都合のいい夢を見させて   作:鈴夢

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未来と、迷いと、

・・・・・・・・・

 

 

――翌日

 

 

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都内を走る公安の公用車。

運転席には京都公安の黒瀬、助手席には同じく京都公安の天童の姿。後部座席では無表情で外を見据えるアキの姿があった。

 

午後の陽ざかり。先程の通り雨のせいだろうか、舗道の濡れたアスファルトには周辺の建物が映し出されていた。沈黙の続く車内でアキはその景観をただただ空虚な様子で流し見していた。

 

 

 

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黒瀬と天童の指導のもと。アキは新たな悪魔との契約を交わした。それは"未来の悪魔"――

 

かなり重い代償を覚悟するようにと遠回しに黒瀬に言われたもののその代償は軽く、悪魔本体を"右目に住ませる"というものだった。

中には未来の悪魔に五感や寿命を奪われた者も居るというのに予想外すぎる代償。しかし、それには理由があった。

 

 

 

『オマエは未来で最悪な死に方をする』

 

未来の悪魔は間違いなくアキの最悪な未来を予測したのだ。どうやらそれが"見たい"らしい。

……つくづく悪魔というものは気まぐれで勝手で嫌なヤツだ。

 

 

 

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公安本部到着まで残り僅か。

そんな時、沈黙を破ったのは黒瀬だった。

 

 

 

「――俺達は東京観光して京都帰ります。もう会うことも無いだろうし一つ質問させてください。アキ君。」

「何ですか。」

 

「アキ君は銃の悪魔狙っとる聞きました。本気で殺せる思ってます?」

 

 

黒瀬から質問させてくれと言われ、まさかその内容が"それ"だとは。あまりにも唐突すぎる質問に助手席の天童は小さく息を吐くと東京の街並みに視線を逸らした。

 

 

 

「今回、特異課を20人ほど殺したやつにキミは負けてるのに世界中の人間をウン百万人殺したやつには勝てるとでも?」

 

正体不明の集団、しかも銃を所持したイレギュラー中のイレギュラー。たった数分で仲間たちは殺され、アキ自身も負傷し、あのデンジやパワーでさえも勝てなかった相手。

銃の悪魔はほんの一瞬でそれ以上の人間を殺したのだ。

 

……確かに。本気で殺そうと考えているのであれば頭がイカれてるとしか思えない。

 

 

「……実は俺達も銃の悪魔にめちゃくちゃにされた恨みで公安来ました。でも銃の悪魔を殺そうとだなんて思ってませんよ。普通に考えたら無理ってわかりますもん。」

「…………」

 

「正直、アキ君見てるとムカつくんですわ。弱いくせに漫画ん主人公みたいな目標掲げて、痛くてサブイボ立つわ。」

 

 

"ほら、立っとるやろ〜?"と呑気に隣の天童に腕を見せつけるも"立ってへんわ"と冷たく返されるのみ。

 

アキはそんな彼の言葉に対してほんの一瞬だけ眉を顰め、目を光らせると真っ直ぐと前を見据えた。

 

 

「俺の前でごちゃごちゃ言わないでくださいよ。アンタは黙って見てればいい。」

「「…………」」

 

冷めきった、抑揚の少ない把みどころのない声。しかしその声色に彼の本心が間違いなく混ざっていた。

 

 

「俺が負けて死んだその時に笑いに来てください。………今、自分が自分を見えなくなっているのは分かってます。でも……じゃなきゃ、やっていけないのも分かってるんです。」

 

 

刹那、本部の前で停車する車両。

黒瀬と天童は彼の返答に対しなにか言葉を放つ訳でもない。2人は喜怒哀楽のどれか一つだけでは表わし得ない、不思議に交差した感情に襲われていた。

 

その様子に気づいたアキは背後から2人に視線を送り軽く会釈をし、ドアノブに手をかけた。

 

「……ご指導ありがとうございました。」

 

 

 

車から降りるアキ。しっかりと両足を地面につけ、建物に視線を向けたその時。本部入口前に立つスーツ姿の女性の存在に気づくと微かに驚いた様子を見せた。

 

