見間違えるはずもない。
今日一度見たと言うのにまだ幻のように感じていた相手が、そこにいた。
スーツを着ている姿は初めて見る。
その背中は少し記憶より小さい気がした。
「見通しが甘え。《さいみんじゅつ》はもっと早く仕掛けて試すべきだろうが」
枯れ木のような手足で堂々と立ち、ぶっきらぼうに口を開く。
空いた手で賽子を転がし、指で挟む手遊びの癖はあの頃と同じだ。
ツチニンの仮面を着けたままだが、俺が間違えるはずもない。
先代ジムリーダー、タラクサ。
ガラル最悪のジムリーダーと呼ばれた男が立っていた。
「ジジイ…!」
かつてローズ委員長が改革する前の旧ポケモンリーグで汚れ仕事を請け負っていた仕事人。
まさか旧リーグとまだ繋がってるって訳じゃ…ないよな。
「何でここに」
「うるせえな。野暮用ついでに旧リーグのジジババから手切れ金ふんだくろうと思ってよ」
「いや本当に何してんだ」
よく知らないけど、どうせ不法侵入だろ。
色々ややこしくなるからこれ以上犯罪を重ねないでもらえるかなぁ!
っていうかさっさと出頭しろ、あんたを探しに警察が頻繁に来るんだようちのジム!
そもそも手切れ金を自分からたかりに来るな。
言いたい文句が多すぎて喉辺りで渋滞を起こして出てこない。
代わりに口を開いたのはリアンさんだった。
「…なるほど。侵入者はあなたでしたか」
ほら不法侵入じゃねえか。
「招待状なら受け取ってるぜ。ちょいと遅刻しちまったがな」
ジジイは懐からピラピラと紙を見せる。
それは確かにうちに届いたのと同じ紙だ。
なら不法侵入とちゃうか…?
…いや、待てよ。
「おいジジイ。それうちに届いてた招待状じゃ…」
「宛名は儂だったろうが」
当たり前みたいにうちにも不法侵入してた。
いやまあ元々ジジイのジムだけどさ!
「高名な『ダーティープレイの害虫』にお会いできて…」
「芝居はいい、
……言いながら、ジジイは先ほどから静かに立ち位置を変えている。
同じく話しかけながら静かに立ち位置を変えようとするリアンさんに対応して。
今も礼儀正しく頭を下げながら一歩近づいたのを、警告するようにジジイが言葉で突き放した。
それらは全て、ジジイのポケモンを隠そうとする駆け引きだ。
メタグロスの攻撃を防いだそいつへの視線を自分の身体を使って隠している。
「確かめたくて仕方がない。違うか?」
リアンさんが気になっているのは間違いなくさっきのタネだろう。
メタグロスの《コメットパンチ》。
突如空中で静止したかに見えたパンチは、今はあらゆるエネルギーが霧散して絨毯に柔らかく着地させられていた。
見えない壁で防いだのでも、弾いたのでもない。
不思議なことが起こったって感じだ。
現象を目にしたメタグロスは警戒し、少し後ずさっている。
どうやらスパコン並の知能が先程の現象に打つ手なし、と判断したらしい。
…勿論俺からも何が起きてたかは、見えていた。メタグロスの判断は概ね正しいと思う。
だが、恐らくジジイに上手く隠されて決定的なものを見れていないリアンさんは今すぐにでも真相を確かめたいはずだ。
「種明かしは必要ありません」
芝居なのか、余裕なのか。
リアンさんの態度に大きな変化はない。
「それよりも、貴方と交渉の余地があると思っています。私の敵は現体制のポケモンリーグです。貴方も自分を追放したローズ委員長には思う所があるのではないですか?」
つまりは、打倒ローズ委員長。
確かにジジイがジムリーダーを追い出されたのはローズ委員長が推し進めたリーグ改革の流れではある。それまでは旧リーグのお膝元で汚れ仕事は仕事として罷り通っていたのだから。
「彼の改革は多大な利益を齎したかもしれませんが、一方で多くの犠牲を生んでもいます。一個人の思想に依ったそれを是正するためには様々な視点が本来必要なはずです」
俺としてはジジイ追放を含めていい改革だと思うが、生粋の犯罪者であるジジイからすればローズ委員長の存在が面白くないということはあるかもしれない。
「それは例えば、あなたのような世故に長けた方の…」
先程俺を誘ったように真っ直ぐ伸ばされた手を前に。
しかし老人はつまらなそうに鼻で笑った。
心底馬鹿にしたようにニヤリと歯を見せる。
「はっ。口説きは三流だな、おぼっちゃん。遊び女の股も開けねえだろ」
「キリキザン、
冷たく放たれた声。
わざとらしく目標に言及した言葉に俺は思わず身を固くしてしまう。
ジジイが駆け引きで隠したポケモンは、暴かれている。
ヌケニン。
むし・ゴーストタイプのぬけがらポケモン。
とくせいは『ふしぎなまもり』。
HPはたった1。
巻き上げられた砂粒だけでひんしになる虚弱さだが、『ふしぎなまもり』の効果により効果抜群以外の全てのわざを「無効化」してしまう。
流星のような破壊力の《コメットパンチ》を受け止めたのは、これだ。
だが、ゴーストタイプのヌケニンにあくタイプの《ふいうち》は効果抜群。
ふしぎなまもりでは無効化は出来ない!
