Don't Think. Feel ~史上最強の赤龍帝~ 作:70-90
そして、アーシアが覚醒します。
「アーシア、貴方を連れ戻す王子様が来たそうよ。…しつこい男は嫌いだわ」
教会内に2人が佇んでいる。1人は音の素に目をやって、怪訝そうな表情を浮かべるレイナーレ。もう1人は、黒い十字架に磔にされている白いワンピース姿のアーシア。と言っても、アーシアの四肢を固定する十字架は特殊な装置である。その目的は、アーシアに秘められた神器を取り出すためであった。まだフォーマットが完全に完了していないにせよ、時間がない。
「…一誠さんが?」
「そうよ。でも、どうして私の邪魔をするのかしら? ――言っておくけどアーシア、これは貴方のためなのよ?魔女と罵られた貴方を救うためにね」
嘲笑気味の言葉が、アーシアの心に突き刺さる。闇に触れられ、言い返すどころか俯くばかりである。
だが、最後の言葉がわからない。『自分を助けるため』とはどういうことなのか、アーシアは拝聴の姿勢を取るしかなかった。
「今更だけど、気の毒だったわね。貴方は純粋な善意で全てを失った。1人の悪魔を助けたことで罵られ、教会から追放されてここに流れ着いた。別に貴方の行為を非難するつもりはないわ。それでこそ、“聖母の微笑”が輝くのだから。でも、その光は他人の怪我は治せても、貴方の心は治らないわ。むしろ傷が深まるばかりよ。今の貴方には諸刃の剣でしかないわ。なら、その神器を私に譲ったほうが貴方には得策とは思わないかしら?」
「レイナーレさん…、私の神器を手に入れて…、目的は一体何なのですか…?」
レイナーレの力説を染み入るように聞き入ったアーシア。それに対し、アーシアは1つ問いかけてみると、愚問と言わんばかりにレイナーレは高笑いを始めた。
「決まっているじゃない! 全てはアザゼル様、シェムハザ様から未来永劫の御寵愛を授かること!!」
まるでミュージカルの一場面のように、両手を広げてご満悦な表情で答えた。彼女いわく、その“聖母の微笑”の力を使って、その二方を支えることに意義があるという。確かにその神器の効用は通常の者を超えている。死と紙一重の傷でも綺麗に治せてみせるのだ、こんなにレアなものを逃すわけには行かない。
「ついに私が頂点に達する時が来るのよ! 私を貶してきた連中を見返すことができるわ!」
アーシアは、悲嘆を込めた表情で見つめていた。その時ドカッと、誰かが入口の扉を乱暴に蹴り開けた。レイナーレの表情が不機嫌極まりない表情に変わる。
「アルジェントさん!」
「アーシア!!」
「あら、来たのね」
蔑むような視線を向け、口端を釣り上げる。一誠は十字架に掛けられたアーシアを一瞥し、レイナーレには静かにも怒りを込めた目つきをつける。流子も同じようだが、今にも爆発しそうである。
アーシアは信じられないと言わんばかりの驚きを見せるが、次に見せたのは憂き目であった。
「一誠さん…、流子さん…。どうして…、来たんですか…」
「決まってんだろ。アルジェントさん、あんたを助けに来たんだよ」
「そこの烏の餌になる前にな!」
流子の一言の何かがレイナーレの琴線を切る。眉間に皺を寄せては、光の槍を放った。
「伏せろ!」
「うおぉっ…!?」
流子は一誠に声とともに肩を掴まれ、近くの椅子の背に身を寄せた。槍は派手な効果音とともに壁に深く突き刺さり、粒子化して消え果てる。しかし、その跡は残ったままであり、壁の塗装が剥げ落ちていた。
「その口振りからして、まだ懲りていないようね…」
一誠は椅子の端から、アーシアに目を向ける。彼女は抵抗する素振りを見せない、まるで死ぬ覚悟を自ら受け入れているかのようだった。また、彼女が掛けられた十字架を見ると不自然さを感じるのはすぐのことであった。十字架にしてはイメージしたものとは異なり真っ黒である。加えて、その表面に数多の緑色の線が、回線のように下端から上端にかけて走っていた。
僅かに焦りを見せ、レイナーレの行動に懸念を募らせた。
「不味いな…」
「何がだよ兵藤…?」
一誠は憎らしげに、アーシアを拘束する黒い十字架を睨みつけていた。
「もう準備が整っていやがる。あれでアルジェントさんから神器を奪うつもりだ…!」
「おいなんだよ”セイクリッド・ギア”とか…?」
一誠の独り言に追いつけなかった流子が、一抹の不安を抱えながらも問いかけてきた。間をおいた後、一誠は重い口を開いた。
「すぐには説明しきれない…。だが1つ言えることは――あれを抜き取られればアルジェントさんは死ぬ」
「…!!」
その言葉を聞き、流子の思考が一度真白になった。
