人間達が言う『
人間達が『ジッケンタイ』や『セイコウレイ』だと好き勝手に別の呼び方を増やすせいだ。
『ハッサム』は様々な事をさせられた。
映像を見せられたり、運動を強要されたりだ。
エサは缶詰という固いものに入れられて与えられた。
小さな機械が常に周囲をうろつきながらジロジロと見てくるのが不快だったが、大人しく従った。
オレがモンスターボールから解き放たれるのは、いつもあの白い部屋の中だったからだ。
あの部屋で抵抗すればまた眠たくなる粉が散布される事は理解できた。
こちらを観察する『向こう側』を冷静に観察し返し、隙を窺う日々。
人間達は自分が抵抗らしい抵抗を見せないでいると徐々にガラスの向こうで緊張感に欠けた表情をするようになった。
精々油断していればいい、と心の中で人間達を見下した。
あの冷たい声の男はめっきり姿を見せなくなったが、必ずアレにも報いを受けさせる。
同胞達の悲鳴も、惨たらしい最期も、決して忘れたりはしない。
あの日オレの命を繋ぎ止めたものは、怒りだ。
ならば命尽きるまで自分は怒りそのものだ。
いつかここから抜け出して、人間共の自由を奪い、恐怖と痛みを与えてやる。
それだけを考えて、耐え続けた。
少しずつ人間達の行動を把握し、部屋の構造を解明していく。
いつか来る復讐の日の為に。
計算外だったのは、チャンスがすぐになくなってしまったことだった。
「これ以上の実験は無意味だ」
白衣の人間達がそんな事を言って、ハッサムがボールから解き放たれる機会はなくなってしまった。言葉は何一つ分からなかったが、彼らがとても身勝手だと言う事は分かった。
ボールの中から吠え、抵抗した。だが、厳重に固定されたボールはびくともしない。
何もない部屋でただ放置される日々になった。
不自由の中で更なる怒りに身を焦がした。
怒りは日が経つほど、むしろ増していく。
閉塞された空間には音がないはずなのに、声が止まないのだ。
耳に響く同胞達の叫びが孤独を際立たせ、常にハッサムの傷を痛々しく開き続けた。
欠けたもの、失ったもの、永遠に戻らぬもの。
閉じたボールの中でハッサムはそれらを数え続ける事で意識を保った。
例え苦痛に満ちた断末魔だろうと孤独が少しだけ癒えたからだ。
寝ても覚めても。怒り以外を抱く事が罪だと思って過ごす日々。
眠れば、かつての同胞達の夢を見た。
夢の中の同胞達は何も語らない。
ただ遠くから見ているだけだ。その表情は窺い知れず、どれだけ近付いても分からない。
むしろ近付けば近づく程、影の輪郭が滲んでいき、影と闇の区別がつかなくなって目が覚めるのだ。
夢の中で何度も別れを繰り返すようで、身を引き裂くような痛みだった。
苦しみと共に目覚め、喪失感に苦しめられるような日々はハッサムの心を焼く憎悪の燃料になってくれる。
お陰でハッサムは憎しみと怒りを捨てずに過ごす事が出来た。
身勝手に与えられた日々は、身勝手に終わる。
「やぁ実験体君。ゴキゲンはいかがかな?」
ハッサムのボールが保管された部屋に、突然変わった女が現れた。
人の来訪は久しぶりだった。
こちらをジロジロと眺めてくる女の瞳はどこか気色悪い。
あの部屋の『向こう側』に居た連中と同じ服だが、何か違った。
そいつは薄汚れていた。泥や薬品で汚したみすぼらしい風貌だ。
汚れは白衣だけではなく、顔にまで及んでいる。
鏡を見ないのか、それとも見ても興味がないのか。
未知のものだと区別して、まず注意深く観察する。
みすぼらしい女はオレの入ったボールへと手を伸ばし―――
あっさりと、ハッサムをボールから出した。
白い部屋以外でボールから解放されたのは、初めての事だった。
「‥‥!?」
余りに予想外の事態に数瞬呆気にとられた後、ハサミを構えて警戒する。
みすぼらしい女はこちらが武器を構えているというのに一切の動揺を見せない。
その様子がまた、不気味に映った。
「よーし、元気そうでなにより。どう?お腹空いてる?」
ポケットから缶詰を取り出し、フリフリと見せつけてくる。
その姿は余りに無防備だ。ポケモンも連れていない。
ハサミをガチガチと鳴らしてみるが、反応しない。
「おや?空いてない?ちゃんと食べなきゃ駄目だゾ?」
カツン。
背中の羽が壁とぶつかる。
その音で自分が無意識に後ずさっていたことに気付いた。
愕然とする。
毎日、人間に報いを受けさせることだけを考えて生きてきたはずだ。
それが自分が生き永らえた理由だからだ。
なのに、目の前の無防備な人間に対し後ずさっていた?