慌てて戦っていた2匹に目を向けると、そこにはもうキョロキョロと敵を探すハッサムしかいない。ハッサムと切り結んでいたはずのキリキザンの姿が、気付けば消えている。
戦いながら、ずっと俺達の死角に入るタイミングを窺っていた訳か。
きっと次に現れるのはヌケニンに襲いかかるその瞬間。
そうなったらヌケニンとジジイは終わりだ。
「教えてやる。いい女を口説きたいなら、必要なのは二つだ」
危機の刃先が喉元まで迫っているはずなのに、ジジイは笑ったまま。
今度は隠していたヌケニンをむしろ見せびらかすような立ち位置に変えて、リアンさんへと話しかける。
「まず余裕。何が起きても態度に出すな」
そう言いながら指を一本折って数える。
どしゃあ!と何かが滑り落ちた。
音の方を見ればポケモンが倒れている。
倒れているのは、刃の手足を持つポケモン。
キリキザンはピクピクと手足を震わせながら、絨毯にうつ伏せになって起き上がらない。
目立った外傷は見当たらない。ただひとりでに倒れたかのよう。
そもそもヌケニンは何もしていなかった。俺の目から見てもただジジイの横でふわふわと浮いているだけ。
「ヌケニン、《うらみ》でもやっとけ」
ジジイに投げやりに指示されてようやく、動けないキリキザンにゆっくりと近付いて何かを吸い取った。
「…な、にを...いや!まさか!」
リアンさんが狼狽えながら何かに気付いた。
俺はまだ分からん。何が起きたんだ今。
何で襲いかかったキリキザンが急に倒れてるんだよ。
「二つ目は…仕込みだ。勝負に出るならこいつが肝になる」
指折りながらこちらに目配せするジジイの言葉に、俺も遅れて理解が追い付く。
キリキザンが倒れたのは何かしたからじゃない。
既に何かされていたんだ。
そう思って倒れているキリキザンの症状をよく見れば、ひんしではない。震える手足には動かそうとする意思がある。身体を動かそうとしても動けないんだ。
つまり、まひ。
キリキザンは痺れて動けなくなっている。
《ふいうち》の前に、キリキザンは既に重度のまひ状態だった。
リアンさんも、キリキザン自身でさえもそれに気付かずに《ふいうち》を打とうとして、こうなった。
恐らく会話しながらヌケニン以外のポケモンを使って先に仕込んでいたって訳だ。
「口説きも博打も同じこった。勉強になったなガキ共」
………。
こ、こっすい。
姿は見えないけど多分部屋のどっかにバタフリー辺りが隠れてて実質二匹で戦ってたんじゃん!
ヌケニンを隠すような駆け引きも招待状見せびらかしたのも視線誘導のための囮だったんじゃん!