そして、車内に残っていた黒瀬と天童もそれに気づくと反射的に車から降り立つ――

 

 

 

 

 

「はじめまして。対魔特異1課、市川ハルと申します。」

 

「――ハル……」

 

 

黒いコートを靡かせながら1歩1歩こちらに近づく。ハルは笑顔を浮かべており、パッチリと開かれた瞼に隠されていた大きな瞳はしっかりと3人を捉えていた。

 

 

「へ〜〜えらいべっぴんさん。本部特異課も捨てたもんじゃ……」

「アホ、黒瀬。よー見てみい……右目下のホクロ、桜色の柄の日本刀――」

 

相変わらず呑気に台詞を吐く黒瀬。そんな相手に、天童は後頭部を思いっきり突いた。

 

 

「……"例"の公安最強バディの片割れや。あんまり突っかからん方がええ。」

「あー……ね……」

 

本気で"ド突かれた"後頭部を痛そうに摩り、こちらに向かってくるハルをじっと見据える黒瀬。

あまりにも普通すぎる彼女の姿に何も警戒などするはずも無かった。

 

 

 

「マキマさんからの指示で早川先輩をお迎えに上がりました。」

 

「へえ〜、アキ君が先輩なんだ」

「((……じゃあ、あの子一体いくつなのよ……))」

 

あくまで彼女の存在は"噂程度"でしか耳にしたことは無かった。史上最年少で特異課に入局し、契約悪魔もその能力も変わっている。妙な日本刀を所持。かなり横暴で凶暴だと有名な"鬼の悪魔"唯一の契約者。

 

そんな彼女に関して、各都道府県の公安では都市伝説レベルの内容なのだが……まさか会えるとは。

 

 

 

「"黒瀬くん、天童ちゃん。ここまでお世話になりました。どうか気をつけて帰ってね"。――と、マキマさんからの伝言です。」

 

「あ、ありがとうございます。」

「なんや、マキマさんおらんのかー…」

 

少したじろいだ様子で会釈をする天童とは反対に、"おもんないなぁ"と黒瀬は付け加え、ふと立ち尽くしたままのアキに視線を向ける。

 

「…………っ……」

 

先程までの鋭さを持った表情は消えており、じっと目の前の彼女に視線を向けるアキのその瞳――

 

ここ数日間、見た事のなかった顔。どことなく人間らしい雰囲気が漂っていたのだ。

 

 

 

 

 

「アキ君!キミん事ムカつくけど応援しとくわ!…それと、最後にこの言葉を送る!」

「……ちょっ、やめとき、黒瀬……」

 

 

制止する天童を無視し、愉しげに笑みをこぼす黒瀬はアキに向けて大きく手を振るう。

 

 

「特異課にまともな奴はいないから気をつけな!」

 

彼はそれだけを言い残すと再び車両に戻り、車は勢いよく走り出した。

 

 

 

「((……その通りだと思う。私も……))」

 

 

ハルは黒瀬の言葉にやけに同情していた。

 

 

 

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「"アレ"はデキてるな〜」

「何が?」

「アキ君と……ほら、"イチカワハル"さん。あの子が見えた瞬間のアキ君の顔――」

 

 

先程目にしたアキの表情を再び思い出す。

 

春の穏やかな陽射しが降ったような、ぼんやりと霞がかかったように和んだ顔。

そこには感情を失ったような顔つきを数日間浮かべていたアキの姿は無かったのだ。

 

 

「ただのいけ好かないクールキャラかと思てたけど……案外カワイイところもあって安心したって訳。」

「……カワイイ、ねー……」

「よーし、俺らは東京観光や。サクッと回ってさっさと京都戻りましょー」

「そうやな。」

 

 

 

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本部の廊下を静かに歩く2人。アキは自分の前を歩くハルの後ろ姿をじっと見つめていた。

後ろに組まれた両手。落ち着いた足取り。長い黒髪はひとつに結われ、珍しく編み込まれていた。

……なんとなく。目の前を歩いている人物がマキマと重なってしまうほどに不気味だった。

 

