【完結】それでも死にたくないな、と貴方は笑って言ったのだ。   作:しゅないだー

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#12 十二の夜を越えた先

 

 

 もうとっくに時計の針は零時を回り、灰色の雲が時折月を覆い隠す。十二日間の旅の終わりが刻一刻と近付いて来ていた。

 

「外す……んな事言ったって、そもそもお前の呪いと巫女の呪いは同じなんだろ!? 外せねえって!」

 

 語気強くそう言い放つ寅地の言葉を気にした様子も無く、淡々と彼は続ける。どこか達観したようなその落ち着きぶりは先程までの自らに巣食う怪異に苛まれて不安定だった頃とは別人のようだ。寧ろわざとらしいほどに『芥屋一砂』で全て塗り潰されているような。

 

「今の自分なら外せる。そうは言っても怪異としての百足に表に出てきてもらわなければならないが。お前は自分が心依に近付けるよう援護してくれ」

 

 要するに可能な限り巫女の気を引け、という事だと理解した彼は「分かった分かった」と返事をしながら刀に付いた血を袖で拭う。何もおかしい事はない筈なのに、何故か喉に小骨に引っ掛かったような違和感があった。

 

「何食ったのか分かんねえけど大丈夫なのかよ、お前」

 

「どこか自分に心配な所でもあるのか?」

 

 そう言われて虎時は友人の姿をもう一度眺める。外見に異常はなく、少し堅苦しい喋り方も出会った時から変わらない。ほっとしたように笑って、刀を肩に担いだ。

 

「いつだってお前見てたら心配事が尽きねえよ。仕方ねえから付き合ってやる」

 

 巨大な百足の下半身に一糸纏わぬ上半身、そこから突き出す六本の腕。虎時があの夜に公園で目撃した物とほぼ変わらなかったが、そのスケールは比べ物にならなかった。

 夜の遊園地を覆い尽くすような巨躯から発される叫声は、まるでこれから自らが行わなければならない事に対しての慟哭のようにも聞こえた。

 アトラクションを伝ってまだ動き続けているゴンドラに彼は手を掛ける。そのまま空中高くから蛇の瞳孔を思わせる瞳で百足巫女と化した心依を眺めて一人呟く。

 

「呪いを解けるのは、それもまた別の呪いだけだ。知ってるだろ? 蛇は祟るぞ」

 

 ■月■日、午前■時■■分。

 

 神級災害:仮称"百足巫女"、或いは姦姦蛇螺(カンカンダラ)

 ■県■■市にて二回目──そして最後の顕現。

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 違明や死体の群れとやり合った際に虎時は大きくダメージを受けていた。幾ら頑丈とは言えども、所詮はただの人である。腕は軋み、足は棒のようで、今すぐ地べたに寝転んでそのまま眠ってしまいたい。

 だが。

 

「前に一回……見たからな!!」

 

 百足を思わせる胴体から突き出す数多の触腕を刀一本で捌きながら耐え凌ぐ。それほどまでに彼を突き動かすのはただ一点、ずっと騙してきた自分を友人と呼んでくれた一人の言葉だった。幾度もの打ち合いの果て、巫女の本体が虎時の方を向いた。飛び散る酸性の飛沫に、触れただけで肉を引き千切るような触腕によってその身体は鮮血で染まっていたが。

歯を剥き出しにし、獣のように獰猛に笑う。

 

「こんだけ気引いたら十分だろ!」

 

「上出来だ」

 

 ゴンドラから飛び降りるようにして、全体重をかけながら頭を掴むようにして巫女の上半身を地面に叩き付ける。割れたアスファルトから舞い登る土煙が姿こそ隠していたが、巫女はすぐに身体を起こした。その身には傷一つ付いておらず、虎時は目の前が真っ白になるような絶望感を味わいながらも再び震える手で刀を握り締める。

 

「そんな物騒な物置いておけ、虎時」

 

 彼は慈しむように巫女の上半身を抱き締めていた。怒り狂いながら巫女は振り落とそうとするが、その身体は身動ぎ一つしていない。

 

 お前達ばかりずるい。

 私はあの人を喰ってしまったのに。

 これからもずっと救われない。

 

 そんな言葉にならない怨嗟と慟哭が巫女の身体の中に渦巻いているのを、彼は感じ取った。心依の前の代、そのまた前の代、ずっと続いてきた贄と巫女の歴史が今の芥屋を築き上げてきたと。

