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「ハルさん。来ちゃった。」
「…………」
「"え!?これって夢?"って顔してて可愛い。」
――ここ、高級タワーマンションなんですけど。
部屋に来るまでにセキュリティは3つあるはずだし。なんで目の前の男は涼しい顔をして自分の部屋の扉の前に立っているのか。
なぜ私も扉を開けてしまったのか――
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窓の外から夜景を見下ろす。
煌びやかな都会のその景色は非現実的で別世界。
一通りそれを見渡した男は広々としたリビングのど真ん中に座り込むハルにゆっくりと近づく。
「ココ、家賃いくら?」
「………」
「酔っ払ってる?」
「………」
「おーーい。ハルさん?」
時計の針は21時過ぎを指す。
久しぶりに早く仕事を切り上げて、尚且つ自宅で悠々自適に過ごしていたのに。
"吉田ヒロフミ"はそれを容易にぶっ壊しに来た。
ガラス製の大きなローテーブルに乱雑に乗せられた酒の数々。倒れたワイングラス、空になった缶ビールの山、栓が開けっ放しのシャンパン。"堕落"しているの言われても否定できないような光景。
その荒れた一角とは反対に、最低限の家具が置かれた室内は彼女のセンスがそのまま映えていた。
統一された家具の種類、色。シンプルな皮素材のソファ。そして芸術家しか使わなさそうなデザインの花瓶が所々に置かれており、そこに生けられている花は特別目を引くものがあった。
追憶を意味する"シオン"
死を望む"待雪草"
死者に捧げる"白百合"
永遠の眠り"ポピー"
部屋に映え、センス良く置かれている植物達は全て死を連想させるものだった。
「ハルさんって意外と病みやすい?ロマンチスト?それとも変態?」
「………うるさい。」
買い換えたばかりの上質な淡いブルーのカーペットの上に3角座りで項垂れるハル。そしてそれを見下ろす吉田。彼の口元は笑みを浮かべていた。
「最近忙しいって聞いてるよ。」
「…うん。かなり。」
「彼氏さんには会えてる?」
「…………」
「へー。会えてなくて欲求不満で死にそう?」
「そんなこと言ってない。…ていうか、なんで来たの…」
よりによってこんなに飲んだ日に来るなんて運が悪すぎた。やっぱり追い返せばよかった。
ハルはクラクラと視界が歪む中、ゆっくりと顔を持ち上げ、じっと自分を見下ろす吉田を見上げる形で視線を向ける。
ぼんやりとしていてハッキリと見えないが、やはり彼は気味悪く笑っていた。コントラストのない死人のような瞳で、まるで嘲笑うかのように見下ろされ、たかが高校生のその男は不気味で怖かった。
「キャミソールから覗く黒レースの下着。」
「…いちいち言わないでよ私の格好。官能小説家でも目指してるの?」
「下なんて下着だけだし。」
「……お風呂入ったあとはいつもこうなの。私のノーマルの部屋着姿はこれなの。――男子高校生には刺激が強かったかもね?」
"まだおこちゃまだから"と小馬鹿にするように台詞を吐くと、吉田はハルの隣に座り、長すぎる脚を自慢げに組めば胡座をかく。
少しでも動けば肩がコツンとぶつかり合うほどの距離感だ。
相変わらずこの男は距離感を分かっていない。
「――ハルさんってなんで公安のデビルハンターになったの?」
「……」
「ハルさんの腕なら、ちょっとヤバい違法の民間とかで荒稼ぎできるレベルじゃない?」
「――銃」
ガラステーブルに置かれたビール缶に手を伸ばす。
「"銃の悪魔"を殺す為。それしかないでしょ。」
"プシュッ!"と清々しい炭酸が弾ける音が響くと中身をゴクゴクと飲み干していく。
喉に通る冷たい感覚に更にふわふわと浮いている気分に堕ちていく。
