【完結】それでも死にたくないな、と貴方は笑って言ったのだ。   作:しゅないだー

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#4 愛している、が届かない

 

 

 形式として警察に連れて行かれたが、自分でも拍子抜けするほどあっさりと釈放された。怪異が関係している事と芥屋が警察と懇意にしている事を照らし合わせてみれば、驚く事ではなかったが。

 駅に配置されたマネキンによって怪我をした者は多数いたが、死者は一名だけだったらしい。自分が頭を砕いたあの宿主だ。

 

「一砂がんな事する訳ねえだろうが!」

 

 別室で話を聞かれている最中、そう金本さんの叫ぶ声が聞こえてきて目を伏せた。たとえ事情がどうであれこの左手にはあの頭骨を割る感触が、洗っても洗っても取れそうにない血の臭いが染み付いている。

 

 人殺しの手だ。

 

 警察署を出た時には既に日はとっぷりと暮れていて、空には頼りなげに三日月がぼんやりと浮かんでいた。俯いて帰り路を行こうとした時、叱咤するような厳しい言葉が飛んでくる。顔を上げると淀んだ瞳をした錨さんが立っていた。

 

「情けない面をするな、士気が下がる。家に帰るまでに元の仏頂面に戻しておけ」

 

「……すみません」

 

 今回の一件で自分と心依様が狙われていると判断した当主は更に増援を呼んでいて、明朝には到着するらしい。

 家に残っている者は彼女の護衛に回されているが、自分に対しては錨さんが単独で迎えに来たということになる。アンバランスなようだが、彼がそれほどまでに別格の強さを誇っている証左だ。

 

「増援と言っても雑兵だがな。まあ陽動くらいにはなる」

 

 傲慢な口振りにも思えるが、事実だから仕方ない。血が薄ければ高位の怪異に対して然程効果は見込めないし、何なら動きが目立ってしまうデメリットもある。

 それでも頭数を揃えるメリットを当主は優先したのだろう。

 

「ところで話は変わるんですが、あの話は本当なんですか」

 

 きさらぎ駅の中でマネキンが暴れた際、錨さんを含めた護衛はその鎮圧に追われていて此方に応援に来るのが遅れたそうだ。それでも処理を済ませ、ホームに向かおうとした最中にそれを見つけたという。

 

 夥しい量のマネキンが破壊された痕跡。

 即ち『芥屋以外の誰か、若しくは何か』が其処にいたという事だ。

 

「ああ。単純な腕っ節なら恐らく俺より上だ」

 

 怪異を祓っていたという事は少なくとも敵ではない筈だ。けれどそれなら何故正体を明かす事もしないのだろうか。何とも言えない薄気味悪さが漂っていた。

 元々自分も錨さんも無口な方だからか、すぐ会話は途切れる。少し心地悪いな、と思っていると彼が徐に口を開いた。

 

「"刈り(殺し)"は初めてだったか」

 

「……はい。今までの怪異は大抵一度殴れば外れましたから」

 

 のっぺらぼうも、きさらぎ駅も自分の天敵のような存在である事を改めて痛感する。外せない相手に対して、自分は物理的にも精神的にもなす術が無い。

 

「お前は甘過ぎる。血に驕る事なく更に修練を積め。そんな事だから俺相手にすら組手で一本も取れんのだ」

 

 錨さんに一本取れる人間は少なくとも芥屋には存在しない。

 自分が彼に稽古を付けてもらうようになったのは、確か八歳の頃からだった。その当時、錨さんは今の自分と同じ十八歳の高校生だったが長期休暇の際には怪異退治の武者修行として既に全国を旅していたという。

 分家の末端である自分は、本家の人間に御目通りを願う事も本来は難しい立場だ。そんな自分が本家の次男坊である錨さんに稽古を付けてもらえたのは、(ひとえ)に贄だという事が大きいだろう。死なれては困る、しかし芥屋の人間である以上は怪異に対して挑まなければならない。

