妹ノ下雪乃さんとのラブコメは間違っていない。   作:kuronekoteru

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妹ノ下雪乃さんとの買い物はデートになってしまう。

 

 梅雨前線が一旦遠のき薄く白い雲が広がる空の下、場所は学生のデートスポットとして有名な南船橋のららぽーと入口前。その立派な顔は駅出口から高架下を抜け、燦々とした光を反射する歩道橋を渡った先に、来るもの拒まずの余裕さが堂々と構えられている。

 左手側に見えるIKEAの方には大学生や社会人が恋人との生活を考えて訪れたりするらしいが、お値段以上のニトリ派なのであまり詳しくはない。把握しているのは鮫が居ることだけ。

 

 本日、ただでさえ人目を引く雪乃と二人並んで訪れてしまったのは、とある目的を果たすため。事の発端は、昨日のわんにゃん博から帰った後の小町の偉大な発見であった────。

 

 

「おー結衣さんアイコンまで凝っていて女子力マシマシだなー。……って、えっ、もう来週すぐに誕生日じゃん!」

 

 本日入手した由比ヶ浜の連絡先にまじまじと見入っていると、愛すべき小町は角が割れている画面をソファーにぽすりと落とす。そういうことしてるから割れちゃうんでしょうに……。

 

 ペット同伴可能なテラス席で一緒に昼食を取った際にも、シンパシーを感じるのか二人はえらく仲良くしていた。そういった二人だから誕生日も教え合ったりするのだろう。

 

「へぇ、由比ヶ浜さんはプレゼント欲しさに誕生日を教える人だったのね」

「裏声やめて気持ち悪い。それにゆきねぇはそんなこと言わないでしょ……」

 

「……えっと、呼ばれたかしら?」

 

 丁度良く不機嫌顔をしたカマクラを抱えて、階段を登ってリビングへと入ってきた雪乃は可愛らしく首を傾げる。その手には帰りに買っていたチュールの袋。

 そのままカマクラと共にソファーの端に腰掛けると、小町は彼女に向かって前のめりに「結衣さんの誕生日知ってるよね?」と質問を投げていく。そこには焦りと期待が入り混じっているように思われた。

 

 だが、雪乃はその言葉を聞いて静かに首を横へと振ると、お腹に顔を埋めて丸くなるカマクラを撫で始める。俺だけ伝えられていなかったら如何しようかと思っていたが、同じく知らなかった彼女の横顔は少しだけ寂しそうにも見えた。

 

「もう、二人とも連絡先知ってるんだから見たら分かるじゃん……」

 

 呆れるような口振りで見せられた画面には、確かに由比ヶ浜を始めとした友人たちのが誕生日が月毎に分けられて記載されていた。

 いや、その誕生日カレンダーなんて機能知らないんですけど周知されているものなんですかね。メニュー画面見ても何処にもリンク無いんだけど。

 

 雪乃も撫でる手を止めてまで必死に探しているが、そこには辿り着けていない様子。我ら兄妹、小町以外は電子アプリ系がちょっと苦手であった。だからこそ本もアナログが好きなのだろう。知らないと見えない、触れられない物には抵抗があるから。

 

「こほん、まぁそれは良いのです。ただ、明日小町は予定がありますので、二人きりでお買い物デートに行ってきてもらいます♪」

「買い物は構わんが、その前に小町の予定って何だね?」

「……友達と勉強会。女の子しかいないから気にせず行ってきなさい」

 

 しっしっ、と小町の鬱陶しそうな素振りを見ては安堵の溜息を吐く。その呆れ顔の奥では顎に手をやり小難しい表情を浮かべる雪乃。だが、不意に目が合うと素早く顔を逸らして綺麗な横顔だけを視界に残した。

 もしかしなくても、やはり小町が居ないとお出掛けしたくないのだろうか。それとも初めての友人に贈るプレゼントに思い悩んでいるのだろうか。

 

 どちらにせよ、今の自分に出来ることは明日のエスコート準備、暴漢対策グッズの用意を怠らないことだけであろう。そんな甘い考えを抱いて、俺は何の心構えもせずに眠りへと誘われてしまうのだった──。