「ふふっ‥‥流石、というべきところでしょうか?」
追い詰められながらリアンさんの手は次のモンスターボールへと伸びている。
俺達招待客は一匹しかポケモンを持ち込めなかったが、運営側であるリアンさんは当然その限りではない。
「見逃してやるからさっさと消えろ。儂には儂の用事があるんでな」
そんでもって不法侵入したジジイもその限りではない。
懐から取り出したのは次のモンスターボールだ。
……いや、あのボールもブラフかもしれない。ダーティープレイの害虫はその程度のペテンは呼吸のようにする。
「‥‥‥」
ブラフじゃないかもしれないし、また別の仕込みかもしれない。
対面しているリアンさんは静かに微笑む仮面こそ崩れていないが、手が止まった。
そもそもキリキザンを麻痺状態にしたポケモンも、まだ姿を見せていない。
仮面に入った罅から漏れる逡巡、葛藤。
最悪のジムリーダーを相手取る事に同情してしまうが、そもそもリアンさんが凶行に走ったのが原因で…いや先に俺とガチゴラスがキリキザンとハッサムを…
とりあえずシャクヤを降ろして、落ち着いて話しないか?
改めて冷静になると自分が事態を何一つ理解していない気がする。
そのせいで俺がリアンさんにどういう立場からどういう声をかけていいのか分からなくなってきた。
この場に居る奴、一旦全員自己紹介から始めてもらっていい?
「ガブゥ…?」
俺も逡巡と葛藤していたら、頭突きで昏倒していたガチゴラスが起き上がった。
キョロキョロと周りを見渡す。
ちょっと今説明がややこしくて、何から話せばいいのか。
しかし、ガチゴラスは自分でとあるものを発見した。
宙に浮いて苦しそうな顔をしているシャクヤを。
「ガァッ!」
そして、シャクヤを捕まえているメタグロスへと目線が動く。
ガチゴラスは誰の説明も受けずとも、それだけで全てを理解したようだ。
すぐ目の前には君を育ててくれたはがねジムのジムリーダーが居るのだが、それよりも今はさっき貰ったおやつの恩が勝っているのか。
目には少しずつ闘志の炎が宿り始めている、気がする。
都合がいいけど、お前はそれでいいのか…?
動いたのはガチゴラスだけじゃなかった。
「ラァイ‥‥ッ!」
対戦相手の消えたライトグリーンのハッサムが次の目標をリアンさんに定める。
元々リアンさんが標的だったのかもしれない。
ガキンガキンとハサミを鳴らしながら近づいていく。
その瞳に迷いはなく、炎のような執念が燃え上がっているのが見えた。
今にでも襲い掛かりそうだ。こっちは完全にトレーナー狙い。
加減を知らない野生ポケモンだし、止めないとマジで危ない。
「ビバ…」
俺はどうすれば、と思っていたら相棒がフラフラと浮いて戻ってきたので腕の中に抱える。
それでも俺を守る様に腕を広げ、サイコパワーを集中させている。
もう無理はさせたくないが、まだまだ相棒はやる気らしい。
ジジイとヌケニン、ガチゴラス、ハッサム、そして俺とイオルブ。
誰一人として共闘していない。
だが、リアンさんは全員の敵だ。
事態は非常にややこしく絡まっているが、それは確からしい。
少し離れた場所でシャクヤをサイコパワーで拘束したままのメタグロスが心配そうにリアンさんを見やる。
状況はまさに四面楚歌。この場を無事に切り抜ける事は出来ない。
しかし、リアンさんはたった一人でもまだ笑みを消さない。
「ふふふっ、ふふふふふふふ」
むしろ、浮かんでいた笑みが更に深くなった。
まるで罅割れた仮面。そこから漏れ出る狂気じみた声。
「これが破滅。避けようがない私の未来、ですか」
少しずつ。リアンさんが崩れていく。
いや、逆かもしれない。
俺が会った時点で崩れていたリアンさんが、この場で歪に組み立てられてしまう。
この窮地が、むしろリアンさんの覚悟を固めていくように見えた。
「ですが、まだ!今宵の幕切れはまだ先!」
演技染みた挙動が更に大袈裟に情動的になっていく。
長い手足を使った大胆な身振り手振りが苦悩からの躍動を表現する。
あるいはそれは纏わりつく何かを振り払うような仕草。
見えないスポットライトに照らされ、誰も居ない観客席へと
「いや、ショーダウンだ。三流役者」
ジジイの合図でヌケニンの目が光った。
部屋の椅子が、棚が、照明が。
戦いの余波で壊れていたそれらが示し合わせたように踊り出す。
怪奇現象のようなこのわざは…多分《ポルターガイスト》?