 

 つまるところ、自分は死ぬ為に(・・・・)死なないよう鍛えられてきた。

 にも関わらず、錨さんとの稽古は楽しかった事を覚えている。

 いや、稽古自体は厳しいものだったのだが。何とも説明が難しい。ただ兄弟のいない自分にとって、昔は彼が歳の離れた兄のように思えていたという事だ。きっと構って貰えるだけでも嬉しかったのだろう。

 そう考えると、いつからこんな他人行儀にお互い接するようになってしまったのか。

 

「人を、傷付けるのが怖いんです。今までは怪異に憑かれてるからって自分に言い聞かせてきました。でも、あのきさらぎ駅の宿主は確かに」

 

 そこまで言いかけて吐きそうになる。こんな事でこれから心依様を守れるのだろうか。情けなくなってまた俯く。

 

「ふん、庶流の小童が一丁前にお悩み事か」

 

 そう言って彼は足を止めた。

 

「お前がした事は決して褒め称えられる事ではない。理由はどうあれ人命を奪った事に変わりはない」

 

 思わず目を瞑る。

 己の咎を突き付けられる罪人の気分だった。

 

「だが、蔑まれる事でもない。お前の判断があの場にいた者全ての命を救った。礼を言う」

 

 驚いて錨さんの方を見ると、彼は此方に目をやる事もなくただ遠くを見据えていた。

 

「顔を上げ、背筋を正せ。己を責めて考える事を放棄するな。それは楽になるための卑怯な道だ。自分にとって何が最善か、常に思考を巡らせろ。そして選び取った答えにだけは胸を張れ。地獄までその罪を引き摺ってやると吼えろ。一分の悔いも残さないように、全てを燃やし尽くして」

 

 そこまで言って、彼は口を噤んだ。

 

「それでも死にたくないな、と最期に言えるような人生にしろ。満たされないくらいが俺達には丁度良い」

 

 それでも死にたくないな。

 己の命を擲つ事も厭わない芥屋の人間にとってそれは何とも情けない言葉だと感じた。それを芥屋の中でも高い立場である錨さんが呟くのが何とも可笑しくて、自分を気遣って慣れない冗談を飛ばしてくれるくらいにはまだ好かれていたのだと少し嬉しくなった。

 

「あと十日しか生きられない人間には些か酷ではないですか」

 

 こちらもお返しに冗談めかして返すと彼は暫く押し黙ってしまった。その後、何故か言い淀みながら目を逸らす。

 

「男子三日会わざれば刮目してみよ、と言うだろう。庶流の小童でも変わるには十分な時間だ」

 

 会話が止まる。冬の寒夜ではあるが、数日前に比べると微かに吹き付ける風は柔らかくなっていた。春も近いのだろう。

 

「お前は少し、優し過ぎる。恨んで当然なんだ、本当は」

 

 ぼそりと錨さんが呟く。

 どういう意味か測りかねて聞き返すと「何でもない」と少し不機嫌になっていた。

 

「そういえば依代様を救った褒美を忘れていたな。望みの一つくらいは叶えてやる、俺にできる事なら好きに言え」

 

「いえ、そんな自分には勿体無い……あ、なら今から自分が何か言っても気にしないで下さい。少しだけでいいので」

 

 そう言うと彼は不可解そうな顔をしたが黙って前を向いた。

 

「錨(にい)ちゃん、なんて。はは……すみません」

 

 ずっと昔、幼い頃にそう呼んでいたのを思い出して何となく懐かしくなってしまったから。甘ったれるな、といつものように叱られるかと思って首を竦めていたがいつまで経っても怒声は飛んでこない。

 どうしたんだろう、と顔を向けると。初めて錨さんは自分の方を見た。そして何だか泣きそうな顔で少し笑った。

 どうかしましたか、と尋ねると彼は照れ臭そうに頭を掻いてぶっきらぼうに呟いた。

 

