大きな背中だった。
悠々と突き進む背中を、私は追いかけた。
荒野に新たな道を切り開くような歩みだった。
頼れる標はなく、先行く導きもない。
行く手を阻む多くの壁を前にしても、止まらない。
何物にも縛られず、鋼のように揺らがない。
降り注ぐ豪雪、燃え盛る業火。
それらを前にしても、彼の歩みは止まらない。
その背中は強く大きく見えた。
どこまでも強く、どこまでも大きく。
荒野を歩くたった一人の背中を、私は追いかけた。
太陽のように眩しい、その背中を。
遠いことは分かっていた。
だから、見失わないように追いかけたのだ。
それなのに、道の先から太陽は消えた。
――――ああ、ピオニー様。何故私を
回転と暗転。
足元に感覚が戻り、立ちくらみを起こした頭を思わず抑える。
目の前には床に設置された三つのワープパネルが並んでいた。
どうやらワープを繰り返す中で、少し意識が朦朧としてしまったようだ。
私の後からワープしてきたメタグロスが心配そうな目線を向けてきたが、問題ないと首を振る。彼の頭上にはシャクヤ君がサイコパワーで宙に抱えられたままだ。
記憶に従って次のパネルへと飛び移る。
ワープする先の部屋はどれも同じような内装に揃えられているため、何も知らなければワープでの移動も相まって非常に迷ってしまうだろう。
「セキュリティと呼ぶには、少し凝りすぎましたね」
エスパージムの協力を得て船内に設置したワープパネル。
表向きはVIP用の緊急脱出手段として用意したが、隠し部屋への入口にもさせてもらった。
勿論エスパージムとの橋渡しを担当していた執事の彼も知っている事だが、緊急事態の最中でここまでは手が回っていない、と思いたい。
そんな移動を幾度か繰り返した後に、とある部屋に到着する。
ここにも数個のワープパネルが置かれている。
今までの部屋と違うのは、壁際には小休止するためにソファーが設置されている点だ。
運動に不慣れなセレブに何度もワープをさせる負担を考えて設置した。
しかし、今は必要ない。様々な事があったが、自分はまだ休んでいる場合ではない。
そう思ったのだが、後ろから強く押してくる謎の力でソファーに座らされた。
「‥‥メタグロス?」
「グロォ」
どうやら先程から相当に心配させてしまっている。実際座ってしまうと酷い疲労を実感した。
「‥‥ここからが本番ですからね」
少しだけ。深く呼吸をして目を閉じる。
そんな自分に声がかけられた。
「ねえ、どうしてこんなことしてんの?」
かけられた声は随分位置が高い。
宙に浮いたままのシャクヤ君だ。
「これってそんなしんどそうにしてまで、やんなきゃいけないワケ?」
無理矢理連れてきた誘拐犯相手に堂々と問う様は流石あの方の娘らしい豪胆さだ。
メタグロスに指示を出し、彼女もソファーに座らせる。サイコパワーによる拘束は続けさせてもらうが。
「あなたの父親に、英雄になっていただくためですよ」
目を閉じたまま、答える。瞼の裏には今もあの背中が見えたままだ。
焼き付いて消える事はない。
かつてのチャンピオン、ピオニー。
『はがねの大将』はリアンにとっての全てだった。
あの人のバトルには、人生の全てがあった。
破天荒な生き様。全力を尽くす姿勢。我を貫くプライド。
ポケモンバトルが好きになったのも。
ジムトレーナーになろうと思ったのも。
いや、自分の人生を生きる喜びさえも。
全てあの人に憧れたからだ。
自分は貴族として生まれ、貴族として生きると決められていた。
周囲の声や環境、何よりも生粋のガラル貴族だった両親に。
そんな自分にはあの方の自由が眩しく見えた。
世に立ち向かうように、一人で堂々と立つその姿にこそ『理想』を見た。
これこそが、人生だと。
そんな考えを持っていたのは私だけではない。
多くの人が『はがねの大将』の生き様に魅せられていた。
窮屈な世に光を齎し、数多の民を導くあの方はまさしく英雄だったのだ。
だが、光は唐突に失われた。
