【完結】それでも死にたくないな、と貴方は笑って言ったのだ。 作:しゅないだー
夢を見ていた。
その中では何と言えばいいんだろうか。私ではないけれど、それは確かに私だった。
深い森の中で誰かと大きな樹の下に腰掛けていて、霧雨が降りそぼる中で彼の肩に首を預けながら名も知らぬ鳥の鳴き声を聴いている。何故だかその人の顔は靄がかかったようにぼんやりとしていたけど、不思議と怖くはなかった。
隣に座っているだけで安らぐようで、いつまでもそうしていたかった。彼が何かを私に囁く。上手く聞き取れなかったけれど、嫌な感じがして首を振る。色彩すらぼんやりとした夢の中で、彼の首筋を流れる雨滴だけが蜜のように甘く香る。
なんだかお腹が空いたな。
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錨さんが死んだ。
銃で撃たれていた事から、怪異ではなく恐らく人間に。
そう父から聞いた時、とうとう自分の頭がおかしくなったのかと思った。いつもと同じように少し肌寒い、そんな朝の事だった。平時と変わらない仏頂面で淡々と告げる父を前に、どうしてか自分から出てくるのは愚にも付かない半笑いだった。
冗談だ、そう言って頷いてくれるのを待つ。だが父は自分を失望したように見るだけだった。
「呆けるな。傷からの失血死らしい、この屋敷も危険だと当主は判断なされた。場所を変えるから荷物をまとめておけ」
「いや、錨さんが死ぬ訳ないじゃないですか。父様だって知ってるでしょう、あの人がどれだけ強いか」
自分で喋りながら、何だかまだ夢の中にいるみたいだった。
目眩がする。足元が覚束なくなって座り込む。
「錨さんが、死ぬ訳ない」
溜息を吐いて父が部屋から出て行く。これからどうすればいいのだろうか。ぼんやりとしながらも言われた通り荷物をまとめ始める。
不思議と悲しくはなかった。きさらぎ駅で人を殺してから、自分も畜生に堕ちてしまったのだろうか。あれだけ長く世話になってきた筈なのに、涙の一滴も出ない。
スーツケースに衣服を詰めていると、誰かが部屋をノックした。ドアを開けるとそこには心依が不安げな顔で立っている。放っておく訳にもいかず、一先ず部屋に招き入れた。
普段自分が使っているベッドに腰掛けて、足をぱたぱたと遊ばせる仕草は小さな体躯と相まって彼女を幼子のように見せる。
「ねえ一砂くん、なんか皆ドタバタしてるけど何かあった? 他の人に聞いても『もう少しでこの家を発ちますから』しか言わないし」
多分、誰も知らせていないのだ。それはそうだ、自分が原因で人死にが起こったなんて聞いて喜ぶ者は誰もいない。だが。
常に思考を巡らせろ、という錨さんの言葉が不意に過る。
自分達はいつも隠し事ばかりだ。そんなの誠実じゃないだろう。そっと深く息を吸い込むと彼女の瞳を見つめる。緋水晶のように透き通っているそれは、やはり目の前の彼女が人ではないのだろうと感じさせた。
「錨さんが死んだ」
「え」
彼女はぱちくりと目を瞬かせた。陰鬱な雰囲気が漂う屋敷の中、その仕草一つだけで空気が華やぐような気がした。
「それって、もしかして私が」
続きを言おうとした彼女の口に指を当てる。微かに触れる吐息がくすぐったい。
「君のせいじゃない。自分達はそういうものだから。決して君のせいじゃない」
口下手な自分がこの時ばかりは憎らしくて仕方なかった。彼女の不安を取り除いてあげたいのに、いつも自分は空回ってばかりだ。
「心依に一つお願いがある」
そう言うと、彼女は顔を上げて自分を見つめた。
「何があっても離れないでいて欲しい。自分は弱いから、大事な物をすぐ取り零す。でも君が近くにいて離れないでいてくれるなら」
そっと手を取る。朝の冷気に晒されて冷え切った彼女の指先を温めるように包む。
「この世の何からであろうと君を守り通す。怪異だろうが人だろうが誰にも君を傷付けさせない」
彼女は微かに頷いた。
そして消え入りそうな声で呟いた。
一砂君はどこにも行かないでね、と。