「いや、随分と背が伸びたと思ってな」

 

 それでもまだ錨さんの背には届かない。けれどそれが今はどうしてだろうか、嬉しかった。

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 家に帰ると父への挨拶もそこそこに、心依様の部屋に向かう。

 他の手段を考え付かなかったとはいえ、随分怯えさせてしまった。許して頂けるかは分からないが、嫌われる訳には行かない。

 襖越しに声を掛ける。

 

「心依様。遅くに失礼します、少しお時間よろしいでしょうか」

 

「……一砂くん? いいよ、どうぞ」

 

 少し沈んだ口調ではあったが返事があった事に安堵する。襖を開けると部屋の隅の方に縮こまるようにして座っていた彼女から、程近い場所に腰を下ろす。

 

「今回は自分の至らなさで憂き目に遭わせてしまい申し訳ありませんでした。次はこのような事が無いよう努めますのでどうか──」

 

「一砂くんはさ。あのおじさんを殴りたかったの?」

 

 遮られるようにそう言われて困惑する。そんな筈がないだろうと一喝したかったが、そういう訳にもいかない。

 

「滅相もないです」

 

「だよね。じゃあそれは私のため?」

 

 暫く迷って頷く。やらなければあの場にいた全員が恐らく死んでいたが、それでも自分が拳を振るえたのはきっと彼女がいたからだ。

 すると彼女は悲しそうに目を伏せた後、自分の頬に手を添えた。彼女の手はほんの少しひんやりとしていた。

 

「やりたくない事はやらなくていいよ。本当は分かってた、多分一砂くんがああしてなかったら私達はどうにかなっちゃってたって」

 

「いや、しかし」

 

「それで死んじゃうんだとしても。私も一緒に死んであげるから」

 

 言葉を失った。そんなの本末転倒だと言おうとして胸が詰まる。声が震える。そうしてやっと、自分が泣いている事に気付いた。

 

「だからもっと、自分を大事にして。一砂くん、ホームで泣いてたじゃん。君が泣いてる所見たくないよ」

 

 何故か彼女もそう言うと泣き出してしまって、二人で顔を見合わせて涙まみれになりながら笑った。

 顔を拭いた後、気になって「どうしてそこまで自分なんかに命を預けてくれるのか」と尋ねる。すると彼女は少し恥ずかしそうに顔を逸らした。

 

「いや〜だって私、記憶も何もないしさ。不安なんだよね、私って本当にここにいるの? って。でも一砂くんは命を懸けて私を守ってくれるし、好きになってくれるんでしょ?」

 

 それで十分だよ、と彼女は呟いた。なら自分もそれに報いない訳にはいかない。

 

「ではお詫びとお礼に、一つ何でも申し付けて下さい。自分にできる事なら何でもします」

 

 錨さんの真似をしてそう言ってみる。

 

「何でも!? 言ったよね、よーしどうしよっかなー」

 

 彼女は少し考えた後、ぴんと指を立てる。

 

「じゃあ様付け禁止、これからタメ口ね。はい、決定!」

 

「それだけは勘弁」「男に二言はないよね」の押し問答の末、暫く逡巡していたが意を決して口を開く。

 

「心依。これでいいか?」

 

「……なんかちょっと、面と向かって呼ばれると照れるね」

 

 そう言われると何だか自分の方まで照れ臭くなって顔が熱くなる。けれど不思議と悪くない心持ちだった。

 

 その時。

 たーん、とでも形容すればいいのだろうか。何かが弾けるような音が遠くから聞こえてきて顔を見合わせる。

 

「何だろ、花火かな? 冬なのにね」

 

「流石に酔狂過ぎないか」

 

 さっきの破裂音は自分達への祝砲だったのではないかと考えてしまうくらい、心が晴れやかだ。何でもない会話で笑い合う時間さえも、彼女と一緒なら不思議と心地良い。

 こんな簡単な事を忘れていたんだな、と自分を恥じると同時に気付けた事に安堵した。きっとまだ遅くはない。

 