 

 

 

「"あっくん"。久しぶりだね。」

 

そんな彼女が急に口を開き後ろへと振り向く。その瞳は優しい朗らかなもので、表情は笑顔を浮かべていた。

 

「ああ、そうだな。…それよりハル、目は――」

「あ…そうだったね?両目とも見えるようになったよ?きっちり5日間後に。まあ本当にさっきなんだけどね?見えるようになったの。」

「そうか、……よかった。」

 

ホッと安堵の息を漏らすアキ。

ハルが鬼の悪魔の能力を使ったことによって両目が見えなくなるという代償。普通の人間なら歩行することすら困難だろう。しかし、彼女に至っては普通の生活も悪魔を相手にする事もできる"人間離れ"した人間だ。

 

自分よりも歳下で、遥かに強い彼女の線の細い後ろ姿を見ていると、なんともいえない焦燥感のようなものを感じていた。

 

 

そんなことを考えながら彼女の後ろを着いていく。そしてしばらく歩き続け特異課の執務室に辿り着くと、アキは席へと促される。

 

 

机に用意されている書類。ハルはそれを手際よく並べ、椅子に座るアキの横に立つ。

 

 

「今日はこのまま所定の書類に目を通してもらって、確認後印鑑を押してもらうだけ。」

「だけ…?」

「うん、そうだよ。私もあっくんも今日はこれだけだし久しぶりにご飯食べようよ?」

「でも、マキマさんの指示で迎えに来たって……事件の調査は――」

「そういう指示は無いよ?マキマさんも気を遣ってくれてるんだと思う。」

 

傍らの木箱から朱肉と印鑑を取り出し、一通り用意を済ませると横から秋の顔を覗き込む。

 

 

「…それに。デンジくんもパワちゃんも今日は遅いと思うし。久しぶりに2人っきりもいいでしょ?」

 

"ね?"と無邪気に笑みを浮かべるハル。それにつられるようにアキの口元も微かに弧を描いていた。

 

 

 

 

 

 

 

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早川家の大窓から見える外の色彩。

茜色した細長い雲が色づいた西空。

穏やかに染まる茜色にリビングが色づいていく。

 

 

 

 

 

 

 

「カンパーイ!」

「ん。」

 

ハルの陽気な声と満面の笑み。久しぶりに見るその光景にアキは満足そうに微かに微笑んでいた。

そういえば、この部屋で2人っきりで夕食を食べるのはかなり久しぶりかもしれない。

 

 

缶ビールをぶつけ合う音。机には2人で作った餃子や唐揚げ、近所のスーパーでなんとなく買ってみたお寿司…まるで宴だ。

 

きっとデンジとパワーがこの光景を見たら冗談抜きで殺されるかもしれない。それほどに今のあの2人は追い込まれているだろう。

 

 

 

 

「そういえばアイツらはどうなんだ。」

「最初はどうなるかと思ったけど日に日に強くなってるよ。まあ躍起になってるって言えばいいかな〜今は…。――あー…あと玄関扉についてはごめんなさい。大穴の原因は私なの。」

 

簡易的に塞がれている玄関扉の大穴。昨日、パワーの槍を避けたせいで扉に大穴が空いてしまったのだ。せめてあの時、自分があの槍を避けること無く掴んでいれば…。と後悔の色を浮かばせる。

 

「ハルのせいじゃない。…ったく、アイツら…この家をなんだと思ってんだ。」

「まあまあ、扉交換の業者は手配してるから。…どうか怒らないであげてね?あの2人も必死に作戦を練ってきたんだし。」

「扉破壊に通路の破壊。……屋上もぶっ壊したんだろ。」

 

昨日は本当に酷かった。デンジもパワーも初日に比べたら容赦なく襲いかかってくるし、岸辺さんも何食わぬ顔で普通にマンション中を破壊していくし…

"目が見えていなくて良かった"なんて昨日はそんなことを考えていたのも事実だ。

 

