「岸辺さん。また放置ですか?」
「…………」
繁華街の真ん中。大きな交差点は気味の悪い赤紫色の液体に染まり、道行く人々は皆怪訝そうに足早に歩き去っていく。
その真ん中に佇む2人組。グチャグチャと歩く度に水音が響くと買ったばかりの革靴があっという間に汚れていく様に、ハルは大きくため息を漏らしていた。
「"蚓の悪魔"。別に大した悪魔じゃなかっただろう。結果お前だけで十分だった。」
「だからって急にフラッと…ッ…」
ズキっと痛む左手甲。
先程の戦闘で怪我を負っていたらしい。そもそも滅多に怪我を負う事がなかったハルにとって、擦り傷のような地味な痛みは苦手だった。
「うわ……血が結構出てる。戻って治療――」
「貸してみろ」
跡が残る前にさっさと治療を受けたい。だなんて考えていたのもつかの間。
懐に入れていたスキットルに入っている酒を口に含み、ゴクリと飲み干す岸辺。
そして彼の腕が伸びれば左手を強く引かれ、擦り傷部分に生暖かい感触を感じると今置かれている状況にハルは真っ赤に顔を染める。
「〜〜〜ッ!!」
岸辺の舌が甲を伝う感覚。
やけに艶めかしく、吐息混じりの感触に思わず変な声を上げてしまいそうだった。
いかんいかん、ここは公共の場。
人目のつくところで公安のデビルハンターが羞恥の……
「ちょっ、ちょっと!岸辺さん!!」
「アルコールで消毒してやっただけだろう?」
「下手な恋愛漫画のいけ好かないイケメンキャラみたいな事しないでください!」
「下手な例えだ。……ん……」
「だからーーーー!!!」
強く手を引っ込めようにも全く動じない岸辺。これは教育なのか?上司としての歪んだ精一杯の優しさなのか?アルコール中毒で殆ど壊れた頭が更におかしくなったのか?
執拗に舌を這わされ我慢ならないハルは、目の前のアル中男の頬を右手で思いっきり叩く――
道行く一般人達はその光景を気味悪く思っていた。
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「ご苦労さま――」
本部に戻った2人。
もう定時だし、さっさと帰ろう……なんて事もつかの間。何故か特異4課のリーダーに呼び出された2人はそのリーダーが待つ執務室へと足を運んでいた。
夕陽をバックに美しいピンク色のような、赤色のような艶のある髪の毛がキラキラと光っていた。その髪の毛の持ち主は机に肘をつき、どこか余裕気な表情を浮かべる。
「数刻前の"蚓の悪魔"、そして今朝現れた"花火の悪魔"。お手柄でしたね。」
"マキマ"は目の前に立つ人物にしっとりとした瞳を向けると、何となく距離感のあるハルと岸辺に違和感を覚える。
「喧嘩?」
「まさか、喧嘩なんてしてません。」
「……」
パチッと瞬くマキマの特徴的な瞳。
「左頬、蚓の悪魔に叩かれたの?それとも花火の悪魔?」
「私が1発引っぱたきました。」
「……」
何の変哲もない、まさに"どうでも良い話"。岸辺はマキマと視線を交えることも無く、淡々と冷たい言葉を吐く。
「痴話話なら2人でやれ。俺は帰る。」
女同士の痴話話はゴメンだ。
吐き捨てる言葉と同時に岸辺は踵を返し、マキマに背を向けると次の言葉によってそれは阻止される。
「――ハルちゃんを特異4課に戻したいんだ。どう?」
「え?」
「……」
ピタッと岸辺の足が止まる。
そして同じく、ハルも呆気を取られたような表情をするとピタリと全身が固まっていた。
「でも、私は――」
「マキマ。俺はコイツを4課に戻すつもりはない。」
「何故ですか?」
過去にほんの数日だけハルを4課に異動させた時。岸辺は許可を出した自分の采配を誤ったと、その時は珍しく自負していた。
「変り種を2匹入れたばかりの4課は潤ってるだろ。1課は人手不足だ。今の1課に頭のネジが飛んでるやつはコイツしかいない。」
再び隣に戻ってきた岸辺を半ば疑いの目で見上げるハル。心做しか先程より距離も近い気がする。
「((遠回しに褒められてる気もするけど言い方……))」
マキマが指揮する"公安対魔特異4課"
実験的な課としてクセ者揃いが集まっていた。
岸辺の言う"変り種"
それは恐らく、デンジとパワーの事だろう。
そういえばまだ彼は2人と面識がない。