 伝えなければ届かない、たったそれだけの大切な事。

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 夜も更け切った丑三つ時。

 屋敷からそう遠くない木陰に芥屋錨は座り込んでいた。

 屋敷の周りには怪異避けの呪いが張ってあるため、護衛達はそれを更にカバーするように主に屋敷周辺に待機している。と言っても怪異がこの近辺まで来た試しはない。恐らく本能で芥屋の住む場所を忌むべきものとして避けているのだろう。

 

 意を決したように彼は着物の袖からスマートフォンを取り出し、電話を掛ける。深夜にも関わらずすぐにそれは繋がった。珍しく少し緊張した声色で錨が口火を切る。

 

「俺だ。なあ、兄貴よ。一砂を贄にする以外に本当に方法はないのか」

 

 交渉が上手くいかないのか、次第にその口調は刺々しくなってゆく。それでも乞い願うように辛抱強く彼は話し続けていた。

 

「そんな事は分かっている。分かっているが、あれはまだ子供だ……ちっ、もういい!」

 

 業を煮やしたのか、一際大きな声で叫ぶと電話を切る。拗ねたように草地に身を投げだすと、月を眺めてぼやいた。

 

「無力だな」

 

 草を踏み締めるような音がした。こんな時間に誰だろうか、と彼は上体を起こして視線を向ける。

 

 幼さの残る顔立ちの少年が月明かりに照らされて立っていた。

 

 怪異の気配はない。

 少女にも見紛うような銀の長髪が夜風に吹かれて靡いた。まだ小学生くらいであろうその少年はおずおずと声を掛けてくる。足が悪いのか、その手には杖が握られていた。

 

「あの、道に迷うてしまったんじゃけど。よかったら教えてくれん?」

 

 訛りの入った言葉はこの地域ではあまり耳にしない。しかしこんな夜更けに子供が迷子とは塾か何かだろうか、そう不審感を抱きながらも優しく話し掛ける。

 

「構わないがそれよりも、夜遅くに子供が一人で出歩いているのは良くないな。家の者に送らせるから少し待ってくれるか」

 

 そう言って彼がスマートフォンを取り出した時だった。

 

「芥屋いうお家はどこですか」

 

 聞き間違いか、と思い錨は目を瞬かせる。いや、聞き間違いであってくれと願うのは彼の甘さだった。

 

「……ご両親の連絡先を覚えているか?」

 

「父ちゃん母ちゃんはおらんよ。おじさんもおばさんも、いとこのがっちゃんもみーんなおらんよ。死んじゃったもん」

 

 錨の背中に駆け上るような怖気が走る。目の前の相手が怪異であってほしいと彼は生まれて初めてそう願った。

 

「あんたはよお知っとるじゃろ?」

 

 そう笑って、少年は杖の先を錨に向ける。

 杖のように偽装されているが、それが獣を撃つ為の長銃だと錨が気付いた時には破裂音と共に既に腹を弾が貫通していた。

 歯を食いしばり痛みを堪え、溢れてくる血を片手で抑えながら袖に忍ばせた釘を投げ撃つ。

 少年は猿のような身のこなしでそれを避けると間合いを取った。明らかに戦闘慣れしている。

 初撃を諸に食らってしまったのはあまりにも重いハンデだった。

 

 だが異変を感じ取れば他のポイントに待機している芥屋の者がすぐに駆け付ける手筈になっている。最短で三分といった所だろう。それさえ凌げばどうにかなると、朦朧とし始めた意識を取り戻すべく頬を叩く。

 

「忘れた? なら鵺殺しの出雲って言ったら覚えとるじゃろ」

 

 そう子供が言った瞬間、錨の動きが止まる。そこを見逃さず、子供は再び彼の身体に狙いを定めた。破裂音の後、足の腱を撃ち抜かれて崩れ落ちる錨の腕に銃口が押し付けられる。

 