 

 

 入口の自動開閉ドアを通り抜けると、香り高い珈琲の匂いが乗せられた冷たい空気が肌へと纏わり付く。今日もスタバは若い女性で賑わっており、店外まで伸びている列が自然と目に入った。

 

 そこに並んでいる女性にすら注目を向けられているのは隣に並び歩く雪乃。今日の彼女はやけにお洒落な装いをしている。

 上には首回りと袖に幅広のフリルがあしらわれた白いブラウスを羽織り、下は黒のミニスカートを履いて長く美しい脚線美を描いていた。それにハーフアップと言うのだろうか、綺麗な艶のある黒髪が後ろで複雑に編み込まれている。

 

 まるでどこぞのお嬢様のような相貌に、玄関で目にした際には暫く立ち尽くしてしまった。雪乃の隣で微笑を浮かべる小町の揶揄いの言葉が無ければ一生見ていた可能性すらある。

 本来であれば、そこで指摘するべきだったのだろう。誰もが振り返る整った顔立ちに、人目に付けば惚れ惚れする小町監修のトータルコーディネート。小町趣味のせいで少しばかり露出過多なのが八幡的には心配しかない。

 

 そこで、事前に雪乃から今月分の小遣いを受け取ってある財布の潤沢さにかまけて、俺は彼女にとある提案をすることにした。

 

「まぁなんだ、……取り敢えず、そこにある服屋から見るか」

 

 俺が指差したのは入口近くにあるレディース服の専門店。雪乃は返事の代わりに「由比ヶ浜さんのサイズを知っているの?」とでも言いたげな、じとりとした湿度の高い眼差しを向けてきた。

 ただ、実際に言われてはいないので、俺は特段の弁明をすることなく店へと靴を叩いていく。意識するのは普段よりも背筋をピンと伸ばすこと。

 

 なるべく彼女が周りからの視線に晒されないように。

 

 

「……これなんか良いんじゃないか?」

 

 手にしたのは、落ち着いた青色の生地で作られたロング丈のフレアスカート。腰部には大きなリボンベルトが付いており、女子高生の可愛い真っ盛りな年頃にも調和してくれそうだった。

 値段と言う戦闘力も樋口さんには遠く及ばない。肌触りの良い生地に凝ったデザインでもレディースはメンズと比べて安く感じる。学生でもお洒落が楽しめるように配慮してくれているのだろうか。

 

「これ、試着してもらっていいか?」

「…………私が着ても参考にはならないわよ」

 

 隣で口を噤んでいた雪乃が携えていたのは、相も変わらず梅雨模様のじめっとした瞳。こういう顔も可愛いんだよね、分かる。

 だがしかし、俺が女性店員に微笑ましい目で見られながらも、必死になって探していた目的は果たしたい。無論、趣味じゃなかったら申し訳ないので、強くは言えないのだが。

 

「その、雪乃用に見てたから参考にしかならんが……」

「……えっ?」

 

 二回、三回と長い睫毛を有する双眸が瞬かれる。疑問の声を上げる彼女に釣られて、俺も「ん?」と会話にもならない鼻音を発した。

 

 見たところ嫌がる素振りではないので、首を傾げ合いながらも手に持った衣紋掛けを前に差し出していく。すると、彼女の手のひらは少しずつ花開き、ゆっくりと時間を掛けて床と水平へと垂れ下がっていった。

 

「……あの、えっと、…………試着室はあっちかしらね」

 

 ぽかんと困惑した表情を浮かべた儘に、彼女の手は確かにスカートを受け取り終える。そして、その青い布地を顔の高さまで持ち上げると、くるりと更衣室の反対側へと顔を背けてしまった。

 

 さっきから視線を送り続けていた店員さんが慌てて正しい方向を指し示すと、羞恥で顔を真っ赤にした雪乃と目が合う。もう一生方向音痴で居て欲しい。

 

 

 その後、満面の笑みを浮かべる店員さんを隣にして、謎の緊張感を抱きながら更衣室のカーテンが開かれるのを待っていた。「お兄さん、彼女さんが可愛くて仕方ないんですね」と声を掛けられても苦笑交じりに肯定しか出来ない。この店に入ってから、そんなにシスコン発言していましたかね……。