 けれど。

 

 その少年は最後まで誰も怨まなかった。血筋も、向けられた悪意も、どうしようもなかった自分の人生に対しても。だからこそ懸命に足掻き続けて掴み取った一筋の光は其処に届く。十二日間の苦難の果てにあったのは怨嗟ではなく、感謝だった。

 故にそれは単なる言葉遊びだったとしても、彼女を救うのは怨ではなく。

 

「──(オン)、か」

 

 そう笑いながら呟いて、彼は巫女の顔にそっと触れた。千年を超えて積もる怨みと共に、その巨躯が淡雪のように溶けて消えてゆく。

 後に残されたのは心ここにあらずではあるが無傷の心依と、その近くで微かに蠢く小さな百足の姿だけがあった。彼女の無事を確認すると百足を摘み上げ、嫌いなものでも見る時のように顔を顰めた。

 

「ま、こいつならこう言うんだろうな。俺にとっちゃ仇敵なんだが」

 

 誰にも聞こえない声でそう囁く。

 

「おやすみ」

 

 そう言って百足を握り潰した瞬間、風が大きく吹き上がる。夜空に向かって駆け抜けたその風切り音には、数多の「ありがとう」が混じっているようにも聞こえた。

 その後、彼は上着を脱いで一糸纏わぬ心依に着せて手を取る。春とはいえまだ冷える夜風に身を震わせながらも、彼女は自分の足で立って彼の胸に縋り付いた。

 

「……一砂くん、私、生きてる? 一砂くんも、生きてる?」

 

 まだ信じられないという風に、辿々しく自分達が生きているか健気にと訊ねてくる彼女を彼は優しく抱き締めた。あいつならきっとこうするだろう、と。

 

「ああ、全部終わったんだ。全部な」

 

 それを聞いて安心し切ったのか、彼女は泣き出した。まるで人として生まれ直すかのように。失った物は数多くあるが、芥屋の夜明けは日の出と共に確かに照らし出されていた。

 

 

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 その日を境に芥屋の血に備わっていた呪いは解け、それに伴って全国に数千人程いた芥屋系列の怪異祓いはその力を失った。

 当主である芥屋違明はその責任を追及されると共に、今迄の非道な怪異を用いた所業や他家への干渉にもメスが入れられている。

 

 正否はまだ明らかにされていないが、中四国の怪異祓い『出雲』の取り潰しに関しても彼が出雲当主の妻に怪異を無理矢理憑かせたという疑いが出てきている。一説によれば彼らの上役に当たる『伊勢』の勢力弱体化や怪異を用いたより強力な怪異祓いの誕生を期待していた、など様々な噂が取り沙汰されているが何れにせよ真相は不明である。

 

 水無に続いて芥屋系列も前線に立つ事はできなくなり、実質伊勢が一手に祓いを引き受ける事となった。未だ増え続ける怪異に深刻な人手不足で悩まされているが芥屋の残党の希望者を募り、鍛えて伊勢に迎え入れる事でそれを解消しようとしている。今回でその力を示した出雲兄弟にはより高等な教育を受けさせた上で要職に付ける事も検討しているという。

 同様に今回の一件で大きな功績を上げた伊勢虎時は兄から当主の座を譲られたが「とりあえず大学卒業するまではパスで」と固辞した。この春からは同じく解決に寄与した友人、芥屋一砂と同じ大学に通う事となっている。

 

 芥屋錨の亡骸は妻である千代の元に送り届けられた後、荼毘に付された。死後一週間は経っていた筈だがその身体には傷一つなく綺麗なままで、彼女は訝しみながらも「最後に顔が見られて良かった」と安心したように笑った。彼の死に顔はずっと気に掛かっていたやり残しが晴れたような、そんな清々しい表情をしていたから。今でも一砂達二人と千代の間では交流が続いている。

 

 父を亡くし家を裏切った一砂と戸籍もない心依に関しては伊勢が国に働きかけ、身の安全を保障すると共に一般人として暮らしていけるよう取り計られている。事情を知り後見人となった金本という刑事の家で、今は二人とも世話になっているという。

 

