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スクリーンに向かって伸びる光の帯
静かな空間、暗闇の中に浮かぶロマンティックな映画のワンシーン。
「……」
「……」
ハルとアキ。
2人は目を逸らすことなくじっと画面を見つめていた。
『あなたに会えてよかった。』
『ダメだ!行かないでくれ…ッ…頼む――』
夕陽に染る綺麗な空。
海辺に立つ男女が別れを惜しむ。
そんなクライマックスシーンだった。
演技だとわかっていても情熱的な俳優の姿に感情移入してしまうのが普通だろう。
現にシアター内には鼻をすする音や嗚咽が聞こえてきた。ハルの右隣に座る若い女性はハンカチで目元を押さえ僅かに声を漏らしながら泣いている。
「………」
ハルは左隣に座るアキを不意に横目で見てみた。
ほんの少し、分からないように、左に僅かに顔を向け様子を伺う。
「…………」
アキの右頬に流れる一筋の涙。
表情は無のまま、声を漏らす訳でもなく静かに涙していた。
「((…泣いてる))」
ハルは再びスクリーンに視線を戻した。
自分は涙さえ流すことなく静かにじっと見ているだけだ。
悲しい、辛い、別れ
そんなシーンであることは分かる。
「((………私は何で――))」
ノンフィクションであろうともフィクションであろうとも現実世界で自分にも起こるであろう別れや悲しみの数々。
その狭間に立っている自分、不思議と涙は出なかった。
わかっている。きっと悲しくてたまらないのに。
――私の頬に涙が流れることは無かった。
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ハルとアキ
――"レゼ篇"
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「デンジくん。お皿ちょうだい?」
「んー!」
早川家
キッチンに並んで立つのはハルとデンジ
「へへっ、うまそ〜」
「タルタルソース混ぜて、この器に移し替えてもらっていいかな?」
「いいぜー」
皿に盛り付けられるチキン南蛮。美味しそうな香りにデンジの表情がより一層緩む。
"3枚の皿"
ハルとデンジ、そしてアキの分。
パワーは血抜きで不在。仕事で不在のアキの皿にはサランラップが被せられ そのまま冷蔵庫へ。
以前より手際が良くなったデンジを横目にハルは嬉しそうに微笑む。デンジとのふたりの時間も珍しく心地よく感じていたのだった。
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「いただきます。」
「いっただっきまーす!」
リビングのローテーブル。並べられた夕飯の数々。
向かい合って座るふたりは丁寧に合掌すると箸を手に取った。
「ハル、今日も晩メシ用意してくれてありがとな。」
「こちらこそ。家で一人で食べるよりデンジくんと一緒に食べた方が楽しいし。」
「………」
「…ん?デンジくん?」
デンジの手元が止まると真っ直ぐと見つめられるハル。ポカンと口を開け何を考えているか分からないような表情をしていた。
「どうかした?」
「……ハルってさ、オレのこと好き?」
「え?そりゃ、うん。好きだけど?」
「えっ、…え!?…」
「え?」
何を聞かれると思えば"そんなこと"。
好きだけど?なんてハルの台詞にあたふたとわかりやすい動きを見せる。
「デンジくんの事は好きだよ。」
「そっ、それって!アキと同じやつ!?」
「…んー?好きの種類は違うけど。」
「ん?」
「恋愛とは別ってことだよ。デンジくんは友達とか、恋愛とは違う大切な人ってこと。」
イマイチ理解しきれていないデンジは未だにチキン南蛮に手をつけることなく小首を傾げる。
とりあえず"アキとあんなことやこんなことをする関係"とは別だということは理解できた。…多分。
「なあ、ハル」
「ん?なに?」
すると突如、意を決したかのようにゴクリと息を飲み若干前のめりになると真剣にハルに近づく。
「…早パイ以外に好きなやつができた事ってある?」
意外な質問にハルも若干驚きを見せる。
すすっていた味噌汁のお椀をテーブルへと戻し、顎に手を添え考える仕草を見せた。
「あっくん以外に好きな人?」
「お、おう……」
「うん。あるよ。」
「え!?うええ!?」
「当たり前でしょ?小さい頃とか含めたら初恋だってあるし。」
「そっ、そーいうもん……か…」
ハルの答えに妙な安心感を抱いたデンジはホッと肩の力を抜くと小さく息を吐く。
心ここに在らず、と喩えれば良いだろうか?