 

 無意識に可笑しな発言をしていないことを祈り始めるその時、カーテンからひょっこり顔を覗かせる雪乃が視界に入った。

 そのままカシャリと幕が開いて全容が映し出されると、居た堪れなかった店内が天上へと移り変わる。千葉に天使が舞い降りたかもしれない。

 

「その、……どうかしら?」

 

 先程までの服装が白と黒のコントラストを意識したきれいめファッションだとすれば、今は爽やかな青とフェミニンなシルエットを取り入れた清楚系へと変貌していた。僅かに覗かせるふくらはぎも健康的な範疇。

 

「…………可愛い、世界一可愛い。──いや、宇宙一可愛い」

 

 俺は透かさず隣で拍手していた店員さんに声を掛け、そのまま着て行くからとタグ処理と会計を願い出る。

 

 それを聞いた雪乃は自分で払うと主張していたが、完全に俺の我が儘なので無理矢理に押し返し、相も変わらず微笑ましい視線を向けられながらも店を後にした。

 

「……色々とありがとう、兄さん。それとごめんなさい」

 

 雪乃は俺の手元に吊るされている、黒い布地が入った紙袋を見やって言葉を漏らす。その表情の大部分は垂れ下がった前髪に遮られて伺うことは出来ない。

 

「まぁ、あれだな。短いのも似合うけど、ああいうのは家でだけ着てくれると助かる」

「あっ、あれは小町が兄さんの……」

 

 未だに納得し切れていない彼女に追加で我が儘を告げると、雪乃も慣れない恰好に今更恥ずかしくなったのか、顔を上げては思い出すように頬を朱に染めていく。

 しかし、焦って出た言葉は続きはせず、代わりに別の言葉が落ち着いた声色と合わせて零れ落ちた。

 

「それに、管理するどころか無駄遣いまでさせてしまって……」

「何言ってんだ? スカート代だけで雪乃を無料で独占出来るんだから、有意義どころか得まであるぞ」

 

 俺の本心からの戯言を聞くと、彼女は一瞬理解出来ずにぽかりと口を開ける。そして、直ぐさま馬鹿みたいと口にし破顔した。

 何を着ても様になるのは間違いないが、やはり雪乃には何よりも笑顔が似合う。

 

 人目も気にせず暫く笑い合って、互いの目尻には小さな雨粒が垂れ落ちる。だが、俺へと向けられるのは晴れ晴れとした眼差し。

 

 そこに反射して映る自身の瞳も、きっと彼女と同じに違いなかった。

 

 * * *

 

 二人で取った昼食は、スフレオムレツを上へと贅沢に乗せたドリア。卵白をメレンゲに仕立てたふわふわのオムレツと、トマトソースの熱々ドリアが相性抜群。

 猫舌なので食べ切るまでに結構な時間を要したのだが、対面には小さな口で冷ましながら頬張る雪乃が居るので幸せでしかない。あまりにも見過ぎたお陰で、彼女に冷ましてもらえた特別な一口の味を俺は一生忘れないだろう。

 

 店を出ると身体は満足感と充足感に満ち満ちていた。すっかり目的を果たした気で居るのだが、ここからが漸く本題の由比ヶ浜のプレゼント選び。昼食時にした作戦会議の結果、服やアクセサリー類は避けて雑貨、小物系に絞ると決めたものの該当する店は未だに多い。

 

 目に付いた店から物色するべく大通りへと出ると、その矢先に背筋に冷たいものが走った。

 

「──くんくん、雪乃ちゃんの匂いがする……。あっ、やっぱり雪乃ちゃんだ! おーい、雪乃ちゃん、正真正銘のお姉ちゃんですよー!」

 

 雪乃に似た綺麗な声質は通りがよく、遠く離れている距離からでも構わず耳朶を打つ。

 

 音の発信源に嫌でも目が動くと、そこには輝きを放つ女性を中心に華やかな男女数名の集まり。言葉を発した本人は、周りの人らに手刀で切るかの如く謝り倒し、こちらへと一目散に駆け寄ってくる。恐らく、別行動することを彼らに告げていたのだろう。

