカラトンにも「発声のプロセスを踏む必要がある」「受け切られる事がある」という弱点がある。

 この世には完璧な物など何一つとしてないのだ。だからこそ足掻く価値がある。

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

「怪異になっても強いってのは反則じゃね?」

 

 腐肉を滴らせながら浴びせられる連撃を紙一重で避けながら、のっぺらぼうはそう嘯いた。元々彼は戦闘に適した怪異ではない。その性質を利用して人を動揺させ、周りの一般人を怪異として利用する事で大きな被害を齎してきた。周囲の人間をのっぺらぼうに変える能力も、動く死体に干渉するのが精一杯であり己の手足としては使えない。

 

「やっぱどこまでいっても錨くんには勝てない、か」

 

 のっぺらぼう単体の力しか持ち合わせていない彼が相手取るには、錨に植え付けられた怪異の数が多過ぎた。そしてそのどれもがゾンビやキョンシーなど一線級の知名度を誇っており。ただでさえ片腕を無くし、傷付いているのっぺらぼうが勝てる道理はなかった。

 奮戦も虚しく、細胞の異常増殖によって身体から触手のように突き出した肉槍を避け損ねて彼の身体は無情にも穿たれた。

 毒を流し込むかのようにのっぺらぼうという怪異が、動く死体として上書きされていく。自我そのものを引き剥がす痛みに耐え兼ね、思わず苦悶の叫びを上げながらのっぺらぼうは地を這いずり回った。

 

「が、ぎ、いってえ……なあ!!」

 

 身体に突き刺されたそれを無理矢理引っこ抜き、赤い血を地面に滴らせながら肩で大きく息をする。それでも尚、彼の意志は折れていなかった。

 

「んな訳ねえだろ。一回くらい俺の白星があったって罰当たんねえよな!!」

 

 そう啖呵を切りながらのっぺらぼうはポケットから油紙に包まれた何かを取り出す。その中には黒くその身をくねらせる蛸や烏賊に似た触手が入っており、彼はそれを暫し見つめた後で耳の中に突っ込んだ。

 

「心中しようぜ、錨くん。千代ちゃん待ってんだろ? せめて綺麗な姿で帰ってやれよ」

 

 その台詞と共に、彼の身体を内側から無数の触手が貫いた。倒れる事すら許さないと言わんばかりに触手は地面に突き立てられ、彼自身を覆っていく。

 十数秒にも満たない間隙で、のっぺらぼうの姿は激変していた。彼の身体をギプスのように包んでいる触手は遠目から見れば黒いスーツのようにも捉えられる。同じように触手に覆われた足は最早地から浮いており、元来の身長よりもずっと高い。

 

「……蜒輔′邨カ蟇セ蜉ゥ縺代k縺九i」

 

 最早言葉にならない声を発しながらも、それは確かに錨だったものへ歩いていく。それを防ぐように壁となって立ち塞がる死体の群れさえ、身体から突き出している触手だけで軽く一掃する。

 

 のっぺらぼう×スレンダーマン。

 無貌であるという共通点だけで無理矢理成立させた、怪異二体の強制憑依。

 

 スレンダーマンは元々アメリカの掲示板で生まれた怪異であり。その起源から怪異としての格は『八尺様』や『きさらぎ駅』と並ぶ。細身で異常に背が高く、黒いスーツを身に纏ったのっぺらぼうの男。

 日本古来の怪異である本来の『のっぺらぼう』では到底釣り合う筈のない規格外である。現に彼に僅かに残っていた自我は物凄い速度で侵食を続けるスレンダーマンに取って代わられようとしていた。

 それを意地だけで耐え凌ぎながら、ただ前に向かって進む。六年前に起きた八尺災害から始まった長きに渡る因縁、その決着は一瞬だった。

 

 触手を束ねて形成した、のっぺらぼうの体躯を遥かに超える巨大な槍を錨の身体に突き立てる。刹那とも永劫とも思える時間の果てに、彼の身を覆っていた腐肉がぼとぼとと零れ落ちていく。

 スレンダーマンによって強化されたのっぺらぼうの権能で、錨に巣食っていた怪異を上書きした結果だった。

 