否定したいところだが、一誠の口振りからして反論できない。それに、今まで何度浮世離れした代物を見せられたものだろうか。
持ち主に限る話である。神器というものは生命そのものに直結している。人体からそのものを取り出すには過大な負荷がかかり、そのほとんどは死に至る。可能性は、神器そのものの素質に比例する。アーシアの場合はレアなものである。もしそのような多大な力を持つ神器を抜かれたりすれば…。
「助けようとしても無駄よ。まもなく儀式は始まるの」
余裕に満ちた声でレイナーレが喋り出す。その声を聞くに連れて、流子の心が怒りでかき回される。
「慣れない人が使っちゃって取り返しのつかない事が起こる前に、私達が楽にしてあげてるの。特に男は楽で仕方がないわ。だって、容姿が良ければ理性を失うんだから。貴方は違ったけどね、兵藤一誠」
そうして男を下に見るような言動に、一誠は憤りを込める。その口振りは、アーシアにも向けられていた。
「私は開放してあげようとしているだけなのよ?神器の所為でまともな人生を送れなかった。私に譲れば、魔女と唆されることはない。人生に振り回されることもない。この子はもう苦しむことはないわ」
まともな人生を送れなかった? もう苦しむことはない? だからアーシアを殺す?
人外がわかりきったような屁理屈を並べて、さらにはアーシアの人生自体にも勝手に価値を決めつける。それもかなり低い。流子にも既視感を感じる。かつての彼女も、同じような境遇を強いられていた。
「ふざけんな…」
怒りが篭った、静かな声が聞こえレイナーレの口が止まる。この時、赤いメッシュの少女は立ち上がって叫んでいた。
「ふっざけたこと言ってんじゃねぇぞ烏野郎!!」
一々細かいことに疑いを持っては仕方がない。既にあり得ないものを目の当たりにしているのだから。そして、堕天使がアーシアを殺そうとしていることも疑いなくして、レイナーレに怒鳴り散らしていた。
再び烏と呼ばれたことに、レイナーレの表情が強張った。
「アーシアはてめぇみてぇな碌でなしなんかじゃねぇ! ましてや魔女とか聖女とか何でもねぇ…。1人の人間なんだよ! そして、私達の友達だ!」
―友達…。私がここに来て、いえ、人生で初めて出来た友達…。
アーシアは流子を、見開いた表情で見つめていた。
「しょうもねぇ人生ってテメェは言ってたけどな…、アーシアはどんな時でも笑っていたんだよ! あんたに連れ去られる時とか! ハンバーガー食ったときとか、私が色んなもん見せてやったときとか…! 全てじゃねぇけどさ…、もっと色んなことを教えてやりたいと思った…」
「纏さん、あんた…」
流子の口調は強くとも、だが内なるものに叩きつける程に熱かった。一誠は、流子の言葉をきっちりと聞き入れていた。流子とアーシアの2人で、そこまで触れ合っていたのかと理解した。
「どんなに世間が理不尽でもな、アーシアが笑っていられるようなもんは腐るほどいっぱいあるんだよ! てめぇのものさしで勝手に決めつけてんじゃねぇぞ!!」
教会内中を震わせるような声で流子は叫んだ。流子でも理解し得たことである。どんなに周りにけなされても、彼女にはかけがえのない友がいるということを。
だが、レイナーレの心情はますます不機嫌さを募らせるばかりであった。
「…とんだ綺麗事ね。ますます気に入らないわ」
その一言と同時に、数十人のはぐれ悪魔祓いが現れた。一誠達を直ぐ様囲み、アーシアのもとに近づけないようにした。
「こいつら、まだいたのかよ!?」
「貴方達はこの人達と付き合っていなさい。その内に私は済ませておきたいからね」
「冗談じゃないよな…!」
一誠も、流子も、着々と追い詰められたかのような焦りを覚える。体力的に自身はあっても、友達を目の前にして虱潰しをするわけにはいかない。レイナーレは仕方がないと言わんばかりに、憂いを込めた目で見下していた。
―一誠さんも、流子さんも…、そこまでして私を…。でも、もう私は…。
アーシアは俯いた状態で、感慨に耽けていた。
勿論のこと、嬉しかった。2人が助けに来てくれたことが、とても嬉しかった。反面、動揺を隠せなかった。レイナーレは必ず2人を傷つける気だ。だが、もはや彼女にはその耳を持たないだろう。自分のことを諦めて、忘れてもらいたかった。
だが、そんなことなど愚策にすぎない。流子に言われて、自分が死ぬということに疑問を持ち始めた。そして恐れを感じるようになった。このまま自分は、一誠と流子が殺されるのを眺めているしかないのか? 傍観者にしかなりえないというのか?
