突然現れた通常とは違う緑色の外殻を持ったハッサム。
薄暗い部屋に突如現れたライトグリーンの装甲はそれ自体が光り輝いているようだった。
自然に作られたとは思えない曲線のフォルム。
両腕の大きなハサミと対照的なスマートな身体。
冷たい印象を与える金属の光沢と、反するかのような優しい印象の緑色。
立ち姿、目の色。その瞳の中の怒りでさえも。
俺は、そのハッサムに見惚れていた。
例えるならば鍛え上げられ、美しさにまで至った日本刀。
強さを目指した結果、生まれた調和のバランスが人間には「うつくしさ」に見えるような感覚。
元々ハッサムは前世の頃から好きなポケモンだし、転生してからも何度か生で見た事もある。
だが、目の前のポケモンはハッサムの中でも別種の魅力を持っている。
そう感じてしまった。
異色のハッサムは姿勢は低く構えつつ、両手のハサミだけを頭の横に掲げた。
その姿勢のまま、周囲を見渡す。
あれはストライクの頃から使う最大限の警戒の構えだ。
両腕のハサミを頭に見立てて威嚇しつつ、敵を見つければすぐに飛びつける構えになっている。
俺達とハッサムの間には鉄格子がある。
すぐに飛び込んでくる事はないだろうが、強いプレッシャーに尻込みしそうだ。
ハッサムは俺を視界から離さないようにしつつ、周囲を警戒し続けている。
時折身体の向きを変えても、ハサミの構えは解かない。
まるで、目に入る全てが敵に見えているかのようだ。
(野生のポケモンなのか…?)
その姿は間違って人里に降りてしまった野生のポケモンと似ている。
豪華客船内ではまずあり得ない事だが、何らかの事情で紛れ込んでしまった野生のポケモンなのかもしれない。
偶然入ってしまい、慣れない環境にパニックを起こしている可能性がある。
時折そうしたポケモンと一般人が遭遇してしまい、事故になってしまうケースは少なくない。ジムリーダーはそういうポケモンを保護するのも仕事だ。
つい、ハッサムの一挙一動に注意しつつ、心情を慮ってしまう。
そんな同情が伝わってしまったわけではないだろうが、周囲を窺っていたハッサムがこちらを捉え直した。
迷いのないその目。
まずい。
標的として見定められた。
「ッラァイ!」
鋭い踏み込みと共に高く掲げた両腕のハサミを大きく振り下ろす。
まさに力任せの一撃だが、鉄格子とハサミが激突する音が響き、鉄格子が大きくひん曲がった。
まだ壊れていないが、次かその次と言ったところだ。
長くは持ちそうにないな。
まだ、ボールから相棒は出さない。
ボールの投擲だって立派な《ふいうち》になる。
狙うのは奴が鉄格子内へと侵入してくる瞬間。
ボールをやつの顔面に投げつけて隙を作り、飛び出したイオルブの念力で押し返す。
そうして作った逃走経路を使い、俺達は鉄格子を抜け出して、部屋からも脱出する。
「俺がボールを投げたらハッサムの横を走り抜けろ!」
「お、おっけー!!」
タイミングを少し間違えればハッサムのハサミが襲ってくる。
集中しろ。あいつの身体が鉄格子へ入ろうとするタイミングを…
ガチャガチャガチャガチャ!
今度は部屋の至る所から、異音。
小さな金属同士が擦れ合うような音がそこら中から聞こえる。
「今度は何だよ…」
思わず泣き言が漏れてしまう。
人が最大限集中している時に横から揺さぶって来るんじゃねえよ。
ハッサムすらも鉄格子に振りかぶっていたハサミを止めて、周囲をキョロキョロと見渡している。
それは、部屋の隅にあった影の中から現れた。
影から現れたものは、非常に小さい。
膝くらいの高さの身長。
だが、頭部と手の先にある鋭い刃物が闇の中でも鈍く光る。
一匹ではない。何匹も居る。
ガチャガチャガチャガチャ!
異音と共にどんどんと湧いてくる。
現れたのはまたしてもポケモンだった。
「イーッ!」「イーッ!」
コマタナ。
全身に刃物の生えた、はがねタイプのポケモンだ。
群れで行動するとは聞いていたが、小さくとも刃物がずらり並ぶとどうしても恐怖心が呼び起こされる。
ガチャガチャガチャ!