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スーツケースを片手に、心依と共に部屋を出る。家の外では当主が父と共に自分達を待っていて、今すぐ出発する事を告げた。それでも自分はどうにも諦められなくて、当主に目を伏せながら訴える。だってまだ、死に顔すら見られていないのに。
「錨さんの葬式も出せないんですか」
「時間がないから仕方ないよ。それに顔を見たら多分一砂君はショック受けちゃうからさ、見ない方がいい」
当主はそう言って自分と心依を車に乗せた。辺りには五台、自分達が乗った物と同じ車種が用意されている。昨日言っていた通り、数十人近い芥屋が増援として庭に立っていた。
「これから君達をより人目につかない所に送っていく。でも確実にこの屋敷の場所はバレているし、相手は錨を殺した腕利きだ。後を付けられて結局正攻法で勝負じゃ勝ち目がない、だから囮を用意した」
彼曰く、全く同じ車を六台同時に走らせる事で相手を撹乱させるらしい。
敵が何人程かはまだ判明していないが、目立った騒ぎも起こさずに事を済ませている手際から少数精鋭の可能性が高い。ならば時間を稼ぐ事ができるこの策はあながち下策でもない。まさか六分の一をピンポイントで引いて自分達の乗っている車を追ってくる事はないだろうし、相手の戦力を分散させられれば勝機はあるかもしれない。
「じゃあ一砂君。もう会えないかもしれないけどお務めはしっかり果たしてね、依代様と仲良くするんだよ」
父と当主も別の車に乗るらしい。敵に追われたらそれなりに足止めできるように五台の車でそれぞれ戦力を分散させているとの事だが、錨さんを一晩で仕留めた相手に果たして通用するだろうか。
「ああ、あとこれを渡しておこうと思ってね。君なら使えるさ、周りには注意して」
そう言って当主に何の変哲もない小瓶を渡される。中には薄汚れた包帯の切れ端のような物が数枚入っていた。微かに動いているようにも見えるそれは、以前に見覚えがある。
「これって……」
「三分が限度、それ以上は多分身体が受け付けない。一回一枚にしておいてね」
使わないに越した事はないが、頷いてそれを懐に収める。父は相変わらず自分に見向きもしなかった。心依が来てから何故かずっと機嫌が悪そうではあったが、今生の別れになるかもしれない局面であっても声の一つも掛けて貰えないのは少し寂しいような気がする。
「父様。今まで育てて頂き、ありがとうございました」
返事は無い。それでも頭を下げ、車に乗り込む。
走り出してからも父が此方を見る事はなかったが。それに気付いたのか知らないが、心依が自分の手をそっと握る。なんだかそれだけで心の奥の方にある何かに暖かな灯が点ったようで。
目を閉じてこれからの事に思いを馳せる。
あと九日で、自分達はどこまで行けるのだろうか。
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一砂達が車に乗り込んだあと、周りにいた芥屋もそれぞれ己の車に向かおうとした時だった。
「えーと、一鼠君だっけ?」
当主、芥屋違明は隣に立っている男の肩に馴れ馴れしく手を置く。
贄として息子が近い内に死ぬ筈だというのに、顔色一つ変えない一鼠に対して彼は不思議そうに尋ねる。
「別に咎めるつもりはないけど、一砂君にもう少し優しくしてあげたら? それともこれが君なりの父親として出来る事ってやつなのかな」
「いやはや、そんなつもりは無いのですが当主様に不快な思いをさせてしまったなら申し訳ありません。あいつは些か甘い所がありまして、優しい言葉なんて掛けてしまえば未練が出るかもしれませんからな。死にたくない、などと」
媚びへつらうような笑みを浮かべながら返す一鼠に興味を失ったのか、違明は生返事をしつつ話を変えた。
「ところで昨夜の襲撃の件、妙だと思わない? 確かに手練れではあるだろうけど、うちの警備体制について詳らかに知っていなければあそこまで手際良く四人も片付けられないよ」
「つまり当主はこう……仰りたいのですか?」
何処からか情報が漏れている。
正確に言えばこの儀式の詳細を含め、芥屋を気に入らない者達に対して情報提供している者がいる。違明は暗にその可能性を匂わせていた。
