【完結】それでも死にたくないな、と貴方は笑って言ったのだ。   作:しゅないだー

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#6 我がその咎負う者ぞ

 

 

 

 (コウ)、と僕を名付けたのは父さんだった。

 強く硬く、何者にも折られず弟を守れる兄になれ。

 薙が生まれてからはよくそう言われていた。母さんは普段暗い部屋の中に閉じ込められていて、顔を見た事は数えるほどしかない。けれど暴れ出したりする事は一度もなかった。

 

 伊勢や芥屋は出雲(僕達)を「怪異を使ってより強い子を残そうとしていた」と言うけれど。僕だけはそれが違う事を知っている。

 

 父さんは確かに母さんを愛していた。でもそれは誰も知らなくて良い。

 

 今でもあの日の事をたまに夢に見る。

 僕らが生まれていなければ、父さんも母さんも死なずに済んだんだろうか。いや、あいつらが来なければ僕らだって今も普通に暮らせてた。

 

 薙だって人殺しにならずに済んだし、歳相応に友達だって作れたはずだ。

 

 それに本当は僕だって学校に行ってみたかった。銃の撃ち方だけじゃなくて、もっと他に。何か分からないけれど、もっと他に何かあったはずなんだ。

 

 

 あ、これ。

 走馬灯ってやつじゃないか。

 

 

 

 

 

 そう気付いた瞬間、腹部に抉るような衝撃が走った。それが斬撃(・・)だと気付いたのは一拍遅れての事だったが。

 咄嗟に構えた銃身が、真っ二つに叩き斬られていた。何をされたのかも全く分からない。

 ただ一つヒントとなるのは。

 

 トンカラトン。

 

 昔から伝えられてきた妖怪ともインターネットを通じて瞬く間に広まった都市伝説とも違う、謂わば第二世代の怪異。

 

 全身が包帯に覆われた姿で自転車に乗って現れ、見定めた人間に「トンカラトンと言え」と強制してくる。その人間が怯えたり途方に暮れてトンカラトンと言えなければ、手に持っている日本刀で斬り殺される。

 何を思ったのか知らないが、目の前の相手はその怪異を無理矢理自分自身に植え付けた。そのせいで戦況は優位からこちらの不利まで追い込まれている。

 

「はっ、はっ……!」

 

 死が喉元まで迫っていた感覚に今更ながら足が震え、呼吸が乱れる。武器も失った、薙は手負い。

 詰み。そんな言葉が脳裏を過ぎった。

 

トンカラトンと言え

 

「ト、トンカラトン!」

 

 先程のような斬撃は飛んでこない。やはりこれがトリガーだ。

 問い掛けから数えて大体一から二秒、その間にトンカラトンと言えなければ高速の斬撃が飛んでくる能力。対処法が確立されている代わりに威力が恐らく増強されている。

 

「──ッ!」

 

 全力で背中を向け、走る。今あいつの目には自分しか映っていないはずだ。刀の届く範囲から距離を取りつつ、薙からあいつを引き離すにはこれしかなかった。

 だが。

 

「来いよ!!」

 

 苛立ち紛れに叫ぶが、相手は此方を追ってくる気配がない。急激な変容に肉体が追い付いていないのか、それとも何か策があっての事なのか。どちらにしても相手の意識を此方に向かせなければ、薙が回復する時間すら碌に取れない。一旦引き返そうとしたその時だった。ゆっくりと、だがはっきりと聞き取れる大声で怪異は叫んだ。

 

トンカラトンと言え

 

 待てよ、数十mは離れてるだろ。

 呆気に取られた次の瞬間、駆け上るような斬撃が右の太腿を縦に割った。

 

「あ、が……!」

 

 勘違いしていた。あの日本刀はブラフで、本当は。

 恐らく声が届けば何処にいようが必ず届く、不可避の斬撃。迂闊だった、怪異がそんなただ斬るだけの単純な攻撃を仕掛けてくる筈がない。

 足をやられ、碌に動けない僕へ奴は歩みを進めてくる。

 

 這ってでもその場を離れようと背を向けた瞬間、左足に焼けるような痛みが走る。呻きながら振り返ると、怪異が手に持った日本刀で地面に縫い付けるように刺し留めていた。

 