 

「……どうする、逃げるか?」

「残念ながら、見つかった時点でその選択肢は取りようがないわね……」

 

 艶のある黒髪は肩に触れる程度で揃えられ、雪乃と同様の透き通るような白い肌。久しぶりに見る彼女、雪ノ下陽乃(はるの)さんは実妹の雪乃にも劣らない端正な顔立ちで楽しそうに笑顔を振り撒く。

 雪乃に加えて小町まで可愛がり、お砂糖過多の甘い甘い対応をしてくれている素敵で凄い姉貴分。傍から見ているだけで血糖値が上がりそうなのが困り者。

 

「うわー、弟くんは酷いなぁ……。お姉ちゃん泣いちゃいそうだから、君は雪乃ちゃんを置いて帰っていいよ?」

 

 だがしかし、俺に対する対応はかなり塩分高め。血圧まで上げてくる本当に困ったさん。

 

「兄さんが帰るなら私も一緒に帰るわよ」

「冗談は置いといて、二人は何しに来たのかな? ……まさかデートじゃないよねぇ?」

 

 雪乃の帰宅宣言に陽乃さんは透かさず手のひらを返すも、冗談は変わらず続けていた。確かに小町はデートという言葉を使っていた気もするが、本日は明確な別の目的がある以上違うだろう。

 無論、デートでも構わないのでノーと答えはしない。伝えるのは疑いの余地がない事実だけ。

 

「可愛くお洒落してきた雪乃と、友人の誕生日祝いを買いに来ているだけですね」

「そうね、兄さんは素敵なスカートを見繕ってプレゼントしてくれたけれど」

 

「……こんな事は言いたくはないけど、それは立派なデートだね」

 

 陽乃さんはガクッと項垂れ、分かり易い落ち込んだポーズを見せる。しかし、即座に軽い咳払いをして出来の良い姉の笑顔を取り戻した。

 

「ではでは、このお姉ちゃんもプレゼント選びを手伝ってあげましょう! こう見えて毎年毎年、可愛い妹たちにあげる物には頭を悩ませているからね」

 

 散々に悩んだ結果なのだろうが、陽乃さんからの誕生日プレゼントは年々豪華になっていた。

 今年の小町には若者向けブランドの長財布、雪乃には保湿効果が良いと噂のお高いドライヤー。雪乃は実用性を求めるところがあるので、きちんと相手に合わせて選んでいるのだろうけれども。

 

「そう言えば、もうじき姉さんも誕生日だけれど、何か貰って嬉しい物はある?」

「うーん、雪乃ちゃんがくれる物なら何でも嬉しいよ!」

 

 来月の初旬、七夕の日は陽乃さんの誕生日。毎年小町たちと祝っているので、今年も何かしらの催しが開かれるのであろう。

 やはり悩ましいのはプレゼントで、今までに気遣い抜きで喜ばれた記憶はまるで無い。可愛いが過ぎる妹達には例年大喜びで抱き締めているというのに……。

 

 えっと、別に柔らかそうな肉体に抱擁されて羨ましいと思っていたりはしませんよ、うん。

 

「……じゃあ、俺からは何も要らないですかね?」

「あはは、弟くんはその立ち位置を貸してくれるだけで良いよ」

 

 明るい声色であっけらかんと放たれた言葉。お得意の冗談ではなく、本気で言ってそうなところが本当に怖い。一見完璧な笑顔にしか見えないのに、陽乃さんに向けられたその目だけは全く笑っていなかった。

 

「それで、贈る相手はどういう娘なのかな……?」

 

 

 場所は移り変わって、キッチン雑貨店。お洒落な鍋やフライパンを始め、キッチンや食卓を彩る素敵アイテムが勢揃い。台所を主戦場としている雪乃にとって、使い道や利便性の高さを推し量るのに苦労はしないだろう。

 

 このお店を選んでくれたのは、由比ヶ浜の話を聞いてくれた陽乃さんであった。

 