デンジの様子がまさにアレなのだ。恋に悩む男子高校生のような、夢見心地の世界に迷い込んでいるような、そんな雰囲気を醸し出す。
「え?なになに?デンジくんの好きな人の話?」
「うっ!そっ、そんなんじゃねえ!…けど。」
「この前マキマさんと映画観に行ったんだよね?楽しかった?」
「…ん。」
「よかったね。デート。」
「へへっ」
その会話を境にデンジはコロッと表情を変えるとチキン南蛮を口に放り込む。なにか吹っ切れたのかは分からないが ハルの答えに何かしら腑に落ちたらしい。
ハルもそれ以上何も聞くことはなかった。しかし珍しい事だ。デンジが恋だの愛だの、好きな人だの。それに悩む様子を見せるのはある意味成長なのかもしれない。
ただただ目の前の少年が幸せになってくれればいい。
ハルは心の中で密かに願っていたのだった。
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翌日 午後12時過ぎ
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本部の中にある食堂。
今日はいつもより人が多い。
どうやら悪魔の出現が少ないらしく、デビルハンターやその関係者たちもつかの間の休息を愉しんでいた。
食堂の一番端の席。陽がよく当たる特等席。
そこにはハルとアキの姿があった。
「体調は?」
「すこし気分が悪い時が増えたけど食べてれば大丈夫。」
「午後の予定は?現場はないよな?」
「今日は書類整理。報告書の取りまとめをマキマさんにお願いされてるんだ。」
「…よかった。」
アキはホッとした面持ちで味噌汁に手を伸ばす。対面側に座るハルの様子を伺いながら なにか体調に変化がないか気にかけていたのだった。
しかしどうやら心配は無さそうだ。前よりもよく食べるようになったし、顔色も悪くない。
「………」
「…ん?どうかしたか?」
その数秒後、ハルはムッと険しそうにアキを見つめる。その様子に?マークを浮かべ再びアキは橋を持つ手を止めた。
「ねえ あっくん」
「うん?」
「最近、デンジくんの様子がおかしいの。」
「もともと様子はおかしいだろ。今に始まったことじゃねえ。」
「そういうことじゃなくて……」
"大したこと無さそうだ"なんて感情が丸見えの表情をアキは浮かべると再び味噌汁に口をつけた。その反面、ハルは口を尖らせて納得いかないような視線を送り続ける。
「一大事だよ。あのデンジくんは。」
「は?」
「あれは……"恋"…な気がする。」
「マキマさんだろ。」
「うーん。なんか違うんだよね。」
ハルは顎に指を添え考え込む仕草を見せた。
瞼を閉じ、脳裏にデンジを思い浮かばせる。
最近ボーッと空を見上げていることが多い。
この前、一緒に街を歩いていた時に花屋を見つけてはニヤニヤと笑っていたこともあった。
"コーヒーってどうしたら美味く飲めるようになる?"なんて訳分からないことを口にしたことも。
パワーの代わりにデンジのバディを担っているビームに探りを入れてみたが"…言えないッ…チェンソー様の……事は…たとえハル様であろうとも…言えないんです!!"と逆効果な反応を見せた。
きっと何かあるんだろう。
あの様子だと恐らく何かに思い漕がれているはずなのだ。
「――まあ大丈夫かな」
ハルは再び箸に手を伸ばすとご飯を口に放り込む。
アキもその様子を前に何事もなく普段通り過ごすのであった。
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同日 午後18時過ぎ
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「ハルさんの作ったお味噌汁。最高。」
ハルの自宅。
リビングのローテーブルに並べられた"The 和食"を前に口元を緩ませるのは吉田の姿。ハルもその向かい側に腰掛け同じく夕飯を口に運んでいた。
「肉じゃが、おかわりもあるから食べてね。」
「うん。ありがとう。」
今夜、デンジもアキも仕事で居ない。
だいたいは早川家にいる事が多い今日、たまには家にも戻らねばと帰宅すると自宅の扉前に吉田の姿があったのだ。
まるで分かっていたかのように、ストーカーのように佇まう彼の行動には半ば呆れているものもある。
「にしてもハルさん久しぶりだね。」
「そうだね。元気だった?」
「もちろん。」
相変わらずコントラストのない瞳がハルをじっと見つめる。無表情にも見えるが微かにほころぶ頬。どうやら何事もなく元気だったらしい。
そしてその視線はハルの腹部へと移動する。
「赤ちゃんできたんでしょ?おめでとう。」