「――ていうか…そもそも"ここで"指導するべきじゃなかったと思ってる。……私も悪いんだけど…」

「師匠は容赦ないからな。俺も昔、普通に街中で狩られた。」

「私も岸辺さんに狩られた時…思い出すよ…」

 

"深夜、眠っている時に岸辺に襲われてアパートが半壊した"という話は巷でも有名だった。

 

「あれは普通に訴えられるレベルだったろ。いくら公安の人間相手だからって深夜に未成年相手に襲い掛かるなんて"イカれてる"。」

「本当本当。…当時は岸辺さんの事怖くてたまらなかったよ?夜も眠れないし、片時も気は抜けないし……何度殺されかけたか。」

 

思いだすだけでゾッとする記憶だ。

あの時は生きた心地がしなかったし"悪魔に殺される前に人間に殺されてしまう"なんて本気で考えていた。

 

 

 

「――だけど、あの経験があったからこそ私は今ここにいるんだよね。」

「それは俺も同じだな。」

「…うん。」

 

 

缶ビールを手に持ったまま、それをじっと見つめるハル。冷えきった缶ビールからはポタポタと蒼白い太ももに滴り落ちていた。

 

そんなハルはゆっくりと膝を抱え込むように座り直すと、グレーのタンクトップから覗く黒のブラ紐がズレ落ち、なんとも言えない色気が漂っていた。

 

悩ましげに霞むその瞳。アキはふと姫野の姿とそれを重ねる。

 

 

 

 

 

 

「――そういえばさ、あっくん。未来の悪魔と契約したって聞いたよ。」

「誰から聞いたんだ?」

「マキマさん。」

「…なるほどな。」

 

 

まだ京都公安のあの2人とマキマ以外、誰にも開示していない情報。

しかし、マキマと何らか繋がっているハルなら知っていてもおかしくないと妙に納得していた。

 

 

「"未来の悪魔"。アレ、面白いでしょ?」

「会ったことあるのか?」

「だって未来の悪魔を捕獲したのは私だもん。」

「………は…?」

「未来くんは2年前に初めて私が討伐した悪魔。運良く捕えることが出来たんだよ。」

「それは初耳だ。…お前の最初の悪魔は"蚕の悪魔"だって聞いてたけど。」

「それは仮採用の時。まだ桜の悪魔としか契約してない頃だよ。」

 

相変わらず彼女も良い意味でも悪い意味でも"イカれてる"。それなら岸辺とバディが組める訳だ…なんて妙に納得させられる。

 

「で、代償は?…別に体のどこかを奪われてる様子は見えないけど。…五感?もしくは寿命…?」

「俺の右目に住まわせてる。」

「へぇ〜〜」

 

グイッと前のめりになるとアキの右目をじっと見つめるハル。急に近づくハルの顔に微かにドキッと反応を示すアキ。反射的に顔を逸らすとハルはニヤニヤと笑みを零していた。

 

 

「ちなみに。私は契約できなかったんだ、未来くんと。」

「…お前が?」

「うん、そうだよ?理由も教えてくれなかったし……機会があったら聞いてみて?」

 

 

"契約できなかった"それもまた初耳だった。悪魔と契約を結べないなんて聞いたことはない。

 

基本的に代償と引き換えに契約は結べる筈なのに、ハルの言い方から予想すると"拒絶された"としか考えられなかった。

変わり者の未来の悪魔に余程嫌われているのか…、他になにか理由があるのか…

 

なんとなく、悪魔本人に聞くのも恐ろしい。

 

「へへへ。サーモンいただき〜」

 

そんな事を考えているアキとは対照的に呑気に笑いながら食事をするハル。

まあ、当の本人はさほど気にしていない様子だ。

 

 

アキはふと部屋の壁掛け時計に視線を向けながら話題を変えることに。

 

 

「そういえばアイツら…まだ帰らないのか?」

「……うーん、どうだろう。時間は岸辺さんの気まぐれだし。だけど昨日の様子から考えても早くは解放しなさそうだなあ。」

 

ぐびぐびと缶ビールを飲み干すハル。

全くもって岸辺たちを微塵も心配する様子は見せず、ただただこの幸せな時間を楽しんでいる模様。

 