ガチリ、とハサミが閉まる。
目の前の女へと怒りの矛先を。
痛めつける。自由を奪う。恐怖を与える。
こぶしにドロドロとしたものを注ぎ込み、凶器が完成した。
「ラァ…」
細腕には重すぎるハサミを怒りを込めて振り下ろす姿勢。
ハッサムの考えた、必殺の構えだ。
隠さない敵意に流石にみすぼらしい女も目を丸くした。
「お?」
しかし、何もしない。
両手は白衣のポケットに入れたまま。
むしろ期待するような笑みを浮かべる始末。
予想外の反応に、むしろ手は止まってしまった。
もっと怯えろ。もっと恐れろ。
そうでなければ、復讐にならない。
同胞達が受けた恐怖や痛みを、お前達だって感じなければ不公平だ。
それとも、全てを、奪わなければ、何も、分からないのか?
「あーゴホン。いいかな実験体君。ウカッツが話すから聞き給えよ」
真っ黒になりかけた視界で女が言った。
知るものか、と後ろから誰かが囁いた気がした。
誰かが、か弱い力でハサミを抑えている気がした。
誰かの鳴き声が聞こえた気がした。
誰かの痛みを感じた気がした。
誰かが、誰かが、誰かが。
「自分はね。全ての命は自分らしく生きるべきだと考えているヨ」
女は語る。
ハッサムは野生のポケモンだ。
人の語る言葉など分からない。
「ひこうポケモンは空を飛ぶべきだし、鉄を食べるポケモンは鉄を食べるべき」
「素直に、生きるべき」
「ポケモンは不思議な不思議な生き物」
「理屈など要らないし、道理など意味がないし、リアリティなんて馬鹿馬鹿しいヨ」
「君達の生き方を、そうあれかしと生まれてきたものを、ヒトの都合に合わせようなんて、おかしなことじゃないカナ?」
ハッサムは思った。
(コイツ、何を言ってるんだ?)
言葉が分かる、分からない以前の問題だ。
女の瞳の中にはハッサムなど映っていない。
目の前にいるのに、別世界を見ているような目だ。
「生きたいように生きたまえよ。君の生き方は君が決めるんだゼ!」
嬉々として近付いてくる女はきっとハサミを振り下ろせと言っている。
決めろ、と。
「‥‥‥‥‥‥」
オレは、ハサミを下ろして女から距離を取った。
コイツは違う。
コイツに何をしても、復讐にならない。
同胞の恨みは晴れないし、自分の怒りも収まらない。
たいせつなものを奪わなければ、復讐じゃない。
みすぼらしい女は首を傾げながらも「そうかね。じゃあ…」と天井を指差した。
「船っていうのはそこかしこに通気口があったりなかったり。実験体君の力と硬さなら天井に穴を空けて通気口が見つかるんじゃないカナ」
人間の言葉は分からないが、ニュアンスだけは何となく伝わる。
逃げ道は、上から繋がっている。女はそう言っているらしかった。
「では、好きにしたまえ!実験体君が好きに暴れたら、ウカッツも好きにできるやもしらん!そうしたらお互いラッキーだネ!」
女を無視して、羽を使いながらジャンプして天井へハサミを叩きつける。
言われた通り金属のハサミは天井を軽々と抉り、通れそうな穴に繋がった。
これを通れば、自由に移動が出来そうだ。
「スカしちゃってサ。‥‥さーてウカッツはこれからどうしようかな」
何か話し続けているが、こちらの知った事ではない。
頑丈になった身体だが、羽で飛び上がるには少し重い。
しかし、ハサミを壁に突き立てる事に気付いたのでサクサクと通気口へと登る。