「ありがとう。」
「いいなあ。俺もハルさんの子に生まれたかった。」
「えー嫌だ。吉田くんみたいな息子。」
「ははっ、ひどいなあ〜……ねえ?触ってもいい?」
「もちろん良いよ。」
吉田は許可を得るとゆっくりと立ち上がりハルの隣へとしゃがみ込む。そしてまた何も変化のない腹部に手を当て、優しく摩ったのだった。
「まだお腹も何も変化ないし、見た目は何も分からないでしょ?」
「…………」
吉田の大きな手。変わらない表情。
無言で触れる彼をじっと見つめながら"なんだかんだ ちゃんと触ってもいい?なんて聞ける子なんだよね"なんて微かに彼の常識さを実感した。
「…ここに 命があるんだ。」
「うん。」
彼らしくない真剣な声だった。
目には見えない、確かに存在する命。
尊い命の存在――
「何があっても…俺がハルさんの事守るし、赤ちゃんも守ってあげるからね。」
「……それは心強いね。」
スっと離れる彼の掌。見つめられる眼差し。
腹部に触れていた手はハルの頬へと移動する。
「聞いたよ。ハルさんの彼氏ってヤバい悪魔と契約してるんでしょ。…あ、彼氏じゃなくて旦那様かな。」
「………」
「"呪いの悪魔"」
「……また岸辺さんでしょ。」
「正解。」
ほんのわずか、彼の頬が緩んだ気がした。
残酷な現実を淡々と語る彼はやはり食えない男だ。そして同じく岸辺も。
「代償は寿命。恐らくはもう長くない。」
「……」
「そうだよね?」
その通りだ。あまり考えないようにしていたがそうなのだ。この前、銃の一件の時。アキは間違いなく悪魔の力を使った。
「うん。」
「……」
「具体的な寿命は知らないけど 多分数年レベルだと思う。この前悪魔の力を使ったのは知ってるし。」
アキは知っているはずだ。それに未来の悪魔とも契約をしている。もしかしたら自分がいつどこで、どんな死に方をするのかも知っているのかもしれない。
「……なんなんだろうね」
「ん?」
「お腹に2つの命があって。この子達の父親の命は長くない。…絶望的な現実なのに あまり何も思わないの。」
「……」
「壊れてるんだよ。」
なんて薄情な人間なんだろう。
もしかしたら人間の皮をかぶった悪魔なのかもしれない。そんなことを考えたこともある。
きっとアキは遅かれ早かれ死ぬ。
恐らく子供が生まれた後にはなるだろうが、家族で末永く幸せになろう――なんて未来は見えない。
"仕方ない"とそう思う。そう思うしかないというか、現実そうなのだ。
確定している絶望に 抗う気は――
「"ハルさんは素敵な人だよ。優しい心を持っていて、綺麗だよ。"」
「……」
「狂ってるのは事実だけど。壊れてはないよ。」
サラサラとハルの髪の毛を撫でる。
コントラストの無い瞳が僅かに色を見せた。
「大丈夫。いずれにせよ"何があっても"俺がハルさんを助ける。」
「……」
「約束ね ハルさん。」
絡まる小指と小指。
指切りげんまん、と彼は呟く。
岸辺になにか吹き込まれたか、そうでは無いのか、意図は分からない。岸辺が彼になにか伝えたのは確かだろう。ハルはそんな気がした。
「"ボーイミーツガール"」
「ん?」
「俺はね、ハルさんに出会って恋に落ちたんだ。」
指切りしていた手と手が再び形状を変え 大きな手がハルの手指に絡みつく。
指と指の間に彼の長い指が差し込まれると愛おしい人を想う恋人繋ぎの形になっていた。
「好きな子を守るのは当然だよ。…例えそれが実らない恋だって分かっていてもね。」
ハルは彼を見上げる。そしてあいまいな表情を作った。雨が降り出すのか、にわかに晴れ渡るのか予測のつかない空を眺めている心持なのだった。
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День моего свидания с Джейн
Все готово
ジェーンとのデートの日だ
全ては整った
Утром мы пойдем вместе в церковь
朝 一緒に教会に行こう
Мы будем пить кофе и есть омлеты в кафе
カフェでコーヒーを飲んでオムレツを食べよう
После того как мы прогуляемся в парке
公園を散歩したら
Мы пойдем в аквариум и увидe любимых Джейн, дельфинов и пингвинов
水族館に行って、最愛なるジェーン、イルカとペンギンを見よう
После обеда мы отдохнем
昼食後には休もう
Итак, что мы сделали утром
それで、ぼくらは今朝何をした?