「ならばこの撹乱も無意味なのでは? 息子達がどの方向に向かう車に乗っているか伝えられてしまえば、簡単に後を追われてしまいますよ」
「うん。だから一砂君達の行き先、君を含めてここにいる一族に伝えてあったよね。あれ全部嘘だから。運転手しか知らない」
それを聞いて周りにいた芥屋は思わず自分の隣に立っている者にぎょっとした眼差しを向ける。この中に裏切り者がいる、その可能性が提示され剣呑な雰囲気が辺りに漂った。
「でも正直何かしらの手段で見つかるんじゃないかなとは思うよ。まあ別にバレてても良いんだ。人事は尽くしたけどどうにもならないって事は世の中に沢山あるから」
訝しむような表情で一鼠は違明の次の言葉を窺う。
「これは試練だ。吊り橋効果って分かるかな」
それは心理学において吊り橋の上のような不安や恐怖を強く感じる場所で出会った人に対し、恋愛感情を抱きやすくなる現象の事を指す。
心霊スポットに男女で来るような輩もその口だ。
「追い詰められれば追い詰められるほど、贄と巫女は強く互いを求めるようになる。愛されれば愛されるほど呪いが濃くなるように。ただでさえ損害が出てるんだ、こちらも利用させてもらわなきゃ元が取れない」
「しかしそれで一砂達が死んでしまえば本末転倒では?」
「いやいや、一砂君は負けない。僕が選び、錨が手塩にかけて育てた贄だもの。早々滅多な事はないよ、それに保険も掛けてあるし」
そう言って違明は着物の袖から幾本かの小瓶を取り出した。その中には先程一砂に渡した物と同じ包帯であったり何かしらの鉱物、肉片などが収められている。
「錨にも才能があればなあ」
心の底から残念そうに、彼はそう呟いた。
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この車に乗っているのは全部で四人。自分と心依、そして運転手と護衛一人だ。見た事のない顔だったが、当主が選定したという事はどちらも腕が立つ筈だ。錨さん程ではないにしても。芥屋に限らず多くの家には、他の家への牽制を兼ねて対人訓練を積んだ人員がいるという。
この二人もきっとそういった要員なのだろう。
車中でも心依の口数は少なかったが、窓から景色を眺めていると次第にその瞳は輝きを取り戻していった。興味深そうに外に映る物を指差して「あれ何?」と頻りに訊ねてくる様は、妹がいたらこんな感じなんだろうと自分に思わせる。
やはり一般常識は持っているが、彼女には致命的に"体験"という物が欠けているらしい。神様というのはそういうものなんだろうか。
そんな事をぼんやり考えていると、突然スマホの着信音が車内に鳴り響いた。画面を見れば寅地からで、助手席に座っている護衛に「学校の友人なんですが出ても構いませんか」と尋ねる。彼はしばらく思案していたが「なるべく早く済ませろ」と言って許可してくれた。
「なんだ、今忙しいんだ。用件だけ伝えろ」
『あ、おい一砂! お前マジで三日連続欠席はヤバいって、白丸先生もうカンカンだぜ。家電にも出ないってぼやいてたし』
担任の名前を出されて思わず顔が頭に浮かぶ。贄という自分ではなく、ただの高校生に引き戻されるような気分だった。
「あー……忌引だ忌引、そう言っておいてくれ。だから家にはいない」
『え、誰か死んだん!? いやそうじゃなくて自分で言えや! お前本当に卒業できなくなるぞ!? 一緒の大学行こうって言ったじゃーん』
「だから俺は大学には行けないって言ってるだろ」
『家の都合ってやつだろ。そんな家出ていっちまえよ、俺アパート借りるからさ。ルームシェアして二人で無敵パチプロ軍団になろうぜ』
「バーカ。万年収支マイナス野郎のくせに」
変わらない調子で会話ができるのが嬉しくて、どうにも話を切り上げられない。護衛の人に睨まれるようにしてようやく通話を切る。
「楽しそうだったね、一砂くん」
「……そうだろうか」
何となくはしゃいでいたのを気取られるのが恥ずかしく、仏頂面で答える。いつしか車は街を抜け、深い山道に差し掛かっていた。路面はひび割れており、ガードレールも所々崩れ落ちている。行政はちゃんと仕事をしろ。走っているのも自分達が乗っている一台だけで、いよいよ来る所まで来たという感じがあった。
