妹ノ下雪乃さんとのラブコメは間違っていない。   作:kuronekoteru

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妹ノ下雪乃さんは今日も頑張っている。

 

「……兄さん、そろそろ起きて」

 

 千葉の閑静な住宅街にある一軒家、その一室に鈴を転がすように美しい声が鳴り響いた。

 変わらず寝息を立てる男にくすりと微笑を浮かべるのは二人の女の子。

 

「ありゃりゃ、これは全然起きないパターンですなぁ……、じゃあ小町は朝ご飯の方やってきますのでごゆっくり♪」

 

 恭しくもう一方の少女に声を掛け、音を立てないようにドアを閉じたアホ毛がトレードマークの少女は比企谷小町。毎朝の料理当番は基本彼女が受け持ってくれている。理由は、毎度変わらずこんな朝になるからだ。

 

 雪乃は部屋から遠ざかっていく足音を念入りに確認すると、こっそりと掛け布団を捲る。八幡のベッドに不自然な程に空けられているスペースは昔から変わっていない。

 

 ゆっくりと膝を立ててシーツの皺を増やし、両の手をついて少年の緊張感のない寝顔に自身の顔を近付けていく。

 

 雪乃は彼の耳元に口を寄せると小さな声で囁いた。

 起こさないように、けれど反応はもらえるような匙加減で。

 

「……5分だけだから良いでしょう?」

「んー? あと5分……いや10分……」

 

 一見成り立っていない会話に彼女はしたり顔になる。言質を取ったつもりになっているのだ。

 小さい子どもなら充分な程に開けられた場所に、彼女はころんと身体を横にする。制服に皺が付かないように気を付けながら。

 

 今日も今日とて微笑ましい微睡みの時間を過ごしている二人の少年少女。少年の名は比企谷八幡、比企谷小町の兄であり総武高校の二年生。

 

 もう一人の名前は雪ノ下雪乃、訳あって幼少期から大半を比企谷家で暮らすようになった。

 

 それは出来の良過ぎる姉である、陽乃と比較されることが多くなっていた時期のこと。社交性に少し問題を抱えていた雪乃の育て方に悩む、雪ノ下の父親がある男に出会ったことが原因だった。バーで隣に座ったその男は口を開けば娘が可愛いだの、息子も大事にしてくれているから安心だの自慢話をしており、酒の勢いもあり気が付けば子育てのコツを訊いてしまうのも仕方がなかっただろう。

 そしてまさか、気が触れて娘を数日預けただけで「帰りたくない」と泣きだされる状況になるとは思いもしなかったのだ。

 

 実際には週末や長期休みに実家にも帰ることもある状態なので、無論養子縁組の制度も使ってはいない。そのため八幡と兄妹関係はないし、同じ高校二年で歳の差もないのだが兄と呼び慕っている。そう、ずっと慕い続けている。

 誰にも気付かれていないと思っているが、近しい人で気付いていないのは想い人だけだった。

 

 きっちり10分間だけ八幡の寝顔を見つめて過ごすと、いつも通りにベッドから音もなく脱出。ベッドシーツの皺を伸ばして痕跡を可能な限り消していく。そして、枕元に腕を組んで立つと大きな声を発した。

 

「兄さん、そろそろ起きてくれないと遅刻してしまうから置いていくわよ」

「んん、待ってくれ……。一人で電車に乗るなんて危ないからやめてくれ…………」

 

 寝起きの一言目から溢れるシスコン発言、でもそれは受け取り方次第で大きく異なる。

 

「なら早く支度して頂戴、……それとおはよう、兄さん」

「おはよう――――雪乃」

 

 今日も礼儀正しく背筋が伸びている後ろ姿に挨拶をして、八幡は一日を始める。扉から消えていく艶のある黒い軌跡を見送ると、少し慌ただしく着替えの準備。万が一にも置いて行かれないように気を付けて。

 

 扉の外では、紅潮してしまった顔を隠し切った彼女が微笑む。小町の下へ急ぐ意思はあるけれど、上がった口角を降ろすまではどうにも動くことは出来ない。八幡の部屋から漏れ出る、焦って準備を行う音を聞いている瞬間が好きなのも理由の一つだったりするのだろうが。

 

 * * *

 

 通学には総武本線の最寄り駅までは電車を利用し、そこからはバスに乗り換え。半刻程度の道のりは基本二人きりで行動していたが、付かず離れずの距離感に会話も最低限なので甘い出来事など殆ど起き得ない。

 しかし、八幡は時折雪乃の周りを見渡しては危険そうな人物が居ないかを確認していた。少しでも不用意に彼女に近付こうとする輩が居れば、即座に立ち位置を入れ替えて自分が壁になるのが当たり前になっている。