「楽に死ねる思うなよ。人殺しが」

 

 無邪気さにも似た悪意が、幼い少年の顔で笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 

 意識を取り戻した瞬間、背中の肉が削られているような痛みを感じる。ぼやけた視界が少しずつ動く夜空を映し出していた。何かに引き摺られている、と気付いて視線を自分の足先にやる。先程の少年が自分の足を片手で掴んで、何処かへ運んでいた。

 抵抗しようとするが、手足は動かない。首を動かして確認すると、腱を断ち切るように撃ち込まれたのだろう弾痕がぽっかりと空いていた。それを認めてしまったためか、じわじわと痛みが迫り上がってくる。

 胴体にも何発か撃たれた形跡があり、引き摺られる度にごぽりと鮮血が溢れ出していた。そしてやっと気付く。

 

 恐らく、ここで俺は死ぬ。

 

 そう思うと何だか可笑しくて、笑おうとしたが血痰が絡んで上手く声も出せなかった。

 

 思えばつまらない人生だった。

 

 二十八年も無駄に生きてきて何も残せなかった男にはお似合いの結末だ。怪異でも何でもないただの子供に殺されて死ぬ。

 

 

 本家の次男坊なんて物に生まれこそしたが、この血に刻まれた呪いは薄かった。芥屋の呪いは愛されて産まれた者ほど濃く、強くなるという。

 

 つまり俺は愛されていなかったという事だろう。母は物心付く前に死に、父から掛けられた言葉は「身体に気を付けるように」くらいしかない。何の事はない、俺に求められていた役割は妻を娶り子を産ませ、本家の血を絶やさぬようにする事だったから。だから怪異を祓えようがそうでなかろうが、関係は無い。寧ろ危険な現場に出ない分、その方が都合が良かったのだと思う。

 

 けれど幼い頃からそれがどうにも癪で仕方なかった。きっと骨の髄から俺は芥屋になり切れなかった。俺をまるで種馬のように見る家の者共を見返してやろう、それだけの動機で血に頼らない祓い方を身に付けた。

 外しを代々継いできた芥屋にとって、伊勢の刈りを彷彿とさせる俺のやり方は気に食わなかったようだがこの稼業は実力が全てだ。

 

 家のやり方に俺が反発しようが誰も文句は言えなかった。まだ高校を卒業したばかりだったが既に祓いで俺よりも優れた者は誰もいなかった。

 一砂に初めて会ったのもそのくらいだったと思う。今回の"贄"だ、鍛えてやってくれと紹介された時には「無愛想な餓鬼だな」という印象を抱いた。

 事実、痛みに鈍いのか多少扱いても音を上げない。けれど褒めてやると、少しはにかんで笑う姿は歳相応の少年だった。産まれた当初からその役割を定められている事にも、ある種の共感を抱いていたのだと思う。あの子の方がずっと辛い役回りには違いないが。

 数年に渡って稽古を付ける内に、一砂もそれなりに俺を慕うようになった。兄貴とあまり上手く行っていなかった事もあって、俺もあいつを弟のように可愛がっていた。それがいつの頃からか、あいつも俺もお互い他人行儀になってしまった。

 

 

 いつから俺は変わってしまったんだろうか。

 いや、分かり切っている。六年前の八尺災害だ。各都市に八尺様が侵攻したあの晩、俺はずっと他家の友人(水無蛍蛉)を心配していた。水無の封じは、高位の怪異に対しては効果が薄れてしまう。故に速攻で自分達の持ち場を終わらせ、助太刀に行く。

 そう考えていた俺に兄貴(違明)は言い放った。

 

 水無に加勢はしない、と。

 

「兄貴、水無が助力なしに一晩持つと思ってるのか!? そんな悠長に時間をかけている暇はないだろ!」

 

「僕が当主だ、だから芥屋ならこの判断に従ってもらう。まあ君が一人で名古屋まで行って助けに行くというのならそれでも構わないけどね」

 

