マクワに負けてから、主人はワイルドエリアへ通い詰めるようになった。
ジムチャレンジの合間を縫っては大自然を彷徨う。
目的は新メンバーの増強だ。
ワイルドエリアには時折、とても強いポケモンが現れる。
過酷な環境の中でも頭角を現す一際凶暴な野生。
勿論、危険なポケモンと出会わないようにスタッフが監視、警戒しているが、絶対ではない。
相手が自然である以上予測出来ない事態は日常茶飯事だ。
主人とイオルブは監視の網を抜けて現れる強者を探した。
イオルブと同等、あるいはそれ以上の力を持つような即戦力。
勿論、凶暴な野生ポケモンとの戦いはイオルブにとっても危険な戦闘だ。
だが、奇しくもルールのない野生の戦闘は自分達に不足していた実戦的な経験値にもなった。
「足元だ!《サイコキネシス》!!」
「ビババグ!」
新戦力の増強と戦闘経験の蓄積は順調に進んだ。
主人の指揮は更に冴えを増し、イオルブ側も意図をより深く汲み取れるようになっていく。
新しいメンバー達も早速頼りになった。
誰も彼も曲者で一筋縄ではいかなかったが、実力は確かだ。
強さを求めるもの、忠義を捧げるもの。
様々だったが、誰もがすぐに主人の力量を認め仲間になった。
着々と旅は進む。
着々と旅は終わる。
ジムチャレンジも気付けば終わりが近づいていた。
ようやく六匹のメンバーが決まる頃には、最後の町シュートシティに到着していた。
セミファイナルトーナメント前夜。
アベリ達はシュートシティ近郊の実家に居た。
ジムチャレンジが始まって一ヵ月と少し。
それなのに、イオルブはとても懐かしい気持ちになった。
両親と積もる話は山ほどあったが、何よりも大事なのは明日だ。
今までの研鑽は全て、明日のマクワとの決戦の為のもの。
主人は早々に久々の自分のベッドへ横になった……はずだった。
「悪いな。眠くなるまで話し相手になってくれよ」
イオルブは照れた顔の主人に起こされた。時間はもう夜更けだ。
問題はない。
元々イオルブはレドームシの頃から栄養や睡眠をあまり必要としない体に変わっている。
他のメンバーを起こさないのは、主人もそれが分かっているからだろう。
「流石に緊張する。俺、『前』はこういう大会とか出たことないからな」
?
主人は以前から子供向けの大会に出ていたはずだ。
『前』というのはそれよりも前のことだろうか。
「誰かに自慢出来るような事、何にもなかったし…」
イオルブにとっては誇れる主人だ。
出会ってからずっと、主人の言うとおりにしていれば全て上手く行った。
主人は我々を慮り、尊重し、強くしてくれる。
大好きな主人の隣に居られる事はイオルブにとっての自慢だ。
「ははっ。まぁ、今だって他の人よりも強いポケモン使ってるってだけだけど」
自嘲するような主人。
イオルブは首を傾げる。
主人が居るから強くなれたし、主人だからメンバーの皆も従っている。周りの人々も口々に主人を誉めていたはずだ。
それなのに何故主人は自嘲するのだろう。
だが、主人が間違ったことを言うはずもない。
イオルブはただ、首を傾げた。
「でも。でもさぁ」
主人の部屋には大きな窓がある。
主人はベッドに横たわりながら月を見上げた。
「俺、頑張ったよな」
イオルブは頷く。
主人は頑張っている。
毎日泥だらけになりながらワイルドエリアを駆け、傷だらけになりながら眠る日々を過ごした。
間違いなく、主人は頑張っている。
イオルブは力強く頷いた。
「結構、頑張ったよな…」
イオルブはもう一度頷く。
だが、もう眠気が限界らしい。
主人はうつらうつらと船をこぎ始めていた。
「少しくらい、‥‥に思っていいのかも」
月は仄かに優しく夜空を照らしている。
淡い光なのに、主人は酷く眩しそうに目を細める。
眠いのだろう。今日だって、ギリギリまでワイルドエリアで戦っていた。
高揚感で覚醒してしまった脳も限界のようだ。
「俺さ」
主人の瞳はもうほとんど閉じている。
きっと夢に落ちてしまう直前。