コマタナ達は鉄格子の前に立つハッサムを包囲するように動いた。
統率の取れた動きは、先程のハッサムとは逆にトレーナーの指示を受けているように感じられる。
野生らしきライトグリーンのハッサムからすれば異様な光景に見えたのだろう。
警戒の構えを取り直すが、ハッサムの構えでは正面にしか対応が出来ない。
包囲されてしまっているからどちらを警戒したらいいか分からないようだ。
困惑の様子で何度も構える向きを変え続けている。
鉄格子越しに囲まれたハッサムを見る俺達も応援すればよいやら、警戒すればよいやら分からない。
出口を塞がれているため逃げ出す事も出来ず、固唾を呑んで見守る事しか出来そうにない。
そしてついに、一匹のコマタナが大きな手振りと共に鳴き声を上げる。
「イーッ!」
甲高い鳴き声は、群れへの号令だった。
包囲していたコマタナ達が次々とハッサムに飛び掛かる。
《ふくろだたき》だ。
飛び掛かったコマタナはそのまましがみつき、胸部の刃を押し当てる。
ハッサムも抵抗しているが、一匹二匹剥がしても次のコマタナが飛び掛かって来る。
俺は前世のテレビで見たミツバチの戦いを思い出した。
あっという間にライトグリーンの姿がコマタナの群れの中に埋もれ、沈んでいく。
ガチガチと金属同士、刃物同士が噛み合う音。
ハッサムは硬い金属の外殻を持つが、コマタナの刃だって硬い金属だ。
コマタナが引けば、そこに残るのはズタズタに引き裂かれたハッサムかもしれない。
俺はココドラちゃんに残酷なものを見せないように彼女の視界を背中で遮った。
しかし、それは杞憂だった。
「ラァッ!」
咆哮と共に、敷き詰められていたコマタナの群れが裂ける。
しがみついていたコマタナが勢いよく引きはがされ、他のコマタナを巻き込みながら吹き飛ばされたのだ。
ハッサムが全身を使ってハサミを振り回した、それだけで。
今度は、コマタナ達が困惑する番だった。
一瞬、群れ全体が吹き飛んでしまった仲間を見てしまう。
その隙に、更にハサミが振り回される。
ハッサムのハサミは体重の三分の一ほどの重さだと言われている。
大体片方が約20キロくらいだったはずだ。
対して、コマタナの重さはどう見繕ってもそれよりも軽い。
自分の身体よりも重い凶器と、高速で正面衝突すればどうなるか。
無事で済む、わけがない。
金属と金属が衝突する鈍い音に、思わず顔をしかめる。
えげつねえ。
もう一度振り回される暴力で、暴風に巻き込まれたワタッコのようにコマタナ達が千切れ飛ぶ。
吹き飛ばされたコマタナ達も再び飛び掛かっていくが、暴風圏と化したハッサムにすぐさま弾かれてしまう。
恐るべきはあのハッサムの怪力、そして素早さだ。
複数のコマタナを相手にしても押し負けない力と速度。
数の暴力をたった一匹の暴力が上回っている。
だが、その動きにどこか違和感がある。
(バランスが取れてない?)
ハッサムが使っているのは、恐らく《メタルクロー》だ。
だが、ハサミを大きく振り回す度、足元が軽くふらついている。
どこか怪我を庇っているのかと考えたが、見ているとそれも違う気がする。
動作も大振りに振り回すばかりで無駄な動きが多い。
つい勿体ないと言う感想さえ頭に浮かぶ。
身体能力に任せた力押しだけであの有様。
ハッサムはコマタナ達の群れを引き裂き、むしろ優勢になりつつある。
もしも、トレーナーが指示を出して的確な動きが出来たらどうなってしまうのか。
「イーッ!」
そんな事を考えてしまっていると、コマタナの一体がまた鳴き声をあげた。
声を皮切りにハッサムに襲い掛かっていたコマタナ達が現れた時と同じようにガチャガチャと音を立てて集まる。
そして、現れた時のように影の中に姿が消えていく。
恐らく通気口のように何らかの通り道があるのだろうが、こちらとしては気が抜けない。
姿も音も消えてしまったが、また来た時と同じように現れるかもしれない。
ハッサムも同じ気持ちのようで、コマタナ達が消えていった影の方をじっと警戒したまま動かない。
肩で息をするように身体が揺れているのは、興奮しているのだろうか。
「ねえ。今のうちに逃げた方がいいんじゃない?」
ひそひそと背後からココドラちゃんがそんな事を囁いた。
正直、ハッサムの戦いに圧倒されて、ちょっと夢中になっていた。
確かにハッサムは今、俺達の居る鉄格子に背を向けている。
コマタナが現れる前の様子からして、間違いなくハッサムは俺達に敵対心を向けている。
先程の恐るべき強さが俺達にも向けられかねないのだ。
それなのに俺は即座に「にげる」という選択肢を取る事が出来なかった。
もう少しだけこのハッサムを見ていたいという気持ちが、少しだけあった。
「いや、待ってくれ。ちょっと様子を…」
様子を見よう…そう続けようとした。
瞬間、ハッサムがこちらを振り返った。
やっべえ。
手の中のボールを握り直し、もう一度脳内でシミュレーション。
すぐに投げつけられるようにボールを構える。
そして、振り返ったライトグリーンのハッサムがそのまま
―――ぐらりと姿勢を崩した。
「え?」
支えを失ってしまったかのように、金属の身体が石畳に強かに叩きつけられる。
カーン、という高い音が牢屋に響いた。
かなり強く打ったように見えたが、ハッサムは倒れたまま起き上がる気配すらない。
「何がどうなってんだよ…」
冤罪で捕まったかと思えば、謎の色違いのハッサムが現れて、襲われて。
そのハッサムがまた突然現れた謎のコマタナの群れに襲われて。
色違いのハッサムが返り討ちにしたかと思えば目の前で倒れた。
状況の激しい変化に戸惑う俺を、ボールの中の相棒が同情の目で見ていた。