 いくら俺が芥屋の中で優れていると言えど、たった一人でどうにかなるレベルの怪異ではなかった。縋るように周りの連中を見回す。どいつもこいつも目を逸らして、自分の事しか考えていない濁った瞳をしていた。

 唇を噛み締める俺に対して、子供を宥めるように兄貴はこう言った。

 

「それに錨、考えてみなよ。水無が潰れればその分のシェアは僕達が握れる。伊勢の連中も美味しい思いをするのが癪ではあるけど」

 

 その結果、俺の友人は顔の無い怪異(のっぺらぼう)に乗っ取られる事になる。そして兄貴の目算通り、水無は潰れた。当代一の実力だと謳われていた筈の俺の手には、何も残らなかった。

 

 

 そしてやっと、初めて悟る。たとえ自分一人が反抗しようとも、それでこの腐った連中は動かせないと。

 ならばいいだろう。俺が誰よりも強く、正しい芥屋になってやる。そして誰にも俺のやる事に異を唱えさせない。その想いだけを胸にあの日から模範的な芥屋として振る舞い続けた。

 

 いや、何も残らなかったなんて事はないな。

 

 俺の隣にはいつも千代(チヨ)がいてくれた。

 箔を付ける為だけに通っていた大学で、彼女と初めて出会った時の事を今でもよく覚えている。

 ベンチに座って文庫本の頁を手繰るその指が、本当に綺麗だったから。そんな何でもない仕草だけで、息が止まるような一目惚れだった。

 少し度の強い眼鏡をかけていて、肩まで伸びた黒髪に触れるときょとんと目を丸くする。それが何ともいじらしくて、やめてよと何度も叱られた事を覚えている。

 

 彼女には本当に悪い事をしたと思っている。俺なんかではなく普通の男と結婚して、普通に子供を産んで、そんな平凡ながらも悪くない未来があっただろうに。

 だからせめて欲しいものは何でも買ってやる、やりたい事はなんでもやらせてやると言ったのに。そう俺が言うと決まって彼女は困ったように笑って「貴方がいれば何も欲しくはないんだけど」と呟いて。

 

 俺には自分がとてもそんな値打ち物だとは思えなくて、苦々しく感じながらも「そうか」なんて気の利かない返事しかできなかった。

ならばもっと彼女に相応しく在れるように、と遮二無二怪異を祓い続けた。そんな事をするくらいならねぎらいの言葉でもかけて、一緒にいてやるべきだったのに。

 

 でも俺はそれを選ばなかった。大義の為と言い訳して何度も手を汚した。

 全ては只管に実績を積み、兄貴を当主の座から引き摺り下ろして俺が上に立つ為に。そして家同士の諍いも、代々継がれる血の(しがらみ)も全て取っ払う。誰も傷付かない己の理想を体現する。

 

 

 本当はそんな大層な物が欲しかったんじゃないのに。

 

 俺は何が欲しかったんだっけ? 

 

 ああ、そうだ。

 

 千代との子供は欲しかったな。

 男の子だと祓いに参加させられるから女の子が良い。

 いや、家とは縁を切って普通の勤めに就けばいいか。稼ぎは少なくなるだろうが、悪くない。田舎の不便な土地にでもいいから小ぢんまりとした家を建てて、週末は三人で買い物に行こう。

 それで千代達が服を買ったりしている間、俺は手持ち無沙汰で外に立ってる。娘の買い物にくらいちゃんと付き合ってよね、と買い物袋を下げて頬を膨らませる千代に俺は「悪い悪い」と大して悪びれもせずに謝るのだ。

 それで帰り道に三人で少し贅沢に外食でもして、帰って娘を風呂に入れながら「俺もいつかは嫌われるようになるんだろうか」なんて考えて、暖かい布団の中で千代の寝顔を眺める。

 

 なんで俺はこっちを選べなかったんだろうな。

 