「……悪いな、蛍蛉」

 

 もう既に事切れている筈の身体で、確かに彼は笑ってそう呟いた。それを看取ってのっぺらぼうは同じように笑いながら座り込んだ。

 

「お互い様だろ、錨くん」

 

 怪異の侵食に耐え切れず、のっぺらぼうの身体が霧のように溶けていく。最後に彼の顔を覆っていた白い面のような無貌が剥がれ落ちた。

 名残惜しむようにも満足したかのようにも見えるその表情は、誰に知られる訳でもなく夜露と共に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 正攻法でやっても覚と天邪鬼を憑かせた違明に勝てるビジョンはない。ただ、それは裏を返せば相手も同じ事を考えている筈だ。負けないようにその怪異の性質を弄る、そうでもなければここまで歯が立たないという事は有り得ない。

 

「寅地、右から頼む。合わせるぞ」

 

「今更そんな付け焼き刃でどうにかなる……かよ!」

 

 先程の会話で違明はわざわざ返事を待っていた。覚が憑いているならそれを待たずとも自分の心中を読めばいい筈だ。それをしなかった理由は一つしかない。単純に、できないのだ。

 

 挟み込むようにして突き出した二振りの刀を、最早未来予知とも呼べる精度でまた違明が躱す。だが逆に言えばそれしかできない。ヒットアンドアウェイで距離を取ってしまえば追撃は飛んでこなかった。当初それは時間稼ぎの為だと考えていたが、恐らく違う。

 

「貴方が憑かせた怪異は『自分に対して敵意ある行動』しか予知できない。こんな所だろう」

 

 そのくらいの縛りが無ければここまでの精度で行動を先読みできる筈がない、それに賭けた。追撃してこないのは『逃走』は敵意ある行動ではないから。

 

「……さあ、どうかな?」

 

 それでも彼は眉一つ動かさず、余裕ある笑みを浮かべている。二体同時憑依にその身体は限界を迎えている筈なのに、その佇まいに一切の動揺はなかった。遂に彼の右手が手首で折れ、地面に落ちて叩き割れる。夜風に吹かれて塵となっていくのを気にする素振りもない。正真正銘化物のメンタルだ。

 だがこちらも仕上げだ。

 

「何かあったら止めてくれ。信じてる」

 

「は? ちょ、■■、お前何する気──」

 

 屈み、街灯に照らされた自分の影に手を触れる。イメージするのはもう一人の自分。それが一人。二人。三人。四人。五人。六人。

 

 七人いる。

 

「それは自殺行為だろ」

 

 違明が笑う。

 七人ミサキの力で呼び出した分身は皆自分と同じ顔をしていた。いや、彼らにとっては自分自身がオリジナルなのかもしれない。有り得ない筈の景色に見ているだけで気分が悪くなる。今ここに立っている自分こそが本物だと、言い切る自信すら無くなっていく。

 一様に皆──ああ、傍から見ればこんなに怯えた顔をしていたんだな。

 

「頼むよ」

 

 自分のその一言で彼らは違明の方を向いた。ノーモーションで虚空からトンカラトンの刀を取り出し、斬り掛かる。だがそれにすら彼は動揺する事はなかった。

 

「こんなにいるなら少しくらい殺してもまあ大丈夫かな? でも贄は多い方がいいんだろうか」

 

 ぶつぶつと呟きながら流麗な動作で攻撃を避け、(あまつさ)え時折首を圧し折ったり刀を奪っては斬り殺して数を減らしている。数を増やそうと対抗できる物ではないようだ。しかし。

 その間隙を縫って、違明の懐に飛び込む。いつの間にか肉薄していた自分を見て、やっと彼の顔に焦りの色が見えた。それはそうだ。初めて予知で読めなかったんだろうから。

 

「な、有り得な──」

 

 手を開き、指で微かになぞる。今まで何度となく繰り返してきたルーティーンだ。

 

「────(オン)

 

 そのまま渾身の力で違明に掌底を叩き込んだ。諸に受けて吹っ飛び、地面に転がったまま立てなくなっている。

 そして数秒後、倒れ伏したまま彼は物凄い速度で嘔吐し始めた。広がった吐瀉物の中には二匹の蚯蚓が蠢いており、それが逃げ出す前に踏み潰す。

 