アキもそんな彼女を目の前にするとヤケに酒が進む。病み上がりの体に酒は毒でしかないが、それをハルは止めることは無い。

 

たった数日前に起こった悲惨な事件。失った仲間に涙した事。恐ろしい程に暗雲に巻かれていく自分。

 

ハルはそれに触れることもなければ、ただただいつもと変わらない日常を作り出してくれていた。

アキにとって、それは最大の救いだった。

 

あの時を掘り返すことも無く、ただニコニコと笑顔を零す彼女。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――やっぱり"イカれてる"

 

 

 

 

「……ハル」

「あっくん。酔っ払っちゃった?早くない?」

 

アキは缶ビールを片手にハルの隣へと移動し、こてんと肩に頭を預ける。

こんな甘え方をしてくるなんて、彼らしくもない。

 

「まだご飯全然食べてないよ?…ほら、あっくんの好きな――」

 

 

 

 

"残り2年"――

 

 

 

 

「もー……甘えんぼさんだなあ。2人が見たら笑われちゃうよ?」

 

 

 

 

 

"未来で最悪な死に方をする"――

 

 

 

 

 

「…おーい。あっくん…?」

「…………」

 

 

 

――俺は我儘だろうか。

 

銃の悪魔を殺すために、俺はここまで必死に力をつけて闘ってきた。死にゆく仲間たち、何人もの屍の上に立ち、ただそれだけの為に生きてきた。

京都公安のあの2人にもあんな大口を叩いた癖に、心の奥底では葛藤を繰り返しているのだ。

 

1人の自分はもっと先へと突き進みたがっている。しかしもう1人の自分がそれを怖れている。

 

平穏な日常を、と。

できれば彼女と共に。

 

 

明るい未来をなんて。

そんな夢物語を――

 

 

 

 

 

 

「…ハル……

…ッ……俺は…」

 

肩に頭を預けたままボソリと呟くと同時に、持っていた缶ビールが手から溢れ落ちる。

 

 

「ちょっ…あっくん。溢れ…」

「……ハル……」

「どうしたの?空きっ腹にいきなり飲んじゃったから酔いが回って……ッ…!?ぁ…!」

 

 

アキが零した缶ビールを拾いあげようと手を伸ばした瞬間、勢いよく手首を掴まれると呆気なく押し倒されてしまう。突然の事に間抜けな声を上げてしまったハルは恥ずかしそうに片手で口元を覆い、じっとアキを見上げていた。

 

 

「…ちょっと…さすがにリビング――」

「どうせまだアイツらは帰ってこない、だろ?」

「だけど分かんないし……ご飯も冷めちゃう。」

「後でまた温め直せばいい。」

「………」

 

久しぶりにアキの瞳をじっと見つめている気がする。

 

硝子細工のような艶のある綺麗なその瞳から怯えを感じるのだ。いつもの落ち着いた様子なのに、微かに感じる眼差しは、まるで底の見えない壺に広がる空洞のよう。

 

"きっと、彼の中で何かと何かが葛藤している。"

 

ハルは瞬時に察するも決してそれを口にすることは無い。

 

アキの性格だ。きっと問いただされることを望んでもいなければ、それを嫌っている。

静かにその様子を察するだけでいい。"今は"。

 

 

 

「…ゴム。確かもう無くなってるよね?」

「…………」

「私買いに行って――」

 

起き上がろう上半身には力を入れるもアキは全くもって動く様子は無い。むしろ手首を掴むその手の力は強くなるばかりだった。

 

 

 

「…悪い……我慢できない。」

 

 

 

珍しく弱々しく掠れた声。

その言葉が放たれた瞬間、彼の唇に塞がれ貪るような口付けが繰り返される。その度にハルの顔にアキの髪の毛が擽る。

 

 

恐怖、焦心、哀傷、後悔。

その口付けから負の感情を感じる。

 

"やっぱり彼らしくない。…いや、これが本当の彼なのか。"

 

そこにはいつもの冷静沈着な彼の姿はなかった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

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