 最早抵抗どころか逃走の術すら失った僕に、ゆっくりと怪異は馬乗りになった。包帯に覆われているその顔からは何の表情も読み取れない。痛い。怖い。死にたくない。

 目を背けた一瞬、自分の喉に深々と貫手が突き刺さる。呼吸ができなくなり、猛烈な痛みで咳込みながら地面をのたうち回った。

 

トンカラトンと言え

 

 死ぬ。

 

「ト……カ……」

 

 潰れた喉からはたった六文字すら絞り出せなかった。数秒にも満たないその刹那、怪異が僕を見下ろす。

 

 何故か彼は泣いていた。そんな風に見えただけかもしれないけれど。

 不可避の斬撃が、袈裟懸けに僕の胴体を裂いた。

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 三分。

 迫り上がる吐き気に任せるまま、地面に胃の中の物を吐き戻す。頭の中でずっと殺せと何かが囁き続ける幻聴が止まらない。誰でもいいからこの胸に溜まるどす黒い澱をぶつけたい。広げた吐瀉物の中に、小さくはなっているが飲み込んだ包帯がまだ蠢いていた。

 

 これがトンカラトンの幼体だ。

 

 本来、怪異に取り憑かれた時点で自力でそれを外すのは難しい。だが芥屋であれば怪異の方がその血の濃さに耐えかね、ある程度の時間で体外に抜け出そうとする。

 それを上手く使えば短い時間ではあるが、怪異の力を利用する事ができる。逸話に基づいた能力を振るい、人外の膂力を行使できるだけで並の相手には引けを取らないが、怪異を憑かせる事にはもう一つ大きなメリットがある。

 

 自分の左手に目をやれば、吹き飛んだ指や粉々に砕けていた骨が治癒していた。怪異に対して一般人が無力なのは、この桁外れの再生能力が大きい。余程の高火力でなければ傷付けられず、あまつさえ失った四肢すら場合によっては回復する事もあるという。

 さらに怪異に憑かれた時点で、年を経るにつれて肉体が衰えるという事も殆どなくなる。実質的な不老不死という訳だ。もちろん怪異の強弱によって差はあるが。

 弱い物であれば戦況を覆すには至らず、強過ぎれば己自身を乗っ取られる。負担も相応にかかり、いくら治癒すると言えども怪異が外れてしまえば急激な変動でその直後はろくすっぽ戦えなくなるだろう。

 

 故にこれは賭けで、自分はそれに勝った。

 

 袈裟懸けに斬られ、血を垂れ流しながら地面に伏す鋼を一瞥する。怪異との間に生まれた子というのは伊達ではないらしい。もはや戦う事はできないだろうが医者に見せれば助かる程度には息がある。

 

「……何か言い残す事はあるか」

 

 足元に転がっていた石を手に取る。拳大のそれは叩き付ければ人の頭を割る事など造作もないだろう。

 自分がそう尋ねると、譫言(うわごと)のように鋼は呟いた。喉を貫手で潰したが、掠れ声で会話できるくらいには回復しているようだ。やはり治りが早い。

 

「薙、だけは許してください。都合が、いいって、分かってます。でも、弟なんです。もう僕にはそれしか残ってないんです」

 

 何の同情心も湧かなかった。逃げろと忠告までしてやった。なのに自分達を殺しに来た相手を何故許さなければならない? この二人をここで逃がせば、自分の切り札であるトンカラトンもどの辺りに潜伏しているかも全て筒抜けになる。

 殺す以外の選択肢はない。

 

「お願い、します。兄ちゃんを殺さんでください、お願いします」

 

 まだ目は開いていないが、決着を感じ取ったのか薙が地面に頭を擦り付けて乞い願う。まだ年端もいかない幼子のその様子に自分は怒りすら覚えた。

 

「甘えるな」

 

 錨さんが殺さないでくれと言っていたらお前らは逃がしたのか。そんな訳がないだろう。

 

「お前達が殺したのは……!」

 

 そこまで言って初めて気付いた。手に持った石を固く握り締める。

 

「なら、返してくれよ。あの人を。錨兄ちゃんを返せよ」

 

 どこまでも烏滸がましい話ではあるが。自分はやっぱり、あの人の事を兄のように慕っていたらしい。溢れそうになる涙を目尻で拭い、石を地面に落とす。二人の胸倉を掴んで言い聞かせるように叫ぶ。