 

 春、新学期の始まったばかりの季節には乗車人数が多くなりやすい。研修のために関東に来ている社会人も居るのだろうし、自主休講を覚えていない大学生ばかりだろうから。

 本日もまた毎年恒例の満員電車となり、彼らは仕方なく乗車ドア付近に並んで乗り込んでいく。雪乃を壁際に追い込み、自分が壁となるお決まりの陣形。しかし、普段なら自分に背を向ける雪乃と今日は向き合う形になっていた。

 

「……悪い、なるべく離れるから」

「私のことはいいから、無理して腕に力を入れ続けなくても良いわよ」

 

 負担はかけまいと八幡が見栄を張っていることは雪乃には案の定筒抜けだった。だがしかし、彼はそれでも意地を張り続けるしかなかった。

 

「いや、そういうわけにはいかん」

「なぜ?」

「……それは、言わねーけど」

 

 思春期男子の事情に疎いであろう人間に説明するのは気が引ける。それが雪乃なら猶更だろう。

 

「慣れておかないと将来苦労するわよ?」

「勝手に察するのやめてね、あと雪乃クラスの女なんて居ないんだから慣れる必要はない」

 

 それはそうだろう。日本中探しても、目の前の少女と張り合える見目麗しい女性はそうは居まい。だが、そんな少女の言の葉に籠められた想いに気付けない男もそうそう居ないだろう。

 

「ふふっ、煽ててくれても苦労するのが早まるだけよ」

「……どういう意味?」

「直ぐに分かるわよ」

 

 八幡はなおも腕には力を入れたまま、雪乃の発言に対し頭に疑問符を浮かべている。彼が努力し少しだけ空間を作ってくれると、雪乃がバレないようにそっと近付いていたから距離は変わらないというのに。

 

 彼女は離れることを許すつもりなど毛頭ないのだから。

 

 

 二人は満員だった電車から降り、駅に隣接しているバス停まで向かうと丁度良く目的地行きのバスが到着した。エアブレーキの空気を放出する音とともに開けられた扉から乗車し、定期券代わりにスマートフォンをタッチさせる。そして、ぽつぽつと席の空いている車内を見渡した。二つ並んだ席は残念ながら存在してはいない。

 彼らは特に言葉を交わすことなく後方車両側へと歩いた。窓側だけ埋められた後方の席に前後で座ることにしたのだろう。

 

 彼らは学校では基本的にあまり関わらないようにしていた。この特殊な関係性を知っているのは一部の教師くらいで、下手に他の生徒に周知されると邪な誤解を受けることになるのは必然。八幡は自身だけなら構わないが、雪乃がそんな目で見られるのはどうしても嫌だったようで。

 中学までは雪乃が私立に通っていたため、公立だった八幡とは別々の学校生活を過ごしていた。念願叶って同じ高校に進学したことを喜ぶ雪乃を説得するのは大変に骨が折れる出来事だったが、そのお陰で彼らの1年次は平穏な学校生活を送ることが出来た。

 

 数分の乗車の後、総武高校前の到着を知らせる案内が流れると、停車を求めるボタンに付随する赤い光が誰かの手によって灯される。もう周りには学校の生徒が少なくはない。

 

 鞄を肩に掛けバスから降りると、二人は最後に視線で挨拶を交わす。これが彼らの毎日のルーティーンだった。次に会話するのは放課後までお預けで、校門までの道のりは八幡が数メートル離れて歩いていく。

 それは本気で走れば1秒で辿り着ける距離。学校内で関わることは諦めても、雪乃を守ることは決して諦めていなかった。

 

 校門まで辿り着いた雪乃は急に足を止める。彼女に合わせて自分まで止まっては周囲から怪しまれてしまうため、八幡は前進するしか選択肢が無い。彼女にとって、そんなことは勿論承知の上。

 

 聞き間違える筈もない足音が手の届く場所まで近付くと雪乃は振り返る。

 誰もが目を留めるであろう、美麗な容貌に不敵な笑みを携えて。

 

 そして彼の方へと更にもう一歩、特別な関係でしか有り得ない立ち位置まで寄って口を開いた。

 

「じゃあ後でね、――――八幡」

 

 周囲から鞄の落ちる音が鳴り響いた。

 

 桜舞い散る新学期、波乱に満ちた学校生活の予感が八幡の胸をよぎる。

 彼女の言っていた『苦労』の意味を痛いほどに理解するのは、そう遠くはない未来。

 




こんな八雪も良いよね……って妄想で書きました。
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