本来なら相手のもちものを相手にぶつけるゴースト技のはずだが、応用すればこんなことも出来る訳か。
そして、踊り出した家具類はリアンさんを包囲するように…って、
「危ない!」
ジジイに容赦はなかった。
浮き上がった家具や調度品がリアンさんへとダイレクトに叩きつけられる。今度こそ高級家具達が粉砕され、粉みじんになった綿やら木片やらが散らばった。
トレーナーに向かって全力で技を撃つなんてマジかよ、この犯罪者。
あんなの絶対無事じゃすまないぞ。
「おいジジイ、今のは流石に」
「黙ってろジャリガキ」
トレーナーとして思わず口を出すが、ジジイは着弾地点に険しい目を向けている。
ジジイの目線を追って俺も見る。
そこにはまだ、人影があった。
「お楽しみは、これからです」
彼の足元で赤い目が光る。
衝突で粉砕されたように見えた家具をよく見れば、鋭利なもので切り裂かれた形跡。
次のポケモンが間に合っていたのか。
「メタグロス!」
「グロォ!」
ズシン!と床が大きく揺れる。
重量級のメタグロスが腕を叩きつけ、床が大きく波打った。
衝撃で絨毯は捲れ、俺は立っていられずしゃがみ込む。
こんな屋内で《じならし》!?
もうお互いやりたい放題になってきたな!?
「ガァ!?」
「ライッ!?」
その場にいた全員が激しい振動に立っていられない中、リアンさんだけが颯爽と駆け出してメタグロスの頭上へと飛び乗った。
まずい。逃げられる。
メタグロスの浮遊移動はさっきも見た。
あの速度で逃げられると追える存在はこの場には居ない。
「くっ…!離してってば…!」
シャクヤはまだメタグロスのサイコパワーに吊り上げられたまま。
このままだと連れ去られる。
ジジイが舌打ちと共に取り出したボールのボタンを押した。
が、それでも少し遅い。
「それでは、次の演目までしばしのお別れとなります」
リアンさんの口元にあるのは、今までにない不敵に勝ち誇った笑み。
その意味は床の揺れの増大で分かった。
ゴゴゴゴゴと音を立てて揺れる地面。
《じならし》から《じしん》に繋げたコンボ技。
これで俺達の足を止めてしまうつもりか、と最初は考えた。
何かが砕けたような音が聞こえるまでは。
えっ、と思う間もなく。
砕ける音がバキバキと拡散していく。
その音は足元までも通り過ぎて。
「ちょ、まっ」
考える暇などない。
バランスを崩した感覚の後に、足裏から床の感覚が消えた。
床に出来上がったのは亀裂ではなく最早断裂。
ここは普段ポケモンバトルに使っているようなフィールドじゃない。
セレブリティ溢れる空間ではあるが、耐久性って面では壁を頭突きでぶち抜けるくらいでしかないのだ。そんな場所でジムリーダーのポケモンが全力の《じしん》を起こせばこうもなる。
「ちっ」
ジジイの袖口から黄色いものが飛び出して俺へと張り付く。
バチュル!あいつどんだけ仕込んでるんだよ。
胸元に張り付いたバチュルが天井へと糸を飛ばす。
細い糸だが、これで上手く助かれって事らしい。
片手で相棒を抱き、残った片手を糸へと伸ばそうとして、別の事に気付いた。
俺より高速で落下していく物体だ。
時々、俺は馬鹿な判断をする。
俺が馬鹿なのは自明だが、特に咄嗟や突然の事態に非常に弱い。
用意した作戦や計画よりも、いつも咄嗟の思い付きや突然の直感を優先してしまう。
まだ自分に理屈を超えた才能があると心のどこかで思っているのかもしれない。
天才達のように出来るとまだ思い込んでいるのかもしれない。
でも、俺の思い付きや直感は大抵いつも間違いだ。
だから才能のない俺は、この時も馬鹿な判断をした。
自分より速く落下していくものに目を取られ
そいつが「思わず」と言った表情でこちらに手を伸ばしていたから。
俺も「思わず」手を伸ばし返してしまった。
落ちていくハッサムの腕を掴む。
理由は、俺が馬鹿だったからだ。
上昇する落下速度の中、俺は何て馬鹿な事をしたんだと思いながら
何故か掴んだ手を離しはしなかった。