 

「どこへでも行け。次にその顔を見たら今度は必ず殺す。絶対に殺す」

 

 理解できない物を見るような目で、二人は自分を見た。

 

「お前達の事情なんか知るか。殺した人間の事を考え続けろ。地獄までその罪を引き摺っていけ。お前達が殺した奴らにも一人一人名前があって家族がいて、誰かにとっての大事な人だったんだ。忘れるな」

 

 一息でそう吐き切ると、目を伏せたまま何も言葉を発さない二人を突き放して踵を返す。

 そのまま車の陰に隠れたままの心依の方へと向かう。後ろで二人がよろよろと立ち上がり、山を下っていく気配がするが何の言葉もかけなかった。

 

 彼女はちゃんと言いつけ通り耳をずっと塞いでいたらしい。ただずっと陰から様子は見ていたようだ。心配そうな面持ちでそっと声を掛けてくる。

 

「……一砂くん」

 

「分かってるんだ、こんなの芥屋への裏切りだって。錨さんが見てたら叱られると思う」

 

 戦って、改めて分かった。

 あの二人は確かに強いが、錨さんには及ばない。たとえ不意打ちされたとしても一人は確実に持っていくだろう。それだけははっきりと言える。

 それでも彼らに目立った傷の一つもなかったという事は。

 

「あの人は少し、優し過ぎた」

 

 なら自分が錨さんに対してできる事は、その選択を尊重する事だけだ。それがたとえ(はなむけ)にはなり得ないとしても。

 

「後悔してる?」

 

「……不思議なんだが、していない。良くないけど悪くもないって感じだ」

 

「なら良かった」

 

 そう言って彼女は笑った。少し背伸びして自分の頭を撫でてくる。まるで幼子を褒めるように。

 

「今一砂くん、いい顔してるもん」

 

 自分は彼女に出会ってからきっと、少しずつおかしくなってしまっている。

 死にたくないなんて思ってしまったし、敵は逃がしてしまうし、芥屋を第一としてずっと生きてきた筈なのにそれすら彼女の前には。

 痛む身体を引きずりながら心依の手を取る。まだ夜は明けないが、少なくとも二人とも生きている。今はただ、それだけで良いと思えた。

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

「ひ~、これどこまで行くの?」

 

「とりあえず一息つけそうな所までだ」

 

 先程の道路から脇に入り、未整備の山を自分達は登っていた。

 とりあえず当主に連絡を取ろうとしたがあまりにも田舎だからか、スマホに電波が入らなかったからだ。かといって道路を辿って山を下るには自分が消耗し過ぎている。今、人にせよ怪異にせよ出くわせば心依を守り切る自信がなかった。

 

「頑張れ心依。一晩どこか木の(うろ)ででも休んだら、朝には山を下る」

 

 傾斜としてはなだらかだが、やはり整備されていない地面は歩くだけで彼女の体力を削る。肩で息をしている心依の背中を押しながらひたすら山の上を目指した。

 

「違明さんもなんでわざわざこんな所選んだんだろうね」

 

「そうだな……まあここまで辺鄙だと人が寄り付き辛いのと、後はこの辺りはどうしてか怪異の発生数が少ないらしい。人からも怪異からも心依を守るにはここが都合良いからだろうな」

 

 怪異は人に憑くという性質上、どうしてもこういった山などに比べれば人の多い都会で発生する事が多くなる。ただ街で憑いた後にその怪異の性質から山に入るケースもあり、それらを踏まえた上でもこの近辺の怪異発生率は低かった。

 

「あっ、何か建物あるよ!」

 

 そう声を上げながら心依が駆けていく。小ぢんまりとした建物だったが壁は所々朽ち果て、全体に葛がびっしりと張り付いている。いつ建てられたものか見当も付かない。歪んではいるものの屋根にぽつんと残った十字架だけが、ここが教会か何かであった事を示していた。

 

「人は……いなさそうだな」

 

 まあ検めずともこんな辺鄙な山中に人が居るはずもないだろうが。

 一通り辺りを確認してから扉に手を掛ける。多少軋んではいるが、思ったよりもスムーズに開いた。中は埃っぽくはあるものの、放置されているとは思えないほど家具もそのままの姿で残っている。