Мы будем говорить об этом пока не вспомним
思い出すまでそのことを語り合おう
Мы не вспомним
ぼくらは思い出さないだろう
И ночью мы будем спать в церкви
そうして夜は 教会で眠ろう
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不思議な夢を見た
死んだ家族達が笑っている夢
でも なぜか私は笑えなくて
奇妙な気持ちだった
手を伸ばしても家族に触れることはできなくて
みんな気づいた時には立ち去っていた
でも何も感情はなくて、ただ奇妙なだけ
怖くもなければ寂しくもない、哀しみもない
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カーテンの隙間から陽の光が零れはじめていた早朝。
広いリビングに2つの声が響いた。
「"おーい。デンジくん?"」
「んあっ!?」
ソファで眠っていたデンジは慌てた様子で上半身を起こす。その傍らでは部屋着姿のハルがケタケタと笑っていた。
「おはよう。」
「…へへっ、はよ〜」
「もう朝だよ。そろそろ起きなさい。」
カーテンを容赦なく開けると思わず目を覆いたくなるほどの陽の光が差し込んだ。朝焼けに染まる美しい空、雲ひとつない景色に不思議と胸が高鳴るデンジ。
「それと!お風呂入りなよ?昨日そのままソファで寝ちゃったし。」
「んー」
「仕事もあるでしょ?早くご飯も食べて、用意してあげるから。」
「へへっ、やりいー」
ハルが掛けてくれたタオルケットからいい匂いがした。なんだかこの空間自体が心地よくて好きな匂いがする。――ああ、そういえばここはハルの家だった。昨晩、色々あった後に早川家に帰ることなくハルの家に飛び込んできたのだった。
「すげー花いっぱい。」
「………」
ハルの自宅を散策するデンジ。
花瓶に生けた花々に触れては香りを嗜んだり、ベランダから外を見渡せば清々しい様子で深呼吸したり――いつにも増して人間らしい彼の行動にハルは何かを感じ取る。
そして不意にデンジに近づくと彼の体をくんくんと嗅ぐような仕草を見せた。
「デンジくんから"カルキのにおい"がする。」
「カルキ?…って?何?」
「消毒用の塩素のにおい。"プールのにおい"って言えばいいかな。」
「………………"プール"…」
ポカンと呆れるように口を開け天を仰ぐデンジ。
そしてその数秒後、ハッと目を見開くと夢物語から一気に覚めたような様子を見せた。
「あっ…!うああああ!!!」
「なになに?昨日の夜、何してたの?」
「ぅえっ!?きっ、昨日!?」
「"アキに怒られるから"っていきなり夜中にウチに来てさ?たまたま起きててよかったよ、ほんとに。」
素っ頓狂に声を裏返し明らかな動揺を見せるデンジ。昨晩、デンジは衣服が半濡れの状態でなぜかハルの自宅に訪れたと思えば"一晩泊めてくれ"なんて言ったのだ。
夜も遅いし なにか訳ありなんだろうと、ハルは二つ返事で彼を泊まらせた。
生憎何も準備はしておらず そのままソファで一晩過ごしてもらったが…
「つっ、つーか!!ハルは!?今日休み?」
「半休だよ。午前中はちょっとお出かけして 午後からは2課の訓練所に行く予定。」
「2課?」
「そう。東京本部公安退魔特異課の2課。」
話をそらされたのはともかく、ハルはくるりと身を翻すとキッチンへと向かう。指でピースをし"2"を表すとハルは続けて2課の存在について説明した。
「私とあっくんの先輩がいたり、ほとんどみんな悪魔と契約してるんだ。」
「へえー」
「今度デンジくんも行ってみなよ。体術訓練とか凄いし、勉強になると思うよ。…今日の夕方、もし空いてたら来る?」
「今日は予定があるから行けねえー」
「残念」
彼は全く興味を示さない。それもそうだろう。そもそも公安に興味もなければ大して人にも興味は無い。むしろ飼われている立場であるデンジからしてみればどうでも良いのは理解できる。
「なあ!ジャム!ハルん家は何あんの?」
「私はあまり多くないよ。イチゴジャムでいい?」
「ハルが作ってくれるならなんでもいいぜー」
「あとは目玉焼き、サラダも簡単なの作ろっかな。」
「俺も手伝うぜ。」
「ありがとう。」
アイランドキッチンに並ぶ2人。以前よりも手際良くなったデンジの行動にハルは穏やかに微笑んだ。