 もう誰にも傷付いて欲しくなかったからこの道を選んだ筈なのに、俺は何も救えなかった。愛した妻を一人残し、友人も取り戻せず、自分を慕ってくれた少年を務めから逃してやる事もできない。

 

 一砂を見る度に辛かった。俺達があの子に寄って集って重過ぎる荷を背負わせてしまったから。

 

 もし神様が、本当に神様なんてものがいるのなら。どうかあの子達が逃げ出せるように。押し付けられた務めなんて投げ出して、誰も知らない何処かへ逃げ出せるように祈った。

 

 目が霞んで月明かりが金平糖のようにぼんやりと映る。もう痛みすら感じなくなってしまって、なんだかとても寒くて眠い。

 今はただ、無性に千代に会いたい。

 俺がただいまと言うと、彼女はおかえりなさいと返す。何でもないやり取りが恋しかった。

 

 目をつぶればこれは全部夢で、起きた時には暖かい布団の中だ。

 ずっと照れ臭くて言えなかった事も今ならきっと言えるのに。

 

 

 愛している、くらい言っておけばよかったな。

 鉄錆びた味のする喉から絞り出すようにそう呟くと、もう何も見えなくなった。きっと気付くには少し遅過ぎた。

 

 伝えなければ届かないなんて、簡単な事に。

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 

「兄ちゃん兄ちゃん! こいつ結構強かったで。でも儂に『オン! オン!』って言っててさあ、オットセイの物真似しとるんかなって笑っちゃったもん。怪異と勘違いしとらんかったら危なかったかもしれんなあ」

 

 まだ齢は十にも満たないだろう。あどけない顔付きの少年が月明りの下、何かを引き摺って歩いていた。灰をまぶしたような緩やかな長髪は飛び散った血で汚れている。左腕に本来は獣を撃つための長銃を携え、空いた片手で引き摺り運ぶそれを雲の切れ間から差し込む月明りが照らし出す。

 

 時折石とぶつかり鈍い音を立てながらも、力無くその四肢は垂れ下がっている。紛れもなくそれは人だった。

 だが全身に穴を空け、夜空を映し出す虚ろな瞳にはもはや光はない。藍色の着物は泥で汚れ、袖に忍ばせた釘が鈍く光る。

 

 

 芥屋 錨その人であった。

 

 

「よくやったね、(ナギ)。でも芥屋は外ししか能がないからね、それしか知らないんだ。けれど馬鹿にしてはいけないよ、そもそも怪異祓いに人を想定した対策(・・・・・・・・)を求める方が酷だから」

 

 兄ちゃん、と呼ばれた男は銀縁の眼鏡に付いた血を拭う。彼も齢は十五ほど、まだ少年だと言える年頃だった。しかしその足下には同じように銃で撃たれた複数の遺体が転がっている。拷問でも受けたのか無惨に皮を剥がれているが、いずれも芥屋の精鋭の亡骸だった。

 

「兄ちゃんは三人か、じゃあわしの負けかな……」

 

「どうだろうね。でも薙が殺したその人の方が、僕が相手した三人合わせてよりも強かったと思うよ。薙の勝ちでいいんじゃないかな」

 

「……!! わしの勝ち! また兄ちゃんに勝った!」

 

 無邪気に喜ぶ弟とそれを慈愛に満ちた瞳で眺める兄。そう言うには憚られるほど、その身体は硝煙と血の臭いが染み付いている。

 

「家まで攻め込めれば良かったんだけど、思った以上に手強くて時間かかっちゃったね。夜が明けたら流石に分が悪いや、明日に回そう」

 

「はーい! じゃあこいつもここに捨てとこ」

 

 そう言って薙と呼ばれた子供は亡骸の山に錨を打ち捨てた。滑稽に折れ曲がった手足は何処か糸で吊られる操り人形のようにも見えた。

 

「明日はいよいよ本丸だよ」

 

「楽しみじゃね」

 

 そう笑い合いながら二人の少年は闇に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

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