 料理下手だったとしても興味があれば全くもって問題なし。そう判断した彼女は迷うことなく広大な面積を誇るららぽを闊歩して導いてくれた。

 優れた美貌と天井知らずの高いスペック以外は色々と似ていない姉妹ではあるが、両親から受け継ぐ方向感覚を雪乃の分まで根こそぎ持っていってしまったのだろうか。

 

「じゃじゃーん、どうこれ似合うでしょ?」

 

 実力に見合った有り余る自信とシックな紫色のエプロンを羽織って笑うは陽乃さん。

 

「……まぁ、見てくれは似合ってますけど、中身的にはもっとシェフっぽいのが良いんじゃないですかね」

「君は本当に可愛くないなぁ……」

 

 文句を言う割にはやたらに絡んでくるのは何故なのだろうか。笑顔から呆れ、はたまた悩み顔へと表情をころころ変えながら、陽乃さんは包丁が並ぶ一角へと向かっていく。雪乃は喜びそうだけれども、きっと普通の女子高生は包丁を欲しがらないですよ。

 

 すっかり雪乃基準になっている姉の後ろ姿を眺めていると、不意に鈴を転がすような声で呼び掛けられた。

 

「これなんてどうかしら?」

 

 振り返った俺の視界に入ったのは、胸元に猫の足跡があしらわれた薄手の黒いエプロンを身に着けた雪乃の姿。ゆったりと回って、後ろ手に結ばれた腰紐のリボンを見せつけてくれる。

 

「めちゃくちゃ良い、すごいよく似合ってる、……世界一可愛いよ」

「……私は由比ヶ浜さんに似合うかを訊いたつもりだったのだけれど」

 

 彼女は余裕の笑みを浮かべながら、「もうそればっかり」と愛らしい小言を垂れる。そのままエプロンを脱いで折り畳むと、大事そうに胸元へと抱えていった。

 

 そして、近くの棚に鎮座してあるピンクの物を選び取ってば広げていく。デザインを始め、生地の造りやポケットの数なんかを確認しているのだろうか。色も黒よりはピンクの方が由比ヶ浜らしい気もする。

 

「よし、これにするわ」

「……い、一応着けて見せてもらってもいいか?」

 

 ピンクエプロンの雪乃も見たい、そんな当たり前の欲望から口が勝手に開かれる。何なら記憶だけでなく記録させて頂きたいので、大慌てでポケットからスマホを取り出しさえしていた。

 

「……だめよ、だって二着も必要ないもの」

 

 しかし、微笑む女神はどちらも許してはくれず、背中を向けてレジの方へと一人向かってしまう。

 悲しむよりも嘆くよりも、今は急いで由比ヶ浜へのプレゼントを選ばなければならない。そのことに気付いて、俺は陽乃さんに相談してまで贈り物を見繕い始める。

 

 思い起こせば真っ先に浮かぶ眩しい笑顔、それを傷付けたくはない。可能ならば喜ばせてあげたいと思うのは、友人として何も変なことではない筈だから。

 

 * * *

 

 不規則に揺れる車内には、水平線へと帰る夕陽が挨拶代わりに赤を差し込んでいる。眺め入ってしまいそうな夕焼けの景色を見るのもそこそこに、俺は深めに腰を掛けて大きく息を吐いた。それは、不慮の事故要素との邂逅が精神と肉体に疲労を蓄積してくれた所為。

 

 左隣で疲れた顔を見せずに微笑む雪乃の手には、エプロンが二着入った買い物袋と大きなパンさんのぬいぐるみが抱えられている。その相も変わらず目付きの悪い白黒パンダはクレーンゲームの景品で、陽乃さんと兄と姉の矜持を懸けて取り合った戦利品であった。

 妨害、暴言、何でもありの交代制だったが、あまりにも取れず雪乃の瞳に哀しみが宿った辺りで協力戦に移行。そこから僅か数プレイで無事に雪乃の手に渡らせることが出来た。

 

「それ、気に入ってくれるといいな」

「……そうね、私のより厚手の物にしたから、軽い事故が起きても無事に済むでしょうし」

 

 由比ヶ浜の希望で以前に行ったクッキー作り。彼女は焼成の途中でオーブンを開けようとしていた記憶もあるし、色々と危なっかしいから備えるのは正しいのだろうが、エプロンは防御力を期待して贈る物ではないだろう。