確かにあの2人は超がつく変り種だけど、ハルにとってはそこまでヤバい奴らだとは思っていなかった。
「――そうですか。」
岸辺に向けられていた視線が、今度はハルに向けられる。
「給与、賞与額の割増。希望があれば公安が管理している強力な悪魔との契約、1体許可します。それでも?」
「…これ以上の待遇は不要ですよ?それに、うちの悪魔は変り種なので、これ以上自分の代償も払いたくないです。」
「"桜ちゃん"、まだ本調子じゃないんでしょ?不便じゃない?」
「はい。だけど私にはもうひとり、頼りになる悪魔がいますから。」
良すぎる待遇を条件に出されるも、遠回しに4課への異動を断る。そんなハルを岸辺は横目でじっと見つめ、畳み掛けるようにマキマに再び言葉を放つ。
「それに、狂ったコイツを止められるやつは4課にいない。"鬼に呑まれた時"、それを対処する輩が現れない限り異動は無理だ。」
"コイツ"と言うと同時に、コツンと頭部を指で押されるとハルはムッと口を尖らせる。
「アキは無理だ。姫野でギリギリ。下手をすれば、コイツの悪魔に4課は潰される。元々バディを組んだお前なら分かるだろう。」
岸辺の言葉に何も言い返すことが無くなったマキマ。表情はひとつも変わらず、じっと瞳が2人を捉えるのみ。相変わらずミステリアスで何を考えているのか分からない目の前の女性に、ハルも同じく表情を変えることなく静かに見据えていた。
「そこまで言われるなら、仕方ないですね。」
先程まで必死にハルを4課に誘おうとしていたのに、あっさりとした様子のマキマ。
「ハルちゃん。今夜うちに遊びに来ない?」
「……今夜は……」
話の転換が無茶苦茶すぎる。
相変わらず、マキマの事は"読めない"不思議な女性だ。
何となく返事の遅いハルを察すと、マキマは微かに口元に弧を描く。
「あぁ。早川くんだね。」
「…というより、今日はあの2人に約束しちゃった事があって。」
「デンジくんとパワーちゃん?」
「はい。」
「約束って?」
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――2時間後
早川家――
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リビングでギャーギャーと騒ぎ立てる2人と猫1匹。
その光景を前に、ハルは皿を用意しながら微かに笑みを浮かべていた。
「おいハル!ワシのカラアゲはまだか!!」
「パワちゃん、ちょっと待ってね。」
「オマエの唐揚げじゃねえよ!クソ魔人!」
「うるさいうるさいうるさい!ハルのカラアゲは全部ワシのもんじゃ!うぬには食わせんからのう!」
「あぁん!?」
がはははは!!と大声を上げるパワーを横にデンジも負けじと声を張り上げる。
ここ最近、早川家はこれが当たり前だ。
皿を棚から取り出すハル。
ふとシンクの前で大皿に唐揚げを盛り付けている"彼"に視線を向けると、どっと疲れている様子が垣間見える。
「うるさいんだよオマエら!近所迷惑だ!」
早川アキの怒号が飛ぶも、相変わらず2人の声のボリュームは変わらない。
"変り種"2人との奇妙な新生活。
自分はたまに訪れる程で、4課の彼らのことはそこまで詳しくない。しかし日頃、アキから聞かされる話を聞く限り、常人はあの2人と生活なんて無理だろう。
「あっくん。取り分けのお皿これでいい?」
シンプルな白地のお皿を4枚、重ねた状態で両手に持つ。"というか、これしか無かったよね?"とクスッと笑みを浮かべながら彼の隣に立つと、なにか"違和感"に気づいたアキはハルの右手に手を添える。
「どこ取られた。」
低く落ち着いた艶のある声。
先程、あの2人に怒鳴った声とは全く違う声色にドキッと胸が弾んでしまう。
「よく気づいたね?今度は右手の手根骨。」
「右の手根骨……2つ目か?」
この男は相変わらず抜かりない。
自分が奪われた骨の部位を覚えているらしい。
「覚えてるなんて凄い。しかも気づくなんて。」
「やけに右手を庇ってたからな。痛むか?」
「岸辺さんを叩ける力はあるから大したことなさそう。」
「……お前な…」
呆れ顔にため息。
更に疲れを溜め込むアキを横に、ハルは愉しげにクスクスと笑っていた。