「私の両親と兄2人、妹が1人と弟が1人。全員目の前で殺された。」
「ふーーん」
「…聞く気ある?」
「聞いてるよ。」
気の抜けた声にイラッと眉を顰める。
相変わらずケタケタと笑っている吉田に再び殺意が芽生えそうだ。
「銃の悪魔の肉片所持が出来るのは公安だけ。民間のデビルハンターが倒せなかった強い悪魔の討伐依頼が回ってくるのも公安。……公安に居れば、必然的に銃野郎に繋がるの思ったから。」
「案外普通の理由なんだ。」
「そう、普通でしょ?待遇も悪くないし、こんなにいい所に住める。仕送りする人もいないし、自分を生かすだけの生活なんだしそれなりに愉しめる。」
空になった缶を思いっきり右手で潰せば凄まじい怪力に吉田は思わずクスッと笑みをこぼす。
しかしその反面、ハルの表情は段々と曇っていくばかり。
「頭のネジがどんどん外れていく。――」
鮮明に脳裏に焼き付いている光景はたまにハルの心を荒らす。家族が目の前で死ぬ光景。自分だけが生き残っている事実。
銃の悪魔を殺す為だけに蓄えてきたこの力。運良く自分にはデビルハンターとしての才能はあったらしく、今の今まで辞めたいとは考えたことは無い。
でも、日に日に自分の頭がおかしくなっていく感覚だけはどうも苦手だ。
「悪魔を殺して、肉片集めて。悪魔の血の匂いに体が染って、ワケわからなくなる。最初は頭がおかしくなりそうだった。怪我もするし、悪魔との契約代償もあるし。」
握りつぶした缶をテーブルに戻し、ぼんやりとした瞳で隣の吉田に視線を向ける。こんな大真面目な話をしているのに相変わらず口元には笑みを含んでいて今すぐ殴ってやりたいくらいだ。
「…最近気づいたの。幸せを感じることが増えると、私は心が無くなっていく瞬間が怖くなっていく。私は岸辺さんみたいに器用に生きられないし、あの年齢まで生きている自信が無い。」
あの男まで堕ちればいよいよ終わりだろう。
酒と女に溺れ、悪魔を殺すことだけを楽しみに生きる岸辺。だからこそ彼は、最強のまま生きながらえているのは事実だが。
「例えどんなに鍛えて自分を強くしても根本は変わらない。…だんだん自分が見えなくなっていく感覚が分かってくると余計怖くて、私も岸辺さんみたいに外れていくネジを"自分で"はめ直さないでいるの。」
澄み切って冷たい水晶のように輝く大きな瞳。
それは吉田の鱶のような表情のない瞳と交わり、怪しげに頬を緩ませる。
「――その外れたネジを、拾って戻そうとするあっくんが私は心底好き。」
同じ目標を掲げるアキの存在はハルの幸せそのものだった。そして彼は人のために涙を流せる優しい人。自分が失ったものをしっかりと抱えている彼の事が"大好きだ"。
「俺だったら絶対拾わない。…そのネジを棄てて、ぶっ壊れていく様を見る。」
「吉田くんはそうだろうね。優しくなさそうだから。」
「優しい優しくないは置いといて、それでも相手がハルさんなら俺は見捨てないよ。」
「嘘っぽい。」
「嘘じゃない。…ネジが外れて、堕ちていくハルさんを永遠に飼い"殺す"んだ」
「――――ッ…ぅ……」
突如、勢いよく押し倒され吉田の長い指がハルの口内に差し込まれる。彼の人差し指と中指は口内を掻き回し、喉奥を蹂躙していた。タラっと唇から垂れていくダラしない酒混じりの唾液に吉田は興奮をおぼえた。
「フフっ……そうやってさ、死にそうになって苦しんでるハルさんの顔みたら…」
「……ぁ…は…あ」
「"傷つけたくて堪らなくなる"」
脚の間に差し込まれる吉田の長い脚。膝がわざとらしく下半身に強く押し当てられる。グリグリと"そこ"を狙うように何度も何度も執拗に押され、妙な刺激に頭が働かなくなっていた。
「自分から酩酊状態になってくれてたなんてタイミング良かった。」
「んうっ…」
"ヌルッ"と涎の糸と共に吉田の指が引き抜かれる。