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「………」
デンジと共に自宅を出た後、ハルの足は通っている産婦人科へ。
最寄りのバス停から乗り継いで20分ほど。バスは人々で賑わう街中へとたどり着くとハルは迷うことなく目的地へと向かっていた。
今日は平日だがやけに人が多い。
そういえば今夜は花火大会もあったっけ。
掲示されていた花火大会のポスターに気を取られていた瞬間――
「……わっ!」
「チッ」
スーツを着た中年男性がハルにぶつかってきたのだ。あれは明らかにわざとだ。肩のぶつけ方も、男の様子を見た限りでもそうとしか思えない。
「……皆 イライラしたって何も変わらないのに……」
かなり強くぶつかられてしまった。
肩から下げていた革製のショルダーバッグを再び背負い直すと再び足を動かす。
「((検診が終わったら一旦また家に戻って……着替えて書類まとめて――))」
歩きながらも仕事のことを脳裏に巡らせるハル。
「"お姉さーーーん!!落としましたよ!"」
「!?」
刹那、背後から若い女性の声とトントンと左肩を叩かれる感覚。"お姉さん"とは自分のことを指しているのだと直ぐに理解するとハルは咄嗟に振り返った。
「…あ、これ」
「落としたの見えたので。お姉さんのですよね?」
「はい。ありがとうございます。」
少女が手渡してくれたのは"マタニティマーク"だった。
別につける必要はないと思っていたが頑なにアキが許さず、休みの日に使っている鞄に強引につけたのだ。
ボールチェーンは外れやすい。やっぱり自分でもちゃんとしたものを用意すべきか…なんて。
「すみません。わざわざ本当に。」
「よかった〜!」
ハルはようやく相手の姿をしっかりと捉えた。
歳はパッと見10代後半、学生だろうか。髪は暗めの紫で後ろに結ばれている。目の色は綺麗な緑色だ。
「((…可愛い…))」
真ん中に黒いリボンが付いたノースリーブの白いシャツ。横にスリットの入った黒のショートパンツにニーソ。
首にはやや幅広なチョーカーを着けており、右側にリング状の金具がついている特徴的なものだ。
世間一般的に誰が見ても"可愛い女の子"だと思うだろう。
わざわざ落としたものを走って届けてくれるような子だ、声も口調も男性が好きな要素を兼ね揃えている気がする。
「…………」
「……?あの?なにか?」
「いえ、ごめんなさい。素敵な方だなと思ったので。」
「ええー!!嬉しいです。」
少女は嬉しそうに笑う。両手を顔の前で合わせ喜びを表現するその姿に不思議と惹かれてしまう。
「それって、お腹に赤ちゃんがいるマーク?」
「え、……ああ。そうですよ。」
「へえ〜!お姉さんのお腹の中に赤ちゃんがいるんだあ。」
「はい。」
少女はお腹をじっと見つめた。
そしてまるで幸せな夢を見るかのように輝かせ、そっとくちをひらく。
「……あなたのお母さん。すっごく美人さんで素敵だよ。」
お腹の子供にボソリとつぶやく。
そんな行動も可愛らしい少女だった。
そして再びこちらに向き直ると少女はハルに何かを手渡した。
「あと、良かったらこのお花。どうぞ。」
差し出されたのは一輪のピンクのガーベラだった。
「さっきそこで募金をしていて。協力したらお花を貰ったんです。でもこの後用事があって お花を枯らしちゃうかもしれないから……もしよかったら受け取ってください。」
ハルは少女の手から花を受け取る。
優しいその行動に"いいえ"なんて返答は見つからなかった。
「ありがとうございます。」
「喜んでくれて良かったです!…それじゃ!」
そして少女はあっという間に姿を消してしまった。人混みに消えていく姿は何処か儚く、不思議な気持ちになった。
ハルは暫く花を片手に立ち尽くす。
そしてその不思議な気持ちは"奇妙な感覚"へと変化していった。
「…………あの女の子……どこかで見たような……」
頭の端くれに感じる。
見た事のある感覚。
…でも、あんなに可愛らしい女の子を忘れることは無いはずなのだが。
「((……杞憂かな。))」
喉に引っかかったような感覚に若干気持ち悪さを感じながらもハルは再び目的地へと踵を返したのだった。
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