その間に十字架の、緑色の線に光を帯び始める。血が流れるようにして、ゆっくりと上から伸びていく。この時、アーシアの2本の指も一度光ったことに彼女は偶然にも目の当たりにした。
―私は…! 私は、これからも一誠さんと流子さんの友達でずっといたい!! もう、このまま見ているだけはもう…! だから…!!
何か応える必要がある。そう思ったアーシアは、強く顔を前に上げ、空を仰いだ。涙を流していたが、悲観ではなく何らかの決意を秘めているように見えた。
―主よ、お願いします!! これは我侭に変わりません!! でも、力を…!! どうか私に…、私に一誠さんと流子さんを、皆を助ける力をください!!
強く願った時―
『Twilight Healing Balance Breaker!!』
―アーシアの指が緑色に光りだした。
「何ですって…!?」
聖女の身体が著しく輝く。アーシアの両手両足を固定する拘束具が砕け散る。何事かとレイナーレは一度見開き、眩い光で目を塞いでしまう。悪魔祓いの数人をある程度倒した一誠も流子も椅子の背凭れに隠れる。しばらくして、発光がやんだ。
十字架型の装置が突如爆散して砕け散り、数多の瓦礫が落ちては更に細かく砕け散る。巻き込まれまいとレイナーレは翼をひろげて距離をとった。そして、光の下を睨みつけていた。収まってきた頃、一誠と流子もその元を見た。
そこに立つのは天使――というよりも女神と呼ぶべきだろうか。
その光の中から現れたのは、純白な翼を広げた、白銀の鎧を纏う者だが、威圧感は荘厳たるもの。背中に翼を畳み込むように光と化して消え、彼女は静かに地面に降り立った。コツンと踵まで丁寧に着地し、顔をゆっくりと上げていく。その、女神を思わせるような仮面で、じっとレイナーレを見つめていた。怒りというよりも、聖母なる慈悲を見せていた。
だが、我に返ったのか、一度彼女は身震いした。
「え…、え…? ふええ~~っっ!? 私一体どうなっちゃったんですかぁっ…!?」
鎧に覆われた腕を交互に見やったり、顔をぺたぺたと触ったりして、見たことのない自分の外見に慌て出すアーシア。まさに女神らしくない。だが、アーシアに聖女らしく振る舞う必要は全くない。
「あ、アーシアぁっ!?」
「やっべぇ…、超かっけぇ…」
純白な銀鎧、
「貴様ぁぁっ!!」
「きゃっ…!!」
レイナーレが投げつけた光の槍を見ては顔を覆った途端、突如現れた純白の翼に覆われる。槍が翼に触れた途端、瞬時に真白な光に浄化された。
「なにぃ!? うっ…、うぁああああ…!!」
「ふえぇっ? 今の…?」
純白の翼が煽った風圧により、レイナーレは後ろに大きく吹き飛ばされた。呆然としていた悪魔祓いも同じく、椅子を何度も破壊しては壁に叩きつけられた。
「アルジェントさん!」
「アーシア! 大丈夫か!?」
ある程度の距離が両者の間で空いた時、一誠と流子はアーシアのもとに駆けつけていた。
「一誠さん、流子さん!」
「お前、こいつは一体…」
「私にもさっぱり…」
流子もアーシアも、この変化に戸惑うばかりだった。
「アルジェントさん流石だな! 禁手化できたのか!」
「……兵藤、お前キャラ変わりすぎだろ」
「ばっ、ばら…?」
だが一誠の場合、興奮していた。流子は普段のものとは表裏異なる一誠を呆れた顔で見つめていた。だが、既に何度か既に見たことがあるかのようだった。アーシアは初めて聞く言葉に、何と答えていいのか分からず困惑していた。
「一誠、こいつらに知らぬ常識も無理があるだろう。それに、何故そこまで目を輝かせている?」