「山ばっかりで飽きちゃったな……ね、一茶くんしりとりしない?」
「しりとり? 構わないが……」
「そうそう、こういう時の定番だよね。護衛さんと運転手さんだっけ? 一緒にやりましょうよー」
返事はない、まあ当然だろう。それを意に介する事もなく、心依はどこかウキウキとした口調でしりとりを始めた。
「リンゴ、はい次護衛さんね」
「ゴマ」
いや、やるのかよ。さも当たり前のように続行されるしりとりに、どこか力が抜けるような思いがする。
「次、一砂くんの番だよ」
「……ま、枕──」
そう言いかけた時だった。窓から見えたのは、自分達を猛烈なスピードで追い抜こうとするもう一台の車だった。
妙だな、と感じた時にその違和感に気付く。開いた窓から、銃口のような物が此方を向いていた。咄嗟に心依の頭を掴んで伏せさせる。
何かが弾けるような音の後、大きな衝撃と共に車が急激に減速していく。
反動で身が投げ出されそうになるが、シートベルトのお陰で何とか無事に済んだ。
「いたたた……な、なに……?」
「すまない心依、もう少しそのままで」
頭をさすりながら起き上がろうとする彼女にそっと耳打ちする。
シート越しに見える運転手の頭は、銃弾に貫かれてどろりとした血を垂れ流していた。どうやら車が止まったのもタイヤを撃ち抜かれたのが原因のようだ。西部劇をやってるんじゃないんだぞ、そう悪態をつきながら護衛に目を向ける。幸いにも彼は無事なようだった。
件の車は自分達の前方5mほどに停車しているが、特に動きはない。だがいつ此方に対して仕掛けてくるか分かった物ではない。
「私が時間を稼ぐ。その間に少しでも遠くに逃げなさい」
護衛がそう告げてドアを開ける。その手には本来は祓いで使うのであろう短刀が握られていた。急いで自分と心依のシートベルトを外し、荷物を準備する。
窓越しに向こうの車から誰かが降りる音、それに続いて会話だけが聞こえてくる。
「あ、こっち来た。すみません、贄と巫女を出してもらえますか?」
「……お前らどこまで知って、な、子供……?」
護衛の驚愕したような声の後にぱん、と乾いた音が響く。それは昨夜聞いた物と一緒で、初めてあれが銃声だったと気付いた。一拍遅れてどさりと重い音がする。恐らくどこかを撃たれて護衛が地面に倒れ伏したのだろう。
逃げる時間などある訳がない。
「え、遅過ぎん? ハエ止まっとるんか思うたんじゃけど」
「ひ、や、やめ」
「人様がお願いしよったら返事は『はい』か『いいえ』じゃろ? 兄ちゃん、こいつぱーぷーじゃ」
「子供だからって躊躇いました? そうやって生まれた一手の遅れが次の二手に繋がるんです。二手遅れれば四手先まで無駄になります。どんどんツケを払えなくなっていって、最後に残るのは後悔だけですよ」
何か枯れ枝を踏み折るような、小気味良い音が聞こえてきた。その後、護衛の啜り泣く声だけが辺りに響く。
「まだ車の中にいますよね? とりあえず話をしましょう、この状況で言うのも信じてもらえないかもしれないですけど傷付けるつもりはありません。手荒にはしたくないんです」
心依と顔を見合わせる。あまりにも異常なこの状況に彼女の身体は震えていた。
「ど、どうしよう一砂くん」
「ここで逃げても追い付かれる。一旦出よう、とにかく自分の後ろに」
彼女の前に立つようにして、ゆっくりと車外へ出る。そこには全部で三人の姿があった。地面に這いつくばり、指をあらぬ方向にへし折られている護衛。
そして猟銃を携えた子供が二人。兄弟なのか、二人とも灰をまぶした様な銀髪に薄い緋色の瞳が印象的だった。どこかその風貌は心依にも似ているような気がした。
だがそれよりももっと目を引くのはその若さだ。
兄と思しき少年は精々十五歳、弟に至っては十にも満たないだろう。しかし銃を持ったその立ち姿は洗練されていて、彼らが潜ってきた修羅場の数を感じさせる。
「流れ弾が当たると危険なので所定の地点で待っていて下さい。終わったらまた連絡します」
そう少年が乗っていた車に告げると、音も無く走り去っていく。
何故自分達の乗っている車がバレた?
目の前の兄弟は一体何が目的だ?
他にも仲間がいるのか?