覗き込んだ通気口は暗い。どこに続いているかなど、まるで見えはしなかった。
だが、この道しかない。
闇の中の道を進むのは何度も見た夢と似ている。
暗い通路の中、朧気に同胞達の姿が見えた気がした。
‥‥‥‥
「チーフ、緊急事態の時って誰に連絡するんデス?」
「ウカッツ博士からなら‥‥まず私だろうな」
「では、報告デス。チーフ」
「例の実験体、脱走してるゾ☆」
‥‥‥‥
ガン…ガン…
少し先へとハサミを突き刺して、身体を引っ張り上げる。
以前よりも自分の身体はかなり重くなってしまったが、以前よりもパワーがある。少し無茶な動きも可能だ。
ハッサムの居た階層にはほとんど出口がなかった。またハサミを叩きつけて穴を開けようかとも思ったが、どんな危険があるか分からない。とにかく一旦外の様子を知るためにも上に繋がる道を進む事にした。
ガン…ガン…
閉じ込められていた頃よりも、目的と手段が揃っている。
どこか清々しいような気持ちで壁を登る。
狭い通路を進みながら、ハサミを壁に打ち込む度に復讐へと近づいていると実感が湧いてくる。
「ライッ…」
上の階層に辿り着き、自分の身体を引き上げて。
一つの異変に気付いた。
熱い。
まるで炎に当てられているかのような熱が、全身を覆っている。
暗闇で何も見えないせいで気付かなかったが、余りの熱に目の前が軽くぼやけ始めていた。
(早く脱出しよう)
間違った場所に来てしまった、とそう考えた。
思い出したのは野生の頃に迷い込んでしまったほのおポケモン達の棲家。
熱と炎に支配された空間は自分には苦しみだった。
あの時と同じようにすぐに離れなければいけない。
しかし、いくら進んでも熱さは変わらない。
道を変えても、来た道に戻っても、むしろ熱さは増していく。
早く逃れようと急げば急ぐほど、何故か熱は増しているように感じた。
ガゴン!!
脱出、しなければ。
打ち込むハサミも焦りから荒々しくなる。
ハサミが、何かを貫いたような感触があった。
(‥‥薄い?)
どうやら熱から逃げようと彷徨っている内に通路の出口を見つけてしまったらしい。
もうこれ以上、ここにいる事に耐えられない。
周囲の様子を窺う余裕などない。
力任せにハサミを叩きつけまくると、一気に貫ける場所があった。
出来上がった穴をハサミの先で押し広げ、大きくしていく。
「ラァ…ラァ…」
熱に晒され続けたせいか、更に重く感じる身体で叩きつける事数回。
ついに自分の全身を通せるほどの穴が出来上がった。
すぐにそこを通り、下へと降りる。
羽を使って緩やかに着地に成功。未だ体は熱かったが、通路で熱が籠らなくなったおかげで少しだけ楽になった。
降り立った部屋は、今まで見たどの部屋とも違っていた。
床も壁も山にあったような石で埋め尽くされている。薄暗さも相まってハッサムは洞窟のような印象を受けた。それでも、真っ暗だった通路よりは明るいが。
ようやく辿り着いた束縛されず窮屈でもない状況に、自分が自由を取り戻したのだと実感する。
(いや、これからだ)
自由を取り戻しただけでは終われない。
与えられた痛みを思い出す。
奪われた同胞を思い出す。
この"こぶし"に込めたものはまだ、何も叶っていない。
その時。
熱に浮かされたせいで警戒を怠った背後から、声がした。
「緑色の‥‥ハッサム」
振り返る。
そこに立っていたのは、仮面を着けた二人の人間だった。