「うおっ!? う、腕が喋った!?」
一誠の左手の甲が点滅し、ドライグが肩を竦めているかのように一誠を宥めた。咄嗟に甲を胸の上に持っていく一誠だが、それを見た流子は驚いていた。アーシアは既に彼も神器を持っていることは承知済みだが、1つの意志を持っていることに驚いていた。そして、ドライグはアーシアに話しかけた。
「アーシア・アルジェント」
「はっ、はい…! 初めまして…!!」
「俺はドライグ、この手に宿る龍だ。だが、そこまで畏まらなくてもいい」
なぜ彼がアーシアの名前を知っているのかについては割愛しておく。緊張しきっているアーシアに、やや微笑んでいるかの口調で落ち着かせた。口調は現在のものに近いが、眠りも含めて数千年も生きているためにある程度の思慮を持ち合わせていたのだった。
「一誠とお前の持つ神器は、持ち主の強い意志が原動力だ。意志が強ければ、相応に神器は答えるのだ」
「強い…意志…」
ドライグの言葉に、アーシアは自らの手を見つめる。そして、今までの記憶を回顧している。
教会で孤独に育ち、神器そして純粋な性格によってアーシアは周囲に持ち上げられ、周囲に落とされていた。だが、あの時公園で治した少年の笑顔を思い出す。と同時に、イタリアにいた時に治した悪魔の、感謝に満ちた顔も思い出す。
次にアーシアの視界に入ったのは一誠と流子である。この力は常人には忌々しいものかもしれない。アーシアは貶される覚悟にあったが、神器を持つ一誠、そして普通の女子である流子は受け入れてくれた。友達として迎え入れてくれた。そして、2人は自分を助けにわざわざ来てくれた。
今までアーシアは
ガラリと崩れる音が響き、3人は顔を向けた。瓦礫を押しやるレイナーレは、アーシアを憤怒の表情で睨みつけていた。だが、アーシアが動じることはない。
「よこせ…、その神器を私に寄越せぇぇっっ…!!」
「嫌です!!」
「なにぃっ!?」
はっきりとした声で拒否したアーシア。連れ去られる前よりも強い意思を、彼女は手に入れていた。
「私は不器用ですから、ちょっとした善意のために私は全てを失ってしまいました。でも、私は後悔していません! ここに来て、本当の友達といえる人達に出逢ったんですから!」
アーシア・アルジェントは聖女でも魔女でもない――普通の人間である。
普通なる生き方を営むことを許されず、理不尽な人生を送っていただけである。だが、どんな人外でも平等に優しさを与える、その包容さは人間を超えているのかもしれない。
「この神器は今を生きとし生きる方々、そして友達を守るための大切なもの…」
右腕を胸の上に置き、アーシアは続ける。
一誠に、流子に出逢ったことで、アーシアはこの神器を使う意義を見出すことに成功した。ただ自分を浪費するためではなく、他人のみならず自分を満足させるための使い道を見つけた。
その思いに、神器は応えてくれたのだろう。
「人間を助けることと、そうでない者達を助けることに、一体何が違うというんですか! どうして助けてはいけない人達がいるというんですか! 私は、そんな理不尽なことなんて絶対に認めません!」
この言葉は、教会自体を否定することと同義語であろう。だが、アーシアはもう教会側の人間ではない。そう使っても、罰は当たらない、むしろ神は喜ぶに違いないだろう。
「ごめんなさい! でもレイナーレさん、この“聖母の微笑”を貴方に渡すわけにはいきません!」
レイナーレは苦虫を噛み潰した表情で、彼らを睨みつけていた。
