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「うう……姫野先輩っ……」
「……ふふふ……へへへっ……ハルぴ〜」
いざ飲むと結局こうなる事は目に見えていただろうに。セーブしないと後々絶対やばい事になる。
分かってた、ちゃんと考えてた。
だけどそれは自分の問題では無い。
「姫野先輩。タクシーは、無理か……」
「……吐きそう……」
「まだ吐けるんですか!?」
完全に酔い潰れ、酩酊状態。店で既に何度も吐かせたが、それでもまだ吐き続ける。
路地裏の細い道の隅に姫野のゲロがぶち撒かれる。
ハルはミネラルウォーターのペットボトルを用意し、必死に介抱する。
この事態には慣れているが、今日は話が変わってくる。
なんせこの後の用事に遅れる訳にはいかない……
というか、もう確実に遅れる。
マキマさんとご飯……
「うぅ……オェェェェエエエエエエ。」
「……もっと飲むペース、止めればよかった。」
この状態でタクシーは間違いなく断られる。
かといって自分も飲んでるし、車を動かすことは出来ない。
姫野のマンションまで歩いて20分。この調子だと倍はかかるだろうか。
「((吉田くんとの約束も遅れたし、今度はマキマさんとの約束も遅刻……?さすがにモラル無さすぎる自分……))」
吉田はともかく(ともかくって何だ)
あのマキマさんとの約束に遅刻するなんて非常識すぎる。
しかも何度もマキマの誘いを断って、ようやく今日というこの日に会うことが決まったのに……
「ハルぴ〜」
「姫野先輩、水飲んでください。」
「うへっ……へへへぇ〜」
「"ちゅー"は禁止ですよ?吐いたあとのゲロチューは絶対嫌ですからね!」
キス魔姫野。飄々としていて人をからかうことが好き。
愛煙家で酒乱、後輩をここまで振り回すヤバい人。
だけど、実は誰よりも大人な一面を持っていて人望も厚い。自分がまだ未成年だった時、岸辺に酒を飲まされようとしていたのを助けてくれたり、課が変わってもいつも気にかけてくれている。
それに、過去に組んでいて死んでいったバディたちの墓参りに月一頻度で行く事も知ってる。情に厚く、自分とは違う心を持った人間だった。
だからこそ、どんな姫野先輩でも嫌いになることは無い。
「ふふふふ……ハルぴはかわいいねええ……」
「家まで抱えていきますよ?ほら、捕まってください。」
「うへへへ〜。おっぱい触っちゃお〜!アキくんごめんね〜」
「……お好きにどうぞ、先輩。」
姫野の腕を肩に回し、路地裏を抜け大通りへとようやくたどり着く。
腕時計で時刻を確認するも、やはり間に合わないことは確実だ。
「((マキマさんに連絡入れないと。酩酊状態の先輩を放るのは絶対できない。))」
ポケットから携帯電話を取り出し、姫野を支えている逆側の手に握るとマキマに電話をかける。
すると、たったワンコールで繋がった。
『―――ハルちゃん?』
「マキマさんお疲れ様です。市川です。」
『うん。』
「ちょっとご報告が……」
落ち着いたマキマの声に胸を撫で下ろす。
『うん?どうかした?』
「……少しトラブルがあって、待ち合わせの時間かなり遅れそうです。」
「―――トラブル?」
マキマの返答。
しかしその声は電話口から放たれた声では無い。
ふと背後に感じる気配。
驚きのあまり、不思議な程に背筋が凍りつく。
「……マキマ、さん?」
姫野を抱えたまま、ゆっくりと首を背後に動かす。
背後に立つ人物、それは間違いなくマキマだった。
鮮やかな髪色に、黒いワンピース姿。
なぜかハルはゴクリと息を飲んでいた。
マキマはそれを他所に、ハルに抱えられている姫野の顔をのぞき込むと薄く笑みを浮かべていた。
ちなみに、姫野は爆睡。
「うーーん……確かにこれはトラブルだね。」
「マキマさん。なんで……ここに」
「たまたま通りかかったんだ。もしかして……と思って、引き返したらやっぱり君たちだった。」
大通りを指さすマキマ。
視線の先の駐車場にマキマの自家用車が停められていた。
「車。乗せてあげる。」
「ありがとうございます、マキマさん。」
「大丈夫。可愛い部下たちの為なら、何だってするよ?」
「…………」
"よいしょ"と呟き、姫野の片側の腕を自身の肩に回すマキマ。
「―――姫野ちゃん。脱水症状とか起こしてなければいいけど。」
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ものの数分でたどり着いた姫野の住む高層マンション。
姫野の鞄から鍵を取り出し、家の中へと運び込む。
相変わらず"意外"と部屋は片付けられており、まるでモデルルームのようだった。
お洒落な家具に、生活感を感じない室内。眺めのいいテラスには観葉植物がセンス良く置かれており、丁寧でおしゃれな生活をしている事がうかがえる。
「…とりあえず、無事運び込めた……」
寝室に姫野を寝かせ、小さく息を吐くとグルグルと腕を回す仕草を見せる。
すやすやと気持ちよさそうに眠る姫野。おそらく酷い二日酔いに襲われることは確定だろう。
「((……マキマさんは……と))」