 一晩過ごすには十分だ。

 

「なんか秘密基地みたいでわくわくするねー」

 

 木製のベンチに寝転がりながら自分を見上げてくる様子に行儀が悪い、とちゃんと座らせた。途端に鳴り出す腹の虫に彼女が赤面する。黙って背負っていた鞄を下ろすと、中にあった携帯食と残り僅かだが水の入ったペットボトルを差し出す。

 

「もぐ、それでさ……あの子達、言ってたよね。私がいたら一砂くんが死ぬって」

 

 真剣な表情で心依が尋ねてくる。忘れていてくれればと思ったがそうもいかないらしい。

 当主には口止めされていたが、彼女の事を考えれば話しておくべきかもしれない。彼女は人間ではなく、神なのだと。

 

「……山を下る時には話す。約束する。自分もまだどう話すべきか考えあぐねているから」

 

 本当に自分は話せるのだろうか。これはただの問題の先送りに過ぎないのかもしれない。そう思えども今はこう言うしかない。

 

「それじゃあさ、なんで私達が狙われてるのかは教えてよ。あと誰に狙われてるのかも」

 

「多分、伊勢だ。怪異祓いの同業者。詳しくは話せないが心依がいるだけで芥屋の益になる。それは裏を返せば他の怪異祓いにとっては都合が悪いって事だから」

 

 伊勢家。

 当主の辰時(タツトキ)が特に強かったと評判だが、ある事件(八尺災害)で片腕を失ってしまったと聞く。けれど不思議とそれで伊勢の力が落ちたようには感じなかった。表には出てこないが腕の立つ奴がいるのかもしれない。

 

「まあ、今の所はそれでいいや。っていうかこれ口の中すごくパサパサする……ペットボトルも空になっちゃった」

 

「……車から予備を持ってくるのを忘れたな。仕方ない、湧き水でも探してくる。ここで待っていてくれ」

 

「私も行く、一人でいるのはさ……ちょっと怖いよね……」

 

「怪異が少ないにしても獣に出くわす可能性だってある。大丈夫、すぐ戻るよ」

 

 

 

 

 そう言って廃教会を出ると辺りを散策する。耳を澄ませば微かに水の流れる音がする事から、水源はそう遠くないのが分かる。

 音を頼りに歩きだそうとしたその時だった。

 

 何かがへし折れるような轟音が突如近くで鳴り響き、思わず地面に伏せる。恐る恐る顔を上げると、特段周りに異常はない。だが、何か大木でも倒れたかのような異音であったのに何も起きていない訳がない。そう辺りを見回すと、夜の闇の中にようやくひとつだけ先程と違う物を見つけた。

 

 誰かが数m先に立っている。

 

 修験者のような服装に身を包み、その手には錫杖が握られていた。人間離れした体躯、そして朱色に染まった顔から高く突き出した鼻。目を引くのは胴体から伸びる逞しい二枚の翼。

 

「──っ、(オン)!」

 

 掌底を叩き付けようと足を踏み出した瞬間、突風と共に天地がひっくり返る。気付いた時には頭から地面に叩き付けられていた。

 痛む身体を奮い立たせ、何とか起き上がる。先程の轟音の正体がやっと分かった。

 あれは天狗倒しだ。夜中に深い山の中で木を切り倒すような轟音が鳴り響くが、翌朝確認しても特に変化がないという怪現象。そして目の前の相手がそれを起こしたというのなら、まず間違いない。

 

 

 天狗。

 古い怪異ではあるが知名度、逸話共に最上級の妖怪と言っていい。土地によっては神と同一視すらされている事もある。

 

 トンカラトンを使うか? あれは言葉を認識する相手であれば無差別に周りにダメージを与えられる代物だ。幸い心依は教会に残してきた。天狗は高位の怪異だ、人の言葉も理解しているだろう。ただ。

 

「ぐっ……!」

 

 脳髄を何かに食い荒らされるような。不快な痛みが頭を襲い、また殺せ殺せと幻聴が囁き出す。今トンカラトンを使って、人に戻れる確証はなかった。

 左腕にも鈍い痛みが走る。地面に叩き付けられた事で、先程の出雲戦で出来た傷がまた開いたようだ。そこから流れ出してきた血を手に取ると、袖に仕込んでいた釘に塗り付ける。