最近、ようやく力を戻した桜の悪魔。桜は既に散って日が経っているというのに、なかなか姿を見せなかった。
本当に……うちの悪魔は都合よくて、適当で困る。
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「うぬはマキマと姉妹じゃなかろうな?」
「え?何で?」
食事を始めて数十分後。ようやく落ち着きを取り戻した悪魔ふたり。そしていきなり謎発言を繰り出したパワーを目の前にハルは首を傾げる。
「……声も姿も似とる」
「おっパワー、気が合うな?俺も思ってたんだよな。」
まじまじと2人に顔を見つめられると何だか恥ずかしい。
ハルは端の動きをピタッと止めると、隣に座るアキに視線を向ける。
「似てる?マキマさんに。」
パチッとした二重の目元、矯正されたその顔は確かにマキマに近いものはある。
公安内で実際にマキマを見たことがあるというものはそこまで多く存在しないが、マキマを知る上司同僚部下からは何度か言われた経験はあった。
「まあ、部分的に。」
話を誤魔化すようにアキは唐揚げを口に放り込む。すると話を最初に振ったパワーは目先の唐揚げに充てられ、マキマとハルが似ている問題は脳内から一瞬で消滅していた。
「カラアゲ寄越せ!チョンマゲのもワシのもんじゃ!」
「もう十分食っただろ!やめろ!」
バタバタと再び繰り広げられる戦。
その醜い争いに、ハルとデンジはじとっと冷めた瞳で呆然と見据えていた。
「なあ。ハルのバディってどんなヤツ?」
「今度はバディの話?」
「いやー。今日早パイが言ってたんだよな。"公安最強のバディは1課のハルの所だ"って」
「最強?……なのかな。」
デンジの意外な発言についに箸を置くハル。
"うーん"と顎に手を添えるといつもの美しい眼と唇は、定まらぬ考えを反映するように、ぼやけて見えた。
「まあ、平々凡々かな。」
「あぁ?ヘイヘイボ…どういう意味だよそれ――」
「"平々凡々"。そんな訳ないだろ。」
パワーとの唐揚げ戦に完敗したアキ。傍らでは大喜びで唐揚げを口に放り込んでいくパワー。それを他所に、その場から立ち上がりキッチンへと向かうアキは、デンジとハルの会話に半ば釘を刺すように言葉を放った。
「普通でしょ?」
「ハルのバディが普通なら、他のバディは全部最弱、底辺だ。」
「岸辺さんと私、バディって名前が付くのがおかしいくらいバディらしいことなんてしてないんだけどね。」
"ほぼ放置だし、らしいことと言えばお酒を飲み交わすことくらい?"と付け足すと、話の内容についていけないデンジとパワーはぽかんと口を開けっぱなしで呆然とした様子。
「なんかよくわかんねぇけど、とりあえずヘイヘイボボンって事で。」
「違うぞデンジ!ヘイヘイボンボンノボンじゃ!」
「口にもの入れたまま喋んじゃねぇ!汚ぇだろ!」
「ワシの胸もボンボンボンノボンじゃ!!がはははははは!!!」
「「…………」」
絶対わかってないし、わかる気もない2人。
そして既に話したこと全てを頭から消し去ってあるであろう2人。
ハルとアキは"いつもの"この光景に順応し始めていた。
「ハル。パワーに唐揚げ全部もっていかれただろ。食え。」
「お……おおおおおお!おいチョンマゲ!!隠すとは卑怯じゃ!!ワシに寄越せ!」
勢いよく飛びついてくるパワーを軽々と避けると、ハルが作った残りの唐揚げが大皿に乗せられ、机に置かれた。
「デンジ、パワーを押さえてろ。」
「やめろデンジ!!二度と胸を揉ませてやらんからな!!」
「お前らがハルに無理言って作らせた唐揚げ。当の本人がひとつも食えてないっておかしいだろ。」
「仕方ねえな〜。"ジョウシキジン"の俺がハルの為に一肌脱いでやるかー」
ブンブンと腕を回し、床に転がるパワーに伸し掛るデンジ。
「((常識人、理解して言ってないでしょ。))」
「((常識人、理解して言ってないだろ。))」
再び騒ぎ立てる2人を完全に無視するハルとアキ。つかの間の安息とは言えないが、2人は肩を並べてゆっくりと食事をとる。
「別に私は食べれなくても構わないんだけどね。元々今日はそのつもりで来たんだし。」
「食え。骨がなくなった分肉をつけろ。」
「肉じゃ骨は賄えないんだどね。」
パクッと唐揚げを口に放り、モグモグと口を動かす。