いや、もしかしたらもう夢の中に居るのかもしれない。
「ポケモントレーナーに、なりたいな‥‥」
主人はそう言って、今度こそ瞳を閉じた。
静かな寝息だけが部屋に残る。
ポケモントレーナー。
それはポケモンと共に居る人の事だ。
あるいは、ポケモンバトルをする人という意味かもしれない。
どちらにしろ、主人は既に『ポケモントレーナー』だ。
主人の深い考えはやはり自分には理解出来ない。
だが、主人に望みがあるのなら。
叶えてみせようとイオルブは誓った。
そして、夜が明ける。
「僕は…僕の道を行きたい。君に勝って僕は『僕』を証明します」
「はっ思春期かよ。‥‥なら俺はお前に勝って『俺』を確かめるさ」
「セキタンザン!《キョダイフンセキ》!!」
「イオルブ!《キョダイテンドウ》!!」
「いけっリザードン!!ここから…チャンピオンタイムだ!」
「な、なんだぁっ!?メロンさんの切り札の前にチャンピオンが繰り出したのは何とリザードンだぁっ!」
太陽が昇る。
「け、決着ゥゥゥゥ!圧倒的不利を圧倒的に逆転!無敗神話はまだ始まったばかりなのか!?強い!強すぎる!チャンピオンダンデェェエ!」
「君も素晴らしい戦いだった!これからも俺のライバルとして、一緒に強くなっていこうぜ!」
「何、言ってんだ‥‥?」
「誰も、あんたのライバルになれるわけないだろ…?」
太陽が夜空から星の輝きを奪い去っていく。
雨が降っている。
降り続けている。
イオルブが知る限り、雨はずっと降っている。
気付いた時にはもう独りで雨に打たれていた。
もう一匹も長い事居たはずだが、いつの間にか居なくなっている。
誰だったかも覚えていない。
主人と別れてからずっと、雨が降り続けている。
ジムチャレンジの終わった日、主人は言った。
『俺はもうバトルはしない。お前達は好きにしろ』
そして、自分達の入っていたボールを操作した。ボールはポンと軽い破裂音がして、バラバラになった。
唖然とする自分達に背を向けて主人は去った。
そこから先の記憶がない。
何故こうなった?
どうして主人は置いて行った?
自分の何がいけなかった?
そんなことを考え続けて胸がいっぱいになって意識が遠退く。
起きるとまた考える。
何故こうなった?
主人に何があったのか?
どうしたら主人は戻ってくるのだろう?
分からない。
分からなくて、悲しさだけが溢れ続ける。
考え続けるうちに他の事がどんどん億劫になっていく。
食べる事も眠る事もない。
元々ほとんど不要な肉体だ。
ぼんやりと、悩み続ける。
起きているのか寝ているのかも分からなくなる。
何故
何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故
答えは出ない。
出るわけがない。
イオルブにはもう分かっているからだ。
分かっているから答えを避ける。
(自分は、主人の願いを叶えられなかった)
答えに辿り着きたくない。
出口を失くした悩みは苦しみだ。
それは 最早ただの自傷行為に等しい。
悩み、懊み、痛めつけ、苦しめる。
(自分は、必要じゃなくなった)
許されるべきではない、と思いながら許される気がして苦悩に満ちる。
余計な事を考えないように思考の迷路は純化し、思考の回路は鈍化する。
残るのはただ自分を際限なく貶める自分自身と
そして、
無為の時間こそが最も自分を傷つけ、過ぎ去った時間が増える程心に重い枷が増えていく。
自分自身から思考を奪い苦行の奴隷にするような作業に一切の邪魔は入らない。
あるいはイオルブが人間だったならば。
悩み続ける事に疲れてしまったかもしれない。
食事や睡眠の欲求が精神的なリセットを生んでくれたかもしれない。
だが、イオルブは非常に聡明で真面目で不眠不休で悩み続ける事が出来た。
出来てしまった。
ずっとずっと悩んで。
ずっとずっと苦しんで。
何も考えなくなって。
何も感じなくなって。
「・・・・・・・・・」
誰かの足音が聞こえた気がした。