「……っ、げほっ、ごほっ、覚と天邪鬼を外したのか? 芥屋の血で、僕に干渉できる訳がない」

 

「今の自分にはトンカラトンと七人ミサキが。そして貴方にはサトリと天邪鬼が混じっている。芥屋同士ではない、そうだろう?」

 

 同じ芥屋なら確かに血を用いた祓いは効かないだろう。だが自分達はどちらも今、身体の中に怪異を入れている。言うなれば、血そのものがどちらも混じり物だ。その差異に賭け、自分は勝利した。

 

「お前……心配させやがってバーカ、何が『何かあったら止めてくれ』だよ」

 

「……まあ、色々とな」

 

 飛び付いてくる寅地に辟易としていると、違明は納得行かないという声色で自分に問うてきた。

 

「……君の動きが読めなかった。あれはどうしてかな」

 

「自分にとって祓いは誰かを傷付ける物ではない。貴方だって、助けられるなら助けたい。もう目の前で誰かが死ぬのはうんざりだ」

 

 実際にあのまま覚と天邪鬼を憑かせていれば彼の身体は砂となって消えていただろう。しかし彼は理解できないという表情を浮かべ、その後嘲笑うような笑みを浮かべた。

 

「確かに僕は君に一本取られたようだ。でももう巫女の変化は止められない! 端からこの十二日間の果てに君に結末を変える力なんてなかったんだよ!」

 

 まだ辛うじて心依の身体は人の形を保っていた。最後の最後でこんな博打に身を任せなければならないのがもどかしい。

 懐から包み紙を取り出し、剥がす。その中に入っていた蛇神の鱗を見て、彼は今から自分が何をしようとしているのか悟ったらしい。

 

「……やめろ。君が選ぼうとしてる道は、君に何の意味も齎さない。君自身が報われる事も救われる事もない、君の人生に意味なんて何もない!」

 

 掌底が効いているのか血を吐きながら顔を歪める違明に、ただ微笑む。縋り付きながら彼は続けた。

 

「……僕は君が嫌いな訳じゃない。ただ、人が生きてきたならそこに意味があるべきだ。何か残る物があるべきだ」

 

 きっと彼にとってはそれが本音なのだろう。例えそれが自分達の在り方を縛り付け、この身を苛む呪いだとしても。言うなれば彼もまた芥屋の被害者なのだから。

 

「貴方の事を許せはしないが、少しは理解できる気がしてきた。けれど報われたか、救われたかなんて事は自分で決める。それに呪いなんて、ない方がきっといいですよ」

 

 訝しげな顔をする寅地に大丈夫だから、と目配せをする。

 

「呪う方も、呪われる方も苦しむだけだから。もう終わりにしましょう、こんな事」

 

 黒く鈍く光る神の一部を口に含み、飲み下す。少し生臭く、苦かった。

 そして強く願う。自分が本当に望んでいた事を。

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 気付けば、最近ずっと見ていた夢の中にいた。ぼんやりと暗く、温かい海のような中を彷徨っている。ただ一つだけ違いがあった。

 

「……来ちゃったんなら仕方ないよな。まあ大体見てたけど」

 

 あの夜に山中で出会った蛇神の姿があった。同じように漂いながらも困ったように笑っている。釣られて自分も笑ってしまう。和やかな時間だった。

 

「じゃあ一応聞いておくか。お前は何を願って、何を捧げる?」

 

 あの夜から、多分この結末は決まっていた。

 

「心依が笑って暮らせる日々を。その為には『芥屋一砂』は死ねないから、だから捧げるのは自分の全てです」

 

 それを聞くと蛇神は納得したように頷いた。

 

「分かった。後は上手いことやってやるよ、契約成立だ」

 

 やっと肩の荷が下りた気がした。十八歳の餓鬼に背負わせるには余りに重い荷だろう。もうこれで何も考えなくて済む。そんな思考を見透かしたように蛇神は声を掛けてきた。

 