アーシアが謝ったのは、協力できないという強い印象を和らげるための、せめての同情に近い台詞なのだろう。だが、レイナーレには挑発に近い印象を抱かせるのみだった。
一誠はアーシアを流子のもとに下がらせた。唯一、無防備な流子を守らせるためである。
そして、意趣返しである。アーシアに感心したばかりの笑顔を浮かべ、レイナーレには怒りに満ちた表情で威嚇した。
「1つ問う、あんたが盗もうとした神器はこれだけか?」
「下衆な人間め…。神聖な堕天使の私に意見するとはなぁっ!」
一度俯いたかと思えば、悪役が浮かべる笑みを見せてきた。右手を差し出せば、どす黒い鎧の手に変わる。一誠の顔が怪訝になる。
「“龍の手”…!」
「ふふふ…。以前の男から頂いたものだけど、貴方のために使うことになるとはね…」
その一言に、一誠達の表情が微かに揺れる。
「まさか…、既に人を…!」
「そんな…」
別に“龍の手”などありふれたようなものである。それでもレイナーレはその持ち主をハニートラップで落とし、そして人気のない場所で殺していた。だが、この時の神器は発現の手前だったらしく、戦力の1つとして回収していたのだった。何せ、その男よりも堕天使としての超人的な力を持つレイナーレのほうが、有用性があると見なされたからだ。
仮面越しには見えない。だが、この時のアーシアは愕然としていた。
そして、一誠の身体からは闘気が漏れだしていた。
「レイナーレ…、まさか堕ちた天使以下に堕ちたなんてな…、あの時断ればよかったぜ」
「今更後悔したって仕方がないわ。今ここで貴方達の神器を頂くんですもの。そして、アザゼル様から尊大なご寵愛を受け、そして私が堕天使のトップに…!」
恍惚に浸る彼女を見て、一誠はどうしようもないと見た。彼の右手が籠手に変化する。
「有りもしない妄想を膨らますな。俺が起こしてやる」
『Welsh Dragon Balance Breaker!!』
一誠も宝玉にタッチし、禁手を開放する。手袋を嵌めた後のように一度握りしめた。朱紅の鎧に包まれた一誠を見て、流子とアーシアは目を見開く。
「あれが、一誠さん…?」
先ほどの言葉を思い出す。彼も自分のように変身できるのだと。
「もう考えるのやめた。レイナーレ、俺はあんたをぶっ飛ばす!!」
一誠は左手の人差し指を向け、はっきりと言い放った。
「この私に指を差すな人間!!」
人間ごときに見下される覚えはない。激高したレイナーレは籠手を強く握りしめ、飛びかかってくる。弧を描くようにして拳が一誠の身体に迫り来る。
「バッチこい!!」
一誠は片手でそれを右に払う。拳を振り上げるが、どれも片手で止められる。脇腹にレイナーレの拳が直撃するが、痛くも痒くもない様子で一誠は顔を向けていた。動揺する隙を突き、一誠は逆手で腹にありったけの闘気を込めたパンチをぶつけた。その闘気は身体を通り越し、レイナーレは腹の底から流れる血を吐き出す。怨恨に満ちた顔で反撃を試みるが、あれ以降は一度も当てることができない。
この光景を、流子は驚いていた。しいて言うならば、堕天使とならば化物のようなものである。映画に出てくる、得体のしれない不気味な姿をとり、人々を捕食しようと襲い掛かってくるような危険物なものである。それを目の当たりにしても、一誠は慄くことなく、むしろ慣れていると言わんばかりに動いている。冷静に防御しては、冷静に隙を求めては見つけて突いている。そんな一誠が不思議に思えた。次第に流子は、この勝負云々よりも、一誠が遠い存在であることを悟っていた。
―一誠…、お前は今まで何をしてきたんだ?