 

「──(コン)

 

 トンカラトンが使えなくとも、まだ自分には四肢が残っている。武器もある。終わるにはまだ早過ぎる。

 

 あくまで継戦の意を示した自分に対して、天狗は醜悪な笑みを浮かべ地面に手を突き刺す。そのまま持ち上げた土塊を振りかぶる。

 

 いや、天狗礫にしては凶悪過ぎるだろうが。自分と同じくらいの大きさはあるぞ。思わず顔が引き攣りながらも、釘を構え直したその時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うるさいぞ、そこ」

 

 のんびりとした声が山中に響く。

 

 なんでこんな所に人が、早く逃げろ。そう思った次の瞬間だった。

 地を割るようにして突如地面から現れた大蛇が目の前の怪異の全身を呑み込む。人間を優に超える体格を持つ天狗を難なく丸呑みにする、異形としか言いようのない巨体。中で暴れているのか膨れた腹から轟音が響いていたが、大蛇は蜷局を巻いてそれを押し潰していく。ものの数秒で何も聞こえなくなった。

 自分が呆気に取られていると、そのまま大蛇は地に空いた穴に引っ込んでいった。

 

「縄張り争いなら他所でやってくれ……なんだ、人か。珍しいな」

 

 浅黒い肌に青い瞳。歳の頃は二十そこそこの青年にしか見えないが、古びたキャソック(神父服)はその雰囲気によく似合っていた。蛇を思わせる特徴的な瞳孔は少し目を合わせるだけでこちらを萎縮させる。

 

 天狗だって決して弱くはない、寧ろ怪異の中でも最上級だ。それを苦もなく退ける様子はもはや怪異の域には収まらない。

 かといって怪異祓い、というか人間である訳もない。

 

 

 

「……誰だ?」

 

 聞きたい事は山ほどあったが、それを絞り出すので精一杯だった。

 

「誰だ、ってこっちの台詞だが……そうだな、分かりやすく言えば君らが言う所の」

 

 ──────神様ってやつか? 

 

 青年は楽しそうにそう笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 

 

 

「一砂くん、お帰りー……って誰!?」

 

 自称神様の青年と二人で教会に戻った時、出迎えてくれた心依はそう素っ頓狂な声を上げた。

 

「ここ、俺の家なんだけど」

 

 そう言って青年は頭を掻く。汲んできた水をまだ混乱している心依に渡し、主祭壇に腰掛けている彼の元へ歩みを進める。結局まだあの答えの意味をよく理解できていない。

 

「神とは結局どういう事なんだ……ですか」

 

「君さ、喧嘩腰なのか敬語使うのかどっちかにしろよ」

 

 笑いながらも青年は歌うように何かを呟き始めた。それに耳を澄ます。

 

 宇賀神(ウカノカミ)(ミズチ)大蛇(オロチ)夜刀神(ヤトノカミ)

 彼はつらつらと蛇に由来する神や怪異の名を挙げていた。

 

「あの辺と似たようなもんだと思っといてくれればいい。似てるだけで俺は原典とは違うけどな、同じ蛇神でも俺は『この山一帯を守護する神』として定義されてる」

 

 蛇神。日本では古来から信仰されてきた旧い神だ。日本各地にその逸話が点在している事から知名度は非常に高いと言えるだろう。

 

「仮に貴方が本当に神だったとして……何かこうイメージと違う気がする」

 

「イメージってなんだよ、失礼だな」

 

「もっと怪物じみたものを想像していた」

 

 心依はあと九日後に自分を喰らうという手筈になっている。今の姿のままでは考えにくいから何かしら変化が起きるとは思っていたが。

 

「大体君の連れのお嬢さんだって神様じゃないの。そうだよな!」

 

「……え?」

 

 心依が首を傾げる。自分が頭を抱える。青年はきょとんとした顔をしている。

 

「あ、もしかしてこれ言っちゃ駄目だったか?」

 

 青年を突き飛ばすようにして心依が此方に猛突進してきた。胸倉を掴まれぐわんぐわんと揺さぶられる。もうなるようになれ。

 

「ちょ、まっ、どういうこと!? 私が神様!? 説明! 説明プリーズ!」

 