……何故か体が動かない。まるで金縛りのようだ。
「ハルさんって不思議だよね。体は暖かいのに、優しくて誰にでも好かれるような女の子なのに。心の奥底はぶっ壊れて、ネジが全部外れてる。」
吉田は跨ったまま不敵に笑みを浮かべ、力なくカーペットに項垂れるハルの乱れた姿に満足気だった。キャミソールを捲りあげ、細いウエスト部分に手を添え、下へ下へとその手を移動させる。
「めちゃくちゃに犯したい。あと殴らせて?」
「……何言って……、…よし、だ…」
「やめてって言っても止めないし、俺のを思いっきり突っ込んでよがりまくるハルさんを見たいんだー。」
「…やめ…」
「後ろから突いて、長い髪の毛を手網みたいにさ?思いっきり引っ張って。…歳下の男の子に、無茶苦茶にされるんだ。」
「吉田…」
カチャカチャとベルトの音が外される嫌な金属音が鼓膜を厭らしく叩き出す。
「――彼氏さんがこの光景を見たら、どうなるかな?」
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「!?」
バネにはねられたように勢いよく起き上がるハル。
状況が飲み込めず慌てた様子で辺りを見回すといつもと同じ自分の部屋。
朝を告げる陽の光がレースカーテン越しに差し込む。
「……朝…」
傍らのガラステーブルには昨日飲んでいた大量の酒が転がっていた。
飲みすぎて頭も痛いし、気分も悪い。今日が久しぶりの休みだからと調子を乗って飲みすぎたらしい。
「…頭…痛ッ……水――」
働かない頭を奮い立たせゆっくりとその場から立ち上がるとキッチンへと向かう。水道水をコップに注げば口に含み、傍らの棚のガラス部分に反射する自分の姿に視線を向ける。
"いつもの部屋着姿"
ボサボサに崩れた長い黒髪に、か細い自分の姿はまるで不気味な幽霊のようだ。
「にしても……酷い夢だった…」
吉田に犯される夢なんて過去一見たくもない夢だ。
目覚めた今はうつろうつろで夢の内容はあまり思い出せないが…
「((…そういえばタオルケット…いつの間に出したっけ。))」
カーペットの上に先程まで掛けられていたタオルケット。自分でいつの間に寝室から持ち出したのだろうか。しかし全く覚えていない。
"はああぁああ…"と大きくため息を吐き、額に手を添えるとハルは鬼を呼び出す。
「…デーくん。どういうこと。」
「「……何の事だ…」」
「…変な夢見させたでしょ。昨日の代償の代わり?」
昨日の討伐の際に、鬼の悪魔の代償無しで能力を使ったのだ。鬼の悪魔は何故か自分に友好的で、代償も最初の頃に比べれば軽い。
そういえばかなり前に"淫夢"がどうとかこうとか言っていたけども…
まさかこのタイミングで。なにか恨みでも買ったのだろうか?
「「――はて?」」
「はて?」
「「俺は知らない。」」
「…は?」
「「知らん。」」
「ちょ…誤魔化さないで――」
その後、何度問いかけても現れず。
「いや…。どう考えてもあの夢が本当な訳が無いし。……私、疲れすぎてるのかな。」
"そんな訳ない"
現実に起こるわけが無い。
あんな酷い夢。思い出したくもないわ。
「……顔洗お。夜は早川家でご飯だし。それまでに酔いを覚まし――――」
水の入ったコップをシンクに置いた時、ふと手首に違和感があった。
特に左手首、覚えのない微かに掴まれたような赤い痕が残っていたのだ。
「……………」
そして同時に頭に痛みが走る。
あれは現実?それとも――
「……夢だ。あれは夢。…」
ボソッと呟き、ふらふらと洗面所へと向かう。
キッチンのすぐ側に置かれた木目が美しいダイニングテーブル。
その上に縦長の一輪挿しの花瓶が置かれていた。
その花瓶に生けていたはずの"一輪の白薔薇"
何故かその花は失くなっており、寂しげに花瓶だけが置かれていたのだった。