 しかしきっと、由比ヶ浜が台所へと立つ回数は今よりも多くなる筈だ。折角もらったプレゼントを使ってみたくなって、機会を求めて、そしていつか上手にもなる。陽乃さんもそう考えて、あのお店をチョイスしてくれたのだろうから。

 

「兄さんには貰ってばかりね……」

 

 雪乃は胸に抱えたぬいぐるみに顔を埋めながらに呟く。パンさんの爪がぎちぎちと恐ろしい音を立てているが、彼女の愛らしさで充分に緩和され気にはならない。

 

「日頃の感謝を考えたら足りないくらいだろ。……いつもすまないねぇ」

「ふふっ、それは言わない約束でしょ?」

 

 古来から続くお約束のやり取りによって、二人を取り巻いたのは弛緩し切った空気。釣られて緩んでしまった俺の口は、気が付けば今夜の料理を手伝いたいと告げていた。

 

 理由はただ、彼女のエプロン姿が見たいだけ。

 

「では、餃子でも作りましょうか」

 

 ほんの僅かに目を丸くし、小さく嘆声を漏らすと彼女は小町も一緒に三人で包もうと提案してくれた。脳裏に浮かぶ幸せな光景に、俺は迷うことなく首肯と共に了承の意を伝える。

 

 食い気味の反応に注がれたのは外気と変わらない温かな視線。

 だが、それを揺れるつり革へと向けると何かを思い起こしたのか、やがて意地の悪い笑みを浮かべ始めた。

 

「……そう言えば、兄さんのエプロンも取っておいてあったわね」

「ねぇ待って、それ小学校の家庭科用に買ったドラゴンのやつだよね?」

 

 八幡、それ以外のエプロン着けたことない! と焦って反応するも、雪乃は揶揄いの笑みで言葉を続ける。こういう部分はしっかり姉ノ下さんの影響を受けちゃっているのよね……。

 

「あら、似合っていたわよ?」

「全然嬉しくないんだよなぁ……」

 

 何故、あんなドラゴンと派手な雷エフェクトが描かれている物を選んでしまったのだろうか。因みに同時期に選んだ裁縫箱も当然のように龍絵印刷(ドラゴンスタイル)

 小学校男子の心だけを狙い撃つ巧妙な罠に、過去の俺も例外なく嵌められてしまっていた。

 

 今日一で楽しそうな様相が目の前で明るい声を上げている。お洒落に着飾っている雪乃の飾らない表情、そんな彼女を見れる立ち位置を陽乃さんは欲しがっていたのだろうか。俺はこの席を彼女に、いや他の誰にだって譲る気など毛頭ある筈もないけれど。

 

 次の瞬間、視界を遮ったのは羞恥に塗れた自身の手。恥ずべき黒い歴史とエゴに苛まれた醜い顔、欲望を両の手で覆い隠して蓋をする為に。

 

「……それなら、また二人で一緒に選びに行きましょう」

 

 しかし、誘いの先触れを紡ぎながら、細い指が俺の左手を優しく引き剥がしていく。開かれる先には愛する彼女の瞳と薄い唇、夕陽に染まった柔らかな笑みが待っていた。

 

「──今度こそ、独り占めさせてあげるから」

 

 喧騒の中で耳朶を震わせたのは、甘い甘い誘惑を孕んだ言の葉だけ。

 

 車輪が線路を叩く走行音も、周りの乗客の発する音も、目的地を告げる案内の声すら今は届きはしない。その甘美な誘惑に瞬きも、息の仕方さえも忘れてしまったから。

 

 開かれた扉の先に進んだ雪乃はくるりと翻って手招く。

 ふわりと舞い上がる美しい軌跡を描いていたのは、払拭したい薄暗い黒ではなく、彼女に似合う青春を彩る鮮やかな色。

 

 その青がきっと、焦がれた想いを大切に拾い上げて繋ぎ止めてくれた気がした。

 

 




遂に登場、姉ノ下さんでした。
前回も感想やここすき等ありがとうございました!!

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