「お疲れさん。誰も彼もお前の事を『いつも誰かの為に頑張っている』人間としか見てないもんな」

 

 自分はそんな大層な人間ではない。それも分かってるよ、と言うような口振りで彼は続けた。

 

「本当のお前はいつも不安で、愛されたくて、けれど誰も信じられないから一人で全部やろうとしてるだけなのに」

 

 図星だった。自分はただ家の役目を全うしていれば存在している価値があると思い込んでいたから。だから彼女に「好きだよ」と言ってもらえて、本当に嬉しかったのだ。それだけで、自分は全部を捨ててもいいと思えたのだ。

 

「怖いだろ。不安だろ。別に泣いてもいいぞ、誰も見てないからな。一度くらい自分の為に泣きじゃくったって俺はお前を軽蔑しない」

 

 不安ではないと言えば嘘になる。悔いがないと言えば嘘になる。本当は自分(・・)で寅地と大学に行きたかったし、心依の隣にいたかった。

 でも、それはもう無理だから。

 

「最後は笑うって決めてましたから。だから泣かない。自分は、ここまでの歩みを何一つとして後悔していないから」

 

 虚勢だったけれど、声は震えていない。最後くらいかっこつけたって構わないだろう。

 

「じゃ、今際の際だ。時間はないけど愛でも謳ってこいよ」

 

 

 

 意識が戻る。

 次に眠ってしまえば、再び目が覚める事はないだろう。でも、もういいのだ。

 

 自分の願いは一つだけだから。

 芥屋一砂がずっと、心依の隣にいられるように。

 死んでもいいと宣う彼女が、いつまでも笑って生きていられる幸せな日々を歩めるように。

 

 桜と出会いが咲き乱れる春になっても、蝉の声と滲む汗に顔を顰める夏になっても、木枯らしと虫の声に耳を澄ます秋になっても、別れと白い息を夜に溶かす冬になっても。

 ずっと彼女を隣で守る、そんな神様に。何も怖い事はないのだ、そう言い聞かせて心依の顔をもう一度最後に見る。きっと届く事はないのだけれど、それでも言っておかなければならない気がする。

 

「初めて君と会った時から。本当に、ずっと君の事が好

 

 

 視界が暗転し、冷たく深い海に突き落とされたように意識が沈んでゆく。結局言えなかったが、芥屋の男なんて皆そんなものだ。

 次の自分(神様)は上手くやってくれる事を願う。まあ大丈夫だろう、なんたって全知全能だ。

 泡のように今のこの思考すら溶けてゆく。憂う事は何一つとしてなかった。寧ろ肩の荷が降りてほっとしたような気さえしている。生まれてからずっと、誰かの為に使ってきた人生なのだから。

 そう考えた後、ふと湧いてきた感情に笑みが溢れた。

 

 

 ああ。本当に、それでも死にたくないな。

 今なら心の底から笑ってそう言える。本当にこの十二日間は辛い事もあったけれど、幸せだったから。

 

 

 そっと目を閉じる。短いけれど、温かな夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 友人がいきなり得体の知れない物を飲み込み、伊勢虎時は狼狽していた。ただでさえ友人の身体はもう人とは呼べない。これ以上変な物入れんなよと心配しながら沈黙した彼の身体を揺さぶる。

 

「おい……一砂? おい、おい!」

 

 その声に反応したのか、ゆっくりと一砂が目を開ける。

 

「虎時。悪いが手伝ってくれ」

 

 その口振りに少なからず虎時は安堵した。いつもの友人に違いはなかったし、何ならずっと怪異に苛まれていた先程よりも調子が良いように見える。

 

「しかし手伝うっつっても何をだよ……殺すのか?」

 

 この変異速度では百足巫女として覚醒するのも時間の問題のように思えた。

 

「馬鹿な事を言うな。神も怪異もその本質は同じだ、やる事は一つと決まっている。違明で実演してみせただろ? 外すんだ」

 

 虎時には何故か、一砂の瞳が蛇の瞳孔を思わせるような輝きを一瞬放ったように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年()少女()の物語は十二日間の旅の果てに、少年()少女()の物語となる。

 

 

 

 

 

 

 

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