マルヤクデとペンドラーがフィールドの中央でにらみ合う。
炎に煽られた風が轟々と吹き荒ぶのが遠くからでも分かる。渦巻いた炎に遮られ、フィールド上のトレーナー達は苦しい環境での指示を要求されるだろう。
燻ったような煙は視界と思考を奪い去る。
VIP席から1人、ローズは試合を眺めていた。
偶然、時間が空いたので観戦にやってきたのだ。
時折、気まぐれで抜き打ちチェックのようにやってきてはスタッフを慌てさせていた。
1人で頬杖をつきながら試合を眺める。
フィールドでは、《いわなだれ》を警戒したマルヤクデがペンドラーへ至近距離の縺れ合いにまで持ち込んでいる。
ローズの表情には何の感情も浮かんでいない。
「ローズ様、お連れいたしました」
ドアがノックされ、秘書であるオリーヴの声がした。
先程スタッフから緊急で入った連絡の件だろう。
「どうぞ。通してください」
椅子から立ち上がり来客を出迎える。
出迎えた相手はリーグ委員長であるローズよりも権威を持った…いや、持たせた相手だ。
「失礼します、ローズ委員長。すみません、お世話をかけてしまって…」
申し訳なさそうに体を丸めた長身の男が入ってくる。
今日はいつものような豪華なマントもユニフォームも着けていない。帽子だけはそのままだが…、地味なシャツにズボン。それからサングラスで目元を隠している。
肝心の立派すぎる体格と隠しきれない風格のせいで、すぐさまスタッフに見つかってしまったが、変装のつもりらしい。
「プライベートにあまり口出ししたくはないけれど、バレていれば観客がパニックになっていましたよ。チャンピオン」
その言葉と共にチャンピオン、ダンデがサングラスを外す。が、外さなくても分かる。
ガラルで彼を知らないものなどいない。
彼は、最強のチャンピオンだ。
十歳の頃にチャンピオンに就任してからリーグ委員長と二人三脚でガラルリーグの発展に邁進してきた英雄。
公式戦、無敗。
ダンデの試合だけは勝ち負けではなく、ダンデの手持ちが何匹出てくるか、という話題になる。
他リーグのチャンピオンと比べても、頭ひとつ抜けている、というのは地元贔屓の混じった目線かもしれないが…一概に否定できない程度にはダンデというチャンピオンは絶対的だ。
通称、無敵のダンデ。
チャンピオンはローズとは別口でアベリとカブの試合に観戦に来ていた。
「少しくらい特権を使ってもいいんじゃないかな?君が一声かければいつでもこのVIP席は使えますよ」
たまに私と相席になってしまいますけどね、と茶化すが、実際チャンピオンにはその程度の優遇は許される。
ダンデがそうしなかったのは、スタジアム内のスタッフ用通路で迷った過去の経験と、もう一つ。
「この二人の試合は出来れば最前列で観たかったんです。二人とも好きな選手なので」
恥ずかしげもなく、言ってのけた。
ガラルリーグの頂点に立つ男がまるでファンのように。いや、きっとまだファンなのだろう。だからこそ、観客席に立ちたかったのだから。
「それはそれは。キバナ君が聞いたら拗ねてしまいそうですね」
「えっ。いや!キバナはライバルで、バトルを観たいというよりもうバトルをしたい相手なので!」
何故か必死に弁解をするチャンピオン。
ローズがクスクスと笑う声でからかわれている事に気付く。
そのままローズの隣にダンデが座る。オリーヴが飲み物を用意しようと気を利かせると元気な声でオレンジジュースかモーモーミルクで頼むぜ!と返ってきた。
少しだけ呆れた目を向けながら「承知いたしました」とオリーヴが退室した。
そして、ダンデはウズウズした様子で試合を観る。
かぶりつきで、今にも乱入してしまいそうな勢いだ。
お互いに絡み合いながら転がり、マウントポジションを奪い合うマルヤクデとペンドラー。
炎の渦に囲まれながら傷つくペンドラーだが、一歩も退かない。
お互いに意地と意地でぶつかる白熱した攻防だ。
泥に塗れながら、傷つきながら、二匹のポケモンの死闘が激しさを増す。
「…VIP席、少し遠くないですか?フィールドの真横辺りの方が試合を見易い気が…っ!」
スタジアムの高い位置にあるVIP席からは密着した二匹の細かい攻防が見えづらい。
ダンデはもう立ち上がりそうな勢いだ…いや、もう立ち上がった。さっき座ったばかりだというのに。ダンデは窓ガラスにへばり着くように試合を必死に観ようとする。
「横からのカメラ映像ではご不満ですか?」
「熱や風もしっかり感じたいんだ。カブさんのマルヤクデが使う《キョダイヒャッカ》による炎の渦は凄い迫力なんだぜ…ですよ!」
因みにローズはこのVIP席を気に入っている。確かにフィールドからは少し遠いが、カメラもモニターも多数配備されているので大事な場面を見逃すようなこともない。
それに何よりも
ここからなら観客席の様子がよく分かる。
実のところ、ローズは観戦する時、いつも観客席の方ばかり見てしまう。
観客の盛り上がりでスタジアムが沸くのを観るのが一番の楽しみなのだ。
試合をハラハラと見守る女性ファン。
ダイマックスをキラキラとした目で見上げる子供。
そして、クライマックスでBGMに合わせて大声を挙げる観客達。
誰にも明かしたことはないが、それを見るのが好きだ。
出来るならば、今日のダンデと同じように観客席で隣に座って眺めてみたいと思うくらいには。