寝室の扉を閉め、リビングへと移動する。
マキマは大窓から外の景色をじっと眺めていた。
徐々に日が落ち、美しい夜景に染まっていく街の姿に見とれているようだった。
「マキマさん。姫野先輩大丈夫そうです。」
「……うん。ならよかった。ハルちゃんが居てくれて良かったね。」
リビングの入口に立ち尽くすハル。
マキマはいつもの表情のまま、そんなハルにゆっくりと近づいていく。
別に緊張することは無いはずなのに、妙に体が強ばってしまう。
「今日予約したお店。1分でも遅れるとキャンセルになるから、また今度にしようか。」
「……すみません。せっかくお誘い頂いたのに。」
「ううん。気にしないで?」
一体どんな格式の高い店を予約していたのだろうか。
むしろこんなにラフな服装だった自分は、ある意味救われたのかもしれない……
何を考えているのか分からない不敵な笑み。
マキマはハルの手を掴むと、眺めのいいテラスへと促す。
その手は柔らかくて、だけど異常に冷たくて。妙な胸騒ぎを覚える。
宵の口特有の蒼く冷えた甘い空気。生暖かい風。
目の前に広がる煌びやかな夜景。広い場所に光の粒が転々と薄く撒かれたようなその景観を2人は肩を並べてじっと見下ろす。
「今日は大変だったね。」
「でも楽しかったです。姫野先輩面白いので。」
「いいお姉さんだもんね。姫野ちゃん。」
ピクリとも動かないマキマ。
瞬きしているのかも分からないほどに、じっと外を見続けていた。
「桜ちゃんとデーモンくん、最近どう?」
「…桜はやっと昨日からマシに。デーくんは従順です。」
「桜の悪魔と鬼の悪魔。なんだか、ハルちゃんらしいよね。」
「私、らしい?」
マキマの手が再びハルの手を掴む。手のひらに感じる感覚に、ビクッと体が跳ねてしまう。
「儚くて、恐ろしい、自分勝手な桜の悪魔。悪霊、妖怪、神。妖の類で最凶の鬼の悪魔。」
「……」
「らしいというより、ハルちゃんそのものって感じがするんだ。」
マキマの指が絡み、恋人繋ぎをする2人。
「ねえ、ハルちゃん。」
「はい?マキマさん。」
マキマの瞳に取り込まれそうだ。じっと見つめられると全身が鎖で繋がれるかのように、動けなくなる。
まるで全身を支配されるような、不思議な感覚に……
「今日は何をしていたの?何時に起きた?朝ごはんは何を食べた?」
「……今日は早起きして、早川先輩とトーストを食べました。」
「うん。それで?」
グッと詰め寄られる。
ハルは微かに後退しようと脚に力を入れるも、マキマが掴む手の力に威圧され動けない。
「姫野先輩とお酒を飲んで、それでマキマさんに。」
「…うん。そっか。」
表情も声色も何一つ変化がない。
それが逆に恐ろしい。
「ハルちゃんは健気で可愛いね。」
「…ありがとう、ございます?」
「私、ハルちゃんの事、凄く好きだよ。」
「私も、マキマさんのこと大好きです。」
「―――ふっ……」
頬に伸びる手。
ひんやりとしたマキマの手のひらが肌に吸い付くように当てられた。
「早川くんに妬いちゃうくらい。」
刹那、マキマの顔が近づくと思えば、唇に柔らかな感触。
ふわっと香るマキマの甘い匂い、握られている手はさらに力が込められ、逃げ場を失う。
「―――はぁ……っ……ん」
厭らしく、艶かしいマキマのキス。
この感触……前も味わったことがある。
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「ハルちゃんとバディになれて嬉しい。」
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忘れていた、あの時の記憶。
マキマの手に堕ちてしまったあの時のこと。
女性同士の"エッチなこと"
そういえば、自分はマキマと―――
「……っ……マキマ、さん……」
謎すぎる相手の行動、そして過去の記憶が思い出されると恥ずかしさのあまりマキマの体を押し返す。
「"黄鬼"くんに消された記憶。思い出してくれたかな?」
「…………記憶。」
「鬼の悪魔に私は嫌われてるみたい。残念……」
「っ!マキマさん!」
マキマは踵を返すと、玄関の方面へと歩みを進める。
薄暗い室内に、マキマの後ろ姿。
妙に不気味に感じてしまう。
「姫野ちゃんの事、よろしくね?4課は明日、大仕事が待ってるから。」
"またね?"と呟くと、マキマは姿を消す。
それを見送ったハルはリビングのソファに力なく寝転がり、ゆっくりと深呼吸を行う。
「……デーくん」
胸に手を当て、鬼を呼び出す。
「「なんだ、小娘。」」
「マキマさん、嫌いなの?」
「「大嫌いだ。いけ好かん。」」
「何で?」
鬼の悪魔は不機嫌そうに言葉を放つ。
「「それ以上聞くんじゃない。淫夢を見させるぞ。」」
「……誰との?」
「「お前が嫌っている吉田ヒロフミとかいう男。」」
「……それはやめて……」
その言葉を最後に、鬼は戻っていく。
「……殴られる夢はゴメンだから。」
ハルはゆっくりと瞼を閉じる。
閉じても脳裏に浮かぶのはマキマのあの瞳。
あの無機質な顔の裏に、何を隠しているのだろう。