本当に突然。ピオニーは簡単な挨拶だけを自分達に告げて去った。
光が消えれば、そこにあるのは闇である。
その後ローズという大企業の社長がリーグ委員長に就任した時、私は己の目を疑った。
太陽のように憧れた英雄と、瓜二つだったからだ。
ローズ委員長の治世は完璧だった。
彼の主導でガラルは発展を遂げ、再興を果たし、新たなる未来を築き上げていった。
単刀直入に言えば。
私は、それが気に食わないのだ。
憧れの人と同じ顔で、憧れの人が絶対に言わない事を言う。
憧れの人と同じ笑顔で、憧れの人が絶対に為さない事を為す。
憧れの人と違う眼差しで、憧れの人が絶対に作らない世の中を作っていく。
新たなスタジアムが出来、道が作られる。
道なき道を切り開く必要もなく。背中を見せる必要もなく。
新たなる道が理路整然と敷かれ、街並みが変わっていく。
ポケモンリーグは気付けば憧れの真剣勝負からエンタメの為の市場へと堕ちていた。
ニュースでは毎日、新しい最強のチャンピオンを称賛する声が続く。
ダンデは確かに才覚ある若者だが、ピオニーではない。
塗りつぶされていく。
上書きされていく。
新たな世界に。新たな物語に。
英雄が、太陽が。
失われてはいけない。
彼を語り継がなければいけない。
偉大だった『かつて』を絶やしてはいけない。
それが自分の役割だ。
最初は穏便な手段でピオニー様の栄光を広めようとした。
作曲に執筆、己の全力で布教活動に勤しんだ。
しかし、マスコミに働きかけてもローズ委員長の手に止められる。
どうやらピオニー様を話題に取り上げる事自体、マクロコスモス傘下企業からはNGが出ていた。CDリリースも出版もマクロコスモスの力がなければどうしても頭打ちとなる。
一層、危機感が募った。
志を同じくする同士を集め、組織運営のために嫌悪する実家の伝手も使った。
ジムリーダーとしてピオニー様の招聘をリーグに幾度訴えても、なしのつぶてだ。
ローズ委員長はピオニー様についての嘆願に一切の譲歩を見せなかった。
はがねジムがリーグ戦を辞退するようになってからも、話し合いの場こそ設けてくれるが進展はなかった。
【彼はチャンピオンの座を自ら降りたんです。現リーグとは無関係ですよ】
話し合いはいつもそんな言葉で切り捨てられる。
あるいはそれはローズが周到にピオニー様の痕跡を消しているようにも思えた。
だから、もう一度。英雄譚が必要なのだ。
人々が忘れぬように。世界から失われぬように。
ローズの力で以てなお消せぬ、強い輝きが。
「今の時代にはピオニー様という英雄が必要なのです」
目を閉じたまま、強くこぶしを握り締める。
その中に込めたものを、確かめるように。
現リーグへの怒り。そして、かつてへの憧れを。
決して失われてはいけないたいせつなものを。
「オヤジは…」
人質にした少女が呟いた。
「オヤジはきっとそんなこと望んでないよ」
はっきりと。拘束されたまま、シャクヤは言い切った。
こちらを見据える目はきっと、ピオニー様とよく似ているのだろう。
覚悟をしてから、目を開く。
「アタシの知るオヤジはいつだって楽しそうにほつれを縫って、弁当作って、呼んでない授業参観を見に来て、運動会も全力で」
決意でこちらを射貫く瞳は本当に憧れたものとそっくりだ。
そこには憧れた何物にも縛られず、揺らがない強さがあった。
きっとピオニーもそう言うだろう。
疑うことなく、そう思えた。
【オレがチャンピオンを辞めたのはな!ローズのせいじゃねえよ!】
【チャンピオンを続ける事よりも家族の方がド・大事だったからだ!】
「うざいけど、オヤジは毎日楽しそうに頑張ってたし!」
ああ、そうだろう。
きっとそれが彼が本当にやりたかったことなのだから。
涙が出そうになる程に共感できた。計画を止めてしまおうかと言う言葉さえ浮かんだ。
だけど、それ以上に深く絶望した。
心が急激に冷えていく。
「あなたは」
ここにさえも、もう残っていない。