疑問は溢れて尽きない。だが今自分のやるべき事は、この場をどう切り抜けるかだ。
常に思考を巡らせろ。
まずは目の前の相手が何なのか、それを探る為に観察する。使っている得物から会話の内容、今見聞きした全ての物に思いを巡らせた。
猟銃を使う戦闘スタイル。
特徴的な方言。
そして子供に似つかわしくない実力の高さ。
「もしかして、出雲か……?」
そう自分が呟くと、眼鏡を掛けた少年はにっこりと笑ってお辞儀をした。そしてまだ彼の足下で息のある護衛に、目を向ける事もなく引き金を引いた。飛び散った血と脳漿が乾いた地面に染み込んでいく。
「
その言葉と共に弟、薙が此方に銃口を向けた。
出雲家。
中四国ではそれなりに名の売れていた怪異祓いの家系だ。
一族全てが山中に住み、普段は猟を行って生計を立てており、系統としては銃や罠を用いた
鵺殺しという厳つい異名はそれに由来する。
しかし最強だった、というのは他でもない。
「出雲の人間は、皆死んだ筈だ」
出雲家は御三家によって取り潰し、身も蓋もない言い方をすれば全員殺されている。
自分の言葉に鋼と名乗る少年が嘲るように返す。
「死んだ、じゃない。殺したの間違いでしょう?」
出雲家が取り潰された理由は他でもない。当主が
憶測ではあるが、芥屋を模倣しようとしたのではないかと言われている。
生まれついて呪いをその血に宿している芥屋のように、怪異に子を産ませる事でその力を引き継げないかと目論んだのだろう。
だが怪異を祓う者としてそんな悍ましい事が許される訳がない。
その情報を手に入れた御三家、と言ってもその時には既に水無は弱体化していたため、芥屋と伊勢が出向いて彼らを怪異ごと粛清した。自分はその遠征に参加させてもらえなかったため、聞いた話ではあるが。本来は母胎である怪異と子さえ処分すれば穏当な処分で済ませるつもりではあったらしい。
しかし彼らの抵抗があまりにも激しく、結果的に幼子から老人まで全て殺すしかなくなってしまった。そう聞いている。
「……心依を渡したとして、どうするつもりだ」
「殺しますよ。それで僕らの仕事は終了です」
やはり彼らは単独犯ではないらしい。先程の発言を踏まえると、誰かに頼まれた下請けのようなものだろう。彼らが芥屋を恨む理由は分かるが、それだけが動機なら自分達だけに狙いを付けない。
「一つ最初に言っておきます。僕らが名乗った理由は、貴方と仲良くできると思っているからです。だってきっと、僕らと貴方は同じような物だから」
その口調は本当に心の底から自分を憐れんでいるようだった。だが彼らが錨さんを殺したのは間違いない。それだけで目の前の相手を信じない理由としては十分だった。
「分かってるでしょう? 彼女がこのまま生きていれば、貴方は死ぬんですよ」
「……え、ちょ、一砂くんどういう事!?」
「聞くな心依。耳を塞げ」
依然として薙の銃口は自分達に向いている。彼女を一人で逃せばすぐに撃たれて終わりだ。何故か目の前の二人は自分を殺すつもりはないらしい、ならばこのまま近くに置いておけば誤射を恐れて彼女に手出しはできない。
そもそも何故出雲に生き残りがいる? 芥屋と伊勢で遺恨が残らないよう全員を殺したと聞いているのに。
その瞬間、一つの可能性が光芒のように脳裏を過ぎった。
「まさか、伊勢か」
のっぺらぼうの「芥屋が潰れて喜ぶ奴は他にもいる」という言葉が蘇る。
芥屋と並ぶ名家である伊勢にとって、自分達が潰れればそれは即ち彼らが怪異祓いとしての権勢を握る事ができるのを意味する。
それに対して鋼は肯定も否定もせず、少しだけ感心したように目を丸くした。そして昔話を一つ、そう言って口を開く。
「あれは確か五年前ですかね。僕らが住んでいた山に大勢の人が押し寄せて『お前達は過ちを犯した』って。当然何の事か分かりませんでしたが、両親や親族は僕に薙を抱かせて戸棚の奥に隠したんです」
恐らく、それが出雲征伐だ。聞いて此方に利がある訳でもないだろうが、今はとにかく時間が欲しい。
「隙間から、皆が殺されていくのをずっと見ていました。叫び出しそうになるのを、薙の事を考えて必死に堪えて」
その当時の事を思い出しているのか、微かに彼の指先が震えている。