オリーヴに止められたので、最近はマクロコスモスの社会貢献活動と称して逆にVIP席に病院の子供達等を招くようになった。そもそも多忙なローズが試合を眺められるタイミングは少ないが。
‥‥オリーヴはなるべくそうした時間を作りたいと裏で苦心していたりする。
ローズからすれば『なくても構わない程度』の事だ。
「それで、チャンピオンから見てどうですか?」
「とてもいい試合です!どちらが勝つかさっぱり分からない!」
「おや?無敵のチャンピオンですら、分からないんですか?」
ローズはてっきりカブが勝つと言うと思っていた。
試合の劣勢は然程気にしていない。
無敵のダンデと違い、何試合かすれば苦しい戦いがあるのは当然のことだからだ。
勝つという予想は、単にカブというベテランへの信頼だ。
…万年マイナーの方への信頼のなさかもしれない。
「アベリを応援する人はアベリが勝つと思っているだろうし、カブさんを応援する人はカブさんが勝つと思っているでしょうね」
「実力がそれほど拮抗していると?」
「実力はカブさんが上です。試合の展開もカブさんが常にコントロールしていますから」
「それは何となく見ていてわかりますよ」
オニシズクモの猛攻はカブのチームを成す術なく蹂躙したように見えたが、あまりにもされるがまま過ぎる。
「でもアベリだってこういう場面でこそ強い選手なので…」
その時、オリーヴが二人の飲み物を持って入室した。
ローズとダンデの間にあるテーブルにそっと、ウィスキーとモーモーミルクが置かれた。
二つ用意されたグラスは空のまま。
マナーは気にせず、親しい二人が好きな方を選んで飲めばいい、ということだろう。
「酒、飲むんですか?」
ローズが酒を飲んでいる所を見たことがなかったダンデが少し驚いて訪ねた。
見るからに高いボトルを無造作に持ち上げて確かめるが、銘柄はダンデですら知っているような有名なものだった。
ローズが今日飲もうと思って、用意していたものだ。
「このお酒は、今日が一番いい日なんですよ」
「俺にはまだ酒の良さはあまり…」
「フフフ…チャンピオンはまだまだ子供ですね。今回は譲りましょう」
ダンデがまだ席に座らず、試合に夢中なのでローズがモーモーミルクの瓶を開けてグラスに注ぐ。ただのモーモーミルクなのだが、グラスに注いでローズのような上品なスーツの男が持つとまるで印象が違った。
ダンデの隣に立ってフィールドを眺めると、砂ぼこりの舞うフィールドで傷だらけのペンドラーがマルヤクデを追い詰めているようだった。
二匹の決戦はペンドラーのタフネスが勝利のカギだったようだ。
締め付けてくる炎を振り切るようにペンドラーが吠える。
マルヤクデは炎上するフィールドで、何かをじっと待っている。
「カブ選手はマルヤクデが最後の一匹…決着ですか」
「マルヤクデのあの目、まだ何か狙ってるな。ペンドラーも勘づいているようだが…攻める事に決めたみたいですね」
ダンデが遠いVIP席からマルヤクデとペンドラーの狙いを感じ取る。
ローズがダンデのグラスに注いだモーモーミルクを見てもいない。
その真剣な顔を横に見ながら、ローズは注いだモーモーミルクを一気に飲み干した。
そして、腕時計を見て、一言。
「では、私はこれで失礼しますよ」
「えっ!?!?ここからがいいところですよ!?」
「私も気になりますが…生憎明日のためにもう移動しなくては」
心底驚いた様子のダンデ。
試合とローズを交互に見て、信じられない、といった様子だ。
そして、チャンピオンとして見送りをしなければ、と考えて、フィールドから目を離さなくちゃいけないけど、出来ない。そんな感じだ。
「VIP席はそのまま使ってくださって構いませんよ。見送りも大丈夫です」
「うっ…すみません。ローズ委員長」
ダンデが気まずそうに謝罪をした瞬間。
ボォッ!!!
フィールドで巨大な炎が上がった。
「っ!」
先程までフィールドを包んでいた《キョダイヒャッカ》の炎の渦を突き破る劫火。
「《オーバーヒート》…いや、《もえつきる》か!」
チャンピオンが即座に放たれた技を判断する。
大爆発の中央から、ペンドラーが弾きだされた。
「ペンドラー!戦闘不能!」
倒れたペンドラーをボールへと戻すアベリ。
その時、ダンデがフィールドを見てある事に気付いた。
「煙が…晴れない?」
炎上したフィールドは先ほどまで炎の渦に包まれていた。
所々で燻ぶった炎が煙を出していた様子があった。
だが、その炎達は先ほどの爆炎で吹き飛ばされている。
フィールドには最早炎など 一つ もない。
それなのに、むしろフィールドを覆う黒煙は一層深さを増しているようだ。
「すぐに《もえつきる》でペンドラーを倒さなかったのは、《えんまく》をばら撒いていたのか!」
暗黒。
炎の渦で眩しいほどだったフィールドは最早何も見通せない程に黒い。
アベリにとっては唐突に目の前が真っ暗になったようだろう。
だが、それでも試合は終わっていない。
アベリが最後の一匹、クワガノンをフィールドへと出した。
「さぁ、見せ場だぜ…!アベリ、カブさん…!」
楽しそうにチャンピオンが目を輝かせて笑う。
チャレンジャー達の競演を一つも見逃すまいと。
一つ残らず吸収しようと、貪欲に。
「それでは、チャンピオン。失礼しますよ」
そこにはもう先ほどまであった最低限の取り繕いもなく。
チャンピオンには最早、ローズが退室する音など聞こえていなかった。