 斯くして少年と少女の最後の十二日間は終わりを告げた。千年に及ぶ悪習を打ち倒し一人の少女を救った大団円の裏で、誰にも気付かれる事なく一人の少年が消えた事を誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 じっとりと湿った枝葉を掻き分けながら、私はゆっくりと森の中を進んでいく。その後ろを付いてきながら一砂くんは誰かと電話で話していた。

 

「……だから無理だと言ってるだろ。もう自分は戦えない、一般人だからな。お前達みたいな筋肉馬鹿と一緒にするな、じゃあな」

 

「今電話してたのって寅地くん?」

 

「ああ。何でもまた強力な怪異が出現したそうだ。巣食うものだったか何だか、まあもう自分には縁遠い話だ」

 

 面倒臭そうに欠伸をしながらも付き合ってくれるのは有り難い。人間かどうかすらはっきりしていない私が金本さん達と一緒に穏やかに暮らせているのは、全部一砂くんが私を助けてくれたからだ。本当に感謝してるし、私じゃ返し切れない程の沢山の物を貰っている。人としての暮らしも、心依という名前も。

 けれど今日、私はもしかしたらその関係性を壊してしまうかもしれない。その恐ろしさを考えるとじっとりと手が汗で濡れる。でも、それでも私はやらなきゃいけない。そう拳を握り締める。

 

 そのまま歩き続けて辿り着いた目的地は一本の大樹。緑に色付いた葉が微風に揺れて心地良い音を立てていた。

 

「ここ、どこか覚えてる?」

 

 私がそう尋ねると彼はほんの少し思案した後、何のつもりだろうかと訝しみながらも答えた。

 

「ああ、覚えてる。自分と心依が最初に出会った場所だ」

 

 正解。

 でも違う。上手く言えないけど、違う。あの十二日から一ヶ月が過ぎていた。確かに全部ぐちゃぐちゃになって一砂くんを食べたくなってしまった私を助けてくれたのはこの人だけど、違う。

 

「貴方、一砂くんじゃないでしょ」

 

 言ってしまった。多分何を訳の分からない事言ってるんだって思われたかもしれないけど、でもそう思ってしまったんだから仕方ない。

 

「どうしてそう思ったのか聞いてもいいか」

 

 何故か目の前の彼はそれを否定するでもなく、ただその理由を尋ねてきた。

 

「一砂くんは、貴方みたいに強くない」

 

 この一ヶ月もずっと一砂くんと過ごしてきて、けれど何かが違うって思い始めた。上手く言葉じゃ言えないのがもどかしい。

 

「あの人はいつも肩肘張って前だけ向いてたけど、でも一人の時は座って俯いていつもこれで良いのかって迷ってた。それでも周りが一砂くんを誰も助けてあげられなかったから! 私、ずっと後悔してた。気付いてたのに、一砂くんが自分の名前も分かんなくなってた事。でも私、自分が無くなっちゃうのが怖くて心配してあげられなかった」

 

 最後の方はずっと彼も限界寸前だったのに、それがあの一夜で何一つ身体に不自由なさそうにしているのもおかしかった。最初はそれも無邪気に喜んでいたけど。

 

「貴方は見た目も、喋り方も、性格も一砂くんそっくりだけど。違う。違うの」

 

 言葉を紡ぐ度に少しずつその想いが確信に変わっていく。

 

「私が好きになったのは! ずっと誰かの為に頑張って、けれど自分の救い方は分からなくていつも悩んでた、そんなどこにでもいる十八歳の男の子なの!」

 

 私がそう叫ぶと彼は小さく「なんだ、分かってる奴もいるじゃないか」と呟いた。今まで見せた事もないような醜悪な表情で大樹の根元に音を立てて座り込む。

 

「ああ、この身体の持ち主が好きなんだっけ? もう無理だよ、契約しちゃったからな。こいつは本当滑稽だったよ、君にずっと笑ってて欲しいなんてさ。それで自分が消えてちゃ世話無い、結局あいつの人生に意味は無かったな」

 

 全部の意味を理解できた訳ではないけれど、目の前が真っ暗になる。多分一砂くんは私を助けるために、消えたのだ。私が独りぼっちにならないように代役を立てたのだ。

 

「一砂くんを、返してよ……一砂くんを馬鹿にしないでよ!」

 