「でも結局伊勢の本家筋に見つかってしまいました。僕らも殺される、そう思いました。けれどあの人は『こいつらは使える。殺すのは勿体無いから鉄砲玉にする』って。僕らだけが生き残りました。どうしてか分かります?」
そこまで言って鋼は微かに笑った。それは半ば諦めたようでもあり、自分に何かを言い聞かせているようでもあった。
「……お前達が怪異と当主の間に生まれた子だから、だな」
そう答えると彼は「正解です」と手を打ち鳴らす。乾いた拍手が、どこか滑稽に山中へ響き渡る。
「別にそれほどの事でもないんですけどね。人よりほんの少しだけ身体が強い、それだけです。僕にとっては伊勢も家族を殺した連中には違いありませんが、それでも生きていたかった」
そう言って、足下の死体を助走もつけずに蹴り飛ばした。70kgはある筈の成人男性がいとも簡単に転がっていく。
「それからは薙と一緒にただひたすら鍛えられて、言われるままに殺してきました。怪異も、人も。滅んだ筈の一族って足が付きにくいんですね」
自虐めいた笑みを浮かべながら彼は続ける。傍らの薙はよく理解できていないようなのが、哀愁を誘った。
「今回は芥屋を一人殺せば一年。何不自由なく満足に過ごさせてもらえる契約です。巫女を殺せば薙を学校に行かせてくれるそうです」
そう言って鋼は自分の後ろにいる心依を指差す。
「人殺しだと蔑みますか? でも外しを使えない僕らからすれば怪異を祓うのも、貴方達を殺すのも大して変わらないんです」
きっと、彼らをこの境遇に追いやってしまったのは自分達の責任でもある。それだけに何も言えなかった。
「僕は自分でこの道を選びましたが、薙はそうするしかなかっただけだ。この子は今からでも学校に行って普通の生活を送る権利がある。まだ間に合う、きっとそうだ」
祈るように、彼はそう溢す。
「……わしは別に兄ちゃんがおれば、いいんじゃけど」
それを受けて、ぽつりと薙が呟いた。身体に染み付いている血と硝煙の奥に目を凝らせば、そこにはただのまだ幼い兄弟が立っている。考えれば考えるほど、拳が鈍ってしまいそうだった。
「失礼、話が長くなりました。それで先程も言いましたが、巫女さえ差し出してもらえれば貴方の命は取りません。上の命令でもありますし、貴方もある意味芥屋の被害者ですから」
彼らの指す"上"とは、恐らく伊勢の事だ。だが伊勢が自分を率先して生かす理由は見当たらない。
そして彼女を差し出せば自分の事は見逃すと言う。まあこちらに関しては答えはもう決まっているから別にいい。
「何か言えや、わりゃ何も考えれん本家の奴隷なんか?」
苛々した様子で薙が答えを急かす。歳通りの生意気盛りなのだろう。
「いや、少し考えていた。仮に自分が贄でなかったとしたらどうするか。それでもやっぱり自分は心依を守るだろう」
背中にいる彼女がぎゅっと服の裾を掴む。無表情で鋼は銃口をこちらに向けながら尋ねた。
「何故ですか?」
「自分は彼女の事が好きだからだ」
そう口に出した途端、自分の中で
ああ、そうだ。贄や務めなど関係無く、自分は彼女の事が。
学ランの袖に仕込んでいた釘を振り抜き、遠心力で飛ばす。咄嗟の事に二人とも銃身で防御したのを見るや否や、心依を車の後ろに死角になるように隠した。
「……仕方ないので死なない程度にやらせてもらいますね」
「降参するなら早よした方がええよ」
二人の雰囲気が一変する。明らかに自分の事を人ではなく、獲物として見る狩人の目だった。
袖口から何本かの五寸釘を取り出し、構える。錨さんの持ち物を、無理を言って貰ってきたものだ。
もう一度牽制のために投げようとした瞬間、握っていた指ごと釘が吹き飛んだ。
「あーあ、じゃけえ言ったのに。まあ指なら死なんか」
「あ、ぐっ……!」
アドレナリンが大量に出ているのか、ぽたぽたと垂れる血を見ても妙に現実感はなかった。左手の人差し指と中指は根本から吹っ飛び、薬指も第一関節から先がない。白い骨が覗く様は悪い夢のようだった。
それでも退く訳にはいかない。そのまま欠けた拳を振りかぶって鋼に突っ込む。涼し気な顔はいとも簡単にそれを避け、片手と足捌きだけで地面に転がされた。