胸部に1発。顔面にドアノック3、4発。素早くも正確に部位を当てていき、相手に考えさせる猶予も与えない。大きく上げた右脚でキックを決め、後ろに吹き飛ばされ、床に転がり込むレイナーレ。片膝立ちの状態で、倍加を知らせる電子音が鳴る。
彼女がニヤリとする。籠手がレイナーレの力を倍加していたのだった。
『Boost! Explosion!』
この“Boost”という音声で、持ち主の全ステータスを倍加した事を知らせる。この時レイナーレは確信していた。鎧を被った相手としても、所詮は人間。堕天使の自分を更に強化させることで人間を凌駕する。
「喰らいなさい!」
だが、一瞬で絶望と化した。
『Boost!』
1回―
『Boost!』
更にもう1回―
「なっ!?」
一度に倍加を知らせる音声が二度も聞こえた。
『Explosion!』
そして放出―
「ハァッ!!」
拳と拳がぶつかる。しかし、勝負は一瞬にして決着がついた。
レイナーレの左腕の鎧が爆発するかのように砕け散ったからである。強烈な悲鳴を上げると腕を抑え、ふらつきながら後ろに引いていく。
「う…腕が…! 私の腕が…!? 何故…!? 私と同じ“龍の手”だったはず!?」
また腕そのものも、折れた枝のように歪に変わり果てており、幾程かの血が滴り落ちていた。この時、一誠はどれほどの力を込めていたのがよくわかる。
「お前あの時、黒ずくめの男の言葉を聞いてなかったのか? こいつは“龍の手”なんかじゃない。いや、“龍の手”の中ではレアなものだぞ?」
「…な…、何を言っているの…!?」
「お前、“赤龍帝”って聞いたことがあるか?」
その言葉に、レイナーレは愕然とした。神器に詳しい―一誠観点だが―堕天使の1人はその名を聞いたことがあった。
「あるはずだよな、何せお前は神聖な堕天使だからな。知り合いから聞いたが、神器の研究に忙しいそうで」
「“赤龍帝”…? …まさか“神滅具”の一種…! そんな…! なぜそこまでの神器を…、この子供が…!?」
書物で見たことがあった、二天龍の内の1体の意志が込められ、持ち主の力を2の累乗倍に増やすという“神滅具”の存在を。それはもはや、天変地異を起こしてもおかしくはない、規格外の代物。
だが、その持ち主は堕天使にも悪魔側にもいない。即ち、ある意味存在し得ない代物だと
その存在を目の当たりにし、驚きが耐えないレイナーレ。気に留めることなく、「あんたなんかに聞かれる筋合いはない」と一誠は別の話題を持ちかけた。
「……ところでさっき、アザゼル様のためって言ったな? 御寵愛を受けるためだと…? ふざけんな、ヘドが出るぜ」
「何ですって…!?」
辛辣な言葉を放たれたことで、レイナーレの表情が憤怒に戻った。それが元々の顔つきであるかのようだった。
「アルジェントさんはその神器に人生を振り回されてばっかだった。どうも教会の連中はブラック企業と同じだ。あいつの行動次第で看板にするわ、疫病神にするわ、なんてめでたい連中なんだ」
一誠の視線はレイナーレを捉えたままである。
教会というものは心が良い人が集まる者だと信じていた。だが名目を保つためにアーシアを使い捨てのものとして扱った。別に全てとは断定しないが、一誠は教会そのものをブラック企業と同一視するようになっていた。
「だが、あいつの優しさは伊達じゃない。どんなに理不尽な目にあっても呪う事を知らない。あんたのことを知らなかったとはいえ、神器持ち殺しのお前に感謝していた。住処を与えられ、食事を与えられ、生きる術を与えられ、アルジェントさんはあんたに感謝していたんだ。あんたがどんなに酷いことをしてまでも、救いたいとも思っていた。それを踏みつけてまで寵愛を受ける、それが愛だって? だからあんたは魔性の女なんだろうが」
レイナーレは冥界では落ちこぼれと罵られ、先輩からはパシリとして扱き使われ、碌な扱いをされたことがなかった。だがある日、地道な努力を重ねた結果、アザゼルに「よく頑張ってるな」と気軽に声をかけられた。あれほどに崇高なる存在に褒められるというのは、かなりの光悦に浸れるものに違いない。
だが、一誠には知ったことではない。何もかも全否定された。この時、レイナーレの中で何かが切れた。
「だまれ! 人間の屑が、アザゼル様の名前を口にするなぁっ!! 貴様なんかに…! 貴様なんかに見下された私の気持ちがわかってたまるかぁっ!!」