 全部私のせいだけど。でも、一砂くんの人生に意味が無かったなんて言われて許せる訳がない。怒りで涙が滲む。そんな格好悪いの嫌なのに、一度それを自覚してしまったらもう止められなかった。

 溢れ出してくる涙を拭う事もせず、蹲って泣く。こんなのあんまりだって。一砂くんはいつも誰かを助けようとしてたのに、結局誰も彼を助けられなかった。

 

「泣いたな」

 

 目の前の誰かがそう呟いた。

 

「泣かれちゃ仕方ないな。俺は『心依がずっと笑っていられるように』って願われたのに、これじゃ契約不履行だ。しかもこっち都合なんて、熨斗付けて返してやらなきゃいけないじゃないか」

 

 何の事かさっぱり分からない私に対して、わざとらしくそう嘯くと彼は微かに笑った。その笑顔は前に何処かで見た、誰かに少し似ている気がした。

 

「ま、なんだ。とどのつまり俺は頑張ってる人間が大好きなんだよな。言ったろ?」

 

 その言葉と同時に、彼は突然膝をついたかと思うと嘔吐いて何かを吐き出した。黒い鱗に引っ掛かった……薄汚れた包帯の切れ端と一本の菅。

 咳き込み続ける彼に鞄から水の入ったペットボトルを渡す。喉を鳴らしてそれを飲んだ後、口を濯いでやっと立ち上がった。

 

「……心依?」

 

 その声はさっきと変わらない。けれどその不安げな響きは迷子になった子供のようで、確かに一砂くんだった。

 

「……バカ!」

 

 首に手を回して抱き着く。何も分からないといった様子だけど、震える手で抱き返してくる体温の温かさに何だか泣きそうになる。どれくらい経ったか忘れたけど、身体を離すと一砂くんは困惑した調子で口を開いた。

 

「自分はもう、終わったものだと」

 

 終わった、というのはきっとあの名前も知らない誰かに取って代わられる事を指している。私だったら絶対に耐えられない。自分があれだけ頑張ってきたのに、誰にも知られずに消えていって惜しんでもらう事もできないなんて想像しただけでも怖くなってくる。そんなの、悲しすぎるから。

 

「なんであんな事したの?」

 

 詰問する訳でもなく、ただ聞いた。だってまだ一砂くんがそれを選ぶ程に追い詰められた理由が分かってないから。なのに、まるで母親に怒られた子供みたいに彼は後ろめたそうに俯いてぼそぼそと呟く。

 

「自分が生まれたから父さんも母さんも不幸になって。人だって殺してしまって、のうのうと生きてて良い訳がないんだ。そんな道理が罷り通る筈がない。だから君を助けられただけで良かったのに」

 

 ああ、この人は優し過ぎるのだ。ずっと自分の選択を悔やんで、もっと良いやり方があったんじゃないかとそれに苛まれ続けている。彼にとって自分を犠牲にするという選択肢が一つの救いとなるくらいに。でも、もう一砂くんもそんな呪いから解き放たれていい筈だ。だって十分頑張ったもの。

 

「私は一砂くんがどうしたいのか、を聞きたいな。私の為とか道理がどうとかどうでもいいよ。一砂くんはどうしたいの?」

 

 私の答えは決まっている。

 私を救ってくれて、そして私が救ったこの人とこれからを生きていきたい。それだけで十分だ。彼は落ち着かなさそうに視線を動かす。本当に自分がそれを願ってもいいのだろうかと、助けられなかった人も多くいるのに、と前置きまでして。

 

 

 

 それでも君と生きていきたい、と貴方が泣きながら言ったから。

 私は笑って、ただその震える身体をもう一度抱きしめたのだ。

 

 

 

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 眠りに就くにはまだ早い少年が、貴女に名前を付けてから。

 たとえ英雄にはなれないとしても、愛しているの言葉が届かなかったとしても。

 誰が咎を我が咎だと背負い続け、幾度の「初めまして」と「さようなら」を繰り返して少年と少女は恋を知る。

 そして花に嵐を越えたずっと先で、ありふれた二人の他愛ない話が今際の際に愛を謳って終わるまで。

 

 ここからはそんな、十二の夜を越えた先の話。

 

 

 

 

 

 






無事完結までお付き合い頂きましてありがとうございます。
もし宜しければ最後に感想や評価など頂けると次の励みになります。
改めましてここまでお読み頂き、本当にありがとうございました!

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