「──よいしょっと」
起き上がろうとした瞬間に左腕を掴まれ、肘の関節に沿って踏み折られた。
関節が平時では有り得ない方向に曲がり、遅れて痛みがやってくる。耐えられず呻き声を上げる自分に、薙は顰めっ面をしながらも念入りに自分の左腕を蹴り壊した。脳の許容量を越えた痛みに視界が白く明滅する。強く舌を噛んで痛みで気を失う事だけは何とか避けた。
「まだやるんなら右腕も折るけど、どうする?」
そう顔を近付けてきた薙に、舌を噛んで溜めていた血を思いっ切り吹き掛けた。目や口の中にも入ったのか、目を擦りながら頻りにぺっぺっと唾を吐いている。
「
芥屋の呪いはそれ単体では他の人間に害を齎さない。ただ自分ほど濃い血であれば、僅かな時間ではあるが他人に混ざった己の血を媒介として擬似的に呪いを押し付けられる。
その瞳に、口に。自分の血はさぞ絡み付いた事だろう。
「あ、目が、い、ああああ!!」
立ち上がると、思わず銃を手放して叫ぶ薙の頭を残った右手で掴む。そして渾身の力でその顔面に膝をねじ込んだ。
「薙!!」
そのまま倒れ込むようにして距離を取る。薙の元に駆け寄る鋼の姿が見えた、これでまだ時間が稼げる。呼吸を整えていると耐えられなくなったのか、心依がこちらに駆け寄ってくる。
本来であれば叱る所だが、今だけはそれが都合良かった。
「あ、一砂くん、う、腕が……! それに、血もいっぱい出てる……もういいから! もう私置いてっていいからもうやめよ!!」
べったりと口から溢れた血を服で拭ってから、そっと彼女の頬に触れる。
「心依。自分は死なない、君も守る。だから一つだけお願いを聞いてくれ」
何があってもずっと耳を塞いでいて欲しい。
そう伝えて心依の両手を握り、耳に充てがう。彼女が泣きそうな顔をしながらも言う事を聞いてくれたのを確認すると、立ち上がって鋼に向き直る。呻く弟を動転しながら心配する姿は、ただの兄だった。
「安心しろ。失明はしない、少し時間を置けば見えるようになる」
「……殺してやる。その女を置いて行けば命は助けてやるつもりだったけど、やっぱり殺す」
「いいや、死ぬのはお前だ。それが嫌なら今すぐ弟を連れてここから失せろ」
懐から当主に貰った小瓶を取り出す。その蓋を開け、中に入っていた包帯の切れ端を握り締める。それは生きているかのように奇妙に蠢いていた。口の中に放り込み、一息に飲み込む。
「もう一度言う、弟が大事なら今すぐ連れて帰れ。自分は確かに忠告した」
そう告げてすぐ、身体が焼け付くように熱くなって倒れ込む。何処からか現れた包帯が全身に巻き付き、自分の視界を奪った。暗い泥の中に沈み込んでゆくような感覚に溺れていく。
頭の中で何かが頻りに囁いてくる。
斬れ。奪え。殺せ。犯せ。汚せ。
たとえ出雲を滅ぼした咎が自分達にあろうとも。その咎にまだ、押し潰される訳にはいかない。
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出雲鋼は怪異祓いである。
弟と共に伊勢に拾われ鍛えられ、怪異と伊勢の意に沿わぬ人間を数多屠ってきた。たとえそれが人であれ怪異であれ、彼が一度銃口を向けた獲物に対してそれを下ろす事は決してなかった。
そんな彼は今、生まれて初めて恐怖を覚えている。
目の前の、腕もへし折れた死にかけの相手に。
何か得体の知れない襤褸切れを飲み込んだかと思うと、全身が包帯に覆われていく。粉々に折れていた筈の左腕さえ、包帯で強引に形を整えられている。その急激な変貌は紛れもなく怪異の兆候だった。
「……有り得ない」
自身に怪異を植え付ける。
自我を失う自殺行為に等しいそれを今、相手が選択する意味が理解できない。
獲物の動きが止まる。身に纏う雰囲気が、見た目の変化を差し引いても明らかに異なっていた。手には何処から現れたかも知れない、禍々しい雰囲気の日本刀が握られている。
逃げろ、逃げろと全身の細胞が悲鳴を上げているのを鋼は感じていた。けれどそれでも逃げられなかったのは。
彼は傍らで気を失っている弟にもう一度目を向けた。震える指で引き金に指を添え、目の前の相手に狙いを付ける。
それを意に介した様子もなく
「トンカラトン、と言え」