残されていないのだ、と言う事を確かめて絶望する。
「あなたは英雄としてのピオニー様を知らないのですね」
きっとあの方は娘に過去について語らなかったのだろう。
あの偉大なる栄光を、輝かしい歴史を。
「それは…」
彼女が知るのは『父親』としてのピオニー。
最も身近な娘の中にさえ、英雄譚は残っていない。
冷えた心が決意を更に強固にしていく。
【ただあなたの破滅を『知っていた』だけでございます】
【ショーダウンだ、三流役者】
この夜、自分に立ち塞がったものは多い。
きっと自分は破滅するのだろう。
ならば、あの方を知るものとして成し遂げなければならない。
私の全てを賭してでも。
いいや。破滅が定められた私にはもう全てを賭すことしか出来ない。
シージャックで船が制御不能に陥った時点で分かっていた事だ。
ならば、せめてあの方のために破滅したい。
「ありがとうございます。シャクヤ君」
立ち上がる。これが最後の舞台裏だ。
ハンドサインで指示を出すと、シャクヤを座らせたままソファーが浮かび上がる。
サイコパワーで脇に寄せたソファーの下には新たなワープパネルがあった。
隠し部屋へと続く、隠しワープパネル。
その上へ足を乗せた。
暗転と回転。
今度は意識をしっかりと持って着地する。
他の部屋よりも格式高く揃えられた飾り付けは、本来なら招待するはずだった王族の方々のため。
彼らの招待に熱心だったのは、スポンサーとしてもっと近づきたいという気持ちと、もう一つ。
ここに安置したものの「真偽」について確認がしたかったからだ。
それは、部屋の中央にただ置いてあった。
小さなテーブルの上に置かれたモンスターボール。
重々しいそれは現行のボールよりも原始的な構造。
更にボールには見た事のない厳重な拘束が幾重にもかけられている。
古めかしいお札や鎖は、この拘束がとても長いものであることを感じさせた。
禍々しいまでの拘束は盗難防止のセキュリティではない。
感じるのは執拗なまでの恐怖。
かつての持ち主の過剰な警戒や不安が感じ取れた。
「何それ…チョーやばそうなんだけど」
指示せずとも人質を連れて追って来てくれたメタグロスの方を振り向く。
シャクヤの表情を見ればその視線は異様な拘束がされたボールへと向けられている。
「とあるガラル貴族が3000年前に封印したポケモンですよ」
ガラル貴族との交流の中、秘密裏にリアンへと預けられた。
その家では代々恐れと共に受け継がれていたそうだ。
『最も恐ろしき戦乱を生みし災厄をここに封ずる』
かつてのガラル貴族がどんな気持ちでこのポケモンを封じたかは分からない。
だが、末裔であった貴族にとっては封じられた災厄など手元にあってほしくなかったようだ。リアンへの協力の証、と言っていたが、厄介払いだったのだろうと思っている。
「3000年前の、ポケモン…?」
訝しむようなその顔は、どうやら心当たりがある様子だ。
それもそうだろう。ガラルに住んでいるならば、誰もが知っている。
伝記として。御伽噺として。
観光地のパンフレットで。歴史書の1ページで。
あるいは、ターフタウンに描かれた地上絵で。
「ええ。3000年前、このガラルを脅かした大災厄」
パチリ、パチリ、と拘束を一つずつ外していく。
古いボールの中で巨いなるものが蠢いた。大きな目がこちらを覗き込んでいるのを感じる。
「かつて英雄に討たれし、伝説のポケモン」
討たれた、という言葉が気に障ったらしい。
まだボールの中だというのに既に眼前で放たれていた存在感が増大する。
大きすぎるプレッシャーを前に、ボールへ伸ばしていた手が止まる。
しかし、一度だけ強く握りしめて、また伸ばす。
「ブラックナイトと呼ばれし、巨人伝説の正体!」
掴み取る。
こぶしの中に。
握りしめる。
鋼のように揺らがない決意で。
かつてを想い、鉄の鎖から解き放つ。
「さぁ!私と共に!3000年前の、再演を!」
こうして、破滅の最終演目は悲痛な叫びと共に始まった。