そんな彼女の姿を横目で見下ろせば、アキはそっとハルの頭に触れると優しく撫で始める。
「頭蓋骨は絶対に取られるなよ。」
「脊柱は?」
「歩けなくなるくらいなら、まだマシだ。」
「立つことも座ることも出来なくなるし、そうなったらデビルハンター卒業かな。」
「……そうなったら」
「なったら?」
撫でていた手が離れると、箸を握る右手に今度は手が添えられた。
「俺が面倒見る。」
「……ふふ……何それ。」
ふざけた冗談だと頭の中で呟くと、ハルは右手甲をアキの胸元に押し付けるようにポンポンと叩く。
「そうなったら"カース"に聞いておいてよ?寿命。」
「……」
「死ぬ寸前で私はあっくんに殺される。それでいい。」
ニコッと天真爛漫に微笑む彼女。
その曇ひとつない表情に、アキは苦言そうに表情を歪ませた。
「お前……何――」
「うぬら!!食わんのなら寄越せえええ!!!」
デンジの制止を抜け出したパワーが背後から現れる。
目の前の大皿は無惨に奪われ、2人は呆気に取られ続ける。
「どうじゃああ!カラアゲを前に、ワシを止めることは誰にもできんのじゃ!!ひれ伏せ!ひ弱な人間どもめ!」
「俺にも寄越せ!」
ギャーギャー……以下略。
全く平穏な時間が訪れない2人。
しかし、怪訝なアキとは対照的に、ハルは愉しそうに笑っていたのだ。
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唐揚げの宴を終え、さっさと風呂に入って寝床についたデンジとパワー。
荒れた室内、食事の片付けをようやく終えたハルとアキ。時計の針は既に夜の10時を指していた。
「じゃ、帰るね。あっくん。」
スーツのジャケットと仕事鞄を手に取り玄関へと向かうハル。本部からそのまま早川家に来たばかりに、蚓の悪魔との戦闘時に負った赤い血がジャケットに付着したままだった。
そして、アル中岸辺に舐められた左手の甲の包帯も外れかけ、血が滲んだ大判の絆創膏が覗かれる。
ハルが靴に手を伸ばした瞬間、突如背後から大きな胸に抱擁される。ふわりと漂う彼の香りが鼻をかすめるとクラっと頭が麻痺する感覚に陥る。
「泊まれば?」
「着替えも何も無いし。」
「置いてる分、あるだろ?」
「……デンジくんとパワちゃんに言われるよ〜?」
「関係ない。」
ギュッとさらに力が込められる。耳元に触れるほどにアキの唇が近づく。鼓膜に響くその声に理性を失ってしまいそうだった。
「明日休みなんだけど、ちょっと忙しくて。」
「……」
「午前は会わないといけない人がいて。昼からは姫野先輩とランチだし。夜はマキマさんとご飯だし。」
「俺は放置?」
「別にそういう意味じゃ――
――ッひ……」
首筋に這う唇。
擽ったい感覚に、"また"変な声が漏れる。
手に持っていたカバンとジャケットが床に落ち、体の力が抜けていく。
まさにいう"骨抜き"
これ以上、骨を抜かれるわけには――
「――したい。」
「……あっくん?」
「ハル」
「ちょ……」
彼らしくない。
シャツの中を彼の手が弄ると、いつものように冷静でない言動に混乱していた。
「せっ……せめてシャワー……」
「シャワー浴びたらいいわけ?」
「……っ……狡い」
「いつもなら見逃すけど。今日は逃がさない。」
血の滲んだ包帯が巻かれた左手甲。
背後から伸びる手に捕まれ、そっと甲に口付けられる。
「…………既視感」
「何?」
今日の出来事を思い出す。
同じような、光景……既視感。
アル中岸辺
「……やっぱり。あっくんと岸辺さんだと違うなあ……」
「何の話だ。」
「えっ、あ、いや。……なんでもない。」
ハルの様子から大体を察したアキの表情が曇る。
すると軽々とハルを抱き上げると、浴室に一直線――
「ちょっと!私帰る!」
「帰らせない。」
「帰る!」
「無理。」
まるで幼子の喧嘩。
しっかりとその声は、デンジとパワーに届いていた。
「アイツら、交尾するのかのう。」
「……うっ……早パイ……ずりい……」
「なんじゃデンジ。じゃあワシとスるか?」
「しねえよ!ばーか!俺のハジメテはマキマさんって決めてんだよ」
静まり返ったリビングに
薄いカーテンを透かして月の明かりが射し込んでいた。
・・・・・・・・