レイナーレは潰れていない右腕で光の槍を作り出す。自棄気味に陥った状態で、その槍を一誠に振りかざしてくる。だが、一誠は慈悲なくして片手で防ぎ、光の槍を砕いた。身を屈め、腰を軸にして拳をハンマーのように真横に振り翳して腹部に強く当てた。衝撃が腹部全体に走り、レイナーレは吐血した。
「何かしら事情があってこそかもしれない。でもな、手をかけたんじゃ俺に同情される価値はないんだよ」
「残念だ」と辛うじて同情を込めた一言で、一誠は突き放した。彼女を殴り飛ばして、距離を置く。
『Boost! Boost! Boost!』
レイナーレは弱々しく立ち上がるが、宝玉を3度タッチし2の3乗倍=8倍加した一誠。
「それに――人間だろうが人外だろうが、俺の目の前にいるからには皆平等さ」
そう呟くと、一誠は宝玉に人差し指で触れる。
『Maximum Drive!!』
黒電話のダイヤルのように軽く回せば、異なる電子音が響く。スタンディングスタートの体制に入り、右脚が炎に包まれる。地を深く踏みつけては、大きく跳躍する。
「ハァアアアアアッッ!!」
燃え上がる右脚を大きく突き出し、飛び蹴りがレイナーレに炸裂した。彼女は強く突き飛ばされ、着地した一誠の背後で爆発音が響いていた。ゆっくりと立ち上がるが、暫く背後に振り向くことはしなかった。
この時、レイナーレは向こうの壁を突き破り敷地内の森の中の土面を転がった。吐血しては肉食動物に接近される鹿のように怯えた目つきで、一誠を見つめていた。しかし、走る体力も残されていない。赤い鎧が利き手でスナップを鳴らし、じりじりと歩き出してくる。
「い…、いや…」
穴場からアーシア、そして流子が顔を覗かせていた。一誠がどうするのか、息を飲む彼女達。後手で這いずり、後ろに擦り進むレイナーレ。しかし、一本の木が彼女を許さなかった。見上げれば夜空、しかしそれを隠すようにして一誠が現れた。「ひっ」と、喉を鷲掴みされるような緊張が襲い、死の恐怖に苛まれる。
一誠は微動にしないまま、直立して黒幕を見下ろしていた。沈黙したままだが、殺意を感じ取っていたレイナーレ。
「やめて一誠くん!」
そのため、レイナーレは一誠に初めて出会った時の姿―天野夕麻に変わって命乞いを求めた。あの時のデートに購入したリストバンドを付けた手首を胸に当て、涙ながらに訴えかける。
「ごめんなさい! あの時は仕方なかったの! 私には堕天使としての使命を果たさなければならなかった! 一誠くんを殺せと言われた時は、とても辛かった…。本当よ!」
「兵藤、聞くんじゃねぇ!!」
レイナーレの懇願に対しても、流子の叫びに対しても、一誠は何も答えなかった。息を殺し、水縹色に光る直線上の三重バイザーが彼女を見下ろしたままだった。
「簡単に許されるとは思っていないわ…! でも、それでもこの気持ちは変わらない…! 大好きよ、一誠くん!」
沈黙が走った。一誠は何一つも動かない。流子は胸が
思い返せば、一誠にとってレイナーレは、初めて女として付き合った者である。はにかんでいたが、彼女と一日を過ごせたことに感謝していることに変わりはない。そんな思い入れがあるからこそ、そう簡単に殺しはしないだろう。
思考が終わったのか、一誠の腕がゆっくりと動く。
『Reset』
左手の宝玉をタッチし、禁手を解除した。この時の一誠は無表情のままで、レイナーレを見下していた。だが、渾身の命乞いが通じたのであろう、彼女は溜息と同時に潤んだ目で一誠を見つめている。
「一誠くん…」
「…まさか、それほど落ちぶれていたんだなあんた。だが俺はあんたを殺さない。生きて罪を償わせてやる」
そう吐き捨て、一誠は踵を返す。流子やアーシアのもとに身体を向け、歩き出した。その姿はまるで、もう気は澄んだかのようである。実際、アーシアは無事だったのだ。これ以上痛めつける理由などありはしない。
アーシアは安堵感を見せていた。一誠はレイナーレを殺さなかった。レイナーレも心を入れ替えてくれた。二度と悪さをすることはない、罪を背負ってまでも生きて欲しかった。そんな思いが通じたのだろう。
流子は呆れを通り越しているが、何も言葉も放つことはしなかった。あれこそ一誠の本質だと、流子の勘が応えるのである。アーシアも助かったことだし、絶望しきっているレイナーレを放っておいても何も罰があたることはないだろう。
そして一誠の背後では―
「くひっ」
レイナーレの口端が釣り上がっていた。
それを、流子は見逃さなかった。
「――避けろ、兵藤っっ!!」
ザクッ。
肉を切り裂く、鈍い音が聞こえた。