 観念して彼女に話せるだけの事を話す。芥屋が彼女を目覚めさせた事。彼女が芥屋に力を与え、それで他家や怪異から狙われている事。

 

 彼女が九日後に自分を喰ってその儀式が完結する事だけは、胸に秘めたままにしておく。

 

「んー……ま、まあ。分かった、分かりました。でも大丈夫だよ、神様だか何だか知らないけど私は何も変わらないと思うよ」

 

 言ってくれて嬉しい、そう屈託無い笑顔で笑う。大事な事を隠し続けるのは、騙しているのと大差ない。それなのに彼女は、自分達を許してくれた。

 

「いや、残念だけど違う」

 

 蛇神を名乗る青年はそう呟いた。意味を上手く飲み込めない自分達を見て親切そうな声色で彼は続けた。

 

「知らないのか? いや、知らされてこなかったって所か。暇だから教えてやるよ」

 

 主祭壇から身体を起こすと、青年は欠伸をしながら語り始める。

 

「そもそも妖怪なんてのは神が堕ちた姿だって言われてる物もいる。そしてそれは間違っちゃいない」

 

 何故か、嫌な予感がした。これ以上聞けば、後戻りできないというそんな予感。

 

「神も怪異と同じだよ。人に憑く。一定の期間を経れば宿主の精神を食い潰して表に出てくるのさ」

 

 嘘だ。そんなの当主も誰も言っていなかった。知っているのなら教えてくれるはずだ。隣を見れば心依の顔が青褪めている。

 

「神は昔から人に敬われ、人を救うものとして定義されてきた。妖怪を始めとした怪異は反対に人を脅かし、人に災いを齎すものとして定義されてきた。違いなんてそんなもんだ」

 

 動悸が激しくなる。

 

「……待ってくれ、それじゃ心依は」

 

「まだ人間だよ、まだな。見た所そうだな……あと九日ってところか?」

 

 怪異に憑かれた物は実質的に不老不死となる。

 彼女は人としての一般常識はあるが、実際にそれを体験した事は殆どない。それは何かしらの要因で記憶を失くしているのからだと思っていたが、そうではなくて人格(・・)というものすら食い潰されて儀式の度にリセットされているとしたら。

 なぜ当主は十二日という日付を設定した? 

 その瞬間、ある可能性が頭に浮かんだ。

 

 怪異の潜伏期間。

 

 封印から目覚めようとする祟り神を呼び起こし、十二日で縁を結び、喰われる事でまた封じる。自分はそう聞いていたが、本当は。

 

 

 もし、彼女が神に憑かれているだけのただの人間であったとしたら。

 彼女は一体いつから生きている? 不老不死の身で彼女は何回それを繰り返してきた? 何年自分達(芥屋)は彼女を縛り付けてきた? 何人の彼女(・・・・・)を、自分達は殺してきた? 

 

 

「どういう目的で連れ回してんのか知らないが。このままだとお嬢さん、本当に神様になっちゃうぜ。何回目かは知らないけどな」

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 

 芥屋一砂が出雲兄弟を退けて一日後の事。

 特に何の感慨も無さげに男はそう呟いた。

 

「出雲の倅達は失敗したらしいな」

 

 豪奢な部屋の中で黒のスリーピーススーツを身に纏い銀縁の眼鏡を掛け、椅子に深く彼は腰掛けていた。右腕で頬杖をつき、左腕はそこにあるべき場所に存在していない。彼こそが伊勢の当主、辰時だった。

 

 それに向かい合うように、まだ年若い青年が一人。

 

「あー……二人の処遇は俺が決めていい?」

 

「好きにしろ、お前の拾い物だからな。そしてもう十分猶予は与えた。次はお前が行け」

 

 そう辰時が告げると、青年は顔を顰めた。気安い口調の中には親しみ、そして少しの尊敬が窺える。

 

「マジで行かなきゃ駄目かー、やりたくないな」

 

「自分が死ねばお前が伊勢を継ぐ事になる。伊勢を率いていくのなら友だろうが切り捨てる覚悟を持て。それを養う為に表にも出さず、長い時間をかけてお前をわざわざこの仕事に付けたんだからな」

 

 

 青年は溜息を吐いたあと、そっと溢す。

 

 分かってるよ、兄貴。

 (ピンク)色の髪がふわりと揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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